嘘は大きければ大きいほど良い
他人をうまく利用できる人は、現代社会の様々な競争に勝利できるから、財産を成し立身出世できるものなのでしょう。利用するだけでなく、大嘘をついて他人から金品や物資を巻き上げるような人のことを、一般に詐欺師といいます。
「嘘は大きければ大きいほど良い」とは、アドルフ・ヒトラーの言葉ですね。「わが闘争」のどこかにあったかと思います。
詐欺師とはどんな人なのだろうか?人は、詐欺師に出会ったときどう判断しどう行動するのだろうか?有吉佐和子「悪女について」(新潮文庫)の読者に対する問いかけはこれらではないでしょうか。
この小説には、有吉佐和子の人物観察眼がよく出ているように思います。
「悪女」とは昭和11年10月8日生まれで、41、42歳で急死した実業家富小路公子という架空の人物です。
小説は、富小路公子をめぐる27人の述懐集です。
貧しい八百屋の娘鈴木君子は、出会う人を次から次へと騙して財をなします。他人を騙すためには、知識と能力が必要です。鈴木君子は宝石についての優れた鑑定眼や簿記の知識を夜学や独学で習得しており、優秀な実業家になりました。
鈴木君子は富小路公子と改名するのですが、富小路とはあたかも旧華族のような名前です。
富小路公子は、生きていく中でヒトラーの言葉に表されているような処世術を体得したのでしょう。子供の頃から、空想の世界を好み、虚言を吐くようなところがあったのでしょう。自分が「貰いっ子」であるというのは、虚言ではないでしょうか(p29)。
「その二十一 鈴木タネの話」は富小路公子の母親の話ですが、この中には「貰いっ子」などという話はありません。鈴木タネは窃盗癖のある人間(p364)ですが、娘の公子に関する限り本当のことを言っているように私には思えます。
次から次へと男を騙し続ける女
富小路公子は、次から次へと男を騙し続けました。
富小路公子は16歳の頃に長男、翌年に次男を産みますが、父親が誰だかはっきりしないのです。27人の述懐者のうち、公子から「あなたの子供です」と言われた人は3人です。
16歳くらいの頃の同棲相手の渡瀬義雄、16歳くらいの頃勤めていた中華料理店の経営者だった沢山栄次そして子供の頃、母親と一緒に引き取られた家の長男、尾藤輝彦です。
3人とも子供が生まれた頃、富小路公子と深い関係を持っていました。沢山と尾藤は、富小路と生涯、深い関係にありました(p146、p474)。この二人は、富小路が生んだ二人の男の子を自分の子と確信しています(p147, p471)。
渡瀬義雄は、自分の子ではないと考えています(p55)。
富小路は二度の結婚をしています。最初の夫は渡瀬義雄です。富小路公子は渡瀬に無断で昭和28年に入籍届けを出し、二人の子供も渡瀬の籍に入れていました(p68)。手切れ金として、昭和34年に5千万円を渡瀬家から受け取りました(p79-80)。
鈴木タネは長男は尾藤の子ではないかと睨んでいます(p367)。次男は違う男の子とみています(p368)。ひょっとしたら、富小路自身も子供の父親が誰だかわからないのではないでしょうか。
25歳のときに二度目の結婚をします(p181)。二番目の夫富本寛一との結婚生活は二年だけです。この結婚は財産目当てだったのではないでしょうか。離婚の慰謝料として、田園調布の500坪の屋敷を取ってしまいました(p200)。
それでも富本寛一は、富小路が悪女であることに気づいていません(p245-246)。学生時代ラグビー部だった富本は、人が嘘をつくということを知らないのでしょう。
さらに富小路は晩年、14歳年下の社員とも深い関係でした(その二十三 小島誠の話)。小島は富小路に自分以外の男がいたとは思っていません(p410)。晩年の富小路は、3人の男を弄んでいたことになります。
富小路はとんでもない詐欺師なのですが、周囲にいた人でさえ、それがわからない人はいくらでもいました。二番目の夫だけではありません。子供の頃から知っていた宝石職人は「清く正しく生きたことは間違いない」と言っています(p314)。
職人肌の真面目な人間や、嘘をついたことがないような人間は、身近な人間が詐欺師であることを見抜けないものでしょう。
詐欺師として生き抜くなら-太く、短く-
詐欺行為をする際には、自分の話には嘘などこれっぽっちもないという顔をしないといけないのでしょう。真剣な顔をして大法螺を吹けば、信じてしまう人はいくらでもいるものなのでしょう。
詐欺師でも嘘に嘘を重ねていくと、次第に自分の話のうち、どこまでが真実でどこまでが虚偽なのか区別がつかなくなってしまうのかもしれません。富小路は子供の頃一緒に算盤塾に通った友人、丸井牧子に「算盤ならったことないわよ」と言いました(p34)。
富小路の場合、男性や顧客を虚言で弄びつつ生きてきた結果、真実と虚言の区別がつかなくなってしまったのではないでしょうか。
富小路の次男義輝は、自分が小さいとき、母が「雲が虹のように輝いているわ。ね。輝、傍に行ってみましょうよ」(p513)と語っていたと述べています。二階から飛び降りたら怪我をしてしまうことに母は気づかなかったそうです。
義輝は母が、虹色に輝く雲を見たから、前後の考えもなくその雲に乗ろうとしてビルの更衣室から飛び降りたのではないかと考えています(p514)。
詐欺師として生き抜くなら、「太く、短く」を覚悟して生きねばならないのでしょうね。長期的な人生計画をたてて目標を少しずつ実現しつつ生きていくような人は、優秀な詐欺師にはなれませんね。
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