明治のボタン商人の夢
子供の頃読んだ本の中の登場人物の生きざまが、ふとよみがえってきた経験はありませんか。誰しも、生きていく中で様々な人と出会い、すれ違っていきます。
小説の登場人物の言動が、読者である私たちの生き方、身の処し方に大きな影響を及ぼしうるものでしょう。私たちは小説や映画の登場人物とも、すれ違っているのでしょう。
岩崎京子「鯉のいる村」(新日本出版社1969年刊行)の中に、ボタン商人の話「ぼたん」があります。語り部は小学校高学年くらいのさち子です。女の子のお祖母さんはボタン園経営の家で育ちました。
語り部が私より少し年上とすると、ボタン園の家で育ったお祖母さんは生きていれば120歳くらいの方でしょうね。明治30年生まれくらいとすると、ボタン園を経営していたお祖母さんのお父さんは江戸時代から明治の初めころに生まれた方ということになります。
明治の日本は、現代の私たちからは想像もできないくらい、貧しかったのです。厳しい時代でした。当たり前ですが、当時は社会保障など何もありません。商売に失敗し、倒産してしまえば一家全員が直ちに路頭に迷ってしまいます。
ボタンはある時期には米国やカナダにも輸出できて大流行したそうですが、ある時期から虫害や葉が枯れてしまう病気がひどく、売れなくなってしまいます。
ボタン園は大損をしてしまいました。そんな中で、お祖母さんはボタンの苗を一つ持ってこの家にお嫁にきたそうです。少女だったお祖母さんにボタンの苗をくれたのが、ボタン園に出入りし、お父さんと商売をしていた腕利きのボタン商人、りんちゃんでした。
そのボタンこそ、ずっと後に名花と称えられる「さくらさがね」だったのです。お祖母さんにボタンを渡してから数十年後に、中気で片足をひきずりつつもボタン商人を続けていたりんちゃんは、語り部の家の庭に植えられている「さくらさがね」らしきボタンを見つけました。
りんちゃんは思わず叫びます。
「さくらさがねだ。さくらさがねだ。おまえ、こんなとこにいたのか」
私はりんちゃんのこの言葉が、心中に残りました。りんちゃんはさくらさがねを漸く見つけたその日に亡くなってしまいます。
天職を全うすべく生きる明治の日本人の心意気ともいうべきものが、この物語の行間にみなぎっているようです。
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