2013年6月6日木曜日

死人の髪の毛を抜く老婆と神のサイコロ-芥川龍之介「羅生門」より思う-

人生の陥穽と大切な傍役―前世の縁か―



人生に陥穽はいくらでもありますね。周囲から見れば、順風満帆そのものの人生を送っていた人が、思わぬ陥穽にはまり込み、いわば「転落人生」のようになってしまった。

勤めていた会社の倒産。夫婦関係の破綻。突然の大病。

齢を重ねた人なら、多少はそんなことを見聞あるいは実際に経験しているものです。陥穽にはまりこんだ人は、その後どうなっていくのでしょうか。

思わぬことをきっかけに陥穽から脱出できる人はいます。きっかけは様々です。

全くの赤の他人の言動が、陥穽にはまりこんだ人を再出発させることになったのなら、赤の他人はその人にとって、人生の大切な傍役だったのでしょう。前世で縁があったのかもしれません。

せねば、餓死をするじゃて-老婆が下人に与えた生きる勇気-


芥川龍之介「羅生門」を、陥穽にはまりこんだ人、過酷な運命とたたかう人と、その人を再生させる使命を与えられた人生の傍役の物語と読めないでしょうか。

物語の舞台は平安朝の京都、朱雀大路にあるという羅生門です。登場人物は羅生門の下で、行き所がなくて途方にくれている下人と、羅生門の上に転がっている死体の髪の毛を抜く老婆です。

下人は永年使えていた主人から暇をだされてしまい、羅生門で雨やみを待っていました。このままでは、飢え死にするだけです。

下人の考えは、何度も同じ道を低徊した揚句に、やっと「手段を選ばないとすれば」という局所へ逢着しました。

しかし下人には、盗人になるよりほかに仕方がないということを積極的に肯定するだけの勇気がでずにいました。

下人の人生を転換させたのは、羅生門の楼上で、死人の髪の毛を抜いて鬘にしようとしていた、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆でした。

老婆はつぶやきます。自分が髪を抜いた女など、蛇を四寸ばかりずつに切って干したものを干魚だと言っていくさをやっている連中に売っていた。

それをやらなければ餓死するだけだった。流行病で死んだこの女も、自分の行為を大目に見てくれるだろう、と。

下人は老婆の話を聞き、迷わずに盗人になる決意をし、老婆の着物を剥ぎ取って楼から降り、真っ暗闇の京都の街に消えていきました。

盗人になった下人がその後どうなったかなど、わかりようもありませんが、老婆の呟きは下人に乱世を生きぬく勇気を与えてくれたのです。

もし下人が羅生門でなく、別のところで雨やみを待っていたら餓死していたかもしれません。神が下人を生かすべく、サイコロをふったのかもしれませんね。










0 件のコメント:

コメントを投稿