2022年11月25日金曜日

国際政治学者、畑田重夫先生の御冥福をお祈りします。田村智子副委員長、畑田重夫先生の著作「朝鮮問題と日本」(新日本出版社)を読みましたか。

 田村智子議員がtwitterで、畑田重夫先生がお亡くなりになったと発信なさっていたので知りました。田村智子さんはTwitterを使っています: 「畑田重夫さんのご逝去に心から哀悼の意を表します。 学生時代、初めての都知事選で畑田さんを応援。結婚式の時、ジャンケンに負けて自分が姓を変えたというエピソード、衝撃でした。 労働者の学習サークルを手弁当で引き受けて、大勢の生徒さんに慕われる姿に痺れました。 出会いと親交に感謝。」 / Twitter 

昭和56年の夏前だったかと思いますが、早大法学部の教室(8号館)で民青同盟が畑田重夫先生を招いて日米安保条約についての勉強会を実施しました。私もこれに参加しました。

畑田重夫先生は、自分のライフワークの一つは朝鮮戦争だ、とお話されたように記憶しています。教室は法学部ではなく、15号館辺りだったかもしれません。

今の早大で、建物の番号がどうなっているのかわかりませんが、40年前は学部毎に建物が異なっていました。学部で共通の建物もありました。

15号館は共通建物だったような気がします。そこで勉強会をやったなら、専任の教員に教室使用届にハンコウを押して頂かねばならなかった。

文学部のある教授が、民青同盟主催の勉強会ではいつもハンコウを押して下さったかと思います。

その後、昭和62年だったかと思いますが、新宿駅辺りで畑田重夫先生が都知事候補として街頭演説をなさっていました。

なぜ私が新宿駅辺りに行ったのか、忘れてしまいました。

科学的社会主義の見地では、日米安保を批判する中国共産党、朝鮮労働党とプーチンは平和勢力である

私は畑田重夫先生を批判する文章をいくつか、本ブログに出しています。以下です。

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 畑田重夫「共産主義のはなし」(日本青年出版社昭和43年刊行。「民主青年新聞」昭和43年1月24日号から26回連載に加筆、再編成したもの)より思う (blueribbonasiya.blogspot.com) 

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 畑田重夫・川越敬三著「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)より思う (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 統一朝鮮新聞特集班「『金柄植事件』-その真相と背景」(昭和48年統一朝鮮新聞社発行)より思う (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 畑田重夫氏著「わが憲法人生七十年」(平成28年新日本出版社刊行)より思う。 (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 畑田重夫・川越敬三著「朝鮮問題と日本」(新日本新書。昭和43年刊行)より思うー日本共産党は「帝国主義論」の見地で朝鮮半島情勢、台湾有事を分析 (blueribbonasiya.blogspot.com)

科学的社会主義の見地では、日米安保を批判する中朝露は平和勢力です。田村智子議員は、畑田重夫先生の数々の著作からこの見地を学んでいると考えられます。

私見では田村智子議員は、畑田重夫先生の著作「朝鮮問題と日本」を読んでいないように思えてなりません。

畑田重夫先生を尊敬するなら、畑田重夫先生の著作を読むべきではないですか。最近の日本共産党幹部は、昔の日本共産党の文献を読みません。

私見に対して、畑田重夫先生の見解をお尋ねする機会がなかったのは残念です。畑田先生の御冥福をお祈りします。

 

 

2022年11月21日月曜日

日本共産党幹部は、日本共産党の指導部を批判する一般党員と対話をしないー松竹伸幸さんのブログより思う

 雑務に追われ、暫くブログを更新できませんでした。twitterでの発信は続けています。

松竹伸幸さんのブログより、上記を思い起こしました。続々・小池晃氏パワハラ問題の教訓 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba (ameblo.jp) 

日本共産党の本部職員だった松竹伸幸さんは、十数年前に志位さんと大喧嘩をして退職したそうです。

それでも小池晃書記局長は、京都の「赤旗まつり」などで当初は親しげに話しかけてくれましたが、その後「お前とは話したくない」という雰囲気になったそうです。

小池晃書記局長はレーニンが示した道を歩む革命家である

私見ではこれは、松竹伸幸さんがブログに、日本共産党を批判、または内情を暴露する文章を掲載したからです。

一般に日本共産党幹部は、日本共産党を公の文献やインターネットで批判する一般党員と対話をしません。

これは、志位さんや小池晃書記局長の人柄に由来するものではなく、国際共産党以来の長年の革命運動により形成された組織としての体質によるものと考えられます。

レーニンの「共産主義インターナショナルの加入条件」(レーニン全集第31巻掲載。1920年7月)という論考に注目しましょう。

レーニンによれば、共産党は不可避的に党に入り込んでくる小ブルジョア分子を系統的に党から一掃するために、党組織の人的構成の定期的粛清(再登録)をせねばなりません。

日本共産党の党首を一般党員の直接選挙で選ぶ事を主張する一般党員は小ブルジョア分子

レーニンの見地を継承する志位さん、小池晃書記局長には、日本共産党指導部を批判する一般党員は小ブルジョア分子に見えているのです。

革命運動の最高指導部が、小ブルジョア分子と対話などしてはならない、という発想です。

志位さんも松竹伸幸さんもこの論考を百も御承知でしょう。

日本共産党の党首を一般党員の直接選挙で選ぼう、という提案をする方は、小ブルジョア分子そのものだ、と志位さんや小池晃書記局長は見ていると考えられます。

故萩原遼さんもそんな提案を著書でしていました。

そもそも日本革命など、ありえないのですが。

志位さんは、生産手段の社会化、資本主義的搾取制度の廃止とはどんな企業経営方式なのか、真剣に考えたことがないのでしょうね。

厄介な事、面倒な事には関わらない。日本共産党員にはそんな発想をする方が多いと感じます。

2022年10月13日木曜日

志位さんは、昭和30年まで在日の共産主義者が日本共産党員だったことを内緒にしたいー昔の日本共産党員は、共産党は世界で一つと考えていたー

 前のブログでも指摘しましたが、志位さんは、昔の日本共産党(国際共産党日本支部)がソ連の指導下で資金と拳銃を受取り、内乱を起こそうとしていた事を内緒にせねばなりません。

志位さんが内緒にせねばならないのはこれだけではありません。

昭和30年まで、在日の共産主義者が日本共産党員だったことを、志位さんは何としても内緒にせねばなりません。

何も知らない若い日本共産党員は、外国人は日本共産党には入れないのだから、黒坂はデマを吹聴していると思うでしょうね。

そう思う若い日本共産党員の皆さんは、「日本共産党の七十年」を読んでいますか。

山添拓議員、たつみコータローさんは金天海と朴恩哲、民族対策部を知っていますか

「日本共産党の五十年問題について」(新日本出版社刊行。p5-6)を見れば、昭和22年12月に開かれた日本共産党第六回大会で選出された中央役員として、金天海(中央委員)、朴恩哲(中央委員候補)が記されています。

この御二人は、在日本朝鮮人総連合会ができる前に、日本共産党中央で在日朝鮮人運動を指導していた方々です。

昭和25年頃からの日本共産党には民族対策部、という部署があったのです。臨時中央指導部が作ったと考えられます。

故朴慶植さんが編集した本に、当時の日本共産党が在日朝鮮人党員に出した指令などが掲載されています。

山添拓議員、たつみコータローさんは中国人の日本共産党員もいたことを御存知ですか

中国人の日本共産党員もいました。これは今の日本共産党員には信じがたいでしょう。

当時の日本共産党員としては、共産党は世界で一つなのですから、日本に住んでいる共産主義者が日本共産党に入るのは当たり前だったのです。



この本に出てくるように、在日の共産主義者が日本共産党を離れ、中国共産党、朝鮮労働党に入る事になったのは、中国共産党からの指令によると考えられます。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんの中では、昭和30年の路線転換として知られていますが、これは金日成の指令というより、中国共産党の指令と見るべきです。

この頃の金日成と朝鮮労働党は、中国共産党の指令を受け入れるしかない立場でしたから。

朝鮮戦争で、中朝連合軍の最高司令官は彭徳懐でした。金日成ではありません。

昔の日本共産党員は、共産党は世界で一つだ、自分たちの最高指導者はスターリンだと信奉していました。

スターリンが亡くなるまで、日本共産党員にとっての最高指導者はスターリンでした。

昭和25年5月に宮本顕治さんが「前衛」に掲載した論文からも、これは明らかです。

志位さんはこの辺りを内緒にしたいと考えられます。

日本共産党員は宮本顕治さんの昔の論文を読まないー面倒だから

昭和25年の宮本顕治さんによれば、日本共産党員はスターリンに指導され、マルクス・レーニン・スターリン主義で完全に武装されているソ同盟共産党が、共産党・労働者党情報局の加盟者であることを明記せねばなりません。

山添拓議員、たつみコータローさん、わたなべ結さんは宮本顕治さんの昔の論文を何か読んでいるのでしょうか。

若い日本共産党員が宮本顕治さんを尊敬しているなら、宮本顕治さんの論文を読むべきではないですか。

昔の日本共産党は、ソ連信者の団体でした。今の日本共産党は、憲法九条教徒ですね。


2022年9月22日木曜日

志位さんは昔の日本共産党(国際共産党日本支部)とソ連の関係を内緒にしたいー昔の日本共産党員、左翼知識人はロシア革命に無関心だったのかー

 齢を重ねると、若い頃の失敗が時折脳裏に浮かび、やれやれ、という気分になる方は多いのではないでしょうか。

失敗も現在の自分を形成する事に何かの役割を果たしているのでしょうから、気を取り直して日々の業務に取り組むしかありません。

志位さんが昔の日本共産党(国際共産党日本支部)の数々の文献を読むと、これはどうしようもないな、やれやれ、という気分になると私には思えるのです。

志位さん、いかがですか。

本ブログでは、志位さんは日本共産党百年の記念講演で27年テーゼ、32年テーゼなどの昔の日本共産党の革命理論について言及できない事を指摘しました。黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 志位さんは来る100周年記念講演会で、昔の日本共産党の綱領的文書(27年テーゼ、32年テーゼ、51年綱領)と宮本さんの「日本革命の展望」について語れるかー (blueribbonasiya.blogspot.com)

実際に志位さんは、講演で27年テーゼ、32年テーゼについて言及しませんでした。

志位さんは、昔の日本共産党とソ連の関係を内緒にしたい

志位さんは昔の日本共産党が、国際共産党日本支部としてソ連から指導を受け、資金と拳銃を受け取っていたことを内緒にしたいのです。

志位さんは昔の日本共産党を、単なる反戦団体だったように日本共産党員と支援者に普及したいのでしょうね。

昔の日本共産党がどんな革命戦略を持っていたのか、という疑問そのものが、一般の日本共産党員から出てこないようにしたい。

32年テーゼの全文が広まれば、日本のソ連化を目指したことがばれてしまいます。

志位さん、地主の家の焼き討ちは抵抗運動ですか


32年テーゼには、地主の家屋焼き討ちや、裁判所、警察署の建物破壊などの暴動を称賛する記述もあります。

家屋を焼いたら、住んでいる方が焼死してしまうかもしれません。昔の日本共産党員は、農民が地主とその家族を焼死させることは抵抗運動だ、と見ていたのでしょうね。

32年テーゼは、クーシネンというソ連共産党幹部(フィンランド出身)が中心になってつくりました。片山潜、野坂参三両氏も多少はこれの作成に参加したようですが。

野坂参三さんがどういう経路を通じてか不明ですが、ドイツ語の原文を河上肇京大教授に送り、河上教授が翻訳したようです。

当時の日本共産党の中央幹部だった野呂栄太郎さん、宮本顕治さんらはこれを受け取って感激したでしょうね。

この辺りも、志位さんは全て内緒にしたい。

共産党の歴史は、共産党の最高指導者の都合で修正される

志位さんは32年テーゼを内緒にしたいのですから、これを誰が作成して、誰がどのように受け取り、普及されたかも内緒にせねばならない。

志位さんは、昔の日本共産党員、左翼知識人がロシア革命とソ連の社会主義建設に無関係だったことにしたいのです。

今の日本共産党に、歴史学を真剣に学ぶ方はいないのでしょうね。

共産党の歴史は、時の共産党指導者の都合の良いように修正されます。不破さんが20年間行った中国共産党との理論交流など、なかったことにされそうです。






2022年9月18日日曜日

日本共産党は朝鮮労働党を平和勢力と見ているー不破さんは朝鮮労働党を、きちんとした話し合いのできる相手と高く評価した(平成12年8月24日の赤旗紙面)

不破さんは議長だった時期、野党外交とやらを重視しました。 

日本共産党の平和理論は、レーニンの帝国主義論に基礎をおいています。

この見地なら、金融資本、帝国主義が戦争を起こしますから、世界の帝国主義である米国が世界最大の戦争国家です。

日本共産党の平和理論では、米国に追随する日本政府は、アジア最大の戦争国家です。

日米安保を批判する中国共産党、朝鮮労働党とロシアは大局的には平和勢力です。不破さんが行った野党外交とやらも、この見地を基礎に置いていたと考えられます。

私は本ブログとtwitterでこれを繰り返し論じてきました。黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: レーニン主義者の日本共産党員は祖国擁護に断固反対するーレーニン「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」(レーニン全集第23巻所収)より (blueribbonasiya.blogspot.com)

 黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 志位さん、米軍は欧州とアジアから出ていけ、で中朝露と共闘してください―日本共産党の平和理論なら、中朝露は大局的には平和勢力ー (blueribbonasiya.blogspot.com)

日本共産党第22大会決議は、朝鮮労働党を朝鮮半島における新しい平和の流れの一方の当時国、と規定しました。


第22大会決定の見地では、朝鮮労働党は平和勢力そのものです。

不破さんはこの見地から、朝鮮労働党を平和勢力、きちんとした話し合いのできる相手とみなし朝鮮労働党との交流再開を模索しました。

レーニンの帝国主義論の見地では、日米安保を批判する朝鮮労働党は平和勢力です。

以下は平成12年8月24日の赤旗紙面です。




朝鮮労働党を平和勢力と見ているから、日本共産党は中国や北朝鮮をも包摂して、あらゆる紛争問題を平和的に解決するASEANのような枠組みを作ろう、と訴えてきたのです。黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 田村智子議員のもめ事のある国と絶交するのではなく、話し合う外交努力が必要論より思うー志位さんに朝鮮労働党との交流再開を提案したらいかがですかー (blueribbonasiya.blogspot.com)

日本共産党の皆さんには、南北首脳会談を繰り返し行った金正日、金正恩を平和のために尽力した立派な政治家だ、と考えている方が多そうです。

田村智子議員なら、記者会見で金正日、金正恩への評価を聞かれたらそのように答えそうです。不破さんもそう言いそうですね。






2022年9月5日月曜日

小池晃書記局長、在日本朝鮮人総連合会と朝鮮労働党はチュチェ思想を信奉する過激な左翼団体ですよー日本共産党は日米安保を批判する朝鮮労働党を平和勢力とみなすー

 インターネット記事によれば、今朝(9月4日)のNHK討論番組で自由民主党の茂木幹事長が「日本共産党と過激な左翼団体との関係も問われねばならない」旨、発言しました。

これに対し小池晃書記局長は「公共の電波を使って事実無根のことを言うべきでない。撤回して下さい」と抗議しました。


この件について、日本共産党大阪の中村正男さんも怒っています。



日本共産党は在日本朝鮮人総連合会と友好関係を維持しています。朝鮮総連結成50周年に当たってのあいさつ/日本共産党中央委員会議長 不破 哲三 (jcp.or.jp)

大山奈々子神奈川県議(日本共産党)は、朝鮮学校への補助金増額を強く主張しています。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、金正恩と朝鮮労働党に忠誠を誓っています。

朝鮮労働党と在日本朝鮮人総連合会はチュチェ思想を信奉する過激な左翼団体である

朝鮮労働党は、日本人や韓国人の拉致、日本漁船銃撃と船員射殺、大韓航空機爆破、金正男さんの毒ガスによる殺害など数々の蛮行を断行してきました。

朝鮮労働党と在日本朝鮮人総連合会は、チュチェ思想を信奉する過激な左翼団体です。

茂木幹事長の発言は、極めて適切です。

察するに、不破哲三さんら日本共産党員はチュチェ思想を大局的には進歩的思想、朝鮮労働党を平和勢力と見ているのでないでしょうか。

小池晃書記局長はチュチェ思想を進歩的思想とお考えではないでしょうか。youtubeでこの件も、見解を表明して頂きたいですね。

「党の唯一思想体系確立の十大原則」を、昔の日本共産党は「世界政治」とかいう雑誌に翻訳してチュチェ思想を批判していました。

これはチュチェ思想の神髄とも言うべき文献です。不破さんがこれを御存知ないはずはありません。日本共産党の雑誌に出ていたのですから(昭和63年4月頃)。


それでも不破さんは、在日本朝鮮人総連合会との交流再開を決断しました。

不破さんは、日米安保を批判し、朝鮮半島の完全な非核化とやらを目指す朝鮮労働党を大局的には平和勢力と見たのでしょう。本ブログではこの件、繰り返し論じてきました。

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 川田忠明さんら日本共産党員はチュチェ思想についての思考と議論を拒否するー金正恩は核兵器を小型化、精密化 (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 畑田重夫・川越敬三著「朝鮮問題と日本」(新日本新書。昭和43年刊行)より思うー日本共産党は「帝国主義論」の見地で朝鮮半島情勢、台湾有事を分析 (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 朝鮮労働党は日本人と話し合いなどしないー川田忠明さんに問う。拉致された日本人、韓国人は朝鮮労働党と話し合っていないから帰国できないのかー (blueribbonasiya.blogspot.com)


(追記)茂木幹事長は過激な左翼団体、と言ったのではなく、左翼的な過激団体、と言ったようです。

在日本朝鮮人総連合会の殆どの幹部が所属しているとみられる朝鮮労働党の在日非公開組織「学習組」については、金昌烈「朝鮮総聯の大罪」(宝島社)が詳しいです。

統一朝鮮新聞特集班「金柄植事件ーその真相と背景」(昭和48年刊行)は、昭和47年の金日成の還暦祝いのために在日本朝鮮人総連合会の皆さんが行った巨額の献金、奢侈品献上について詳述しています。



2022年9月3日土曜日

宮本顕治さんも昭和26年秋以降、臨時中央指導部(徳田・野坂分派)に従ったー宮本顕治さんは元来、暴力革命論者だったー

 殆どの日本共産党員は、昭和25年からの50年問題の際に宮本顕治さんが武装闘争に反対して徳田球一さん、野坂参三さんと対決したと信じています。

しかし宮本顕治さんは、昭和25年5月の「前衛」に掲載した論考「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」で野坂参三さんの平和革命論を暴力革命論の見地から徹底批判しています。


この件、本ブログでは何度か論じてきました。黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 唱和25年頃、宮本顕治さんは極左冒険主義者だったー野坂参三さんの平和革命論を徹底批判ー (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 不破哲三さんも、昭和26年秋には臨時中央指導部の指導下で日本共産党が分裂を解消したことを認めているー不破哲三「日本共産党史を語る」(新日本出版社刊行, p203)より (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 昭和25~30年頃の日本共産党員は、臨時中央指導部(今の日本共産党は徳田・野坂分派と規定)こそ党中央とみていたー「日本共産党の八十年」(p107。日本共産党中央委員会発行)より (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 昔の日本共産党は暴力革命集団だったー暴力革命論の時代、日本共産党は中国共産党から学んで武装闘争 (blueribbonasiya.blogspot.com)

黒坂真のブログ 被拉致日本人救出のために Rescue Abducted Japanese by North Korea: 日本共産党の暴力革命論について―宮本顕治氏は51年綱領(暴力革命論)の積極面を第七回大会報告で認めていた(昭和33年7月)― (blueribbonasiya.blogspot.com)

田村智子議員は、今でも昔の日本共産党が平和革命、議会を通じての民主的改革とやらを一貫して追求してきたと信じていそうですね。以下、敬称を省きます。

徳田球一、野坂参三、伊藤律、志田重男、紺野与次郎、西沢隆二らが宮本顕治、志賀義雄らを排除

「日本共産党の八十年」(日本共産党中央委員会刊行。p105)によれば、昭和25年4月末の第十九回中央委員会総会が終わった後、徳田球一が上記の人々を自宅に集め、宮本、志賀を排除して非公然の組織と指導体制を作る方針を申し合わせました。

これをもって、今の日本共産党は徳田・野坂分派が旗あげされたと主張しています。

昭和25年6月7日、徳田らは中央委員会の解体を宣言し、椎野悦郎を議長とする臨時中央指導部を指名しました。

臨時中央指導部とは、以下の方々です(「五十年問題資料集2」より)。


河田賢治、谷口善太郎も臨時中央指導部に入っていたのです。紺野与次郎がなぜこの中に入らなかったのかはわかりません。

「日本共産党の八十年」によれば、徳田・野坂分派が臨時中央指導部をマッカーサーの弾圧への対応と装ったこともあって、多くの日本共産党員は臨時中央指導部を考えました(同書p107)。

この後、宮本顕治ら排除された方々は昭和25年9月に「全国統一委員会」という組織をつくります。

宮本顕治ら排除された中央幹部は、昭和26年秋には臨時中央指導部の指導下に入った

「日本共産党の八十年」によれば、全国統一委員会には十余りの府県党組織といくつかの地区組織、大衆団体グループが参加しました(同書p109)。

昭和26年8月10日に、コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)が臨時中央指導部側が正しいという論考を発表しました。

この論考に、宮本顕治らは屈服し、「全国統一会議」(全国統一委員会は昭和25年10月に解散)という組織を解散して臨時中央指導部の指導下に入りました。

「日本共産党の八十年」はこの辺りを曖昧にしています。宮本顕治が全国統一会議解体後、何をしていたのかが記述されていないのです。

昭和26年秋からは、日本共産党国会議員団も「徳田・野坂分派」となった

昭和26年秋からは、臨時中央指導部が名実ともに党中央となったのですから、この時期の日本共産党国会議員団や日本共産党の影響下にある団体は皆、臨時中央指導部(今の日本共産党の解釈では、徳田・野坂分派)の指導下に入りました。

この時期の日本共産党員は皆分派だ、とは変な話ですが、今の日本共産党の歴史解釈だとそういう結論になります。

川上貫一議員も勿論、徳田・野坂分派とやらの有力な一員でした。河田賢治、谷口善太郎、紺野与次郎は言うまでもありません。

私は四十年ぐらい前、この時期に日本共産党の一般党員だった方(故人)から、50年問題は悪夢だった、決して起きるはずがないと信じていたことが起きたのだから、と伺いました。

四十年ぐらい前(昭和57年頃)には、昭和25年からの五十年問題の体験者がまだお元気だったのです。

この方によれば、昭和27年の総選挙の際、全党員が地を這うようにして頑張りました。これは勿論、臨時中央指導部の指導下です。惨敗だったそうです。

この時期の日本共産党は強力な武装闘争を断行しましたが、全党員が四六時中武装闘争を行っていたわけではない。

自分は武装闘争など嫌だが、選挙運動は頑張る、という方も相当数いたのです。今の日本共産党の歴史観では、この時期の選挙運動も徳田・野坂分派の所業ということになりますね。

宮本顕治は臨時中央指導部の指導下で東京一区衆議院候補者になった

宮本顕治が昭和26年秋から、臨時中央指導部からどのように指導されていたのはか不明です。昭和29年秋ぐらいまで無視されていたかもしれません。

「宮本顕治の半世紀譜」(新日本出版社昭和58年刊行)には、以下が出ています。




「宮本顕治の半世紀譜」によれば、宮本顕治は昭和29年11月上旬に党主催演説会の弁士として岩手県に入っています。

12月11日には、東京都党員決起大会(浅草公会堂)で一区衆議院予定候補者として決意表明をしました。

これらは、「日本共産党の八十年」には記されていません。同書には、昭和30年1月頃に、志田重男が宮本顕治に会見を求め、党の統一と運動の転換について協議を持ちかけてきたと記されています(p121)。

現実には、昭和29年冬には臨時中央指導部から宮本顕治に、何らかの打診があったと考えられます。臨時中央指導部が宮本顕治を、東京一区の候補者として認定しているのですから。

昭和30年1月9日、宮本顕治は臨時中央指導部主催による「55年赤旗びらき」(渋谷公会堂、参加者八百名)に参加し、郷土民謡を歌ったそうです。

日本共産党の資料を見ていけば明らかなように、宮本顕治も、昭和26年秋からは徳田・野坂分派とやらの一員でした。

たつみコータローさん、わたなべ結さんは山田六左衛門を御存知ですか

この時期、一貫して臨時中央指導部に反対した方は、臨時中央指導部から除名処分になった方々ぐらいではないでしょうか。

大阪の山田六左衛門はそうだったかもしれません。春日庄次郎と共に、第七回大会頃から「構造改革論」を唱えた方です。

たつみコータローさん、わたなべ結さんは、山田六左衛門を御存知なさそうです。山田六左衛門は確か、大阪の参議院選挙の候補者にもなっていますよ。