2017年11月26日日曜日

レーニンの時代の大飢饉とロシア正教会弾圧指令について思う。H. カレール=ダンコース「レーニンとは何だったか」(石崎晴巳・東松秀雄訳。藤原書店刊)より。

「飢饉がロシアに襲いかかったのだ。旱魃ですべてを説明するのは無理な話だった・強制徴発を初めとする農村部で実行された暴力行為が、農村の社会組織を破壊し、農民たちを餓えさせ、その生産能力を打ち砕いたのである」(同書p560より抜粋)。


ロシア革命とは何だったのでしょうか。この問題に、日本共産党員と左翼人士はもっと関心を持るべきです。

仏のソ連史学者ダンコースによれば、1921年7月頃飢饉はヴォルガ川中・下流地域の一部、カフカス北部とウクライナの一部で顕著でした。

死者が500万人、家族を失い放浪と犯罪に身を任せた孤児が数百万人とのことです。

レーニンによる富農弾圧指令について、本ブログは何度か指摘してきました。相当数の地主、富農が財産を没収されたと考えられます。

ロシア正教会のチーホン総主教はボリシェヴィキに抗議した


この時期に、相当数の餓死者が出ていたことは、レーニンがモロトフに出した教会の財産没収指令にも記載されています(1922年3月19日)。

この指令はソ連共産党により長年秘匿されていました。

日本語に翻訳されている「レーニン全集」には掲載されていません。ダンコースの前掲書にこの指令が掲載されています(p565)。次です。

「飢えた地域で人々が人肉で飢えをしのぎ、数百ないし数千に及ぶ死体が路上で腐敗して行く今この時においてのみ、われわれは最も粗暴にして最も情け容赦ない活動をもって、教会の宝物の没収を実現することができる」。

1918年頃から、レーニンとボリシェヴィキはロシア正教会を徹底弾圧してきました。

ロシア正教会のチーホン総主教がソヴィエト政府に宛てて発したメッセージが残っています。

これは廣岡正久「ロシア正教の千年 聖と俗のはざまで」(日本放送協会刊。p144-146)に掲載されています。

チーホン総主教によれば、何の罪もない主教、司祭、修道士そして尼僧たちが、反革命などという大雑把で曖昧な罪名で射殺されています。

不破哲三氏、聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)はなぜレーニンによる凄惨な弾圧指令を直視しないのか


レーニンとロシア革命について、不破哲三氏は数々の著作を出していますが、レーニンによるロシア正教会弾圧指令について不破氏は何も述べていません。

日本共産党元参議院議員の聴濤弘氏は、ソ連問題の研究家として知られています。

聴濤氏がレーニンの時代の飢饉と、富農弾圧指令、ロシア正教会弾圧について一切知らないとは考えにくい。

聴濤弘氏の近著「ロシア十月革命とは何だったのか」(本の泉社刊)にも、これらについての言及はありません。

ロシア語の本をいくらでも読み込める聴濤氏なら、これらについて詳述した近年のロシア人歴史学者による本を知っているはずです。

不破哲三氏がこれらの史実を無視しているのに、日本共産党の元国会議員が自分なりの見解を出すと厄介な事になりかねない、という判断があるのでしょうか。

500万人の餓死者という数値は、誰しもにわかに信じがたい。ともあれ、相当数の餓死者が出たことは間違いない。

全ての史実を網羅して歴史を語る事はできません。

しかし大量餓死とロシア正教会の徹底弾圧がロシアの社会経済に与えた影響を無視してロシア史を語るのはあまりにも近視眼的です。