2014年6月27日金曜日

匈奴に投降した武将李陵を武帝の前で擁護した男、司馬遷の心中を考える―中島敦「李陵」(新潮文庫)より―

その時、この男はハッキリと李陵を褒め上げた。(「李陵」新潮文庫p91より)-


自分に不利になることがわかっていても、正論を断固主張する人は尊敬されるべきでしょう。

凡人は生きていくために自分の保身をはからねばなりません。あるべき自分と、現実の自分の違いに気づいていながらも妥協を重ねて生きていくことも多いものです。

誰しも、心中に世界はどうなっているのか、その世界の中で自分はどんな役割を果たすべきなのか、その役割を果たしてきたことにより自分の今があり、今後どうなるだろうという「物語」を抱いているのではないでしょうか。

歴史上の人物が抱いていた心中の「物語」を想像することが史実を描く―司馬遷の「史記」-


現代人ならばそれぞれが心中に抱いている「物語」を少しずつBlogやTwitter、Facebookに書き込んで、他人と交流できます。

書き残す術を持っていなかった私たちの祖先、歴史上の人物も心中にそれぞれの「物語」を抱いていたはずです。

司馬遷の「史記」には事実の記録という面もありますが、登場人物はそれぞれの「物語」を抱き、夢の実現のために努力します。

登場人物は司馬遷が「史記」を書いたころにはすでに歴史上の人物となっていました。司馬遷にとっては「事実の記録」とは誰が誰と争ったなどという記録だけではなかったのでしょう。

歴史上の人物が心中に抱いていたであろう「物語」も、事実の一部だったのでしょう。そんな司馬遷や、同時代の漢の武将李陵が心中に抱いていたであろう「物語」を中島敦は描き出しました。

武将李陵に与えられた兵は少なく、矢の補給もできなかった


当時漢帝国は北方の遊牧民族匈奴と長年抗争を繰り広げていました。

漢の武将李陵は、「臣願わくは少を以て衆を撃たん」と武帝に進言し、自分に忠誠を誓う五千の兵とともに匈奴討伐に出ました。

当初は李陵の作戦が功を制し、匈奴との戦いを有利に進めましたが本拠地から遠く離れての戦いですから、最大の武器である矢の補給ができません。

李陵は匈奴に生け捕りにされてしまいます。李陵は当面は敵に従っておいて、そのうちに機を見て脱走する道を選択しました。
しかし漢の朝廷には李陵が投降し、匈奴に軍略を授けていると伝わってしまいます。

宮刑の辱めをこうむった司馬遷、胡地で生涯を終えた李陵


李陵の投降が漢の武帝と重臣たちに伝わったとき、重臣たちは口を極めて李陵の売国的行為を罵りました。

重臣たちは陵の如き変節漢と肩を比べて朝に仕えていたことを思うと今更ながらはずかしいと言い出しました(「李陵」p91)。司馬遷は浅はかな重臣たちに憤りました。

司馬遷は下位の身ながら下問を受けた時、ハッキリと李陵を褒め上げます。これにより司馬遷は「宮刑」(古代中国の五刑の一つで、生殖器を切除し去勢される)にされてしまいます。

生殖器を切除された司馬遷の苦しむ様子を描いた文章を引用します。

「茫然とした虚脱の状態で坐っていたかと思うと、突然飛上り、傷ついた獣の如くうめきながら暗く暖かい室の中を歩き廻る。そうした仕草を無意識に繰り返しつつ、彼の考えもまた、何時も同じ所をぐるぐる廻ってばかりいて帰結するところを知らないのである。」(同書p102)。

「独り居室にいる時でも、夜、床上に横になった時でも、不図この屈辱の思いが萌してくると、忽ちカーッと、焼鏝をあてられるような熱い疼くものが全身を駆けめぐる。

彼は思わず飛上り、奇声を発し、呻きつつ四辺を歩きまわり、さて暫くしてから歯をくいしばって己を落ちつけようと努めるのである。」(同書p104-105)。

中島敦による司馬遷のこの描写そのものが事実だったかどうかは確かめようもありませんが、宮刑後の司馬遷の心中をよく描いているように思えます。

歴史上の人物の心中そして心の「物語」は、文献や史実から想像力をめぐらせて考えていくしかないのです。
心中の「物語」を検証することは極めて困難ですが、検証できないからといってその探求を拒否するようでは、人間の心中が見えなくなってしまい、浅薄な人間把握しかできない。

司馬遷は「史記」という大著を後世に残すことができましたが、過酷な運命に翻弄された李陵は胡地で生涯を終えました。

李陵の心中では無念の思いが尽きなかったかもしれません。人は、大きな運命には逆らえない存在なのでしょう。

2014年6月20日金曜日

吉良よし子参議院議員は昔の「赤旗」「前衛」を読むべきだ―宮本顕冶氏の朝鮮労働党への連帯のあいさつ(1968年8月25日)は重要文献―

宮本顕冶は金日成の「十大政綱」(1967年12月、武装工作員による韓国へのテロ政策)を支持した


先人の歩みを知ることは大切ではないでしょうか。そのためには、地域や所属団体で語り継がれていることを知るだけでなく、古い文献をあたって考えるべきでしょう。

政党人であるなら、所属政党の過去の文献を読んで先人がそれぞれの青春時代、何に心血を注いだかを確認していただきたい。

吉良よし子参議院議員がかつて所属していた早大民主青年同盟の大先輩は、宮本顕冶氏らの文献を熟読し、青春の情熱を傾けてソ連や中国、北朝鮮を礼賛したのです。

吉良よし子参議院議員ら若い日本共産党員の皆さんは、ひと昔前の「赤旗」「前衛」を読んだ経験はあるのでしょうか。

吉良よし子参議院議員ら若い日本共産党員はかつて宮本顕冶氏らがソ連や中国、北朝鮮を礼賛した史実については、誰かから噂を聞いていてもあえて目を背けているのではないですか。青瓦台事件(昭和43年1月)についての当時の「赤旗」報道を御存知なのでしょうか。

厄介なことにはかかわらないようにしよう、ということでしょうか。

政治活動や社会運動に参加する気概を持っているなら、自分が所属する団体が過去に犯した愚行を直視すべきではないでしょうか。

不破哲三氏によれば、昭和43年頃日本共産党最高指導部は北朝鮮による武力介入の危険性を察知していた


吉良よし子参議院議員らは「北朝鮮覇権主義への反撃」(1992年新日本出版社刊)という本で不破哲三氏により解明された昭和43年8月末の朝鮮労働党との会談の内容を御存知なのでしょうか。

この本によれば、北朝鮮では昭和42年12月ごろから、アジアと日本の平和の見地から大きな懸念をひきおこす状況が表面化していました。

当時の日本共産党最高指導部は、金日成が昭和42年12月に発表した「十大政綱」が、朝鮮革命の名による、北朝鮮から南への武力介入を意味しうることを察知していました(同書p10-11)。

しかし昭和43年8月当時、会談の内容と当時の北朝鮮の現実についての日本共産党最高指導部の認識については、当時の下部党員や「赤旗」読者に対して完全に隠蔽されていました。

隠蔽どころか、宮本顕冶氏は歓迎の宴のあいさつで、「十大政綱」というテロ政策を支持する旨発言していたのです。

武装工作員による韓国要人へのテロなら誰がやったかすぐにはわからないから、日本共産党ら左翼勢力は支持するだろうと金日成は確信したことでしょう。

共産主義者は共産主義国を礼賛する


今日の不破哲三氏や志位和夫氏が昭和43年当時の「赤旗」記事や宮本顕冶氏らによる北朝鮮礼賛を下部党員や「赤旗」読者に隠蔽しています。

共産主義者は都合の悪い史実を隠蔽し下部党員や「赤旗」読者を欺く方々なのだと私は思わずにはいられないのですが、どうでしょうか。

以下、昭和43年8月28日の「赤旗」に掲載されていた宮本顕冶氏による朝鮮労働党中央委員会主催歓迎宴でのあいさつを抜粋して引用します。

吉良よし子参議院議員ら若い日本共産党員には、「北朝鮮覇権主義への反撃」とあわせて是非、当時の「赤旗」記事を読んで頂きたいものです。

昔の「赤旗」「前衛」を読むと、日本共産党によるソ連や中国、東欧、北朝鮮礼賛史を実感できます。代々木の本部に行けば、「赤旗」縮刷版が置いてあるでしょう。

昔の「赤旗」「前衛」は、その時代を日本共産党員として精一杯生きた諸先輩の軌跡でもあります。諸先輩はそれらに依拠して、全力でソ連や中国、東欧、北朝鮮を礼賛したのですから。

共産主義者は共産主義国を礼賛、擁護します。

共産主義者は共産主義国の戦争政策を察知していても隠蔽する


今日の日本共産党は、中国の果てしなき領土拡張欲望と戦争政策を隠蔽しています。志位和夫氏なら、これを察知しているでしょう。

しかし志位和夫氏は、中国の尖閣諸島そして沖縄侵略を防ぐために自衛隊の装備充実や国防のための法整備の必要性については一切言及しないでしょう。

昭和43年頃宮本顕冶氏らが、北朝鮮の武力介入の危険性を察知していても下部党員や「赤旗」読者には一切教えなかったことと同じです。

志位和夫氏らは「日本には憲法九条がある」と集会で絶叫すれば、中国が尖閣諸島と沖縄の領有を放棄するかのような幻想を下部党員に与えようとしているのです。

「憲法九条全面実施」ならば、自衛隊は解散するしかありません。中国はたやすく尖閣と沖縄を領有できます。

「憲法九条全面実施」ならば、中国は「魏志倭人伝」を論拠に日本全体の領有を主張しかねません。これにより中国が日本を発見したという歴史文献の根拠があるなどと言い出しかねない。

「憲法九条全面実施」ならば北朝鮮の武装工作員が日本海方面から大量侵入し、「植民地支配を償え」などと称して略奪と虐殺の限りをつくしかねないのです。

警察の装備では北朝鮮の武装工作員には到底太刀打ちできないことを、吉良よし子参議院議員には直視していただきたい。

ピストル程度しか持っていない警察官が武装工作員のロケット砲にどうやって対抗するのでしょうか。ロケット砲で一瞬のうちに吹き飛ばされかねない。警察官にも人権はあります。

吉良よし子参議院議員には、重武装している北朝鮮の武装工作員によるテロを阻止できるのは、火力で圧倒できる装備をした軍隊しかないことを直視していただきたい。

「憲法九条を守れ」と叫ぶだけだった日本共産党の諸先輩には、中国と北朝鮮が徹底的な戦争国家であることがどうしてもわからなかったのです。
先人の歩みを今日の国際政治の現状とあわせて学べば、新たな知的発見ができるはずです。

宮本書記長のあいさつ(昭和43年8月28日「赤旗」掲載)


尊敬する金日成同志 親愛な同志、友人のみなさん。私たち日本共産党代表団にたいして、このようにあたたかい歓迎の宴を催していただいて、私たちは心から感謝しております。

私たちがこのまえ共和国を訪問して二年間たちますが、久しぶりにお会いした金日成同志が非常にお元気で、またその他の指導者のみなさんも非常にお元気で、

はえある朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年を大きな成功のもとに迎えられようとしていることにたいし、心からお祝い申し上げます。(中略)

私どもは、あなた方の党代表者会議における金日成同志の報告、および最高人民会議における十大政綱、この報告を読んで、みなさんがたの党が、

金日成同志の指導のもとに正しく、確固とした道を成功的にあゆんでおられるということを心から喜んでいます。(中略)

マルクス・レーニン主義にもとづく日本共産党と朝鮮労働党の戦闘的友誼がますます発展することを願って乾杯いたします。

アメリカ帝国主義にたいする世界反帝人民の闘争が勝利的に進むことを願って乾杯いたします。

2014年6月17日火曜日

日本共産党による北朝鮮礼賛史を知らない吉良よし子参議院議員らへ―日本共産党中央委員会の「朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年にあたって祝電」(「赤旗」昭和43年9月9日掲載)より―

吉良よし子参議院議員ら若い日本共産党員は、昔の「赤旗」「前衛」を読もう


内心の全てを他人に話すことなど、私にはとてもできません。凶悪行為をやっていませんが、それでも他人に知られたくないことや失敗の思い出が多少、ありますから。

遠藤周作は他人にどうしても知られたくない心の秘密がある人こそ、人生を生きていると評しました(「ほんとうの私を求めて」集英社文庫、p14)。

そんな心の秘密を守るためなら、嘘も許容されるべきなのでしょう。

しかし、政治家が支持者に大嘘をつくことは適切ではないでしょう。日本共産党の最高幹部には、共産主義国宣伝のためなら大嘘宣伝が必要という体質があります。

これは日本共産党の文献により論証できます。朝鮮労働党、在日本朝鮮人総連合会も同様です。

どんな団体でも個人でも、その歴史を論じようとするならば、まずはそれぞれの当時の文献に依拠して議論すべきではないでしょうか。

私は日本共産党がソ連や中国、北朝鮮を礼賛してきたことを日本共産党の「赤旗」「前衛」により何度も指摘してきました。

以下の朝鮮労働党中央委員会への祝電も、日本共産党によるテロ国家北朝鮮の礼賛の史実をはっきりと示しています。

吉良よし子参議院議員のように若い共産党員の皆さんは、近年の不破哲三氏の文献などを読んで「わが党は北朝鮮の覇権主義と生死を賭けた闘争をしてきた」などと思い込んでいるのでしょう。

「わが党は北朝鮮覇権主義を、全力で礼賛してきた」と認識するべきでしょう。テロ国家北朝鮮が、発展した社会主義的な工業・農業国であると昔は宣伝していたのですから。

若い共産党員の皆さんは、歴史を知るためにはかつて先輩方が必死で普及してきた文献を読むという基本的な作業ができないのでしょうか。

北朝鮮が武装工作員を韓国に侵入させてテロを断行したことを宮本顕冶氏、不破哲三氏らは認識していた(「青瓦台事件」、昭和43年1月)


北朝鮮は昭和43年1月に韓国の朴大統領暗殺のために武装工作員をソウルに侵入させ、激しい銃撃戦を韓国側と行ってソウル市民を恐怖のどん底に陥れました。

宮本顕冶氏や不破哲三氏は当時からこれを北朝鮮の武装工作員による蛮行と認識し金日成との会談でその危険性を指摘しました(「北朝鮮 覇権主義への反撃」1992年新日本出版社刊行、p27-28)。

「北朝鮮 覇権主義への反撃」掲載の不破哲三氏による論考によれば、不破氏ら当時の日本共産党最高指導部は金日成の「十大政綱」が韓国に武装工作員を侵入させるテロ宣言であることを認識していました。

「十大政綱」とは、金日成が67年12月に出した「革命的大事変を主動的に迎えよう」というよびかけです。ソウルに侵入した武装工作員は、安明進氏の先輩筋にあたります。

殆どの武装工作員は韓国軍により射殺されました。

私は以前ソウルに行ったとき、年配のタクシー運転手さんからこの事件の凄まじい銃撃戦の様子をうかがったことがあります。武装工作員がまさに神出鬼没だったそうです。

生き残った武装工作員はその後悔い改めて牧師になりました。金新朝(김신조)という方です。
金新朝牧師はテレビなどで青瓦台事件の真実を語っています。

you tubeで金新朝牧師の証言を観ることができます。

宮本顕冶氏、不破哲三氏ら日本共産党最高幹部は真実を当時の「赤旗」読者や下部党員には隠蔽して、「赤旗」紙面では熱烈な北朝鮮礼賛を断行しました。

日本共産党中央委員会は67年12月の金日成の「革命的大事変を主動的に迎えよう」というよびかけ(「十大政綱」)への熱い支持を、68年9月の朝鮮労働党への祝電で明言しています。

日本共産党最高指導部には自分たちの本音と異なる下部党員や「赤旗」読者向けの「理論」「方針」があるのです。「表と裏の顔」があるということです。

吉良よし子参議院議員ら若い共産党員は「団塊の世代」の諸先輩に北朝鮮礼賛史を質問してみたらどうか


以下、日本共産党中央委員会による朝鮮労働党中央委員会への祝電を抜粋しておきます。

吉良よし子参議院議員のように若い共産党員の皆さんには日本共産党中央委員会よる朝鮮労働党中央委員会への熱いメッセージを、「北朝鮮 覇権主義への反撃」と合わせて熟読していただきたいものです。

「団塊の世代」の日本共産党員なら、昭和43年1月当時大学生くらいだったはずですから、自分たちが北朝鮮を礼賛したことを覚えているはずです。

吉良よし子参議院議員ら若い日本共産党員は「団塊の世代」の諸先輩に当時の「赤旗」紙面での北朝鮮礼賛について、真実かどうか率直に質問したらいかがでしょうか。

苦笑いしながら、若い頃の失敗談として日本共産党による北朝鮮礼賛史を語って下さる方もいるかもしれません。これは「心の秘密」というほどのことではないでしょう。

諸先輩は若いころ、「赤旗」記事を信じて北朝鮮では社会主義が千里馬の勢いで発展した旨信じ、周囲の人々に宣伝していたのです。

北朝鮮礼賛は「団塊の世代」の日本共産党員の青春のほろ苦い思い出のはずです。

「千里馬」の勢いで、国を発展した社会主義的な工業・農業国にかえることに成功しました。


「朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年にさいして、日本共産党中央委員会は、わが党の全党員を代表して朝鮮労働党の全党員と朝鮮人民に、心からのお祝いと兄弟的な連帯のあいさつをおくります。

この二十年間に、朝鮮労働党と朝鮮人民は、金日成同志を先頭とする朝鮮労働党中央委員会のマルクス・レーニン主義的指導のもとに、社会主義革命と社会主義建設ですばらしい成功をおさめました。

アメリカ帝国主義は、朝鮮民主主義人民共和国を破壊するために、十八年前、創建まもない共和国に凶暴な侵略戦争をもっておそいかかりましたが、朝鮮人民は英雄的な奮闘によってこの侵略を撃破し、かがやかしい勝利を勝ち取りました。(中略)...

さらに朝鮮人民は、過去の植民地経済の遺産やアメリカ帝国主義の侵略戦争による破壊を短期間に克服し、「千里馬」の勢いで、国を発展した社会主義的な工業・農業国にかえることに成功しました。

とくに今日、一連の社会主義諸国がさまざまな困難に直面しているなかで、朝鮮人民が、工業、農業をはじめ社会主義建設のあらゆる分野で大きな高揚をかちとり、そのなかで共和国創建二十周年をむかえたことは、

社会主義制度の優越性をうちかちがたい事実をもってしめしたものであり、社会主義、共産主義の勝利をめざす国際的な共通の事業への貴重な貢献をなすものであります。

朝鮮民主主義人民共和国におけるこれらのかがやかしい達成は、朝鮮労働党と朝鮮人民が、金日成同志を先頭とする党中央委員会の指導のもとに、確固として、

マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義、なかんずく、思想、政治、経済、国防の全般にわたって自主、自立、自衛の路線を歩んできた成果であります。(中略)...

日本共産党中央委員会は、今日の歴史的記念日にさいして、朝鮮人民が、金日成同志を先頭とする朝鮮労働党中央委員会のまわりにかたく団結し、

最高人民会議が決定した「十大政綱」の旗を高くかかげて、社会主義建設の事業においても、朝鮮統一の事業においても、さらに大きな成功をおさめることを、心から期待するものです。

朝鮮民主主義人民共和国創建二十周年万歳 

日朝両国の党と人民の戦闘的連帯と不滅の友情万歳 

1968年9月6日 日本共産党中央委員会 朝鮮労働党中央委員会御中

2014年6月14日土曜日

France Gall(仏女性歌手)について思う―夢見るシャンソン人形、Les Sucettes、Ella, Elle l'aそしてSerge Gainsbourg-

30年ほど前、アテネ・フランセに通いつつお茶の水の街を歩いていた


30年ほど前、私は早大政治経済学部の学生でした。なぜか一念発起してフランス語を勉強しようと思い、お茶の水にあるアテネ・フランセに少しだけ通いました。

今も、アテネ・フランセは同じ場所にあるのでしょうね。遠藤周作の「さらば夏の光よ」は、お茶の水近辺にある大学生の物語でした。

私がこの小説を好きな理由の一つは、古本屋街に近いお茶の水の街が好きだからかもしれません。文化の香りがするように思えます。

高校生の時、代々木ゼミの模試を明治大学で何度も受けました。早大入学後は、九段下から新御茶ノ水駅までの古本屋街を時折歩きました。

昨年夏くらいから遠藤周作とフランス文学、Albert Camusやフランス革命に関心が出てきたので、再度フランス語を少しずつ勉強し始めました。

外国語を学ぶための一つの方法は、好きな歌を覚えて下手でも口ずさむことではないでしょうか。私と同年代の方なら、子供の頃「夢見るシャンソン人形」を耳にした記憶があることと存じます。

France Gall(1947年生、「夢見るシャンソン人形」の歌い手)の歌を聴きながら


この歌が流行した1960年代後半当時は弘田三枝子が歌っていたようです。元はFrance Gallという1947年生まれのフランス歌手によるものです。日本では「団塊の世代」の方です。

France Gallの「夢見るシャンソン人形」をyou tubeで私はこの間、時折聴いていました。いつしか、France Gallの他の歌も好きになってきました。

France Gallは70年代後半から随分異なる調子の歌を歌うようになっていったことがわかりました。

France Gallの歌の中に、Ella, Elle l'a(Ella, She has got it)があります。これはElla Fitzgeraldという米国の黒人Jazz歌手に捧げた歌です。素晴らしい!

黒人の爆発的なパワーを感じさせるこの歌の映像も素晴らしい。モハメッド・アリの映像も出てきます。

「夢見るシャンソン人形」と随分違う曲調ですが、France Gallのリズム感の良さが良く出ていると感じます。

France Galは歌唱力というより、可愛らしさとリズム感が元々売り物の歌手だったのかもしれません。Ella, Elle l'aは1988年に夫君で音楽家のMichel Bergerがつくっています。

音楽家Serge Gainsbourgは歌詞に別の意味を込めていた


「夢見るシャンソン人形」は1965年にSerge Gainsbourgという音楽家により提供されています。

Serge Gainsbourgにより提供された曲がいくつもヒットしたようですが、インターネットを見るとSerge Gainsbourgは相当な曲者で歌詞の裏に性的な意味を込めることがあったようです。

特に知られているのは1966年のLes Sucettes(棒つきキャンディー)という歌です。単に歌詞だけを読めばキャンディーを好む女の子の歌なのですが...。

France GallがLes Sucettesを歌っていたのは10代後半ですから、何も知らなかったのでしょう。

you tubeでSerge GainsbourgがFrance Gallに「歌詞の意味がわかるのかい」という調子で質問している姿を私は観ました。France Gallは質問に対し歌詞の意味そのままに受けとめて答えています。

Serge Gainsbourgはそれに対しただ、「よろしい」というような答えをしています。ふてぶてしい表情の映像が残っています。

この件はフランスではかなり知られていたようで、私はyou tubeで近年のFrance Gallがどこかのテレビ番組でインタビューに答えている姿を観ました。

私のフランス語の力では、France Gallのインタビューをそのまま聞き取るのは大変ですが、幸い英語の字幕が出るものがあります。それならわかります。

France Gallは当時は何もわからなかったが、性的な意味を知って男性不信のようになってしまったと答えていました。つくづく、ひどい話です。

France Gallはその後、Serge  Gainsbourgと決別しました。しかし、この歌を歌ったこと自体は一切後悔していないと近年のインタビューで語っています。

夫のMichel Bergerとともに活躍したが...


夫のMichel BergerとともにFrance Gallはいくつもヒット曲を出しました。Ella, Elle l'aは相当流行したようです。

この歌は近年、ベルギーの歌手Kate Ryanや仏の若手歌手Alizeeも歌っています。Michel Bergerは残念なことに1992年に44歳の若さで、France Gallと二人の子供を残して亡くなってしまいます。

心臓発作だったようです。ところで、Michel Bergerの妻に対する愛については死後に暴露本が出て疑問視されています。この件についてはまたの機会に書きましょう。

France Gallは歌手としては大成功したのでしょうが、信じていた男性に次から次へと裏切られ、心の奥底で深い悲しみをかかえて生きてきた方なのかもしれません。

それにしても、Ella, Elle l'aは素晴らしい。深い悲しみを抱えてどこかの街並みを歩く人を立ち直らせるようなメロディーです。France Gallが夫と精一杯生きた証ではないでしょうか。

2014年6月12日木曜日

「統一日報」姜昌萬社長と洪熒氏は横田滋氏に謝罪せよ(「國民新聞」平成26年6月25日付掲載拙文)

故佐藤勝巳氏(「救う会」元会長)は「統一日報」の特別論説委員だった


以下は「國民新聞」平成26年6月25日付掲載の拙文です。「國民新聞」編集部の許可を得ましたので、ブログに掲載します。ブログ掲載に際し見出しをつけ、一部加筆しました。

横田滋氏に「大スキャンダル」は存在しない。それは故佐藤勝巳氏の妄想だった。


不気味な新聞があったものだ。「統一日報」という在日韓国人の新聞は、自社の特別論説委員が寄稿した文章の内容に責任を持てないそうだ。

故佐藤勝巳元「救う会」会長が昨年「拉致問題との関わり」という回想記を特別論説委員として「統一日報」に連載していた。

連載当初には興味深い記述がいくつもあったがなぜか途中から被拉致日本人救出運動参加者に対するとんでもない誹謗中傷がいくつも出てきた。

特に口汚く罵られたのは横田滋氏である。例えば連載第17回で佐藤勝巳氏は次のように記している。

「私の問題意識からすると、横田滋氏の会計未発表や大スキャンダル事件を、議連、マスコミ、週刊誌など程度の差はあれ知らない者はいない」。

横田滋氏は家族会の会計を担当していた時期に毎期会計報告していた。横田滋氏に大スキャンダルなど存在しないから、議員もマスコミも知りようがない。

これらは佐藤氏の思い込み、妄想でしかない。

佐藤氏没後に出版された著書「『秘話』で綴る私と朝鮮」(晩聲社刊p226-227)によれば、晩年の佐藤氏は深刻な幻覚症状に悩まされていた。

佐藤氏は病室の天井に新左翼系労働組合のステッカーを見たそうだ。

さらに天井の倉庫のようなところから池袋行き方面のホームが見えてきたので看護婦に「なぜ俺を倉庫に寝かせておくのか」とただしたそうだ。佐

藤氏が主張する横田滋氏の大スキャンダル、業務上横領・脱税容疑など幻覚でしかなかった。

「統一日報」の洪熒氏からの電話「報道記事でないから弊社として記述内容の事実関係に責任を持つことはできない」



私は昨年末から何度も「統一日報」社の姜昌萬代表取締役に手紙を送り、

「横田滋氏の大スキャンダルとは一体何ですか。マスコミで知らない者はいないというのだから、貴社の皆様は御存知なのでしょう」

と記事の裏付け公開を要望してきたが、「統一日報」社には未だに何の記事も出ない。

昨年1215日の夕方、「統一日報」の洪熒氏から私の部屋に電話があった。洪熒氏は大略次のように述べた。

佐藤勝己氏の論考は回想記であり、報道記事ではないから弊社として記述内容の事実関係に責任を持つことはできない。 

黒坂はデマだから謝罪すべきなどと言うが、それでは弊社に回想記の検閲をしろと主張していることになる」。

私は電話口で「それが貴社の見解であるならば貴紙の紙面で発表して下さい。大韓民国には回想記の記述に責任を持てないという報道機関はありますか」と述べた。

洪熒氏は少し腹が立ったようで「統一日報は日本の法律によって経営されているのだから日本の会社です」旨主張した。韓国人には在日韓国人を自国の人間と認識していない人が多いようだ。

要は、「統一日報」社は佐藤勝巳氏の妄想を裏付け取材など一切せずにたれ流しただけなのである。

それに反発した私が検閲を主張しているなどと捏造して私を黙らせようとしたのだ。

背景に青瓦台の思惑があったのでは―韓国・北朝鮮は安倍政権を憎んでいる


この件の背景には、安倍政権の基盤の一つともいえる社会運動を弱体化させたいという青瓦台の思惑があったのではないか。

北朝鮮と韓国は、安倍政権に対する憎しみでは完全に一致している。

両国の諜報機関はそれぞれの政権の意を受けて動く。日本の運動団体にも各種の工作がなされているのだろう。

西岡力「救う会」会長、島田洋一副会長と平田隆太郎事務局長も「拉致問題との関わり」で誹謗されたが、「救う会」は「統一日報」に一切抗議しなかったことを付言しておきたい。
 

2014年6月11日水曜日

夕暮れに逆上がり(鉄棒)をすればAlbert Camusの「異邦人」(The Stranger)を思いおこす

飛び上がってつかまるような高い鉄棒で逆上がりに挑戦したが...


皆さん、体を鍛えて健康を維持していますか?中年になると体のあちこちに不調をきたしてしまいがちです。悪化を避けるためにも簡単な運動を続けたいものです。

少し前に書きましたが私は最近鉄棒をやってみようという気になり、近くの公園で挑戦したところ逆上がりと後ろ回り(後方支持回転)に成功しました。

勤務先の体育館裏にある150cmくらいの高さの鉄棒でも、逆上がりに成功しました。

いい気になって一昨日の日曜日に西京極(京都市)の陸上運動場外にある、飛び上がってつかまるような高い鉄棒で逆上がりに挑戦したところ、駄目でした...。

十数年前はそのくらい高い鉄棒でも逆上がりができたのですが。腹筋力と腕力が足りない。

悔しさのあまり、昨日夕方に逆上がり10回-食堂で箸を持つ手が震えた


残念無念でも無理をしないほうが良いのでしょうね。昨日、悔しさが心中に残っていたので夕食前に勤務先の体育館裏鉄棒で逆上がりを十回やって生協食堂に向かいました。

いつものように夕食を食べ始めたところ、頭が少しクラクラして箸を持つ手が震えてしまいました。これでは生協食堂にあたかも麻薬・アルコール中毒患者のようです。

あまり人がいなかったので目立ちませんでしたが、知り合いの学生諸君がいたら誤解されたかもしれません。

本日は神崎川沿いを5キロくらい走りました。そのあと体育館裏の鉄棒で逆上がりを5回やりました。幸い、今日は頭がクラクラすることもなくアルコール・麻薬中毒患者にもなりませんでした。

私の体力では逆上がりを5回くらいにとどめておけば大丈夫なのでしょう。何事も、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。後ろ回りは暫く封印したほうが良さそうです。

夕暮れに逆上がり-Albert Camusの「異邦人」を思い起こして


体育館裏から生協食堂に向かっていくときには薄暗くなっていました。夕暮れどきです。53歳の私も人生の夕暮れどきにいます。

そんなとき逆上がりを夕食前に黙々とやるようになるのも、悪くない生き方なのかもしれません。御先祖様には、風流人がいたのかもしれません。

Albert Camuは、アルジェリア(Algeria)の街の夕暮れどきがとても好きだったようです。「異邦人」(新潮文庫、p101)から私はそう感じました。

「異邦人」主人公ムルソーが愛したアルジェリアの夕暮れの描写に、Camusの想いが垣間見えます。

それぞれの人生を精一杯生き抜いている姿こそ、何より素晴らしいとCamuは感じたのではないでしょうか。

Camusが説いたAnsurdity(不条理)の裏にはそんな意味があったような気がしてきました。私が思い起こした部分を下記に書き留めます。

「異邦人」(新潮文庫、p101)より抜粋


「護送車の薄闇のなかで、私の愛する一つの街の、また、時折私が楽しんだひとときの、ありとあらゆる親しい物音を、まるで自分の疲労の底からわき出してくるように、一つ一つ味わった」

「すでにやわらいだ大気のなかの、新聞売りの叫び。辻公園のなかの最後の鳥たち。サンドイッチ売りの叫び声。街の高みの曲がり角の、電車のきしみ。港の上に夜がおりる前の、あの空のざわめき」

「こうしてすべてが、私のために、盲人の道案内のようなものを、つくりなしていた。それは刑務所に入る以前、私のよく知っていたものだった」

次はVintage International Vintage BooksのMatter Ward訳、p97より抜粋しました。

In the darkness of my mobile prison I could make out one by one, as if from the depth of my exhausiton, all the familiar sounds of a town I loved and of a certain time of the day when I used to feel happy.

The cries of the newspaper vendors in the already languid air, the last few birds in the square, the shouts of the sandwich sellers, the screech of the streetcars turning sharply through the upper town, and that hum in the sky before night engulfs the port:

All this mapped out for me a route I knew so well before going to prison and which now I traveled blind.

2014年6月9日月曜日

金正日は在日本朝鮮人総連合会をどのように「指導」してきたのか2-金正日の生き方から思う(張明秀「裏切られた楽土」講談社刊行より)

英明なる指導者金正日の誕生日を記念し、組織内部に党の唯一指導体系を確立すること


北朝鮮の公式文献での金正日に対する敬称は、晩年は「偉大なる将軍様」という語が多く用いられていたように思います。「百戦百勝の零将」「世界政治の元老」というものもありました。

「党の唯一指導体系の確立」とは、金正日への絶対的服従を意味します。党とはこの場合、金正日です。

若いころの金正日の敬称は「親愛なる指導者同志」(친애하는 지도자동지)だったはずです。

87年の大韓航空機爆破事件は、「親愛なる指導者同志」(친애하는 지도자동지, Dear Leader Comrade)の御親筆により承認されたと犯人の一人、金賢姫が語っています。

張明秀氏が在日本朝鮮人総連合会幹部だった1977年1月北朝鮮から在日本朝鮮人総連合会に伝達された指示書には、「英明なる指導者」となっていたのでしょう。金正日はこの頃、34歳です。

数学や物理学のように抽象性の高い分野なら、若いうちでないと新しい仕事はなかなかできません。

そんな分野では30代のほうが50代、60代よりずっと優れていることはありうるでしょうが、経験と幅広い視野が必要な政治の世界はそうではないでしょう。

若輩の金正日の何がどう「英明」だったのか不明ですが、その後強大な権力を駆使する独裁者になっていったのですから権謀術数には長けていたのでしょう。

金正日は映画や音楽に造詣があったようです。独特の人間観察と人心把握をできた人だったのではないでしょうか。独裁体制を維持するためには、側近の動向観察は欠かせません。

金正日は側近の表情や声色に常に関心を持っていたかもしれません。

在日本朝鮮人総連合会最高幹部の動向も、金正日は様々な経路で把握していたことでしょう。

金正日の贅沢三昧の背景に精神的重圧-中国国家安全部は側近を買収していたかもしれない―


金正日は若いころから、毎晩のように側近と深夜まで豪華な酒盛りをしていたようです。

そんな無理ができたのですから、青年期には健康だったのでしょうが暴飲暴食により80年代にはかなりの肥満体になってしまいました。心臓に負担がかかったことでしょう。

糖尿病も患っていたかもしれません。金正日は側近にも追放や処刑などの残虐な命令を何度も出し、側近に恐怖心を常に抱かせていました。

金正日は毎晩のように酒を酌み交わす側近でもあまり信頼できなかったのです。

金正日には自分でもよく認識できないうちに相当な精神的重圧がかかっていたのでしょう。それを忘れるためだったのでしょうか。

金正日は深夜までの豪華な酒盛り、暴飲暴食を長年続けていました。70歳近くまでよく生きられたとも言えます。中国との関係も、金正日には相当な精神的負担だったでしょう。

中国共産党はあの手、この手で核を持たないよう、金正日を脅迫してきたはずです。

側近の中に中国国家安全部の息がかかった人間がいる可能性を金正日は察知していたはずです。張成澤は金正日の動向を、中国国家安全部に伝えていたかもしれません。

総連組織の中に主体の思想体系を確立する問題


前掲書に掲載されている金正日の指示書の一は「総連組織の中に主体の思想体系を確立する問題」です。

一の中の(二)が、「英明なる指導者金正日の誕生日を記念し、組織内部に党の唯一指導体系を確立すること」です。この中に、次の5つの項目があります。

・指導者同志の肖像画を常任委員会に安置すること

・学習組で講義を組織すること

・指導者同志の偉大性、天才性、徳性についての解説宣伝を行うこと

・内部の会議での報告、討論で指導者同志のお言葉を引用すること

・党の唯一の指導の下で中央をはじめとするすべての機関に組織規律を確立すること。すべての問題(原則的問題)は指導者同志に報告し、指導を受ける規律を確立すること。

一の中の(三)は「首領様の教示と指導者同志のお言葉の実行で、無条件性を確立するための追撃戦を展開すること」です。この中に、次の3つの項目があります。

・教示、お言葉の実行で無条件性実行の気風を確立すること

・無条件実行の組織規律確立のための学習を組織すること

・追撃戦を展開することに対する指導者同志のお言葉を心臓に銘記し、首領の教示、指導者同志のお言葉貫徹状況を各級機関が一つ一つ糾しながら実行すること。

「無条件実行の気風確立」のために、同義語を繰り返し思考力を麻痺させる


要は、「金日成と金正日の言うとおりにせよ」「金正日にすべて報告せよ」という程度の話なのですが、これを長々と仰々しく繰り返し、暗記までさせることにより人々の思考力麻痺が狙いです。

同じ話を多少表現を変えて繰り返し、暗記までさせると思考力が麻痺し、ほかの視点からの発想ができにくくなることに34歳の若き金正日は気づいていたのでしょうか。

そうであったなら金正日は「英明」だったと言えるでしょう。限りなく狡猾な人物だったということです。この類の人心管理手法は中国や朝鮮の王朝の伝統的手法なのでしょうか。

他の視点からの思考ができなければ、自分の言動には選択肢があることがわからなくなります。奴隷には言動の選択肢など不要です。朝鮮王朝には奴隷がいました。

朝鮮王朝による奴隷管理と、北朝鮮当局による人民支配の仕組みには共通性がありそうです。金日成、金正日に対する周囲の人々の接し方は、朝鮮王朝の伝統なのでしょう。

「祖国の社会主義建設に物質的に貢献すること」―朝銀信用組合の資金を「統一工作に利用しよう」-


金正日の指示書の中の六財政事業に、「祖国の社会主義建設に物質的に貢献すること」があります。

張明秀氏は1975年から2年間、在日本朝鮮人総連合会の経済局に所属していました(同書p184)。

張氏によれば、当時の経済局長の崔ビョンジョが朝銀信用組合の莫大な資金を統一工作に利用しようといいだしたそうです。

張氏によれば、在日本朝鮮人総連合会の経済局が朝銀信用組合を掌握していました。信用組合の資金を統一工作に利用するということは、信用組合から借り入れをするということでしょうか。

「統一工作」は利潤を生む活動ではありませんから、借り入れた額は返済されないでしょう。多額の借り入れの際には何かの担保を出さねばならなかったでしょう。

借金を返済できないとき、担保物件は接収されます。これは民族差別ではありません。

在日本朝鮮人総連合会は借金を返すべきだ


朝銀信用組合が残した不良債権を整理する日本の機関が、在日本朝鮮人総連合会中央の建物等を接収するのは当たり前です。

借り入れ主体が事実上、在日本朝鮮人総連合会中央だったのですから。

在日本朝鮮人総連合会がこれに不満なら、借金を返せば良いのです。

借金を返さずに「民族差別だ」などと宣伝しているのですから、在日本朝鮮人総連合会は「在日朝鮮人は借金を返さなくてよいのだ」という「在日特権」を主張していることになります。

在日本朝鮮人総連合会の建物や土地が競売にかけられた背景として私は「統一工作」と「祖国の社会主義建設に物質的に貢献」をあげておきたい。

この件については、元朝鮮総連中央本部財政局副局長の韓光ヒ氏の著作「わが朝鮮総連の罪と罰」(文芸春秋刊行、2002年)が良い文献です。

2014年6月6日金曜日

金正日は在日本朝鮮人総連合会をどのように「指導」してきたのか-金正日の対日工作指令(張明秀「裏切られた楽土」、講談社1991年刊行、p170-178より抜粋)

偉大な首領金日成主席様の新年教示と、英明な指導者金正日同志のお言葉を貫徹するための1977年度総連の事業方針-



暴力団関係者を普通の人とみなして付き合うと、とんでもない被害を蒙るでしょう。

同様に北朝鮮を多くの日本人が普通の国家とみなしてしまうと、政治家や外務省がとんでもない判断ミスをしかねない。

北朝鮮は普通の国家であるが、歴史の中で多少の行き違いが生じたという程度なら、経済支援をして対話すれば誤解は解消されていくことになる。

外務省高官にこうした発想を持つ人は少なくない。「北朝鮮軟着陸論」というものです。

「進歩的」な人、左翼知識人から見れば北朝鮮は帝国主義と対決する途上国ですから、経済支援をして改革に導こうという奇想天外な話になってしまいます。

「日朝平壌宣言」を支持する政治家や知識人は、「暴力団に資金を出して堅気になってもらおう」と大真面目に主張しているのです。何も見えていない人たちです。

少なくない政治家や外務省高官が本気で「日朝新時代を築こう」「経済支援をして改革に導こう」などと考えている背景の一つは、選挙民である私たちが政治家にテロ国家北朝鮮の現実を十分伝えていないからです。

北朝鮮の現実を知るための一つの資料として、金正日による在日本朝鮮人総連合会への指令書は大変貴重です。

前掲著に金正日による指令書が掲載されています。

「裏切られた楽土」の著者張明秀氏は、在日本朝鮮人総連合会新潟県本部副委員長でした。この本によれば金正日は1967年に台頭してきます。

金日成の長男でしかなかった金正日が在日本朝鮮人総連合会に指令を出せるようになった背景について、簡単に説明します。


1967年頃金日成、金正日により大規模な反党分子狩り―政治犯収容所やへの連行、山奥への追放―


1967年には、金日成、金正日により朝鮮労働党内の反党分子狩り、大量粛清がなされました。

反党分子などというと恐ろしい人間のようですが、これは共産主義者の世界で用いられている用語です。北朝鮮、在日本朝鮮人総連合会では、民族反逆者という語も用いられています。

共産党の最高指導者に何らかの不平、不満を漏らした人間のことですから、誰でも反党分子、民族反逆者というレッテルを貼られる可能性があります。

60年代後半に相当数の労働党幹部が政治犯収容所に連行されたのでしょう。私も同様の話を、北朝鮮に帰国した後日本に戻ってきた脱北者から伺っています。

張明秀氏によれば、金正日の台頭により「首領の絶対化」が徹底的に強化され、個人の意見や発言が抑えられ、金日成が神格化されます。


在日本朝鮮人総連合会内部では金炳植による「宗派分子」狩り―「ふくろう部隊」による監禁、リンチ


在日本朝鮮人総連合会内部では、第一副議長だった金炳植が「総連組織事業」の名のもとに、自分に対抗する可能性のある幹部に「宗派分子」というレッテルを貼って追放したそうです。

「宗派分子」も反党分子と同義語です。「宗派狩り」は朝鮮学校の教育現場にまで持ち込まれました。

監禁、リンチを伴う「思想闘争」により朝鮮大学では失踪者まで出たそうです。

大阪の朝鮮学校では、「宗派分子の子供」と名指しされた子供の目玉をくりぬいた卒業写真までつくられたそうです(「裏切られた楽土」p168より)。

金柄植が「ふくろう部隊」という私兵のような組織を在日本朝鮮人総連合会内部に作り、「宗派分子」とレッテルを貼られた人々に「思想闘争」の名で暴力をふるったのは有名です。

「団塊の世代」くらいの在日朝鮮人なら、金炳植による「宗派分子狩り」を熟知しています。

どういうわけか、ほぼ同時期に日本共産党内部でも「新日和見主義者」とレッテルを貼られた民主青年同盟幹部に対する過酷な査問が断行されました(油井喜夫「汚名」毎日新聞社刊)。

金正日は1974年10月の政治局会議で叔父の金英柱を引きずりおろし、朝鮮労働党の実権を握ります。

金正日は1977年1月、在日本朝鮮人総連合会にはじめて指令を出した



実権を握った金正日は、1977年1月に在日本朝鮮人総連合会の事業全般にわたる指示書を出しました。張氏はこの頃、在日本朝鮮人総連合会の中央にいたそうです。

現物はB4版でタイプされていたそうです。この頃から、日本人拉致が相当な規模でなされていることも留意せねばなりません。

「裏切られた楽土」p170-178には張氏が現物を翻訳した全文が掲載されています。大別すると六項目になっています。六項目を抜書きします。

一、総連組織の中に主体の思想体系を確立する問題
二、首領様が最も心慮される祖国統一事業に すべての力を回すこと
三、総連の幹部隊列を強化し、工作方法と作風を改善し、分会を強化すること
四、対外事業
五、教育事業
六、財政事業

一の中に、「唯一の思想体系確立の十大原則を貫徹すること。信念化し、行動化し、それに基づいて総括すること」という項目があります。

「党の唯一思想体系確立の十大原則」は北朝鮮当局の全ての組織の絶対的な規範ともいうべきもので、金日成と金正日への絶対的な服従を全国民に強要しています。

この話をすると良く、「戦前の教育勅語みたいなものか」という方がいますが、全く異なっています。「戦前の日本」と言っても時期により社会のありようは随分異なっています。

「教育勅語」は学校で子供たちが暗唱させられ貴重品として保存されていたという程度でした。

全国民が「教育勅語」に基づいて、職場で自分の生活を「総括」せねばならず、教育勅語に少しでも不満を漏らすと家族もろとも政治犯収容所に送られるなどということはありえない。

「党の唯一思想体系確立の十大原則」は金正日死後多少修正されたようですが、これが全国民に「信念化し、行動化し、それに基づいて総括すること」を強要されていることは以前と同じです。

金正日による日本の政界、社会運動工作指令-金丸訪朝の背景か-


六項目のうち、四の「対外事業」が日本の政治、社会運動に対する工作指令に該当しますので、抜書きしておきます。

・首領様の徳性を世界に広く宣伝するため、欧州とアフリカで翻訳出版する出版社を工作し、首領様の徳性実記を出版すること・主体思想研究会を今年中に二十五か所に増やすこと

・八・十五討論会と社会主義憲法制定五周年記念行事を組織すること

・朝鮮の自主的平和的統一を支持する日本の委員会を結合し、地方に連帯組織をつくること

・岩井章の連帯性運動を世界的に広めるため、国際会議を組織すること

・政界の上層部との事業を進め、保守系の巨物級を一、二名工作獲得すること

・小田実のような人物を二、三名工作獲得すること

この指令に基づいて、在日本朝鮮人総連合会のしかるべき部署の人が様々な手法で政界工作を続けた結果の一つが、金丸訪朝だったのではないでしょうか。

「小田実のような人物」とは、左翼で北朝鮮の主張に思想的に同調しうる人物を指すのでしょう。

「工作獲得」の中身は不明ですが、個人的に接触して交流を深めるという程度だったでしょうか。

その後も金正日は、同様の指示を在日本朝鮮人総連合会に出し続けたことでしょう。金正日による指令がこの文書だけとはありえない。

日本人拉致を担当する少人数の工作組織にも、金正日からしかるべき指示が出されていたはずです。元北朝鮮工作員安明進氏は「工作員の現地化指令」が出されたと語っていました。

横田めぐみさんや市川修一さん、増元るみ子さんらは金正日による指示に基づいて、拉致されました。日本人拉致の主犯は金日成、金正日です。

今日では、金正恩により同様の指令が在日本朝鮮人総連合会幹部に様々な経路で出されているはずです。

「保守系の巨物」や、「小田実のような人物」が「工作獲得」されてしまい、「日朝平壌宣言に基づき、経済支援をして改革に導こう」などと言い出す可能性を指摘しておきます。

西岡力東京基督教大教授(「救う会」現会長)はなぜ日本政府の「圧力と対話」路線を批判できないのか―「日朝平壌宣言」は北朝鮮のミサイル実験で無効化した―


ところで、西岡力東京基督教大教授(「救う会」現会長)は最近、「日朝平壌宣言」の虚構性を指摘されないようです。

こんな文書に依拠して対北朝鮮外交を進めているようでは、日本政府はテロ国家北朝鮮の本質が見えていないと、かつての西岡力教授なら断言したはずです。

日本の対北朝鮮外交の基本的立場は「圧力と対話」ですが、通常の「対話」などありえないと保守派知識人ならそう思うはずです。

しかし「救う会」の集会では最後にこれを支持するようになっています。

以前の西岡力教授なら、北朝鮮に対する制裁を徹底的に強化することを主張したはずなのですが、産経新聞の「正論」欄でもそのような主張が出てきません。

島田洋一福井県立大教授(「救う会」副会長)なら、西岡力教授の論調の変化を悟っているはずです。

島田洋一教授に保守派知識人としての気概があるなら、北朝鮮に対する制裁の徹底強化を主張していただきたい。西岡力教授にそれを進言していただきたい。

制裁の徹底強化とは、例えば在日朝鮮人の再入国拒否を数千人規模で実施することです。これこそ、「現代コリア」の基本的主張だったことを元編集長の西岡力教授は熟知しています。

現実には、西岡力教授が北朝鮮制裁徹底強化や日朝平壌宣言の無効化を周囲の方に呟くことはあっても、「正論欄」や雑誌で主張することは考えにくい。

諸般の御事情があるでしょうから。






2014年6月3日火曜日

国家安全保衛部の金元弘部長を窮地に追い込むために―北朝鮮の「委員会」による「調査結果」は必ず大嘘作文―

「金日成、金正日が日本人拉致指令を出したから、彼らが主犯です」という「調査結果」が出るはずもない


北朝鮮当局はいつでも、出鱈目な大嘘を発表します。披拉致日本人は数百名規模の可能性すらあるのです。大規模な国家犯罪をテロ国家北朝鮮が全て認めるなど、ありえない。

遠からず、何かの「調査結果」が出てくるのでしょう。朝鮮側がいかなる組織、構成の委員会とやらを結成しどんな「調査」を行おうと、それは対日宣伝工作の一環で大嘘です。

真実は次です。

「金日成と金正日の拉致指令により、百人以上の日本人を拉致しました。金日成、金正日が主犯です」

こんな「調査結果」を「委員会」とやらが出すはずがない。

大韓航空機の爆破は、金正日の指令により断行されました。これは今でも、北朝鮮の機密事項です。金日成、金正日の権威を少しでも損なうことは朝鮮労働党にはできません。

朝鮮労働党には宣伝担当部署があります。宣伝担当は韓国向けだけでなく、日本の政界や知識人対策の部署もあるのです。宣伝担当部署に大嘘を広めるべく、指令が出されるはずです。
これは、在日本朝鮮人総連合会の幹部を長年務めてきた方なら熟知しています。在日本朝鮮人総連合会では「国際局」という名称になっているのではないでしょうか。

「国際局」とは表で活動する人たちです。裏の非公然組織が政界工作や社会運動、知識人対策をやる場合もあります。

「調査結果」作文は対南工作機関ないしは国家安全保衛部が行う


「調査結果」の文書を作文するのは対南工作機関か、国家安全保衛部でしょう。工作機関が担当するなら、対外連絡部(旧社会文化部)が担当するのでしょうか。

対外連絡部部長はカン・グァンジュという人物であるといろいろな文献に出ています。カンの漢字は姜と記されている場合が多いのですが、康ではないでしょうか。

康さんなら、金日成の母親の親族です。カン・グアンジュと会った経験がある在日本朝鮮人総連合会の幹部だったある方は私に、多分この人は康さんだろうと語っていました。

康さんなら、現在はソウルにいる康明道キョンミン大教授の親戚ということになります。

カン・グアンジュが現在でも対外連絡部の部長職にいるのかわかりませんが、張成澤との関係が気になります。

カン・グアンジュは張成澤よりずっと年長でしょうが、張成澤と何らかの人脈を築いていたはずなのです。多少の人脈があれば、一味とレッテルを貼ることも可能です。

カン・グアンジュの親族は、「自分たちも張成澤一族のようになるのか」という脅迫観念に駆られているでしょう。

北朝鮮の情報機関については、清水惇「北朝鮮 情報機関の全貌」(2004年光人社刊行)が良い文献です。

国家安全保衛部と対南工作機関は披拉致日本人の居場所を掌握している


家安全保衛部は殆どの披拉致日本人の居場所を掌握しているのですから、本来「委員会」とやらによる「調査」など不要なのです。

全ての住民の動向、友人との些細な会話も含めてすべてを監視するのが、国家安全保衛部なのです。

披拉致日本人に工作員教育などをやらせている対南工作機関も披拉致日本人の居場所を知っているでしょう。どこぞの「招待所」に居住させられているのではないでしょうか。

日本側がやるべきことは、北朝鮮側が出鱈目な「調査結果」を出して来ることを見越して、最大限の制裁と徹底的な思想攻撃でお返しをする準備です。

改正が必要な場合もあるでしょう。

船の入港拒否は当然として、在日朝鮮人の再入国拒否枠を数千人規模で準備するべきです。朝鮮労働党の在日本非公然組織に加入している人間を可能な限り再入国を拒否するべきです。

これにより、対南工作機関の外貨獲得が困難になります。相当額の外貨を金正恩に献上できなければ、張成澤一味というレッテルを貼られてしまうかもしれません。

国家安全保衛部の金元弘部長を窮地に追い込んで人生の重大な選択をさせよう!


思想攻撃の目的は、国家安全保衛部と朝鮮人民軍の弱体化です。

本ブログで何度も主張しているように、対北ラジオ放送と海外衛星放送で金日成、金正日を批判すれば国家安全保衛部を窮地に追い込むことができます。

テロリストとの「対話」とは思想攻撃なのです。これらを断行することを、今から国会答弁などで安倍総理が明言されれば、国家安全保衛部の最高幹部はぎりぎりの選択に追い込まれるのです。

披拉致日本人を解放して多少の賄賂を得、金正恩に献上して生きのびるか。

解放を拒否して対北ラジオ放送や海外衛星放送で思想攻撃をくらい、住民の中に金日成、金正日の真実を普及されて責任を問われるのか。

これは銃殺ないしは政治犯収容所送りということです。
あるいは脱北するか。

そして最後のありうる選択肢は、日ごろから武装できる部下を多数率いている利点を生かし、金正恩を除去するか。

披拉致日本人を監禁、監視している国家安全保衛部最高幹部を窮地に追い込む決意が、日本政府に求められています。

康明道キョンミン大教授が力説するように、国家安全保衛部の金元弘部長なら金正恩を除去できるでしょう。

外務省高官は大真面目に「日朝新時代を築こう」と考えているのだろうか


残念ながら、外務省や拉致問題対策本部にはこうした発想は皆無と私は考えているのですが、どうでしょうか。

外務省や拉致問題対策本部の皆さんは、北朝鮮のどういう部署が「調査結果」をどんな目的で作成してくるのか検討しているのでしょうか。

まさか、国家安全保衛部が真剣に披拉致日本人の行方を捜していると思い込んでいるのではないでしょうね。勿論、北朝鮮の外務省は披拉致日本人の行方など何も知りません。

どんな誘拐犯でも、身代金を取るためには誘拐した人質をしっかり監視するはずです。

怪人二十一面相とやらの凶悪集団の「委員会」に誘拐した経営者の「調査」を依頼しても何もならない。

人質を取り戻すためには、怪人二十一面相とやらをあらゆる手法で徹底的に追い込んでいくしかなかったはずです。

追い込むためには資金源を断つことは勿論、犯人を支援する人たちがいるならあらゆる手段で支援者を減らさねばならない。

支援者に思想攻撃を加えることができたなら、必ずそうすべきだったでしょう。

警察やその会社の役員の皆さんはぎりぎりの交渉を犯人グループとされたことでしょう。
最終的に人質が解放された背景には、何らかの裏取引があったのかもしれません。

私はそれを批判する気持ちはありません。しかし取引はあくまで人質解放のためであり、「警察・二十一面相新時代」などを築くためではありえない。

警察官の皆さんはその後も全力で二十一面相一味を逮捕すべく努力されたのではないでしょうか。

外務省幹部がいまだに「数々の困難を共に乗り越えて、日朝新時代を築こう」などどと思っているなら、北朝鮮に関して研究不足であることこの上ない。

中国・北朝鮮と対峙するためには、諜報機関の研究が重要―中国は国家安全部、北朝鮮は国家安全保衛部


外交官試験や国家公務員試験に北朝鮮の現状についての知識は出題されません。

有名大学の講義で北朝鮮の対南工作や国家安全保衛部の動向が言及されることはまずないでしょうが、民間企業の人たちはそれぞれの現場で、取引先と勤務地の現状を把握していくのです。

外務省や拉致対策本部にお勤めの公務員の皆さんにとっての「現場」「取引先」は、北朝鮮の国家安全保衛部や対南工作機関ではないでしょうか。

中国、北朝鮮と対峙するためには、諜報機関の諸活動に関する研究が大事であることを私は重ねて訴えたい。

日本政府は海外向け衛星放送で「金正日と料理人」(仮題)を韓国語で製作し放映するべきだ―中国で外貨稼ぎに励む国家安全保衛部や朝鮮人民軍幹部のために―

中国で「外貨稼ぎ」に励む国家安全保衛部や朝鮮人民軍幹部は、韓国ドラマやニュース番組を視聴できる


北朝鮮当局のあらゆる部署が、様々な形で「外貨稼ぎ」をやっています。国家安全保衛部や朝鮮人民軍傘下の企業は、主に中国で「外貨稼ぎ」をやっています。

外貨稼ぎをやっているのは「出身成分」の良い方々です。海外に出ている国家安全保衛部や朝鮮人民軍幹部に対する取締りは、かなり緩くなっているはずです。

中国の工場で働いている一般労働者を取り締まる国家安全保衛部の担当者に対する監視は朝鮮労働党幹部がお互いやることになっているはずですが、これは建前です。

幹部間で協力して韓国のドラマや映画、ニュース番組を観ているのではないでしょうか。

海外に出てしまえば、部屋に盗聴器をつけることは難しい。外の食堂で食事をとれば衛星放送の視聴は可能です。朝鮮族が経営する料理店なら、韓国の新聞や雑誌が置いてあるでしょう。

北朝鮮では、韓国のテレビ番組や映画の視聴、新聞、雑誌を読むことは固く禁止されています。インターネットも勿論禁止です。

韓国の歴史ドラマ「鄭道伝」を北朝鮮当局は特に警戒している


「TV朝鮮」という韓国の番組によると、「鄭道伝」の視聴を北朝鮮当局は特に警戒しているそうです。これは高麗王朝末期の腐敗ぶりに憤慨した家臣たちが立ち上がるという話のようです。

これでは、北朝鮮当局が過敏になるのも当然でしょう。北朝鮮では原則として、全ての韓国のテレビ番組や映画、音楽を視聴することは禁止されています。

「鄭道伝」だけが視聴禁止ではないのですが、王朝が倒れるという内容と、李氏朝鮮の創始者李成桂が積極的に描かれている点が北朝鮮当局には特に問題のようです。

中国に「外貨稼ぎ」で来ている北朝鮮の人たちは、衛星放送などで韓国のテレビドラマや脱北者が出る番組を見ているそうです

「龍の涙」という長い歴史ドラマがありますが、これを中国で見た脱北者もいます。ものすごく面白かったと、ある脱北者はTV朝鮮で語っていました。

私もこのドラマを少し観たことはありますが、陰謀の繰り返しでさほど面白くなかった。中年の男性は武田と上杉の戦いのような合戦物が好きです。

「鄭道伝」にはそうしたシーンが多いのかもしれません。韓国の放送局は当然、視聴率獲得のために中年男性が好む番組をこれからも沢山製作するでしょう。

中国で外貨稼ぎをする国家安全保衛部や朝鮮人民軍の皆さんはこれからも沢山、王朝が倒れる番組を視聴できるのです。金王朝も倒れるかもしれないな、と思う幹部は着実に増えます。

韓国の普通の歴史ドラマが北朝鮮への「思想攻撃」になる―朝鮮労働党は「全社会の金日成・金正日主義化」に大失敗―


 「龍の涙」「鄭道伝」を製作し放映している韓国の放送局の皆さんには、北朝鮮に思想攻撃をかけようなどという発想は皆無だったでしょう


しかし結果として中国東北部で視聴できる衛星放送により強烈な思想攻撃を韓国の放送局は北朝鮮にやっていたことになります。

この「思想攻撃」は韓国が海外衛星放送を中止しない限り、今後も続きます。普通の歴史ドラマが「思想攻撃」になってしまうのですから。北朝鮮の現体制に「思想攻撃」をするのは簡単です。

一見、堅固で「全社会の金日成・金正日主義化」が完成しているように見える北朝鮮社会では、「出身成分」、血筋の良い高位幹部たちが韓国ドラマや映画のファンになっているのです。

韓国ドラマや映画を楽しみにしているような人たちが、心の底から金正恩を敬愛するなどありえません。マスゲームやテレビのニュースだけが北朝鮮ではないのです。

「全社会の金日成・金正日主義化」に朝鮮労働党は失敗したのです。すでに北朝鮮国内で、韓国のドラマが収録されているCDやUSBが相当出回っています。

韓国のドラマや映画を観た人たちは徐々に、自らが行ってきた金父子礼賛の愚かさに気づき始めているでしょう。何度も海外出張を経験した張成澤はそうだったのでしょう。

金正恩はこれを様々な経路で知っているはずですから、内心では相当ストレスが蓄積しているに違いない。金正恩や妹の金予正も韓国のドラマや映画をかなり観ていることでしょう。

外務省や拉致対策本部は北朝鮮の実情をどのようにして把握しているのか



外務省や拉致対策本部の皆さんは、このような北朝鮮の実情をどの程度把握しているのでしょうか。脱北者からの聞き取り調査を外務省や拉致対策本部はどのくらいやっているのでしょうか?

直接の聞き取り調査も大事ですが、韓国の報道番組や対談番組に出てくる脱北者の話も貴重です。それらには誤った情報もあるでしょうから、とにかくたくさん聴取せねばなりません。

脱北者の若い女性が出てくる「今、会いに行きましょう」という番組も貴重な情報をもたらしてくれます。私はこれをyou tubeでいくつか観ました。この番組、今はどうなっているのでしょうか。

平壌に住んでいた方の間では、金正男が発砲事件を起こしたことが広まっていたのですね。その後金正男が亡命したなどという噂も広まっていたそうです。「今、会いに行きましょう」で私はこれがわかりました。

金日成や金正日の著作も貴重な資料です。金日成の昔の著作と今の違いを調べると、北朝鮮による宣伝の変化がわかります。

外務省や拉致対策本部にそういう調査をやっている方がいるのでしょうあ。

日本政府は藤本健二著「金正日の料理人」をドラマ、映画化すべきだ


日本政府も、例えば藤本健二氏の諸著作を原作にして「金正日と料理人」(仮題)というような連続ドラマを韓国語で作り、衛星放送で放映したらどうですか。

ドラマ製作には多少の時間がかかりますが、ドキュメンタリー番組ならすぐできます。政府がそうした海外衛星放送を直接やるためには、様々な法改正が必要かもしれません。

中国朝鮮族は勿論、外貨稼ぎに中国に来ている国家安全保衛部や朝鮮人民軍幹部の皆さんが必ず観ます。驚愕するはずです。

「苦難の行軍」の時期毎晩のように豪華絢爛たる食事と高級酒の一気飲みを金正日と朝鮮労働党大幹部がやっていたという番組を作って放映すればよい。

若い女性の踊り子が、酒の場で全裸で踊らされることもあったそうです。売春はなかったそうです。

そんな番組を観れば国家安全保衛部の人たちは住民を監視して政治犯収容所に送る「気概」をなくすでしょう。朝鮮人民軍は脱北者を捕まえるのが面倒になります。

脱北する朝鮮労働党幹部が増えるでしょう。そうなれば中国朝鮮族を通じて賄賂による被拉致日本人解放が現実味を帯びてくる。

 窮地に陥った国家安全保衛部大幹部はあらゆる経路で「こんなテレビ番組を放映するな」と必ず言ってきます。

そのとき日本は「放映をやめてほしいなら、横田めぐみ、有本恵子、増元るみ子を返せ」

「返さないなら、金正日の女性関係を暴くテレビ番組を製作して衛星放送で放映する。面白いドラマを作ります。番組の終わりに視聴者の皆さんへのプレゼントもありますよ」

と通告してやればよい。


国家安全保衛部大幹部に人生の選択を迫れ!銃殺か披拉致日本人解放か、あるいは...



国家安全保衛部大幹部に、①放送を続けられて結局銃殺②披拉致日本人解放による賄賂取得、金正恩に献上して生きのびる③脱北④これらが嫌なら金正恩の除去という選択を迫れば良いのです。

日本政府はまだ対北ラジオ放送や衛星放送での金日成・金正日批判をやっていないので、国家安全保衛部大幹部はまださほど追いつめられていません。

これをやれば国家安全保衛部大幹部は重大な人生の岐路に立たされます。張成澤処刑により、すでに国家安全保衛部大幹部は心中でこのくらいの計算をしているでしょう。

国家安全保衛部大幹部は武装して金正恩の周囲に侍ることができることを、日本の外務省や拉致問題対策本部の皆さんは御存知なのでしょうか。

外務省幹部には、国家安全保衛部を窮地に陥れるという発想は全くなく、ともに協力して困難な諸課題を解決し国交を樹立しようと本気で考えているかもしれません。

あらゆる手法で日本は、テロ国家北朝鮮と対決するべきです。テロリストとの「対話」とは思想攻撃なのです。
 

2014年6月1日日曜日

北朝鮮はなぜ日本に船の入港を認めろというのか―朝鮮総連関係者は金正恩に金と奢侈物資を船で運ぶ―

万景号で対南工作機関や国家安全保衛部朝鮮総連関係者に資金と物資獲得指令を出す


北朝鮮についてよく御存知ない方は、なぜ北朝鮮が船の入港を認めろというのか、よくわからないかもしれません。

万景峰号という北朝鮮の船は、北朝鮮にとって宝船です。この船で、朝鮮総連関係者は金正恩に金と物資を運ぶからです。

金と物資は、対南工作機関の朝鮮総連担当者に献上される場合もあれば国家安全保衛部に献上される場合もあります。

国家安全保衛部は、北朝鮮に帰国した在日韓国・朝鮮人の親族(帰国者と言います)を人質にして、在日韓国・朝鮮人を脅迫します。

「こいつは韓国のテレビ番組をCDで見るような死に値する罪を犯した。救いたければ3000万円よこせ」

表現は多少異なるでしょうが、結論はこういうものです。

対南工作機関担当者は、朝鮮商工人に「主体革命偉業」「民族の悲願としての統一への貢献」などを訴えて、朝鮮商工人の名誉欲をそそり資金を献上させます。

朝鮮商工人に勲章を授与し、北朝鮮訪問時に厚遇するのです。

現時点ではこの類の宣伝は朝鮮商工人にもあまり効果がなくなっているかもしれません。対南工作機関も、帰国者を使って朝鮮商工人を脅すかもしれません。

朝鮮商工人をあの手この手で脅かせば外貨を獲得できる


朝鮮商工人を様々な手法で脅せば、数千万円くらいは稼げると対南工作機関や国家安全保衛部は見込んでいるはずです。おだてて駄目なら、脅かすのが朝鮮労働党です。

彼らの手元には、裕福な朝鮮商工人とその親族の一覧表があるはずです。北朝鮮の幹部は、朝鮮総連のしかるべき幹部に裕福な朝鮮商工人の名前と現状を提出するよう、求めているでしょう。

こんなことを言うといかにも私が凶悪な人物のように思われてしまいますが、私は在日朝鮮人(元総連幹部)からこの類の話を何度も伺っています。

張明秀氏の「裏切られた楽土」(講談社)などはこの分野の代表的な文献です。

朝鮮総連側の人物は、朝鮮総連内ではさほど高い地位にいない場合もあります。在日本非公然組織の大幹部はそういうことが多いのです。

外貨をどうやって調達するかという具体的な打ち合わせを、朝鮮労働党幹部と在日本非公然組織の大幹部が万景峰号でやるのです。

北朝鮮に行ってやる場合もあるでしょうが、万景峰号でこれを恒常的にできれば、より多くの外貨を獲得できます。金正恩とその取り巻きに献上する奢侈品も獲得できます。

北朝鮮にとって万景峰号は宝船なのです。

以前の日本側との交渉担当責任者は柳敬(国家安全保衛部の大幹部)


小泉訪朝のとき、北朝鮮側の実務最高責任者だった国家安全保衛部幹部は柳敬(リュウ・ギョン)という名前であると韓国の新聞に出ていました。

この人物が処刑されたという記事が2年くらい前に出ました。処刑はもっと前でしょうから、金正日の生前だったかもしれません。家族は恐らく、政治犯収容所送りになったでしょう。

柳敬は、日朝平壌宣言で日本に大金を支払うと確約させたにもかかわらず、結局資金獲得に失敗したのです。

北朝鮮の論理からいえば、偉大なる将軍様の権威を傷つけたのですから処刑されて当然です。北朝鮮では政治犯に裁判はありません。

現在の国家安全保衛部担当者は、柳敬とその家族の末路を熟知しています。外貨獲得に失敗すれば・・・という脅迫に日夜悩まされているはずです。

北朝鮮は必ず、先に金と物資を持ってこいと要求するでしょう。安倍総理が飛行機で金と食糧を持ってこいというかもしれません。

人質の解放交渉の際は、いつでもこういう話になったはずです。こんなとき具体的にどうすれば良いのかという点ですが、警察幹部ならいろいろ知恵を出してくれるはずです。

外務省と警察の協力がどうしても必要です。くだらない要求をしてきたら、在日朝鮮人の再入国拒否だけでなく対北朝鮮ラジオ放送で金日成、金正日批判を徹底的にやるべきです。

そうなったら、国家安全保衛部の担当者が責任を取らされることに留意していただきたい。