2017年12月30日土曜日

共産主義者と「祖国擁護」について―レーニン「プロレタリア革命と背教者カウツキー」(全集第28巻、大月書店刊行)より思う

「『祖国擁護』をみとめることは、プロレタリアートの見地からすれば、現在の戦争を弁護し、この戦争の正当性をみとめることである。

ところで、現在敵対する軍隊がどこにいるか、自国にいるか、それとも他国にいるかにかかわりなく、戦争は依然として帝国主義戦争であるから、祖国擁護の承認は、実際には帝国主義的・強盗的ブルジョアジーを支持することであり、社会主義を完全に裏切ることである」(全集第28巻、p300より抜粋)。


金正恩と朝鮮労働党の核ミサイル攻撃に対し、どうやって日本国家と日本人を守るべきか。

朝鮮労働党は繰り返し、日本への核攻撃を明言しています。朝鮮労働党の蛮行の歴史を考慮すれば、これは根拠のない脅かしではない。

この問題については政治家はもちろん、知識人、社会運動家、日本国民なら真剣に議論し、見解を表明すべきことでしょう。

私見では、日米軍事同盟の抜本的強化と巡航ミサイルの大量保有がどうしても必要です。

日本攻撃への徹底的な反撃力の存在を、金正恩と朝鮮労働党に誇示すれば、金正恩は朝鮮人民軍に指令を出しにくくなる。

共産主義者は朝鮮労働党の核ミサイル攻撃に対し、ミサイル防衛網を発動することに反対する


志位和夫氏ら日本共産党議員と支援者の皆さんは、安倍総理に金正恩、朝鮮労働党と対話をせよというだけです。

核ミサイル攻撃が現実のものとなった場合、安倍総理がミサイル防衛網と日米安保を全面発動して金正恩に反撃することには、日本共産党は断固反対らしい。

これでは、日本共産党は日本人は朝鮮労働党の核ミサイルにより溶けてしまえ!と主張しているといわれても仕方ない。

共産主義者が信奉するレーニンの「祖国擁護=社会主義への裏切り」論


志位和夫氏ら日本共産党員に限らず、左翼知識人や運動家は、朝鮮労働党の核ミサイル攻撃にどう対処、反撃するのかという議論と思考を嫌がる。

これは共産主義者と左翼知識人、左翼運動家が、上に記したレーニンの「祖国擁護=社会主義への裏切り」論を信奉しているからだと考えると、わかりやすい。

共産主義者にとって、米国は帝国主義、日本は国家独占資本主義です。従って日米政府が行う戦争は全て、帝国主義戦争です。

金正恩の核ミサイル攻撃に対し、ミサイル防衛網と日米安保を全面発動して反撃することは、帝国主義戦争を開始することに他ならない。

北朝鮮は途上国です。北朝鮮には金融資本がないので、海外侵略を行う経済的基盤がない、という結論がマルクス主義経済学なら導かれる。

レーニンの論文「プロレタリア革命と背教者カウツキー」は良い論文です。戦争と革命の際に共産主義者がとるべき態度が、明白に示されています。

レーニンは敵軍が自分の国土に侵入してくる場合でも、祖国を守るべきでないと断言した


この論文でレーニンは、さらに次のように述べ、「祖国擁護論」を唱えたカウツキーらを徹底批判しています。

「ドイツのカウツキー派、フランスのロンゲ派、イタリアのトゥラティ派はこう論じている。社会主義は民族の平等と自由、民族の自決を前提とする。

だから、自分の国が攻撃される場合や、敵軍が自分の国土に侵入してくる場合には、社会主義者は祖国を守る権利と義務がある、と。

しかしこの議論は、理論的には、社会主義をまったくばかにすることであるか、ペテン師的な逃げ口上であり、実践的=政治的には、戦争の社会的・階級的性格についても反動的な戦争の時期の革命的政党の任務についても考えることさえできない、全く無知な百姓の議論と一致している」。

ロシア農民の素朴な愛国心の方が、共産主義者の奇怪な理屈よりどれだけましだったろうと思うのは私だけでしょうか。

志位和夫氏ら日本共産党員が、中国共産党、朝鮮労働党の日本侵攻策動に対し具体的な反撃策を一切議論しないのは、レーニンの理論を信奉しているからです。。

日本共産党員がレーニン主義者であるならば、祖国擁護に断固反対せねばなりませんから。




2017年12月28日木曜日

レーニン「プロレタリア革命と背教者カウツキー」(1918年10月―11月執筆。全集第28巻掲載、大月書店刊)より思う。

「印刷所と紙がブルジョアジーから没収されているから、出版の自由は偽善ではなくなっている。りっぱな建物、宮殿、邸宅、地主の家についても同様である。ソヴェト権力は、こういうりっぱな建物を何千となく搾取者から一挙にとりあげた」(全集第28巻、p262より抜粋)。


日本共産党元参議院議員の聴濤弘氏は近著で、十月革命は地主の土地の没収や8時間労働制・全般的社会保障の導入などを実現する「ブルジョア民主主義革命」だったと主張しています(「ロシア十月革命とはなんだったか」本の泉社、p76)。

民主主義革命ならば、当時のロシアには民主主義が確立していたのでしょうか。

民主主義の大前提である、人々の生存権はどうだったのでしょうか。

当時のロシアは、経済が破たんしており相当数の人々が失業し、飢餓状態でした。

革命期のロシアについては、長谷川巌「ロシア革命下ペトログラードの市民生活」(中公新書)が詳しい。

ペトログラードでは革命期に社会秩序が崩壊し、犯罪が蔓延していきました。生存権の確立とは程遠い。

1918年には内戦が激化します。

8時間労働制や社会保障制度など言葉だけで、実体は何もない。ロシアの現実と無縁の宣伝に過ぎない。

そもそも社会保障制度があれば、飢餓状態になるはずがない。

失業者は働き場がないから8時間も労働できない。

衛生状態が悪化し、赤痢やコレラが流行し、暴力事件が頻発しているのが当時のロシアだったのです。

土地や住んでいた邸宅を没収された地主、貴族はその後、どうなったのでしょうか。

放浪して餓死した方は少なくなかった。

聴濤弘氏はそもそも、レーニンの「プロレタリア民主主義論」を御存知ないとしか思えません。

ボリシェヴィキはブルジョアジーと地主の邸宅を一挙に没収した


レーニンはプロレタリア民主主義について、論文「プロレタリア革命と背教者カウツキー」で詳述しています。

上記によれば、レーニンはブルジョアジーとレッテル貼りをした人たちに紙を印刷所の使用権を剥奪しました。

ブルジョアジーと地主の邸宅を何千となく一挙に没収したのです。これは私有財産制を保障するブルジョア民主主義ではありえない。

レーニンはプロレタリア民主主義の立場から、搾取者を暴力的に抑圧することを正当化しました。以下です。

「ロシアでは、官僚機関は全く破壊され、一物も残さず破壊しつくされ、旧裁判官は全部追放され、ブルジョア議会は解散された。

そしてとくに労働者と農民とにはるかに近づきやすい代議制度が与えられ、官吏は彼らのソヴェトと取り換えられるか、彼らのソヴェトが官吏のうえにすえられ、彼らのソヴェトは裁判官の選挙人とされた」(全集第28巻、p263-264より)。

レーニンはこのように認識していたのでしょうが、官僚機関が完全に破壊されたとは考えにくいですね。うまく身を処して生きのびた役人もいたはずです。

現実がこの記述どおりなら、1918年頃のソ連の裁判所はソヴェトを通じてボリシェヴィキの完全な支配下にあった事になります。

ともあれ、レーニンのプロレタリア民主主義論では、裁判所はソヴェトに従属すべき組織です。

レーニン「階級としての搾取者を暴力的に抑圧せよ」


さらにレーニンは次のように断言しています。

「独裁の欠くことのできない標識、独裁の必須の条件は、階級としての搾取者を暴力的に抑圧することであり、したがって、この階級に対して「純粋民主主義」を、すなわち平等と自由を破壊することである」(全集第28巻、p271)。

階級としての搾取者、すなわち地主、貴族、富農やロシア正教会関係者を暴力的に抑圧する事が、プロレタリア民主主義であるとレーニンは考えていたのです。

レーニンとボリシェヴィキの暴力を強く批判したカウツキーの理論は、「純粋民主主義」であるからマルクス主義と無縁である旨、レーニンはこの論文で繰り返し述べています。

住居が邸宅であれ、突然暴力的に没収されたら怒らない人がいるでしょうか。

住居から追放されたら、寝泊まりする場所がなくなってしまいます。酷寒のロシアで、長く生きられるはずもない。

地主や貴族、富農がボリシェヴィキに抵抗するのは、自らが生きのびるためだったのです。

レーニンのプロレタリア民主主義論は、愛弟子スターリンに継承されました。

ソ連はスターリンにより変質させられた、などと志位和夫氏らは宣伝しています。

レーニンの「プロレタリア革命と背教者カウツキー」や、富農撲滅を唱える諸論文を志位和夫氏、聴濤弘氏らは一体どのように読んでいるのでしょうか。

レーニン全集を真面目に読めば、レーニンの教えをスターリンが忠実に実行したから、多くのボリシェヴイキ幹部に支持されたのだと考えるべきです。









2017年11月26日日曜日

レーニンの時代の大飢饉とロシア正教会弾圧指令について思う。H. カレール=ダンコース「レーニンとは何だったか」(石崎晴巳・東松秀雄訳。藤原書店刊)より。

「飢饉がロシアに襲いかかったのだ。旱魃ですべてを説明するのは無理な話だった・強制徴発を初めとする農村部で実行された暴力行為が、農村の社会組織を破壊し、農民たちを餓えさせ、その生産能力を打ち砕いたのである」(同書p560より抜粋)。


ロシア革命とは何だったのでしょうか。この問題に、日本共産党員と左翼人士はもっと関心を持るべきです。

仏のソ連史学者ダンコースによれば、1921年7月頃飢饉はヴォルガ川中・下流地域の一部、カフカス北部とウクライナの一部で顕著でした。

死者が500万人、家族を失い放浪と犯罪に身を任せた孤児が数百万人とのことです。

レーニンによる富農弾圧指令について、本ブログは何度か指摘してきました。相当数の地主、富農が財産を没収されたと考えられます。

ロシア正教会のチーホン総主教はボリシェヴィキに抗議した


この時期に、相当数の餓死者が出ていたことは、レーニンがモロトフに出した教会の財産没収指令にも記載されています(1922年3月19日)。

この指令はソ連共産党により長年秘匿されていました。

日本語に翻訳されている「レーニン全集」には掲載されていません。ダンコースの前掲書にこの指令が掲載されています(p565)。次です。

「飢えた地域で人々が人肉で飢えをしのぎ、数百ないし数千に及ぶ死体が路上で腐敗して行く今この時においてのみ、われわれは最も粗暴にして最も情け容赦ない活動をもって、教会の宝物の没収を実現することができる」。

1918年頃から、レーニンとボリシェヴィキはロシア正教会を徹底弾圧してきました。

ロシア正教会のチーホン総主教がソヴィエト政府に宛てて発したメッセージが残っています。

これは廣岡正久「ロシア正教の千年 聖と俗のはざまで」(日本放送協会刊。p144-146)に掲載されています。

チーホン総主教によれば、何の罪もない主教、司祭、修道士そして尼僧たちが、反革命などという大雑把で曖昧な罪名で射殺されています。

不破哲三氏、聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)はなぜレーニンによる凄惨な弾圧指令を直視しないのか


レーニンとロシア革命について、不破哲三氏は数々の著作を出していますが、レーニンによるロシア正教会弾圧指令について不破氏は何も述べていません。

日本共産党元参議院議員の聴濤弘氏は、ソ連問題の研究家として知られています。

聴濤氏がレーニンの時代の飢饉と、富農弾圧指令、ロシア正教会弾圧について一切知らないとは考えにくい。

聴濤弘氏の近著「ロシア十月革命とは何だったのか」(本の泉社刊)にも、これらについての言及はありません。

ロシア語の本をいくらでも読み込める聴濤氏なら、これらについて詳述した近年のロシア人歴史学者による本を知っているはずです。

不破哲三氏がこれらの史実を無視しているのに、日本共産党の元国会議員が自分なりの見解を出すと厄介な事になりかねない、という判断があるのでしょうか。

500万人の餓死者という数値は、誰しもにわかに信じがたい。ともあれ、相当数の餓死者が出たことは間違いない。

全ての史実を網羅して歴史を語る事はできません。

しかし大量餓死とロシア正教会の徹底弾圧がロシアの社会経済に与えた影響を無視してロシア史を語るのはあまりにも近視眼的です。







2017年10月7日土曜日

Paul M. Sweezy「現代資本主義」(畠山次郎訳、昭和49年岩波書店刊。現代はModern Capitalism and Other Essays)の第三世界論より思う

「第三世界の搾取される大衆がしだいに革命的勢力に変化し、(中国とベトナムが証明したように)技術的にもっとも発達した資本主義国家に挑戦して敗北させることもできるようになっている。」(同書はしがきより抜粋)。


この文章は、発達した資本主義国での革命が実現しなかったのはなぜか、という問いに対するSweezyの答えです。

Sweezyは発達した資本主義国の労働者は非プロレタリア化、労働貴族化したと考えました。

しかし第三世界、途上国は中国とベトナムのように、発達した資本主義国、帝国主義と対決し敗北させることができるようになっていると考えました。

Sweezyがこの文章を書いた昭和47年4月には、ベトナム戦争はまだ終わっていません。

米帝国主義と正面から対決するベトナムと、支援する中国共産党は素晴らしい、という発想です。

ベトナムに米国は凄まじい攻撃をしました。戦争を担った米国軍人たちには、深い心の傷を残しました。

Sweezyはこの時点でソ連には失望し始めていたと考えられます。そこで中国とベトナムに思いを託していたのでしょう。

しかし、Sweezyほどの学者でも、中国やベトナムの体制の実証分析をせねばならない、という発想はできなかったようです。

帝国主義とたたかう第三世界―小田実氏の世界観はSweezyの現代資本主義論と近い


帝国主義と闘う第三世界、という発想で世界を把握していた左翼知識人は日本にも少なくない。

ベトナム戦争の印象が強烈だったのでしょう。

小田実氏はその一人でした。小田氏なら、Sweezyの著作を読んでいたかもしれません。

小田氏は北朝鮮を米帝国主義とたたかう第三世界の代表と把握していました。

小田氏の著書「私と朝鮮」(筑摩書房昭和52年刊行)はその立場から朝鮮半島を把握しています。

小田氏によれば韓国の民主化運動は、米帝国主義のアジア戦略に従って南北分断を固定化し、利権をむさぼっている支配者に挑む闘争です。

Sweezyと小田実氏の世界観はかなり近いように思えます。

「団塊の世代」にはSweezy、小田実の「第三世界」論信奉者が多い


小田氏より少し年下の「団塊の世代」とは、概ね昭和21年から23年生まれくらいの方々でしょうか。

この前後の年代の方々には、左翼人士がかなり多い。

この世代には、1960年代から70年代に華やかだった学生運動、社会運動を経験している方が多いのでしょう。

当時の学生運動参加者でSweezyの文献や論文を、懸命に読んだ方はいくらでもいたでしょう。

学部卒業後、大学院で研究活動に入り教職についた方には、今でもSweezy、小田実のような見方で世界を把握している方が少なくない。

学部卒業後、企業戦士として働いていた方々は殆ど、定年を迎えています。

そういう方は、北朝鮮を「米帝国主義と闘う第三世界の旗頭」のようなイメージでとらえてしまいます。

北朝鮮の核兵器保有は、自国を守るためのやむを得ない措置と見てしまう。

第三世界が国家独占資本主義である日本や韓国に核ミサイル攻撃、生物化学兵器テロを策しているなど、想像もできないのです。

左翼人士、マルクス経済学者はなぜ中国、北朝鮮の分析をしないのか


金日成の「南朝鮮革命理論」や、金正日の「社会的政治的生命体論」、「党の唯一思想体系確立の十大原則」が北朝鮮の政治、経済、社会にどんな影響を及ぼしてきたのか。

これを考えようという左翼人士は稀有です。

青年期以来信奉している「たたかう第三世界」論が脳裏に焼き付いてしまっているようです。

Sweezyは、ソ連についての分析をかなりやっていたようです。晩年の著作では、ソ連は社会主義国ではなく、「革命後の社会」であると主張しています。

Sweezyを尊敬しているなら、中国や北朝鮮の分析をやっていただきたいものです。

中国と北朝鮮の庶民は中国共産党、労働党幹部に搾取されている―北朝鮮には「宮廷経済部門」


中国をマルクス経済学の手法で分析したら、国家独占資本主義だという結論が出るはずです。

日本のマルクス経済学の中では、宇野弘蔵氏の流れをくむ「宇野派」の方々には「現状分析」を重視するという発想があるはずです。

北朝鮮の経済統計は殆ど信頼できませんが、脱北者との面会や、朝鮮労働党の公表、非公表文献などで内部事情をある程度把握できます。

脱北者金光進氏の「宮廷経済論」など、興味深い分析もあります。

金正日一族の奢侈生活と核軍拡を支える宮廷経済部門があると金光進氏は主張しています。稼いだ外貨はこの部門に主に吸収されます。

マルクス経済学の手法で考えれば、中国と北朝鮮の庶民は過酷な搾取をされていると結論づけるべきではないでしょうか。

Sweezyならそう結論づけるように思えてなりません。小田実氏が北朝鮮庶民の苦しい生活を直視で北かどうか、疑問ですが。

人は言葉で世界を把握し、物語を心中に作ります。心中の物語は、あらすじを疑わせるような強烈な経験をしないと消えない。

左翼知識人は北朝鮮を「たたかう第三世界」と把握し続けるのでしょうね。

核ミサイル攻撃を受けても変わらないのかもしれません。

2017年9月12日火曜日

レーニン「プロレタリア革命の軍事綱領」より思う。内乱を否認することは日和見主義、社会主義革命の断念である。(全集第23巻。1916年9月にドイツで執筆)

「我々はつぎのように言う。ブルジョアジーにうち勝ち、彼らを収奪し、武装解除するためのプロレタリアートの武装、と。これこそ、革命的階級のただ一つ取りうる戦術であり、資本主義的軍国主義の客観的発展全体が準備し、基礎づけ、おしえている戦術である。」(全集23巻、p84より抜粋)


この論文は、ロシア革命より前に執筆されました。レーニンの戦争と平和、内戦と革命に関する考え方が良く出ています。上記はどう読んでも、暴力革命路線です。

レーニンによれば、オランダ、スカンディナヴイアやスイスの社会民主主義者から「民兵、または人民の武装」という社会民主主義者の旧来の条項を、「軍備撤廃」に置きかえるべきだという声があがりました。

軍備撤廃要求こそ、あらゆる軍国主義者とあらゆる戦争に反対する闘争をもっとも徹底的に表現したものだという議論に、レーニンは大略次のように反論しています。

労働者階級の武装こそ、革命的階級のとりうるただ一つの戦術である


第一に、社会主義者は革命戦争、民族戦争には反対しない。

第二に、内乱もまた戦争である。内乱は、あらゆる階級社会で、階級闘争の自然な、不可避的な継続、発展、進化である。

内乱を否認することは、極端な日和見主義であり、社会主義革命を断念することである。

レーニンによれば、プロレタリアートに対抗するブルジョアジーの武装は、今日の資本主義社会における最大の、根本的で重要な事実の一つです。

この事実を目の当たりにしながら、軍備撤廃の要求を掲げるべきだと主張する人は、階級闘争の立場を完全に放棄し、革命の思想を一切放棄しています。

プロレタリア婦人は息子たちに軍事知識の習得をすすめるべきである


そこでレーニンは、労働者階級が武装することこと、革命的階級のただ一つとりうる戦術であると断言しました。

レーニンは、軍事化が公共生活全体に浸透しつつあるこの時期、プロレタリア婦人は息子たちに次のように言うべきであると述べています。

「おまえはまもなく大人になって、銃を与えられるでしょう。銃をとって軍事知識をすっかり、しっかりとまなびとりなさい。この知識はプロレタリアにとって必要なものです」。

ブルジョアジーに勝つために「人民の武装」が必要であるとレーニンは考えていたのです。

革命とは武装蜂起なのですから、革命家には豊富な軍事知識が必要でしょう。

レーニンはこの論文でも、帝国主義的ブルジョアジーに対する内乱は、ただ一つの革命的戦争であると明言しています(全集第23巻、p85)。

レーニンは「革命的祖国敗北主義」を唱えた


さらにレーニンは、帝国主義大国にいる労働者階級がとるべき戦術について次のように述べています。

英仏独オーストリア、ロシア、イタリア、日本など帝国主義大国のブルジョアジーは完全に反動化しており、世界支配の渇望に取りつかれているので、彼らの行う戦争はすべて反動である。

プロレタリアートは、ブルジョアジーが行う戦争に反対するだけでなく、戦争を阻止するための革命的蜂起に成功しない場合、自国政府の敗北を望み、その敗北を革命的蜂起のために利用せねばならない。

革命的祖国敗北主義です。自国が戦争で敗北すれば、自国の政府は弱体化する。

そのとき、革命的武装蜂起で権力を掌握すべきという事です。帝国主義戦争を内乱に転化せよ、はレーニンの革命理論を端的に表しています。

レーニン主義と左翼の「平和運動」―帝国主義大国こそ戦争勢力


現在の日本共産党も高く評価している「32年テーゼ」(日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ)には、行動スローガンの第一に「帝国主義戦争反対。帝国主義戦争の内乱への転化」を掲げています。

当時の世界共産党(コミンテルン)は、日本共産党員に内乱を起こさせて労働者農民ソビエト政府を樹立させようと策していました。

労働者農民ソビエト政府とやらが実際に樹立できなくても、日本がソ連と戦争をするようになったときに内乱をおこさせれば、後方かく乱になります。

宮本顕治氏は論考「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」(「前衛」1950年5月掲載)で日本革命の平和的発展の可能性と、議会を通じての政権獲得の理論を完全な誤りと断じました。

宮本顕治氏は、レーニンの革命理論に依拠して、武装闘争を理論的に正当化しました。

この論文を、吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い日本共産党員の皆さんは御存知ないようです。

私見では、日本の左翼の「平和運動」はレーニン主義の影響を強く受けています。

現在、朝鮮労働党が「朝鮮中央通信」で、日本に対して繰り返し核攻撃を示唆しています。

これを日本の左翼は、全くと言っていいほど批判できない。せいぜい、米国と北朝鮮どっちもどっち論です。米国が行う戦争に日本が巻き込まれる、という話です。

米国が日本への核攻撃を策しているはずがないことはあまりにも明白です。

レーニンの「帝国主義論」や、「革命的祖国敗北主義」に影響されている左翼人士、志位和夫氏ら日本共産党員は、北朝鮮が日本の平和と民主主義を脅かしていることを認められない。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんも、金正恩の核攻撃により日本人と一緒に灰になってしまいうることが理解できていないようです。

日本には三菱東京や三井住友など、メガバンク、金融資本がありますから日本は戦争国家です。この図式が、頭の中に焼き付けられて離れない左翼人士があまりにも多い。

マルクス主義経済学、「帝国主義論」では北朝鮮は戦争を起こさない―途上国は帝国主義に侵略される―


左翼人士や志位和夫氏にとって、金正恩と朝鮮労働党より、「帝国主義大国のブルジョアジー」の代理人である安倍政権こそ、真の戦争勢力です。

北朝鮮は途上国ですから、金融資本がありません。左翼人士にとって、金融資本、帝国主義がが戦争を起こすのです。

マルクス主義経済学では、北朝鮮は米国と安倍政権により侵略される側なのです。

北朝鮮は数万人の労働者をいろいろな企業に所属させ、ロシアや中国、中東の建設事業や林業などで現地企業と契約して働かせています。

労働者たちは、1日16時間程度働かされ、一か月に一日くらいしか休めないそうです。本来受け取るべき賃金の70%くらいを現地の管理者、労働党幹部に取られてしまいます。

残りの30%を自分の食費と家族への送金、さらに現地の労働党幹部への賄賂に使うそうです。

北朝鮮の労働者が朝鮮労働党により搾取されていないのなら、日本のいかなる労働者も搾取されていないとしか私には思えません。

北朝鮮の海外派遣労働者は、北朝鮮の企業に所属しつつロシアや中国、中東の建設現場で重労働をしています。北朝鮮の企業は、外国に進出しているのですから「多国籍企業」のはずです。

マルクス主義経済学では「多国籍企業」の分析が盛んですが、北朝鮮企業の多国籍企業化はなぜ分析されないのでしょうか。

左翼人士は、米日、米韓と北朝鮮が対決することになった場合、北朝鮮が勝利することを望んでいるのかもしれません。革命的祖国敗北主義者ですから。








2017年8月17日木曜日

石堂清倫・佐藤昇編「構造改革とはどういうものか」(昭和36年青木新書)より思う。

「もともと構造改革とは独占資本主義体制の根本的変革をめざし、独占の支配をほりくずしつつ、革命を日程に上しうる条件をつくりあげてゆこうとするものであって、いわば資本主義の枠を突破して社会主義をうちたてることを本来の目標としているからである」(同書p13より抜粋)。


日本共産党の現在の綱領は、昭和36年7月の第八回大会当時、春日庄次郎氏らが唱えた「構造改革」論に似ています。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い日本共産党員は「構造改革論」と言っても何のことだか御存知ないかも知れません。

上記は、構造改革論の提唱者だった佐藤昇氏の主張です。

この部分だけ読んでも、今の日本共産党の綱領や不破哲三氏の「私たちの日本改革」に似ていませんか?

志位和夫氏なら、「構造改革論」と現在の綱領が類似していることを十分認識しているでしょう。

宮本顕治氏は第八回大会で「構造改革」論を徹底批判した―社会民主主義への完全な転落


宮本顕治氏は第八回大会の「綱領(草案)についての報告」で春日庄次郎氏を徹底批判しています(第八回大会特集p136-140)。

宮本顕治氏によれば、春日庄次郎氏は革命の平和的移行唯一論を主張しているので、社会民主主義的見地に完全に転落しています。

宮本顕治氏によれば、人民の側の意向だけでこの問題を決定することはできません。

これが階級闘争の弁証法だそうです。いわゆる「敵の出方論」です。

宮本顕治氏は春日庄次郎氏の論文だけでなく、石堂・佐藤両氏のこの本を読んでこのように党大会で報告しています。

石堂・佐藤氏の「構造改革とはどういうものか」には、「敵の出方論」という話はありませんから、平和的移行唯一論です。

今の日本共産党も平和的移行唯一論ではないでしょうか?

吉良よし子議員、池内さおり議員らが日本革命の行く末は最終的には「敵の出方」によるとみて、武装闘争を一つの選択肢にしているとは思えません。

宮本顕治氏によれば、現在の日本共産党は階級闘争の弁証法を知らず、社会民主主義に完全に転落していることになります。

昔の日本共産党員は、「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と定めた「32年テーゼ」を信奉していました。

「敵の出方論」はレーニンの「帝国主義論」と革命理論に依拠しています。共産主義者なら、当然の結論です。

「構造改革論」の国家論-国家を動かす国家意思には、他の諸階級、諸階層の意思も反映される


「構造改革論」の資本主義国家に対するとらえ方も、今の日本共産党の国家観と似ています。

佐藤昇氏によれば、国家機関を動かすのは国家意思です(同書p21-22)。

この国家意思は基本的に支配階級の意思が反映されるが、他の諸階級、諸階層の意思も反映されます。

支配階級も純粋に彼らの意思通りに国家を動かせません。

そこで勤労者が国家に働きかけ、その反動的機能を抑制したり、それを多少とも進歩的・民主的方向に動かすことができる。

これは今の日本共産党の綱領路線と同じ発想ではないでしょうか?

「野党と市民の共闘」を目指すのなら、「構造改革論」を見直すべきだが...


昭和36年当時、社会党が「構造改革」の方針を提唱していました(同書のまえがきより)。

現在の日本共産党は、「野党と市民の共闘」を提唱しています。

日本共産党を支持するマルクス主義経済学者、政治学者の皆さんなら、「構造改革論」と現在の日本共産党の路線がよく似ていることがすぐにわかるはずです。

「歴史にもしも」は禁物ですが、昭和36年の第八回大会当時、日本共産党が「構造改革論」の綱領を制定していたら社会党と連立政権を作っていたかもしれません。

マルクス主義経済学者、政治学者が「野党と市民の共闘」を本気で目指すのなら、「構造改革論」を再評価する研究をすべきでしょう。

そういう研究者は皆無なのかもしれません。良かれあしかれ、マルクス主義経済学者、政治学者は活力を失っている。

日本革命などないと本音では思っているマルクス主義経済学者、政治学者が多いのでしょう。

左翼勢力は共産主義国の侵略性を認識できない


社会党と共産党の連立政権ができたら、日米安保が破棄され自衛隊は徹底的に弱体化させられていたでしょう。

その場合、ソ連軍の北海道侵攻や、中国軍の尖閣と台湾侵攻、あるいは沖縄侵攻がありえたでしょう。

金日成は再び、「米帝国主義の傀儡」である韓国の「解放」戦争を断行した可能性が十分にある。日米安保が破棄されたら、米軍はひとまず朝鮮半島から撤退したかもしれない。

「構造改革論」者、伝統的なマルクス・レーニン主義者、市民派。左翼の潮流はいろいろありますが、共通点は共産主義国の侵略性を認識できない事です。

平和を脅かしているのは米帝国主義と日本の独占資本だ、彼らが戦争勢力だという発想は左翼の共通点です。

これはレーニンの「帝国主義論」の影響です。

今の左翼も、北朝鮮が先制核攻撃や、工作員が生物化学兵器テロ、離島占領や日本漁船銃撃を断行する可能性について思考と議論をできません。

中国が尖閣諸島に武装漁民を送り占領する可能性についても、左翼は想像すらできない。

左翼知識人、運動家として生きていくのは楽です。

周辺諸国の軍事情勢や戦略について一切思考と議論をせず、ただ安倍政権を批判していれば良い。

現代資本主義の産みだす矛盾とは―「自分には関係ない」


左翼でなくても、周辺諸国の軍事情勢と自分の生活が全く関係ないと思い込んでいる知識人は実に多い。

自分には関係ないと思えることは一切関わりを持たない。そんな人があまりにも多い。

これが現代資本主義の産みだす大きな矛盾と思えてなりません。

現代資本主義の最重要問題は、搾取や格差ではなく、大量消費と広告が人格に大きな影響を及ぼし、社会を荒廃させることではないでしょうか。

ダニエル・ベルの「資本主義の文化的矛盾」を思い出しました。





2017年8月5日土曜日

スウィージー著「革命後の社会」(Paul M. Sweezy、昭和55年TBSブリタニカ刊行。伊藤誠訳)より思う。

「実際のところ階級社会のすべての矛盾のうち、もっとも根本的なものは、富の真の生産者が、何をいかにして生産し、それをどんな用途にあてるかということについて、ほとんどまったく管理権を剥奪されていることであるが、その根本的矛盾がなお存続し、ある意味では深刻化しているのである。」(同書p238より抜粋)。


Paul M. Sweezyはソ連をこのように把握していたのです。「富の真の生産者」とは労働者の事でしょう。

労働者が生産に関する管理権を剥奪されている事は根本的矛盾である、という主張です。

今年はロシア革命100周年です。ソ連は崩壊しましたが、ソ連社会主義とは一体何だったのでしょうか?

この問題は、共産主義理論と運動をどのように考えるかという問題であり、社会科学の大問題です。

現代日本は、中国共産党と朝鮮労働党という共産主義運動の流れに属する集団により侵略、支配される危険に直面しています。

金正恩は繰り返し、「朝鮮中央通信」で日本への核攻撃の可能性を示唆しています。北朝鮮の連続核攻撃を受けたら、日本社会は存続できるでしょうか。

日本の社会科学者、知識人が自由な言論活動を続けたいと願うのなら、中国共産党と朝鮮労働党の源流ともいうべきソ連をどう把握するかという研究と議論をもっとすべきでしょう。

Sweezyはユーゴ型の「労働者管理社会主義」を想定していた?


この本の著者Paul M. Sweezyは、米国でマルクス主義の立場から研究と評論活動に長年従事した学者でした。

この本の第十章は、昭和54年10月に東京大学経済学部で話したことに基づくものだとSweezyは序章で述べています(p19)。

上記を普通に読めば、「社会主義は労働者管理経済である」という結論になるとしか私には思えません。ユーゴスラヴィア社会主義です。

Sweezyなら、労働者管理企業(Labor Managed Firm、LMEと言われる)に関する経済学の諸論文、例えば青木昌彦教授のそれを知っていたのではないでしょうか?

SweezyがLMEやユーゴスラヴィア社会主義をどう考えていたのかは不明です。

私見では、労働者管理企業は中小零細企業として資本主義経済で存在しえます。規模が大きくなれば株式会社となり、普通の資本主義企業と大差ない。

青木昌彦教授は、労働者管理企業の理論を、終身雇用制と企業内組合、年功序列賃金を特徴とする日本企業を想定して考案したと考えられます。

Sweezyがユーゴ社会主義や日本をどう考えていたか、興味深いですが、それは別の文献によるしかありません。以下、本書第十章のSweezyの議論を紹介します。

Sweezyの資本主義論―三つの特徴のうち、ソ連は2つを欠いている


Sweezyによれば、資本主義の経済的基礎の特徴は次の3つです(同書p224)。

(その1)私的資本家による生産手段の私有

(その2)多数の競争的あるいは潜在的に競争的な単位への全社会資本の分散。

(その3)生産手段を所有せず、生活手段を得るために資本家に労働力を売らざるを得ない労働者による財とサービスの生産。

Sweezyによれば、ソ連ではこの三つの特徴のうち、(その1)(その2)が当てはまりません。大部分の生産手段が国家によって所有され、各経済単位は相互に競争をしていない。

(その3)はソ連でも保持されていますが、ソ連の労働者は極端な事情がなければ管理者により解雇されることがありません。

就業保障(tenure)がある点にSweezyは着目しています。

特権層と第二経済-闇経済では企業家精神が育まれている


Sweezyはソ連社会の特徴として、次の二点を指摘しています(同書p228)。

第一は、特権者集団にだけ開かれている特別な店があり、一般大衆が入手できない財をそこで買えることです。

第二は、特権者集団は住居、教育、保健のようなサービスも一般大衆とは異なる水準で享受できることです。

第三に、「第二経済」、闇経済の存在です。例えば、個人用や家庭用の建築、修理作業、医師の内職での治療、非合法に生産ないしは盗品の売買などです。

Sweezyは第二経済が私的な企業精神に強力な刺激を与え、社会の全てのレベルにおける汚職の肥沃な土壌になっていると指摘しています(同書p229)。

第二経済の存在により企業家精神が育まれていると、Sweezyは考えたのでしょう。師のJ.A. SchumpeterをSweezyは思い出していたのでしょうか。

企業家精神が汚職、闇経済でも育まれるとは面白い。現代の中国や北朝鮮でも同様の事実があるはずです。中国では、共産党幹部の一族が闇経済で巨額の資産蓄積をしている。

Sweezyのソ連論「革命後の社会」とは―前資本主義社会に似ている


Sweezyによれば、ソビエト社会の管理的地位を占める諸個人の集団は、本質的に自己再生産的な支配階級として次第に形成されました。

新しい支配階級は、権力と特権を資本の所有、管理からではなく国家とその多様な抑圧機構の直接的管理から引き出しています。

「革命後の社会」は剰余生産物の利用が政治的闘争過程、政治過程の中心的焦点になっています。従って「革命後の社会」は前資本主義的諸社会に近い。

新しい支配階級は、労働者階級を非政治化し、労働者階級から自己組織と自己表現の全てを取り上げ、労働者階級を国家の道具にしました。

ソ連の労働者階級は、資本主義的能率刺激制度により駆り立てられることはありませんが、夢中で働くことに興味を失くしています。

労働生産性が向上していないということでしょう。「革命後の社会」は停滞期に入っているようだとSweezyは本書の最後で述べています。

マフィア資本主義は闇経済から育っていった


労働者から自由な思考と言論を奪ってしまえば、生産性が向上するはずもない。

しかしSweezyが本書で主張していたように、闇経済で企業家精神を保持するようになった人々はいたのです。

マフィアです。

ソ連、ロシアがマフィア資本主義化していくことまで、Sweezyが予見できたとは思えませんが、闇経済の重要性をソ連崩壊前から指摘していたのはさすがです。

ロシア革命後100年経過すると、ロシアはマフィア資本主義になっていた。

歴史の皮肉のように思えますが、ロシア革命を、内戦の時期も含めて考えればそうなってもおかしくない。

当時のロシアには暴力と犯罪が蔓延していました。

トロツキーの著作を読み込んでいたSweezyは、H. G. Wellsの「影の中のロシア」(Russia in the Shadows)を読んでいたのでしょうか。

この本を読んでいれば、レーニンの時代のソ連の惨状を推し量ることができたはずです。

「宇宙戦争」著者は、想像力だけでなく社会と人間の観察力も備えていたのです。

「新しい支配階級」は侵略戦争を断行しうるのでは―左翼知識人に問う


Sweezyはソ連が「革命後の社会」であり、新しい支配階級が労働者階級を抑圧していると考えたのですが、それならば新しい支配階級が侵略戦争を断行しうるとみるべきでしょう。

Sweezyはレーニンの「帝国主義論」をあまり評価していなかったように思えます。Sweezyが高く評価していた労働者の就業保証は無くなりました。

Sweezyの著作を若い頃読み影響を受けたマルクス経済学者や、左翼知識人に私はお尋ねしたい。

Sweezyの著作は、ベトナム戦争の頃の米国や日本でかなり読まれたはずです。欧州の左翼にも、Sweezyの著作を熱心に読んだ方は少なくないでしょう。

ベトナム戦争の頃、韓国は朴正熙政権でした。この時期に、韓国の知識人や左翼がSweezyの著作を読むのは困難だったでしょう。

80年代の韓国なら何とか読めたのではないでしょうか。

自国の労働者階級を抑圧している「新しい支配階級」は、さらなる抑圧対象と剰余生産物を求めて侵略戦争を断行しうると見るべきではないですか?









2017年7月19日水曜日

バラン・スウィージ―著、小原敬士訳「独占資本」(昭和42年岩波書店。原題はMonopoly Capital)第七章より思う

「軍国主義と征服はマルクス主義理論にとってまったく無縁のものである。そして、社会主義社会というものは、帝国主義諸国の大資本家のように、他の国や国民を隷属させる政策によって利益を売る階級や集団をふくんでいない」(同書p225-226より抜粋)。


バラン(Baran)とスウィージー(Sweezy)は、米国の代表的なマルクス主義経済学者でした。

昭和40年代から50年代にマルクス主義経済学を学んだ方なら、彼らの著書「独占資本」を思い出す方は少なくないはずです。

「団塊の世代」くらいで左翼運動に参加した方々にはベトナム戦争のイメージから、今でも米国を極悪国家、戦争国家と認識している方がいます。

上記は、レーニンの「帝国主義論」以来、マルクス主義経済学者が共有するテーゼともいうべきものです。

マルクス主義の影響を受けて、種々の社会運動に参加している「市民派」や左派ジャーナリストは、このテーゼに依拠し、社会運動と言論活動を行っています。

最近では、レーニン「帝国主義論」を真剣に読んでいる左翼人士は少なくなりました。

現実と大きくかい離したイメージに依拠して米国と日本や韓国、欧州諸国が戦争を起こす側であり、ロシア、中国と北朝鮮や途上国は基本的に平和国家だと信じているジャーナリストや運動家は少なくない。

人は、世界を言葉で把握し、世界の中での自分の位置と役割を見出し、自分も言葉を発してそれを確認します。

日米は戦争国家だ!平和憲法を守れ!という左翼の宣伝文句に慣れ、自分でも連呼するうちに脳裏に焼き付いてしまうと拭い去るのは難しいのでしょう。

このテーゼは、ソ連や中国、北朝鮮の歴史を少しでも調べて考えれば暴論、愚論でしかない。バランとスウィージーがなぜこんなテーゼを信じたのか不可解です。

この本が米国で出版された昭和41年頃では、旧ソ連や中国の数々の侵略行為や、大量餓死の史実が米国、日本ではあまり知られていなかった。

この本を今日評価するなら、それも考慮せねばならないでしょう。

バラン、スウィージーの戦争論はカウツキーの「超帝国主義論」に近い


1929年の世界恐慌の時期、計画経済で運営されているソ連は着実に経済成長を達成したと信じている学者は少なくなかった

バランとスウィージーは、レーニン「帝国主義論」のように「金融資本」という概念を使っていません。

戦争についての二人の立場は、レーニンが徹底批判したカウツキーのそれに近いと考えられます。

レーニンによれば、カウツキーは帝国主義の政策をその経済から切り離し、併合を金融資本の「好んで用いる」政策であると説明しました。

バラン、スウィージーによれば、米国が第二次大戦以後急速に軍事力を拡大させたのは、競争相手としての社会主義体制の台頭が資本主義的指導国家としての米国の軍事的必要を高めたからです(同書p223-224)。

回りくどい言い方ですが、要はソ連や中国の軍事力に対抗し、彼らを封じ込めるため、米国は軍事力を拡大させたという話です。

資本主義体制の生き残りのための軍拡という視点ですから、ソ連や中国と何らかの妥協ができれば軍拡は不要ということになります。

これはカウツキーの主張した「超帝国主義」の理論に近い。

「経済的余剰の増大」について


私見ではこの本の経済理論面での最大の理論的特徴は「経済的余剰の増大」と、「独占資本主義は停滞する」という主張です。

経済的余剰の簡単な定義は、ある社会が生産するものと、それを生産するに要する生産費との差額です(同書p13)。社会全体での利潤といえるでしょう。

以下、彼らの主張を簡単な経済理論で考えてみます。

「余剰の増大」を後期ケインズ派理論のモデルで解釈すると、投資増ないしは貯蓄率低下


バランとスウィージーによれば独占資本主義の下では大会社の価格・生産費政策の性格のために余剰は絶対的にも、総産出高に対する比率としても増加していきます。

余剰は消費、投資と浪費により吸収されます(p101)。この記述を、後期ケインズ派の理論で解釈すると次のようになります。

貿易を無視するとこの関係は、労働者が賃金所得(実質賃金w×雇用量N)を全額消費し、資本家は利潤の一部を消費(浪費)すると想定することにより得られます。

簡単化のため、費用を賃金支払いのみとします。利潤Πは総産出高Y―賃金支払いと定義できます。

利潤からの消費割合×利潤が資本家の消費(浪費)です。総産出高Yは均衡において、資本家の消費需要(浪費)cΠ+労働者の消費需要wN+投資需要Iです。数式では次になります。
.
Y=cΠ+wN+I  Π=Y-wN 

内生変数は総産出高Yと利潤Πです。実質賃金w、雇用量N、投資I、消費性向cは外生変数です。

少し計算すると、(1-c)Π=I、Π=I/(1-c)という式が得られます。1-cは貯蓄率sです。

両辺を社会全体の資本存在量Kで除すると、貯蓄率×利潤/資本存在量=資本蓄積率(I/K)、sr=gという後期ケインズ派(Post Keynesian)がマクロ経済を説明するためによく用いる式が得られます。

Sweezyは、このような式を想定していたのかもしれません。産出高は次になります。

Y=I/(1-c)+wN

この簡単な経済モデルで考えると、余剰(社会全体の利潤率)の増加は投資(資本蓄積率)の増加ないしは貯蓄性向の低下によると解釈できます。

資本主義経済の特徴は、投資水準の動向により産出高とそれに比例した雇用量の変動が生じる、ということを強調するモデルになっています。

雇用量Nについては、例えば生産量の一定倍になると定式化すれば内生変数にできます。

モデルの問題点と「独占資本主義は停滞する」


バランとスウィージーは第二章で、独占資本主義では生産費が下降傾向にあり、それが利潤を高めていると主張しています。このモデルではそれが反映されていません。

実質賃金が外生変数になっている点がこのモデルの大きな問題点です。このモデルでは、企業経営者、資本家や労働者の行動様式が把握されていない。

長期の経済状態をこのモデルで語るのも無理があります。このモデルでは生産性、技術の変化と産出高の関係が把握されていません。

バランとスウィージーの主張「独占資本主義は停滞する」は、余剰の増加という主張と矛盾するように思えてなりません。

余剰が増大する、即ち投資が継続してなされるなら独占資本主義での持続的な経済成長が達成されるでしょう。

この点については、改めてじっくり検討したいと考えています。

北朝鮮の核ミサイル攻撃により日本は「不況」になる―生産関数の下方移動


ともあれ、ロシア、中国と北朝鮮は日本を侵略する意思と能力を備えた戦争国家です。

特に北朝鮮は最近、「朝鮮中央通信」で繰り返し日本に対する核ミサイル攻撃を示唆しています。

実際に北朝鮮により核ミサイル攻撃が日本に対してなされたら、甚大な被害がでてしまいます。

経済学の言葉でこれを語れば、生産関数の大幅な下方移動、あるいは完全雇用線が大きく左に移動することになります。

「日本独占資本主義の停滞」どころではありえません。

とんでもない「不況」になってしまうことが明らかなのに、経済学者がなぜ北朝鮮の核ミサイル攻撃にどう日本が対応、反撃するべきかを議論しないのは不可解です。

北朝鮮は途上国ですから、高成長を達成した日本に侵攻してくることなどありえないと考えているのでしょうか。

むしろ、途上国だから豊かだが無防備な日本の資源収奪のために侵攻してくると考えるべきではないでしょうか?

H. Grossmanのように戦争をモデル化すればそういう結論が出るはずです。

残念ですが、冒頭に指摘したマルクス主義のテーゼを信じている学者、知識人が相当数いるようです。



2017年7月3日月曜日

レーニン「青年同盟の任務」(1920年10月2日。「レーニン全集」第31巻、大月書店刊行)より思う、

「もし農民が自分の地所に尻をおろして、よぶんの穀物、すなわち彼自身にも彼の家畜にも必要でない穀物をわがものとしているのに、ほかの人々はみな穀物をもっていないとすれば、その農民はすでに搾取者に変わっているのである。


彼の手もとにのこる穀物が多ければ多いほど、彼にはますます有利であり、ほかのものは飢えようとかわまない、ということになる。」(「レーニン全集」第31巻, p290より抜粋)。


上記のごとくレーニンは農民の商業活動を搾取とみなし、徹底的に禁止せねばならないと青年同盟に説きました。

農民は自分と家畜が食べる分量の穀物以外は、全て国家に供出せねばならない、という話です。

穀物を隠して手元に残し、「担ぎ屋」のような商人に売る農民は、レーニンによれば「搾取者」です。

「青年同盟の任務」でレーニンは、共産主義社会を建設するための若者の心構えを説いています。

私は30数年前にこの論文を読みました。

当時の私は、レーニンの「農民が穀物を売ると搾取者になる」論の異様さに気づかなかった。

何となく読み飛ばしてしまっていたのです。レーニンの言説に間違いなんてあろうはずがない、と思い込んでいたようです。

ペテログラードの社会秩序崩壊とレーニンの穀物徴発指令


「青年同盟の任務」をレーニンが書いた時期、モスクワやペテログラードでは物資の生産と流通網が大打撃を受け、庶民は飢餓状態になっていました。

ロシア革命期のペテログラードについては、長谷川毅「ロシア革命下 ペトログラードの市民生活」(中公新書)がとても参考になります。

この本は、ロシア革命の中でペテログラードの市民がどんな生活をしていたかを、当時のペテログラードで発行されていた新聞の社会面に注目して描き出しています。

この本によれば二月革命以降ペテログラードの社会秩序は急激に崩壊し、食糧問題、住宅問題、衛生問題が生じ、犯罪が急激に増加しました。

衛生環境悪化により発疹チフスが蔓延しました。

ロシア革命の過程で、公共の秩序と市民の安全を保証する公的な暴力機関が崩壊してしまったのです。

「現在ペトログラードには約4万人の犯罪者が活躍していると想定されるが、この犯罪分子に対処する刑事の数はたったの80人である」(同書p306より。1918年3月10日)。

大東亜戦争後の日本でも、都会の闇市を暴力団関係者が仕切っていた時期がありました。ロシア革命の頃のペトログラードはもっと酷い状況だったのです。

社会秩序の崩壊に直面したレーニンとボリシェヴィキは何としても、都市住民に食糧を供給せねばならなかった。

そのためには農民から穀物を強制徴発するしかない、とレーニンは判断しました。

確かに、それができなければ、ソヴェト権力は崩壊してしまったでしょう。

来年の播種のための穀物すら国家に取り上げられてしまうなら、農民は再来年生きられない


しかし農民が自分で汗水流して収穫した農産物の殆どを国家に供出せねばならないという指令が国家から出たら、まず農民は穀物をどこかに隠そうとするでしょう。

そもそも自分と家畜の食用分しか穀物を手元に残せないのなら、来年の播種のための穀物も取り上げられてしまうことになります。

レーニンの指令は、農民の相当な反発を引き起こしたことは疑いの余地もない。

都市で食糧が不足しているのなら、都市に穀物を運べばひと儲けできます。こういう時期には、「担ぎ屋」のような商人が沢山出てきます。

「担ぎ屋」により都市への物資の流通網が回復し、都市住民の生活が維持されます。日本でも、戦後の一時期に闇市が繁盛していた時期がありました。

この程度のことは、難しい経済理論を知らなくても社会の動きに関する現実的な感覚を持っている人ならすぐにわかりそうなものです。

スターリンによる「階級としてのクラーク(富農)撲滅」はレーニン「青年同盟の任務」の路線


レーニンは「青年同盟の任務」執筆の約1年後、新経済政策(ネップ、New Economic Policy)を提起し、農民の「穀物投機」を認めます。

「戦時共産主義」による経済崩壊から脱却するためには、「搾取の自由」を部分的に認めるしかないのです。

新経済政策により経済は回復しますが、商業活動により富裕になった商人層が出現します。彼らはネップマンと呼ばれました。

農民の中にも、富裕になった層も形成されます。彼らはクラーク(富農)と呼ばれました。

レーニンの死後、指導者となったスターリンがネップマンやクラーク(富農)を社会主義の敵と考えたのは当然です。

「青年同盟の任務」から学んだボリシェヴィキの若者たちも、ネップマンやクラーク(富農)を徹底抑圧せねばならないと考えたに違いありません。

スターリンが断行した「富農」の徹底弾圧は、レーニンの教えに依拠していたからこそ、当時のボリシェヴィキに支持されたのです。

レーニンは「青年同盟の任務」で次のように述べていました。

「資本家とブルジョアジーの権力をふたたび復活させないためには、小商売根性を許してはならず、個々人がほかの人々の犠牲で金もうけをすることのないようにしなければならず、勤労者はプロレタリアートと結束して、共産主義社会を建設せねばならない。


共産主義的青年の同盟と組織との基本的な任務の主要な特質は、この点にある」


農民が豊かになり、穀物を「担ぎ屋」に売り富裕化したら新たな階級ができてしまいます。

レーニンは「小商売根性を許すな」「他人の犠牲で金儲けをさせるな」旨繰り返し主張し、それが共産主義青年同盟の基本的な任務だとまで断言したのです。

当時のソ連共産党員らはレーニンのこの言葉をよく覚えていたことでしょう。

クラーク(富農)を徹底的に抑圧、弾圧したスターリンはレーニンのよき弟子でした。

ソ連共産党員が、スターリンをレーニンの後継者と認識したのは、「青年同盟の任務」をスターリンが忠実に実践したことも大きな要因です。







2017年6月21日水曜日

レーニン「農業問題についてのテーゼ原案(共産主義インタナショナル第二回大会のために)」(レーニン全集第31巻掲載、大月書店刊行)より思う

スターリンはレーニンの教えを忠実に実行した―レーニンは大土地所有者が「反革命の首領」「全農村住民の無慈悲な圧制者」であるとレッテルを貼り、彼らの追放と拘禁を主張した


不破哲三氏と日本共産党は、ソ連はレーニンの時期には社会主義を目指す積極的な努力がなされたが、スターリン以後、ソ連は社会主義の道を外れたと主張します。

ソ連は社会主義と無縁の人間抑圧型社会だったと日本共産党綱領は述べています。

しかし、レーニン全集掲載を一つ一つ読んでいけば、スターリンはレーニンの教えに忠実な愛弟子だったことがわかります。

スターリンは農村改造と称して「富農の一掃」を実践しました。新経済政策(ネップ)で豊かになった農民に「富農」のレッテルを貼り、収容所やへき地に追放しました。

この結果、大量の犠牲者が出ました。これは、レーニンの教えに依拠していました。本ブログでは何度も、レーニン全集からこれを指摘してきました。

レーニンの「農業問題についてのテーゼ原案」(全集第31巻、p152)に次の記述があります。

「プロレタリア的変革の直後には、大土地所有者の所有地をただちに没収するだけでなく、彼らを反革命の首領として、また全農村住民の無慈悲な圧制者として、ひとりのこらず追放するか、拘禁することが無条件に必要であるが...」


レーニンは「大土地所有者」が、「反革命の首領」「全農村住民の無慈悲な圧制者」であると断言しています。

「大土地所有者」が皆、凶悪人物であり数々の悪行を連日行っているのなら処分を受けて当然でしょう。

しかしレーニンは大土地所有者の行状に関係なく、全員の所有地を没収し「追放」「拘禁」することが無条件に必要と断じています。

「レーニン全集」31巻によれば、「農業問題についてのテーゼ原案」は1920年6月はじめに執筆され、7月に発表されました。

およそ10年後、スターリンはレーニンの教えを忠実に実行したのです。

レーニンは小農が投機と所有者的習慣で堕落していると明言した


レーニンは「商業の自由」「私的所有権の行使の自由」を社会主義の敵対物と把握していました。

レーニンによれば、小農(自分の家族の必要を満たす程度の地所を、所有権か小作権にもとづいてもち、他人の労働力を雇わない人々)には、無制限な商業の自由、私的所有権行使の自由を求める動揺が起こりえます。

小農は消費資料の販売者であり、投機と所有者的習慣で堕落しているとレーニンは明言しています。

そこでレーニンは、勝利したプロレタリアートは大土地所有者や大農に断固とした制裁を加え、小農の動揺を抑えるべきと論じています。

「断固とした制裁」という恐怖に依拠した住民統治こそ、レーニンの政治手法でした。

この強権的な統治手法に対する反発は、内戦激化の一因でした。

自分が生産した穀物を販売することを「投機」などと禁止されたら、たいていの農民は反発するでしょう。

新経済政策(ネップ)の結果豊かになった農民を「投機と所有者的習慣で堕落している」とスターリンやソ連共産党員が認識したのは、レーニンの教えに依拠していたのです。

不破哲三氏、日本共産党のソ連史観は「全体主義」論―最高指導者に全国民が盲従―


冒頭で要約した不破哲三氏のソ連史観は、最高指導者が変わって全員に「右向け右」という指令を出せばあっという間に全員が右を向いてしまうというような、極めて単純なものです。

レーニンが死んだあと、スターリンがレーニンと180度異なる指令を出しても、ソ連共産党員と国民がそれを直ちに受けいれて実行してしまうなど、ありえるでしょうか?

人と組織は単純には動かない。新指導者が新しいことをやろうとすれば、様々な軋轢が生じます。

不破氏のようなソ連史把握では、レーニンの死後に直ちに全体主義の体制が確立されていたことになる。

ロシア人はそんなに単純な民族でしょうか?ロシアには少数民族もいます。従来と根本的に異なる方針に誰も反対しないなどありえない。

警察機構をスターリンが直ちに完全掌握できたはずがありません。

絶大な政治的権威を持っていたレーニンの教えと大差ないことを新指導者スターリンがソ連共産党員に命じたのなら、抵抗感はさほどない。

トロツキーらの追放、ブハーリンらの降格等、競争相手を徐々に失脚させてスターリンは権威と権力を確立させていったのです。

聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員で、ソ連問題の専門家)はレーニンの「大土地所有者=反革命の首領=無慈悲な圧制者」論をどう考えているのでしょうか。

機会があれば、お尋ねしたいものです。




2017年6月20日火曜日

レーニン「帝国主義」(宇高基輔訳、岩波文庫)が描く銀行の役割-全能の独裁者―

「もっとも進んだ資本主義国はどの国でも、三つか五つぐらいの最大銀行が、産業資本と銀行資本との『人的結合』を実現し、全国の資本と貨幣収入の大部分をなす幾十億の金の支配権をその手にした。


現代ブルジョア社会の、例外なしにすべての経済機関と政治機関のうえに、従属関係の濃密な網をはりめぐらしている金融寡頭制―これこそが、この独占のもっともあざやかな現れである」(同書第十章、p200より)。


レーニンは、進んだ資本主義国ではどこでも、銀行が全ての経済機関と政治機関に支配の網の目をはりめぐらし、社会と経済を支配していると考えました。

金融寡頭制Financial Oligarchyとはそういう意味です。しかし、「もっとも進んだ資本主義国」、すなわち英米仏独日の銀行をこのように把握できるでしょうか。

現代は勿論、百年ほど前でも「金融寡頭制」、銀行による住民支配網が存在していたとは考えられない。銀行は警察機構を保持していません。

レーニンの「帝国主義」は銀行を悪の権化のように描いており、現実と遊離しています。

銀行は社会経済全体を支配しているのか―朝鮮労働党は北朝鮮を支配


北朝鮮では朝鮮労働党が、職場の党組織、住民組織の「人民班」、教育機関でも青年組織と党組織それぞれで国民を支配しています。

その支配方式の掟ともいうべき文書が、「党の唯一思想体系確立の十大原則」です。

進んだ資本主義国では銀行が社会経済全体を支配しているというなら、銀行の数は3つか5つではなく一つのはずです。

「複数政党制」では独裁制にならない。銀行間で熾烈な競争がなされます。

銀行経営者、頭取が独裁者ならば、支配の掟とも言うべき文書、指令書を行員に周知徹底しないと銀行員は住民を支配できない。

銀行が社会経済を支配しているのなら、銀行の頭取や取締役を批判した住民は何らかの法制度により厳しい処罰を受けるはずですが、そんな法律がどこの資本主義国にあったでしょうか。

銀行は「全能の独裁者」―独占企業は生産手段を自由に処分できるのか


銀行は「全能の独裁者」でしょうか?

「帝国主義」の第二章「銀行とその新しい役割」でレーニンは、銀行業務が発展し少数の銀行へ業務が集積したことにより、仲介者という控えめな役割から次になったと論じました。

「資本家と小経営主との総体の貨幣資本の殆どすべと、その国やいくたの国々の生産手段および原料資源の大部分とを自由にする、全能の独裁者となる」

銀行は資本家と小経営者のほとんどすべての資金を集め、その国や他国の生産手段及び原料資源の大部分を自由に処分できるようになった、という意味です。

独占企業、即ちその市場で財の供給を独占している企業は、自由に財を処分できるでしょうか?その財が必需品でなければ、消費者は魅力のない財を購入しません。

生産に必需の財、例えば原材料なら、その財を必要とする買い手はさしあたり独占企業からその財を「言い値」で購入するしかない。

しかし、買い手企業はその財を代替できる技術革新に努めるでしょう。他の企業がその市場に参入するかもしれない。

「銀行は全能の独裁者になった」というレーニンの規定は、誇張も甚だしい。

では、レーニンは、銀行が資金の借り手である企業を支配していると考えた理由は何でしょうか。

レーニン「銀行にたいして産業資本家がますます完全に従属するようになる」(第二章)


銀行は顧客である貸出先企業を従属させているでしょうか?

銀行が巨大な資金を手にし、ある企業にたいする当座勘定の開設によりその企業の経済状態を詳細かつ完全に知ることができれば、そうできるとレーニンは述べています。

銀行は株式の所有や、企業の取締役会、監査役会へ重役を派遣し、借り手の企業との人的結合を発展させているとレーニンは論じています。

しかし銀行が資金を貸し付けている企業の経営に参画しているという程度なら、銀行がその企業を支配していることにはならない。

派遣された銀行の役員は、派遣先企業の経営者や労働者が自分の指示に従わなかったとしても、報復手段として処刑や政治犯収容所に送ることはできない。

貸出をやめるという程度です。企業は別の借入先が見つかれば、これまでの銀行との関係を清算するかもしれない。

鉄道は賃金奴隷にたいする抑圧の道具


鉄道は賃金奴隷、すなわち労働者抑圧の道具でしょうか?

またレーニンは、「帝国主義」の仏語版および独語版への序文で、世界的な規模での鉄道の建設は、従属諸国の「文明」諸国の賃金奴隷にたいする抑圧の道具であると論じています。

鉄道や道路がなければ、物資の運搬が困難です。鉄道が労働者の「抑圧の道具」なら、航空機や船舶、トラックもそうでしょう。

空港や港湾も労働者の「抑圧の道具」と言えそうです。インターネットにより商品を注文できますが、インターネットは「抑圧の道具」にならないのでしょうか。

金融資本は世界を分割支配しているのか


銀行と貸し出し先企業は、世界を分割支配しているでしょうか?

「帝国主義」の「五 資本家団体のあいだでの世界の分割」によれば、資本家は世界を資本と力に応じて分割します。

商品生産と資本主義のもとでは、他の分割方法はありえない。その力は経済的および政治的発展につれて変化するとレーニンは述べています。

この規定に依拠すると、「金融資本」がない北朝鮮が「世界の分割」、日本や韓国に侵略、攻撃をすることなどありえないことになります。

旧ソ連にも「金融資本」はないので、ソ連には対外侵略をする経済的基盤はないという、マルクス主義経済学のドグマが導かれます。

「金融資本」は、個別の資本主義国すら「支配」などしていませんから、世界を「金融資本」が分割支配したことはありません。

帝国主義列強の植民地支配を「金融資本の分割支配」とみるべきではない。銀行は日韓併合を主導していません。

銀行が得ていた巨額の利潤とその支出先は


それでは、当時の銀行が得ていたらしい巨額の利潤はなぜ生じたのでしょうか。

銀行経営者はその利潤をどのように支出したのでしょうか。

巨額の利潤が、経営者の配当所得となり財やサービスの購入に充てられるなら、それらを生産する労働者が必要ですから、巨額の利潤により雇用が増えると考えられる。

巨額の利潤が、支店の拡張や銀行業務遂行のための機器整備に宛てられるなら、それらを生産する労働者が必要ですから、巨額の利潤により雇用が増えると考えられる。

所得分配上の不平等という問題はありますが、銀行が巨額の利潤を獲得することそれ自体は悪行ではない。

しかし、銀行が長年、巨額の利潤を上げ続けられるほど資本主義経済は甘くない。帝国主義国の植民地経営はそう簡単ではない。

不況になれば銀行の収益が低下します。

銀行が利潤を多額計上している貸出先も、かなりの利潤をあげているのでしょうから、他の金融機関が貸出あるいは株式発行による資金調達をその企業に提起するかもしれない。

企業が銀行以外でも資金調達を簡単にできるなら、企業の銀行離れが進みます。

また、帝国主義列強間の植民地争奪戦や戦争の原因をどう考えるべきでしょうか。

この点について、またの機会に論じたいと思っています。






2017年6月11日日曜日

レーニン「帝国主義」(宇高基輔訳、岩波文庫)第九章「帝国主義の批判」より思う

「帝国主義は金融資本と独占との時代であるが、この金融資本と独占は、自由への熱望ではなく、支配への熱望をいたるところにもちこんでいる。あらゆる政治制度のもとでのあらゆる反動、この領域における諸矛盾の極端な尖鋭化、これがこれらの傾向の結果である」(同書p196より抜粋)。


レーニンの「帝国主義」は、マルクス「資本論」とならび世界中の左翼に聖典のごとく扱われている著作です。

レーニンによれば、金融資本はあらゆる経済的関係とあらゆる国際的関係とにおいて、巨大な、決定的ともいえるほどの勢力ですから諸国家を隷属させることができます(同書p135)。

レーニンによれば、「あらゆる方面にわたる反動と民族的抑圧の強化とは帝国主義の政治的特質」(同書p179)ですから、軍国主義や民族差別は帝国主義より生じます。

従ってレーニンの「帝国主義論」に依拠すれば、金融資本(独占企業と銀行の結合)がない発展途上国や社会主義国では、軍国主義や民族差別が生じる経済的基盤はない。

旧ソ連や中国、北朝鮮には軍国主義や侵略戦争、民族差別が生じる経済的基盤はないことになります。

今のロシアならそれらが生じる経済的基盤はある、という話になるはずですけれど。中国も同様です。

北朝鮮でも、39号室という金正日の直轄部門の企業は「多国籍企業」として世界各地で「外貨稼ぎ」をやり、核軍拡資金を稼いでいます。

銀行・大企業経営者がどういう経路で政策決定に参画できたとレーニンはいうのか


そもそも、レーニンは一体どんな実証的根拠から、当時の銀行や大企業、「金融資本」が戦争を起こす根源と考えたのかが不明です。

例えば、レーニンが活躍していた時期の日本は明治・大正期ですが、銀行や大企業の経営者が日清・日露戦争や一次大戦参戦を決定したなどありえない。

当時の日本の政治の特徴は薩長の藩閥政治です。山県有朋ら元老が影響力を保持していました。しかし、伊藤博文、山県有朋が銀行経営者に指令されていたことなどありえない。

当時のロシアでも、銀行や企業経営者がツァーリ(皇帝)に代わって日露戦争や一次大戦を主導した、などという話はない。レーニンの著作にもそんな話は出ていません。

当時の帝国主義国とは、例えば英仏独米露でしょうが、欧州でも銀行や大企業の経営者が直接、参戦を主導したとは考えられない。

「金融資本」が諸国家を隷属させることができる、とレーニンは主張していますが、英仏蘭の東インド会社が活躍した時代ならありえたかもしれません。

しかし東インド会社は、「金融資本」ではない。

天然資源を得るために、欧州各国が植民地争奪戦を繰り広げた時代でも、「金融資本」が欧州各国の社会経済を支配して参戦を決定したわけではない。

カウツキーの「超帝国主義論」-国際的に統合された金融資本による世界の共同搾取-


レーニンは、ドイツの社会民主主義者カール・カウツキーの「超帝国主義論」を厳しく批判しています。

カウツキーは、金融資本、帝国主義間で同盟関係が形成されれば、戦争は不可避ではない
と考えました。

これに対しレーニンは、資本主義の国家間では産業や代表的企業が均等に成長することはありえないから、金融資本間で同盟関係が形成されそれが持続することなどありえないと論じました。

産業や代表的企業が均等に成長することはない、というレーニンの指摘は適切です。しかし、代表的企業や産業が不均等に成長しても国家間では同盟関係は形成されうる。

この可能性を指摘したカウツキーは、欧州諸国の実際の政治情勢に通暁していたのでしょう。

軍事技術の発展により、戦争が勃発すれば代表的企業、銀行も大損をしてしまいます。トヨタやGM、メガバンクが戦争を望んでいるなどありえない。

カウツキーは、レーニンより資本主義の行く末を正しく予見していたのです。

カウツキーは併合を、金融資本が好んで用いる政策だと説明した(同書p151)


レーニンによれば、この主張がカウツキーの帝国主義論の大きな問題点です。

そうであるなら、経済における独占が政治における非独占的・非暴力的・非侵略的行動様式と両立できることになる、とレーニンはカウツキーを批判します。

マルクス主義経済学者と左翼人士の「戦争論」はレーニンのこの主張に強く依拠しています。

日本や韓国には世界的な大企業、「金融資本」がありますから、日本や韓国は侵略国家で北朝鮮や中国は侵略される途上国だという、浮世離れした結論になってしまいます。

マルクス主義経済学者にとって発展途上国であるはずの中国や北朝鮮が、国家独占資本主義の日本や韓国を侵略するなどありえず、想像すらできない。

安倍内閣による集団的自衛権行使の法制化、共謀罪制定は金融資本による侵略政策だと左翼は本気で信じています。

ところで、近年の日本共産党は「独占資本主義=帝国主義」という見方をとらないと明言しています。

独占資本主義の国でも、帝国主義的でない政策や態度、非帝国主義的な政策や態度をとることはありえると、不破哲三氏は断じています(「赤旗」平成15年6月28日記事より)。

不破氏がレーニンの上記の議論を知らないはずがない。

レーニンを信奉するマルクス主義経済学者なら、不破氏をカウツキー主義者、日和見主義者と批判しそうです。

スウィージー、バランの「独占資本」-「金融資本が経済社会の支配者である」を否定


ところで、全てのマルクス主義経済学者がレーニンの「帝国主義論」を聖典と崇めたわけではありません。

米国のマルクス主義経済学者Paul SweezyとPaul Baranの「独占資本」(昭和42年岩波書店、原題はMonopoly Capital)には、銀行が「金融資本」となり経済社会の支配者になったという、レーニン流の認識はない。

「独占資本」の第四章は、利潤が資本家の消費と投資に吸収されると論じています。レーニンにはない視点です。

「金融資本」が莫大な利益を上げているのなら、それは次期に何かに支出され、総需要の一部を構成するはずです。総需要が増えれば、生産と雇用も増え、労働者の生活を支えうる。

この本については、またの機会に考えてみたいと思っています。米国の資本主義経済分析の書としても、面白そうです。







2017年6月4日日曜日

宮本顕治「日本革命の展望」より思うー社会主義国には国内に侵略や戦争を利益とする階級や原因がないのか?

「国内に侵略や戦争を利益とする階級や原因がなく、社会主義的生産様式の資本主義的生産様式にたいする決定的優位性と、世界史の発展法則にたいする確信に根ざしているソ連と社会主義諸国のこの立場は、世界の労働者階級と人民の利益にふかく一致している」(「日本革命の展望」昭和41年日本共産党中央委員会出版部発行、p177より)。


吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんは、宮本顕治氏の「日本革命の展望」という著作を御存知でしょうか。

この本は、レーニンの「帝国主義論」に主に依拠して、日本と世界を描いています。

一昔前の共産党員は勿論、マルクス主義の経済学者や政治学者ならこの本を「座右の書」として一生懸命読んだはずです。

「ソ連は社会主義ではなく、社会主義の対立物である覇権主義だったから崩壊して当然だ」という現在の日本共産党の立場と180度異なる見解が何度もこの本で表明されています。

上記はその一つです。

林直道教授「経済学下 帝国主義の理論」(新日本新書)-現代の軍国主義は独占資本主義から生まれる


旧ソ連や東欧、中国、北朝鮮では基本的な生産手段が社会化されているから、国内に侵略や戦争を利益とする階級や原因はないという御話です。

マルクス主義経済学者として著名な林直道教授は、大阪市立大学で長く教鞭をとられた方です。

林直道教授著「経済学下 帝国主義の理論」(昭和45年新日本新書、p176)によれば、現代の軍国主義は独占資本主義という経済的土台からうまれ、それと不可分に結びついているそうです。

林直道教授によれば、独占資本・金融資本が他国の領土的支配にむかうのは独占利潤の獲得のためです。

独占利潤の獲得こそ独占資本主義の基本的経済法則ですから、帝国主義の対外侵略はこの基本的経済法則にもとづく必然的な現象だそうです。

こんな調子で、一昔前の日本共産党員は社会主義国には「独占資本」「金融資本」がないから、侵略戦争を行う経済的基盤がないと信じていました。

林直道教授が「経済学下 帝国主義の理論」が執筆された頃には、中国は核実験を何度も行い核軍拡を着実に進めていました。

北朝鮮は武装工作員をソウルに派遣し、朴大統領の暗殺を試みていました(青瓦台事件、昭和43年1月)。

ソ連軍の満州国での蛮行を林直道教授が知らなかったとは考えにくいのですが、マルクス主義経済学ではこうした結論しか出ようがない。

朝鮮戦争は朝鮮人民軍が韓国に侵攻したことにより始まりました。

「千里馬のいきおいで社会主義を建設する共和国」の北朝鮮が韓国を侵略するなど、マルクス主義経済学では「分析」「理論化」できないのでしょう。

朝鮮戦争で中国は北朝鮮に支援軍を送り、韓国を侵略しました。これも、マルクス主義経済学では「分析」「理論化」できそうもない。

レーニンの「帝国主義論」をいまだに信奉している「平和運動家」は中国、北朝鮮の侵略性を理解できない


日本共産党員と、マルクス主義経済学の影響下にある「平和運動家」はこの類の「理論」を信じています。

「独占資本」「金融資本」がないはずの中国や北朝鮮が軍国主義化を進め、日本やアジア諸国に侵攻しうるとは想像すらできなくなってしまう。

日本共産党が昭和36年7月の第八回党大会で決定した綱領には、社会主義陣営は民族独立を達成した諸国、中立諸国とともに世界人口の半分以上をしめる平和地域を形成しているという記述があります。

日本共産党が主導してきた「平和運動」の「理論的基礎」は、レーニンの「帝国主義論」とマルクス主義経済学でした。

レーニン自身が、「富農」との最終決戦などと称して、内戦を起こしたことをマルクス主義経済学者はどう考えていたのでしょうか。林直道教授にお尋ねしたいものです。

日本共産党「真の平和綱領のために」(昭和56年6月発表)-ソ連、中国は社会帝国主義-


宮本顕治氏の名誉のために、1980年代くらいの日本共産党の「平和理論」が多少修正されたことを指摘しておきます。

「真の平和綱領のために」という論文を、日本共産党は昭和56年6月に発表します。この時は、ソ連によるアフガニスタン侵攻、中国のベトナム侵略という蛮行がなされた後でした。

「侵略戦争反対」を掲げる日本共産党ですから、これらは是認できない。

ソ連と中国により繰り返される侵略と核軍拡を「大国主義のあやまり」という程度で片づけてしまうのもおかしい、という話が多少は出ていたのかもしれません。

上田耕一郎氏あたりがそんな問題提起をしていたのかもしれません。この論文で日本共産党は、ソ連を「社会帝国主義」と強く批判しています。

上田耕一郎氏は、「帝国主義の戦争政策と社会主義の態度」(「世界平和と民族自決権についての国際論争」新日本文庫所収)という論文で、中国を社会帝国主義と批判しています。

「ソ連、中国は社会帝国主義だ」という路線を「平和運動」でも貫けば、ソ連や中国の大使館に向けてデモを行い、集会や署名運動でソ連、中国、北朝鮮を批判するという話になります。

そこまで言うと、日本もソ連や中国、北朝鮮に侵略されるかもしれないから自衛隊の装備を充実せねばならない、日米安全保障条約で日本は当面守られているという認識が広がってしまいます。

従って、「ソ連、中国は社会帝国主義だ」という路線は日本共産党としては危険だ、という話になったのでしょう。

最近の日本共産党の帝国主義論とカウツキー


近年の日本共産党の論文には社会帝国主義論は出てきません。

国家独占資本主義、帝国主義に関する見方を再検討せねばならないという話は、日本共産党最高幹部間では出ていると考えられます。

佐々木憲昭氏(前衆議院議員で、日本共産党の経済政策を担当されてきた方)がそんな話を「経済」誌の研究会でされたようです。

今の日本共産党綱領は、帝国主義は独占資本主義から必然的に生じるものではなく、政策の一つだという話になっています。

これは、レーニンが強く批判したカウツキーの帝国主義論に近い。林直道教授の「経済学下 帝国主義の理論」でも徹底批判されています。

またの機会に、これを論じます。





2017年5月5日金曜日

ヤン・ヨンヒ著「Dear Pyonyang、ディア・ピョンヤン~家族は離れたらアカンのや~」(平成18年アートン刊行)より思う

「父ヤン・コンソン(梁公善)は、1927年10月、朝鮮半島の南端に位置する済州島に生まれた。母カン・ジョンヒ(康静姫)は、1931年、大阪の東成区生まれ。母の両親も済州島出身だ。


アボジは小学校を卒業後、済州島の缶詰工場で働き、15歳で日本へ渡った。」(同書p22より抜粋)。


この本は、同名の映画の原作で、映画「かぞくのくに」より6年ほど前の作品です。副題「家族は離れたらアカンのや」から、ヤン監督の思いが伝わってきます。

筆者のお父さんのヤン・コンソン氏は大阪の在日本朝鮮人総連合会の専任職員を長年務めた方でした。

ヤン・ヨンヒ監督には兄が3人いるのですが、次男と三男は昭和46年秋に北朝鮮に帰国しました。長男は翌年、金日成の60歳の誕生日の祝賀団として選ばれ、帰国しました。

この本は、平成16年7月14日にお父さんが脳梗塞で倒れ、東京在住のヨンヒ氏にお母さんから今夜手術をすることになったという電話の話から始まります。

翌朝ヨンヒ氏が集中治療室にいるお父さんを見たら、顔がスイカみたいに腫れていました。

77歳くらいのお父さんが脳梗塞で倒れたのですから、普通なら息子たちも駆けつけるはずです。

しかし北朝鮮は国民の出国を原則として禁止していますから、息子や孫はお見舞いに来られません。北朝鮮の国民が革命首都平壌に行くのにも通行許可証が必要です。

北朝鮮による凄惨な人権抑圧について熟知している筆者は、この本ではそれをあまり出さないように配慮していたのでしょう。

朝鮮大学校の学生だった長男は金日成の60歳の誕生日の「プレゼント」として送られてしまったそうですが、この本にはそれは出てきません。これは「かぞくのくに」に記されています。

北朝鮮を訪問する学生たちは帰国している親戚から「持ってきた金はこれだけか」と責められる


それでも、興味深い記述は多々あります。筆者は高校2年生のとき、学生代表団の一人として北朝鮮を初めて訪問します。

元山港から金日成の銅像の前に行って挨拶をし、ホテルに行くと少しして親戚と学生たちとの面会が始まりました。

学生たちは小学生の頃から母なる祖国がいかに理想国家であるかを教えられてきました。

しかし祖国に到着した途端、会ったこともない親戚から「持ってきた金はこれだけか」と責められてしまい、しょぼんとしていたそうです。

北朝鮮に帰国した親戚としては、日本にいる親戚だけが頼りです。地元の労働党幹部らは帰国者を金づる扱いにしていろいろ脅迫してきます。

労働党幹部らに渡す賄賂が少なければ、どンな仕返しを受けるかわからない。わずかな配給も滞りがちですから、闇市場で食糧など必需品を入手しなければ栄養失調になってしまいます。

闇市場では日本円の威力は絶大です。帰国者がなぜ、外貨を切実に必要としているかはこの本だけではわかりにくい。

2001年頃の平均的平壌市民の給与では、高麗ホテルで冷麺一杯も食べられない


それでも、筆者の訪朝時の経験より、北朝鮮(おそらく平壌)の物価や賃金が少し記されていますから、多少の想像ができます。2001年頃の話でしょうか。

平均給与が月に2000ウォンで、うどん一杯が700~1000ウォン。平壌の高麗ホテルの冷麺は一杯3000ウォン。冷麺一杯も食べられない給料しかもらっていないことになります。

国からもらう給料だけで生活を維持しようなど、最近は誰も考えていないそうです。内職で頑張れば、1日500ウォンくらい稼げる場合もある。

男性たちは工場や職場に行かざるを得ないので、奥さんたちがセーター編み、うどん作り、豆腐作りなどで内職をしていました。

奥さんたちは店を構えることができないので、外貨の仕送りのある家を顧客にし、アパートで商売をしていました。

最近は市場もできて、生鮮食料品や中国製の品物がたくさん並ぶようになったとヤン氏は記しています(同書p244)。

これらは2000年代初頭の北朝鮮経済の実情を伝える貴重な資料です。

近年の北朝鮮は高成長を達成していた?―中国依存、貿易依存度が高い


北朝鮮には信頼できる経済統計が殆どないので、国内総生産の水準や経済成長率は推測するしかありません。

私の印象では、2000年代初頭から最近まで北朝鮮は中国への石炭や鉄鉱石の輸出と、開城工業団地からの外貨収入、ロシアや中東などへの労働者派遣による外貨獲得などの影響で、相当な高成長を達成した。

年度によっては、10%以上の経済成長率を達成している時期があってもおかしくない。本書にも記されていますが、90年代の大量餓死の時期とは比較にならない。

勿論これは、闇市場と金正日直轄の宮廷経済部門での財、サービス生産を含めての推測です。

闇市場で稼ぐ手段を得られた人々は何とか生活できるようになりました。中国から生活必需品が大量流入しましたし、中国の人民元も闇市場で使えるようになりました。

北朝鮮経済の貿易依存度{(輸出+輸入)÷国内総生産}が100%を越えている可能性が高い。200%くらいでもおかしくない。

北朝鮮政府が管轄する産業、国有企業の競争力がないので、資源貿易や海外からの所得流入(外貨稼ぎ)に相当依存しているとしか考えられない。

宮廷経済部門は徹底した利潤追求で運営されていますから、効率的に財とサービスの生産が行われているでしょう。

ヤン・コンソン氏の叫び「オレは一生賭けて、息子たちを守ったんだ」(同書p279)


脳梗塞で倒れ、朦朧とした意識の中でお父さんがこのように叫んだそうです。いろいろな意味にとれる重い言葉だ、と筆者は記しています。

勝手な想像ですが、自分は金日成と金正日への忠誠を誓い礼賛し続けたことで北朝鮮に帰国した息子たちの身に危害が及ばないようにしたのだ、という意味ではないでしょうか。

この本には帰国者から在日朝鮮人たちが伝え聞いて広まっている「山へ行った」「鼠も鳥も知らな
いうちにいなくなる」という隠語に関する話が出てきません。

筆者もや御両親がこの言葉を知らないはずがないと思えてなりません。

お父さんのところに、親族が行方不明になったがどうにかならないかという話が在日朝鮮人から繰り返し来てもおかしくない。

国家安全保衛部(今は保衛省)が、北朝鮮の住民を山間へき地や政治犯収容所に連行することを意味する言葉です。

政治犯収容所や山間へき地にある日突然連行され、行方不明になってしまった元在日朝鮮人の事は、この時点ではヤン監督は書けなかったのでしょう。

次回作として、そういう帰国者を親族に持つ在日韓国・朝鮮人の生きざまをヤン監督に是非、描いて頂きたいものです。

「家族は離れたらアカンのや」はヤン監督だけの思いではないはずです。政治犯収容所に送られたら、「離れる」どころか生死すら一切わかりません。

朝鮮学校の教員だった方の中にも、北朝鮮へ帰国して政治犯収容所へ連行された方がいます。

南朝鮮革命、主体革命偉業とは何だったのか―朝鮮大学校卒業生に問う


筆者のお兄さんは対南工作に従事している方です。「かぞくのくに」にこの話が少しだけ出てきます。

お兄さんが日本人を拉致したわけではないでしょうが、日本人を拉致した組織は朝鮮労働党の対南工作を担当する部署の傘下にあります。

南朝鮮革命、主体革命偉業とやらのために日本人が拉致されてしまったのです。

在日本朝鮮人総連合会の幹部だったお父さんは、南朝鮮革命すなわち大韓民国滅亡に生涯を捧げた方だったはずです。

南朝鮮革命、主体革命偉業の「成果」として北朝鮮は核兵器や生物・化学兵器を大量保有できました。

化学兵器を大量に保有し実験を繰り返しているから、工作員はベトナムとインドネシア女性をだまして、金日成の孫、金正日の息子金正男氏を化学兵器で殺害できました。

これも、主体革命偉業の「成果」です。米国まで届くような核ミサイルを数百発保有できたら、金正恩は気軽にそれを日本に向けて発射しかねない。

日本が核ミサイルや化学兵器で攻撃されたら、日本人も在日韓国・朝鮮人も沢山犠牲になってしまいます。

それでも、在日本朝鮮人総連合会の皆さんは「共和国万歳!」を叫び、金正恩に忠誠を誓うのでしょうか。

愛息子金正男の毒ガス殺害を、「親愛なる指導者」「鋼鉄の零将」金正日は望んだでしょうか。

朝鮮大学校の卒業生の皆さんは、大韓民国は「兄殺し」金正恩により滅亡させれてしかるべきとお考えでしょうか?

共産主義運動とは、最高指導者に対する盲目的信仰を宣伝、普及する運動だったのではないでしょうか?

ユン・チアン著「ワイルド・スワン」のお父さんをふと思い出しました。









2017年4月29日土曜日

畑田重夫氏著「わが憲法人生七十年」(平成28年新日本出版社刊行)より思う。

「案内されるところ、どこへ行っても金日成の名前が出ないことはないのに閉口した。(中略)

農村の見学では、リンゴ農園へ案内された時のことだが、やはり『このみごとに実っているリンゴは、金日成主席の農業指導によってゆたかに実ったものでございます』と言った調子なのである。

ということは、金日成という指導者はあらゆる知識や技術をすべて身につけている万能の人間だということになるのではないか、とわれわれ日本からの代表団は語りあったのであった。」(同書p115より)。


この本によれば、畑田重夫氏ら「日本朝鮮研究所代表団」は、昭和39年に中国と北朝鮮を訪問しました。

日本朝鮮研究所は、社会党の国会議員だった古屋貞雄氏の個人的な資金提供を中心としつつ、何人かの財政支援を基礎として設立されたそうです。

故佐藤勝巳氏も、「日本朝鮮研究所」の一員でした(詳しくは、「わが体験的朝鮮問題」東洋経済)。

中国と北朝鮮を訪問したのは、古屋貞雄氏の他、安藤彦太郎早大教授、寺尾五郎氏、川越敬三氏、小沢有作氏と畑田重夫氏でした。

北朝鮮では、どこへ行っても金日成の写真や像ばかりで個人崇拝もいいとこだ、との感想を語り合いながら、一行は北京へ向かったと畑田氏は述懐しています(同書p116)。

畑田重夫・川越敬三「朝鮮問題と日本」(新日本新書、昭和43年刊行)を畑田氏は若い共産党員に内緒にしたいのか


この本だけを読めば、さすがに畑田重夫氏は国際政治学者として、北朝鮮に対する厳しい批判の目を持っていたのだなと若い共産党員は思ってしまうかもしれません。

畑田重夫・川越敬三「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本新書)という本があるのを、若い共産党員の方は忘れないでいただきたい。

「わが憲法人生七十年」ではこの本については一切言及されていません。

畑田氏は「朝鮮問題と日本」を、吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員には内緒にしておきたいのでしょうか。

「朝鮮問題と日本」には、昭和39年の訪朝時に畑田重夫氏や川越敬三氏が実感した金日成への異常な個人崇拝など、一切記されていません。

「朝鮮問題と日本」(第七章)によれば、「日本海を平和の海に」「帰国船を日朝間の懸け橋に」といったスローガンではじまった帰国事業は、日朝友好運動史上の画期的な出来事でした。

帰国事業は60万在日朝鮮人をその祖国の周囲にいっそう固く結集したばかりではなく、日本人一般の朝鮮観、朝鮮人観を大きく変え、日朝友好の空気を全国にみなぎらせました。

内外の反動勢力はこれを恐れてその後何回も帰国事業の破壊をこころみましたが、その都度日朝両国人民の連帯の力でこれをはねかえしてきました。

帰国事業は昭和42年末までの八年間つねに順調にすすめられ、合計88000人が無事祖国へ帰って新しい生活に入りました。

在日朝鮮人の帰国希望者は、日本の関係機関への登録をおえた人びとだけでもなお17000人以上残っています。

帰国事業の破壊に反対し、その円滑な継続を保障させる運動はひきつづき日朝友好運動の重要な課題の一つとなっていると、「朝鮮問題と日本」で畑田・川越両氏は力説しています。

四十数年前の若き畑田氏らが、一人でも多くの在日朝鮮人の北朝鮮に帰国を実現すべく心血を注いだこの運動が、「わが憲法人生七十年」では一切記載されていないのは奇奇怪怪です。

畑田重夫氏は在日朝鮮人に、異常な金日成個人崇拝の存在をなぜ教えなかったのか


「朝鮮問題と日本」を著し、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国船再開のために尽力している頃の畑田重夫氏は、訪朝時の実体験として異常な金日成個人崇拝の存在を語ることができたはずです。

それを帰国前に知っていたら、北朝鮮への帰国をやめた方は少なくなかったかもしれません。

北朝鮮の真実を公の場で語ったら、宮本顕治氏ら日本共産党中央との関係が悪くなる可能性があるから黙っていようという判断だったのでしょう。

「朝鮮問題と日本」を出版した新日本出版社も同様に、北朝鮮の真実を「赤旗」読者や一般の共産党員に伝えると厄介なことが起きるから、やめておこうと判断したのでしょう。

日本共産党が主導する革命運動、平和運動に参加する運動家の心得とは


日本共産党が主導してきた革命運動、平和運動にはこの類の話が実に多い。日本共産党中央との良好な関係を維持することが、運動家にとって最重要課題の一つとなっている。

運動家は常に、日本共産党中央、宮本顕治氏や不破哲三氏が国際情勢と平和運動にどんな見解を持っているかを伺い知るように努力せねばなりません。

不破哲三氏が、中国の人権問題批判を控えたら、直ちに自分もそれについて語らないようにする。

不破哲三氏や志位和夫氏が北朝鮮の凄惨な人権問題について沈黙を続けるなら、自分も黙っておく。

これくらいのことは、日本共産党の「平和運動」に参加している運動家は徐々に体得していきます。

中国や北朝鮮の人権抑圧を批判し続ける人は、日本共産党の運動から様々な理屈で排除されてしまいます。日本共産党から除名、除籍される場合もある。

川越敬三氏の「社会主義朝鮮」(昭和45年新日本新書)も、北朝鮮礼賛本そのものです。

北朝鮮への帰国事業が行われていた時期の北朝鮮礼賛本は、「38度線の北」(寺尾五郎著)だけではありません。

異常な金日成個人崇拝の日本社会普及に、新日本出版社は多いに貢献したのです。

若き畑田重夫氏は内心では帰国していく在日朝鮮人は不幸になると確信していた


畑田重夫氏は、宮本顕治氏、寺尾五郎氏、川越敬三氏ほどの北朝鮮礼賛者ではありませんでした。逆に言えば、日本共産党員の中ではこの御三方がずば抜けて北朝鮮を礼賛した。

しかし畑田氏が北朝鮮の真実を熟知していながら帰国船の再開のために努力したことを、忘れるべきではない。

若き畑田重夫氏は、異常な金日成個人崇拝のある北朝鮮に帰国していく在日朝鮮人たちをみて、内心では「この人たちはきっと、不幸のどん底に落ちていくのだろうな」と思ったに相違ありません。

昭和39年訪朝時に、代表団皆で異常な金日成個人崇拝について語り合っていたのですから。

それでも畑田重夫氏は日本共産党の「平和運動」に参加し続けるため、北朝鮮の真実を隠ぺいする道を選んだのです。

今日の畑田重夫氏にとって、北朝鮮を礼賛し帰国する在日朝鮮人を増やすために尽力した史実は、是が非でも隠蔽せねばならない「心の秘密」なのかもしれません。

畑田重夫氏は日本革命への志をなくしたのか―ブルジョア憲法の神聖視


ところで、「憲法人生七十年」という題名ですが、畑田重夫氏は日本革命を志して生きてきた方ではないのでしょうか。

「共産主義のはなし」(日本青年出版社昭和43年刊行)は、日本革命の話ともいえます。

革命家であるなら、私有財産制や皇室の存在を当然視している日本国憲法は一刻も早く改正せねばならないと思うはずです。

「憲法人生七十年」では、ブルジョア憲法を神聖視しているはないか、と革命家に笑われてしまいそうです。

最近の日本共産党員は、日本革命と自分が参加している「平和運動」「野党共闘」の理論的関係について思考と議論ができないらしい。

畑田重夫氏の国際政治学は、マルクス主義のそれだったはずです。日本国憲法は、階級的視点から国際社会を語っているでしょうか。

「憲法人生七十年」には、「共産主義のはなし」についての記述もない。この本も、出鱈目な記述が多すぎるから内緒にしよう、という判断なのでしょう。

畑田重夫氏に問う―マルクス主義の手法、概念で中国、北朝鮮を分析したら


マルクス主義の政治学や経済学で、中国や北朝鮮を分析したらどんな結論が出るのでしょうか。

典型的な階級社会で、労働者は共産党、労働党により徹底的に搾取されているという結論しかでないでしょう。中国は帝国主義だ、という方もいるかもしれません。

畑田重夫氏なら、「社会帝国主義」という概念でかつて日本共産党がソ連や中国を評したことがあるのを知っているはずです。

中国や北朝鮮の人権抑圧を一切批判できない畑田氏は、圧政に抑圧された人々の人権を守るために尽力するという初心を忘却しています。

マルクス主義者、革命家のはずなのに、共産党、労働党の革命路線を文献の読解により分析しようとしない「研究者」「運動家」があまりにも多い。

「日本革命」などありえない。「世界革命」も存在しえない。これを直視できず、「何となく左翼」として「憲法人生」「立憲主義を守れ」になっている「革命家」があまりにも多い。

共産主義者が革命を忘れて、私有財産制の廃止が実現できるはずがありません。

追記 共産主義運動における「反党分子」「反党反革命宗派分子」


上記の、日本共産党の「平和運動」に参加している運動家にとって、日本共産党中央との良好な関係を維持することが、最重要課題の一つとなっているについて少し述べます。

萩原遼氏(元「赤旗」平壌特派員)の著書「朝鮮と私 旅のノート」(文春文庫)の「第五章 私の旅はつづく」で、当時は日本共産党員だった萩原氏は、日本共産党の陰湿な体質について詳細に説明しています。

日本共産党を批判する元党員を、日本共産党では「反党分子」「除名者」として徹底的に忌避する風潮が党員の中にあるそうです。

北朝鮮の張成澤が「反党反革命宗派分子」というレッテルを貼られたのと似ています。

日本共産党では公開処刑されることはありませんが、「反党分子」と党中央からみなされると、以後「赤旗」や日本共産党に関連する出版物から完全に排除されるそうです。

「反党分子」とは一切対話できない、ということなのでしょう。筆坂秀世氏も「反党分子」なのでしょうか。

北朝鮮との対話を主張する志位和夫氏は、「反党分子」との対話をまずは「赤旗」でやってもらいたいですね。

追記 畑田氏訪朝は昭和38年8月では?


「わが憲法人生七十年」p113-114には、日本朝鮮研究所が昭和39年に訪朝したとありますが、昭和38年8月の間違いではないでしょうか?

畑田重夫・藤島宇内編「現代朝鮮論」(勁草書房昭和41年、p338)の年表に日本朝鮮研究所5名が訪朝したと出ています。










2017年3月10日金曜日

在日本朝鮮人総連合会は「在日特権」があると主張している―殷宗基「在日朝鮮人の経済活動にたいする不当な攻撃」(「月刊朝鮮資料」1989年12月号掲載論考)より思う。

「税金問題の公正な解決とは、在日朝鮮人の歴史的事情と同胞商工人のおかれている現実を無視して日本の税法を機械的に適用するのではなく、彼らの特殊な実情を十分に考慮したうえでの解決にならなければならないということである。」(上記論文p15より抜粋)


これはどう読んでも、在日朝鮮人には納税額についての特権があるという主張です。

日本人と同じ所得でも、在日朝鮮人の歴史的事情を考慮すれば納税額は安くなって当然というお話しなのでしょう。税法にはそんな規定は存在しません。

近年、在日韓国・朝鮮人には超法規的な特権、「在日特権」が存在しているからこれを撤廃すべきだという議論があります。

こう主張する人の中には、「韓国・朝鮮人は出て行け!」といった口汚い言辞を振りまく方がいます。誰に対してであれ、罵るのは適切ではありません。

一方、「在日特権」などそもそも存在しない。在日韓国・朝鮮人を誹謗するのはやめろ、と左翼人士、在日韓国人運動家は主張します。

在日特権云々は、ヘイトスピーチ、嫌悪言論だと左翼人士や在日韓国人運動家は主張します。

「ヘイトスピーチ反対」を叫ぶ左翼の皆さんは、在日本朝鮮人総連合会が在日朝鮮人の歴史的事情を考慮すれば納税額について特権があって当然だという主張を長年していることを直視するべきです。

税法には、在日朝鮮人の歴史的事情と納税額の関係について定めた規定は存在しないことを改めて強調しておきます。

左翼人士と在日韓国人運動家、在日本朝鮮人総連合会は日本が最悪国家だという点で完全に一致している


左翼人士は、「従軍慰安婦」に謝罪と償いをせよ、沖縄から米軍は出て行け、徴用で日本に来た韓国・朝鮮人に謝罪と償いをせよといった運動で在日韓国人運動家、在日本朝鮮人総連合会と協力しています。

朝鮮半島の植民地支配に日本人は謝罪と償いをすべきだ、という主張で左翼と在日韓国人の運動家、在日本朝鮮人総連合会、韓国と北朝鮮は完全に一致しているのです。

要は、左翼、在日韓国人運動家と在日本朝鮮人総連合会は、日本が最悪国家だという点では完全に一致しています。韓国左翼も同様に日本を把握しています。

近年は在日中国人も相当な数になりました。在日中国人のうち、漢族の多くは日本が最悪国家だと考えているでしょう。中国の少数民族や台湾人は必ずしもそうでない。

漢族による蛮行の歴史を知っていますから。

左翼はいまだに中国と北朝鮮が進歩的な国家と思い込んでいる―左翼には庶民目線がない


殆どの左翼人士と在日韓国人運動家は中国と北朝鮮は日本と対決しているから進歩的な国だ、と思い込んでいます。

そういう方々は、中国と北朝鮮の凄惨な人権抑圧について沈黙しています。中国ではウイグル、チベット、モンゴル人ら少数民族は常に監視され、政権への批判など殆どできません。

北朝鮮には政治犯収容所があります。国家安全保衛部(現在は保衛省)により、政治犯の公開処刑が時折実施されています。

政治犯収容所や公開処刑の現実を直視すれば、北朝鮮はナチス・ドイツと同様の全体主義国家だという話になってしまいます。金で腐敗しきった中国社会のどこに進歩性があるのでしょう。

中国と北朝鮮の現実を庶民目線で観察すれば、「日本が一番悪い」という左翼運動の前提が崩れてしまいます。左翼は庶民目線で中国、北朝鮮社会を観察、分析できない。

左翼人士が「従軍慰安婦」や朝鮮人強制連行、南京虐殺、沖縄の米軍基地云々と言い出したら、この人はとにかく、日本が一番悪い国だと言いたいのだなと思えば、「相互理解」が進むでしょう。

それほど悪い日本を批判している自分は素晴らしい人格者などだと宣伝したいのでしょう。

金正恩は北朝鮮工作員に生物・化学兵器テロを断行させうる


左翼人士と在日韓国人運動家は、金正恩は日本を批判しているから、大局的には社会進歩に貢献する人物であるとみなしている。

左翼視点では、元在日朝鮮人高英姫の息子である金正恩は日本の植民地支配の被害者です。

金正恩が生物・化学兵器や核ミサイルで日本を攻撃すれば、日本人だけでなく在日韓国人、朝鮮学校教職員と子供たちも犠牲になってしまう。

この現実を、左翼と在日韓国人運動家、在日本朝鮮人総連合会の皆さんは直視すべきです。

朝鮮中央通信(2014年11月23日)掲載論考「朝鮮国防委員会、『人権決議』を全面拒否、排撃」は、米国と朴グネ一派、そして日本が朝鮮人民軍の聖戦により徹底攻撃、焦土化・水葬されるだろうと主張しています。

朝鮮人民軍の核軍事力により、日本が焦土化、水葬されれば在日本朝鮮人総連合会の皆さんも生存は困難です。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんも、朝鮮人民軍の「無慈悲な攻撃」の的になっていることを申し上げておきたい。

朝鮮人民軍は日本人と在日韓国・朝鮮人、在日中国人を差別しません。

日韓併合期の朝鮮半島がどのようであれ、北朝鮮工作員が散布しうる生物・化学兵器で韓国人、日本人、在日韓国・朝鮮人、在日中国人はどうなるのか。

金正男氏はVXガスで殺されました。VXガスをベトナム、インドネシア女性が作ったはずがない。朝鮮人民軍ないしは朝鮮労働党の該当部署しか考えられない。

「朝鮮人の税金問題はすべて、商工人と税務当局との話し合いによって解決する」という合意


「在日特権」についていえば、在日本朝鮮人総連合会の皆さん、朝鮮商工会の皆さんは上記のような理屈で朝鮮商工人に日本の税法を機械的に適用したら、公正ではなく差別だと主張してきました。

上記論文によれば、朝鮮商工会は本国に代わり、同胞商工人の利益と意思を代表して日本国税当局と話し合いを行って、在日朝鮮商工人のすべての税金問題の解決をめざすたたかいが地道に進められました。

その結果、昭和51年11月、在日本朝鮮商工人と日本政務当局の間に、「朝鮮人の税金問題はすべて、商工人と税務当局との話し合いによって解決する」という内容をふくむ五項目の合意がなされたと上記論文は主張しています。

この件は、国会でも問題になっています。政府はそんな合意は存在しないと答弁しています。

しかし徴税実務の現場ではどうなっているのでしょうか。

朝鮮商工人の中には、「暴力団の共生者」がいる


大いに疑問です。

私見では、朝鮮商工人の中には暴力団と密接な関わりを持っている方がいます。「暴力団の共生者」とも言える方々です。

暴力団の共生者、あるいは暴力団のフロント企業に、一税務署職員が粛々と実務をできるでしょうか。

自分が担当している地域の暴力団の共生者、フロント企業に一人で「こんにちは」と税務署員が訪問し、所得を正確に把握するために業務を遂行したら、何をされるかわからない。

脅かされて何でも「損金」扱いにされ、大幅に少なくなった利益で納税額が計算されるようになってしまってもおかしくない。

暴力団の共生者、フロント企業に対しては各地の税務署が警察と協力し、税法に基づいた実務を行うべきなのです。

その際、入手できたあらゆる情報を税務署が警察に全面提供できるよう、法を改正すべきです。現行法では、税務署と警察の協力は困難です。

さらに以下の点を、政府は全国の税務署に周知徹底すべきです。

(その1)在日韓国・朝鮮人の納税額は、在日韓国・朝鮮人が日本に定住するようになった歴史的事情と無関係であること。

(その2)朝鮮商工人の納税額は、彼らのおかれた状況と無関係であり、所得に基づいて決定されること。

(その3)朝鮮人の税金問題を、朝鮮商工人と税務当局との話し合いによって解決することはできないこと。

(その4)朝鮮総連系諸団体への献金を損金として認めないこと。


参考資料 朝鮮国防委員会、「人権決議」を全面拒否、排撃(平成26年11月23日朝鮮中央通信より抜粋。


Once a sacred war is launched to protect the sovereignty of the DPRK, not only the U. S. but the Park Geun Hye group and Japan will have to be hit hard and sent to the bottom of the sea.


일단 자주권수호의 성전을 개시하면 미국은 그들대로 얻어맞아야 하며 박근혜패당은 물론 일본도 통채로 초토화되고 수장되여야 한다.

英語と韓国語は少し異なっています。英語には「焦土化」という語はありません。「水葬」ではなく、「海の底に送られる」になっています。

「水葬」という語はそもそも、朝鮮語や日本語にあるのでしょうか?漢字で書かないとわかりませんね。

朝鮮中央通信はこの言葉を1月6日の「安倍の真珠湾行脚の目的暴露」(労働新聞掲載委)でもまた用いています。

英語ではresult in bringing the archipelago of Japan to the bottom of the sea, になっています。

日本列島が海の底に持っていかれる結果となるそうです。

朝鮮人民軍は、日本人と在日本朝鮮人総連合会を区別しないのです。朝鮮学校で学ぶ子供たちも、「安倍の好戦的な動き」とやらのために朝鮮人民軍の攻撃の的になっています。

朝鮮学校教職員の皆さんは、朝鮮人民軍の標的になって海の底に沈められてしまうかもしれないことを、子供たちにどう教えているのでしょうか。

朝鮮人民軍により、朝鮮学校で学ぶ子供たちの命と暮らしが脅かされているのです。

左翼の皆さんは朝鮮学校に自治体が補助金を出すべきと主張していますが、朝鮮学校が自治体と一緒に海の底に沈んでしまったら補助金は雲散霧消してしまいます。

朝鮮学校教職員の方々は、「労働新聞」「朝鮮中央通信」のこの類の論考を熱心に読んでおられるはずです。朝鮮大学校の学生諸君ならこの論文を読めるはずです。

御自分たちが朝鮮人民軍の攻撃目標となり、日本人と一緒に海の底に沈められる?かもしれないことをどう受けとめているのでしょうか。

追記 北朝鮮の核実験により白頭山噴火?


少し前の新聞に、北朝鮮が白頭山からさほど遠くないところで核実験をやれば、噴火の可能性があるという記事が出ていました。

核実験の規模によって、ありうることなのでしょう。噴火と言っても、その規模により影響は大きく異なる。

白頭山噴火の可能性を、在日本朝鮮人総連合会の皆さんは金正恩に進言すべきではないでしょうか?朝鮮労働党高位幹部には進言などできないでしょう。









2017年3月7日火曜日

宮本顕治氏、畑田重夫氏による北朝鮮礼賛より思う。―「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について(「前衛」1959年5月号掲載論考)、「朝鮮問題と日本」(新日本新書)―

「朝鮮民主主義人民共和国は、アメリカ帝国主義の侵略戦争によって国土に大きな破壊と犠牲をうけたにかかわらず、朝鮮労働党の指導のもとに団結をつよめ、『千里の駒』運動の標語が示すように、すばらしい速度で復興から新しい社会主義建設の発展にむかってまい進しつつある」(同論考より抜粋)


一昔前の日本共産党は、テロ国家北朝鮮を礼賛していました。日本共産党の最高幹部だった宮本顕治氏(当時は書記長)は、北朝鮮礼賛の中心でした。

昭和30年まで在日朝鮮人の共産主義者は日本共産党員でしたから、日本共産党の宣伝は在日朝鮮人の間に大きな影響力がありました。

寺尾五郎氏の「38度線の北」(新日本出版社刊行)は北朝鮮がいかに素晴らしく発展しているかを詳述しています。これは当時の日本共産党の宣伝方針に沿った文献です。

日本共産党と在日本朝鮮人総連合会の宣伝を信じて北朝鮮への帰国を決意した在日朝鮮人一家はいくらでもいました。

日本共産党は朝鮮労働党の共同コミュニケで、在日朝鮮人の帰国後の生活安定と子女の教育保障があると宣伝した


日本共産党と朝鮮労働党の共同コミュニケ(昭和34年2月27日)には次があります。

「日本共産党代表団は、祖国に帰ることを望む在日朝鮮公民の切実な念願を実現させるために朝鮮民主主義人民共和国がとった一連の措置を全面的に支持し、かれらの帰国後の生活安定と子女の教育を保障すべき一切の準備がととのっていることを満足感をもって指摘した。」

宮本顕治氏は、いったい何を根拠として在日朝鮮人が帰国した後の生活安定と子女の教育の保障があるなどと指摘したのでしょうか。

日活の映画「キューポラのある街」では、北朝鮮へ帰国していく在日朝鮮人一家の様子が描かれています。

この映画を観て、帰国できてよかった、在日朝鮮人は祖国北朝鮮に帰ってこそ幸せになれるのだとほとんどの観客は思ったことでしょう。

北朝鮮へ帰国した元在日朝鮮人について、川越敬三氏との共著「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社)などで北朝鮮を礼賛してきた畑田重夫氏はどう考えているのでしょうか。

畑田重夫は上記の著作で、「朝鮮の統一という課題を追及する努力とたたかいが民主主義のためのたたかいとして承認されるなら、戦争は政治の継続ですから、民主主義の為の戦争(内戦)もまた承認されなければなりません。」と述べています(同書p107) .

朝鮮人民軍は昭和25年6月25日に38度線を越えて韓国に侵攻し、韓国軍兵士だけでなく、女性や子供、老人も沢山殺しました。

畑田重夫氏に問いたい。朝鮮人民軍による韓国人殺害は民主主義ですか。内戦では、普通の韓国人は朝鮮人民軍に殺害されてしかるべきなのでしょうか。

国際政治学者畑田重夫氏は、「憲法人生」を生きてきたそうです。

「憲法人生」と、朝鮮人民軍による韓国市民殺害の関係を国際政治学の眼で冷静に分析していただきたい。

吉良よし子議員、池内さおり議員、朝岡晶子氏(「とことん共産党」という共産党のインターネット放送の司会)ら若い共産党員は宮本顕治氏の上記論文や畑田重夫氏の昔の著作を全くご存じないらしい。

「とことん共産党」という表現は、誇大広告ではないでしょうか。宮本顕治氏の論考は日本共産党の路線を理解するためには基本的な文献です。

基本文献をまともに読んでいない共産党員は、「とことん共産党」ではなく、「何となく共産党」です。

金日成、金正日の論考をしっかり読んでいない在日本朝鮮人総連合会の方は、金日成民族の一員ではありえない。それと同じです。

優れた共産主義者は最高指導者の論考を日々の行動の指針とする


宮本顕治氏は、日本共産党の党首を長年務めた方です。現在の日本共産党の基本路線は、宮本氏の主導により昭和36年夏に作成された綱領です。

宮本顕治氏が書記長として活躍していた頃の日本共産党はソ連、東欧、中国や北朝鮮を礼賛していました。

これは、当時の「赤旗」「前衛」や、新日本出版社の「経済」などを図書館で少し調べれば明らかです。宮本顕治氏のこの論文を読めば、当時の左翼、日本共産党の宣伝をよく実感できます。

その後の日本共産党は宮本顕治氏の路線を部分的に修正していますが、基本は同じです。

吉良よし子議員ら若い共産党員の主張の基本パターンを理解するためにも、宮本顕治氏の諸論文は大事です。

一般に、優秀な共産主義者は最高指導者の論考を必死で読み、日々の行動の指針とします。

旧ソ連ではレーニンとスターリン、かつての中国なら毛沢東や劉少奇、鄧小平、北朝鮮では金日成や金正日の論考を読み解くことが、共産主義研究の基本です。

北朝鮮研究では、朝鮮中央通信や労働新聞掲載の諸論考も大事です。

日本共産党の研究をするならば宮本顕治氏、不破哲三氏、上田耕一郎氏や志位和夫氏の文献を読みこみ、基本は同じでも部分的にどのように修正されているかを看破せねばなりません。

畑田重夫氏の昔の著作も、日本共産党が主導してきた「平和運動」がどんな役割を果たしてきたかを検討するために重要な文献です。

「何となく共産党」の若い共産党員は革命家としては水準が低い。

そういう方々は日本革命を実現しようなどとは全く思っていない。共産党員との人脈を維持するために共産党の活動に参加しているだけです。

宮本顕治氏は、朝鮮戦争は米国が始めたと大嘘宣伝をした―ソ連や中国、北朝鮮は「平和のとりで」


宮本顕治氏は上記論文で、朝鮮戦争を始めたのは米国であるという大嘘宣伝をしました。これは、当時の左翼としては常識でした。

宮本顕治氏が定式化した日本共産党の「平和理論」の基本は次です。

米国が日本と朝鮮の主権と平和を侵害している。米国はアジアの平和の敵でもある。米国と対立してきたソ連や中国、北朝鮮は「平和のとりで」である。

吉良よし子議員、池内さおり議員や朝岡晶子氏は、あるいは「平和運動」を担当している川田忠明氏は、ソ連や中国、北朝鮮が「平和のとりでである」など日本共産党は主張していない、と怒るかもしれません。

怒る方々は、宮本顕治氏の論文を読んでいない。宮本顕治氏の上記論文には次があります。

「ソ連邦およびソ連邦を先頭とする社会主義世界体制が、世界平和のたしかなとりでである意義は一そう巨大かつ決定的となる。」

「社会主義諸国の対外政策は、平和と諸民族の主権の尊重の政策であり、社会主義世界体制の成功は、帝国主義陣営の戦争と侵略の政策へのより一そう大きな制動力の出現を意味する。」

「しかし、考えてもみよ。七か年計画の目標数字は、その実現のためのソ連邦人民と共産党のあのすばらしい熱情は、ソ連邦が戦争政策でなく、平和共存の政策を堅持することを前提としている。」

宮本顕治氏はこの論文で、ソ連が世界の平和をのぞんでいることをうたがうことができるものは、一にぎりの戦争きちがいだけである、と断言しています。

宮本顕治氏によれば、ソ連邦における核兵器保有、ICBMの量産は、帝国主義陣営が侵略と戦争の政策をとりつづけていることへの必要にしてやむを得ない措置です。

宮本顕治氏のこの考え方を、「理論化」したのが上田耕一郎氏の「マルクス主義と平和運動」(昭和40年大月書店刊行)です。

日本共産党の「平和運動」の基本路線―社会主義の手にある核兵器は平和の武器である―上田耕一郎「マルクス主義と平和運動」(昭和40年大月書店刊行)


ソ連や中国、北朝鮮など共産主義国は本質的に平和勢力であり、核軍事力を平和のために保有している。

これは、上田耕一郎氏が「理論化」し日本共産党が主導してきた「平和運動」の基本路線です。上田氏の前掲著は次のように述べています。

「ソ連が最初に原爆実験に成功したとき、すべての平和活動家が世界戦争防止の事業の成功に新しい確信をいだきえたように、社会主義の手にある核兵器はただ侵略戦争の防止、社会主義と民主主義の防衛のための平和の武器である」(同書p56より抜粋)。

ソ連や中国の核兵器は平和の武器だという主張です。

国際政治学者畑田重夫氏は、日本共産党の「平和運動」に長年参加してきた方です。

国際政治学者畑田重夫氏は若い頃から新聞や雑誌を丹念に読んでこられたはずですから、宮本顕治氏の前掲論文や上田耕一郎のこの本を読んでいることでしょう。

畑田重夫氏の著作には、宮本顕治氏や上田耕一郎氏への批判は一切ありません。従って現在でも畑田氏は共産主義国である中国や北朝鮮が平和勢力であると信じているのでしょう。

川田忠明氏の最近の論文「北朝鮮と中国にどう対応するか―平和運動の立場から「(「前衛」2016年2月号掲載)も同様です。

川田氏は、「北朝鮮の行動は深刻な脅威となっている。」から「平和運動はこの脅威を取り除くことを強く求める」と述べていますが(論文p14)、北朝鮮が日本に先制攻撃をする可能性については全くふれていません。

北朝鮮はこれまで数えきれないほど、日本に対して脅迫めいた声明を朝鮮中央通信で発表しています。去る1月6日にも、日本を水葬すると放言しています。

水葬とは、日本列島に連続核攻撃を加えて陸地を低くし、海の底に沈めるという意味なのでしょう。核攻撃により陸地が低くなることがありえるのでしょうか。

いずれにせよ、北朝鮮は核ミサイルや生物・化学兵器で先制攻撃を日本や韓国に断行しうる。北朝鮮はマレーシアで既に化学兵器、VXガスを使いました。

腹が立ちますが現状では、北朝鮮による先制攻撃を防ぐことは極めて困難です。北朝鮮工作員が生物・化学兵器を日本に持ち込むのは難しくない。

北朝鮮が核ミサイルや生物・化学兵器により先制攻撃をしてきたら、日本はどうすべきなのか


核ミサイルや生物・化学兵器攻撃をされてしまった場合、日本はどうすべきなのか。

私は日米安全保障条約の全面発動を米国に要請し、北朝鮮、特に金正恩の居住地域を徹底攻撃するべきと考えます。自衛隊は米軍と一緒に出撃するべきです。

川田忠明氏ら日本共産党員はこのとき当然、日米安全保障条約の発動に全力で反対するのでしょう。

近年の日本共産党は自衛隊による反撃を認めているようですが、自衛隊に敵基地攻撃能力はありません。

北朝鮮に核ミサイルや生物・化学兵器攻撃をされてしまっても、自衛隊だけでは報復できないのです。真に残念ですが、自衛隊は朝鮮半島まで届くミサイルや爆撃機を保有していません。

川田忠明氏ら日本共産党員は、日本が北朝鮮から核ミサイル攻撃や生物・化学兵器攻撃をされても、「六か国協議を緊急開催すべきだ」「外交的解決が唯一の道」などとつぶやくだけなのでしょう。

東京に核ミサイルが命中してしまったら、政府だけでなく与野党首脳とマスコミ各社も全滅する可能性があります。「赤旗」も暫く発行困難になる。

「赤旗」を編集、作成する方がいなくなってしまうかもしれないのです。「平和運動」の集会やデモは、東京ではもうできなくなる。参加者がいないからです。

こんなことを云うのは私も本当に悔しいのですが、核ミサイル攻撃で政府首脳がいなくなれば文民統制下にある自衛隊は出撃できませんし、米国に日米安全保障条約の発動要請を出す人もいない。

大阪や名古屋が北朝鮮の次の標的になっても、何の報復もできないかもしれません。

こんな破滅的な事態を防ぐために法的準備と自衛隊による敵基地攻撃能力を保持しよう、という知識人は稀有です。

左翼に「戦争勢力」とレッテルを貼られることを怖がる知識人があまりにも多すぎる。

日本の知識人であるなら、多少の知性と想像力を駆使して日本を守るための言論活動をするべきです。

日本共産党が主導してきた「平和運動」は共産主義国による戦争実現運動だった


日本共産党の「平和運動」とは、共産主義国の軍事力を平和の武器である、危険はないと宣伝し、共産主義国対する警戒心を緩めて、共産主義国が戦争を仕掛けたら勝利するように仕向ける策動なのです。

日本共産党が主導する「平和運動」は、共産主義国による戦争実現運動だったのです。日本共産党と在日本朝鮮人総連合会は戦争勢力です。

吉良よし子議員、池内さおり議員、朝岡晶子氏ら若い共産党員はこれを否定するでしょう。

そうであるなら、吉良よし子議員ら若い共産党員は中国、北朝鮮の核軍拡と北朝鮮の化学兵器量産に反対、批判するデモや集会を実行するべきです。

朝岡晶子氏は、「とことん共産党」で宮本顕治氏の上記論文や、上田耕一郎氏の「マルクス主義と平和運動」、畑田重夫・川越敬三「朝鮮問題と日本」(新日本新書)を取り上げ、出鱈目な宣伝と主張をした昔の日本共産党員を徹底批判するべきです。











2017年3月6日月曜日

金正日の「社会的政治的生命体論」から金正男氏殺人事件を考える―領袖の孫、息子は社会的政治的生命体の頭脳である領袖と無関係なのか―

「金日成同志は、史上初めて、個人の肉体的生命と区別される社会的政治生命体があることを明らかにしました。不滅の社会的政治生命体は、領袖、党、大衆の統一体である社会的政治的集団を離れては考えられません。


(中略)個々人の生命の中心が頭脳であるのと同じように、社会的政治集団の生命の中心はこの集団の最高頭脳である領袖です。」(金正日『チュチェ思想教育における若干の問題について」、朝鮮労働党中央委員会の責任幹部との談話―1986年7月15日)


在日本朝鮮人総連合会の皆さん。主体思想を一生懸命学んでいるのなら、金正日のこの論文を御存知でしょう。

金正日によれば、領袖を社会的政治的生命体の最高頭脳というのは、領袖がまさにこの生命体の生命活動を統一的に指揮する中心だからです。

朝鮮労働党は領袖を中心に組織的、思想的に強固に結合した人民大衆の中核部隊として、自主的な社会的政治的生命体の中枢をなしています。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんも、金日成民族、金正日朝鮮の一員として、社会的政治的生命体に入っていらっしゃるのでしょう。

個人は党と運命をともにするとき、不滅の社会的政治的生命をもつ


金正日によれば個々人は党組織を通じて社会的政治的生命体の中心である領袖と組織的、思想的に結合し、党と運命をともにするとき、不滅の社会的政治的生命をもつようになるそうです。

領袖とは金日成を指すのでしょう。金日成死後は、金正日が「領袖」になりました。

では在日本朝鮮人総連合会の皆さんにお尋ねしたい。

領袖の孫、「党中央」すなわち金正日の息子金正男氏は朝鮮労働党の組織を離れて海外で、きままな暮らしをするようになりました。

金正男氏は社会的政治的生命体の中心である領袖との血縁的な結びつきが希薄になっていたのでしょうか?

「親バカ」金正日と「爺バカ」金日成


金正日にとって、金正男氏は「放蕩息子」「駄目息子」だったかもしれません。しかし金正日は成ヘリムさんが金正男氏を産んだとき大喜びしたそうです。

李韓永氏の手記「金正日に暗殺された私」(太刀川正樹訳 廣済堂出版)によれば、金正日は「親バカ」でした(同書p58 )。

金正日が長男の存在を初めて金日成に話したは、1975年4月ごろだったそうです。金日成は初めは金正日を𠮟りつけましたが、すぐに気を静め、会ってみようという話になったそうです。

会ってみるとその子は、大きな目だけは母親似ですが口元から鼻にかけては幼い頃の金正日そっくりで、金日成はたちまちこの子を気に入り、「正男」と名付けたそうです。

これ以降、金日成は暇さえあれば正男を側において可愛がり、「親バカの金正日」以上に「爺バカ」ぶりを発揮したと李韓永氏は記しています(同書p61-62)。

李韓永氏は成ヘリムさんの姉の息子ですから、金正日の甥です。

李氏は子供の頃、「十五号官邸」という、中央党本庁舎のすぐそばの金正日邸で金正男氏と一緒に過ごしたたそうです。

在日本朝鮮人総連合会の皆さん。

主体思想では、「領袖」の孫ないしは息子は、社会的政治的生命体のどこの部分になるのでしょうか。頭脳の近くなら、顔のどこかでしょうか。

金正日の論文は、これについて何も解明していません。

「領袖」も「偉大なる領導者」も、幼き正男を目の中に入れても痛くないぐらいに思っていたのです。初孫で長男ですから。

金正男氏は領袖と党から離れていたから、人間の本性に反する価値のない生活をしていたのか


金正日によれば、領袖は社会的政治的集団の中心ですから、革命的信義と同志愛も領袖を中心としたものになるべきです。

領袖は社会的政治的生命体の最高頭脳であり、集団の生命を代表しているため、領袖への忠実性と同志愛は絶対的で無条件的なものとなります。

社会的政治的生命体から離れて自由奔放に生きていた金正男氏は、三大世襲を批判していました。

金正男氏は領袖金正恩への絶対的で無条件な忠実性と同志愛を否定したと言えます。会ったこともない弟にそんなものを求めても無理でしょう。

金正男氏は領袖と党から離れ、孤立した生活をしていたから、人間の社会的本性に反する価値のない生活をしていたことになるのですか。

従って金正男氏は、外国人女性によりVXガスで殺害されてしかるべき存在であると、草葉の陰にいる「党中央」、金正日が考えるはずがない。

「偉大なる領導者金正日将軍」は放蕩息子金正男の面倒を見てくれと妹金慶喜、張成澤に遺言を残したのでは?


金正日は、絶対性、無条件性をもって金正男氏を愛していたのではないでしょうか?

「社会的政治的生命体」とやらから離れた「放蕩息子」でも、父親としての愛情は何一つ変わらなかった。

正男は放蕩息子だから後継者にはしないが、面倒をみてやってくれと金正日は妹金慶喜と張成澤、そして金正恩に遺言をして亡くなったのではないでしょうか。

全くの推測ですが、私にはそう思えてならない。

朝鮮学校教職員の皆さんは、子供たちに「社会的政治的生命体」から離れた金正男氏は、実父の領袖と無縁だから外国人女性によりVXガスで殺害されてしかるべきだと教えるのでしょうか。

それならば、リビアの革命は素晴らしい、金正恩は独裁者だとフィンランドのテレビ番組で語った金ハンソル氏(金正男氏の長男)も同様ですか?

金正日の孫、金ハンソル氏が、国家安全保衛省の次の的になっているかもしれないのです。

「偉大なる領導者 金正日将軍」が明らかにしたという総連事業方針は、金正日の息子や孫をどのように処遇せよと述べていたのでしょうか。

金正日の遺志はどうあれ、金正恩と国家安全保衛省の好きなようにさせるのが「自主的な生き方」なのでしょうか。


2017年2月28日火曜日

在日本朝鮮人総連合会の皆さんに問う。金日成の孫、金正日の愛息子金正男氏を外国人女性をそそのかしてVXガスで殺すのは「主体革命偉業」「全社会の金日成・金正日主義化」なのか。

朝鮮学校の教職員の皆さん。朝鮮商工人の皆さん。在日本朝鮮人総連合会傘下の各団体で働く専任職員(일꾼)の皆さん。

朝鮮大学校社会科学研究所が監修している「チュチェ思想叢書」〈全十五巻)の第十二巻「主体的社会変革論」を見て下さい。


著者は朴龍朝鮮大学校社会科学研究所副所長です。この本のp216は次のように述べています。

「チュチェ思想が具現された朝鮮民主主義人民共和国では、社会の全成員が集団の生命である社会政治的生命をもち領袖、党、大衆が一心団結をなして生き、社会と集団のために自分のすべての精力と才能をつくすことに生きがいと誇りを感じている」(白峰社1995年発行)。

マレーシアのクアラルンプールで、ベトナム人女性とインドネシア人女性によりVXガスで殺された金正男氏は、金日成の孫、金正日の長男ですが、金正日や朴龍氏の説く「社会政治的生命体」から離れて、自由奔放な暮らしをしていました。

金正男氏はディズニーランドに行くために偽造旅券で家族と訪日しました。金正男氏は日本だけでなくマカオや欧州、東南アジアでいろいろな商売をしていたようです。

金正男氏は、「主体的社会変革論」と無縁の生き方をしていたと思えてなりません。

金日成の孫、金正日の愛息子金正男氏は「社会政治的生命体」から離れ、「自主的な生活」をしていなかった


金正日は次のように述べています。

「人間にとって肉体的生命も貴重であるが、より貴重なのは社会政治的生命である。肉体的生命よりも社会政治的生命を重んじることは、社会的存在である人間の本質的要求である。」

「人間の最も価値があり、生きがいのある生とは、みずからの運命を社会的集団の運命と結合させ、社会的集団のために献身的に服務しながら社会的集団の愛と信頼のなかで自主的に創造的な生活を送ることである。」(「社会主義は科学である」より抜粋)。

金正日の言う「社会的集団」とは、朝鮮労働党のことです。韓国で「社会的集団」と言えば、政党や市民団体はもちろん、企業や学校、趣味の同好会も意味します。

金正日が、韓国・朝鮮人に韓国の政党や財閥、企業のために献身的に服務することが創造的な生き方であると主張しているわけがありません。

金正男氏は「あんな国の後継者になるのはアホだ」「三大世襲に反対する」などと言う発言を、日本のマスコミ関係者に電子メールなどで繰り返していました。

金正男氏は、みずからの運命を社会集団たる朝鮮労働党と結びつけていなかったから、「自主的な生活」をしていないと解釈されてしまったのでしょう。

朴龍氏の「主体的社会変革論」によれば、ブルジョア民主主義は個人の生命を最優先させる点で個人主義的生命観に発する個人的民主主義です。

社会主義的民主主義は集団の生命を最優先させる点で集団主義的生命観に発する民主主義、集団的民主主義です。朝鮮民主主義人民共和国では、社会主義的民主主義が全面的に実現されています(同書p220より)。

「主体的社会変革論」によれば、朝鮮式社会主義のもとで勤労者はみな政治組織生活を通じて貴い社会政治的生命を輝かしています(同書p221)。

そうであるなら、朝鮮労働党の「政治組織生活」とほぼ無縁の暮らしをしていた金正男氏は、社会政治的生命体と無縁の「宗派分子」なのでしょうか。

金日成の孫、金正日の息子である金正男氏は北朝鮮工作員の使」使嗾で外国人女性によりVXガスで死んで然るべき存在だったのでしょうか。

金正日は父金日成に、金正恩を紹介できなかった―金正恩の母高英姫が元在日朝鮮人(帰国者)だから


私見では、金正男氏は父金正日を尊敬し深く愛していました。金正日は金正男氏を「困った奴だ」くらいには思っていたでしょうが、深く愛していました。

金正日は長男金正男氏が生まれたとき、どれだけ嬉しかったことでしょう。金正男氏の母親は成ヘリムさんという、韓国出身の北朝鮮女性です。

金正日は父金日成に、成ヘリムさんと金正男を妻子として紹介したそうです。ところが、金正日は三代目金正恩を父金日成に紹介することはできなかった。

皆さんも気づいていらっしゃるでしょうが、金正恩には金日成と一緒に写っている写真や映像が全くない。

これは、金正恩に対する尊敬感を北朝鮮国民に広まるために絶好の材料です。北朝鮮国民に公開して都合が悪いはずがない。

なぜ金日成と金正恩が一緒に写っている写真や映像がないのか。

金正恩の母親、高英姫さんが元在日朝鮮人(帰国者)だからです。金日成も元在日朝鮮人を毛嫌いしていたのです。

帰国者と北朝鮮の住民間の感情的対立―「アパッチ」「原住民」


帰国者は北朝鮮の人々を、「原住民」「アパッチ」などと呼びます。帰国者から見れば、北朝鮮の人々は入浴する習慣があまりないので、汚らしい。

帰国者から見れば、北朝鮮の人々は人生には選択肢があるという発想が弱く、上の人々の言いなりになっている。

帰国者の親戚を持つ在日朝鮮人なら、「アパッチ」「原住民」という3隠語を御存知でしょう。

北朝鮮の人々から見れば、帰国者は朝鮮語が下手な癖に金の力で成り上がっている。日本の親戚から送金を受けている帰国者のイメージがあるのでしょう。

北朝鮮の人々には、帰国者(元在日朝鮮人)は日本人の血が混じっている連中で、親日派だというような真におかしな価値観を持っている方が多いのです。

これは全く間違った考え方ですが、そう思っている人が多いのはどうしようもない。

三代目金正恩の母が帰国者(元在日朝鮮人)であることが北朝鮮国民にばれたら、金正恩は「白頭山血統」ではなく、「富士山血統」または済州島の「ハルラ山血統」と陰口を叩かれてしまいます。

「富士山血統」「ハルラ山血統」で何か悪いのかな?と私たち日本人には思えてしまうのですが、北朝鮮国民には重大問題です。最高指導者は白頭山血統の方でしかありえない。

成ヘリムさんは著名な女優でしたから、北朝鮮国民としては金正男氏、あるいは金正男氏の息子の金ハンソル氏のほうが最高指導者にふさわしいということになります。

「正統性」があるということでしょう。「正統性」という言葉を、どういうわけか朝鮮半島の皆さんは好みますね。

金正日は招待所で奢侈生活をしていた。「金正日の料理人」藤本健二さんの著作は真実だった


在日本朝鮮人総連合会の皆さんは金日成、金正日の妻子を御存知なのでしょうか。「金正日略伝」(在日本朝鮮人総連合会編)には、金正日の妻子について一切記載されていません。

金正日の女性関係、子供の名前は絶対的な機密なのです。これを話題にしただけで、「山送り」(山間僻地への追放)となりえます。

三代目金正恩の存在を、私たちは「金正日の料理人」こと藤本健二さんの著作で知りました。

著作が発表された後も、金正恩は藤本さんと会っています。藤本さんの著作が全くのねつ造なら、金正恩が会うはずがない。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんも、金正哲、金正恩と妹金予正の存在を藤本健二さんの本で初めて知ったのではないでしょうか。藤本さんに感謝すべきでしょう。

藤本さんの本がなければ今でも、金予正が金正恩の妹であることがわからなかったはずです。

金正日とその家族は、90年代後半の「苦難の行軍」の時期でも、「招待所」で豪華なことこの上ない生活をしていました。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、朝鮮学校で金正日、金正恩らが住んでいる「招待所」とそこでの豪勢な暮らしについて教えるべきです。

海外で長年暮らした金正男氏も、北朝鮮の一般国民から見れば想像もできないような贅沢な暮らしをしていました。北朝鮮社会は、日本や韓国とは比較にならない「格差社会」なのです。

「主体革命偉業」「全社会の金日成・金正日主義化」により形成されたのは、資本主義社会よりももっと極端な「格差社会」だったのです。

金日成の孫、金正日の愛息子金正男氏殺害は「主体革命偉業」「全社会の金日成・金正日主義化」なのか


王子様のごとく育てられた金正男氏は、父親以外の誰かに命令されることなど想像もできなかったでしょう。金正男氏が幼少時に住んでいた屋敷では、パンダを飼っていたらしい。

金正男氏は異母弟金正恩の何らかの命令に逆らった可能性はある。だから金正男氏は「宗派分子」なのでしょうか?

再び在日本朝鮮人総連合会の皆さんに問います。

金正日の論文「社会主義は科学である」に次があります。

「人間は社会的存在として自主的な権利をもち、自主的な要求を実現しながら生きてこそ、社会政治的生命をもち、尊厳ある生き方をしているということができる。

人間が自主性を失い、他人に隷属されれば、生きているとしても社会政治的には死んだも同然である。」

自由に生きていた金正男氏は、「自主性を失い、社会政治的には死んだも同然である」から、「肉体的生命」を失わせることが「主体革命偉業」「全社会の金日成・金正日主義化」なのですか。

朝鮮学校教職員の皆さんは、金日成の孫、金正日の愛息子金正男氏の死を子供たちにそのように教えるのでしょうか。

金日成の孫、金正日の愛息子を外国女性をそそのかし、VXガスで殺害することは「共和国の自主権」なのでしょうか。












2017年2月25日土曜日

金正男氏殺人事件より思う。金正男氏は「反党反革命宗派分子」とみなされた。

「偉大な首領金日成同志が開拓された革命偉業を、代を継いで最後まで継承し完成していかねばならない。」(「十大原則」の十)

「自分自身だけではなく、すべての家族と後代たちも偉大な首領を仰ぎ奉り、首領に忠誠を捧げた党中央の唯一的指導に限りなく忠実でなければならない。」(「十大原則」十の四)(「世界政治-論評と資料」1988年4月上、762より抜粋。日本共産党中央委員会発行)。


「党の唯一思想体系確立の十大原則」は、北朝鮮社会では法律より上の、絶対的な社会規範です。これに背く人物は、「反党反革命宗派分子」というようなレッテルを貼られます。

一昔前の日本共産党は、この文書が北朝鮮分析のために極めて重要であることを察知し、翻訳して党員と支持者に広めていました。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員はこの文書を知らないでしょうけれど。

金日成の孫、金正日の長男である金正男氏が、マレーシアの空港で悲惨な死を迎えてしまいました。マレーシア警察の発表によれば、金正男氏の体からVXガスが検出されました。

ベトナム人女性とインドネシア人女性が、金正男氏に液体をかけたようです。

二種類の液体を金正男氏の顔にかけて、VXガスが形成されるようにしたという説も出ています。

この殺人を北朝鮮工作員が直接実行したわけではないのですが、二人の女性を使嗾したのは北朝鮮以外に考えられない。

VXガスないしはそれを形成できる液体を二人の女性がどこからか入手して、見知らぬ人に散布するわけがない。二人の女性は金正男氏がどんな人物なのか、知らなかったようです。

北朝鮮工作員は、殆ど何も知らない女性二人に「殺し」をやらせ、首尾よくやったことを見届けると直ちに「高飛び」してしまったのです。

心臓麻痺で死んだと見せかけられるとでも思ったのでしょうか。これも、チュチェ思想から導かれる行動です。金正男氏の死は北朝鮮と無関係と断固主張せねばなりませんから。

金正恩なら、金日成の孫、金正日の息子の殺害指令を出せる


金正男氏はなぜ、この時期に殺されなければならなかったのか。マスコミではいろいろな議論がなされています。

北朝鮮で金日成の孫、金正日の長男の殺害指令を出せるのは、金正恩しかいません。

では金正恩はなぜ殺害指令を北朝鮮の工作部署(偵察総局という説が濃厚)に出したのか?

金正恩の内心は検証しようがありません。金正恩の内心は憶測するしかない。

金正恩の表面的な理屈としては、金正男氏が「党の唯一思想体系確立の十大原則」のどこかの条項に違反し、「反党反革命宗派分子」になったという話が考えられます。

テレビに出てくる北朝鮮問題の専門家には、朝鮮労働党の諸文献から北朝鮮工作員や北朝鮮各部署の行動を説明する方が少ないようです。奇妙ですね。

金正男氏は金正恩がアホ(con)だというフランス語メールを日本人記者に送った


金正男氏は自由奔放に西側マスコミと接触し、「北朝鮮の体制の後継者」になるのはアホ(con)だ」というフランス語のメールを、ある日本人記者に送っていたそうです。

これはテレビで放映されました。

金正男氏は金正恩がアホ(con)だと放言していたのです。北朝鮮ではこれは、「首領冒涜罪」「民族反逆罪」に相当する重罪です。

金正男氏は、金正日が提起し確立させた「革命的領袖観」を体得できなかったのです。

金正日によれば、人民大衆は党の指導の下に、領袖を中心として組織思想的に団結することで永生する自主的な生命力をもつ一つの社会政治的生命体をなします(チュチェ思想教育で提起されるいくつかの問題について」)。

自由に行動し気軽に発言する金正男氏は「社会政治的生命体」から離れた存在ですから、革命の自主的な主体ではありません。反党反革命宗派分子ともいえます。

金正男氏の息子、金ハンソル氏はリビアの革命を素晴らしいと云った


チュチェ思想から見れば、「リビアの革命は素晴らしい、金正恩は独裁者だ」とフィンランドのテレビで公言した金ハンソル氏(金正男氏の息子)も、張成澤のような反党反革命宗派分子です。

北の工作員が金ハンソル氏を狙う可能性はある。

金日成の孫、金正日の息子も「反党反革命宗派分子」として処刑するのが、チュチェ思想から導き出される行動なのでしょうから。

ところで、藤本健二氏の手記から明らかなように、「招待所」で贅沢三昧をしていた金正日は、飢餓状態の民衆と著しくかい離していました。

金正恩も、「招待所」で贅沢な暮らしをしてきました。贅沢な暮らしは、国民が朝鮮労働党に捧げる外貨や物資に依拠していました。

金日成、金正日、金正恩こそ、搾取者そのものです。日本や韓国の企業経営者より、ずっと贅沢をしている。

別荘を持っている企業経営者はいくらでもいますが、金正日の「招待所」ほどの規模と設備は考えられない。日本や韓国では無理です。株主総会で徹底批判されてしまう。

在日本朝鮮人総連合会は金正日の孫、金ハンソル氏も「反党反革命宗派分子」とみなすのか


革命的領袖観に徹したチュチェ型の革命家は、金日成、金正日そして金正恩をいつまで崇めるのでしょうか。

金日成の孫、金正日の息子殺害は、領袖と党中央に対する「絶対性、無条件性」にふさわしい行動でしょうか。

私には、愛息子を殺された金正日が草葉の陰で号泣しているとしか思えません。

金正日の妹、金慶喜の動向も不明です。悲惨な死に方をしたのかもしれません。

「金日成民族」「金正日朝鮮」の一員である、在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、金ハンソル氏も「反党反革命分子」であり、「死に値する罪」を犯していると考えているのでしょうか。

朝鮮学校の教職員は子供たちに、「首領様の孫、偉大なる将軍様の息子でも、社会政治的生命体から離れたら生きている価値はない。VXガスでの死に値するのだ」と教えるのでしょうか。







2017年1月30日月曜日

宮本顕治氏の暴力革命論より思う。

宮本顕治「そこで、ロシア革命のばあいを歴史的に類推して、日本革命の『平和的発展の可能性』を提起することは、根本的な誤りとなる。したがって、議会を通じての政権獲得の理論も、同じ誤りであることは論をまたない。」

(「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」、前衛49号、1950年5月より抜粋。日本共産党50年問題資料集1所収)。


宮本顕治氏のこの論文は、野坂参三氏の「平和革命」理論、「愛される共産党」路線への徹底批判です。

宮本氏はコミンフォルムという世界中の共産党の上部組織から出された野坂批判に真っ先に迎合し、暴力革命論を提起しました。

勿論、暴力革命論それ自体は、「32年テーゼ」に銘記されていたレーニンの命題「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」から必然的に導かれるものですから、宮本氏の専売特許ではありません。

市川正一氏は公判の最終陳述で武装闘争を呼びかけました。これは、「日本共産党闘争小史」(昭和29年大月書店刊行、p182)に明記されています。

市川正一氏によれば、労働者と農民は帝国主義戦争の悲惨さから逃れるためには、日本共産党の指導のもとに大衆的な武装蜂起をもって公然と資本家・地主の国家権力と武装闘争を行い、労働者・農民の日本ソヴェト権力を樹立せねばなりません。

宮本顕治氏は、同郷の先輩である市川正一氏を尊敬していました。暴力革命、武装闘争唯一論は当時の共産党員としては正論そのものです。

吉良よし子議員は宮本顕治氏の論文「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」を読んでいないのか


吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、宮本顕治氏の上記論文と宮本氏の暴力革命論を御存知ないのでしょうか。

吉良よし子議員、池内さおり議員は市川正一氏による武装闘争・労働者と農民の日本ソヴェト権力樹立論を御存知ないのでしょうか。

「日本共産党50年問題資料集」「日本共産党闘争小史」くらいは読んで頂きたいものです。

「50年問題」とは、日本共産党中央が分裂した時期に生じた諸問題の総称です。

「51年綱領」という文書が徳田球一氏らを中心とする側の主導で採択されました。

いろいろな経緯がありますが、結局当時の共産党員のほとんどがこの綱領を認めました。共産党・労働者党情報局、ソ連と中国には逆らえなかったのです。

宮本顕治氏は上記論文で、次のようにソ連を礼賛しています。

「同志スターリンによって指導され、マルクス・レーニン・スターリン主義で完全に武装されているソ同盟共産党が、共産党情報局の加盟者であることを、銘記しておく必要がある」

これを読むと在日本朝鮮人総連合会の皆さんによる金日成、金正日礼賛を思い起こすのは私だけでしょうか。

宮本百合子も熱烈なソ連信者でした。宮本百合子の「歌声よおこれ」とは、スターリンとソ連賛歌です。

宮本百合子のソ連礼賛文も、読書好きで早大文学部出身の吉良よし子議員は御存知ないのでしょうか。

聴濤弘氏(日本共産党の元参議院議員)なら、宮本夫妻のソ連礼賛をよく御存知のはずです。

「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」(51年綱領より)は野坂参三批判


「51年綱領」は、終わりの方で「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである。」と明記しています。

これは「平和革命」と「愛される共産党」路線を提唱していた野坂参三氏の路線と大きく異なっています。

宮本顕治氏は51年綱領作成に直接参加していませんが、宮本氏の上記論文の主張と「51年綱領」の重要な命題は同じです。

宮本顕治氏は暴力革命論の先駆的存在として、「51年綱領」に理論的に貢献したのです。

現在の日本共産党員、吉良よし子議員や池内さおり議員は暴力革命や武装闘争など夢にも考えていないでしょう。

吉良よし子議員は「平和革命」、議会を通じての政権獲得を真剣に考えているのでしょうが、それを早くから主張したのは野坂参三氏です。

ソ連の諜報機関の指導を受けていたはずの野坂参三氏がなぜそんな「理論」を提起できたのか少し不思議です。

野坂参三氏は、天皇に対しても国民の尊敬感を考慮した政策を提起していました。これをずっと後に宮本顕治氏に批判され、野坂氏は自己批判をしました。

自衛のための軍事力の必要性を国会で主張したのも野坂参三氏です。

今日の日本共産党の路線の先駆者は、野坂参三氏です。

宮本顕治氏は、「51年綱領」が完全に正しいと認めた


宮本顕治氏は、「50年問題」を終結させる契機となった昭和30年7月28日の第六回全国協議会の立役者の一人でした。

第六回全国協議会決定の冒頭は次です。

「新しい綱領が採用されてからのちに起こったいろいろのできごと、党の経験は、綱領にしめされているすべての規定が、完全に正しいことを実際に証明している。」

そもそも、宮本顕治氏が「暴力革命」論者であり、「武装闘争唯一論」を野坂参三氏を暗に批判する論文で提起したのですから、「51年綱領」を完全に正しいと認めるのは当然です。

徳田球一氏により排除された宮本顕治氏は実際に武装闘争を断行したわけではありません。

武装闘争を実行したのは、今は80代後半以上になっている下部党員です。65年くらい前のことですから。

徳田球一氏、野坂参三氏は宮本顕治氏の「暴力革命」論の理論的正しさを認めた


今日の日本共産党の党史解釈では、「50年問題」当時の武装闘争は分裂した一方の側が勝手にやったことで、日本共産党の正規の方針ではない、ということになっています。

これは御都合主義的解釈でしかない。当時の日本共産党最高幹部は、革命とは暴力革命しかなく、武装闘争によってこそ社会主義日本を築けるという点では完全に一致していたのです。

徳田球一氏、野坂参三氏は、暴力革命、武装闘争唯一論を先駆的に主張した宮本顕治氏の「理論」の正しさを認めて、51年綱領を受け入れたのです。

派閥の枠を越えて、最高幹部らが正しいと主張し、普及した「理論」「方針」「政策」が実は日本共産党の正規の方針ではなかったというのなら、下部党員は何を信じたら良いのでしょうか。

徳田球一氏らを信じて、非合法手段で北京に渡り、中国共産党から暴力革命論、「鉄砲から政権が生まれる」理論を学んだ下部党員は少なくありません。

時効になっているでしょうが、出国手続きをせずに外国に行くのは1950年代でも不法行為です。武装闘争、暴力革命の為には不法行為の断行など当然という発想です。

「北京機関」の史実を工藤晃氏、立木洋は吉良よし子議員、池内さおり議員に語るべきだ


北京で当時の党員は中国共産党から、武装闘争のノウハウを一生懸命学びました。学ぶ場所を「招待所」と云います。旧ソ連の時代にはホテルをそういう語で呼びました。

北朝鮮工作員がテロの為の「理論」や「方針」を学ぶ場所も「招待所」と呼びます。同時期に朝鮮労働党も中国共産党からいろいろ学んだのでしょう。

工藤晃氏、立木洋氏に「北京機関」について御存知のことを語っていただきたいものですね。.

私見では、当時の日本共産党員と同様のことを、在日本朝鮮人総連合会関係者により構成されている朝鮮労働党の在日本非公然組織が行っています。

朝鮮労働党の在日本非公然組織の構成者、工作員の皆さんは、平壌の招待所で金日成、金正日の「南朝鮮革命理論」や、戦闘訓練、日本人や韓国人に成りすます方法などを学んでいます。

暴力団関係者と連携して、覚せい剤を売る「外貨稼ぎ」を行う工作員もいます。朝鮮学校関係者がその類の仕事をやる場合もあります。

朝鮮学校関係者は、金日成民族の一員ですから。

拉致された韓国人が、工作員に韓国人化教育を行っているようです。拉致された日本人は、北朝鮮生まれの工作員に日本人化教育を行います。

吉良よし子議員、池内さおり議員は「北京機関」について一切御存知ないかもしれません。

工藤晃氏、立木洋氏らから日本共産党の歴史の一コマとしてそれを学んだらいかがでしょうか。一昔前の革命家の現実を、今の若い共産党員は知らないで良いのでしょうか。

「50年問題」の頃の若い日本共産党員は、「鉄砲から政権が生まれる」と本気で信じ、中国共産党の「理論」、すなわち毛沢東思想を熱心に学びました。

今日の在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、金日成、金正日の文献を熱心に学び、全社会の金日成・金正日主義化のために日夜奮闘しています。

革命運動とは、共産党の最高指導者を信奉し礼賛する妄動なのです。



2017年1月29日日曜日

仏映画「彼女の名はサビーヌ」(原題Elle s'appelle Sabine)を観ました。

仏女優Sandrine Bonnaireが監督として、自閉症(autism)の妹を少女期から撮ったドキュメント。


正直に言って、重苦しい映画でした。

少女期のSabineと現在のSabineの容貌、表情がかなり違うのです。かなり悪化してしまったとしか思えない。

「悪化」とは、病について使われる言葉ですが自閉症は生来の障害ですから、そのような語が適切かどうか、私にはわかりません。

少女期のSabineは少し変わった女の子というくらいでした。家族とNew Yorkに行ったときの生き生きとした表情が心に残ります。

30代後半で今は施設にいるSabineは、うつろな目で何度も姉に「明日また来てくれるの」と問いかけ、時に粗暴な態度さえとります。

運動不足のためなのか、Sabineはかなり太っています。この施設に入所している方は太り気味の方が多いようです。薬の影響もあるのかもしれません。

親兄弟と社会はどう対処すべきなのか


施設には、30歳くらいの男性も入所しています。この男性は癲癇も患っています。

自閉症の方は癲癇を患うことが多いらしい。

男性のお母さんが、間違ってこの男性のための薬を飲んでしまったとき、長時間眠ってしまったそうです。お母さんは息子の病の重さに改めて気づいたと語っていました。

お母さんは息子にすまないという気持ちでいっぱいだそうです。

親や周囲の対応で自閉症や癲癇の症状を緩和できる場合もあるのでしょうが、難しい場合もあるのでしょう。

脳の異常に起因しているのですから。すまない、ごめんなさいという問題ではなさそうです。

こうした施設に入所すると、かなりの費用がかかるのではないでしょうか。通常、親は子どもより早く亡くなります。その後、残された子供はどうなるのでしょうか。

映画の最後の方で、Sabineが、以前New Yorkに行った時の映像を見て泣き出すシーンがあります。Sabineは何を思い出していたのでしょうか。

自閉症の症状は千差万別である旨、映画にも出てきます。何とかならないのかと思わずにいられません。

2017年1月27日金曜日

日本共産党国際問題重要論文集22、中国天安門事件から湾岸戦争まで(日本共産党中央委員会出版局1991年刊行)より思う

宮本顕治「この中国問題では、一部で非常にうがった正しくない見解があります。それは中国の、問題は、たしかに大きな衝撃をあたえましたが、しかし、いまは中国が直接日本の運動に干渉していない、直接干渉がないところで、日本共産党がそんなに反論するのはどうかというものです。


しかし、これは非常に誤っています。というのは、一つは、人権問題は国際問題だということです。世界人権宣言もあるし、国際人権規約もあります。」(同書p65より。)


本ブログは何度も、日本共産党が中国共産党との「覇権主義との生死をかけた戦い」に敗北した旨指摘してきました。

その根拠の一つは、今日の日本共産党が中国共産党による過酷な人権抑圧の存在を指摘できなくなっているということでした。

この点では、一昔前、天安門事件の頃の日本共産党と今の日本共産党は大きく異なっているのです。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんは、天安門事件の頃の日本共産党の文献を読む機会がないかもしれません。少し説明しておきます。

上記のように、宮本顕治氏、不破哲三氏ら当時の日本共産党最高幹部は中国共産党による人権抑圧を徹底批判していました。

今日の不破哲三氏や志位和夫氏は、中国に思想・信条の自由、言論の自由がないこと、チベットやウイグル、モンゴル人ら少数民族に対する過酷な抑圧について完全に沈黙しています。

中国共産党を批判する弁護士や市民運動家が、国家安全省により突然逮捕、拘束される例はいくらでもあります。相当な拷問がなされている可能性が高い。

今の中国共産党が直接日本の運動に干渉していないから、志位和夫氏は中国の人権問題について沈黙するのか


今の中国共産党が直接日本の運動に干渉していないからそれでよい、大事なのは「野党外交」だ、そのためには中国と良好な関係を維持することが大事だという判断なのでしょう。

これを、宮本顕治氏は厳しく批判したのです。

この程度のことは、1989年6月の天安門事件の頃、駅前で「天安門での蛮行を糾弾する。鄧小平思想は科学的社会主義と無縁だ」という経験のある中高年党員なら常識です。

志位和夫氏はもちろん、小池晃議員も百も承知のはずです。

宮本顕治氏の「科学的社会主義」から見れば、今日の不破哲三氏や志位和夫氏は中国覇権主義に屈服し、敗北した政治家です。

「科学的社会主義」とは、「長いものに巻かれろ」というご都合主義の「理論」「思想」だとすれば、不破哲三氏、志位和夫氏の卑屈な態度も「理解」できます。

中国の要人の前で「科学的社会主義の理論的探究」とやらについて講演できると、気分が良いのでしょうか。政治家冥利につきるのかもしれません。

中国人民解放軍により「赤旗」記者が射殺されてしまった


「赤旗」記者が中国軍によるベトナム侵攻を取材中に中国人民軍により射殺されていることの重みを何度でも強調したい。中国はこれに一切謝罪などしていません。

中国共産党との関係正常化に際し、日本共産党は中国側に「赤旗」記者射殺の謝罪と補償など一切要求していません。

「赤旗」記者の生命と人権は、日本共産党員にとって限りなく軽いと言われても仕方ないでしょう。

吉良よし子議員、池内さおり議員は「赤旗」記者射殺事件も御存知ないのでしょうか。

宮本顕治氏は鄧小平路線は科学的社会主義と無縁と断言した


「日本共産党国際問題重要論文集」や、「科学的社会主義-共産主義に全く縁のない鄧小平軍事支配体制」(日本共産党中央委員会出版局)も日本共産党の国会議員が読んでいないのなら、国民や「赤旗」読者を愚弄することになりませんか。

「鄧小平理論」とやらに中国共産党は依拠している旨、日本共産党との会談で何度も胡錦涛らが表明しています(不破哲三「日本共産党と中国共産党との新しい関係」p103)。

その鄧小平理論、路線を、宮本顕治氏は「原理的に科学的社会主義と縁がない」と断言したのです(「日本共産党国際問題重要論文集22、p70)。

この程度のことは、私に指摘されずとも不破哲三氏、志位和夫氏あるいは聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)は百も承知です。

国際政治学者の畑田重夫氏も良く御存知のはずです。長年「赤旗」や「前衛」を一生懸命読んでいいらっしゃるのでしょうから。

殺人を正当化する鄧小平理論を今日の不破哲三氏や志位和夫氏は一切批判できなくなりました。

吉良よし子議員、池内さおり議員には日本共産党の基本的な文献をしっかり読んで頂きたいものです。




2017年1月24日火曜日

金賛汀「将軍様の錬金術 朝銀破綻と総連ダークマネー」(新潮新書2009年)より思う。

「私が在住する横浜市でも似たような『事件』があった。北朝鮮で逮捕された人は帰国同胞でなく、短期の祖国訪問団で北朝鮮を訪れた商工人である。


帰還者の生活をつぶさに見て、やりきれなかったのであろう。酒を飲んだ勢いで、同行の人たちに北朝鮮を批判する話をした。


それが『案内員』の聞くところとなり、彼は『国家反逆罪』で逮捕され、留置場に送り込まれた。


彼の兄は神奈川県でも有数の総連系商工人で、何軒ものパチンコ屋や、不動産屋を経営していた。

弟の逮捕監禁を知らされた兄は北朝鮮に渡り、何度か北朝鮮当局に釈放嘆願書を出したが、なかなか聞き入れられず、やがて総連中央の紹介で党幹部と面談し、

億単位の金を「献金」することで弟は釈放されたが、弟は日本に還ることは許可されず、北朝鮮に止め置かれ、肉親とは切り裂かれた状態のままである。」(同書p103より抜粋)

この本の著者金賛汀氏は、奥付によれば昭和12年京都生まれで朝鮮大学校の卒業生です。60年代末には総連系雑誌社の編集記者として働いていたそうです(同書p5)。

この本には、在日本朝鮮人総連合会内部で長年活動してきた著者だからこそ得られた貴重な情報がたくさん出ています。

その一つが、上記の北朝鮮を訪問した神奈川県の朝鮮商工人逮捕・抑留事件です。

北朝鮮の体制批判は「民族反逆罪」-留置場から出すためには億単位の献金が必要


この商工人は北朝鮮の体制を批判したのでしょうから、「民族反逆罪」という重罪を犯していることになります。

「留置場」ということですから、政治犯収容所まで連行されてはいなかったのでしょう。お兄さんが朝鮮労働党に億単位の献金をしたことで、何とか留置場から出られたそうです。

この類の話を、私は別の在日朝鮮人から伺ったことがあります。察するに、朝鮮労働党側は訪朝した朝鮮商工人の言動を報告するよう、「案内員」に命じていたのではないでしょうか。

「民族反逆罪」などにしてしまえば、相当額の金が得られることを予想していてもおかしくない。国家安全保衛部なら、それくらいのことをしてもおかしくない。

北朝鮮社会では、金があれば何でもできるといっても過言ではない。日本の親族からの仕送りを得られない元在日朝鮮人はどん底の生活をするか、自分で商売をして外貨を得るしかない。

朝鮮労働党幹部が実行する「外貨稼ぎ」の一つが、在日朝鮮人への脅迫なのです。特に、裕福な朝鮮商工人が狙われやすい。

朝鮮労働党、国家安全保衛部は朝鮮商工人を狙う


この本には、北朝鮮でビール工場を建設したが、朝鮮労働党にその工場を乗っ取られてしまった商工人の話も出てきます(同書p110-112)。数十億円程度の工場だったそうです(p112)。

この商工人は御堂筋に高級ホテルを開業したそうです。用地買収や経営運営資金として700億円もの融資を金融機関から受けました。

融資した金融機関の一つが、足利銀行でした(同書p112)。

私はこの商工人はもしやあの方では?と思えてならないのです。大阪の高級ホテルの経営者で、足利銀行から巨額の資金を借りていた商工人はそう多くない。

この商工人は、「護憲」で有名だった政治家(故人)とも人脈があったと伺っています。

この商工人も、ある元在日朝鮮人(帰国者)が何らかの「罪」を着せられそうになったとき、いろいろ尽力したそうです。

それやこれやで、結局その商工人は財産を失ったと私はある在日朝鮮人から伺いました。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんの中には、この類の話が実に多いのです。

左翼政治家・運動家は朝鮮労働党による在日朝鮮人脅迫の歴史を直視すべきだ


「ヘイトスピーチ反対」などと叫ぶ左翼政治家や運動家は、朝鮮商工人や北朝鮮に帰国した親族を持つ在日朝鮮人が国家安全保衛部(今は保衛省)に脅迫されてきた歴史を知らないのでしょうか。

うすうす知っていても、「運動の邪魔になる」といった判断から北朝鮮による蛮行の歴史を見て見ぬふりをしている左翼政治家、運動家があまりにも多い。

何のための「運動」なのでしょうね。そういう左翼政治家や運動家は、在日韓国・朝鮮人を利用しているだけではないでしょうか。

何でもいいから、日本国家と日本人を貶めることができればそれでよい、という「運動」など妄動、策動の類でしかありません。







2017年1月9日月曜日

国際政治学者畑田重夫氏は今でも在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業再開を要求しているのか―畑田重夫・川越敬三「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)より思う

「『日本海を平和の海に』『帰国船を日朝間の平和の懸け橋に』といったスローガンではじまった帰国事業は、日朝友好運動史上の画期的なできごとでした。

これは六十万在日朝鮮人をその祖国の周囲にいっそうかたく結集したばかりでなく、日本人一般の朝鮮観、朝鮮人観を大きくかえ、日朝友好の空気を全国にみなぎらせました。


内外の反動勢力はこれを恐れてその後何回も帰国事業の破壊をこころみましたが、その都度、日朝両国人民の連帯の力でこれをはねかえしてきました。

これによって帰国事業は1967年末までの八年間つねに順調にすすめられ、合計八万八千人が無事祖国へ帰って新しい生活に入りました」(同書p191より抜粋)


畑田重夫氏と川越敬三氏の著作「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)は、当時の日本の左翼人士が北朝鮮、そして韓国をどのように把握していたかをよく物語る本です。

この本の帰国事業をめぐる記述をもう少し紹介しておきましょう(同書p191より)。

畑田・川越両氏によれば、帰国事業は重大な危機にさらされています。佐藤内閣と自民党が「日韓条約」発効以後、帰国事業を打ち切る策動をあらためて開始したからです。

佐藤内閣と自民党は、帰国協定の延長を一方的に拒否し、1967年8月の日朝赤十字のモスクワ会談と同年11月から6月の日朝赤十字のモスクワ会談と同年11月から翌68年1月へかけてのコロンボでの日朝赤十字会談をいずれも決裂させてしまったそうです。

畑田・川越両氏によれば、在日朝鮮人の帰国希望者は、日本の関係機関への登録をおえた人びとだけでもなお一万七千人以上残っています。

帰国事業の破壊に反対し、その円滑な継続を保障させる運動はひきつづき日朝友好運動の重要な課題の一つとなっていると、両氏は力説しています(同書p191)。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は畑田重夫氏の著作「朝鮮問題と日本」を御存知なのか


この本が公刊されてから50年近い歳月が流れました。

畑田重夫氏は新聞の切り抜きを、生きた現代史の資料であると述べています(「働くものの学習法」昭和45年東邦出版社刊行、p161)。

北朝鮮は日本人や韓国人の拉致、日本漁船銃撃と船員殺害、大韓航空機爆破など数々のテロを長年断行してきました。

北朝鮮は政治犯収容所で、「政治犯」とその家族に過酷な囚人労働を強制していることも、いくつもの全国紙やテレビで何度も報道されています。

新聞の切り抜きを熱心にやっている畑田重夫氏は、これらのニュースに接した際、「日本海を平和の海に」などという奇怪な宣伝文句で北朝鮮に帰国した人々はその後どうなったのか、一切思考しなかったのでしょうか。

畑田重夫氏は今でも、もっと多くの在日朝鮮人が北朝鮮に帰国するべく尽力することが、日朝友好運動の重要な課題の一つと主張しているのでしょうか。

そんな主張は、「ヘイトスピーチ」そのものとみなされても仕方がない。

在日朝鮮人が北朝鮮に帰国すると、何がどうなって日本海が平和の海になるのでしょうか。帰国船で在日朝鮮人が運ぶ財貨を、北朝鮮の核軍拡に利用できるからでしょうか。

在日朝鮮人を「南朝鮮革命」のための工作員にするために、帰国船を利用できるからでしょうか。

北朝鮮への帰国船は、現代の「奴隷運搬船」だったとしか私には思えないのです。テロ国家北朝鮮の策動に協力した「民主運動」とは、いったい何だったのでしょうか。

国際政治学者畑田重夫氏はその後、日米安保反対運動や東京都知事選への出馬などで活躍しました。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党国会議員の方は、畑田重夫氏とどこかで面識があるはずです。

日本共産党が主導した「平和運動」「民主運動」の真実を、新日本出版社刊行物を読んで考えるべきだ


畑田重夫氏の言論活動の軌跡は、日本共産党が主導してきた「平和運動」「民主運動」の歴史の一ページでもあります。

早大文学部卒業の吉良よし子議員は読書好きだそうです。

吉良議員は畑田重夫氏の「朝鮮問題と日本」や、川越敬三氏の「社会主義朝鮮」(新日本出版社昭和45年刊行)を御存知なのでしょうか。

諸先輩の言論活動の軌跡を、諸先輩の著作を通して学ぶという謙虚さを、若い共産党員に持っていただきたいものです。

一昔前の日本共産党の「赤旗」や「前衛」掲載論考や新日本出版社の出版物を一切読んでおらず読む気もない方々が日本共産党の国会議員をやっているのなら、国民を愚弄しているようなものです。








2017年1月8日日曜日

小島晴則「写真で綴る北朝鮮帰国事業の記録 帰国者九万三千余名 最後の別れ」(高木書房刊行)より思う

「前略 其の後新潟では皆さん何のお変りもなく御元気でお過ごしの事と思います。当方は小生の病が一進一退で、朝鮮では職場を六ヵ月以上病欠すると自動的に社会保障になり(職場はやめなければならぬ)一月日本金で約二千二百五十円を支給されてくらすようになります。


そういう訳であわれにも小生完全な廃人となりました。いかに健康の為とはいえ真に口惜しい毎日です。

あわれなのは小生よりも愚妻と子供で愚妻は三人の年子を連れて職場にこの十月から出る事になりました。...

先日来御手紙した如く毛布(千二、三百円の物)百枚位かサッカリン二百Kg位を何とかして貰えませんか。...

妻や子はボロを着てもまづい物を食べても国の為革命の為と労働者階級の為にと思って頑張って来たのですが、

梨花という二番目の子はクル病で病的骨折で片輪になってしまうし小生も健康を害し妻も関節を病むしで今や曹浩平一家は満身創痍の形で出るのは苦笑とため息だけです。

勿論人生は長いのだし一時の病気の為に革命の理想を忘れるような小生ではないつもりですが何とか現在の急場をしのげれば先に書いた様に父上母上の御情にすがるしか無い訳です。

どうか御無理でしょうが本帰国事業の終る十一月迄に何とか小生の勝手をお聞き届け下さって御援助下さるようお願い致します。」

(北朝鮮のハムフン市に帰国した元在日朝鮮人チョ浩平さんからお父さんのチョ和平さんへの手紙より抜粋。一家は昭和37年2月14日に北朝鮮に帰国。同書p315掲載)

北朝鮮への帰国事業と運動が盛んに行われていた頃から新潟で現場を綿密に記録してきた小島晴則氏によるこの本は、日本の社会運動史を考える上でも貴重な文献です。

北朝鮮に帰国したチョ浩平さんは当初、両親に帰国を勧めていたが...


昭和42年9月27日付けのこの手紙を最後に、チョ浩平さんからの連絡は無くなってしまいました。

昭和34年より行われた北朝鮮への帰国事業により、九万三千余名(日本国籍保持者がそのうち約六千名)が北朝鮮に帰国しました。

チョ浩平さんは東北大学で生理学を専攻していたのですが、朝鮮総連関係者から「平壌に行けばモスクワの大学に行ける」と言われ、日本人妻小池秀子さんを伴って帰国しました。

帰国後はなぜかハムフン医大に配置され、モスクワには行けませんでした。

帰国当初、チョ浩平さんは次のように日本の家族に「祖国はすばらしい」という手紙を書いていました。

「現在の仕事は講座長の助手をやっています。毎日、研究のためにあちこち出歩きますが、なかなか大変。...

こちらは良くなる一方だし、種々な不良品もありますが、そんなことは社会保障、医療制度、就業の自由で充分償われているし、物価は非常に安定していますから生活に不安はありません。...

日本で下らぬ商売をするのが良いか、帰って来防ある生活をした方がよいか、植民地人的な根性を捨てて早く帰って下さい。

宣伝だ、などと思ってはなりません。金など一銭も持ってこなくてよいです。...」

(「新潟帰国協力会ニュウス、昭和38年9月15日より。同書p551掲載)

チョ浩平さんと妻小池秀子さんはなぜか別に暮らすようになった―一家5人全員が射殺?


ところがチョ浩平さんはその後、生活の苦しさを訴えるようになりました。

昭和42年9月27日の前記の手紙を最後に、チョ浩平さんからの消息は無くなります。

この本のp657に掲載されている毎日新聞記事(平成15年2月8日夕刊)によれば、小池秀子さんが昭和48年7月に実家に「子供たち3人と4人暮らしになって6年になります、という手紙が届きました。

4人ですから、夫の浩平さんとは別に暮らしていることになります。この手紙を最後に、小池秀子さんからの消息も途絶えてしまいました。

状況を知ったアムネスティ・インターナショナルが北朝鮮側に照会しました。

浩平さんは1967年にスパイ容疑で懲役20年の判決を受けた後、74年10月に脱獄し、ボートを奪って逃走を試みる途中で、一家5人全員が射殺されたと北朝鮮側はアムネスティに報告してきたそうです。

病弱だったチョ浩平さんが、妻子を連れていったいどうやってボートを奪うというのでしょうか。北朝鮮当局の「回答」には何の信ぴょう性もありません。

1960年代後半、北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人の相当数が消息不明になった


北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人のうち、どういう訳か1960年代後半に消息不明になってしまった方は少なくありません。チョ浩平さん、小池秀子さん一家はその一例にすぎません。

この本には、卒業した新潟中央高校に梅の花を植えて帰国していった金和美さんの話も出ています(朝日新聞新潟版昭和36年4月13日記事。同書p325)。

会津出身の金和美さんは、新潟市の親類の料理店で働きながら新潟中央高校の定時制に通っていました。卒業後和美さんはもっと勉強したい、と単身で帰国しました。

昭和35年3月の事です(同書p622)。金和美さんと交流のあった小島晴則さんらは、金和美さんがきっと幸せになると確信していたでしょう。

ところが金和美さんは、昭和40年に訪朝した新潟市議会議員によれば、すっかりやつれていたそうです。

金和美さんは「偉大なる金日成首領さまの懐に抱かれて幸せです。」というだけでした。

そのずっと後に北朝鮮を訪問した在日朝鮮人の話によれば、金和美さんは帰国当初は平壌の医科専門学校に入れたのですがやがて退学させられ、中国国境近くの新義州に移されました。

新義州で金和美さんに会った在日朝鮮人によれば、彼女は見るに忍びないほどやつれて、何かに怯えていました。うつろな目で会話がほとんどできませんでした。

この方によれば、金和美さんらの一日の食事は油を搾りとったトウモロコシの粕に雑穀を混ぜたのが一日二百グラムだそうです(同書p623)。

これでは、金和美さんは生きのびていけないだろうとこの方は小島晴則さんに語りました。

金和美さんと会った在日朝鮮人は、新潟県の在日本朝鮮人総連合会副委員長を務め、北朝鮮に多額の献金をした方です。

その方の次女が昭和47年に朝鮮大学校の学生二百名部隊に指名されて帰国したそうです(同書p626)。在日朝鮮人の世界では、「熱誠者」の御一家といわれるような方々です。

この方の訪朝体験談に、嘘偽りがあるとは到底考えられない。

在日本朝鮮人総連合会関係者は、消息不明になった元在日朝鮮人を「山へ行った」という隠語で表現します。

人里離れた山間へき地に、理由不明である日突然一家もろとも連行されてしまうという意味です。

在日本朝鮮人総連合会は憎悪心を発散するために反日宣伝をする


「山へ行った」については、在日本朝鮮人総連合会の運動に長年従事している方ならよく御存知のはずですが、在日本朝鮮人総連合会の公刊物には一切言及されていません。

在日本朝鮮人総連合会の活動に熱心に従事した数々の先輩方が、北朝鮮に帰国後徹底的に抑圧されている史実を、後輩の在日本朝鮮人総連合会は何としても隠蔽せねばならないということなのでしょう。

「金日成民族」の一員として、「全社会の金日成・金正日主義化」、すなわち大韓民国滅亡のために日夜尽力されている方々ですから。

「偉大なる首領」「民族の太陽」「偉大なる領導者」のもとで、人民は皆幸せに暮らしていると「金日成民族」は全力で宣伝せねばならないのです。

首領様に対する絶対性、無条件性に欠ける人間は民族反逆者ということになっています。

こう考えると、在日本朝鮮人総連合会の皆さんの言動を「理解」できますが、皆さんの内心については想像するしかありません。表と裏の顔、心を持つ方々なのだと解釈するしかない。

不気味なことこのうえない。

「全ての社会問題は日本による朝鮮半島植民地支配のせいである」-左翼の共通点―


在日本朝鮮人総連合会の皆さんは日本人に対する激しい憎悪心を抱いています。

在日本朝鮮人総連合会は日本人拉致をデマだと長年喧伝してきましたが、この件についても一切謝罪していません。憎しみの対象である日本人に謝罪などありえないということです。

日本と朝鮮半島の全ての社会問題は、日本による朝鮮半島に対する植民地支配を原因としていると無理やり思い込み、それを声高に宣伝すれば日本と韓国の左翼から拍手喝采されます。

在日本朝鮮人総連合会はこの類の宣伝を最重視していると考えられます。

殆どの在日韓国・朝鮮人は、日本の左翼と似た感性を持っていますからこの類の宣伝に同調しやすい。

在日韓国人の多くは、自分が大韓民国の国民であるという認識を持っていません。

殆どの在日韓国人は大韓民国が北朝鮮の武装工作員による生物・化学兵器攻撃や核攻撃の危機に直面していようと自分たちとは何の関係もないと考えています。

そんなことより、全ての社会問題は日本の植民地支配のせいだという愚論が今後、左翼化した在日韓国・朝鮮人により普及されていく可能性があります。

左翼は時代の雰囲気に便乗して共産主義国宣伝をする


左翼は時代の雰囲気を巧みに利用します。

北朝鮮への帰国事業が行われていた頃、時代の雰囲気に便乗してテロ国家北朝鮮を礼賛したのは宮本顕治氏ら日本共産党員と在日本朝鮮人総連合会でした。

在日韓国・朝鮮人に対して「朝鮮へ帰れ!」などと怒鳴るのは不適切です。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが北朝鮮に帰国しないのは、帰国すれば朝鮮労働党により徹底的に抑圧されることを熟知しているからです。

罵詈雑言を流布すると、在日本朝鮮人総連合会や左翼の狡猾さを日本人が見抜けなくなってしまいます。

奇妙ですが、「朝鮮人は朝鮮へ帰れ!」と怒鳴る人々と、在日本朝鮮人総連合会の皆さんには、大韓民国は滅亡してしかるべきであるという共通点があります。

ヘイトスピーチ反対とやらの運動に参加している在日韓国人はこれに気づいていないようですが。知っていても、あえて目を背けている知識人は少なくない。

共産主義運動に参加してきた左翼政治家なら、これを十分承知しているはずです。日本共産党と朝鮮労働党の共同声明を読めばすぐにわかることですから。

ヘイトスピーチ反対で在日本朝鮮人総連合会関係者と連帯・共闘すると自分を「良心的政治家」と宣伝できるから、南朝鮮革命すなわち大韓民国滅亡策動から目をそらしているのです。

北朝鮮への帰国事業、帰国運動の史実から学ぶべきことの一つは、テロ国家北朝鮮を礼賛してきた人々の狡猾な生き方です。

韓国左翼も、テロ国家北朝鮮による人権抑圧から目を背けています。

これが韓国社会でもっと明らかになれば、北朝鮮への備えとして米韓軍事同盟の強化が必要だという話になってしまうからです。これは韓国左翼の長年の主張と逆行します。

それより、日本が植民地支配に無反省なのが最大の問題だという愚論を普及すれば、韓国社会では拍手喝采されます。

これに正面から反対する人は韓国では稀有です。

太宰治が厳しく批判した人々の内心


いつの時代でも、その時代の雰囲気に便乗し、自らを素晴らしい人物であるかのように脚色して世の中を渡り歩く人々はいます。左翼だけではありません。

私見では、太宰治はそんな生き方をする文学者を毛嫌いし、その人たちの内心を暴きました。この件については別の機会にふれます。