2015年4月27日月曜日

Audrey Tautou, Gad Elmaleh主演2006年仏映画「プライスレス 素敵な恋の見つけ方」(原題Hors de Prix, 英語題名Priceless)を観ました。

Saganが描いた欧州の大金持ちの世界を思い起こさせる。地中海沿いのリゾート地Niceを舞台にした恋の物語。何よりも、Audrey Tautouの小悪魔ぶりとファッションが魅力的。


Internetで調べると、Niceは一年中温暖なので観光客が絶えない。欧州の大金持ちが長期間滞在する観光地なのでしょう。Niceの街には高級ホテルが沢山あるのでしょう。

大金持ちの観光客は高級品を消費します。欧州の大金持ちには、金の力で若い女性や男性を愛人にする人もいるのでしょう。

金持ちの女性に養われて生きる男性を日本語ではツバメ、外来語ではジゴロ(gigolo)と言います。

ツバメの子は親から餌をもらうため、全力で巣から顔を出します。しっかり顔を外に出していないと、他の子供、兄弟に餌を奪われてしまいますから。

金持ちの女性に養われている若い男性と恋人の女性の関係は、ツバメの子と親のそれを連想させるから、そういわれるようになったのかもしれません。

この映画は、ツバメ、ジゴロとして生きる若い男女の物語です。

そんな暮らしがいつまでも続けられるはずもない、こんなことはありえないなどと理屈をこねないで楽しく見るべきでしょう。

ジゴロとして暮らす人の現実を極端化して描けば、こうなるとも言える。

Audrey Tautouのファッションの変化を楽しめる


1ユーロ通貨に思いを込めたシーンも面白い。金がなければ何もできないが、金が全てではありえないという製作者からのメッセージなのでしょう。

ジゴロの二人はそれぞれ同じ文句で、目標とする相手の心をつかもうとします。

決まり文句がどうあれ、Audrey Tautouの情熱的な瞳で見つめられたら、散財してしまう大金持ちはいくらでもいそうです。

Audrey Tautouが背中が大きく開いたドレスや水着などいろいろな衣装や髪型で登場してくるのもこの映画の魅力の一つです。女性はファッションや髪型、化粧で随分変わるのですね。

「ロシアン・ドールズ」(Russian Dolls, 2005年)のAudrey Tautouと大違いです。

金持ち男に逃げられてしまい、一文無しになって途方に暮れ、プールサイドで水着のまま震えるAudrey Tautouも可愛らしい。

欲を言えば、この映画は音楽が今ひとつのように感じました。Niceの街並みにふさわしい音楽とはどんな曲なのか、私にはわかりませんが。

2015年4月20日月曜日

Benoît Magimel主演2006年仏映画「裏切りの闇で眠れ」(原題TRUANDS、ごろつき、ヤクザの意味)を観ました。

パリの犯罪組織による暴力と殺人の世界を描いた。Benoît Magimel演じる一匹狼の哀愁感漂う歩き方が良い。


この映画のパリの犯罪組織は、性産業や飲食業とそこでの用心棒代、麻薬取引、偽札、未登録の車の取引などで稼いでいます。用心棒代では日本の暴力団と共通しています。

この映画には、残虐なシーンが多すぎるように思えます。それがParis犯罪組織の現実なのでしょうか。

Charles Bronson主演の「バラキ」(The Valachi Papers, 1972)を思い出します。

「バラキ」にも、正視に耐えない残虐な殺人シーンがありました。

Benoît Magimelファンの女性でも、拷問シーンが恐ろしくて映画の筋についていけなくなってしまかもしれません。

Benoît Magimelは、悩めるインテリというような役を演じるとぴったりです。寝起きや、着替えるシーンでも一匹狼の殺し屋の孤独と哀愁が感じられます。

Benoît Magimel演じる殺し屋がボスの愛人を騙すシーンは、この映画の見せ所でしょう。

フランスの監獄ではボスの愛人が面会し、ボスを抱擁できるのか


駐車場での麻薬取引から生じた犯罪組織間の派手な銃撃戦がありますが、これは非現実的でしょう。

逮捕された犯罪組織のボスが服役中に子分と携帯電話で連絡をとり指示を出すシーンがあります。フランスの監獄ではこんなことが行われうるのでしょうか。

服役中のボスの愛人が同じ部屋に入って、ボスと抱擁しあうシーンがあります。

ボスの愛人は、子分たちの動向をボスに報告しています。こんなことが現実にありうるなら、ボスを逮捕しても殆ど意味がない。

フランスの犯罪組織は小規模で杜撰なのか


仏の犯罪組織は日本の暴力団のように大組織になっていないようです。

この映画では、ボス自らが裏切り者の拷問を行い、部下に殺人の指令を出します。

犯罪組織といっても、その構成員は十人もいないように描かれている。

現実にそうなら、有力な子分の裏切りにより犯罪組織は簡単に崩壊してしまう。

映画では、ボスには武装したボディガードがいない。

これでは、Benoît Magimel演じる一匹狼の殺し屋に簡単に消されてしまうのも当然でしょう。対立している犯罪組織の刺客に殺られてもおかしくない。

経験豊かなボスなら、子分がいつでも裏切りうることを予見しているはずです。だからこそ、ボスは一匹狼の殺し屋を信頼したのかもしれません。

2015年4月12日日曜日

Audrey Tautou 主演2011年仏映画「ナタリー」(原題La délicatesse, François Damiensが相手役)を観ました。

三年前、夫を交通事故で失った若きナタリー(Nathalie)が、衝動的にさえない部下Markusにキスをした。それが二人の恋の始まり。-


純愛物語です。気軽にジョギングに出た夫が突如交通事故で亡くなってしまいました。子供を産み育てることを二人で楽しみにしていたのに。これでは若妻は立ち直れないでしょう。

茫然自失したNathalieがParisの街を歩くシーンの挿入歌が、どことなくParisの雰囲気を醸し出しています。亡き夫への想いを連想させる歌詞です。

夫はもう死んだのだから、忘れなくてはいけないとNathalieは必死です。携帯から、夫のアドレスを消そうとしたが消せない。

内向的になり3年間仕事に専心するNathalieに、勤務先の社長( Bruno Todeschini)が声をかけます。Parisの洒落たレストランで二人は夕食を共にします。

社長はNathalieに愛を告白します。当惑しますがNathalieはきっぱり社長を拒否します。

社長はNathalieにかなり入れ込んでいますが、妻帯者です。「すぐに離婚する」と言いますが、こんな約束は当てにならない。

Nathalieの心の奥には3年前に亡くなった亡父がまだ生きていたのです。「一生、誰も愛さないかもしれない。愛するとしても、それは貴方ではない」とNathalieは社長に告げます。

若い二人の関係がなかなか進展しないのは―Nathalieの心中に亡き夫の面影か


なぜナタリーが突然部下のMarkusにキスをしたのかはよくわからない。仕事に打ち込んでいる女性が寂しさを紛らわすためにそんなことをするでしょうか。

そのあと、若い二人の関係がなかなか進展しないのも少し奇妙に思えます。

スウェーデン人のMarkusが、素敵な上司との恋の進展にとまどうものでしょうか?Nathalieの心中には亡き夫の面影が浮かんでは消えていたのでしょう。

それをMarkusは感じ取っていたのかもしれない。観劇の後エッフェル塔の近くで、二人で夜景を見ながら少し話をするシーンがあります。

Markusは「君は美しい。でもありえない」と言い、走って逃げてしまいます。そのあともMarukusは、Nathalieの顔を見ないようにします。

二人は中高生ではないのですから、これは考えられない。このあたりが、現代フランスには稀な純愛物語ということなのでしょう。

映画の最後のほうで、NathalieとMarkusが祖母の家に行きます。祖母の家の庭で、幼いNathalieが隠れん坊などをして遊びました。

その後Nathalieは亡夫と出逢い、哀しい別れをすることになったのですが、これまでの全ての彼女をMarkusは愛する決意をします。現実にはこれが難しいでしょう。

仏映画を観るたびに思うことの一つは、家が広い。一人暮らしでも、何部屋もあるアパートに住んでいて当たり前のようです。

フランス人の伝統的食文化がフランスの競争力を支えている


友人を招いてパーティを催すのはフランス人家庭のしきたりです。ワインを片手に友人同士いろいろ語り合う場面が、必ずと言って良いほど映画に出てきます。

フランス映画の魅力のひとつは、フランスの伝統的食文化を垣間見られることでしょう。フランス人は毎夕、ワインを飲むのでしょうか。

この映画には、英語の歌に合わせてNathalieがダンスをする場面があります。一昔前のフランス人には、英語を嫌う人が少なくなかった。これは30年前の私の学生時代の話です。

Nathalieのダンスを見て、フランスも米国化が少し進んでいるのかなと思いました。米国化というより、イスラム化が進んでいるという政党もあります。

映画と関係ないのですが、少し書き留めます。

フランスはフランス語圏からの移民を拒否できるか


イスラム化が進めば、伝統文化が衰えてフランス経済の競争力が弱体化してしまうかもしれません。

しかし移民としParisに来ている人々の多くは、父母や祖父母がフランス人だった方々です。フランス語圏の人々の殆どが、独立前にはフランス人だった。

フランス語圏の人々が親戚や友人を頼ってフランスに移住してくるのはおかしなことではない。豊かなフランスに渡って運命を切り開こうという気持ちでしょう。

フランス語圏からの移民を、イスラム教徒だからといって現在のフランスは拒否できるのでしょうか。かなりの難問でしょう。






2015年4月7日火曜日

「金日成民族」は金日成の愛娘、金正日最愛の妹金敬姫の安否に無関心なのか―朝鮮学校では金日成の愛娘が消息不明となったことをどう教えているのか―

金敬姫は甥の金正恩を恨む遺書を残して、夫張成澤処刑数日後に自殺した?


北朝鮮の公式メディア「朝鮮中央通信」によれば、朝鮮民族は金日成民族だそうです。従って在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、金日成民族の一員なのでしょう。

なぜか、金日成の愛娘で、金正日の妹金敬姫は、夫張成澤処刑とほぼ同時期から動向がわからなくなっています。

北朝鮮に渡った元在日朝鮮人や日本人妻の中で消息不明になった方は珍しくないので、またかとでも在日本朝鮮人総連合会の皆さんは思っているのでしょうか。

脱北者の団体「NK知識人連帯」のHP掲載記事は、平壌の高いレベルの幹部からの情報として、金敬姫が張成澤の処刑の数日後に甥の金正恩を恨む遺書を残して自殺したと伝えています。

金敬姫が金正日の死後三年の催しに一切出てこなかった


金敬姫は金正日の最愛の妹なのですから、金正日死後三年の催しには必ず参列せねばならないはずです。

一切姿を見せないだけでなく、名前すらこの間北朝鮮の文献に出てこないのはあまりにも異様です。

金敬姫が病死したのなら、金敬姫には子供がいないのですから甥の金正恩が葬儀を出さねばならないはずです。一つ一つ考えていくと自殺説が現実味を帯びてくる。北朝鮮では、自殺は重罪です。

平壌の最高幹部は事実を知っている-金正恩に激しい反感を内心で抱いている
 

平壌の労働党幹部で金敬姫の存在を知らない人間などありえない。

田舎の労働党幹部なら金敬姫を知らなかったかもしれませんが。平壌の労働党幹部は金敬姫が金正日死後三年の催しに一切出てこなかったのをどう受けとめたでしょうか?

金敬姫と昵懇だった労働党最高幹部は事実を知っているはずです。自殺なら、彼らは内心で金正恩に激しい反感を抱いているに相違ない。

病死でも、叔母の葬儀すら出さない金正恩を労働党最高幹部は内心でどう思っているでしょうか?金日成、金正日の顔に泥を塗るような行為と思っているかもしれない。

早世した母金正淑を求めて泣く妹金敬姫の姿を、兄金正日は終生忘れなかった


在日本朝鮮人総連合会のみなさは金正日最愛の妹がどうなっていても自分たちには何の関係もないという受けとめなのでしょうか?「山に行った」のだろうな、という程度ですか?

金日成や金正日が生きていたら、皆さんのそういう態度をどう思うでしょうか?

死人に口なし、ということなのですかね。在日本朝鮮人総連合会とは金日成の愛娘、金正日の最愛の妹をないがしろにして足蹴にする人の集合体ということになりませんか?

金正日にとって在日本朝鮮人総連合会本部の建物などより、妹金敬姫の方がどれだけ大切だったかわからない。

母親の金正淑が早世したとき、僅か3歳だった金敬姫は母親の顔や声を殆ど覚えていないはずです。
「オンマ、オンマ」(엄마,엄마)と母を求めて泣く幼い妹を、兄金正日(오빠)はどれだけ不憫に思ったことでしょう。金正日、金敬姫と継母金聖愛の関係がうまくいったはずがない。

文学を多少読んだことがある人なら、そのくらいの想像ができそうなものです。在日本朝鮮人総連合会に読書家はいないのでしょうか。

「偉大な首領」金日成は、愛娘が将来の「民族反逆者」「宗派分子」と結婚することを認めた


金日成の愛娘、金正日最愛の妹の安否を無視することが、金日成民族の義務であり「全社会の金日成・金正日主義化」なのでしょう。

金敬姫が民族反逆者張成澤の奥さんだから行方不明で当然ということなのでしょうか。
朝鮮学校では、愛娘が消息不明となってしまった金日成の人生をどのように教えているのでしょうか。

愛娘が将来の民族反逆者、宗派分子張成澤と結婚することを認めたのは首領様の生涯で最大の失敗だったと教えるのでしょうか。

朝鮮学校では、金日成や金正日には人物観察眼がなかったと教えるのでしょうか。




2015年4月3日金曜日

Audrey Tautou 主演2009年仏映画「Coco Avant Chanel」(英語題名はCoco Before Chanel, シャネルになる前のココ)を観ました。

「シャネルになる前のココ」-仏のファッション・デザイナーChanelの前半生を描いた映画。


マリリン・モンローの名文句「ベッドで寝るときは何を着ているかって?シャネルの5番よ」(Marilyn Monroe, What do I wear in bed? Why, Chanel No. 5, of course)。

私はブランド品に疎いので、シャネルといえばマリリン・モンローの有名な言葉くらいしか思い浮かびませんでした。

この映画は、ココ・シャネル(1883-1971)というシャネルを作ったファッション・デザイナーの前半生を描いています。

ココの母親は若くして亡くなりました。父親に捨てられたココは孤児として育ちました。

映画の時期はフランス革命後百年以上経っている。日本では明治の終わり頃。


ココが生まれた1883年は明治16年ですから、この映画の頃日本は明治の終わり頃です。当時のフランス社会の一面を、この映画で垣間見ることができます。

フランス革命後100年以上過ぎていますが、巨額の財産と居城を保有している貴族階級がある。

彼らは地道に働いて稼ぐことを嫌う。こういう階層は、日本にはなかった。華族の全てが巨額の世襲財産を持っていたわけではない。家族が特に勤労を嫌ったわけでもない。

欧州の貴族は城に住んでいました。日本の華族には居城はなかったはずです。

孤児院を出たココは、姉とともに酒場の歌手になりました。映画の初めのほうに、Audrey Tautou演じるココが歌いながら可愛らしく踊るシーンがあります。私はこのシーンが一番気にいりました。

ココ(Coco)というあだ名は彼女が歌っていた歌に由来しているそうです。

ココと姉は酒場で歌を聴いていた客にチップをもらい生計の糧を得ていました。山高帽を裏返しにして客の間を回る姿が映画に出てきます。

「家なき子」(Sans Famille)のヴィタリス一座はココより少し前のフランスの物語


このシーンを見て私はほぼ同時期のフランスの有名な物語「家なき子」(Sans Famille)を思い出しました。

「家なき子」にも、芸を披露した後に犬が帽子を持って回りチップをねだるシーンがありました。「家なき子」はが、若きココより少し前の時期を舞台にした物語です。

日本と同様に欧州には昔から、酒場や街頭で芸を見せて稼ぐ芸人が数知れずいたのでしょう。

ココのデザイナーとしての才能は、酒場の客の身なりを観察する中でも磨かれていったのでしょう。ココは、後にスポンサーとなってくれた貴族の男性Etienne Balsanと出逢います。

インターネットで調べると、出逢いのときココは20歳です。この時代に、才能はあっても財産など一切ない女性が起業するなら、富裕な男性に頼るしか途はなかったのかもしれません。

この映画では若きココが秘めていたであろう野望はあまり描かれていません。未来の大実業家が、青春期に野望をもたなかったとは考えられない。

ココが有名になる前の、男性たちと恋愛と心の交流を通して後のChanelをみる映画なのです。

ココ・シャネルはフランス経済の生産性向上、経済成長に貢献した-J. A. Schupeter「経済発展の理論」


この映画を観て、改めて経済成長と生産性の関係をふと考えました。

ココはその後現代フランスの代表的な実業家の一人となったのですから、明らかにフランス経済の生産性向上に貢献しました。新しいファッションを創りだすことは生産性の向上でもあります。

生産性向上のためには、地道な努力だけではなく、流行を機敏に把握する閃きが必要なのでしょう。そういう才能をもつ起業家を見出し資金を貸す銀行も必要です。

ココの場合には、恋人が銀行の役割を果たしたのです。地主が起業家に資金を提供してInnovationを支援したなら、地主は銀行家のような役割を果たしたといえる。

J. A. Schumpeterの「経済発展の理論」(Theory of Ecocomic Development)を思い出しました。Innovationを遂行する企業家はどのような社会的土壌のもとで生まれるのでしょうか。

ココは、数え切れない新製品を開発したのでしょう。しかし豊田佐吉(トヨタの創始者)のような地道な発明家ではなく、閃きの人だったのではないでしょうか。芸術家肌だったのかもしれません。

経済成長には生産性の向上が不可欠です。生産性とは実際には何なのでしょうか。費用を少なくする技術というだけではない。

消費者の動向を機敏に把握し製品化する才能も生産性なのです。ココのそのような才能は、酒場の歌手としての辛い経験により作られたのかもしれません。

Audrey TautouはAudrey Hepburnに似ている?


ところで、主演のAudrey Tautouは、故Audrey Hepburnにどこか似ているような気がしませんか?二人とも痩身でとても可愛らしい。情熱的な大きな眼と豊かな黒髪が魅力的です。

Audrey Tautouが演じるRoman Holidayを観たいものです。

米国の対談番組でのAudrey TautouをInternetでみました。Audrey Tautouは、言葉を選びつつ話します。穏やかで思慮深い人なのかもしれません。