2016年12月30日金曜日

死刑囚大森勝久さんのブログにご注目下さい!

死刑囚大森勝久さんのブログを御注目ください。次です。http://ameblo.jp/omorikatsuhisa/entry-12232421131.html


大森さんの死刑判決は、十分な証拠がないのに出されているように思えてなりません。真犯人が別にいるに違いないのです。

私は大森勝久さんの御意見に全て賛成するものではありませんが、左翼から日本国家を守る保守に転換された大森さんを尊敬しています。

私見では、大森さんの基本的な主張は法の支配を貫徹させるべきである、ということです。ロシアの危険性を大森さんは強く主張されています。

私は十数年前より、大森さんと私信をやりとりしています。主張は強烈ですが、穏やかな方です。皆様の御注目を訴えます。




2016年12月26日月曜日

政府は対北朝鮮ラジオ放送で金日成、金正日を批判するべきだ!産経新聞12月20日記事より思う。

「政府が、北朝鮮にいる日本人拉致被害者向けのラジオについて、新たに米国政府系放送「ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」「自由アジア放送(RFA)」と連携して放送を始める方針であることが19日、分かった」(産経新聞12月20日記事より)


この記事が事実なら、一歩前進です。

本ブログでは繰り返し、日本政府が対北朝鮮ラジオ放送で金日成、金正日を批判するべきと主張してきました。

二年前の2月24日には「日本政府は対北ラジオ放送などで北朝鮮の国家安全保衛部と朝鮮人民軍兵士に思想攻撃を加えるべきだ」と訴えました。

非力ながら、私は何人かの国会議員の方や、政府の担当部署にも資料を添えてこれを訴えてきました。多少は何か考えて下さったのでしょうか。

産経新聞記事によれば、政府は今後、両放送局と放送内容や頻度などを協議し、来年度から本格的に放送を始めたい考えです。

改めて訴えます。

対北朝鮮政策の基本を「思想攻撃と圧力」に変更すべきだ


政府は対北朝鮮ラジオ放送を、北朝鮮に拉致されている日本人を救出するために実行すべきなのです。

北朝鮮に拉致されている日本人がラジオ放送を聞くことができればそれでよいはずがない。

日本政府の対北朝鮮政策の基本は「対話と圧力」ですが、普通の意味での「対話」などテロ国家北朝鮮には一切通じません。

対北朝鮮政策の基本を「思想攻撃と圧力」に変更すべきなのです。奇妙ですが、「思想攻撃」により北朝鮮との「対話」が可能になるのです。

共産主義者には、思想攻撃が対話の糸口になるのです。黄長ヨップ氏のような人物が、朝鮮労働党内部に存在しているはずです。

日本政府は北朝鮮の「最高尊厳」、金日成と金正日を批判するべきだ


被拉致日本人を救出するためには、北朝鮮の「最高尊厳」とやらである金日成、金正日を徹底批判するべきです。

金正恩による「唯一領導体系の確立」とやらを日本政府が妨害すれば、金正恩は激怒するでしょうが、内心では震え上がるでしょう。

私は次の二点を対北朝鮮ラジオ放送、海外衛星放送で暴露することを訴えたい。

(その1)金日成が中国共産党の一員として、山賊行為を行ったから日本軍に討伐され、ソ連に逃げてハバロフスク近郊で昭和20年8月15日を迎えたこと。

(その2)金正日の華麗な女性関係と奢侈生活を、「金正日の料理人」藤本健二氏の著作などに依拠して説明する。「苦難の行軍」期に金正日は「招待所」で贅沢三昧をしていた。

日本政府が金日成、金正日を直接批判し始めれば、北朝鮮当局は強烈に反応するでしょう。とんでもない脅迫を公の文献でも、裏の経路からもしてくるでしょう。

そのとき日本政府は、「金正恩よ、放送をやめてほしければ横田めぐみさん、有本恵子さん、増元るみ子さんらを直ちに返せ」と対北朝鮮ラジオ放送で良い。

金正恩、金正恩と放送で気軽に呼び捨てにすることも大事です。

勿論、日米軍事同盟の抜本的強化と北朝鮮を直接攻撃できる巡航ミサイルなどの大量保有も必要です。

対北朝鮮ラジオ放送開始時の音楽を韓国の人気歌手WAXに依頼するべきだ


対北朝鮮ラジオ放送開始時のテーマ音楽を、例えば韓国の実力派歌手WAXに依頼するべきです。北朝鮮の人々は、外部世界の情報、特に韓国の情報を何とかして入手しようとしています。

韓国の人気歌手の歌を対北朝鮮ラジオ放送で徹底的に流せば、北朝鮮国内で噂になり、徐々に知られていくはずです。

上述の内容の対北朝鮮ラジオ放送を、北朝鮮の人々が聴取していることが国家安全保衛部(近年は保衛省になったらしい)が知れば収容所送りかもしれません。

それでも北朝鮮の人々は情報を入手しようと努力するでしょう。

金日成、金正日を日本政府が批判し、「金正恩よ、拉致した日本人を直ちに返せ」と気軽に呼びかけ続けたら、「首領冒涜罪」を犯している人が北朝鮮社会に蔓延しかねない。

金正日の女性関係、子どもの数は北朝鮮社会ではタブーそのものなのです。

北朝鮮当局が出版している金正日の伝記には、金正日の女性関係や子供については一切記載されていません。

金日成も同様です。若い脱北者の場合、金日成の後妻金聖愛の存在を知らない方すらいます。

金日成の最晩年の子供を、金正日の命令で張成澤・金敬姫が育てたという情報もありますが、真偽はわかりません。

金正日の華麗な女性関係が北朝鮮国内で噂になれば、国家安全保衛部が責任を取らされる可能性が出てきます。

朝鮮人民軍兵士が気軽に金日成、金正日を批判し始めたら、いざというときに金正恩の命令をきくでしょうか。

朝鮮人民軍の刃が、金正恩に向くように思想攻撃をかけるべきなのです。

海外衛星放送で金正日と高英姫の愛情物語をドラマ放映すべきだ


朝鮮半島や中国東北部向けの海外衛星放送で、金正日と高英の愛情物語をドラマにして放映するべきです。

この御二人の愛情関係は、すぐに形成されたのではありません。金正日にはほかにも愛人がいましたから。

御二人の出逢いと愛情関係の進展、若くして亡くなった高英姫への金正日の想いと、次の愛人の存在をドラマ化して放映したら韓国でも人気が出るかもしれません。

ドラマにはもちろん、金正恩、金正哲、金予正も出てくるでしょう。これを海外衛星放送で放映すれば、中朝国境から中国朝鮮族がCDなどに保存して運びます。

「首領冒涜罪」そのものですから、この番組を観た方は大変なことになりそうです。海外に駐在している「外貨稼ぎ」担当者なら海外衛星放送を観るのは難しくない。

「首領冒涜罪」を、あらゆる手段で北朝鮮社会に蔓延させることが、金正恩を窮地に陥れることになるのです。

金正恩を本気で尊敬している朝鮮労働党幹部など、ただの一人もいない可能性を指摘しておきます。

金日成が中国共産党の一員として山賊行為を行ったことを暴露したら中国も激怒する


ところで、金日成が中国共産党の一員として、山賊行為をやったことを対北朝鮮ラジオ放送で暴露したら、中国共産党も激怒する可能性もあります。

中国共産党とは山賊のような集団だったという歴史観を、中国朝鮮族に広めることになりますから。

被拉致日本人救出のためには、日中関係の根源的悪化もありうることを覚悟せねばならない。中国共産党が、北朝鮮の最大の庇護者なのです。

最大の庇護者のところへ、いまだに一度も訪問していない金正恩を中国共産党大幹部は嫌悪しているはずです。

日本政府が歴史観で北朝鮮から中国を批判し始めれば、中国共産党大幹部は本気で金正恩後を考え始めるかもしれません。

日中関係の根源的悪化は避けられそうもない。

中国国内にいるビジネスマンがスパイ罪などで次から次へと逮捕されるかもしれません。

日本人は中国、北朝鮮と徹底対決できなければ、日本国家の存亡が危ういことを肝に銘ずべきなのです。








木下公勝「北の喜怒哀楽 45年間を北朝鮮で暮らして」(平成28年高木書店刊行)を読みました。

「『帰国者狩り』は、1960年代後半から1970年代初期に始まったと記憶している。金正日が党中央の要職に就き、党の唯一思想体系と指導体系の樹立を唱えはじめた時期だ。

総連幹部だった異国者も、スパイや異端者、国家反逆者という濡れ衣を着せられ、党や行政の要職から外された。北朝鮮の津々浦々から、『帰国者の〇〇が密かに保衛部に連行されていった』

『〇〇の夫が急に行方不明になった」という話が頻繁に届いた。『夫がいなくなった』といっていた女性とその家族が、一か月後にどこかへ連れ去られたという話もあった」(同書p89-90より)。


帰国者とは、昭和34年から実施された帰国事業により北朝鮮へ帰国した元在日朝鮮人のことです。約93000人の帰国者のうち、約6000人が日本国籍保持者でした。

「地上の楽園」に帰国できたはずの元在日朝鮮人が、その後次から次へと行方不明になっていきました。

北朝鮮当局による「帰国者狩り」です。

帰国者の中には、木下氏が語るように何かの「罪」を着せられ、山間へき地や政治犯収容所に連行され、日本の親族との連絡が途絶えてしまった方がいるのです。

北朝鮮では政治犯や重罪を犯した人に対して、日本人の基準で「裁判」といえるような制度はありません。

「政治犯」とその家族は鳥も鼠も知らないうちにいなくなる


国家安全保衛部の特別裁判を受けさせられた「反党反革命宗派分子」張成澤のようなケースは例外です。「特別裁判」とは何か、よくわかっていません。

南朝鮮労働党の大物、朴憲永にも同様の「裁判」はあったようです。大物に対しては、何らかの「裁判」をするようです。

警察側の主張のみを聴いて裁判長が「判決」を下してもそれを「裁判」と把握するべきではありません。形式だけの「弁護人」がいても、警察側に十分な反論ができるかどうか不明です。

「スパイ」を山間へき地に連行する国家安全保衛部らは、家族に「革命化のために学習に行った」と告げるだけで、他の情報は与えません。

国家安全保衛部が「政治犯」を家族もろとも収容所に連行するとき、深夜から早朝に来ることが多いそうです。「スパイ罪」に家族が連帯責任を取らされる場合もあるのです。

「鳥も鼠も知らないうちにいなくなる」という隠語を、私は脱北者から伺っています。

日本に残った在日朝鮮人は帰国者の行方不明を「山へ行った」と表現しています。在日本朝鮮人総連合会の活動を熱心にやっている方なら、これらの隠語を御存知のはずです。

北朝鮮の現状を考えるとき、当局が住民に対し「政治犯」「スパイ」というレッテルを貼り山間へき地や政治犯収容所に連行できるという事実を看過すべきではありません。

先日の産経新聞記事によれば、「金正日の料理人」として知られている藤本健二氏が「平壌でラーメン屋をやる」と行って出かけて行ったあと、連絡がとれなくなっています。

この類の事件が、北朝鮮では頻発しています。

著者の木下氏は、昭和35年夏に父母と兄弟三人で帰国し、北朝鮮北部のハムギョン道の炭鉱都市に配置されました。

木下氏は平成16年(2004年)頃脱北し、10年近く前に日本に入国したようです。

この本は十代半ばで北朝鮮に帰国した木下氏の北朝鮮での暮らしを、ありのままに記しています。

木下氏は帰国後一年にも満たない時期に公開処刑を見ました。以下はこの本のp40-41に依拠しています。

「人民公開裁判 殺人犯罪者、金元国を人民の名で公開処刑にすることを公示する 年齢32歳」と書かれた白い紙が駅前広場の掲示板に張り出されていた(同書p39)


執行日は木下氏が掲示板をみた三日後で、執行場所は川原でした。木下氏が当日の午前十時くらいにそこに行ってみると、500人ほどの住民が川原の中央に集まっていました。

死刑囚の両親、兄弟、親類は群衆の最前列に座らされていました。裁判官が死刑囚に向かって名前、職業、住所などを聞きました。

死刑囚がマイクを通して答えた後、検事が死刑囚の罪状を読みあげました。次に演壇にいる陪審員、判事、弁護士が罪人に向かって犯罪の動機や経緯を質問しました。

北朝鮮では、「判決」後すぐ現場で死刑が執行される


最後に裁判官が、「殺人犯金元国を人民の名において死刑に処する。刑は即時現場で執行する」と判決を言い渡しました。

直ちに安全員(北朝鮮の警察)が罪人を演壇の横に無理やり引きずっていきました。演壇の横には四角い白い布がカーテンのように垂れ下がっていました。

罪人はその中に引きずり込まれました。三分ほど経つと布が下ろされました。そこに丸い柱にロープで縛りつけられた死刑囚が立っていました。

安全部の上官が兵士三人に「死刑囚に向かって進め!」と号令を発しました。兵士三人は肩に自動小銃をかけ、足並みをそろえながら死刑囚の前に立ちました。

「気を付け!射撃準備!われわれ人民の敵、金元国に向けて射撃!」

上官が命令した瞬間、僅か5.6メートル先に立っていた死刑囚に一斉射撃が浴びせられました。死刑囚の胸部のロープは銃弾で吹き飛ばされました。

続いて頭部めがけて銃弾が三発連射されました。髪の毛が飛び散り、原形をとどめない頭部から豆腐のような白い脳みその塊が死刑囚の足元に落ちました。

続いて腰の部分にも銃弾が浴びせられました。

人間が目の前で銃殺される光景を見て、木下氏が背筋が凍るほど恐ろしい思いをしたと語っています。

死刑囚金元国は、「出身成分」のため結婚に反対され、相手の父親を殺した人物だったそうです。

公開処刑される人々の罪状や動機は年代によって異なっていた(同書p42)


木下氏によれば、大別すると60年代から70年代に公開処刑される人々は主に政治・思想犯でした。過去の親日・親米・親韓行為が問題視されました。

「出身成分」とは、「解放」前に自分や親、祖父母がどういう地位、職業についていたかによって全住民を区別する制度のことです。

「核心」「動揺」「敵対」の三階層が基本です。北朝鮮では「出身成分」により、居住地と居住条件、配給、進学、就職など生活のすべてが区別されています。

「出身成分」が悪ければ、生涯にわたって低水準の生活に甘んじなければならない可能性が高い。多額の賄賂を用意できればその限りではありませんが。

元在日朝鮮人の多くは、「動揺階層」に区分されたようです。

勿論金正日に認められれば、最高の消費生活を享受できます。金正恩の母、高英姫は元在日朝鮮人です。それでも、金正日は高英姫の存在を金日成に報告できなかったらしい。

元在日朝鮮人は、日本人と同様とみなされてしまうことが多いのです。

娘が、「出身成分」の悪い男性と結婚することに反対した父親の気持ちは「理解」できなくもありません。

木下氏によれば、1980年代以降は「生きるため」「食べるため」に罪を犯した人間が「成分」に関係なく公開処刑されました。

窃盗・密輸・人身売買犯などです。一度の公開処刑で殺される人の数が増えました。

北朝鮮では「判決」前に罪人の処刑が決定されている


この本によれば、木下氏は「公開処刑に処する」という白い紙の掲示を見て川原に行きました。河原での「裁判」より前に、罪人金元国の処刑はどこかで決定されていたのです。

どこでいつ、誰により罪人の処刑が決定されていたのかはわかりません。想像するしかないのです。

この場合は、社会安全部(北朝鮮の警察)が処刑を決定したのではないでしょうか。検察より、社会安全部が権限を持っている可能性があります。

処刑が決定され、準備まで完了している「裁判」で、「弁護人」が検察に反論したり、処刑に反対できるでしょうか。

そんなことをしたら、弁護人もその場で処刑されかねない。

北朝鮮に「裁判」という名前の制度があっても、日本人の基準でいう「裁判」が存在しているわけではないのです。

木下氏によれば、金正日が社会安全部と国家保衛部幹部の前で次の指示を出しました。

「法に反する行為をした者は、社会的職位、出身成分、過去の業績、功労を問わず、例外なく法に従って厳重に処罰せよ」

この指示により、「出身成分」の如何に関係なく処罰がなされるようになったと木下氏は語っています。

木下氏が金正日のこの指示をなぜ知りえたかはわかりませんが、北朝鮮社会で金正日の「お言葉」は法そのものです。「法」より上の規程ともいえる。

在日本朝鮮人総連合会は虚偽宣伝を謝罪し、脱北者の日本への定住支援をするべきだ


木下氏の御両親に、北朝鮮への帰国を勧めたのは在日本朝鮮人総連合会の皆さんです。

木下氏によれば、二人の幹部が北朝鮮の発展ぶりと「お宅のように親は高齢でも、金日成首相様が領導する北朝鮮では、子どもは学校に通えて幸せな生活ができます」と両親に語りました。

木下氏のお父さんは、「医療費無料」と「学費無料」という言葉に魅力を感じたそうです(同書p15)。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、脱北者に虚偽宣伝を謝罪し、日本への定住支援をするべきです。

現実には、在日本朝鮮人総連合会がそんなことをやる可能性は極めて低い。

金日成民族の一員として、全社会の金日成・金正日主義化のために日々尽力されている方々ですから。

畑田重夫氏は北朝鮮の人権抑圧について見解を表明するべきだ


北朝鮮への帰国事業が盛んに行われていた昭和34,35年頃、日本の政党の中で北朝鮮を最も礼賛したのは日本共産党です。宮本顕治氏がその中心でした。

宮本顕治氏や不破哲三氏は、北朝鮮がテロを国策として行うテロ国家であることがわかってからも、帰国船の再開を主張しました。

一人でも多くの在日朝鮮人に「地獄への片道切符」を握らせようと尽力したのは、在日本朝鮮人総連合会と日本共産党だったのです。

畑田重夫氏は、北朝鮮への帰国運動を全力で推進した方です。畑田氏は全国紙を徹底的に読んでいるそうです。

北朝鮮の人権抑圧については、産経新聞だけでなく朝日新聞や毎日新聞、読売新聞にも何度も報道されていますから、畑田氏は御存知のはずです。

畑田重夫氏には、日本共産党の虚偽宣伝を信じて北朝鮮に渡った元在日朝鮮人のその後について、見解を表明していただきたいものです。

残念ですが、畑田重夫氏や不破哲三氏が北朝鮮の人権抑圧、元在日朝鮮人のその後について見解を表明する可能性は極めて低い。

共産主義者は、都合の悪い史実を隠ぺいします。

不破哲三氏、志位和夫氏はレーニンによる富農、聖職者弾圧指令について沈黙しています。

真の共産主義者とは、共産主義国による残虐行為を隠ぺいすることに生きがいを感じる人々なのです。


























2016年12月18日日曜日

レーニンの富農弾圧指令より思う(レーニン全集第44巻掲載の指令、大月書店刊行)-1918年(大正7年)にロシアで「富農」だった人々は死に値するのか

「1918年8月9日 同志フョードロフ!ニジニでは明らかに白衛軍の反乱が準備中だ。

全力をあげて、独裁官の三人委員会(君、マルキンその他)をつくり、即刻大衆的テロルをくわえ、兵士を泥酔させる何百という売春婦や、旧将校などを銃殺するか、町から追い出すべきである。

一刻も猶予してはならない」(レーニン全集第44巻、p124の「ゲ・エフ・フョードロフへ」より抜粋)


共産主義思想では売春婦や、旧将校という方々は銃殺されてしかるべき存在なのでしょうか。

売春婦とは、性産業で働く労働者です。兵士に酒を飲ませて春を売る店があったのでしょう。

性産業で仕事をしていることを理由に銃殺ないしは追放ではあまりにひどい。この指令は、レーニンの残虐性を示しています。

レーニンがフョードロフという共産党員に、どういう意図から売春婦と旧将校殺人指令を出したのか不明です。

指令を受け取ったフョードロフは実際に売春婦と旧将校殺人を断行するか、町から追放したのでしょうか。

この指令が当時のロシアで実際に実行されていたのなら、ボリシェヴィキのロシアは世界最悪の人権抑圧国家です。

1918年(大正7年)の日本にも性産業はありましたが、労働者の銃殺などありえない。

この指令の少し後のほうには次の記述もあります。

武器保有の罪は銃殺にすること。メンシェヴィキやいかがわしい奴はどしどし追放すること


「全力をあげて行動しおおがかりな家宅捜索をすること。武器保有の罪は銃殺にすること。メンシェヴィキやいかがわしい奴はどしどし追放すること。」

「家宅捜索」とは、「富農」の方々の家をくまなく捜索し、余剰穀物を取り上げろということでしょう。

武器を保有していたらその場で銃殺せよという指令がそのまま実行されていたのなら、ボリシェヴィキに親兄弟を銃殺された人は「反革命」「白衛軍」に参加するようになって当然です。

レーニン全集第44巻を読むと、1918年8月頃からのロシアでボリシェヴィキに「富農」とレッテルを貼られた農民は地獄に落とされたたとしか思えません。

金持ちを人質にとって彼らに余剰穀物の収集と収納の責任をとらせろ


「ア・デ・ツュルーパへ」と題した次の指令も注目すべきです(レーニン全集第44巻、p126-127)。

「(1)サラトフに穀物があるというのにわれわれがそれを運び出せないのは、はなはだしい醜態、とんでもない醜態だ。各接続駅に食糧活動家を一、二名ずつ派遣すべきではないだろうか?

それ以外何をすればいいだろうか?

(2)布告の原案―穀物の豊富な各郷で金持ちの人質を二五名ないし三〇名とり、彼らに全余剰穀物の収集と収納の責任を生命をかけてとらせること。」

この指令は1918年8月10日に執筆されています。

穀物の豊富なこの地域で金持ちだった方々は、余剰穀物の収集、収納にぬかりがあったら銃殺されてしまったのでしょうか。

「金持ち」であることは「搾取者」であるから、その存在自体が「罪」であり死に値する。これがレーニンの「思想」「理論」なのです。

「富農」の暴動を利用してさらに「穀物投機者」「大金持ち」をさらに弾圧


「ア・イェ・ミンキンへの電報」と題した指令は「富農」が暴動を起こしたことを示唆しています。

次です(レーニン全集第44巻、p130掲載)。

「ペンザ県執行委員会、ミンキンへ。富農の暴動の弾圧を知らせた君の電報を受け取った。

鉄は熱いうちに鍛えなければならないから、富農の弾圧を利用して、穀物の投機者どもを各所で弾圧し、大金持ちから穀物を没収し、貧農を大衆動員して彼らに穀物を分与する必要がある。

実行状況を打電すること。戦線地帯の貧農の権力を最終的に強化する必要がある。」

「穀物の投機者」とは、農民から穀物を仕入れ、都市の闇市で売る「担ぎ屋」のような人々を指すと考えられます。

「担ぎ屋」は国家による穀物専売制を破壊しますから、ボリシェヴィキは弾圧せねばなりません。

都市に穀物を運ぶ人を「弾圧」してしまえば、都市の飢餓がより深刻になってしまいます。

穀物を問答無用で徴発された「富農」は暴動を起こしてボリシェヴィキに必死の抵抗を試みたのでしょうが、簡単に弾圧されてしまったようです。

富農を容赦なく弾圧し、暴徒の穀物を全部没収することが全共産党員の任務


「ア・イェ・ミンキンへの電報」はもう一つあります(「全集」第44巻、p136-137)。

「もし、この命令が実行されなければ、私は責任者を法廷に引き渡す。ラトヴィア中隊は、チェンバルの制圧まで当分ペンザに止めておいてもらいたい。

富農を容赦なく弾圧し、暴徒の穀物を全部没収することが、執行委員全員と全共産党員の責務であることを、彼らに伝えてもらいたい。

私はあなたの無為無策と弱腰に憤慨している。私のすべての命令の実行状況、とくに弾圧と没収の措置について詳しい報告を要求する。」

ミンキンという人物が、レーニンのこの類の指令執行に弱腰で無為無策だったのなら、良心のかけらが残っていたのでしょう。

容赦なく弾圧、ですからその場で銃殺された「富農」はいくらでもいたのでしょう。財産を没収され追放された「富農」はその後どこへ行ったのでしょうか。

1918年8月頃のロシアで、鉄道がどの程度開通していたのでしょうか。栄養失調から病死した「富農」とその家族がいくらでもいたとしか私には思えない。

不破哲三氏の「レーニンと『資本論』」にはレーニンによる富農弾圧指令の話は全く出てきません。下部党員や「赤旗」読者にこれが知られたらまずい、という判断なのでしょう。

共産主義者にとって、歴史は宣伝材料なのです。不破哲三氏は真の共産主義者です。






2016年12月17日土曜日

レーニンの「食糧独裁についての布告の基本的命題」「『現在の』情勢についてのテーゼ」「食糧問題についてのテーゼ」「(レーニン全集第27,28巻掲載、大月書店刊行)より思う

「余剰穀物をもちながら、これを駅および集散地点へ搬出しない穀物所有者は、人民の敵として宣言され、10年以上の投獄、全財産の没収、彼の共同体からの永久的追放に処せられることを、はっきりと規定する」


「富農との仮借なき闘争のために団結するという勤労、無所有の、余剰をもたない農民の義務を追加する」(「食糧独裁についての布告の基本的命題」レーニン全集第27巻、p360より抜粋。大月書店刊行)


来年はロシア革命100周年の年です。ロシア革命をどう評価するべきか、世界各地で様々な議論がなされることでしょう。

その際、レーニンの「思想」「理論」をどう「理解」するかという問題は重要です。

レーニンが「富農」という人々を徹底的に敵視し、弾圧すべきと強調してきたことは、レーニン全集の27,28巻を多少読めば明らかです。

上記から明らかなように、「富農の撲滅」「『人民の敵』の永久追放」はスターリンが始めたことではありません。スターリンはレーニンの教えを忠実に実行しただけです。

「『現在の』情勢についてのテーゼ」(レーニン全集第27巻、p419-421掲載)でレーニンは13の項目から成る指令を出しています。

「テーゼ」という語から、レーニンがこの指令を重視していたことが推察できます。

レーニン「余剰穀物をおさえている富農を容赦なく弾圧することを義務とみとめよ」


(1)は次です。

「陸軍人民委員部を戦時食糧人民委員部に変えること。すなわち、6月から8月までの向こう三か月間、穀物獲得の戦いのために軍隊を改編しこの戦いを遂行することに、陸軍人民委員部の仕事の十分の九を集中すること」。

(2)は「この期間、全国に戦時戒厳状態を宣言すること」です。


(12)は「人民委員会議でも中央執行委員会でも、つぎのことを遂行すること」です。

(12)の(ニ)は次です。

「余剰穀物のある各郡、各郷で、ただちに、富裕な土地所有者(富農)、穀物商人、等々の名簿を作成したうえ、余剰穀物を全部収集する個人的責任を彼らに課すること」。

(12)の(ホ)は次です。

「各戦闘部隊に、たとえば、十人に一人の割合にせよ、ロシア共産党や社会革命党左派、または労働組合から推薦された人物を任命すること」。

(13)は次です。

「穀物の国家独占を実行するにあたっては、どんな財政的犠牲をもためらわずに、貧農援助措置や、富農からあつめた余剰穀物の一部を無料で貧農に分配する断固たる措置をとると同時に、余剰穀物をおさえている富農を容赦なく弾圧することを義務とみとめること」。

1918年にレーニンは繰り返し、「富農」から「余剰穀物」を徴発せよと述べています。抵抗する「富農」は容赦なく弾圧せよというのですから、富農に対し宣戦を布告しているのです。

「富農」とは誰か―「食糧問題についてのテーゼ」(レーニン全集第28巻、p35-38より)


それでは、「富農」とはどんな人々のことを指しているのでしょうか。

レーニンは1918年8月2日に「食糧問題についてのテーゼ」を、食糧、農業、最高国民経済会議、財務、商工業の各人民委員部へ提案されました。この「テーゼ」は13項目から成ります。

(8)は次です。

「富裕な農民にたいする現物税、穀物税を設定すること。ただし、手もちの穀物の量が(新しい収穫をふくめて)自家消費量(家族の食い扶持、家畜の飼料、播種を考慮に入れて)の二倍ないしは二倍以上のものを、富裕な農民とみなす。」

レーニンのこの指令だけで、当時のロシア全体で「富農」という語がこのように理解され、該当する農民が弾圧対象になっていたとは断言できません。

農村の実態については、別の史料からも確認されるべきです。

しかし、この指令が実際に農村で実行されれば、農民は可能な限り保有穀物を隠ぺいし「富農」とレッテル貼りされないようにしたと考えられます。

穀物の「自家消費量」など、どうにでも解釈できますから。穀物の収穫量は天候に強く依存します。来年度の天候がどうなるか、誰にもわかりません。

不作に備えて、可能な限り蓄えておきたいと誰でも思うでしょう。汗水流して収穫できた穀物を問答無用で徴発されたらたまったものではない。

「富農」とレッテルを貼られたらおしまいだ、とほとんどの農民は直感的に理解したはずです。以下のレーニンの「報告」に注目すべきです。

レーニンは余分の穀物はすべて、国家の手にとりあげなくてはならないと断言した


レーニンは当時のロシアが直面していた飢餓からの脱出策として、国家による穀物の専売制を提起していました。

「モスクワの労働組合と工場委員会との第四回協議会」(レーニン全集第27巻、p472-505〉でレーニンは次のように述べています。

「穀物の専売制を口にすることはやさしいが、それがどういう意味か考えてみなければならない。

それは、余剰穀物はすべて国家のものだということである。それは、農民の経営に必要でない、

その家族や家畜を養うのに必要でない、播種をおこなうのに必要でない穀物は一プードでも、、

余分の穀物はすべて、国家の手にとりあげらなくてはならないということを意味する。」(全集p482)

余分の穀物はすべて農民から取り上げよ、とレーニンは断言しています。これを文字通り実行したら、取り上げられた農民が次から次へと栄養失調になり、とんでもない伝染病が蔓延しかねない。

レーニンは徴発した穀物を都市の労働者に配分し、都市で餓死者が出ることを防ごうとしたのでしょうが、穀物取引を活発化させれば、一時的に穀物価格が上昇しても供給が増えれば下落していきます。

「穀物投機」を沢山の農民にやらせれば、穀物の供給がいずれ増えます。都市で闇市が増えれば、都市経済が徐々に活性化していきます。闇市の商売でぼろもうけする人もでますが。

供給増加により穀物価格が下落し、農民は「投機」ができなくなる。このくらいのことは、商業活動を少しでも見聞した経験のある人ならすぐにわかりそうなものです。

レーニンとボリシェヴイキが「戦時共産主義」などという愚かな「理論」に固執していたから、「富農」とレッテルを貼られた農民が穀物を徴発されてしまいました。

「余分の穀物」と「播種用、家畜用の穀物」を当時のロシア共産党員らが正確に区別できたとは極めて考えにくい。

来年の播種や家畜のためにどれだけ穀物が必要になるかも、今後の天候に依存しているのですから。

播種用の穀物までも取り上げられた農民は少なくなかったはずです。これにより農業生産がさらに落ち込むという悪循環にロシアが陥ってしまったのではないでしょうか。

レーニンによる富農弾圧指令、富農への「宣戦布告」を無視する不破哲三氏


不破哲三氏の「レーニンと資本論6 干渉戦争の時代」(新日本出版社刊行)はレーニンの「穀物の売買禁止論」について遠回しに言及していますが、弾圧指令については無視しています。

不破氏が、レーニン全集27,28巻を少しでも読めば出てくるレーニンの「富農弾圧論」を知らないはずがない。これが下部党員や「赤旗」読者に知られるとまずい、という判断なのでしょう。

不破氏はこの本のp214-216で、レーニンが「穀物の売買の自由」を「反革命派」あるいはブルジョアジーの経済綱領として厳しく断罪していたと述べています。

不破氏は、レーニンが採用した穀物の売買の自由を禁止する政策はソビエト政権と農民の間に大きな亀裂を作り出したと述べています(同書p216)。

「ソビエト政権と農民の間の亀裂」とは、いったい何なのでしょうか。不破氏はこの表現の具体的な中身については何も述べていません。

レーニンが出した穀物売買の自由禁止指令が、内戦激化とその後の不作、飢餓の重要な原因となったことは明らかです。

レーニンとボリシェヴィキは、コルチャックやデニキンら外国の支援をうけた「反革命勢力」だけでなく、「富農」とも徹底的に戦いました。

「富農」に「宣戦布告」したのはレーニンとボリシェヴィキです。

「人民の敵」とレッテルを貼られて殺害された「富農」、穀物を取り上げられて栄養失調から疾病に倒れて亡くなった「富農」の数はどれくらいだったのでしょうか。

レーニンは富農、金持ち、穀物投機者は200万そこそこと見積もっています(「労働者の同志諸君、最後の決戦に進もう!」レーニン全集第28巻、p47)。

勿論これだけで、レーニンとボリシェヴィキが「富農」を200万人殺害したと証明できませんが、富農弾圧指令はレーニンの「思想」「理論」から必然的に導かれた結論です。

次の論文も注目すべきです。

レーニンは「富農」との「最後の決戦」をよびかけた


レーニンが命名した「最後の決戦」とは、「富農にたいする戦闘」です。この論文でレーニンは次のように述べています(レーニン全集第28巻、p47)。

「どんな疑いもありえない。富農は、ソヴェト権力の仇敵である。富農がかずかぎりなく労働者を殺すか、でなければ労働者が、勤労者の権力にたいする、国民の中の少数の強盗的富農の暴動を、容赦なくふみつぶすかである。

そこには中間の道はありえない。和解はありえない。富農は、いがみあってきたばあいでさえ、地主、ツァーリ、坊主と和解することができる。しかもやすやすと和解できる。

だが労働者階級とはけっしてできない。われわれが富農にたいする戦闘を、最後の決戦と呼ぶのはこのためにほかならない」

「富農は、他国の歴史上、地主、皇帝、坊主、資本家の権力を一度ならず復活させた、もっとも凶悪な、もっとも野蛮な搾取者である。富農は、地主と資本家より多い。」

「労働者の同志諸君!最後の決戦にすすもう!」は1918年8月に執筆されました。平和に暮らしていた「富農」の方々にはとんでもない迷惑だったことでしょう。

自らが下した大量殺人指令に何の反省もしなかったレーニン


「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」の「内乱」には、「富農との最後の決戦」も含まれていたのです。

内戦になれば沢山の犠牲者が出ます。大量殺人を正当化するレーニンの「思想」「理論」を、スターリン、毛沢東、金日成、金正日は立派に継承しました。

レーニンは1921年頃から農民に穀物の自由販売を認める「新経済政策」への転換を主導しますが、「最後の決戦」で犠牲となった「富農」の方々への謝罪や反省の言葉は一切残していません。

レーニンは最晩年になっても、自らが下した「富農」「人民の敵」の弾圧、殺戮指令の正当性に何の疑問ももたなかった。この点も、スターリン、毛沢東、金日成、金正日は継承しています。

宮本顕治氏が信奉していた「マルクス・レーニン・スターリン主義」とは、「人民の敵」殺人を正当化する「思想」「理論」なのです。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんが信奉している「金日成・金正日主義」も、「反党反革命宗派分子」殺人を正当化する「思想」「理論」であることを付言しておきます。






























2016年12月10日土曜日

レーニンと共産主義インタナショナル第一回大会、1919年3月2-6日(レーニン全集第28巻p487-508、大月書店)より思う。

ブルジョア民主主義とプロレタリアートの独裁とについてのテーゼと報告...


「集会の自由」は、「純粋民主主義」の要求の見本とすることができる。自分の階級と絶縁していない、自覚した労働者ならだれでも、搾取者が転覆されまいとして反抗し、自分の特権をまもっている時期に、またそういう情勢のもとで、搾取者に集会の自由を約束することがばかげていることを、即座に理解するであろう。」(p493)


「勤労者のために、労働者と農民のために、真の平等と真の民主主義をたたかいとるためには、まず資本から、文筆家をやとい、出版所を買いとり、新聞を買収する可能性をうばわなければならない。だが、そのためには、資本のくびきをくつがえし、搾取者をたおし、彼らの反抗を弾圧することが必要である。」(p494)


レーニンは、共産主義インターナショナル第一回大会で「ブルジョア民主主義とプロレタリアート独裁とについてのテーゼ」を報告しました。

「テーゼ」という語から、世界の共産党が共通に追及すべき目標が提示されたことがわかります。これは、「搾取者」の「集会の自由」はく奪、言論抑圧です。

すなわち搾取者の反抗を弾圧することです。

搾取者とは、企業経営者や地主、貴族のことです。ロシア正教会の聖職者も、同様の扱いを受けました。

レーニンの「思想」「理論」の中に、一般国民の言論の自由、思想・信条の自由制限を正当化するものがあります。ソ連共産党を批判することは「反ソ行為」です。

政治犯収容所に送られかねない重罪です。精神病院に収容される場合もありました。

旧ソ連では、言論の自由、思想・信条の自由が徹底して制限されていました。

今の中国でも、一般国民が共産党を公の場で批判したらいろいろと厄介なことになるでしょう。

北朝鮮で一般国民が朝鮮労働党を公の場で批判したら、命がいくつあっても足りない。

各国の共産党、労働党はレーニンと後継者スターリンを師と仰ぎ、革命運動を行ってきました。

言論抑圧と選挙の形骸化は共産主義のイロハ


各国の共産党は革命後、上記のレーニンの「テーゼ」に従って、支配体制を構築していきました。

レーニン全集のすべての記述を一言一句もれなく実現することなど不可能ですが、「搾取者の弾圧」、言論抑圧だけはどこの共産党も欠かさず行いました。

共産党が権力を維持するためには一般国民の言論の自由、思想信条の自由の制限が必須です。

一般国民や下部の共産党員には、共産党の最高指導者が提示した選択肢以外の道は地獄への道だと思い込ませねばなりませんから。

一般国民が自由に共産党を批判でき、秘密投票の選挙で政治家を選出するようにしたら、共産党の候補者は落選してしまいます。政権を譲らねばなりません。

これは「反革命」の成就です。

そんなことをレーニン、スターリン、毛沢東、金日成や金正日が認めるはずがない。言論抑圧、選挙の形骸化は共産主義のイロハです。

旧ソ連、東欧では共産党が認めた人物以外、選挙には立候補できないようになっていました。中国と北朝鮮では今もそうなっています。

レーニンによれば、プロレタリアートの独裁は大地主と資本家の反抗を暴力的に弾圧することです(同論文p497)。

「プラハの春」と日本共産党


昭和43年(1968年)に「プラハの春」と呼ばれた事件がチェコスロバキアで起きました。プラハで知識人が言論の自由を求めて立ち上がったのです。

チェコスロバキア共産党は当初、「行動綱領」を作成し、この運動を擁護しました。

これはソ連軍の侵攻によりつぶされてしまいました。当時の日本共産党はソ連軍の侵攻を批判しましたが、チェコスロバキアの共産党が自力で知識人の運動を抑圧すべきと主張しました。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員はこれを御存知ないかもしれません。

「チェコスロバキアへの五ヵ国侵入問題と科学的社会主義の原則擁護」という「赤旗」掲載論文があります。

この論文は「日本共産党重要論文集7」にも掲載されています。

この論文はチェコスロバキア共産党の「行動綱領」を、自由主義、分散主義、あるいは放任主義に道を開き、社会主義建設の事業にあらたな困難と混乱を持ち込むと批判しています(同書p240-241)。

日本共産党は、無制限の「表現の自由」「出版の自由」「集会や結社の自由」を宣言した「行動綱領」を、反社会主義勢力に活動の自由をあたえる重大な右翼的誤りと徹底批判しました。

チェコスロバキア共産党は、社会主義的民主主義の名で事実上ブルジョア民主主義を導入する「純粋民主主義」の誤りを犯していると、日本共産党はレーニンの上記論文に依拠して批判しました。

社会主義的企業が自由意思によって連合したり、連合から脱退したりできるようにした「行動綱領」の規定も「純粋民主主義」の経済版で社会主義的計画経済を弱化させる危険をもつと日本共産党は批判しています。

勤労者にとっては民主主義であると同時に、搾取者に対しては独裁であるプロレタリアートの独裁の正しい意味での強化が必要(上記「赤旗」掲載論文より)


この件について私は、「プラハの春と日本共産党」と題して本ブログで3年半くらい前に指摘しました。

少女時代をプラハで過ごした米原万里さんは、帰国後にソ連軍侵攻の知らせを聞き涙が止まらなかったそうです。

共産党の幹部は、下部党員の自由な言論活動を「反動勢力への屈服」などどみなし敵視します。レーニン主義の党ですから。

上記の「赤旗」論文は勤労者にとっては民主主義であると同時に、搾取者に対しては独裁であるプロレタリアート独裁の正しい意味での強化が必要であると述べています。

これはレーニンの「テーゼ」と一致しています。共産党を批判する人間や共産党幹部を批判する下部党員は「搾取者」と同様の人物とみなされうるのです。

米原万里さんはこれを実体験したようです。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、「赤旗」掲載論文「チェコスロバキアへの五ヵ国侵入問題と科学的社会主義の原則擁護」を御存知なのでしょうか。

「日本共産党重要論文集」掲載論文を読んでいない方が、「とことん共産党」を自称するならば知的怠慢かつ傲慢ではないでしょうか。