2013年10月29日火曜日

六十五年間の日ソ両党関係のうち、主要な部分は友好と協力の関係である―「日ソ両共産党関係を素描する 十月革命七十周年にあたって」(「赤旗」1987年10月22日掲載論考)より思う―

七十年前に遅れた資本主義国から出発した社会主義のソ連が、人民の生活、教育、医療などの分野で築きあげてきた大きな成果を土台に、...




中高年になれば誰しも、若い頃のほろ苦い思い出や失敗を胸の中に秘めています。

若い頃の自分の失敗を知っている旧友に久しぶりに会うと、懐かしさと恥ずかしさがふと心中に蘇ってきたりします。

失敗が些事なら、記憶から消し去ってしまっても良いはずです。些事であるなら、旧友、他人は忘れています。

政治家や知識人の中には他人が忘れてしまっていることを良いことに、失敗を都合の良いように事実や史実を歪曲してしまう人がいます。

本ブログでは、北朝鮮、朝鮮労働党や日本共産党による歴史の歪曲を何度も指摘してきました。

これは数限りないのですが、しつこく追求せねばなりません。共産主義者は徹底的に歴史を捏造しつづけますから。



共産主義者は歴史を捏造する―歴史は宣伝材料―




共産主義者にとって歴史とは、事実ではなく宣伝材料です。

上記の文章は、「赤旗」1987年10月22日掲載の無署名論文「日ソ両共産党関係を素描する 十月革命七十周年にあたって」より抜粋したものです。

ソ連崩壊のほんの四年ほど前まで、日本共産党は社会主義ソ連とやらが人民の生活、教育、医療などの分野で大きな成果を築き上げてきたと宣伝していたのです。

「大きな成果」など、慢性的な物資不足に苦しんでいたソ連社会の現実とは無縁の虚偽宣伝でしかありません。

この程度のことは、小池晃参議院議員ら「新人類」世代より上の日本共産党員で、熱心に共産主義運動に参加してきた人なら十分に承知しています。

優秀な日本共産党員は、「赤旗」無署名論文を線を引いて熱心に読みます。小池晃参議院議員なら、この論文を覚えているかもしれません。

「新人類」世代より上の優秀な日本共産党員なら、宮本顕治や不破哲三がソ連共産党を「歴史的な巨悪」などと言いだしたのはソ連共産党崩壊後であることを熟知しています。

ソ連崩壊のほんの四年前まで日本共産党は、「六十五年間の日ソ両党関係のうち、主要な部分は友好と協力の関係である」と評価していたのです。

「ソ連共産党の覇権主義的干渉は誤っている」という主張は、六十五年間の日ソ両党関係のうち瑣末な部分であるとソ連崩壊の四年前まで日本共産党は評価していたのです。




なぜ年長の共産党員は若い共産党員に真実を教えないのか




この無署名論文は、もう26年も前に発表されたものですから、吉良よし子参議院議員のような若い日本共産党員のほとんどは読んだことすらないことでしょう。

若い日本共産党員がこの無署名論文の「六十五年間の日ソ両党関係のうち、主要な部分は友好と協力の関係である」という主張を知ればびっくりしてしまうことでしょう。

若い共産党員は、日本共産党はソ連共産党という覇権主義と一貫して、生死をかけてたたかってきた、などと信じ込んでいます。

若い共産党員は、「友好と協力」の部分など殆どなかったと信じています。

小池晃参議院議員のような「新人類」世代の共産党員はそうでないことを知っていますが。

「新人類」世代より年長の日本共産党員は、いわば「空気」を読むことにより、若い日本共産党員に自分たちの若い頃の失敗―ソ連礼賛―を隠蔽しているのでしょう。

日本共産党の参議院議員だった聴濤弘の昔の著作には、ソ連礼賛が満載です。

聴濤弘も「ソ連礼賛をこれ以上広めるな」という類の、上層部からの「空気」を読み、若い共産党員には自分の昔の著作の内容を内緒にしているのでしょうね。



社会保障費を国家、企業、団体が支出―レーニンの狙い―




聴濤弘「資本主義か 社会主義か」(1987年新日本出版社刊行、p81)によれば、ソ連では年金をふくめあらゆる社会保障のための支出を個人に一部負担させるとか、年金額の切り捨てなど社会保障切りすては、まったくおこっていないそうです。

レーニンは、社会保障費は国家、企業、団体が支出すべきであり労働者や勤労者から引き出してはならないという原則を確立しました(前掲本p80)。

日本共産党の社会保障にかんする原則的態度もこれと同じです(前掲本p80)。「税金がない」という北朝鮮も同様です。

しかし国家や企業、団体の収益は、労働者や勤労者の労働の成果なのです。

共産主義者の詭弁に騙されてはいけません。

企業の売上は賃金(消費)や次期の生産活動のための投資、次期のための蓄え、あるいは法人税などで国家に収める分に配分されます。

労働者個々人が社会保障費を負担せず、企業や団体が負担するといっても、実際は労働者が所属している企業の売上から国家に収められているだけです。

労働者は所属している企業や団体の売上への貢献により、社会保障費を負担しているのです。企業や団体は、労働者から分離して存在しているのではありません。

企業や団体による法人税のみで社会保障費用を賄おうとすると、労働者個々人は自分が一体どれだけ年金や健康保険などの社会保障費用を負担しているのかわからなくなってしまいます。

レーニンの狙いはここにあったのでしょう。




旧ソ連や東欧、中国、北朝鮮の国有企業はなぜ衰退していったのか―消費者無視の企業運営―





実際には労働者が社会保障費用を負担しているのですが、レーニンはそれを曖昧にしてあたかも素晴らしき社会主義国家が負担しているように偽装することを策したのです。

社会主義になったから、労働者は社会保障費用など一切負担しなくても良いのだ、という宣伝です。

この件、少し例をあげて説明しましょう。

社会保障を充実させるために労働者個々人から費用を徴収するのでなく、労働者が所属している社会主義企業から多額の費用を徴収したとしましょう。

そうすればその企業の新投資のための資金が減ってしまい、より品質の良い製品が生産できなくなってしまいます。

激烈な企業間競争にある資本主義国の企業より、低い品質で高価な製品とサービスを生産、販売している社会主義企業は経営困難になります。

勿論、海外からの輸入を禁止して消費者に低い品質で高価な製品を強制販売すれば社会主義企業といえども存続できます。

旧ソ連、東欧、中国や北朝鮮はかなり長い期間、そうした政策を実施していました。

不破哲三によれば、社会主義では生産者が雇われる立場の人間から、経済と生産の主人公になることが第一の柱だそうです(「二十一世紀はどんな時代になるか」新日本出版社p141)。

生産者が経済と生産の主人公になってしまうのなら、消費者の需要を無視した財やサービスを供給することになり、社会主義企業とやらはたちまち経営困難になってしまいます。

社会主義企業とやらが利益をあげられず、赤字経営を続けたらいずれ倒産し、労働者は失業してしまいます。どんな社会でも、再就職は困難です。

社会主義企業が負担する費用は結局のところ、労働者が負担することになるのです。

消費者である労働者に低い品質で高価な製品やサービスを強制販売すれば、社会主義企業は存続できますが資本主義国の労働者より生活水準は低くなっていきます。

旧共産圏の電化製品、車、そのほか殆どの生活用品の品質は酷いものでした。旧ソ連や東欧、中国、北朝鮮の現実の一面はこうしたものでした。

旧ソ連で何年も生活した聴濤弘なら、実例を熟知しているはずです。



市場経済での激烈な競争に勝ち抜くために―金正日は一般国民に「外貨稼ぎ」(외화벌이)―





市場経済で、生産者が経済と生産の主人公だなどと威張っているようでは、消費者からそっぽを向かれてしまうのは明らかです。

市場での激烈な競争に勝ち抜くためには、中国のように農村出身の労働者(農民工といいます)を二束三文の低賃金で酷使するしかありません。

中国には、日本の労働基準監督署に該当するような官庁はありません。企業経営者による労働法違反は難しくありません。

酷使されている農民工が裁判で経営者を訴えるのは困難です。裁判に費用がかなりかかってしまいますから。

中国にも旧ソ連にも、美しく素晴らしき「社会主義の部門」など存在しないのです。

「社会主義の部門」とやらは不破哲三の著作に存在するだけで、現実とは無縁です。

北朝鮮の場合、39号室と言われる金正日直轄の部署(現在は金正恩でしょう)は一般国民に松茸取りや砂金収集、芥子栽培、金山や鉱山での過酷な労働をさせて外貨を稼いでいます。

北朝鮮には偽札を製造する部署も存在します。

それもこれも、市場での激烈な競争に勝ち抜くためです。北朝鮮当局は純度が高く安価な麻薬を製造し、各国の闇組織に輸出して外貨を稼がねばなりません。

麻薬販売にも激烈な競争があるのです。一般国民は必死に外貨を稼いで金正日や金正恩の奢侈生活を支えねばなりません。

北朝鮮と国交を樹立したら、外交官が外交特権を利用して麻薬を大量に持ち込みかねません。



ところで、金正日や不破哲三に、若い頃のほろ苦い思い出や苦労を語り合えるような旧友はいるのでしょうか。

金正日には皆無だったのではないでしょうか。独裁者は孤独ですね(文中敬称略)。














2013年10月23日水曜日

ある朝、なにか気がかりな夢から目をさますと―Franz Kafka「変身」(新潮文庫、The Metamorphosis)より思う―

自分が寝床の中で一匹の巨大な毒虫に変わっているのを発見した




雑務に追われるような日々を、現代人は皆過ごしているのではないでしょうか。余裕がなくなると、些事が気になってしまいます。

同じ事柄が何度も心中に浮かんできたり、自分が実につまらない存在に思えてきてしまう。独り言が多くなってしまう。

そんなとき、他人の眼で自分が直面している状況、自分の立場と自分の暮らしを観察してみたい。

他人なら、今の自分をどう思うだろうか。他人に成り変わってみたい。

雑務に追われて疲れてしまうと、ふとそんな気分になってしまいます。

他人に成り変わるなどできるはずもありませんが、こんな気分を変身願望というのでしょうか。

変身願望という語の語源になっているのかどうかわかりませんが、フランツ・カフカの「変身」の冒頭文はよく知られています。

冒頭の文章だけ読むと、怪奇物語のように思えてしまいます。


自分が「なにか気がかりな夢」から目をさますと、巨大な毒虫に変わってしまったらどうなるのでしょうか。

巨大な毒虫に変身してしまえば、それまで自分が築き上げてきたものはすべて無くなってしまいます。

普通なら、巨大な毒虫に変身した自分を家族や友人が自分と認めてくれるはずがありません。毒虫が職場に通えるわけがありません。

ところが、「変身」の主人公グレゴール・ザムザ(Gregor Samsa)は外交販売員の仕事を続けられると思っています。




さあ、今はもう起きなければならない、汽車が出るのは五時なのだから(新潮文庫p8)




グレゴールが時計を見ると、六時半でした。次の汽車は七時発です。心配して部屋のドアのところまで来た母親にグレゴールは「今起きるところです」旨答えます。

毒虫に変身しても、昨日までの自分の声の中に、苦しそうなびいびいいう声がまじってくるとあります(p9)。

グレゴールの面影を僅かに残しているのは、声だけなのです。その程度で巨大な毒虫を父母や妹が自分と認識してくれるものかどうか、疑問ですが。

四人家族で、外交販売員のグレゴールは一家の大黒柱でした。妹はまだ16歳。両親は年老いています。

しかし毒虫が外交販売員を続けられるはずもありません。グレゴールは部屋に閉じ込められてしまいます。



妹は兄の嗜好を試験するためにさまざまなものをかき集めて持ってきた。それも古新聞紙の上に並べ立てて。半分くさった古野菜。まわりに白ソースのこわばりついた夕食の残りの骨...(p37)




登場人物の中で、妹がいちばん親切に毒虫に変身したグレゴールの世話をしてくれます。

毒虫だからくさった古野菜を好むのでは、と妹は考えたのでしょう。

妹はグレゴールが閉じ込められている部屋の掃除もしてくれます。

妹が部屋に来てくれるとき、グレゴールは寝椅子の下で身を隠します(p47)。

変身により、兄弟愛はこうなってしまいました。

母親は変身した息子と会いたいと言いますが、父親と妹に押しとどめられていました。

部屋の片付けをしているとき、壁にへばりついているグレゴールを見ることになった母親は「助けてえ、助けてえ」と叫んで、寝椅子の上へ倒れて動かなくなってしまいます(p57)。

このとき妹は、「兄さんったら」と拳固を振上げてグレゴールをにらみつけます。

これは変身以来妹が直接兄に向かっていった初めての言葉でした。

「兄さんったら」と拳固を振上げるところに、もはやまともな意思疎通ができなくなっているグレゴールへの妹の愛情が出ています。

自分の部屋から出てしまったグレゴールに対し、父親は林檎を投げつけます。二つ目のリンゴがグレゴールの背中にぐさりとめりこんでしまいます。

グレゴールはのびてしまいます。そのとき母親は父親のもとに駆け寄って、グレゴールのために命乞いをします(p62)。


この小説の一つのテーマは、家族愛とは何かということなのでしょう。

醜い毒虫となってしまったグレゴールですが、母親はひょっとしたらまた息子が人間に戻れるかもしれないと望んでいました(p52)。

しかし、家族といえども、毒虫グレゴールに愛情を持ち続けることはできませんでした。妹の次の言葉は毒虫グレゴールの心に強烈にひびいたでしょう。



もしこれがグレゴールだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないというくらいのことはとっくにわかったはずだわ、そして自分から出て行ってしまったわ、きっと。(p82)




毒虫グレゴールは妹の提案に同意します。父親が毒虫グレゴールに投げつけた林檎は、一ヶ月以上経っても背中にのめり込んだままでした。

毒虫グレゴールはその傷のためにからだを自由に動かせなくなっていました(p63)。食欲が減退し、衰弱しきっていたのです。

妹の言葉に傷ついた毒虫グレゴールは、やっとの思いで自分の部屋に戻っていきます。

毒虫グレゴールの最期は次です。

変身前までは、一家の大黒柱だったグレゴールなのですが、あまりにも寂しい死に方です。



自分が消えてなくならねばならぬということに対する彼自身の意見は、妹の似たような意見よりもひょっとするともっともっと強いものだったのだ。


こういう空虚な、そして安らかな瞑想状態のうちにある彼の耳に、教会の塔から朝の三時を打つ時計の音が聞こえてきた。

窓の外が一帯に薄明るくなり始めたのもまだぼんやりわかっていたが、ふと首がひとりでにがくんと下へさがった。

そして鼻孔からは最後の息がかすかに漏れ流れた(p84)。




「さて、これで神様に感謝できるというものだ」とザムザ氏がいった(p85)。




家族は毒虫グレゴールの死を悲しみませんでした。

死骸を見た妹の「ねえ、まあなんて痩せていたんでしょう。なにしろずいぶん長いことなんにも食べなかったんだから。...」という言葉がせめてもの救いです。

悲しむどころか、毒虫がいなくなったことにより新たな未来が自分たちに開けた、という描写で小説は終わります。

この終わり方にも、作者の大事なメッセージがこめられているのでしょう。現代人は限りなく孤独な存在なのでしょうか。

現実には、人がある朝毒虫に変身することはありません。しかし、突然業病になったり、大事故に遭遇することはありえます。

そのとき、健康だった身体は一転して限りなく不自由になってしまいます。

毒虫の自分でなく、業病になってしまった自分を想定しつつ、「変身」を読んでみるべきなのかもしれません。

業病や突然の大事故なら、誰しも外交販売員の仕事を続けることを模索するでしょうから。























2013年10月19日土曜日

Albert Camus「異邦人」(The Stranger)の二重性―Dualisms in Albert Camus' The Stranger by Peter Francevを読んで思う―

夜、マリイはすべてを忘れた(新潮文庫p23) By that evening Marie had forgotten all about it.




Albert Camusの「異邦人」について、研究論文が相当出されているようです。それらを全て読んで概観することなど、とても私にはできません。

しかし、少しだけ読んで論じることを許容していただければ、何とかなります。

今回は、The Albert Camus Societyというホームページにある、Peter FrancevによるDualisms in Albert Camus' The Strangerという論文を紹介し、思ったことを述べます。


「異邦人」は第一部と第二部に分かれています。第一部と第二部でムルソー(Meursault)の人柄が多少、異なっているようにも思えます。描かれている世界も異なっています。

Peter Francevによれば、第一部は女性的で、第二部は男性的です。第一部の世界は抒情的な自然です。第二部の世界は実際の人間社会です。

第一部はディオニソス(Dionysos、ギリシア神話の神で、別名Bacchus)的で、第二部はアポロ(Apollo,ギリシア・ローマ神話の男性美の神)的です。

Peter Francevによれば、Camusは「異邦人」を二重性のある小説として創り、隠された意味を読者が脱構築(deconstruct)できるようにしました。

Peter Francevは、ムルソー(Meursault)の恋人マリイ(Marie)に対する言動に注目します。



彼女は足を私の足にすり寄せていた。私は胸を愛撫した(新潮文庫p23)。




マリイ・カルドナ(Marie Cardona)は、ムルソーが働いていた事務所にいたタイピストです。在職時からムルソーはマリイに関心がありました(whom I'd had a thing for at that time)。

マリイもそうでした(She did too, I think)。

母の埋葬の翌日に港の海水浴場で二人は再会します。Peter Francevによれば、ムルソーはマリイの胸に強い関心を持っています。

これは、ムルソーが無意識の中でマリイに、亡くなった母の姿を見ていたからです。

以下、マリイの胸に関する記述を抜粋してみましょう。英語版はMattew Ward訳のものです。



彼女がブイに登るのを手伝うと、その拍子に胸に触った(新潮文庫p22)。
I helped her onto a float and as I did, I brushed against her breasts(p19).

彼女は足を私の足にすり寄せていた。私は胸を愛撫した(p23)。
She had her leg pressed against mine. I was fondling her breasts(p20).

私はひどく欲望を感じた。紅白の縞の綺麗な服を着て、革のサンダルをはいていたからだ。堅い乳房が手にとるようにわかり、陽に焼けて褐色になった顔は、花のように見えた(p37)。

I wanted her so bad when I saw her in that pretty red-and-white striped dress and leather sandals. You  could make out the shape of her firm breasts, and her tan made her face look like flower(p34).

私のいる場所からでも、あの乳房の軽やかな重みが、手にとるようにわかった(p97)。

From where I was sitting, I could just make out the slight fullness of her breasts, and I recognized the little pout of her lower lip(p93).



こう並べてみると、ムルソーはマリイの乳房にかなり入れ込んでいたようです。

Peter Francevによれば、これはムルソーが母親と強いきずなを持っていなかったことを示唆しています。

若い女性の乳房に関心を抱く男性のすべてが、母親と良好な関係を築いてこなかったとは言えないでしょうが、Camusはそうした意味を込めてムルソーとマリイを描いたのでしょう。




第二部でムルソーは考え深く、確固たる意志を持つ知的な若者に変わっていく




Peter Francevによれば,ムルソーは公判と死刑判決を言い渡される中で変容します。

非合理的で無感動な性的存在から、考え深く確固たる意志を持つ知的な若者になります。

それでもムルソーはずっと、マリイのことを忘れていませんでした。

特赦請願が却下されるであろうと予想し、御用司祭と会うことを拒絶したムルソーはマリイのことをしのびます。その部分を抜粋しましょう。




その顔は太陽の色と欲情の炎を持っていた。それはマリイの顔だった。





ほんとうに久しぶりで、マリイのことをしのんだ。もう何日も手紙もくれずにいた。その夕べ、考えた末、マリイも死刑囚の恋人たることに、疲れたのかもしれない、と私は思った。

彼女は病気かもしれない、死んだのかも知れない、そんな風にも考えられた、それは当然なことだった(p118)。

For the first time in a long time I thought about Marie. the days had been long since she'd stopped writing.

That evening I thought about it and told myself that maybe she had gotten tired of being the girlfriend of a condemned man.

It also occurred to me that maybe she was sick, or dead. These things happen(p115).


「それは当然なことだった」(These things happen)に、ムルソーの孤独を乗り越えていく強い意志が現れているようです。



御用司祭はムルソーに、人間の原罪を認め、神の顔を見つめることを要求します(p122-123)。御用司祭に対し、ムルソーは次のように答えます。



恐らく、ずっと前には、私もそこに一つの顔を求めていただろう。しかし、その顔は太陽の色と欲情の炎を持っていた。それはマリイの顔だった。

私はむなしくそれを追い求めた。が今ではそれも終わった(p123)。

Maybe at one time, way back, I had searched for a face in them. But the face I was looking for was bright as the sun and the flame of desire - and it belonged to Marie.

I had searched for it in vain. Now it was all over.



「が今ではそれも終わった」(Now it was all over)という短い文章に、ムルソーの悲しみが込められているようです。

ムルソーの最後の独白部分にも、マリイへの消えぬ想いがあります。次です。



マリイが今日もう一人のムルソーに接吻を与えたとしても、それがなんだろう?(p126)。
What did it matter that Marie now offered her lips to a new Meursault?(p122)



運命の力により、どうしようもなく悲惨な状況に追い込まれても、「それがなんだろう?」(What did it matter?)と問い直すムルソーに、私は勇気づけられます。



私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた





「異邦人」の末尾の次の描写もとても素敵です。抜粋しておきます。



あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、このしるしと星々に満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた(p127)。

As if that blind rage had washed me clean, rid me of hope; for the first time, in that night alive with signs and stars, I opened myself to the gentle indifference of the world.



世界の優しい無関心(The gentle indifference of the world)に心をひらくことができれば、どんな困難も乗り越えられそうですね。












2013年10月13日日曜日

おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。―Albert Camus,ペスト(The Plague、 新潮文庫p151)より思う―

 そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで(新潮文庫p151)




世界史の本を見ると、ペスト(The Plague, La Peste)は元の末期、14世紀初め頃から流行していたようです。

中央アジアからビザンツ帝国を経てイタリア、フランスやエジプトに伝わっていったようです。

1347年から50年にかけて、黒死病により欧州の総人口1億のうち、2500万人以上が死亡したとあります。4人に1人が亡くなったということは、地域によってはほぼ全滅ということでしょうね。

Albert Camusの「ペスト」の舞台は1940年代のオランという、アルジェリアの港町です。

オランとは、鳩もおらず、樹木も庭園もない、鳥の羽ばたきにも木の葉のそよびにも接することのない町です(p5)。

Albert Camusの文章は、簡明ですね。次など、どうでしょうか。


「ある町を知るのに手頃な一つの方法は、人々がいかに働き、いかに愛し、いかに死ぬかを調べることである。」(新潮文庫、p6)


人生はこれに尽きるのかもしれません。

人は食べるために働き、愛して子孫を残し、老いて死んでいくのでしょう。生きとし生けるものみなそうでしょう。


しかし、最期の死をどう迎えるのか。

どうしようもない運命により、思いもよらない死に方をすることになったとき、人はどう行動し、どう心の中で受けとめるべきなのか。

ペストの蔓延に直面したオランの住民は、嫌でもこの問題に答えを出さざるをえなかった。



まったく、ほとんど信じられないことです。しかし、どうもこれはペストのようですね(p44)




これは医師ベルナール・リウーと老医師カステルの会話です。

ペストは大量死を招くという点で、天災や戦争にひとしい。しかし、普段の暮らしで人はそんなことを予想できないものです。

「ペストや戦争がやってきたとき、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった」(p45)。

「ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられただろうか。彼らはみずからは自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえないのである」(p46)。


私たちの普段の暮らしは、同じような毎日がいつまでも続いていくであろうということを何となく心中で前提にして成り立っています。いつまでも続くことなど、ありえないのですが。



あなたは抽象の世界で暮らしているんです(p102)




今は健康でも、数日後に死んでしまう可能性が十分にある。そんな状況におかれたら、自分はどうするだろうか。

その場から逃げ出すか。しかし逃げ出しても、すでに病原菌に感染しているかもしれないし、街は封鎖されてしまった。時すでに遅し。


たまたまオランに滞在していて、町が閉鎖されたことにより出られなくなった人もいました。恋人と離れ離れになってしまった新聞記者ランベールは、その一人です。

ランベールは医師リウーにペストにかかっていないことを示す証明書を書く事を依頼しますが、リウーは布告と法律があるからと拒否します。

リウーに対しランベールは「あなたが言っているのは理性の言葉だ。あなたは抽象の世界にいるんです」と批判します。

現実には、医師リウーは猛威を倍加して週500に達している病院でペストとたたかっていました。

「抽象がこっちを殺しにかかってきたら、抽象だって相手にせねばならぬのだ」(p104)


医師りウーの選択肢はペストとたたかうことだけでした。私たちも同じような状況におかれたとき、こうありたいものですが、実際にできるでしょうか。


自らの現状に焦燥し、過去に恨みをいだき、しかも未来を奪い去られた、そういう我々の姿は、人類の正義あるいは憎しみによって鉄格子のなかに暮らさせられている人びとによく似ていた(p85)





絶望的な状況に追い込まれ、未来と言えるようなものを失ってしまったとき、人は焦燥して過去に恨みを抱くのかもしれません。

「人類の正義ないしは憎しみによって鉄格子の中にくらさせられている人びと」とは、例えば「異邦人」のムルソーでしょう。


中国や北朝鮮で、政治犯とされ囚人労働を強制されている人々もそうでしょう。政治犯収容所からの脱出はほぼ不可能です。

北朝鮮に拉致されてしまった日本人や韓国人たちは、どう生きるべきなのでしょうか。

囚人労働を強いられている人びと。拉致されてしまった日本人や韓国人。残された家族と友人。

そんな状況で、医師りウーのように献身的にたたかうとは一体どういうことなのでしょうか。

これは現在進行中のことですから、我々が真剣に考えるべきことです。

ペストと全力でたたかう医師リウーに対し、友人タルーは次のように問いかけます。


「なぜ、あなた自身は、そんなに献身的にやるんですか、神を信じていないといわれるのに?」(p149)。

リウーは次のように答えます。



もし自分が全能の神というものを信じていたら、人々を治療することはやめて、そんな心配はそうなれば神にまかせてしまうだろう。




しかし、神を信じていると信じているパヌルー神父(イエズス会)といえども、かかる種類の神を信じていない。

何びとも完全に自分をうち任せてしまうことはしないし、そして少なくともこの点においては、彼リウーも、あるがままの被造世界と戦うことによって、真理への路上にあると信じているのだ(p150)。

とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです(p151)。

そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで(p151)。


リウーのこの言葉は、人はいかに生きるべきかという問いに対するCamusの答えでもあるのでしょう。


友人タルーはさらに、言われることはわかるが、あなたの勝利はつねに一時的なものであり、それだけだと問いかけます(p151-152)。

リウーはそれだからって、戦いをやめる理由にはならないと答えます。

タルーも、リウーも、問題のすべては、できるだけ多くの人々をして、死んだり終局の別離を味わったりさせないようにすることであったと考えました(p157)。

そのためには、ただ一つ、ペストと格闘する方法以外になかったのである(p158)。

オランの人々が生きていくためには、ペスト防止のための絶望的なたたかいをすることしかなかったのです。



しかし、彼、リウーは、いったい何を勝負にかちえたであろうか?(p347)




ペストは膨大な犠牲者を出しつつも徐々に衰退し、終息します。貴重な友を失いつつも生き残った医師リウーは上のように自分に問いかけ、次のように答えます。


リウーがかちえたところは、ただ、ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すということ、友情を知ったこと、そしてそれを思い出すということ、愛情を知り、そしていつの日にかそれを思い出すことになるということである(p347)。


人はおたがい、思い出なのかもしれません。

ペストとのかけにおいて、人間がかちうることのできたのは知識と記憶であった(p347)。

リウーはこのように述懐します。

同様のことが、私たちの社会にもいろいろありそうです。

どうしようもない運命の悪戯により、亡くなってしまった友人、親族の姿は、消そうとしても心中から消せるものではありません。

それではあの人の死には一体どんな意味があったのか。

それは知識と記憶だけなのかもしれませんが、せめてその問いかけだけでも、行っていきたいものです。





























2013年10月10日木曜日

青瓦台事件(昭和43年1月、1968年)と日本共産党―「赤旗」昭和43年1月31日記事より思う―

67年12月頃から北朝鮮に、たんなる国内問題ではなく、アジアと日本の平和の見地からも大きな懸念をひきおこす状況が表面化していました(不破哲三)。


日本共産党がどういう体質を持っている集団であるかを考えるためには、昔の「赤旗」や「前衛」を、比較的近年に日本共産党が発行した文献と比較対照しながら読み込むことが大事ですね。

駅前で「原発反対」の宣伝をしている日本共産党員にはそんなことはできないでしょうけれども。せめて、不破哲三の昔の論考や著作を読んだらどうでしょうか。

「団塊の世代」(60代中頃)の日本共産党員なら、若い頃読んだ「赤旗」に北朝鮮礼賛記事がいくらでも出ていたことを思い出せるはずです。

小池晃参議院議員のように、「新人類世代」(50代初めころ)の日本共産党員なら、十五年くらい前まで日本共産党が中国を「覇権主義」と定義し、人権問題を「赤旗」が批判していたことを覚えているはずです。

今の「赤旗」は中国政府による徹底的な知識人抑圧、少数民族抑圧に完全に沈黙しています。「中国覇権主義」に日本共産党は屈伏してしまったのです。

「新人類世代」(50代初めころ)の日本共産党員の中には、内心で不破哲三の路線転換に腹をたてている人がいるかもしれません。

小池晃参議院議員はひょっとしたらそうかもしれません。

先日の「たかじんのそこまで...」(テレビ番組)で、小池晃参議院議員は南沙諸島問題では中国に非がある旨発言していました。

これは日本共産党の現在の立場と異なっていますね。小池晃参議院議員はよくご存知でしょう。

現在の日本共産党は、中国が周辺諸国に軍事力による脅迫を行っても「紛争問題」「どっちもどっち」などとみなし、中国の侵略と領土拡張を擁護します。

そんな日本共産党ですが、「北朝鮮 覇権主義への反撃」(1992年新日本出版社)はとても良い本です。

若い日本共産党員に一読を進めたいものです。


「革命的大事変」を「主動的」に迎えようという金日成の呼び掛け(67年12月の「十代政綱」)に注目した日本共産党最高指導部



この本に不破哲三の論考が掲載されています(p7-43)。

この本によれば昭和43年8月から9月、宮本顕治、内野竹千代、不破哲三、松本善明、立木洋の五人から成る日本共産党代表団が北朝鮮を訪問しました。

松本善明は当時、衆議院議員でした。

不破哲三によれば、前年の67年12月頃から北朝鮮に、たんなる国内問題ではなく、アジアと日本の平和の見地からも大きな懸念をひきおこす状況が表面化していました(前掲著p10)。

これは67年12月に金日成が発表した「十大政綱」を転機に、朝鮮革命の名による、北朝鮮から南への武力介入の懸念が強まっていたことです(前掲著p11)。

不破哲三によれば、当時の日本共産党代表団は、「十大政綱」の第二項目「南朝鮮の革命的大事変を主動的に迎える」に着目しました。

この項目の文書を日本共産党は、南になんらかの政治的な激動がおこったら、それを契機に「革命」を援助するという名目で、武力をもって介入する宣言とも読めるとみて、危惧していました(前掲著p11)。


不破哲三によれば「主導的に迎える」という言葉が、「解放戦争」名による「南進」政策を意味するとしたら、ことはきわめて重大でした(前掲著p13)。


日本共産党最高指導部は青瓦台事件(昭和43年1月)当時から、北朝鮮の特殊部隊(朝鮮労働党作戦部など)の危険性を認識していた



不破哲三によれば68年1月21日夜から22日未明にかけて、ソウル市内に「武装小部隊」が現れ、朴正煕の大統領官邸のある青瓦台を襲撃、五百メートルまで接近して、警察部隊にせん滅されました(前掲著P13-14)。


不破哲三によれば、この「武装部隊」が、南での闘争の必然の所産ではなく、きわめて人為的な色彩のつよいものであったことは、当時の状況からも容易に推察されることでした(前掲著P14)。

不破哲三によれば後日のことですが、青瓦台を襲撃した部隊が、北から送りこまれた特殊部隊であったことは、ただ一人生き残って逮捕された隊員が裁判で証言した内容からもあきらかになりました(前掲著P14-15)。

生き残りの隊員とは、金新朝(김신조)という方です。現在はソウルで牧師をやっているそうです。

不破哲三は政治家としては実によく、北朝鮮を研究していました。

不破哲三論文から明らかなように、日本共産党最高指導部は昭和43年1月頃には、北朝鮮がとんでもないテロ国家であることを十分認識していたのです。

この頃には、帰国者(北朝鮮に渡った元在日朝鮮人と日本人妻)から日本の親族に生活の悲惨さをそことなく示唆する手紙が届いていました。

帰国者の中で「学習に行った」というような名目で行方不明になってしまった人がいることを示唆する手紙も届いていました。

当時の在日本朝鮮人総連合会の中には、昭和30年まで日本共産党員だった方が少なくありませんでした。

推測ですが、金日成の著作を翻訳した「日本共産党中央委員会金日成選集翻訳委員会」の実態は、元日本共産党員の在日朝鮮人ではないでしょうか。

この時期の日本共産党中央には、朝鮮語を流暢に扱う人はいなかったはずです。

日本共産党最高指導部は、昭和30年まで日本共産党員だった在日朝鮮人や日本人妻の親族からの情報により、北朝鮮が恐るべき人権抑圧国家であることを把握していたはずです。

政治犯収容所の存在まではわからなかったでしょうけれど。

宮本顕冶は金日成に、南進により戦争が始まった場合、「大義を失うものとなる」と指摘した


不破哲三によれば昭和43年8月24日からの両党会談で宮本顕冶は金日成に、北朝鮮が主動的におこす「南進」という形で戦争が現実になった場合、「民主勢力が連帯性を発揮できる大義を失う」と指摘しました(前掲著P28)。


これに対し金日成は、自分たちは南進のプログラムをもっていないことをはっきり言明しましたが、説明には矛盾がふくまれていました(前掲著P29-30)。


不破哲三によれば、1月の青瓦台襲撃は北から送りこまれた特殊部隊の軍事行動です(P30)。

不破哲三によれば、「武装遊撃隊」なるものの活動はその後もつづきましたが、その少なからぬ部分が北からの上陸部隊だったこともいまではあきらかになっています(P30)。


不破哲三によれば、北朝鮮の行動や立場は、代表団に、今後のさまざまな危ぐとも結びついた、大きな疑問を残すものでした(P31)。


日本の政党のなかで昭和43年当時から、テロ国家北朝鮮の危険性をここまで認識していたのは日本共産党だけでしょう。

お見事!と思います。


しかし、共産党はやはり共産主義者の団体なのです。当時の「赤旗」記事を読むとこれを実感します。

共産主義国の実態がどのようなものであれ、「赤旗」には「美しく素晴らしき社会主義国」という類の大宣伝をやるのが日本共産党なのです。

在日本朝鮮人総連合会の出版物には北朝鮮礼賛が満載なのと同じことです。

以下、昭和43年当時の「赤旗」記事を抜粋して引用します。



立ち上がる南朝鮮人民(「赤旗」昭和43年1月31日記事より抜粋)




「つぎに、『北朝鮮武装ゲリラ侵入』のデマ宣伝の問題です。いま南朝鮮の各地で南朝鮮人民が武器をとってたちあがり、アメリカ占領軍と朴かいらい政権をふるえあがらせていることは事実です。

しかしこの南朝鮮人民の愛国闘争を『北朝鮮武装ゲリラ侵入』だといっているのは、アメリカ帝国主義と反動勢力がねじまげたデマ宣伝です」


(中略)


「南朝鮮人民の闘争は労働者、農民、学生の多様なたたかいの発展の基礎のうえに武装闘争に発展してきたものです」


(中略)


「アメリカ帝国主義と朴政権は、この南朝鮮人民のやむにやまれぬ愛国闘争を、『北朝鮮武装ゲリラ侵入』とさわぎたて、国内の目を『北』にそらしながら、国内のファッショ体制をいっそう強化するとともに、これを朝鮮民主主義人民共和国にたいする軍事挑発と戦争準備の口実にしようとしているのです」




アメリカ帝国主義と朴政権は、この南朝鮮人民のやむにやまれぬ愛国闘争を、『北朝鮮武装ゲリラ侵入』とさわぎたて...




当たり前ですが「赤旗」のこの記事を宮本顕冶、内野竹千代、不破哲三、松本善明、立木洋は当時読んでいたはずです。

「赤旗」記事が現実とほぼ百八十度異なることを、宮本顕冶や不破哲三は熟知していたのですが、共産主義宣伝のためならそれで良い、と判断したのでしょう。

こんな調子ですから、宮本顕冶の金日成に対する「南進により戦争がはじまったら大義を失う」とかいう指摘の真意は次のようなものと言えます。


「武装ゲリラによる韓国要人へのテロなら日本共産党は支持できます。」

「貴国が武装した特殊工作員を韓国に侵入させて要人を殺害すれば、南朝鮮人民のやむにやまれぬ愛国闘争だとひきつづき宣伝しますよ」

「これからはテロの時代でしょう。金日成同志の御検討をお願いします」



若い日本共産党員は「宮本さんが金日成にテロを勧めたなんて、デマだ」と怒るかもしれません。

しかし、宮本顕治は「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」(「前衛」49号、1950年5月)で「日本革命の『平和的発展の可能性』を提起することは根本的な誤り」と断定したのです。

「議会を通じての政権獲得の理論も、同じ誤りであることは論をまたない」と宮本顕治はこの論文で断定しています。

宮本顕治の「理論」からは朴かいらい政権とやらを打倒するためには武装闘争、テロしかないという結論が当然でてくるはずです。


金日成は宮本顕冶の「指摘」をこのように解釈したことでしょう。「赤旗」は8月の両党会談後も引き続き北朝鮮を礼賛しています。

代表団の一人だった松本善明(当時は衆議院議員)が「赤旗」に載せた記事を抜粋して紹介します。


松本善明「隣の社会主義国―朝鮮をたずねて―(下)」(「赤旗」昭和43年10月21日記事より抜粋)



「朝鮮の社会主義建設の成功の根源がどこにあるかということは、共和国を訪問した外国人には共通の関心事でしょう。

そのなかのもっとも大きなものは、もちろん金日成同志を先頭とする朝鮮労働党の正しい指導があったということです。


指導の基本路線は、一九六六年の朝鮮労働党代表者会議の決定、十大政綱、こんどの慶祝大会での金日成首相の報告(「世界政治資料」二四八、二七六、二九四号所収)であきらかにされていうますが、これらはそれぞれりっぱな文章です。

さらにこの基本路線のもとでなされている具体的な指導がまた大変意味のあるものです」


(中略)


「労働時間は八時間、こどものいる婦人は六時間、住宅、医療、教育は無料、税金もないので、賃金を使う場所は家具や衣服で、貯金もたくさんあるということです。

まさに社会主義の国、労働者の国です」


(後略)



8月の両党会談代表団の一員だった松本善明(当時は衆議院議員)はテロ国家北朝鮮の危険性を認識していたはずですが、「赤旗」にはほぼ百八十度異なる記事を書いています。

宮本顕冶は、松本善明や「赤旗」編集部に引き続き北朝鮮を礼賛するよう指示していたのでしょう。

当時の松本善明も不破哲三と同様に、「北朝鮮では金日成個人崇拝の体制化がはじまった。異常だ」(P37)程度の感想を持っていたでしょう。

「十大政綱」が危険だと松本善明は代表団の一員として実感していたはずですが、それでも松本善明はテロ国家北朝鮮を礼賛しました。

松本善明は筋金入りの共産主義者なのでしょう。宮本顕冶に忠誠を誓っていたのでしょう。

松本善明によれば北朝鮮では住宅、医療、教育は無料、税金がないそうです。まさに「地上の楽園」ですね。

松本善明はもっとたくさんの在日朝鮮人を帰国させたかったのかもしれませんね。

日本共産党員の宮本顕治に対する忠誠心は、在日本朝鮮人総連合会の皆さんが、金日成や金正日に忠実なのと同じです。


不破哲三によれば、北朝鮮の行動や立場は、代表団に今後のさまざまな危ぐとも結びついた、大きな疑問を残すものでした(P31)。

大きな疑問があろうとなんだろうと、共産主義者は共産主義国を礼賛するものなのでしょう。

宮本顕治や不破哲三は、そういう生き方を選択した人だったのです。

不破哲三の「研究」には下部党員や「赤旗」読者をいかに欺くかという技術も含まれているのでしょうね(文中敬称略)。





2013年10月8日火曜日

日本共産党は、朝鮮労働党の指導のもとに朝鮮人民が社会主義革命と社会主義建設でおさめた成果をたたえる-「赤旗」昭和41年3月22日(1966年)一面より思う-

今日、朝鮮民主主義人民共和国では、政治、経済、文化生活のあらゆる領域で大きな高揚がおきている。全人民が朝鮮労働党のまわりにかたく団結しており、人民の政治的道徳的統一は強まっている(「赤旗」昭和41年3月22日より)。




友人の昔の失敗をいつまでもほじくりだすような人間には、なりたくありませんね。

「お前は四十数年前、こんなことをやった」などと嫌味交じりに言われたら、そんな人との交際は一切絶ってしまえ!という気持ちになる人は多いでしょう。

しかし友人関係ではなく、政治家や政党が歴史の中でどういう役割を果たしてきたのかという点については、何十年前だろうと当時の文献を根拠にして議論するのは当然でしょう。

日本共産党員や在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、他人が自分たちの昔の文献を持ち出して、自分たちの歴史について語ることが心底嫌なようです。

左翼の歴史とは、簡単にいえば共産主義国礼賛と追随の歴史です。これが暴露されてしまうのが嫌なのでしょう。

年長の左翼は若い左翼に、若い頃の自分たちの所業を内緒にするのでしょう。

昭和30年代後半や昭和40年代の「赤旗」、同時期の日本共産党理論雑誌「前衛」には、日本共産党によるソ連や中国、北朝鮮礼賛論考、記事がこれでもかという掲載されています。

新日本出版社発行の雑誌「経済」も同様の内容でした。この頃の日本共産党による北朝鮮論について、少し紹介しておきます。



戦争国家、テロ国家北朝鮮を礼賛した宮本顕治、蔵原惟人と不破哲三




日本共産党の吉良よし子参議院議員や、小池晃参議院議員は日本共産党の昔の「赤旗」や「前衛」を国会図書館などから借りてきて読んだことなど一切ないことでしょう。

若い日本共産党員は不破哲三や志位和夫の最近の文献には、重要な史実が隠されているなど想像もできないのです。

ですから若い日本共産党員は、宮本顕治や蔵原惟人、不破哲三らがかつてテロ国家北朝鮮を礼賛した史実を全く知りません。以下これを、「赤旗」記事により簡単に示しましょう。

以下は、「日本共産党代表団と朝鮮労働党代表団の共同声明」(「赤旗」一面、昭和41年3月22日掲載)からの抜粋です。

宮本顕治や蔵原惟人、不破哲三らは、大韓民国を国家として認めず、日韓条約粉砕を主張していたのです。こんな言論は、韓国蔑視宣伝でしかありません。



南朝鮮人民の苦しみと不幸は、アメリカ帝国主義の植民地支配と朴正煕かいらい一味の反民族的売国的政策の結果である



(はじめの部分は略)



「日本共産党は、朝鮮労働党の指導のもとに朝鮮人民が社会主義革命と社会主義建設でおさめた成果をたたえる。

朝鮮人民は、過去のたちおくれた植民地経済を一掃し、自立的民族経済を建設し、英雄的な奮闘によってアメリカ帝国主義の侵略戦争がもたらした困難な条件を克服し、国を発展した社会主義的な工業・農業国にかえた。

今日、朝鮮民主主義人民共和国では、政治、経済、文化生活のあらゆる領域で大きな高揚がおきている。全人民が朝鮮労働党のまわりにかたく団結しており、人民の政治的道徳的統一は強まっている。

しかし、南朝鮮の現情勢はこれとははっきりとことなる対照をなしている。経済は破綻し、民族文化はふみにじられ、人民は極端な政治的無権利と貧困にさいなまれている。

南朝鮮人民の苦しみと不幸は、アメリカ帝国主義の植民地支配と朴正煕かいらい一味の反民族的売国的政策の結果である。


(中略)


朝鮮の統一は、朝鮮人民の至上の民族的課題である。全朝鮮人民は、アメリカ帝国主義の植民地政策と民族分裂政策に反対し、国の自主的統一を実現するために民族あげての闘争をくりひろげている。

アメリカ帝国主義侵略者は、南朝鮮からただちに撤退すべきである。朝鮮問題は、いかなる外部勢力の干渉もうけず、もっぱら朝鮮人民によって解決されなければならず、また解決されうるのである。

日本共産党は、アメリカ帝国主義と、それに追随する佐藤内閣の朝鮮民主主義人民共和国敵視政策を断固として非難し、国の自主的統一をめざす朝鮮労働党の政策と朝鮮人民のたたかいに全面的な支持を表明する。

日本共産党はアメリカ帝国主義との対決の東方の最前線に立って、国の社会主義建設と防衛を意気たかくおしすすめている朝鮮労働党と朝鮮人民のたたかいが、平和と社会主義建設の事業にとって大きな貢献となっていることをみとめる。


(中略)


両党の代表団は、さきごろ佐藤内閣と南朝鮮の朴正煕一味との間に結ばれた「日韓条約」は不法、無効のものであり、粉砕されなければいけないとつよく主張する。

「日韓条約」は日朝両国人民の利益に反し、アジアと世界の平和をおびやかすものである。この条約は、日米「安保条約」および、「韓米相互防衛条約」などと結びついて、

事実上、アメリカ帝国主義と佐藤内閣、南朝鮮と台湾のかいらい一味による「東北アジア軍事同盟」の結成を意味するものである。

この条約は、日本軍国主義者に南朝鮮再侵略の道をひらき、朝鮮の統一問題の解決にあらたな障害をつくりだしている。

またそれは、日本の国土と日本人民をアメリカ帝国主義のアジア侵略主義にいっそうふかくまきこむ重大な危険をはらんでいる」


(後略)




この共同声明はかなりの長文です。会談でお互い、よほど波長があったのでしょう。

会談には日本共産党からは宮本顕治、岡正芳、蔵原惟人、米原いたる(米原万里のお父さん)、砂間一良、上田耕一郎、不破哲三、工藤晃が参加しました。

朝鮮労働党からは金日成、崔庸健、朴金チョル、李孝淳、朴容国らが参加しました。

朴金チョル、李孝淳、朴容国は、「甲山派」と呼ばれ、金日成とは別にパルチザンをやったと言われる朝鮮労働党の大幹部です。

「甲山派」は会談の翌年に、「唯一思想体系の確立に反対した」とみなされ、粛清(追放?)されたようです。

政治犯収容所や山奥の僻地に連行されたか、あるいは処刑されたのか。朴金チョルは自殺したという説もあります。

要は、「甲山派」の人たちは金日成に多少の不満を漏らしたか、漏らす可能性があるということで「除去」されてしまったということです。政治犯に裁判はありません。




不破哲三も昔は「唯一思想体系の確立」の危険性を指摘していた






「甲山派」がいなくなったことについては、二年後に再度訪朝した不破哲三も「おかしいな」と感じたようです(「北朝鮮 覇権主義への反撃」、新日本出版社1992年発行、p20-21)

不破哲三も「唯一思想体系の確立」の危険性について、犠牲者が出ている旨この本で説明しています(p21)。

「北朝鮮 覇権主義への反撃」では、p118で和田正名が北朝鮮をテロ国家と規定し、「李恩恵」の存在より「日本は北朝鮮から重大な主権侵害を受けている」と断言しています。

二十五年くらい前の日本共産党は、日本人が北朝鮮に拉致されていることを国会などで主張していたのです。

兵本達吉秘書の必死の調査活動により、「日本人が拉致されている」と確信した橋本敦が昭和63年3月26日に参議院予算委員会で質問をしています。

二十年くらい前まで日本共産党は、中国や北朝鮮による人権抑圧を多少は批判していたのです。その後不破哲三が路線転換し、中国や北朝鮮の人権抑圧に沈黙するようになりましたが。

小池晃参議院議員なら、二十年くらい前の「赤旗」が中国当局による人権抑圧を取り上げていたことを覚えているでしょう。

吉良よし子参議院議員のような若い日本共産党員には、小池晃参議院議員はこのあたりの路線転換を内緒にしているのでしょうね。

共産党の歴史に路線転換はよくあることなのです。


ところで、「甲山派」は大幹部だけでなく、大幹部に関連のある人も相当数が追放されたようです。

日本に戻ってきた帰国者(北朝鮮に渡った在日朝鮮人)から、そういう話を聞いたことがあります。

かなりの方が、政治犯収容所送りになったのでしょうね。




北朝鮮は建国当初から徹底した人権抑圧国家だった





北朝鮮は建国当初から、徹底した人権抑圧国家でした。当たり前ですが、共産党が作る国家には三権分立も普通選挙制度もありません。

共産党が国会(最高人民会議)と裁判所を支配します。内閣のような行政機構を共産党が「指導」と称して掌握します。

「掌握」できるのは共産党が軍と警察力を掌握しているからです。軍と警察は通常、共産党の最高指導者に直属ないしは忠誠を誓っています。

共産党が作ってきた政治体制に、言論の自由、表現の自由、思想信条の自由は基本的にありません。政治犯収容所が存在し、政治犯は奴隷の如き囚人労働を強いられます。

北朝鮮に民間の言論機関などありません。公に見解を発表できるのは朝鮮労働党、当局と当局の承認を受けた人間だけです。

最近の中国では、インターネットで多少の政府批判ができるようですが、チベットやウイグルの独立、法輪功を支持するような言論は困難でしょう。

北朝鮮では、金正日や金正恩の家族や女性関係について周囲の人間と噂話程度のことをしても、収容所送りになるかもしれません。

北朝鮮には国家安全保衛部という、旧ソ連のNKVD(内務人民委員部)、中国の国家安全部のような治安警察がありますから。



金日成こそ戦争犯罪人だ





朝鮮戦争は金日成がスターリンと毛沢東の承認を得て、朝鮮人民軍の侵攻により始まりました。宣戦布告など金日成がするはずもありません。

金日成は数百万人規模の犠牲者を出した朝鮮戦争の最大の戦争犯罪人です。

北朝鮮は建国当初から、徹底した戦争国家だったのです。

朝鮮人民軍は韓国各地で一般市民を虐殺するなど徹底した戦争犯罪を断行しました。

約8万人の韓国人が、朝鮮戦争時に北朝鮮に拉致されました。

北朝鮮が宣伝する「国の自主的統一をめざすたたかい」とは、戦争を含むあらゆる手段で大韓民国を滅亡させるということです。

武装工作員による韓国の大統領暗殺はもちろん、「国の自主的統一を実現するための民族あげての闘争」です。テロは「たたかい」なのです。

韓国人拉致は「国の自主的統一をめざすたたかい」です。

「人民の敵」を殺害または抑圧するのは「たたかい」であり社会進歩だ!という発想は、レーニン、スターリンの教義に基づくもので、世界各国の共産党が等しく抱いているものです。




全人民が朝鮮労働党のまわりにかたく団結している





昭和30年代から40年代の日本共産党員は、次のような信念を抱いていました。


「共産党が支配している国のやることは何でも素晴らしく、美しい。共産党の世界支配を強く妨げている米国のやることはすべて汚く、悪だ」


何も知らない人が実証的根拠なしに変な信念を抱くと、とんでもない戦争国家、人権抑圧国家が素晴らしく美しき国家に思えてしまうのでしょう。

信念があると、実態を調べて結論を出そうという発想ができなくなってしまいますから。狂信というべきかもしれません。

実際には、宮本顕治や蔵原惟人、不破哲三や上田耕一郎らは訪朝時に別の感想を持っていたかもしれませんが、共産党の幹部は本音を下部党員に教えないものなのです。

何も知らない下部党員は最高幹部のいうことを信じてついていくだけです。

共同声明によれば朝鮮人民は「国を発展した社会主義的な工業・農業国にかえた」そうですが、これは共産党員としては最大限の賛辞でしょう。

共同声明によれば全人民が朝鮮労働党のまわりにかたく団結しているそうですが、本当にそうであるなら異なる意見の表明が一切禁止されているということになります。

どんな社会にも国にも、政治に何の関心もない人はいますし、政治家を批判する人はいます。

そういう人も「朝鮮労働党のまわりにかたく団結」せねばならないなら、人々の動向を常時観察、偵察する警察機構が存在するのでしょう。

異なる意見や不満を漏らした人を「山送り」にする警察機構がこの時期には存在していたのでしょう。政治犯への裁判などありません。



自由と民主主義を守った米軍と韓国軍兵士-米軍基地があると北朝鮮は攻撃しにくくなる-




現実には、残虐な朝鮮人民軍や中国軍と死を賭して戦った米軍がいたからこそ、大韓民国が守られ、存続できたのです。

米軍と韓国軍が、大韓民国と自由、民主主義を守ったのです。朴正煕政権下の韓国で素晴らしい民主主義があったなどとは言えませんが、北朝鮮よりはずっとましでした。

朴正煕の韓国には政治犯はいましたが、政治犯の家族も含めて囚人労働をさせられるような制度はありませんでした。

政治犯に裁判はありました。民間の新聞や雑誌はもちろんありました。反体制の政治家が運動をできる自由はあったのです。

米軍が朝鮮戦争に参戦しなかったら、朝鮮半島全域が朝鮮労働党に支配され、ソウルや釜山近郊にも政治犯収容所が作られていたでしょう。

米国は韓国を植民地にしたことなどありません。昔も今も、米国人は韓国にさほど植民などしていません。

数十万人の韓国人が米国に移民していますが、米国は韓国の植民地ではありません。

ある地域に米軍基地があればそこは米国の植民地だ、などといえようはずもありません。共同声明は愚論そのものです。

米軍基地があると、北朝鮮がその地域を攻撃したとき米軍人とその家族が犠牲になり、ほぼ自動的に米軍が応戦します。

米軍が応戦すれば、最終的には北朝鮮が敗北します。それを金日成はわかっていたから、米軍がいる韓国には「解放戦争」をやりにくくなったのです。

金日成、金正日は、米軍がいる韓国の「解放」のためにはテロに頼らざるをえなくなったのです。

これは今日の中国と沖縄、尖閣諸島との関係でも同じことです。

沖縄に強力な米海兵隊がいますから、中国としては尖閣諸島を占領しようとしたとき、米海兵隊と戦闘することを想定せねばなりません。実際にそうなるかどうかは微妙ですが。

日本が集団的自衛権を行使できるようにすれば、沖縄や尖閣を中国が占領しようとしたとき、米海兵隊が参戦する可能性は高くなります。米海兵隊には中国人民軍は惨敗してしまうでしょう。

米海兵隊、米軍が沖縄からいなくなれば、沖縄も尖閣も丸腰のようになってしまいます。悔しいことですが、現状では自衛隊に海兵隊のような能力はありません。

従って中国や北朝鮮は日米軍事同盟の強化に全力で反対しているのです。中国と北朝鮮は日本を侵略する意思も能力も満々なのです。




「唯一思想体系」が韓国でも確立したらどうなるのか





「唯一思想体系の確立」と「全社会の金日成主義化」が実現してしまったことでしょう。

これは真に奇妙な表現で、普通の日本人には理解不能ですが、要は金日成による国民の絶対的支配ということです。

「唯一思想体系の確立」については、不破哲三が適切な説明を前掲著でしていますから、吉良よし子参議院議員ら若い日本共産党員はそちらを参照されたらいかがですか。


「全社会の金日成主義化」が韓国で実現してしまえばどうなったでしょうか。

東方神起や少女時代の御両親あるいは祖父母の世代から韓国人は、学校で金日成主義化教育を強制されてしまったことでしょう。

そんなようでは、韓国ドラマや映画、歌謡曲はつくれません。金日成、金正日を歌謡曲で礼賛するなど考えられません。歌謡曲でなくなってしまいます。

「全社会の金日成主義化」では民族文化など徹底破壊されてしまいます。

そんな抑圧体制を、宮本顕治や蔵原惟人、上田耕一郎、不破哲三は「人民の政治的道徳的統一は強まっている」と礼賛したのです。





日韓条約粉砕を叫んだ日本共産党-日本共産党による韓国蔑視宣伝-




共同声明に明記されているように、当時の日本共産党は金日成の宣伝に同調して朴正煕政権を「かいらい」などと罵声を浴びせていました。

当時の日本共産党は韓国政府の存在そのものを認めなていなかったのです。こんな言論は、日本共産党による韓国蔑視宣伝です。

当時の日本共産党の立場は、朝鮮労働党によって朝鮮半島は統一されるべきであり、大韓民国は滅亡してしかるべきである、というものです。

共同声明に次のように明記されています。



「日本共産党は、(中略)、国の自主的統一をめざす朝鮮労働党の政策と朝鮮人民のたたかいに全面的な支持を表明する。」



この見地から日本共産党は、昭和43年1月(1968年1月)の北朝鮮武装工作員によるテロ、朴正煕大統領暗殺未遂事件を「たちあがる南朝鮮人民」などと礼賛したのです(「赤旗」昭和43年1月31日記事より)

いわゆる「青瓦台事件」です。

朝鮮労働党作戦部所属の武装工作員が集団でソウルに、朴正煕大統領を暗殺すべく侵入してきたのです。工作員は手榴弾や銃などで重武装していたようです。

これはもう45年前の事件ですが、私はソウルで高齢のタクシー運転手から、武装工作員がものすごい速度でソウルの各地に出没し、心底恐ろしかったという話を伺ったことがあります。

韓国映画「シュリ」に描かれているような猛訓練を重ねた武装工作員が大都市ソウルに潜入してきたのですから、大変なことです。

米軍がソウル近郊にいたから、金日成は再度全面戦争ができず、テロ部隊を送って朴正煕を殺害しようという結論になったのでしょう。



条約の粉砕とは-不破哲三は説明するべきだ




ところで、国と国との条約を「粉砕」するとは一体どういうことなのでしょうか。

条約を締結した日本の要人を暗殺してしまえ!ということなのでしょうか。

あるいは、日本に工作船などで潜入してくる北朝鮮の武装工作員に協力し、訪日する韓国の要人暗殺を幇助するということなのでしょうか。

日本共産党員が北朝鮮工作員による日本人拉致に協力していたとは考えられませんが、朝鮮総連関係者の中で少人数の非公然組織が作られていることを知っている党員はいたでしょう。

金炳植という在日本朝鮮人総連合会の大幹部と知り合いだった日本共産党員はいくらでもいたでしょうから、日本共産党中央は北朝鮮の非合法活動について多少の情報を得ていたでしょう。

「条約を粉砕」するために日本共産党は在日本朝鮮人総連合会に協力し、韓国政府が滅びることを助けるということでしょうか。

「粉砕」の具体的な中身を、共同声明を締結したひとりである不破哲三にお伺いしたいですね。

小池晃参議院議員や、吉良よし子参議院議員はもう少し日本共産党の文献に基づいて、日本共産党の歴史を勉強されたら良いかと存じます(文中敬称略)。



追記


在米韓国人は少し前の統計で約142万人だそうです。数十万という数字は随分前のものでした。

不法滞在者を含めるともっと多くなるのでしょう。しかし、韓国人はなぜそんなに移民を望むのでしょうか。オーストラリアやニュージーランドにも相当移民しているはずです。

日本共産党や朝鮮労働党の「南半部は米国の植民地」云々は噴飯ものですが、現代韓国にかなりの社会問題が累積していることは間違いないのでしょう。






2013年10月7日月曜日

弱小民族の解放者であり、人民の自由と世界平和と安全のまもり手である偉大なソ連軍が進駐した北朝鮮-「金日成二巻選集 第一巻、p93」(日本共産党中央委員会金日成選集翻訳委員会訳、1966年)より思う-

朝鮮を解放したソ同盟の、偉大な指導者スターリン大元帥に最大の敬意を表する(「金日成選集 第一巻p43)




昭和30年代、40年代は左翼の皆さんにとって、本当に良い時代だったのですね。その頃の「赤旗」や日本共産党の理論誌「前衛」を読むと、つくづくそう思います。

「赤旗」や「前衛」に掲載されている記事や論考で共産主義国に関するものはほとんど全部が「美しく素晴らしき社会主義国」といった論調です。

共産主義理論、マルクス主義経済学に依拠すれば、ソ連や東欧、中国や北朝鮮では資本主義的搾取が廃止され、人民が国の主人公になっているのですから、素晴らしい現実が具現するしかないのです。

実際には、当時の「赤旗」や「前衛」のソ連や東欧、中国、北朝鮮に関する「現状分析」とやらは共産主義国の宣伝をそっくりそのまま借用しただけです。

昭和30年代や40年代では、共産党員は外国の共産党の文献をただひたすら信じて大宣伝していればそれで万事良し、という時代だったのでしょうね。

そんな調子だったから、殆どの日本人は共産党員を信頼せず、日本共産党に投票しなかったのでしょうけれど。

上述部分は、「金日成選集第一巻」のp93からの抜粋です。

凶暴な事この上なかった極東ソ連軍を「人民の自由と世界平和と安全のまもり手」と金日成は礼賛せねばならなかった、とも言えます。

やや逆説的ですが、金日成によるソ連礼賛、スターリン礼賛の史実こそ、弱小民族だった朝鮮民族の哀しみを表しているのかもしれません。

スターリンを礼賛しなければ、金日成はソ連軍に消されてしまったかもしれないのですから。

「金日成選集」が発行された頃、日本共産党と朝鮮労働党は大変良い関係を築いていました。

金日成の著作の翻訳を日本共産党がやっていたのですからね。当時の日本共産党員で、金日成を心から尊敬していた人は少なくなかったでしょう。

現実の北朝鮮では、この頃既に少なくない元在日朝鮮人、帰国者が行方不明になっていました。体制を少しでも批判するような発言をすれば、「山送り」にされてしまうのです。

政治犯収容所に連行されてしまった方もいたことでしょう。

今日の在日本朝鮮人総連合会の皆さんも、金日成や金正日の文献をただひたすら信じていらっしゃるようですが、金日成の昔の文献をきちんと読んでみたらいかがでしょうか。




金日成は「ソヴェト軍隊といっしょになって、朝鮮人民の不倶戴天の敵-日本帝国主義者どもを撃滅する戦闘にくわわった」






在日本朝鮮人連合会の皆さんは、金日成の昔の文献、例えば三一書房発行の「金日成選集」や、日本共産党中央委員会出版部発行の「金日成二巻選集」について言及されるのが嫌なようです。

「金日成選集」で金日成は「わが民族を解放したソヴェト軍隊万歳!世界人民の偉大な指導者であり、恩人であるスターリン万歳!」(第一巻p10)などと述べていますから。

これは、現在の朝鮮学校の教育内容と大きく異なるものです。「金日成選集」第一巻p287には、「関東軍はまたたくまに偉大なソヴェト軍隊によって撃滅されてしまった」とあります。

これも大嘘ですが、「金日成選集」によれば日本を破ったのはソ連であり、金日成は「ソヴェト軍隊といっしょになって、朝鮮人民の不倶戴天の敵-日本帝国主義者どもを撃滅する戦闘にくわわった」だけです(第一巻、p287)。

「金日成選集」によれば金日成は「戦闘にくわわった」だけなのです。これでさえも限りなく怪しいものですが。

「金日成選集」第一巻p303によれば、金日成は「全世界の勤労人民の偉大な指導者スターリン大元帥の忠実な、剛毅な、賢明な弟子の一人」だそうです。

金日成によれば、「英雄的なソヴェト軍隊の力によって、朝鮮民族が解放され、同時に青年もまた解放された」(第一巻p45)そうです。



われわれの解放者であるソ連軍と、ソ連人民の偉大な指導者スターリン大元帥に心からの感謝をささげる




日本共産党中央委員会出版部発行の「金日成選集 第一巻」(1966年、p40)に次の記述があります。

「労働法令草案について-北朝鮮臨時人民委員会拡大会議でおこなった演説-1946年6月20日」からの抜粋です。



「ソ連軍が朝鮮を解放し、北朝鮮に進駐したことによって、わが国の人民は、自己の意思にもとづいて民主的な、あたらしい生活を建設することができるようになり、

職業同盟、農民同盟、民主青年同盟、民主女性同盟などの民主的な団体を自由に組織し、すべての愛国勢力をひろく結集させることができるようになった。

(中略)

わたしは、きょう、民主的な労働法令草案を発表するにあたり、全朝鮮人民の名において、われわれの解放者であるソ連軍と、ソ連人民の偉大な指導者スターリン大元帥に心からの感謝をささげるものである」 



「朝鮮を解放した」のは「偉大なる首領」ではなく、ソ連軍だったと金日成元帥様が宣伝しているのです。

「自己の意思に基づいて民主的なあたらしい生活」とやらの実態は大いに疑わしいですね。

ソ連軍による「解放」とやらの直後に「地主」「親日派」とレッテルを貼られた人たちが、財産没収や追放処分にあっているようです。「政治犯」にされてしまった方もいたでしょう。


こんな話は、在日本朝鮮人総連合会の皆さんだけでなく現在の韓国左翼も聞きたくないでしょうが、史実を直視していただきたい。

朝鮮民族が「金日成民族」であるなら、朝鮮民族はスターリンの下僕ですね。

2013年10月5日土曜日

人間は全く不幸になることはない、とママンはよくいっていた。―Albert Camus「異邦人」(新潮文庫、p116)より思う―

死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、全く生きかえるのを感じたに違いなかった。




自分はどういう死に方をするのだろうか。時折これが、気になります。

今は健康でも年年歳歳、体は弱っていきます。あるいは、思いもよらぬ事故に遭遇してしまうかもしれません。五十代ですから。癌や梗塞になることを想定せねばなりません。

癌患者の手記を読むと、末期癌になると激痛と体の変容で苦しいことこのうえないようです。癌のどういう作用によるものなのかわかりませんが、腹水が溜まってしまいます。

食欲がなくなりやせ細ってしまいますが、腹が膨れてしまいます。

ある癌患者は、「自分は餓鬼のようになってしまった」と書いていました。餓鬼の絵を書いた昔の人の身近に、末期癌の方がいたのかもしれません。

痛みに苦しみつつも、最期の最期のときには平安な心を取り戻したいものです。可能なら、徐々に衰えつつ、自分の生命が長くはないことを意識しながら、眠るような死に方をしたいものです。

「異邦人」のムルソーの母はきっと、養老院で慎ましくも穏やかな暮らしをしていたことでしょう。ムルソーは養老院での母親の最期の日々を上述のように推測しています(新潮文庫p127)。

「何人も、何人といえども、ママンのことを泣く権利はない」(p127)というムルソーの言葉に、母親への愛を感じます。母親の死に方は、決して悪いものではなさそうです。


裁判長が奇妙な言葉つきで、あなたはフランス人民の名において広場で斬首刑をうけるのだ、といったからだ。




「異邦人」韓国語訳の解説で、金ファヨン教授は次のように述べています。



「異邦人」には三つの死が小説全体の輪郭を作っている(韓国語訳p201)。第一にムルソーの母の死、第二にムルソーによるアラブ人の殺害、そして第三にムルソーの死刑宣告。

死は生きることの価値をより引き立たせる暗い背景であり、鏡だ。この小説の真の主題は生への賛歌、幸福の賛歌である(韓国語訳p213)。



「異邦人」は、死について読者に考えさせる小説なのでしょう。病死、殺人、そして非業の死。

「健康なひとは誰でも、多少とも、愛するものの死を期待するものだ」(p68)とあります。英語訳では次になっています。


At one time or another all normal people have wished their loved ones were dead.



これは身近な人の死に方について、ときには想像してしまうことを意味しているのでしょう。死を常に意識して日々を生きることにより、充実した生が得られるのかもしれません。

「異邦人」最後の部分(第二部の5)は、斬首刑での死に直面したムルソーの独白です。4の最後で、裁判長が淡々と判決を言い渡します。



私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。




ムルソーは無理やり面会してきた司祭との対話で、心の底をぶちまけます。この長い独白の部分(p124-127)にこそ、Camusの読者へのメッセージが最大限込められているのではないでしょうか。

誰しも死は恐ろしい。

立身出世など、普通の人間が最大限関心を抱くようなことには一切関心を持たなかったムルソーですが、何とか斬首刑から逃れられないものかといろいろ思案します。

ムルソーは思索の末、特赦請願の却下と、赦免がありえないことを納得します。そんなときに司祭がやってきたのです。

司祭の慰めの言葉を拒否したムルソーは、基督教が説く神への絶対的な帰依による救いの道を否定したのでしょう。

「人民裁判」により、斬首刑という悲惨な死を余儀なくされているムルソー。彼の思索をおっていくと、いつの間にか自分のこれまでの生き方を思い起こしてしまいます。

ムルソーの最後の独白部分の意味を、自分のこれまでの生き方と重ね合わせて考えてみたいものです。そうした思索ができることは、人間が等しく持っている特権なのでしょう。

自分なりの生き方ができたのなら全て良し、とみなして死んでいければ幸福なのかもしれません。

何らかの力により、どうしようもなく絶望的な状況に陥ってしまった人はいくらでもいます。しかし、そういう人と、世間的に大成功した人の死に方にどれだけ違いがあるでしょうか。

生きとし生ける物は皆、いずれ処刑されるのです。

そう考えると、ムルソーの母の言うように人間は全く不幸になることはないのかもしれません。

大成功した人でも、最期の最後には「自分はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした」と思いながら亡くなっていくのです。