2018年10月28日日曜日

井筒俊彦「イスラーム文化 その根底にあるもの」(岩波文庫。昭和56年に底本)より思う。

「いかなる意味においても神の啓示に関係のない邪宗徒の場合は、イスラームに改宗するのが生命を保持するための唯一の生きる道であり、そうでなければ剣で斬られるほかはない。そういう状況が、少なくとも昔は、事実上存在していたのであります」(同書p131より抜粋)。


少し前に、ジャーナリストの安田純平さんがシリアから帰国されました。

安田さんは内戦で危険とわかっているシリアに御自分の判断で入国したので、勝手すぎる、自己責任だという声がかなりあります。

今の安田さんは肉体的、精神的に大変な状況でしょうから、あまり追及すべきではないでしょう。

安田さんを捕らえて虐待していた連中は、ジハード、聖戦をやっているつもりなのでしょうか。

インターネットで公開された映像を見ると安田さんは「私はウマルです」と言わされていました。

察するに安田さんは改宗を強要されたのでしょう。イスラム教の教義はこんな蛮行を、許容するのでしょうか。

誰でもこう問いかけたくなります。この問いはあまりにも重い。

飯山陽「イスラム教の論理」(新潮新書)は、聖典「コーラン」に依拠してイスラム国、イスラム教徒の言動を考えるべきと繰り返し主張しています。

飯山さんの本を読んだかぎりでは、この問いにはイエス、と答えるしかなさそうです。

しかし果たしてそれで良いのだろうか。

イスラム研究の大家、井筒俊彦氏の本をまた読みたくなりました。

以下、私なりに大事と思った点を抜き書きします。

イスラーム文化は究極的には「コーラン」の自己展開なのであります(同書p33)。


聖典「コーラン」は、預言者ムハンマドが神の啓示を受けて、その神の言葉が記録されている事によって成立したと言われる1冊の書物(同書p32)。

イスラーム文化、イスラーム社会を考えるとき、聖典「コーラン」が第一級の価値を持つことは明らかです。

「コーラン」の自己展開とは、同書p36の記述を私なりに考えますと次の意味です。

「コーラン」に記されている神の言葉を理解するとは、それがどんな状況で、どのように適用できるのかを読み手が解釈することです。

テキストは一つでも、文字通りにしか解釈しない人もいれば、自分なりに神の言葉の背後にあるう意味を解釈して理解する人もいる。

「コーラン」というテキストをどう読むかという解釈は各人各様で、イスラーム文化は多様化した。しかし解釈が違っても、究極的には統一されている。

イスラーム文化は「コーラン」をもとにして、それの解釈学的展開として出来上がった文化である、と井筒は述べています(p37)。

このあたりは、社会の在り方を規定するのは経済、財とサービスの交換方式などではないという見方です。

本書の社会観は、社会の在り方は人々が世界とその中での自分の位置、役割をどう把握、解釈しているかに依存するという話ですから、マルクス主義と根本的に違います。

マルクス主義経済学者や哲学者は、この本を観念論者の書とみるのでしょうか。

ところで、預言者ムハンマドが生きている間は、どんな問題が起きても預言者本人にきけば、答えが直ちに神の意志です。これで終わり、ですが死後はそうはいかない。

そこで預言者ムハンマドの言行録、「ハディース」が第二の聖典となりました。

「コーラン」と「ハディース」を根拠にしてイスラム法が形成されていきます。

ここで、テキストをどう解釈するかについて、学者の間で違いが生じ、学派が形成されます。学派により異なるイスラーム法ができます。

イスラーム法は、イスラム教徒の全生活を規定します。イスラーム法でいう現世を正しく構築する、人生を正しく生きるとは神の指示通りにする事です(同書p147)。

現世が神の世界として正しい形で実現していないならば、それを正しい形に向かって建て直していかねばならない(同書p144)。

これが聖戦、ジハードなのでしょう。

殆どの日本人は仏教徒ですから、「啓典の民」ではありません。邪宗徒、です。安田酸が生き延びるためには、改宗しかなかったのでしょう。

個人による二大聖典の法的判断「イジュティハード」が禁止された


井筒によれば、イスラーム法は人間の在り方が、社会生活から家庭生活の細部に至るまでう際に規定されています。

この法規は、解釈の自由が認められるのなら、人は適切に解釈して、諸問題に対する自分なりの解決策を見いだせる。

しかし、9世紀の中頃に法律に関する限り、聖典解釈はしてはいけないと禁止されてしまいました。

個人が自由に「コーラン」「ハディース」を解釈して法的判断を下すことを「いじゅてぃハード」と言います(同書p162)。

井筒は、「イジュティハード」の禁止が近世におけるイスラーム文化凋落の大きな原因の一つと述べています(同書p163)。

イランのシーア派はこれを初めからしなかった。

アラブとイラン(ペルシア人)、イスラーム文化を代表するこの二つの民族は対蹠的です(同書p31)。

その世界観、人生観、存在感、思惟形態においてアラブとイラン人は多くの場合、正反対だそうです。

中東地域で有力な民族といえば、アラブとペルシア人、トルコ人でしょう。

イスラーム教徒という点では共通していますが、その背景はかなり違う。

その程度なら私にもわかりますが、中東に平和が訪れる日は一体いつになるのでしょうか。イスラーム教徒の流入が続く欧州はどうなるのでしょうか。

イスラーム教徒の大量流入にフランスと欧州はどう対応するのか―欧州は大きく変容していく


イスラーム文化の勉強と少しでもすると、イスラーム教徒が大量流入している欧州はどうなるのだろう、と思わずにいられません。

北欧でも議論になっているようです。

聖なる世界と世俗的世界を区別しないイスラーム教は、仏社会の伝統、世俗主義と正面から衝突します。

仏の知識層は、イスラーム文化をどう見ているのでしょうか。北アフリカのイスラム諸国からの流入は今後も続くでしょう。

外人が欧州のどこかの国にいったん入れば、簡単に移動できます。

中国共産党はウイグルの人々を収容所に連行し、洗脳させるべく策しています。中国の知識層は、これを本音で支持しているのでしょうか。

解決策の糸口すら見いだせない難題に、欧州が直面しているように思えてなりません。

聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)は、二百歳のマルクスなら今の世界をどう論じたかという問題を提起しました。

マルクスは、「資本論」などで記されている史的唯物論の手法のみでイスラム社会を把握したでしょうか。

そうではないでしょう。マルクスにはユダヤ教の素養がありました。

マルクスなら、イスラム教に関する文献をすぐに読みこなし、イスラム教が欧州を大きく変容させてしまうと直感したのではないでしょうか。




2018年10月21日日曜日

「党の唯一思想体系確立の十大原則」朝鮮労働党中央委員会1974年(昭和49年)の手帳より思う。



これは、長年在日本朝鮮人総連合会の活動に長年参加してきた方より得ました。

「党の唯一思想体系確立の十大原則 朝鮮労働党中央委員会1974」と記されています。全体で64頁から成る小冊子です。

数年前、金正恩版として改訂されました。私はその原本を持っていません。中身はさほど変わっていないはずです。

金日成への絶対性、無条件性の忠誠を住民に強制する内容です。北朝鮮社会では、この「十大原則」は法より上です。

在日本朝鮮人総連合会関係団体の職員により構成される小社会でも、この「十大原則」に基づき行動するよう求められます。

「十大原則」は北朝鮮社会の掟、ともいえます。

在日本朝鮮人総連合会関係の団体に所属している職員の方なら、これを暗記なさっていることでしょう。中にはあまり覚えていない方もいるかもしれませんが。

北朝鮮、朝鮮労働党がどういう集団であるかを考えるためには、これは必須の文献です。30年くらい前に、日本共産党が「世界政治」とかいう雑誌に翻訳を出していました。

察するに、故萩原遼さんが翻訳したのでしょう。当時の日本共産党は北朝鮮を強く批判していました。

今は、非核化のために努力している国、という具合で朝鮮労働党があたかも平和勢力であるかのように評価しているようですが。

十大原則を簡単に紹介しておきます。これだけでも、最後まで声を出して読んだら頭が痛くなるかもしれません。

暗記させられたら、頭の働きが変わってきそうです。

「十大原則」を知らずして北朝鮮、在日本朝鮮人総連合会を語ることなかれ


1.偉大なる首領金日成同志の革命思想で全社会を一色化するために身を捧げて闘争せねばならない。

2.偉大なる首領金日成同志を忠誠心を持って高く奉らねばならない。

3.偉大なる首領金日成同志の権威を絶対化せねばならない。

4.偉大なる首領金日成同志の革命思想を信念にし、首領様の教示を信条にせねばならない。

5.偉大なる首領金日成同志の教示執行に際し、無条件の原則を徹底して守らねばならない。

6.偉大なる首領金日成同志を中心にする全党の思想意志的統一と革命的団結を強化せねばならない。

7.偉大なる首領金日成同志に従って学び、共産主義的風貌と革命的事業方法、人民的作業作風を持たねばならない。

8.偉大なる首領金日成同志が抱かせて下さった政治的生命を大事に守り、首領様の大いなる政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術でお答えせねばならない。

9.偉大なる首領金日成同志の唯一的領導の下、全党、全国、全軍を一つになって動かす強力な組織規律をうちたてねばならない。

10.偉大なる首領金日成同志におかれて開拓された革命偉業を代を継いで最後まで継承し完成させねばならない。

10番目は、南朝鮮革命、すなわち大韓民国の滅亡、朝鮮労働党による統一を金正日の代に必ず実現せよ、という意味です。

昭和49年の「十大原則」では、金正日の名前は出ていません。「党中央」という表現が、10の後に出ています。これは金正日を意味しています。

金正恩が米朝首脳会談、南北首脳会談で何をどう言おうと、金日成、金正日の「教示」「お言葉」を破ることはできません。

金正恩が核兵器を廃棄したら、「教示」「お言葉」違反です。

金日成、金正日は核軍拡を固く指令していたはずです。核兵器廃絶は「十大原則」違反そのものです。



2018年10月11日木曜日

聴濤弘著「200歳のマルクスならどう新しく共産主義を論じるか」(かもがわ出版)より思う。

「資本主義の後に来るべき社会体制(その名は何であれ)がどのようなものであるかは、さまざまな環境におかれた99%の人々の生存権を脅かす現実的な問題を一つずつ取り除く運動を展開し、積み重ねることによって初めて明らかになるであろう。


共産主義の命題を日本のマルクス主義者がこのように扱っていることを200歳のマルクスが知ったら、もっともなことだと思うか、困ったものだと思うか、どうであろうか」(同書p57-58より抜粋)。

聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)の前掲著で私が、おや、と思ったのはこの文章でした。

この文章は、日本共産党の「わが党は社会主義の青写真は作らない」論への批判です。

聴濤氏は自ら発したこの問いに大略、次のように答えています。

これでは眼前の運動をやっていくことがすべてであり、どういう未来を目指すのかを考えたり描いたりすることは誤りなのか。

それならマルクスが未来社会を追及したこと自体、誤りという事になる。

そのとおりでしょう。

日本共産党や共産主義者には未来社会の青写真どころか、下絵すらないと私には思えます。

不破哲三氏の「党綱領の未来社会論を読む」と聴濤氏の違いは、社会主義の下絵を描こうとするか否か


共産主義者が搾取制度の廃止を訴えるのなら、搾取制度の廃止とやらによりなぜ労働者の生活が豊かになるのかを、現実の企業経営や経済運営方式との関係で説明すべきです。

不破哲三氏によれば搾取制度の廃止とは生産手段を社会化することだそうですが、それは一体どんな企業経営、経済運営を想定しているのか。

これの内容が全く説明できず、マルクスの抽象的な文言の引用でそれに代える、というだけなら共産主義理論はマルクス教です。

勿論、日本共産党がマルクス教を広める団体を自認しているのならそれでよい。

マルクス、エンゲルスやレーニンの主張が非現実的でも、彼らが残した言葉を信じる人が増えれば良い、という団体ということです。

不破哲三氏の前掲著の基本的な立場は、マルクス教と私は思いました。

この点で、聴濤氏のこの著書は、不破哲三氏の近著「党綱領の未来社会論を読む」より、随分ましです。

聴濤氏のこの本を、マルクス教の著作と評したら言いすぎです。聴濤氏は社会主義の下絵を描こうと努力している。

しかし、不可解な点は多かった。例えば次です。

マルクス、エンゲルス、レーニンの農業社会主義政策(集団化と機械化)は農民から支持されなかった(同書p88-89)と聴濤氏は述べているが...


聴濤氏はこのように述べ、その矛盾が後のスターリンの暴力的農業集団化という暴挙になり、スターリン体制が作られる要因となったと主張します。

スターリン体制を生み出したのはマルクス、エンゲルス、レーニンの理論であるという話です。

スターリンが断行した、「階級としての富農の撲滅」という大量殺人はレーニンの「富農は人民の敵だ」論だけでなくマルクス、エンゲルスにも遠因があるという主張になります。

これは首肯できますが、この件は共産主義者にとって重大問題のはずです。

農業経営を集団化すれば、収穫された農産物をどう分配するかが確定できない。

自分が汗水流して生産した農産物が、自分のものにならない。

農産物が国ないしは協同企業のものになってしまい、自分は所定の収入を受け取るだけなら汗水を流す必要はない。

農作業を適当にサボタージュし、所定の収入を受け取れば良い。サボタージュしたことが暴露しても、大した罰則がないなら怠けて当然です。

汗水を流して農産物を沢山作ったら、次年度の生産ノルマが増えてしまうならさぼれば良い。

こんな話になってしまう。これは農業だけでなく、製造業や各種サービス業についても同じです。

農産物や製品の売り上げを誰がどのように配分するかを確定できないのなら、「偉大な党」が決めることになる。

結局、労働者は生産物を自分のものにできない。適当なところで仕事を怠業してしまえ、という話になる。

資本家が利潤を取得しても良いと皆が思う理由-資本家は生産に必要な原資を提供し、消費者に受け入れられそうな製品の生産、そのための設備投資を主導する


エンゲルスのいう資本主義の基本矛盾とは、生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾です。

労働者が皆で生産した生産物を、資本家が労働者に賃金を支払うだけで取得してしまうから、利潤が生まれ搾取があるという話です。

それでは、なぜ利潤を資本家が取得する事が正当化されてきたのでしょうか。

マルクス主義経済学者は、「正当化」という点にもっと着目すべきではなかったのか。

私見では、これは資本家が生産に必要な原資を負担し、消費者に受け入れられる製品の生産、そのための設備投資を主導しているからです。

市場経済ではどんな設備投資でも、失敗する可能性が常にある。

消費者は気まぐれですから、新しい機械や設備により生産された財を必ず買う保証など全くない。

消費者が新設備により生産された財を十分購入してくれなければ、設備投資の元手を回収できないこともありえる。

この元手をA円とします。以下、資本家と労働者の資産格差がなぜ生じるかをたとえ話で説明してみます。

資本家と労働者の資産格差はなぜ生じるか―一つのたとえ話による説明―


簡単化し、設備投資には失敗するか、成功するかの2通りしかないとします。失敗すればゼロ円、成功すればA円+アルファ円が得られるとします。

失敗、成功はそれぞれ50パーセントの確率で生じるとします。

設備投資が成功したときのA円+アルファ円から得られる期待効用は、0.5×(A円+アルファ円の効用)です。ゼロ円からの期待効用は、効用がゼロですからゼロです。

一方、設備投資をしなければ確実にA円が残り、それから満足(効用)が得られるとします。

前者を後者より高く評価する人は、設備投資に手持ち資金A円を投入するでしょう。彼は資本家です。

彼に才能があるのなら、成功確率は高いでしょう。彼は設備投資をしやすい。資本家として生き残り、手持ち資産を増やしていける。

確実にA円が手元に残ることを好む人は、設備投資をしません。彼は労働者です。

才能のある人は、毎期アルファ円を得られますから資産を拡大できる。労働者との資産格差は拡大していくでしょう。

労働者はそれが、彼の才能と度胸(危険を負担)に起因していると知っていれば、正当な報酬と評価する。

Joseph. A. Schumpeterの「経済発展の理論」は難解ですが、第四章「企業者利潤あるいは余剰価値」の以下の部分を私はこのように理解しました。

「発展なしには企業者利潤はなく、企業者利潤なしには発展はない。資本主義経済においては、企業者利潤なしには財産形成もないということをさらに付け加えなければならない」(「経済発展の理論 下」(岩波文庫、p53)より。

共産主義理論、マルクス主義経済学は、Schumpeterが主張した企業者機能を全く評価していない。

これでは、経済の持続的成長を達成することができなくなり、労働者の生活も改善できないでしょう。

ブルスとかいう学者の本にも、こんな話がありました。名前を忘れてしまいました。思い出したら記します。















2018年10月7日日曜日

レーニンは「国際ブルジョアジー」の狙い通りに宣伝をする人物のを処刑、自由はく奪を主張した―「デ・イ・クルスキーへの手紙」(レーニン全集第33巻、p371-372、大月書店)より思う

干渉によってであれ封鎖によってであれ、またスパイ行為によってであれ、さらに出版物等々への資金の供与によってであれ、共産主義的所有制度を暴力的にくつがえそうとつとめている国際ブルジョアジーの部分を援助する方向にはたらくような宣伝または煽動、またはそういう組織への参加または協力は、極刑を、もって罰せられる。ただし、罪を軽減するような情状がある場合には、自由のはく奪または国外追放をもってこれに代えることができる」(レーニン全集第33巻、p371ー372より抜粋)。


これは、デ・イ・クルスキーという人物にレーニンが送った手紙の一部で、刑法典の諸条項の下書きと記されています。

1922年5月17日と記されていますから、新経済政策に移行して1年少し経った時期の手紙です。

最晩年のレーニンは、できるだけ広範囲に、テロルの本質と必要性、正当性を公然と掲げねばならないと強調しました。

簡単にいえば、ボリシェヴィキを少しでも批判するものは、処刑・収容所連行あるいは国外に追放せよ、という類の話です。

国際ブルジョアジーを援助するような出版物に資金供与をしたら処刑ないしは収容所連行、ですから。

レーニンは国民の言論の自由を認めなかったのです。国際ブルジョアジーとは一体誰のことなのか不明です。

出来る限り広範囲に定式化せよとレーニンは主張していますから、国際ブルジョアジーというどうにでも解釈できる言葉で良いわけです。

大テロルを実行したスターリンは、レーニンの遺訓に忠実だったのです。

レーニンはロシア皇帝ニコライ2世一家の殺害を必要不可欠と考えた


不破哲三氏、聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)はレーニンに関する著書を何冊もだしています。

しかし両氏の著作には、レーニンによる富農やロシア正教会弾圧指令、国民抑圧指令については特に言及されてません。

両氏は、レーニンがボリシェヴイキを指導していた時期に断行されたニコライ2世一家虐殺事件についても一切言及していません。

レーニンの革命観は、地主や貴族の追放だけでなく、余剰穀物を隠して投機をする富農との徹底的な闘争が絶対に必要だというものです。

皇帝一家の虐殺は、レーニンの革命理論から見れば必要不可欠です。

例えば、「モスクワ地方貧農委員会の代表にたいする演説 1918年11月8日」(レーニン全集第28巻、p178-179)でレーニンは次のように論じています。

「これまでヨーロッパにおこったあらゆる革命の経験は、農民が富農の重圧に打ち勝たなければ、革命は不可避的に敗北するということをはっきり立証している。

ヨーロッパのすべての革命は、農村が自分の敵をかたづけることができなかったという、まさにその理由から無成果におわった。

都市の労働者は皇帝を打倒した(イギリスとフランスでは、数百年も前に皇帝が処刑されており、われわれは、われわれのツァーリを処理するのがおくれていたにすぎない)が、しばらくすると旧秩序が君臨してしまった。」

ツァーリの処理が遅れたとレーニンが述べているのは、ニコライ2世一家の射殺が遅れた(1918年7月17日。1918年は大正7年)ことです。

フランス革命でのルイ16世やマリー・アントワネットの処刑より120年以上遅い。

ボリシェヴィキにより幽閉されていたニコライ2世と皇后、5人の子供たち(皇太子と4人の皇女)と召使らは射殺や銃剣突きなどで殺されました。

エカテリンブルクという、ウラル山脈中部の街にあるが皇帝一家の最後の地となりました。

ボリシェヴィキは皇帝一家が西欧に脱出できないよう、内陸部に移動させたのでしょう。

ロシア皇帝一家の殺害をレーニンが直接指令したという証拠はありません。事後承認かもしれません。

しかしこの論考よりレーニンが皇帝一家の殺害をロシア革命の為には必要不可欠と考えていたことは明らかです。

レーニンはカウツキーの「純粋民主主義」を徹底批判した―敵を暴力的に抑圧―


聴濤弘氏の近著「200歳のマルクスならどう新しく共産主義を論じるか」(かもがわ出版)を読みました。

聴濤弘氏は相変わらず、レーニンによる富農やロシア正教会弾圧指令、国民抑圧指令、皇帝一家の虐殺について沈黙しています

聴濤弘氏はこの著書の「捕論」で、レーニンが徹底した民主主義が社会主義をつくるという相互関係を強調したと述べています。

聴濤弘氏が描くレーニンは、素晴らしい民主主義者です。

現実のレーニンは、富農やロシア正教会の徹底弾圧を主張したのですから、人権擁護や民主主義とは無縁の人物でした。

幽閉中で無抵抗の皇帝一家と召使殺害のどこが民主主義なのか?と誰でも思います。

これはレーニン独特の民主主義論からみれば当然です。

皇帝一家や召使、地主や富農の人権はどうなのか、などと考えるのは、カウツキー流の「純粋民主主義」論です。

レーニンはカウツキーの「純粋民主主義」を次のように徹底批判しています(「プロレタリア革命と背教者カウツキー」、1918年10月―11月に執筆。全集第28巻、p272)。

「プロレタリアートは、ブルジョアジーの抵抗を打ちくだかずには、自分の敵を暴力的に抑圧せずには、勝つことはできないということ、そして『暴力的抑圧』のあるところ、『自由』のないところ、そこには、もちろん民主主義はないということが、それである」。

人権と民主主義のために、皇帝一家と召使は殺害されたという事です。敵を暴力的に抑圧しなければ、労働者階級は勝利できないそうです。

しかし皇帝一家の召使は労働者では?などという疑問を持つ方はレーニンの民主主義論を理解していない。

聴濤弘氏、石川康宏教授はレーニンによるカウツキーの「純粋民主主義」批判について、どうお考えなのでしょうか。












2018年10月6日土曜日

不破哲三「党綱領の未来社会論を読む」(平成30年日本共産党中央委員会出版局)より思う。

「この問題の現代的な解決策は、生産手段を資本家の手から人間の連合体である社会の手に移すことにあります。それが『生産手段の社会化』なのです」(同書p32より抜粋)。


この問題とは、貧富の格差拡大、地球温暖化などです。

不破哲三氏によれば、資本主義社会では生産活動の唯一最大の目的が資本家の利潤増大なので、貧富の格差拡大や地球温暖化が生じています。

それでは「生産手段の社会化」として不破哲三氏ら日本共産党員はどういう企業経営ないしは経済運営方式を想定しているのでしょうか。

不破氏によれば、生産手段の社会化の形態については特別の規定をせず、将来の探求の課題としているそうです(同書p78)。

生産手段の社会化として、どんな企業経営、経済運営方式を不破哲三氏は想定しているのか


「生産手段の社会化」がどういう企業経営、経済運営方式を想定しているのかという問いに対しては、特別の規定がなく、将来の課題ということです。

それならば、生産手段を資本家の手から人間の連合体である社会の手に移したら貧富の格差がなくなり、地球温暖化問題が解決される保証は皆無です。

一般に、どんな理論や政策でも中身に具体性がないのなら、政策担当者はその理論、政策を実行しようがない。

政策担当者はその場の判断で企業経営や経済運営の実務をするしかない。

その結果、赤字経営から倒産する企業が続出して貧富の格差が拡大するかもしれない。

汚染物質を大量排出する製品を、「結合した生産者」が大量生産、販売して環境汚染が深刻化していくかもしれない。

「結合した生産者」として不破哲三氏はどんな工場運営を想定しているのか


「結合した生産者」とは、労働者たちが共同して工場を動かす主役になることだそうです(同書p78)。

これについても、不破氏はどんな工場経営を想定しているのか一切記していない。

不破哲三氏は、企業経営を全く理解していないのではないでしょうか。

今の工場でも、労働者が一人だけで機械や設備を担当し、稼働させている例は少ないのではないでしょうか。

家内工業のような零細企業の職場なら労働者が協力することなく、一人で生産をしているかもしれませんが。

多少大きな企業なら、工場長、~部長や~課長が経営側からの指令と労働者の要望を総合して機械や設備を稼働しているはずです。

この際、経営側は利潤を最大にするために、労働者が懸命に働くような誘因や、退職して他の職場に行かないような賃金やノルマを設定するでしょう。

「契約の経済学」ではこれらを誘因両立性条件と参加制約条件と言います。

利潤最大化、内部留保ため込みを、株主、銀行(債権者)、労働者が望みうる


企業に資金を提供する株主は、利潤が大きくなれば配当が増えますから、経営者に利潤最大化を要求する。

銀行が企業に多額の設備投資資金を貸している場合もあります。銀行も、経営者に利潤最大化を要求する。

貸した資金を回収せねば自分が大損をしてしまいますから。

企業が巨額の利潤を確保し、適切な設備投資や金融資産投資を行って競争力を向上させたら、その企業の存続可能性は高くなります。

所属企業が巨額の利潤を上げ、巨額の内部留保を持つのは、労働者にとって悪い話ではない。

経営者が企業経営に失敗すれば利潤は減り、赤字経営が続けば無配当、株価が底値になっていきます。

このとき、厚い内部留保を持つ企業なら暫くは存続できる。

経営者が不採算部門の労働者を解雇、配置転換でコストを削減できなければその企業は倒産するでしょう。株価はゼロになります。

その企業に債権を持つ銀行が主に倒産会社の整理業務をする。

倒産させるか否かを、銀行が最終決定する場合が多い。

現在行われている企業経営方式は、ざっと言えばこうなります。

不破哲三氏ら日本共産党員は、「生産手段の社会化」によりこれのどこを、どう変えれば貧富の格差や、地球温暖化が解決できると豪語するのでしょうか。

不破哲三氏ら日本共産党員は金融資産市場を廃止したいのか―利子収入、配当は不労所得


不破哲三氏ら日本共産党員の描く「未来社会論」に、金融資産市場に関する話が殆ど出てこないことも気になります。

利潤を、経営者の判断で金融資産投資に配分したら「内部留保のため込み」で悪行と判断されるのでしょうか。

金融資産投資には投資信託購入、株式購入、国債保有、各種の債券購入、定期預金保有などいろいろあります。

これがなぜ「内部留保のためこみ」で悪行なのか。

思いつくのは、レーニンが唱えた、富農による穀物投機批判です。

余剰穀物を隠して、高く売ろうとしている富農は人民の敵だから投獄せよ、という話です。

日本共産党員には、大企業経営者が地主や富農のような存在と思えているのではないでしょか。

不破哲三氏によれば、信用=金融制度の巨大な機構はその多くの部分が「不必要な機能」として整理されるそうです(同書p50)。

金融資産投資、金融資産市場が日本共産党が想定する「未来社会」でも存続しているのなら、搾取制度は存続しているともいえます。

利子や配当所得は不労所得ですから。

ある企業の株を沢山持っている株主は、自分では一切働かなくてもその企業の経営に口を出せる。

株式市場を全廃し、株主が経営者に利潤最大化を要求できないようにしないと、「利潤第一主義」の克服は困難でしょう。

経営者は聖人君子ではない。大株主の要求に応じられなければ、次の株主総会ないしは取締役会で解雇されうる。

株式会社は実に良い仕組みと思えてなりません。

株式会社を全廃したら、経済が非効率的に運営され、生産と雇用が大幅減少して経営者、投資家だけでなく労働者も大損をするだけです。

配当、利子収入はリスク引き受けに対する正当な報酬なのか


しかし株式会社を廃止しないと、搾取制度を廃止できない。配当は不労所得ですから。

マルクス主義経済学者がこれらを搾取ではなく、リスクの引き受けに対する正当な報酬であると把握するのなら搾取とは一体何なのでしょうか。

利潤の一部が配当や利子払いに充当される。マルクス主義経済学では、搾取が存在するから利潤があるという。

これは価値決定式と利潤存在条件により説明できます。

利潤の一部を生産に直接貢献していない主体に配分することを認めるのなら、資本家が利潤の取得、配分を決定しても良い事になる。

資本家が株式や債務証書(債券)を発行し、企業経営の原資を調達、提供しているのなら、利潤の一部取得と配分決定権限を掌握するのは当然ではないでしょうか。

投資家という経済主体は、国家権力により存在を認められないようにすべきなのですか。

これは、地主、不動産の賃貸料所得生活者の存在禁止と同じことです。レーニンは地主を追放しなければ社会主義の前提がないと考えた。

「若者よ、マルクスを読もう」の著者石川康宏教授や、聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員」にこれらをお尋ねしたいものです。


2018年10月5日金曜日

松本善明「在日朝鮮人の帰国事業再開実現をめざして―事業再開後、『暫定期間」以降の朝鮮民主主義人民共和国赤十字代表の日本入国手続き問題をめぐってー」(「赤旗「昭和44年4月4日掲載論考)より思う。

「戦後、朝鮮人民は日本帝国主義のくびきからみずからを解放し、アメリカ帝国主義の南朝鮮にたいする軍事支配に抗して、朝鮮民族の唯一の祖国―朝鮮民主主義人民共和国を創建し、その独立をかちとりました。在日朝鮮人はその祖国への集団的帰国の実現を熱望したことはいうまでもありません」(上記論文より抜粋)。


松本善明氏は、日本共産党の衆議院議員を長く務めた方です。画家、岩崎ちひろの御主人としても有名です。

赤旗編集局編「北朝鮮 覇権主義への反撃」(新日本出版社平成4年刊行、p9)によれば、松本善明氏は昭和43年8~9月に日本共産党代表団の一員として、宮本顕治書記長(当時)、不破哲三氏、立木洋、内野竹千代氏とともに北朝鮮を訪問しました。

このときの北朝鮮の状況については、「北朝鮮 覇権主義への反撃」(p7~43)で不破哲三氏が詳述しています。

不破氏によれば宮本顕治氏ら当時の日本共産党最高指導部は、昭和43年1月の「青瓦台事件」は、朝鮮労働党の武装工作員によるテロであると看破していました。

宮本顕治氏は金日成との会談で、朝鮮労働党による韓国への南進の危険性を指摘しました(同書p27ー28)。

宮本顕治氏が金日成にそのように主張したことは真実でしょう。

昭和43年1月の「青瓦台事件」を「赤旗」は南朝鮮人民の闘争の高まり、旨報道


当時の「赤旗」記事はこの事件を南朝鮮人民の闘争の高まり等と報じていた事を、インターネットなどで「お笑い日本共産党」さんら多くの人が指摘しています。

これは、大きな大学の図書館などで「赤旗」の縮刷版を探し、昭和43年1月頃の記事をみれば簡単に確認できます。

不破哲三氏によれば朝鮮労働党は日本共産党の宿舎に盗聴器を設置していました。

不破氏は北朝鮮訪問中に、金日成への個人崇拝の体制化が始まったと実感したそうです(同書p37)。

不破氏は個人崇拝がここまでくると、技術面でも進歩の阻害要因になると感じたそうです。

不破氏は、朴金チョルと李孝淳という朝鮮労働党の副委員長が党指導部から姿を消しているので、朝鮮労働党の内部に異様な状況が起こっていると推察したそうです(同書p20)。

同行していた松本善明氏も、同様の感想を抱いたことでしょう。

最高幹部が会談に出てこなくなったのに、理由もわからないのは不可解ですから。

日本共産党最高指導部は北朝鮮が朴大統領殺害をはかったテロ国家であると認識していたが、それでも一人でも多くの在日朝鮮人を帰国させようとした


しかしそれでも、一人でも多くの在日朝鮮人が北朝鮮に帰国できるよう全力で努力するという日本共産党の方針は全く変化しませんでした。

松本善明氏の上記論文は、北朝鮮を訪問後に「赤旗」に掲載されていますが、論文のどこにも次のような記述はありません。

日本共産党代表団は、北朝鮮で宿舎に盗聴器を設置されてしまった。

金日成への個人崇拝の体制化が始まっている。

朝鮮労働党内部に異常な状況が起こっている。

松本善明氏によれば、帰国事業の打ち切りは佐藤栄作内閣による反動的諸政策の一環です。

佐藤内閣は「日韓条約」で韓国の朴正熙かいらい政権を朝鮮半島で唯一の合法的政府と認めて国交を樹立しましたが、朝鮮民族の唯一の祖国は朝鮮民主主義人民共和国だそうです。

日本共産党最高幹部は、本音と実際の言動を使い分ける―金日成に学んだ


松本善明氏は上記論文でこのように明言しているのですが、本音は当時の不破哲三氏と同様だったはずです。

金日成への個人崇拝の体制化が始まっている。

朝鮮労働党内部に異常な状況が起こっている。

松本善明氏は内心ではこのように考えていたのです。

不破哲三氏、松本善明氏ら当時の日本共産党中央幹部は、在日朝鮮人に接するとき、表面では本音を出さずに、同志的な態度で率直に話しているように装ったはずです。

不破哲三氏、松本善明氏は在日朝鮮人の反応を見て内情や真意を探り出そうとした事でしょう。

これは金日成と朝鮮労働党が日本共産党代表団に接した時の態度と同じですから(同書p35)。

若き松本善明氏は朝鮮労働党との会談で金日成の狡猾な政治手法の有効性を素早く見抜き、在日朝鮮人に対してそれを用いたのです。

一人でも多くの在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させよ、という政策はあまりにも異様です。

北朝鮮の現実など、当時の日本共産党最高幹部にはどうでも良い事だったのです。

在日朝鮮人が帰国後どうなろうと、自分達には関係ないという発想です。

君たちには選択の自由があるのだ、というシカゴ学派のMilton Freedmanのような発想とも言えそうです。

当時の日本共産党にとって、金日成は朝鮮半島の統一を実現するべき偉人です。

若き不破哲三氏や松本善明氏は金日成の狡猾な政治手法にさぞ感銘した事でしょう。

今の志位和夫氏ら日本共産党最高幹部の中にも、表面では本音を出さないで率直に話しているように装っている方がいるのでしょうね。

前川某さんも、長年勤務していた職場でそんな態度を取っていたそうです。

左翼政治家、左翼知識人、左翼運動家として生きていくのは大変です。心理的ストレスの蓄積は尋常でないでしょう。