2015年5月31日日曜日

唯川恵「今夜 誰のとなりで眠る」(2006年集英社文庫)を読みました。

秋生の整った顔立ちは女の気を惹くに十分だった。憂鬱と退屈が同居しているような表情は、どこか投げ遣りではあったが、崩れた感じはしなかった(同書p60)。


女性は男性のどんな点をを見つめるのでしょうか。鈍感な私には、これがなかなかわからない。

女性に人気のある男性なら、女性の眼差しや表情、交わし合う言葉から女性の気持ちを敏感に感じ取るのでしょう。天性の感覚がある男性はいそうです。

唯川恵や、Saganの小説には女性から観た世界が描かれています。上記は、私にはわかりにくい。

不器用な私には、なかなか理解しにくい世界ですが、読んでみると自分の人間観や人間把握の一面的だったことを実感させられます。男女では人物評価の基準が異なっている。

交通事故で死んだ高瀬秋生(30代後半)になぜ女性たちが惹かれたのか


この小説は、不思議な人物高瀬秋生と、彼と性関係や交際のあった女性たちそれぞれの愛のあり方を描いています。秋生は30代後半ですが大学卒業後はフリーターだったようです。

下記はそれを示唆しています。

「秋生は頻繁に仕事を変え、そのたびに住む場所も変わった。いったいどんな仕事をしていたのか、今も佑美にはよくわからない。

聞いたこともあるが、秋生は笑って、心配することはないさ、と答えるだけだった」(同書p29より抜粋)。

秋生は交通事故で急死してしまいました。私には秋生がなぜ女性の気を惹くのかわかりません。

端正な顔立ちで憂鬱と退屈が同居しているような表情をすると、女性はしびれてしまうのでしょう。

俳優の豊川悦司ならそんな役柄を演じられそうです。

女性にとって、魅力のある男性、素敵な男性から愛されるか、愛され続けるかが全てなのでしょうか。そうであるなら、男性の魅力とは何なのでしょうか。

男は仕事が全てだ、といったら言い過ぎでしょうが、30代後半まで定職を持っていなかった男性が、女性の気を惹くとは考えにくい。

仕事とは別に、秀でた才能を持っていればそこに惹かれる女性はいるでしょうけれど。

三十代後半の女性たちが、困難をどう打開していくか


以下、この小説の登場人物の言動で私が理解しがたい点を列挙しておきます。女性たちは皆、三十代後半です。

鹿島七恵は、なぜ秋生を後々まで意識していたのでしょうか?若い頃の恋人の動向を、女性は気にするのでしょうか?私にはそうとは思えない。

佑美は秋生と六年間も同居していながら、性的関係がなかったそうです。佑美は次のように述べています。

「いつも抱き合って寝てましたけれど、セックスはないんです。六年間、一度も」(p144)。

秋生は真以子、協子、七恵と性的関係を持ちました。大学四年生のとき、演習の担当教員の妻とともに姿をくらましたこともあります。

そんな秋生が、六年間暮らした女性と性的関係がないなど考えられない。

七恵は別れた夫、秀一に未練があります。秀一との間に小さい娘がいますが、秀一はすでに若い女性と再婚し、子供もいます。

秋生が死亡したことをきっかけに、七恵の秀一への想いが蘇るという話ですが、そんなことがあるでしょうか?

登場人物の言動の現実性に多少の疑問はありますが、この小説は三十代後半の魅力的な女性たちがぶつかる人生の困難、そしてそれをのりこえて行く姿をよく描いています。

どういう生き方が最も素晴らしい、という模範解答はなかなか見つからない。数十年後に目を閉じるときまで、悩むのかもしれません。







2015年5月24日日曜日

社会主義体制はなぜ崩壊したのか―エンゲルス「空想より科学へ」(大内兵衛訳、岩波文庫。英語ではSocialism, Utopian and Scientific)より聴濤弘氏に問う。

Karl Marxの盟友Friedrich Engels(1820-95)は、ブルジョアジーが不用であると断言した。「資本家の一切の社会的機能は今や月給取りがやっている」(同書p82)。―


社会主義体制はなぜ崩壊し、資本主義になっていったのか。この問いについては様々な議論があります。

私見では、「反革命」「宗派分子」「民族反逆者」などされた人々を追放し囚人労働をさせ、「過労死」させる社会主義体制では技術革新や品質の向上ができなくなるから、資本主義国との経済競争に負けたのです。

技術革新や品質向上を推進する能力のある人々が、「反革命」云々のレッテルを貼られてしまうからです。そのような愚行を正当化する「理論」が、エンゲルスの著作の中にありました。

以下、それを示します。

旧ソ連や東欧では、社会主義理論の元祖マルクス・エンゲルスの著作や論文が聖典化されていました。「空想から科学へ」は聖典の一つでした。

各国の共産党員は旧ソ連を社会主義の祖国、理想郷と大宣伝した


かつて世界中の共産党員は旧ソ連を社会主義の祖国、理想郷とみなし、ソ連共産党から物資両面で支援を受けていました。

ソ連では、マルクス、エンゲルス、レーニンの理論に基づき、後継者スターリンにより社会主義の体制が着々と建設され、人々は幸せな暮らしをしている旨、共産党員は大宣伝しました。

聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)によれば、旧ソ連では失業はなくなったそうです(「21世紀と社会主義」p44-45, 1984年新日本出版社刊行)。

「反革命」のレッテルを貼られ政治犯収容所で囚人労働をさせられていた方々は、「政治犯」という「職業」があったから、失業していなかったということでしょうか。

この件、吉良よし子議員や池内さおり議員から、聴濤弘氏に質問していただきたいですね。聴濤弘氏はどう答えるのでしょうか。

旧ソ連では政治犯が社会主義国家に囚人として雇用されていたから完全雇用が実現できた、などと聴濤弘氏は大真面目に考えていたのでしょうか。

エンゲルスは資本家(投資資金提供者)や企業経営者の社会的役割を認識できなかった


エンゲルスは、資本家(投資資金提供者)や企業経営者が種々の技術革新、経営革新を行い経済成長を実現させる存在であることを無視しました。

エンゲルス自身は企業経営の手腕を持っていたようですから、なぜ企業経営者の役割を無視するような愚論を吐いたのかは不明です。

エンゲルスによれば、資本家は収入をまきあげること、利札を切ること、取引所で投機をやり、資本家同志たがいに、資本を奪い合うこと以外に、何らの社会的な仕事をしません(同書p82)。

エンゲルスのいう「ブルジョアジー」「資本家」とは、投資資金を提供している株式会社の所有者のこと理解すべきでしょう。

儲かっている会社の発行済株式の多くを保有していれば、配当でかなりの収益を得られます。

保有株式を一部売却し、他の株式や金融資産に投資をすることもできる。しかし、金融資産の収益は実物経済と無関係ではありえません。

経済の実態から乖離した資産価格上昇は、多くの人々がそれが実体経済との反映とみなしていれば継続しますが、そうでないとわかれば停止する。

金持ちによる金融資産保有は実体経済への投資資金提供となっているのですから、何ら社会的な仕事をしていないと断ずるのはおかしい。

エンゲルスには、銀行も信用(貸出)を供給して投資を支え、経済を成長させることが理解できていない。

企業経営者や銀行家が囚人労働により「過労死」すれば、技術革新が停滞し財の品質改善もできない―資本主義との競争に負ける


エンゲルスは19世紀の人物ですから、J. A. Schumpeterの「経済発展の理論」(The Theory of Economic Development)など知るはずもなく、時代の限界とも言える。

企業経営者や銀行家がInnovatorとして技術革新や経営組織革新を行い、経済成長を支える役割を果たすという発想は、マルクスやエンゲルスにはなかった。勿論、レーニンにもない。

エンゲルスの「空想から科学へ」への企業経営者無用論、「何らの社会的役割を果たしていない」は革命後に企業経営者や地主たちを山間僻地や政治犯収容所に送り囚人労働をさせる「理論」的基礎になりました。

技術革新や経営組織革新を行う人々が「反革命」とされて囚人労働、そして「過労死」してしまえば、経済成長が困難になり、財の品質が資本主義国に比して悪くなっていきます。

殺人は凶悪行為です。百害あって一利なしです。マルクス、エンゲルスやレーニンの小難しい理屈などより、殺人は百害あって一利なしという常識の方がどれだけましかわからない。

聴濤弘氏はいま、若い頃の虚偽宣伝をどう述懐しているのでしょうか。

在日本朝鮮人総連合会のみなさんは、自らを「金日成民族」と認識しているはずです。北朝鮮の公式文献にそういう記述がありますから。

「金日成民族」には、品質改善は困難でしょうね。日本共産党の吉良よし子議員、池内さおり議員は、「金日成民族」とどんな「対話」をするのでしょうか。

2015年5月16日土曜日

Charlotte Gainsbourg, Yvan Attal主演、2004年仏映画「フレンチなしあわせのみつけ方(原題Ils se marièrent et eurent beaucoup d'enfants)を観ました。

石川達三(1905-1985)の小説を思い起こさせる。Parisで暮らす30代夫婦らの愛情物語。


作家石川達三と言っても、若い方は御存知ないでしょうが、私はこの映画を観て、三十数年前に読んだ石川達三の小説を思い出しました。

結婚生活を長年支障なく維持しているように見える初老の夫婦にも、愛憎劇があったことを、母親が娘に打ち明ける話です。題名は「泥にまみれて」だったでしょうか?

理想の愛とは何か。生涯、一人を愛し続けることができるのか。様々な事情からそれができなくなったとき、別れるか。耐え忍ぶか。暫く耐え、事態の推移をみて判断するべきか。

難しい判断になります。答えは当人たちにしか出しようがない。

妻は夫に愛人がいても許容し続けられるのか―「愛している」とは?


この映画の主人公は、Charlotte Gainsbourg演じるGabrielleと、Yvan Attal演じるVincentの若夫婦です。二人は恐らく30代前半くらいで、7歳の男の子がいます。

Vincentは車の販売員、Gabrielleは不動産仲介業者です。フランス語には「共働き」に該当する言葉はないそうです。夫婦で働き、子育ても協力して生活していくのが当たり前なのでしょう。

多少の摩擦はありつつも二人は良く協力し合い、愛し合っています。傍目には幸せそのものの若夫婦ですが、Vincentにはスポーツマッサージ師の愛人がいます。

Gabrielleは女の直感から、愛人の存在を嗅ぎ付けます。

愛人がレストランで母親に自分の現状を相談しているとき、たまたま横にGabrielleがいました。愛人はVincentの妻を間近でみて衝撃を受けます。

Gabrielleは愛人の存在について友人と相談していたのです。こんな偶然は殆どありえないでしょうけれど、面白い場面です。Vincentの「愛している」という言葉が、軽く思えてしまいます。

映画では他に、Vincentの二人の親友の愛情関係も描かれています。口うるさい妻と喧嘩ばかりしている好人物と、独身でプレーボーイだが恋人が妊娠し喜ぶ人物です。

三人は時折食事やスポーツを一緒にし、辛口の忠告もする良き仲間同士です。

この夫婦は今後どうなるのか―子はかすがい、は現代フランス女性にありうるのか


VincentとGabrielleの夫婦仲が今後どうなるかは、結論が出ていません。Vincentは愛人と別れる決意はできていない。GabrielleはVincentに愛人との関係清算を迫るわけでもない。

それどころか、最後にGabrielleにも愛人ができてしまうことを示唆するような結末になっています。余韻を残して、観客に考えさせようとしているのでしょう。

石川達三の小説で母親が愛娘に出した答えは、妻という地位の有利さを生かして、愛人から夫を取り戻せ、というものだったように記憶しています。

現代の若いフランス女性が、そんな答えを易々と受け入れるとは思えません。子はかすがい、という考え方は現代フランス女性にあるのでしょうか。

二人は別れて、それぞれ愛人と暮らして行く可能性が高いように思いました。7歳の息子はGabrielleが引き取るのでしょう。現代フランスには継母、継父のもとで育つ子供が多いようです。




2015年5月13日水曜日

「赤旗」1967年11月7日主張「十月社会主義革命五十周年にあたって」より抜粋―若き聴濤弘氏(日本共産党員で元参議院議員、1935年生まれ)らはなぜソ連を礼賛したのか―

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い日本共産党員は昔の「赤旗」と「平家物語」を読むべきだ。


以下は、上記の「赤旗」主張からの抜粋です。日本共産党元参議院議員の聴濤弘さんなら、この時代の「赤旗」の基本的論調をよく御存知です。

「十月社会主義革命から今日までの半世紀のあいだに、世界の社会主義、共産主義の事業は、さまざまな困難や障害とたたかいながら、壮大な発展をとげました。

ソ連の社会主義は、帝国主義勢力の凶暴な干渉と包囲にたえぬいて社会主義建設の歩みをすすめ、第二次世界大戦では、全世界の民主勢力との連合のもとで、

ドイツファシズムの侵略を粉砕して偉大な勝利をかちとりました。

五十年前には、ソ連一国で世界の人口の十分の一にみたなかった社会主義は、第二次世界大戦後の東ヨーロッパおよびアジアの一連の国ぐにでの人民民主主義革命と社会主義革命の勝利、

1959年のキューバ革命の勝利をへて、今日では、十三の社会主義国家からなるヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカの三大陸にわたる社会主義世界体制に成長し、

世界の人口の三分の一以上がすでに社会主義の道にたつにいたっています」(中略)

「経済的発展の面でも、社会主義制度の優越性は、きわだっています。

五十年まえ、ロシアで社会主義革命が成功した当時、世界の工業生産高で社会主義国が占める割合は約3パーセントにすぎませんでしたが、今日では、それは約40パーセントを占めるにいたっています。

社会主義国の多くは、経済的にかなり立ちおくれた状態から出発したにもかかわらず、この急速な経済的発展を基礎に、革命前の飢餓的窮乏を短期間に克服し、社会主義建設の進展とともに、

人民の享受する社会福祉の点でも、文化の点でも、人間による人間の搾取と抑圧を原則とする資本主義諸国の追随をゆるさない成果を達成してきました」。

聴濤弘氏ら昔の日本共産党員には見聞した事実の分析ができなかった


聴濤弘さんら昔の日本共産党員の皆さんは、一体何を根拠にしてこんな虚偽宣伝をしたのでしょうか。この主張の時期、中国では紅衛兵が暴れまくり、社会は大混乱していました。

紅衛兵に暴行を加えられている方々には、医療も福祉もあろうはずがない。聴濤弘さんにはその程度の想像もできなかったのでしょうか?当時の中国には、日本共産党関係者がいたはずです。

五十年前には、ソ連や中国、東欧、北朝鮮をひたすら礼賛し、米国や日本を罵倒していれば立派な左翼人とみる社会的風潮がありました。

日本共産党員には、見聞したあらゆる事実を総合して分析するという謙虚さがなかった。外国の共産党の宣伝をうのみにしてそれを日本社会に流布していました。

「赤旗」のこの「主張」を当時読み、ソ連、中国、北朝鮮礼賛に励んでいた若い日本共産党員は、今では70代後半から80代になっています。

そのお一人、聴濤弘さんは日本共産党内でソ連問題の専門家とされ、ソ連礼賛を重要な仕事としていた方です。「21世紀と社会主義」(1984年新日本出版社刊)という著作があります。

若き聴濤弘さんからみれば、ソ連崩壊をもろ手をあげて歓迎した宮本顕冶氏は反革命分子そのものです。聴濤弘さんらが理想郷と信じていた社会主義世界体制とやらは、滅亡しました。

中国は国家独占資本主義になりました。中国共産党幹部の腐敗は自民党どころではない。


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。



「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

おごれる人もひさしからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけきものも遂には滅びぬ。ひとへに風の前の塵におなじ」

昔の「赤旗」や「前衛」を読むと、「平家物語」冒頭のこの一節を思い出してしまいます。
聴濤弘さんら昔の日本共産党員のソ連礼賛など、春の夜の夢の価値もなかった。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若き日本共産党員は、五十年後にどんな宣伝をしているのでしょうか。引き続き、中国は社会主義を目指していると宣伝しているのでしょうか。

若い日本共産党員には、中国や北朝鮮による核軍拡の危険性が一切認識できない。日本が中国や北朝鮮の核ミサイルの標的になりうるのです。これがどうしてもわからない。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんと、日本共産党員は基本的な思考方式が似ています。共産党、労働党の指導者のお話は全て正しく、批判者(脱北者や除名者)は絶対悪という思考方式です。

中国宣伝に励む前に、聴濤弘さんら昔の日本共産党員から、青春期のソ連礼賛話を聞くべきでしょう。高齢の日本共産党員も若い頃は、「たけきもの」だったのです。


2015年5月4日月曜日

三浦綾子「道ありき<青春編>」(新潮文庫、昭和55年発行)を読みました。

三浦綾子(1922-1999)が昭和21年、24歳の頃からの「心の歴史」を語った書。若くして世を去った最愛の恋人前川正が残した言葉が胸をうつ。


三浦綾子による聖書の解釈は聖書に記載されている奇跡物語を全て真実として受けとめるものです。私は正直言って、これにはついていけない。

奇跡物語の真偽はどうであれ、作家三浦綾子は自らの心の歴史をどのように語ったのでしょうか。そう思い、この本を読みました。

社会経済の歴史は、把握手法と概念によりまとめ方、記述が異なってきます。

ましてや心の歴史となれば、人の数だけある。心の歴史で共通する点といえば、愛情の履歴でしょうか。「道ありき」は青春編、結婚編、信仰入門編と三部作になっています。

愛し合う二人は結核に体を蝕まれていた


「青春編」では、青春期の最愛の恋人とも言うべき前川正の純真な愛が描き出されています。青春期の恋人の声や姿を、たまに思い起こす人は少なくない。

三浦綾子は幼なじみで、二つ上の前川正と昭和23年に再会しました。この頃すでに、前川正は体を結核に蝕まれていたようです。

前川正は北大医学部の学生ですから、自らの余命が長くないかもしれないことを十二分に意識していたのでしょう。

この本によれば、肺結核という病気は各人各様の病状を表します(同書p106)。三浦綾子(旧姓堀田綾子)は微熱と盗汗があり、痩せていましたが咳をしなかった。

前川正は道を歩いていても、立ち止まって体を屈めなければいけないほどのひどい咳をしていました(p107)。昭和20年代では、結核は殆ど死病だったのです。今の癌より、深刻かもしれない。

「青い山脈」の時代の若者たちは濃密な人間関係を築いていた―戦死した仲間の声と姿



映画「青い山脈」(昭和24年東宝。原節子主演、石坂洋次郎原作)とその主題歌が流行していた頃です。

当時の若者、つまり大正から昭和一桁生まれの人々の愛情観、人間観は今日の若者のそれとは大きく異なっていそうです。若者からみれば祖父母の世代ですから。

この時代の若者の心中には、戦死した仲間の声や姿が常にあったのでしょう。

インターネットどころか、テレビすらない時代です。人の行き来が今と比べると実に少ない。従って昭和20年代の若者たちは、濃密な人間関係を築くことになった。

前川正と綾子がはじめてくちづけを交わした日、前川正は旭川の春光台という丘の若草の上にひざまずき、祈りました。

「父なる御神。わたしたちはご存知のとおり、共に病身の身でございます。しかし、この短い生涯を、真実に、真剣に生き通すことができますようにお守りください。

どうか最後の日に至るまで、神とお互いとに真実でありえますように、お導きください」(同書p141)。


通信手段の発展と企業間競争の激化により、人間関係が淡泊になった



メールやラインで気軽に交流し、愛を語り合っている現代の若者の間では、純愛が成立しにくくなっているのかもしれません。気分が合わなければ、別の恋人を探すのは難しくない。

齢を経た中年には仮面夫婦や不倫関係がいくらでもあります。

中高年になれば、純愛どころか利害計算が恋愛関係の必要条件となってしまいかねない。

「金の切れ目は縁の切れ目」のような人間関係に疲れ、孤独感にさいなまされている現代人は少なくない。通信手段の発展により、淡泊な人間関係が支配的になってしまいました。

経営者や会社員が多数の人々と濃密な人間関係を構築するような「暇なこと」をやっていたら厳しい企業間競争で敗退してしまうのです。


35歳で逝った前川正が綾子に残した数々の貴重な言葉



前川正は八本もの肋骨を切除して、肺の空洞を潰そうとしましたが駄目でした。血痰が出ていたとあります(p254)。

前川正は昭和29年5月1日の夜7時半頃、食事中に意識不明となり、そのまま意識が戻らずに午前1時14分に亡くなりました。35歳の若さでした。

前川正が聖人とまで言えるのかどうか、わかりようもありませんが、この本には彼の貴重な言葉がいくつも残されています。

結核の治療には相当な費用がかかります。かなりの経済的負担を父母にかけてまで、生きるのはずうずうしいと思っていた綾子に前川は語っています。

「綾ちゃん、生きるということは、ぼくたち人間の権利ではなくて、義務なのですよ。義務というのは、読んで字のとおり、ただしいつとめなのですよ」(同書p184)。

熾烈な企業間競争を止めることはできませんが、ときには前川正の言葉を思い起こしたいものです。