2012年10月4日木曜日

韓国芸能界について思う

韓国芸能界について思う~厳正花と李ヒョリ、李英愛



私は韓国の歌や韓国の新聞を、インターネットで見聞することが趣味です。厳正花(Uhm Jung Hwa, 엄정화)という、40代前半くらいの女性歌手がいますが、この人のダンスはすごいですよ。

厳正花は腕や足の動かし方だけでなく視線、目の動かし方、顔の動かし方もかなり研究しているように思います。厳正花のI do not know(몰라)や、Scarletという歌をよく聴いています。この人は日本では無名ですけれど、実力派ですね。

私は13年ほど前、ソウルに1年間滞在しました。高麗大学の近くに下宿していました。下宿先のおばさんの料理が、始めは辛くてあまり食べられなかったのですが、すぐに慣れることができ、キムチや韓国風味噌汁(된장)は本当に美味しいと思うようになりました。今でも韓国料理は好きです。

13年前人気があったのはFinkle, S.E.S.や神話(男性グループ)などです。Finkleのリーダーだった李ヒョリは今でも韓国のトップスターですね。日本では無名ですが、日本に進出する気がないのでしょうね。

李ヒョリのダンスも素晴らしいですよ。でも、最近はセクシー路線という感じですね。私としては最近よりも、Finkleの大ヒット曲「永遠の愛」(영원한 사랑)の頃の李ヒョリのほうが好きです。

李英愛主演ドラマ、초대(招待)


13年前の秋だったと思いますが、私が毎週見ていたドラマは「招待」(초대)という、李英愛主演の恋愛ものです。李英愛ら3人の女性と、男性たちの少し複雑な愛情関係を描いたものでした。

男女7人...と少しだけ似ていますね。李英愛はソウルの市庁の近くにある有名なホテルの従業員役でした。

 私はこのドラマの主題歌も大好きです。Suminという歌手の「Sugar」という歌です。このドラマは韓国では視聴率をさほど取れなかったようですし、この歌も殆ど知られていません。でもこの歌の歌詞はとても素敵ですよ。次のような感じです(意訳)。

ときどき私のために作ってくれた貴方の料理、少し下手だけれど、貴方の誠実さが感じられたの。

私は一日に何度も、貴方のために悩んでいたのよ。でも貴方はいつも別のことを気にしていて、私との約束を忘れていたよね。

いつも貴方の傍にいても、寂しかった私の気持ち、今はわかるでしょう。貴方の何気ない視線がとても素敵だった。

ずっと後に、過ぎ去りし日々のことを二人で思い出せるときが来るかもしれないね。
そのとき、私は貴方と会えて本当に幸せだった、その言葉を伝えたいの。

それでも貴方は、私が願うようにはなってくれないかもしれないわ。それでもいいのよ。私が貴方を想う気持ちは何も変わりはしない。

どうか、私の手を握るとき、もう少し強く握ってね。貴方はいつもぶっきらぼうで本当の気持ちを隠しているけれど、私は貴方の心を信じているの。
 

私が訳すとあまりロマンチックでないですね(苦笑)。すいません。you  tubeで視聴できると思います。

この歌のほかにも、ドラマの中ではフランス語の歌も挿入されていました。フランス語の歌なんて、韓国人も理解できないと思うのですけれどね。

このドラマを作った監督ないしは製作者が、後に日本でも大評判だった「冬の恋歌」(日本名を忘れました)を作ったらしいですよ。日本名は「冬のソウル」だったかな?崔ジウとペ・ヨンジュン主演で有名なドラマです。

韓国は最近いろいろと評判は悪いですけれど、素晴らしい俳優や歌手はいますし、良い映画やドラマもあると思います。





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2012年10月3日水曜日

森川由加里「Show me」から思い出して

You, 貴方らしくないわ、しくじったぐらいで...


 森川由加里のShow meを、皆さんは覚えていますか。歌の出だしはこんな感じでしたね。明石家さんまと大竹しのぶ主演の番組、「男女7人秋物語」の主題歌ですね。

この番組の冒頭で主題歌が流れていましたが、登場人物がこの歌のメロディーにのってそれぞれの雰囲気を醸し出しながら歩いていくシーンがとても好きでした。颯爽と歩く女優、楽しそうにほがらかに歩く女優もいれば、どこか重いものを心に抱えたように歩いて行くのは片岡鶴太郎でしたね。

手塚理美、岩崎宏美ともう一人、背丈の高い女優がいたと思うのですけれど、名前を思い出せません。

Show meの歌詞で描かれている女性は、姉御肌の江戸っ子女性という感じですよね。この女性の雰囲気が、歌詞だけでなく歌のリズムと、森川由加里のダンスに良く表現されているような気がします。森川由加里がかぶっていた帽子も、何だかとても良かったですね。

今にして思うと、片岡鶴太郎は「男女7人夏物語」「男女7人秋物語」で、演技の勉強を随分したのではないでしょうか。この何年後になるのか、忘れてしまいましたが、NHK大河ドラマ「太平記」で、片岡鶴太郎は北条高時を演じました。

片岡鶴太郎の「北条高時」


北条高時と言えば、愚かな人物のように言われることが多かったのですけれど、このドラマでは必ずしもそれだけとしては描かれていませんでしたね。

「太平記」の第一回だったと思うのですが、北条高時が家来に命じて、足利尊氏に犬をけしかけさせて大笑いするシーンがありました。この笑い方を、片岡鶴太郎はかなり研究したと思います。実に印象に残る笑い方でした。

鎌倉幕府は、新田義貞率いる軍勢との戦いに負けて滅びていきます。北条一族は、鎌倉にお寺に集まり、全員自決していくのです。確か、数百人という規模の自決だったと思います。

北条高時も自決するのですが、このシーンも圧巻でしたね。刀を自分の腹に刺し、苦しみながら北条高時は次のように言いました。

「母上に伝えてくれ。高時、こうしましたとな...」

私はこの台詞を聞いて、本当に北条高時がこのように最期に言ったのではないかというような気さえしました。自決した北条一族無念の思いが、短い台詞と僅かな映像に出ていました。

北条氏の霊魂が、片岡鶴太郎を通して何かを伝えようとしているのではないか、という感じさせしました。

人生って、気づかないうちにあることが大きな転機になりえるのですね。片岡鶴太郎にとって、「男女...」は役者への道を開くものでした。森川由加里もこの歌で一躍有名になったのではないでしょうか。

勿論、転機を生かせるかどうかは、その人のそれまでの努力に依存するのでしょうね。普段から自分の精神と身体をうまく制御して、転機を生かすようにしなければいけないのでしょうね。成功した人はそれができた人々なのかもしれませんね。

片岡鶴太郎は、多分この少し後だったと思いますが、「異人たちとの夏」という映画にも出ました。この映画も素晴らしかったですね。これについてはまた語りたいと思います。



フィンガー5晃君を思う

 同世代の大スター晃君


小学校5年生くらいの頃、大ヒットした歌の一つがフィンガー5の「個人授業」でした。

憧れのあの人、罪なことだよ、先生~できるなら、個人授業を受けてみたいよ...

こんな歌詞でしたね。ボーカルは晃君。ボーイソプラノで、高音が良く出ていたと思います。いつの間にか、フィンガー5はテレビにあまりでなくなりました。フィンガー5の歌はその後、小泉今日子が「学園天国」を歌っていましたね。

この人は誰?というような番組


今から10年くらい前だったと思いますが、「この人は誰?」というような番組がテレビでやっていました。私と同じくらいの年齢で、スマートな男性が出てきました。その男性によれば、出演者の殆どと番組で共演したことがあるというのですが、出演者の誰も、その男性が誰だかわからなかったのです。

テレビをぼーっと見ていた私も、誰だか全くわかりませんでした。

誰もわからないので、昔の映像が出てきました。フィンガー5の晃君だったのです。トレードマークのメガネをかけておらず、40歳くらいになっていましたから、わかりようもなかったのです。
「えーっ」という声が流れました。出演者の一人に、アナウンサーの徳光和夫さんがいて、

「晃君、ごめんね。一緒に旅もしたのにね。晃君、本当にごめんね」

と謝っていらっしゃったのが大変印象的でした。


この時、晃君は「今、小平で店を持っています」と仰っていたような気がします。

その後、晃君はコンサートをやっていると聞いたことがあります。私たちにとって、晃君は同世代の大スターですよ。「個人授業」「学園天国」は忘れられない歌です。沖縄出身の歌手はたくさんいますね。どういうわけか、沖縄出身の方は踊りも歌もかなりできる人が多いような気がします。

フィンガー5は沖縄の歌手の先駆者ですよ。沖縄返還からそれほど時間が経っていない頃のことですからね。人の知らない苦労が多々あったのではないでしょうか。

人生は再挑戦の繰り返し


往年ほどの人気は難しいかもしれないけれど、晃君を覚えている人はいくらでもいますよ。いろいろなやり方で、挽回できるのではないでしょうか。誰しも、人生は再挑戦の繰り返しではないですか。大成功したように見えている人も、実は思わぬ失敗を人の知らないところで抱えているのではないですか。

我々の世代も、所属している業界によってはリストラに直面しつつあります。四苦八苦している同世代の我々を励ますという仕事を、晃君にはやってもらいたいですね。

故北公次著「光GENJIへ」を読んで

北公次さんを偲ぶ


 

 元フォーリーブスの北公次さんが少し前に亡くなりましたね。まだそれほどのお年ではなかったと思いますが、残念です。私(昭和36年生まれ)くらいの年齢の方なら、フォーリーブスが昭和40年代から昭和50年代前半当時、どれだけ人気があったか御存知と思います。

北さんは昭和63年、御自身が39歳くらいの頃、データハウスから「光GENJIへ」という暴露本を出されました。フォーリーブス解散の約10年後で、光GENJIが全盛だった頃です。この本は当時、ベストセラーだったと思います。内容は衝撃的でした。各章名を紹介しましょう。


序章 光GENJIに俺を見た
第1章 ジャニーさんとの出会い
第2章 フォーリーブス全盛期
第3章 北公次は今一度復活する!

序章に御自身が覚せい剤常習者だったこと、留置所での生活、ジャニーズ事務所の低いギャラ、故郷の田辺市でやり直そうとしたこと、役者としての芸能界復帰などが述べられています。

第1章があまりにも...としか表現のしようのない内容なので、私はここで再論したくありません。

幼い少年に対して、こんなとんでもないことをやってきた人間が何の反省もせずにいるなんて、いったいどういうことなのでしょうか。この本はテレビ局関係者も十分承知のはずです。見て見ぬふりなのでしょうね。

第2章のフォーリーブス全盛期にも、同様のことが継続されていたと北さんは述べています。

 一般に、こういうことをしでかした人間は、引き続き同じようなことをやっているのではないでしょうか。そう思うとぞっとしますね。

北さんの叫び


第3章の最後で、北さんは次のように述べています(p232-233)。

「きれいごとしか書かれてこなかった今までの芸能界に、この本は在りのままの芸能界を開いて見せたはずだ」

「浮かれているのはステージにいる時だけでいい、しっかりと自分の足元を見つめ、なによりもまず自分のことを自分の未来のことをしっかりと見つめるんだ」

「少年愛にとりつかれた男が経営するジャニーズ事務所にいるアイドルたちよ、おれの二の舞だけにはなってくれるな」

「北公次は今一度復活する」

北さんは決して、うまく世渡りをするというか、器用な生き方ができた方ではなかったのだろうと思います。御自身の責任でやってしまった失敗も多かったかもしれません。でも、大スターだった方がこれだけ御自身のことを赤裸々に語って下さったことにより、一般の我々には世の中の一面が随分見えてきたような気がします。

北さんは、御自身としては満足ではなかったかもしれませんが、この本により「復活」されていたように思います。

光GENJIの皆さんへ


北さんのこの叫びは、光GENJIの皆さんに届いたのでしょうか。私にはわかりようもありませんが、時折週刊誌などに出る元光GENJIの方々の消息を読むと、悲しい気持ちになります。ごく最近もある方の記事が出ていましたね。

あれだけ華麗なダンスのできる方がなぜそんなことを?という気持ちです。あのダンスの習得には、血の滲むような努力があったはずです。誰でもできることでは決してありません。

光GENJIの皆さんも中年くらいのはずですね。この本を出版した当時の北さんと同じくらいの年齢ということになりますね。

一番人気のあった諸星君を、たまにテレビで見かけます。私は光GENJIのファンではないですが、皆さんには大先輩の血の出るような叫びを受け止めて頂き、頑張ってもらいたいですね。まだまだ若いのですから、チャンスはいくらでもあると思います。

NHKドラマ「ザ・商社」雑感



山崎努・夏目雅子の「ザ・商社」を覚えていますか
  
 いろいろ忙しくて、暫く更新できませんでした。このブログは、披拉致日本人救出を掲げていますが、私の個人ブログですので、私が何となく日々感じたことや思い出したことを書き留めていきたいと思います。お付き合い下されば幸いです。
30年くらい前ですが、NHKで「ザ・商社」というドラマが放映されました。主演は山崎努・夏目雅子です。原作は松本清張「空の城」(文春文庫)で、安宅産業という、大阪の総合商社の倒産劇を題材にしたものでした。安宅産業の倒産は昭和51年くらいだったと思います。ドラマでは江坂産業という名前になっていました。江坂産業の倒産理由は、社主による骨董品収集が会社の負担になったことと、ニューファンドランドで製油所を作ろうとして、レバノン商人に騙された、ということになっていました。レバノン商人は、サッシンという足の悪い人ということになっていました。
 私は大学1年生か、2年生だったと思いますが、このドラマで山崎努が英語を用いてレバノン商人といろいろ取引をするシーンを見て、よし、自分も国際的に活躍するビジネスマンになるぞ、などと思い、英語の勉強を多少やりました。結局、ビジネスマンにはなりませんでしたけれど、英語の勉強は多少できました。会話は今でも決してうまくないですけれどね(笑)。山崎努がレバノン商人に発する次の台詞が何となく印象に残っています。
What condition?

 このドラマの主演女優故夏目雅子は、熱演していました。貧しいながらも、ニューヨークに出て勉強し、有名になろうとするピアニストの役でした。このピアニストは、江坂産業社主の愛人になり、ニューヨークへピアノの勉強に行きます。そこで山崎努演じる商社マンと出会います。故夏目雅子の代表作の一つでしょうね。

夏目雅子とえいば、「鬼龍院花子の生涯」を代表作として挙げる人が多いかもしれませんが、私はこちらのほうが印象に残っています。


山崎努演じる日系2世商社マンは、傾きかけた江坂産業を立て直す起死回生の一手として、ニューファンドランドでの製油所をレバノン商人とやろうとしますが、結局騙されてしまいます。Come by chanceという名前の製油所でした。江坂産業はタンカーを持っているから、製油所でできた石油を運ぶことができる、当面の運転資金をレバノン商人に貸し付けることもできるという設定です。
Come by chanceはカナダの州が保有する企業(Crown company)であり、当面は多少の赤字が出ても最後はカナダ政府が保証するから大丈夫だと安宅側は信じていたのですが、どういうわけか途中から、州の所有でなくなってしまうのです。売却されてしまったということだったような気がします。結局レバノン商人らに江坂産業は騙されてしまったのです。

 これらの話にはフィクションも相当あるのでしょうけれど、安宅産業の社主が陶磁器を相当収集していたのは本当です。倒産後、それらは安宅産業に金を貸していた住友銀行が所有することになるのですが、住友銀行は陶磁器を大阪市に寄贈しました。
中之島にある大阪市立東洋陶磁美術館に、この陶磁器は保存されているはずです。安宅産業の安宅英一が収集したもので、安宅コレクションと命名されています。私には陶磁器の鑑賞眼などないですけれど、相当なものなのだろうなと思います。
数年前に亡くなった叔父は、陶磁器が大好きな方でした。あの叔父さんなら、安宅コレクションの価値が存分にわかるのだろうな、と思います。 
 「ザ・商社」で江坂産業社主を演じた人の迫力はすごかったですよ。台詞の言い回し、語調から穏やかな人柄、教養と気品を感じました。表情の研究もすごくされている方だと思いました。
江坂産業が資金繰りで最終的にどうしようもなくなり、銀行にすべてを任せるしかなくなったとき、社主は「銀行に全てをお任せします」と深々と頭を下げます。そのあと、社主はぞっとするような笑みを浮かべます。ピアニストを志しており、会社経営などやりたくなかった社主は、父親に強制されて江坂産業を継承しました。
自分の人生を捻じ曲げた父親に対する恨みから、社主は陶磁器を収集していたのです。父親に対する復讐の成就、という意味の笑みだったのです。この笑いはすごい!
最近わかったのですが、この方は片岡仁左衛門という人間国宝だったのですね。この方のお子さんが、大河ドラマ「太平記」で後醍醐天皇を演じた方らしいですよ。歌舞伎も、日本の伝統芸術の一つですね。歌舞伎役者は、表情と発声の練習を子供のころからやるのでしょうね。