2016年6月30日木曜日

藤野保史氏(日本共産党前政策委員長。衆議院議員)の「防衛費=人を殺すための予算」論と不破哲三「国家独占資本主義における修正主義」(「前衛」1963年3月、4月号掲載)

「もう一つの重要な点は、反動的国家機構の変革にあたって、決定的な役割を果たすのが軍事的=官僚的機構を粉砕するという革命的課題だということである」(不破前掲論文より抜粋)


日本共産党の藤野保史氏(放映時は政策委員長。現衆議院議員)は去る6月26日のNHKの「日曜討論」で「防衛費とは人を殺すための予算である」旨発言したそうです。

その後藤野氏はこの発言が党の見解と異なっていたからとの理由で政策委員長を辞任しました。私には藤野氏の発言は共産主義理論から導出される当然の結論であるとしか思えません。

不破哲三氏は昭和38年3月、「国家独占資本主義論における修正主義」という論文を「前衛」で発表しています。今から53年前ですから、不破氏は33歳くらいでした。

この論文は故上田耕一郎氏との共著「マルクス主義と現代イデオロギー 下」(1963年大月書店刊行)にも掲載されています。

日本の共産主義運動と理論に多少なりとも関心のある人なら、この本は欠かせない。最近の若い共産党員は不破氏や上田氏が若い頃執筆した本について一切知らないようですが。

以下の記述は若き不破氏のこの論文と、レーニンの「国家と革命」、宮本顕治氏の「日本革命の展望」(新日本出版社)に依拠しています。

自衛隊と警察は日米独占資本に奉仕する抑圧機関、暴力装置


共産主義の国家理論から考えれば資本主義国家は資本家による労働者への搾取を守るための階級的支配機構です。

自衛隊と警察は資本家による階級的支配を守り、資本家階級とたたかう労働者と人民を抑圧するための暴力装置です。

搾取制度こそ労働者階級と人民が貧困に陥っている根源的な要因です。

搾取がなく、私有財産を廃止する社会の建設のためには資本主義国家を打倒する民主主義革命をまずは実施せねばなりません。共産党とは本来、財産を共有する集団という意味です。

近年の日本共産党の宣伝物では、「幸せを共に産む党」などと書いてありましたが、こんな奇怪な宗教団体のような意味で共産党という言葉が使われてきたのではありません。

民主主義革命の次に社会主義を建設するためには、労働者階級が主導的な役割を担う社会主義革命を実施せねばなりません。

労働者階級を中心とする統一戦線が民主主義革命を実施するとき、資本家階級に奉仕している反動的抑圧機関、暴力装置である軍隊と警察を粉砕し全廃します。

共産主義理論では自衛隊は反動的抑圧機関、暴力装置の中心なのです。暴力装置の運営、維持費用である防衛費を共産主義者が「人を殺すための予算」と表現するのは当然です。

藤野氏は共産主義理論から自衛隊を把握し、導出された見解を表明したにすぎません。宮本顕治氏が議長だった頃の日本共産党なら、この程度の発言は当然視されていたはずです。

レーニンは常備軍・警察・官僚制など抑圧機関の粉砕を主張した


若き不破氏によれば現在の資本主義社会で国家権力を掌握し不当な利益を得ている資本家階級が、決定的な敗北をこうむる以前に、民主主義の手続きに従って国家権力を簡単に労働者階級と人民にひきわたすと考えることは空想的すぎます。

若き不破氏によれば、レーニンはブルジョア的国家機関を変革する二つの方法を指摘しています。

一つは常備軍・警察・官僚制など主として「抑圧」的な機関にたいする粉砕の方法です。

もう一つは各種の記帳、記録機関にたいする改造の方法です。

若き不破氏によれば、議会を基礎にして成立した革命政府は議会外の大衆闘争に依拠し、軍事的官僚的機関の粉砕を軸にして国家機関全体を変革し、人民の権力を樹立せねばなりません。

藤野保史氏の「防衛費=人を殺すための予算」論は、自衛隊が日米の反動的支配層、独占資本による労働者と人民の支配のための抑圧機関、暴力装置であるという共産主義理論に依拠しているのです。

共産党員にとって、自衛隊の日々の活動がどのような内容であれ、自衛隊は暴力装置なのですから人民のために粉砕すべき対象です。

藤野氏は若き不破氏の論文の主旨に沿って発言しただけなのです。藤野氏は故上田耕一郎・不破哲三氏の「マルクス主義と現代イデオロギー」を読んでいるのかもしれません。

共産主義者ならば藤野保史議員を擁護すべきだ


日本共産党員に自らが共産主義者であるという自覚があるのなら、若き不破氏の論文「国家独占資本主義における修正主義」や宮本顕治氏の著作「日本革命の展望」に依拠して藤野氏の「防衛費は人を殺すための予算」論を断固擁護するべきでした。

インターネットを見る限り、藤野氏を擁護する共産党員はいなかったようです。上部からの指令でしょうか。宮本顕治氏の「日本革命の展望」を殆どの共産党員は忘却したようです。

志位和夫氏、小池晃氏ら今日の日本共産党幹部は若き不破氏の前掲論文や宮本顕治氏の「日本革命の展望」による共産主義の国家論を忘却してしまったのでしょうか。

志位和夫氏、小池晃氏が不破氏の論文や宮本顕治氏の「日本革命の展望」を読んでいないはずがない。

これらの文献は旧ソ連や中国が素晴らしい社会主義国であるという認識を前提にしていますから、今の若い共産党員に読ませると不都合が生じます。

不破氏や宮本氏がかつてソ連を礼賛していた史実が若い共産党員に明らかになってしまいます。

これらの文献を、歴史の闇に葬り去るほうが好都合だと志位和夫氏、小池晃氏は判断しているのでしょう。左右双方で、気概がない政治家だらけになってしまいました。

共産主義者にとって、歴史は宣伝材料なのです。「革命理論」も同じで、権力を掌握するために都合が悪くなると表現を変えます。共産主義者の素顔は徹底した実利主義者なのです。




2016年6月27日月曜日

レーニンは聖職者の殺害と教会財産没収をモロトフと政治局員に命じた(The Unkonwn Lenin From the Secret Archive, edited by Richard Pipesより)

反動的聖職者と反動的ブルジョアの代表の連中をできる限り多く処刑できればできるほど良い。我々は連中に、今後数十年間いかなる反抗も考えることができないように教訓を与えてやらねばならない(レーニンによる1922年3月19日モロトフ政治局員への極秘指令より)。


モロトフとは、後にスターリンの忠実な部下として首相や外相を務めたソ連共産党の大幹部です。

ソ連邦崩壊後、ソ連共産党により長年隠蔽されていた史料が次から次へと明るみに出ました。

日本共産党では、野坂参三が仲間の山本懸藏に疑いがかけられるような手紙をソ連共産党に提出していたことが明らかになりました。これは氷山の一角でしかありません。

レーニンが政治局等に出した秘密指令がいくつも明らかになりました。

それらに依拠して、Domitri Volkogonovが「レーニンの秘密」(NHK出版1995年、英文題名はLenin, A New Biography)という本を出しました。

米国のソ連研究者Richard Pipesは、「知られざるレーニン」(The Unknown Lenin From the Secret Archive, Yale University Press, 1998)を編者として出しました。

後者には、レーニンの数々の秘密指令の英訳が掲載されています。

R. W. Daviesの「現代ロシアの歴史論争」(岩波書店1998年刊行、原題Soviet History in the Yeltsin Era)の第一章「レーニン主義への猛攻」は、上記を含むレーニンによる残虐な指令がロシアの知識人界に与えた影響を論じています。

八尾信光氏は論考「未公開文書からみたレーニン像」(田中雄三・溝端佐登史・大西広編「再生に転じるロシア」つむぎ出版1993年、pp. 235-247)でロシアの歴史学者ラトィシェフ氏のインタビューを紹介しています。

ラトィシェフ氏は、レーニンの未公開文書の中に「富農」や司祭、「反革命容疑者」などに対する弾圧、処刑、追放、強制収容を支持した手紙や、バルトへの侵攻を命じた文書が数多く存在すると話していたそうです。

レーニンはロシア正教会を敵視し、教会の財宝収奪指令を極秘に出した


Volkogonov「レーニンの秘密」(下巻、pp. 203-219)によればレーニンはロシア正教会を敵視していました。

ソ連共産党は1921年から22年の飢饉の際に膨大な資金、金や財宝を世界革命のために外国の共産党に送っていました。

ロシア正教会のチーホン総司教は飢えた国民のために教会の財宝を供出することを国民に呼びかけましたが、レーニンはこれを政権に対する挑戦と受け止めました。

そこでレーニンは、教会の財宝を徹底的に強奪し、抵抗する聖職者たちを処刑する指令をモロトフら政治局員に出したのです。

指令の冒頭には「最高機密。いかなる理由でも複写をしないこと」と明記されています。

以下、Pipes編の本に掲載されている指令(英訳はCathaerine A. Fitzpatrick)を抜粋します。

Therefore, I come to the categorical conclusion that precisely at this moment we must give battle to the Black Hundred clergy in the most decisive and merciless manner and crush its resistance with such brutality that will not forget it for decades to come....

The greater the number of representatives of the reactionary clergy and reactionary bourgeoisie we succeed in executing for this reason, the better.

We must teach these people a lesson right now, so that will not dare even to think of any resistance for several decades.

我々は教会の財宝を最も野蛮で容赦ないやり方により没収せねばならない


秘密指令で教会財産没収を命じている部分の英訳は次です。

It is precisely now and only now, when in the starving regions people are eating human flesh, and hundreds if not thousands of corpses are littering the roads,

that we can (and therefore must) carry out the confiscation of church valuables with the most savage and merciless energy, not stopping (short of) crushing any resistance.

これを私流に訳してみました。

まさに今、今しかない。飢餓状態にある地域で、人民が人肉を食い、数千とまでいかなくても数百の死体が道に転がっているとき、我々は教会の財宝を最も野蛮で容赦なやり方により没収せねばならない。如何なる抵抗をも破壊して、これをせねばならない。

私は基督教信者ではありませんが、聖職者を殺すなどとんでもない。

教会の財宝は信者たちの寄付による浄財により形成されたはずです。中には、腐敗している聖職者もいたかもしれませんが、裁判もなしに処刑されてしかるべき人間であろうはずがない。

教会の財宝を飢えている人々のために使おうとしたチーホン総司教は素晴らしい方でした。信者から深く尊敬されていたことでしょう。ソ連共産党から見れば、極めて危険な人物です。

時代は違いますが、織田信長の比叡山焼き討ちを私は思い出しました。比叡山焼き討ちは、当時の人々の価値観から見ても野蛮行為でした。20世紀のソ連共産党による聖職者殺戮も同じです。

レーニンこそスターリン、毛沢東、金日成と金正日の善き教師です。

レーニンによる殺人指令を正当化する共産主義者は、金正日による大韓航空機爆破指令も正当化すべきです。





2016年6月21日火曜日

若き不破哲三氏(当時は書記局長)は中国によるベトナム侵略を強く批判した―不破哲三「時代の証言」が消した史実―

高野同志 あなたは、中国のベトナム侵略の真実を、日本共産党員として、赤旗特派員として、直接その目で確かめて、全世界に知らせるという任務をもって活動していました。(「三月七日、ランソンにて 『赤旗』ハノイ特派員高野功記者の記録」掲載の弔辞より。新日本出版社1979年刊)


今日の不破哲三氏にとって、「赤旗」記者の生命と人権より中国共産党との関係を「正常化」し、「野党外交」に乗り出すほうが大事なようです。

不破哲三氏によれば、アジアでは中国の存在が大きく、中国との関係断絶のままでは相手側も対応に困るそうです(「時代の証言」中央公論新社、p194より)。

そこで中国との関係に決着をつけて不破氏は「野党外交」に乗り出したとこの本で述懐しています。

日本共産党が中国共産党と関係を正常化するなら、中国人民解放軍が「赤旗」記者高野功氏を射殺したことを認めさせ、しかるべき謝罪と償いをさせるべきではないでしょうか。

「時代の証言」や最近の著作には、中国人民解放軍の凶弾に倒れた高野功「赤旗」記者の話は一切出てきません。

日本共産党は「赤旗」記者の生命と人権より中国共産党との関係「正常化」の方が大事と判断したのでしょう。素顔の不破哲三氏は徹底した実利主義者なのでしょうね。

こんな姿勢では、中国人民解放軍には「赤旗」記者を射殺する権利があると日本共産党が認めたようなものです。

今日の聴濤弘氏はなぜ中国人民解放軍による「赤旗」記者射殺について沈黙しているのか


聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)も最近の著書や論文で中国問題を論じる際、中国人民解放軍による「赤旗」記者射殺事件について完全に沈黙しています。

聴濤弘氏がこの事件を知らないはずがない。聴濤弘氏は不破哲三氏の狙いを推し量って沈黙しているのでしょう。

私は本ブログで何度も、日本共産党が中国覇権主義に完全に屈服したと断言してきました。仲間が殺されても黙っているような組織と人間は、どこかおかしくないでしょうか。

共産党とは、実利主義者の集合体なのかもしれません。

吉良よし子議員ら若い共産党員は中国人民解放軍に「赤旗」記者が射殺されたことを一切御存知ないでしょう。

しかしこの事件の当時の日本共産党は、中国によるベトナム侵略を強く批判していました。「三月七日、ランソンにて」には、高野功氏の葬儀での不破哲三氏による弔辞が掲載されています。

若き不破氏は弔辞で中国によるベトナム侵略と中国人民解放軍の蛮行を強く批判しています。

「野党外交」を進めるためには、この事件を人々の記憶から消していかねばと今日の不破哲三氏は判断したのでしょう。

共産主義者は歴史を宣伝材料にする


共産主義者にとって、歴史は宣伝材料なのです。

吉良よし子議員ら若い共産党員や、在日本朝鮮人総連合会で働く皆さんには、日本共産党や朝鮮労働党の昔の文献をきちんと読むことをお勧めします。

朝鮮労働党の昔の文献には、「白頭山三代将軍」など一切出てきません。金日成の二番目の妻金聖愛の論文が、「月刊朝鮮資料」1971年11月号に掲載されています。

この方、今はどうされているのでしょうね。脱北者が得た情報によれば、亡くなっているらしい。

金日成民族は「民族の太陽」金日成の奥様の老後について無関心なのでしょうか。金正日が愛した女性たちのその後についても、金日成民族は無関心なのでしょう。

「全社会の金日成・金正日主義化」とは一体何なのでしょうか。私には不気味なことこのうえありません。

2016年6月19日日曜日

李忠国「金正日の核と軍隊」(1994年講談社刊)より思う。

私が仕事をしていた核科学防衛局は、核兵器開発をはじめ、核化学戦争に備え、核攻撃、防御を担当する部署でした(本書まえがきより)。


「日朝平壌宣言」をはじめ、北朝鮮は他国との数々の合意を破り、核とミサイル実験を重ねてきました。北朝鮮は自らが核保有国であると宣言しました。

日朝首脳会談、南北首脳会談、六か国協議、米朝交渉などで各国がどれだけ外交努力を重ねても、北朝鮮による核兵器開発を断念させることはできなかったのです。

六か国協議の議長国である中国の面子は丸つぶれです。中国も、あらゆる外交経路で北朝鮮に核開発をやめるよう迫ってきたはずですが、何の効果もありませんでした。

かつて金日成は、「われわれは核兵器を製造する必要もなく、製造する意思も能力もない」と明言していました。

「金日成著作集44」〈外国文出版社, p342)の「『ワシントン・タイムズ』記者団の質問にたいする回答」を参照してください。これは金日成の大法螺でした。

この回答で金日成は「わが国では人間の人格と自主的権利が実質的に尊重され、保護されています」と大法螺宣伝をしています。

二十年前に金日成の大法螺を見抜けなかった「専門家」は少なくなかった。政治家の場合、二十年前なら北朝鮮の核開発を疑う人の方が多かったのではないでしょうか。

二十年前、殆どの政治家は北朝鮮による日本人拉致が重大な問題であると認識していなかった。

核兵器をいくつか保有できるまでは核開発を機密事項とせよ、という類の金日成の「教示」、金正日の「お言葉」があったと見るべきです。

左翼政治家や左翼知識人はテロ国家北朝鮮の凶暴性をいつになったらわかるのでしょうか。

北朝鮮は国の政策として民間航空機を爆破したのですから、それだけでも国際社会から徹底した制裁を受けて当たり前です。

北朝鮮の核兵器は韓国と日本に向けられている


北朝鮮の人民軍総参謀部核化学防衛局の一員だった李忠国氏は、本書で北朝鮮の核開発が着実に進行していることを、22年前から訴えていました。

北朝鮮の核兵器は主に韓国と日本に向けられているのです。日本に居住しているのは日本人だけではありません。在日韓国・朝鮮人もいます。

在日本朝鮮人総連合会の中央常任委員会は、金正恩にあてた祝賀文で自らが金日成民族、金正日朝鮮、そして金正恩天下第一強国の一員であることを誇っています。

朝鮮学校の教職員の皆さんは子どもたちに北朝鮮の核が自分たちに向けられていることをどのように教えているのでしょうか。

北朝鮮が日本や韓国に核攻撃を加えたら、金日成民族としてどうするというのでしょうか。「全社会の金日成・金正日主義化」のために日夜努力していても、努力の成果が吹き飛びませんか。

「ヘイトスピーチ反対」で在日本朝鮮人総連合会と共闘している左翼政治家や知識人は、北朝鮮からの核攻撃の可能性について金日成民族の皆さんと「粘り強い対話」をするべきです。

政府にテロ国家北朝鮮と「粘り強い対話をすべきだ」と要求するなら、御自分は北朝鮮による核攻撃や北朝鮮の政治犯収容所について金日成民族の皆さんと粘り強く対話するべきです。

ところで、「全社会の金日成・金正日主義化」とは、英語ではmodelling the whole society on Kimilsungism-Kimjongilismと訳されています。朝鮮中央通信には英文も出ています。

テロ国家北朝鮮は生物・化学兵器を量産している


北朝鮮が保持している大量殺人兵器は核だけではありません。李忠国氏は本書で、化学兵器、生物兵器の開発についても詳細に語っています。

北朝鮮は多種多様な化学毒物を生産しています。イペリット、神経ガス、サリン、ブイガス、青酸カリ、Cs,Cnなどです(同書p162-163より抜粋)。

私にはイペリットやブイガス、Cs,Cnという毒物がどのような「性能」を持っているのかわかりません。

二十数年前に、某「宗教団体」がサリンを地下鉄に散布する蛮行をしました。そのとき、ブイガスという名称に近いものもこの団体を批判する方々に散布したような記憶があります。

定かではありませんが。VXガスだったかもしれません。

勿論、これだけでその「宗教団体」と北朝鮮に関係があったなどと論証できるはずもありません。その「宗教団体」のある大幹部(現在服役中)が十数回北朝鮮に行っているらしいのですが。

訪朝それ自体は犯罪ではありえません。しかしこの方はどんな用件で北朝鮮に行ったのでしょうか。何もわかっていないのです。

李忠国氏によれば、北朝鮮は生物兵器も大量保有しています。ペストやチフスなど13種類の細菌兵器を沙里院など6か所の基地に備蓄しているそうです(同書p255)。

ペスト菌は1.8グラムだけでも韓国全土を無力化できると言われれいるそうです。ペスト菌の威力がそのような水準かどうかわかりません。菌の散布は可能かもしれません。

「戦争が起きたら、南朝鮮人民4千万人をすべて殺さなければならない」


本書p175に、李氏が所属していた「反核反原子分析所」の黄課長という人物が部下の前で、1993年8月にした次の発言が記されています。

「戦争が起きたら、南朝鮮人民4千万人をすべて殺さなければならない。

彼らは子どものときから反共教育を受けてきたので、統一されたとしても、絶対に共産主義は認めないだろうし、反共思想をビッシリと叩き込まれているので、彼らを共産主義で武装させるのは不可能である」。

金正恩が工作員を日本や韓国に侵入させ、生物・化学兵器散布をやらせたらどうなってしまうのでしょうか。

腹が立ちますが、工作員の侵入を完全に防ぐのは難しい。また生物・化学兵器を少量散布するだけなら、誰がやったかわかりません。

北朝鮮工作員の仕業と断言できようもない。

日本は巡航ミサイルと爆撃機を保有すべきだ


民間航空機を爆破して喜ぶ連中が、「民族統一」「共和国の権威と尊厳を守る」「わが国の自主権を守る」などと称して蛮行を再度やらないという保証はどこにもない。

北朝鮮の刑法はそれが外国でも適用されると明記しています。私のように金日成や金正日を批判する人間は、「首領冒涜罪」「朝鮮民族敵対罪」を犯していることになりえます。

殆どの日本人は金日成、金正日を崇めていません。これを口実に「共和国の権威と尊厳を守る」「わが国の自主権を守る」ために、北朝鮮工作員がとんでもないテロをやる可能性があるのです。

日本は北朝鮮を自力で直接攻撃できる兵器、例えば巡航ミサイルや爆撃機を一刻もはやく保有すべきです。

巡航ミサイルで生物・化学兵器攻撃を直接防げませんが、「最高尊厳」とやらへの反撃はできます。

日本攻撃に対して徹底的な反撃の意と能力の存在を金正恩に知らしめてこそ、核攻撃や生物・化学兵器攻撃を未然に阻止できるのです。

2016年6月11日土曜日

不破哲三「時代の証言」(中央公論社平成23年刊行)への疑問

51年8月、日本問題で長く沈黙を守っていたコミンフォルム機関紙が再び日本共産党を取り上げ、徳田・野坂派に軍配を上げたのです。この再度の介入により、「統一」運動の側が組織を解体して、徳田・野坂派の指導下にある組織に合体することになりました。(同書p25-26より抜粋)。


共産主義者は、都合の悪い史実を隠ぺいし、自らを正当化する「歴史」を宣伝します。

虚偽宣伝をやらなければ、共産党、労働党への批判に下部党員や支援者、国民が動揺し、共産党と労働党が維持できなくなってしまうからです。

下部党員の中には共産党の虚偽宣伝文献を熱心に読み続け、矛盾に気づく人もいます。しかし大方の下部党員は見て見ぬふりをし、最高指導者に追随して虚偽宣伝をします。

金正日は中国共産党員だった金日成が日本軍に討伐されて旧ソ連領(ハバロフスク近郊)に逃亡してしまったこと、金日成が朝鮮戦争を始めたことを隠ぺいしてきました。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは金日成、金正日に隷属し虚偽宣伝をしてきました。

在日本朝鮮人総連合会常任委員会が朝鮮労働党の大会にあてた祝賀文によれば、在日本朝鮮人総連合会は金日成民族、金正日朝鮮、金正恩天下第一強国の一員だそうです。

宮本顕治氏はマルクス・レーニン・スターリン主義を信奉していた


宮本顕治氏は「マルクス・レーニン・スターリン主義」なるものを信奉し日本革命とやらの「平和的発展の可能性」を提起することは根本的な誤りと断言しました。

本ブログはこれを何度も指摘しています。この史実を若い共産党員は殆ど知らないようです。吉良よし子議員はまだご存じないかもしれません。

これは、宮本顕治氏が「前衛」(49号、1950年5月)に発表した論文「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」に明記されています。

この論文は「日本共産党50年問題資料集(1)」に掲載されていますから、御存知ない方は是非そちらを参照して頂きたい。

虚偽宣伝は共産党の十八番ですが、先代の最高指導者が行ってきた虚偽宣伝と辻褄があわなくなってしまうことがあります。

不破哲三氏も「時代の証言」で様々な虚偽宣伝をしていますが、宮本顕治氏のそれと矛盾してしまう点もあります。以下、気づいたことを少し指摘しておきます。

不破哲三氏は1930年(昭和5年)1月26日生まれですから、1951年(昭和26年)8月には21歳で日本共産党の東京大学細胞の一員でした。

この少し前の1950年(昭和25年)6月、日本共産党は分裂しました。不破氏は「全国統一委員会」という、宮本顕治氏らの側で活動していたそうです。

共産党の文献をあまり読んだことがない方は「細胞」という語の意味をよくわからないかもしれません。共産党員は全体で一人のように一体化し革命運動に励まねばならないという発想です。

金正日の「革命的首領観」も同様の「理論」です。首領が脳髄で人民は手足だそうです。

宮本顕治氏、若き不破哲三氏は「武力闘争の理論派」だった


閑話休題、上述の記述「51年8月に分裂していた日本共産党の一方の側が、コミンフォルムから間違っていると断定され徳田・野坂派の側に合体した」に注目しましょう。

不破氏のこの記述と、宮本顕治論文「共産党・労働者党情報局云々」より、当時の日本共産党のほぼ全員が一致して武装闘争を支持していたと言えます。

全党員が武装闘争に参加したわけではないでしょうが、武装闘争に反対した方は稀だった。武装闘争の実態については、兵本達吉「日本共産党の戦後秘史」(新潮文庫)第3,4章が詳しい。

その後の宮本顕治氏らが主張してきたように、徳田球一氏や野坂参三氏らの側だけが武装闘争をやったのではありません。

宮本顕治氏は武装闘争の必要性を「理論化」して「前衛」掲載論文にしたのですから。

「時代の証言」での不破氏の表現を借りれば、宮本顕治氏の側にいた御自分は「武力闘争の理論派」だったことになります。

兵本達吉氏の「日本共産党戦後秘史」(新潮文庫)によれば、「武装闘争」が行われたのは、1951年(昭和26年)10月から朝鮮戦争の休戦(昭和28年7月)までです。

ソ連と中国の命令により日本共産党が行った武装闘争は、朝鮮戦争での米軍の後方かく乱が主任務でしたから、朝鮮戦争が休戦になれば不要です。

不破哲三氏は日本共産党がソ連と中国の忠実なる手下だった史実を隠ぺいしています。

同志スターリンに指導され、マルクス・レーニン・スターリン主義で完全に武装されているソ同盟共産党(宮本顕治論文より抜粋)


第二に、「時代の証言」で不破哲三氏はかつての日本共産党と御自分がスターリンを礼賛していたことを隠ぺいしています。

宮本顕治氏の「共産党・労働者党情報局云々」論文が発表された当時、不破哲三氏は日本共産党東京大学細胞の一員としてこの論文を熟読したはずです。

宮本顕治氏はこの論文で次のように述べています。

「われわれはとくに、同志スターリンに指導され、マルクス・レーニン・スターリン主義で完全に武装されているソ同盟共産党が、共産党情報局の加盟者であることを、銘記しておく必要がある。」

「われわれは、党を、マルクス・レーニン・スターリン主義の原則とプロレタリア国際主義にもとずき、政治的・思想的・組織的に強めなければならぬ。」

当時の共産党員でスターリンに忠誠を誓っていたのは宮本顕治氏だけではありません。徳田球一氏や野坂参三氏も当然そうだったでしょう。

不破氏によれば、野坂参三氏は昭和21年に中国から日本に戻る際、秘密裏にモスクワに呼ばれ赤軍情報部に直結する工作者となっていました。

これは史実でしょうが、共産主義者がソ連赤軍情報部に直結するのは当たり前のことです。それは日本共産党の当時の規約に全く反していない。

宮本顕治氏は赤軍の最高指導者スターリンへの忠誠を論文で繰り返し表明し、革命=武装闘争唯一論を主張しているではありませんか。

ソ連は社会主義社会の建設を完了し、共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始している


勿論若き不破哲三氏も、スターリンとソ連の信奉者でした。

「前衛」1959年5月号に掲載された「現代トロツキズム批判」という若き不破氏の論文があります。

若き不破氏はソ連が社会主義社会の建設を完了し、帝国主義者のいかなる攻撃をも撃退する力をもちながら共産主義社会への移行をめざして巨大な前進を開始していると断言しています。

はじめに勝利した社会主義国家の存立をまもりぬき、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、「世界革命の展開の基地」をまもることであり、それ自身世界革命を推進するためのもっとも重大な課題だそうです。

要は、ソ連とスターリン万歳!という話です。

この論文はフルシチョフによるスターリン批判(1956年)の後に書かれているのですが、スターリンの「革命理論」は変わらず信奉しています。

若き不破氏にとって、スターリンの偉大さはスターリンが何百万人殺害しようと揺るがないものだったのです。

この論文は上田耕一郎氏との共著「マルクス主義と現代イデオロギー 上」(大月書店)に掲載されています。現在の不破哲三氏がこの論文を忘却しているはずがない。

不破氏は「マルクス主義と現代修正主義」でも社会主義とは中央計画経済だという「理論」からユーゴスラビアの市場的社会主義論を徹底批判しています。

「時代の証言」には、自らがソ連とスターリン信奉者だった史実は一切出てきません。

毛沢東の「ソ連社会主義完全変質論」をソ連崩壊後日本共産党が主張しだした


ずっと後に不破氏は、「講座 日本共産党の綱領路線」(新日本出版社昭和59年刊行)という本を出します。

この本のp114で不破氏は、社会主義大国の「重大な誤り」とやらについて次のように述べています。

誤りを根拠に、「この国はもはや社会主義国ではなくなった」「その存在は世界史のうえでいかなる積極的な役割も果たさなくなった」という見方は「社会主義完全変質論」で非科学的である。

不破氏によれば、毛沢東と中国共産党は昭和41年の日本共産党との会談でソ連は社会主義でなくなりアメリカと同列の帝国主義国に変質したと主張しました。

「日本共産党の綱領路線」で不破氏は、中国共産党との論争の決着は明白だと述べていますが、ソ連崩壊後の日本共産党はソ連は社会主義でなかったと宣伝しているのです。

従って日本共産党は「社会主義完全変質論」に転向したことになります。

今日の不破氏から見れば、「社会主義完全変質論」をはやくから主張した毛沢東と中国共産党のほうが大局的に正しかったことになります。

「時代の証言」で不破氏は日本共産党のソ連評価が180度変わったことを一切触れていません。日本共産党が毛沢東に「論争」で負けたことになってしまいますから、隠蔽したいのでしょう。

宮本顕治氏の「日本革命の展望」を今日の下部党員は読まない


日本共産党元参議院議員の聴濤弘氏の著作を一つ一つ読んでいけば、日本共産党のソ連評価の変遷がわかります。

聴濤弘氏は宮本顕治氏と不破哲三氏に隷属して保身をはかる生き方を選択しました。不破氏が中国共産党による人権抑圧批判をやめたことを、聴濤弘氏なら十分承知しているはずです。

不破哲三氏も、宮本顕治氏に長年隷属して保身をはかってきました。

共産主義者として生きるなら、最高指導者への隷属を喜びとする人間にならねばいけないのですが、最高指導者が変われば前の最高指導者への隷属は不要です。

宮本顕治氏が元気だったころ、下部党員が「聖典」にようにあがめていた「日本革命の展望」は今日の下部党員には、殆ど見向きもされていません。

不破氏の数々の著作が、今後そうならないという保証はどこにもないことを指摘しておきます。

すでに「マルクス主義と現代イデオロギー」「マルクス主義と現代修正主義」(大月書店刊行)を読んでいる下部党員は稀になっているのですから。


2016年6月6日月曜日

吉永小百合主演映画「キューポラのある街」に描かれた在日朝鮮人一家は北朝鮮帰国後どうなったのか

「強制収容所に送られ、拷問などによって殺されたか、そこで餓死、凍死した人も少なくない、と在日朝鮮人の関係者は推測している。...親族らが、朝鮮総連に訴えても、総連側は『無関係』という態度を貫いている」(「アエラ」1992年7月21日記事「在日朝鮮人の静かな反乱」より抜粋)。


吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」(昭和37年日活)を私がテレビの再放送で観たのは何年前だったでしょうか。

昭和37年制作ですから白黒映画です。キューポラとは、鉄を溶かす炉のことです。映画の舞台になった埼玉県川口市にはかつて、キューポラのある工場が多かったそうです。

吉永小百合はジュンという健気な女子高生を演じていました。東野英次郎が父親役で、不況のため工場を解雇されてしまいます。ジュンはパチンコ屋でアルバイトをし、家計を助けます。

昭和30年代、東京オリンピックより前の日本ですから、貧しい家庭は少なくなかった。

この映画は、貧しいながらも家族と仲間で助け合い、たくましく生きていく下町の人々の姿を描くことを主題としていました。

解雇に反対する労働組合の活動など、当時の左翼の雰囲気が良く出ていました。同時に、ジュンの親友の在日朝鮮人一家(母親は日本人妻)の生き方も描かれていました。

この一家は、映画の最後で北朝鮮に社会主義の夢を抱いて帰国していきます。記憶がおぼろげですが、一家ではお父さんとジュンの親友の娘(姉)と息子(弟)が先に帰国したように思います。

ジュンの親友が帰国していくとき、駅で金日成将軍の歌を見送る人々が歌っていたように思います。しかし弟は、母親が恋しくて電車を途中で降りて帰ってきます。

映画の最後で、弟は母親と共に北朝鮮に帰国していきます。一家で社会主義朝鮮で頑張れば、きっと幸せになれるというメッセージが込められていました。

北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人は一切の言論・表現の自由を奪われた


実際に帰国した元在日朝鮮人たちはその後どうなったのでしょうか。この件についてはすでに多くの文献があります。24年前のアエラ記事は初期の文献の一つです。

北朝鮮は楽園どころか、言論・表現の自由が全くない全体主義国でした。体制批判を口にして密告されたら、当局により直ちに処罰され山奥等に追放されてしまいます。

昭和34年(1959年)から昭和59年(1984年)まで実施された、在日朝鮮人による北朝鮮への集団的帰還事業(帰国事業)で、約93000人が北朝鮮に帰国しました。そのうち日本国籍所有者は約6000人でした。

相当数の元在日朝鮮人が行方不明になってしまいました。その中には、政治犯収容所に連行され、囚人労働を強いられた人もいました。

何かの拍子で、体制に関する不平不満を口にしてしまった在日朝鮮人は少なくなかったはずです。それが命取りになったことが少なくないようです。

前出のアエラ記事によれば、彫刻家を志していたある元在日朝鮮人はミケランジェロが尊敬できる人物だと仲間に話したことから、政治犯収容所に連行されたようです。

北朝鮮では、金日成、金正日以外に尊敬すべき人間は存在してはいけないのです。最近では金正恩も尊敬すべき人物に入っていますが。「21世紀の偉大な太陽」ですから。

「鳥もねずみも知らないうちにいなくなる」「山へ行った」


「政治犯」を収容所に連行するのは国家安全保衛部です。国家安全保衛部は深夜に「政治犯」の家に押し入り、「政治犯」一家をトラックで収容所に連行します。

「鳥もねずみも知らないうちにいなくなる」という隠語が、帰国した元在日朝鮮人から、彼らのところへ訪問した在日本朝鮮人総連合会関係者に伝えられています。

私は在日本朝鮮人総連合会の元幹部の方からその隠語を伺いました。「山へ行った」という隠語もあります。これは収容所でなく、山間僻地に強制移住させられたことを意味します。

「キューポラのある街」で描かれた貧しい在日朝鮮人一家のような方々は、平壌には住めなかったでしょう。

北朝鮮当局に巨額の寄付をしたか、在日本朝鮮人総連合会の幹部だったらような方なら平壌に住めました。平壌と地方では住民の待遇で大きな差があります。

貧しい元在日朝鮮人はハムギョン道など極寒で配給物資が少なく、生活条件が厳しい地域に配置された場合が多い。日本の親族が巨額の寄付をすれば平壌に移住できたでしょう。

どういうわけか、慈江道に配置された元在日朝鮮人は殆どいないようです。軍需工場がこの地域に多くあるからでしょうか。

日本にいた時の方がどれだけ豊かだったかと殆どの在日朝鮮人は後悔しました。帰国した元在日朝鮮人の一人で、平壌放送のアナウンサーだったある方は銃殺されてしまったようです。

「ようです」と書かざるを得ないのは、この情報は日本の親族(妹さん)が北朝鮮を訪問して当局から何とか得ただけでのものですから、確固たる証拠や証人はない。

北朝鮮では政治犯に裁判らしきものはありませんから、銃殺刑に処されても判決文が親族に渡されることはありません。

日本の親族としては、どうやら銃殺されたらしいという程度の情報しか得られないのです。

山間僻地への強制移住も、裁判所での審理を経て判決が出されてそうなったわけではない。単に当局により「配置転換」とされただけです。以降、日本の親族は一切連絡が取れなくなります。

「政治犯」が公開処刑される場合、親族が処刑場面を見ることを強制される場合もあります。

スパイ容疑や反革命容疑とやらで住民を銃殺ないしは政治犯にし囚人労働をさせるのが「地上の楽園」「千里馬のいきおいで社会主義を建設する共和国」だったのです。


日本共産党と在日本朝鮮人総連合会の宣伝を信じて在日朝鮮人は海を渡った


日本共産党と在日本朝鮮人総連合会の宣伝により北朝鮮を「千里馬のいきおいで社会主義を建設している共和国」「地上の楽園」などと信じている人は当時、少なくなかったのです。

故寺尾五郎氏の「38度線の北」(昭和34年新日本出版社刊)は、この時期に北朝鮮を礼賛した代表的な文献です。この本は在日朝鮮人の間でベストセラーになりました。

帰国事業の頃日本共産党と在日本朝鮮人総連合会は親密な関係を維持していました。昭和30年まで、在日朝鮮人の共産主義者は日本共産党員だったのですから。

昭和37年には「金日成選集」を日本共産党中央委員会出版部が発行し、新日本出版社が発売していたのです。

宮本顕治氏ら当時の日本共産党中央は、金日成の革命理論と実践から大いに学ぶべきものがあると判断したから、「金日成選集」を党員と国民に普及しようとしたのです。

当時、日本共産党が発行した「金日成選集」から「革命理論」を学んでいた在日朝鮮人はいくらでもいたでしょう。

不破哲三氏や聴濤弘氏の年代の日本共産党員なら、在日本朝鮮人総連合会の活動を熱心にしている友人のいる方はいくらでもいたはずです。

日本共産党は朝鮮労働党との共同声明で北朝鮮を礼賛した


宮本顕治(当時は日本共産党書記長)は昭和34年2月26日、27日に北朝鮮を訪問し、朝鮮労働党と共同コミュニケを作成し発表しました。

共同コミュニケで日本共産党代表団は、在日朝鮮人の帰国後の生活安定と子女の教育を保障すべき一切の準備がととのっていると断言しました。

宮本顕治氏はその後昭和36年、昭和41年にも訪朝していますが、しつこく北朝鮮を礼賛しています。

昭和41年3月21日の朝鮮労働党との共同声明によれば、北朝鮮は発展した社会主義的な工業・農業国に変わったそうです。

このあたりの事情は、吉良よし子議員や池内さおり議員は一切御存知ないことでしょう。聴濤弘氏(1935年生まれで日本共産党元参議院議員)は当時の事情をよく御存知のはずです。

聴濤弘氏は近年の著作で北朝鮮の凄惨な人権抑圧や、日本共産党が朝鮮労働党との共同声明で北朝鮮を礼賛した史実について完全に沈黙しています。

北朝鮮の凄惨な人権抑圧や、日本共産党が北朝鮮を礼賛した歴史を、聴濤弘氏が知らないはずがない。

北朝鮮の人権抑圧を批判すると、兵本達吉氏(元日本共産党国会議員秘書)や萩原遼氏(元「赤旗」記者)のように日本共産党から叩き出されてしまうかもしれないから、黙っていようという判断なのでしょう。

共産主義者とは、自らの保身を最重視する人間なのです。在日本朝鮮人総連合会の皆さんも同様の視点から、金日成、金正日そして金正恩に隷属してきました。

宮本顕治氏は朝鮮労働党に、行方不明になった元在日朝鮮人の安否照会を行ったのでは?


これは私の推測です。文献上の証拠はありませんが、1960年代まで在日朝鮮人と日本共産党が親密な関係を有していたことを考慮すると、私にはそうとしか思えないのです。

1960年代後半には、すでに相当数の元在日朝鮮人が行方不明になっていました。日本の親族はなぜ連絡が取れないのか、心配で心配でどうしようもなかったはずです。

親兄弟が行方不明になったら、誰でもそうなります。

日本の親族は在日本朝鮮人総連合会にまずは本国に安否を尋ねてくれるよう、要請したでしょうが在日本朝鮮人総連合会がそんな面倒なことをやるはずもない。

それならば、北朝鮮に何度も訪問し、平壌に「赤旗」特派員を常駐させている日本共産党に親族の安否照会を依頼するしかないと判断した在日朝鮮人はいくらでもいたはずです。

宮本顕治氏ら当時の日本共産党中央がこれを断る理由はない。

昭和43年8月から9月の朝鮮労働党との会談で、宮本顕治氏は行方不明になった元在日朝鮮人らの安否照会を朝鮮側に行ったとしか私には思えないのです。

金日成がそんな要求に応えるはずがない。昭和43年8月、9月の両党会談に参加した不破哲三氏なら、事実をよく知っているはずです。

故上田耕一郎氏は、「北朝鮮 覇権主義への反撃」で北朝鮮の人権抑圧を少しだけ取り上げています。前の会談に参加した朝鮮労働党大幹部が消息不明になっていたという話をしています。

北朝鮮の人権抑圧には「見ざる・言わざる・聞かざる」の日本共産党


いずれにせよ、北朝鮮の人権抑圧と日本共産党による北朝鮮礼賛の歴史は吉良よし子議員ら若い日本共産党員が知ってはならない事実と史実です。

北朝鮮の人権抑圧については、「見ざる、言わざ、聞かざる」を貫けという趣旨の指令が不破哲三氏により何らかの経路で日本共産党大幹部、元幹部に出されている可能性を指摘しておきます。

聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)や寺前巌氏(日本共産党元衆議院議員)、橋本敦氏(日本共産党元参議院議員)らは不破哲三氏の意向を知っているでしょうから、今後も北朝鮮の人権抑圧に沈黙し続けるでしょう。

共産主義者は、最高指導者に隷属するのです。






2016年6月4日土曜日

宮崎市定「雍正帝 中国の独裁君主」(中公文庫)より思う

雍正帝の即位は西紀1722年、ロシアのピーター大帝に少しく遅れ、プロシアのフレデリック大王に少しく先んじ、わが国では徳川八代将軍吉宗の中期に相当する(同書p9-10より)。


故宮崎市定京大教授(1901-95)は、東洋史の知る人ぞ知る大家です。

独裁制を論ずるためには、その代表的な実例を一つ一つ取上げて真相を究明してゆくのが我々に与えられた課題であろう、と宮崎教授はこの本のはしがきで語っています。

僭越ながら、私は独裁制の理論化を課題としています。大家には及びもつきませんが、日々の努力を怠らないようにせねばなりませんね。

宮崎教授が描き出した雍正帝は、夜は十時、十二時に寝て朝は四時以前に起床し政務に没頭する努力家です。中国を完全に統治するためには、自身が中国流の独裁者にならねばならない。

独裁者は細心な努力家でないと務まらない。官僚の動きを把握せねばならないからです。宮崎教授はそれをいくつもの例をあげて説明しています。

はしがきの最後で宮崎教授は、歴史学の任務は過去の世界から意想外の事実を取出して紹介することにより、今まで何となしに形作られてきた歴史のイメージを訂正させることであると述べています。

この本は1950年に岩波新書として執筆されたそうですから、学術論文というより教養書です。雍正帝は数千年の伝統を有する中国の独裁政治の完成者であると宮崎教授は評価しています。

君主独裁制の下では皇太子も単なる一個の臣下に過ぎない


雍正帝は先代康熙帝の四番目の息子です。雍正帝の即位を、先代の康熙帝とその皇子たちとの葛藤から宮崎教授は語ります。

皇太子は皇帝候補者でしかないのですから、政治には関与できない。康熙帝は政治ボス化した皇太子を廃嫡し、臨終のときに四男を次の皇帝に指名しました。

宮崎教授によれば、読者がこの書によりいかにも中国に起こりそうなことばかり書いてあるという感じたのならそれは著者の意図ではないそうです。

しかし、中国に起こりそうなこと、すなわち中国史で繰り返されてきたことをこの書で確認し、現代中国に対する理解を深めていくという読み方もあるのではないでしょうか。

これは雍正帝の統治手法により独裁制を語るという宮崎教授の狙いに反してしまい、いささか恐縮です。

本書p91-92で宮崎教授は中国の官吏について次のように説明しています。

官僚と緊密に結びつく企業が独占利潤を得る


官吏の地位は財産家であって始めて得られるが、財産はまた官吏たる地位によって得られる。何となれば官吏と結託するのでなければ、如何なる企業も成立しないからである。

商業も工業も鉱業も、官吏との連繋のために、多額の資金が消費される。そして官権との緊密な連繋によって成立する企業、たとえば塩業のような独占事業ほど利潤が多い。

これでは正当な産業を起こすための資本が蓄積されるはずがない。利潤は大部分、政治ボスの懐に入って、無益な消費を促進するだけである。

そこで企業家は政治ボスに対する献金を埋め合わせるために、国家に対する納税を怠るか、或いは下に向かって労働を搾取するか、二つに一つの方法を選ばざるを得なくなる。

資本家が脱税御免ということになれば、国家財政は破綻せざるを得ないし、労働の搾取が極端までゆけば再生産が不可能に陥る。

王朝の末期にはたいていの場合、この二つの現象が並行して現れる。

宮崎教授のこの観察は、中国は官僚資本主義という命題にまとめられるでしょう。

雍正帝は官僚と資本の結合を断ち切ろうとした


p178で宮崎教授は、雍正帝は官僚と資本家の結合を断ち切ろうとしたと語っています。独裁制を維持するためには、皇帝に仕えて徴税や政務を実行する官僚が必要不可欠です。

しかし官僚が賄賂から巨額の蓄財をすれば、王朝への反感が強まり農民の反乱が生じかねない。

官僚は政権をもって資本を擁護し、資本はその利益の一部をさいて官僚の後ろ盾となっていました。18世紀の雍正帝の時代にも政官癒着による市場経済化という現象はあったのでしょう。

今日の中国では、中国共産党幹部が中央政府、地方政府で権限を用いて親族企業のために便宜をはかり巨額の資産を蓄積しています。これは中国史の特徴なのです。

大規模な農民反乱が直ちに起きるとは思えませんが、少し変わった宗教結社が徐々に支持を集め、王朝や政権に反抗していくのも中国史の特徴です。

「毛沢東思想」を信じる集団だった中国共産党は、そういう宗教結社の流れから理解すべきです。

J.F. Stiglitzの米国社会論と宮崎教授の中国官僚資本主義論


奇妙ですが、宮崎教授の中国官僚資本主義論は、米国経済学者Joseph. E. Stiglitzの米国社会論と共通する点が少なくないと感じました。

Stiglitzは「世界の99%を貧困にする経済」(The Price of Inequality、徳間書店刊。p76)で次のように語っています。

政治家と結びついた人間が所得の再分配の範囲を限定し、「ゲームのルール」を自分たちに都合よく作り上げ、公共部門から大きな「贈り物」をむしり取っている。

経済学者はこのような活動を、レントシーキングとよぶ。上層の人々は、残りの人々にほとんど気づかれることなく、残りの人々から金を吸い上げる方法を学んできた。

大統領を選挙で決める米国は独裁制ではありません。しかし、金儲けにいそしむ人間の姿は、いつの時代でも、どこでも同じなのでしょう。