2018年12月31日月曜日

続々・北朝鮮経済の資本主義化について イム・ウルチョル教授「北韓私金融の発展、影響と展望」より思う

個人営業は2004年から流行し始めた。当初、金持ち個人が当局の許可を得て営業を始めた。徐々に私金融が活性化し、個人営業者と投資者が分離した。(同論文p47より抜粋)。


2002年7月1日の経済管理改善措置以後の北朝鮮では、相当な勢いで経済の資本主義化が進んだと考えられます。

イム教授は、研究者が脱北者からのインタビュー調査により得た情報を再編成し、北朝鮮経済の変化を描き出しています。

北朝鮮の内閣、計画機構傘下の経済は第一経済と呼ばれます。第二経済は、朝鮮人民軍が管轄する経済です。第二経済委員会という組織があります。

第一経済は1990年代中頃以後の資材不足、原材料不足により稼働率が著しく低下し、所属する住民への配給ができなくなっていました。

しかし、この部門所属の企業所や工場が「銭主」に賄賂で移譲され、生産された製品を総合市場で販売することにより息を吹き返している例があるようです。

勿論、それぞれの企業には朝鮮労働党の組織が「指導」と称して監視をしているでしょう。

朝鮮労働党の企業担当幹部としても、銭主が経営者となって市場で製品を販売し、稼いでその一部が自分の懐に入るのなら文句はないはずです。

以下、この論文の興味深い点を抜粋して紹介します。金正恩が銭主の外貨獲得能力に依存せざるを得ない可能性を指摘しています。

「金が金を生む」私債市場、「石炭基地」という石炭採掘・運搬の下請け会社を銭主が運営


北朝鮮の住民によれば、北朝鮮は表では完全な社会主義だが、内部では市場原理が定着し『金が金を生む』私債市場が形成されていると述べている。

最近の脱北者への質問調査では、『金商売』(金貸し)で月平均50万ウォン以上の収益を得たものがおよそ50%になる。

銭主たちが投資をする代表は住宅市場である。北朝鮮では個人の住宅所有権は認められておらず、利用権のみだけである。

それでも、高価なアパートに対する投機がなされている。一部の党幹部は、10万ドル(一億ウォンあまり)を越える高級アパートをいくつか保有している。

石炭基地という、小規模の坑道を運営する小企業が増えてきた。

これは、新興富裕層と権力階層周辺の人々が軍や党など権力機構傘下の会社の看板を借りて設立し、国営の石炭鉱山の採炭と運搬を下請けで運営する会社である。

北朝鮮ではウォンも使用されているが、外貨が銀行貯蓄に代わり貨幣価値を保存する金融資産と評価されている。

外貨は、交換手段としても使われている。

北朝鮮の庶民も、市場で外貨により物資を購入できる。北朝鮮では人民元が普遍的な通貨になってきている。

銭主と呼ばれる新興富裕層と、彼らを庇護する富裕な権力層が形成されてきている。彼らは、忠誠度と出身成分を基礎とする北朝鮮社会に微妙な影響を与えつつある。

銭主は政治的に上層部にいる階層より身分安定という点では劣っている。

銭主は各種の不法活動または非社会主義活動に従事してきたので、必然的に権力層に依存せねばならない。

金正恩は外部からの外貨獲得が制裁で困難になってきているので、内部の私金融市場に外貨調達機能を高めさせる可能性がある。


金正恩は中国共産党流の政治、経済運営を考えているのか


金正恩は銭主の商業活動をかなり認めたと言えるでしょう。

旧ソ連で、新経済政策によりネップマンと呼ばれる富裕な商人層が現れました。

スターリンとソ連共産党はネップマンを危険視し、新経済政策を中止し計画経済に移行しました。

金正恩が豊かになった銭主を危険視する可能性はあります。彼らの一部を強権手段で弾圧しても、他の銭主がその市場を取るだけです。

金正恩は中国共産党のように、治安維持機構と朝鮮労働党による住民監視、支配機構を残して経済を資本主義化させ体制の維持、安定を図っているのかもしれません。

しかしこれは、恐らく故張成澤が考えていた道です。張成澤は金正恩をそのままにしておいては、中国共産党のようにはできないと考えた。

党の唯一思想体系確立の十大原則による住民支配をいつまでも続けていたら、多くの住民の思考力が麻痺させられてしまいます。

しかしこれを放棄したら、金正恩を首領様と祭り上げる人はいなくなってしまう。

金正恩がソウルを訪問したら、豊かで自由な韓国の実情を多くの住民が実感として把握してしまう。

金正恩と金与正の悩みは尽きないことでしょう。


2018年12月30日日曜日

続・北朝鮮経済の資本主義化について―イム・ウルチョル教授の論考「北韓私金融の発展、影響と展望」より思う

資本主義化していく北朝鮮経済ー銭主(トンジュ)が国有であるはずの工場や企業所を経営しているー


周知のように、ソ連、東欧の社会主義はおよそ20年前に崩壊しました。

今では、ソ連や東欧は資本主義になったと考えて良いでしょう。それでは資本主義とは何か。市場経済とどう違うのか。

これはかなり大きな問いです。

封建的な政治体制がなくなり、市場で人々が財を交換して生活しているなら資本主義なのか。

これなら、明治維新直後に日本は資本主義となった事になります。廃藩置県直後に資本主義、とは単純すぎる。

資本主義とそれ以前の市場経済の違いは何と考えるべきか


私見では財市場だけでなく労働市場と金融資産市場が広範囲に成立し、そこでの取引に誰でも参加できるようになっているなら、その国は資本主義です。

別言すれば、私企業経営や金融資産投資による利子、配当収入が公に認められ広範囲に成立しているなら資本主義です。

搾取制度が広範囲に存在していますから。

産業革命の成立を資本主義の基準とする場合もありますが、今の北朝鮮でそれを基準としたらだいぶ前に資本主義になっていることになる。

貨幣で財を購入できるが、企業を経営するための労働と資金を自由に調達できないなら資本主義とはいいがたい。

共産党(労働党)が社会を支配していても、労働市場と金融資産市場が広範囲に成立している中国、ベトナムは資本主義になっていると考えます。

農村で地主・小作人関係が広範に存在し、市場が点々と存在している途上国は資本主義経済ではない。

この観点では、北朝鮮は資本主義化しつつあるがまだ資本主義になっているとは言い難い。

インフォーマルな労働市場と金融資産市場(高利貸業が存在)はありますが、そこでの取引に誰でも参加できるようにはなっていない。

北朝鮮に株式会社は原則として存在しない。

在日朝鮮人が投資して作った工場などは株式会社の形態をとっているかもしれませんが、この場合事実上の経営者は朝鮮労働党の担当幹部です。

北朝鮮経済の資本主義化は金正恩にとって諸刃の剣


資本主義の定義について、研究せねばならない点は沢山ありますが、当面私はこのように考えました。

北朝鮮経済の資本主義化は、経済成長を実現し庶民の生活もそれなりに向上させますが、金正恩にとっては両刃の剣です。

銭主から朝鮮労働党への賄賂は、外貨の場合が多いでしょう。それの何割かは、金正恩の元に還流しうる。

これは金正恩にとって北朝鮮経済資本主義化の積極面です。しかし、以下のように金正恩への忠誠心弱体化がありえる。

朝鮮労働党幹部と協力して利益を得る人は、やり方によってはかなり豊かになる。

自分の力で財を成した人が、金正恩や朝鮮労働党への忠誠心など持つはずがない。

朝鮮労働党幹部も市場での取引で豊かになれるのなら、金正恩への忠誠など表面だけになる。

多くの人が、人生には様々な選択肢があるのだという事を実感すると、全社会の金日成・金正日主義化とやらに貢献しなくなる。

銭主とはそんな方々ですから。

様々な業種で生産手段が事実上、私有化されているー資金を融通する銭主、私金融


引き続きイム教授の前掲論文から、興味深い記述を抜粋して紹介します。

銭主(トンジュ)が投資や雇用を通して資本の拡大再生産をできるか否かが重要である。

北朝鮮では巨額の外貨資産保有者を銭主と呼んでいる。

銭主になるのは在日同胞、華僑、貿易や外貨稼ぎに従事している者、麻薬業者、密貿易者、労働党幹部の夫人、韓国に逃げた脱北者の家族など、出身成分は多様である。

既存研究では、銭主の類型を外貨稼ぎの銭主、総合市場での銭主、建設業の銭主と区分する場合があったが、市場経済の急成長によりこれより範囲が広くなった。

2009年に断行された貨幣改革措置は、北朝鮮の銀行の安全性への信頼度を決定的に落とした。

住民の中に外貨選好が広がり、私金融市場が膨張した。

北朝鮮当局は2003年5月、市場の管理運営に関する内閣決定27号により総合市場の運営を合法化し、工業製品の販売も認めた。

2002年7月1日経済管理改善措置以後、市場空間が拡大し、個人営業の範囲が増えた。資本家の活動範囲が広がった。

賄賂をわたし、企業所の名義を借りて土地を買い、アパートを建設して高価格で販売する人が出てきた。

銭主たちは国家機関の名義で貿易会社を作り、裏取引を始めた。

銭主と企業所、そして国家機関が相互に助け合い、共生して公式、非公式の利益共有を始めた。

市場で商売を始めるための元金を30%に達する高金利で貸す銭主もいる。

北朝鮮では、生産手段の私有化は制限的にしか認められていないが市場化が進展し、サービス業だけでなく製造業、農業、水産業、鉱業まで私有化が広がっている。

これらの動向を裏面で、私金融が支えている事は当然である。

本日はここまでにします。またの機会に、さらに北朝鮮経済の資本主義化について論じます。






2018年12月22日土曜日

北朝鮮経済の資本主義化についてーイム・ウルチョル教授「北韓私金融の発展、影響と展望」(KDI北韓経済レビュー、2016年4月号掲載論考)より思う

「北朝鮮の市場経済化、実質的な私有化は私金融と密接な関係がある。..今の北朝鮮では金融市場は公式的には存在しないが、全ての非公式市場での取引は同時に私的金融であると言っても過言ではない」(同論文の序論より抜粋)。


北朝鮮は今後どうなっていくのか。この問題を考えるためには米朝交渉など政治、外交面での分析は大事ですが、社会と経済の面からの現状分析も必要不可欠です。

金正日は党経済、宮廷経済と呼ばれる外貨稼ぎ部門を70年代に作りました。

この部門が稼ぐ外貨を、金正日は核軍拡と自分の贅沢三昧資金に配分してきました。

金正日は、党経済部門の企業やその他の企業が得た外貨を勝手に処分せず自分の元に出せ、という指令を出していたようです。

私にはそのような指令文書を直接見ることはできませんが、金正日の著作には外貨供出指令を示唆するものがあります。

「財政・銀行部門の活動を改善、強化するためにー全国財政・銀行部門活動家大会の参加者に送った書簡―」(1990年9月13日、金正日選集第10巻掲載、朝鮮・平壌外国文出版社刊行)に次の記述があります。

「人民経済各部門の機関、企業所では獲得した外貨を貿易銀行に集中させ、国家の承認を得て外貨を利用する規律を守り、国家の統制を離れて外貨の取引をしたり利用することのないようにすべきです」

「とくに、国内で外貨を流通させたり、機関、企業所間に外貨で取引することのないように統制しなければなりません」

これと同趣旨の金正日の「お言葉」が存在し、朝鮮労働党を通じて外貨稼ぎを行う部門や、計画経済部門に指令されてきたことでしょう。

北朝鮮経済の市場経済化と「苦難の行軍」


いつの時点からか正確にはわかりませんが、北朝鮮では人々は国家の統制を離れて外貨の取引をするようになっていきました。

金正日の「お言葉」は守られなくなっていったのです。

上記では、外貨供出指令は人民経済各部門に充てられていますが、宮廷経済部門や人民軍の経済部門には全額供出指令が出ていたかどうか、疑問です。

金正日は党経済部門の各企業幹部や、人民軍には、稼いだ外貨額の一部を与えていたのではないでしょうか。

金正日から外貨をもらった幹部は、必要物資を得るためにそれを使う。外貨は徐々に、北朝鮮社会に流れていったと考えられます。

90年代後半の「苦難の行軍」と呼ばれる飢饉の時期、北朝鮮では大量の餓死者が出ました。餓死者の正確な数は不明ですが、100万人以上になってもおかしくない。

この時期、物資の流通が滞り、内閣が管轄する計画経済部門の企業の多くが操業度低下を余儀なくされました。

庶民はそれまで、計画経済で生産される物資の配給を受け取って生活していたのですが、配給が途切れたら自分で生計の糧を得るしかない。

闇市場で大儲けした「銭主」(トンチュ)


闇市場が全国的に広がり、北朝鮮の社会経済は市場経済化した。闇市場では、外貨も取引されるようになった。

外貨とは米ドル、日本円、中国の元、欧州のユーロなどです。

その中で、商才のある人々は資産をかなり蓄積し、「銭主」(朝鮮語でトンチュ)と呼ばれるようになった。

「銭主」たちは今や、蓄積した資金を元手に闇の金貸し業も行っているようです。

イム教授は銭主達がどのように、私金融を通して北朝鮮の市場経済化を促進してきたかを論じています。

銭主たちはどのように北朝鮮の市場経済化を促進しているか―資本主義化


以下、この論文の興味深い記述を抜き書きしておきます。

・北朝鮮では私金融は個人間で始まり、近年では個人と企業、共同団体、国家機関間での金融取引が始まっている。

・北朝鮮全国で市場が形成されている。国家の製品を販売する国営百貨店と商店は、銭主個人が出す投資性資金で物品を中国から仕入れ販売する。

・国家の名義を活用しているので、彼らの活動には合法性がある。

・原材料供給のため、中国と合作投資し、製品を生産し、臨時加工業を行う場合もある。

・銭主間の共同投資により、中国から原材料を購入し工場や企業所を経営する場合もある。

・銭主たちは国営の工場、企業所を賃貸し私的利益追求のために使う場合もある。

・銭主とは何かを判断するとき、彼らが資本の投資と雇用を通して資本の拡大再生産をしようとしているかどうかが大事である。

この論文には他にも興味深い記述が多々ありますが、本日はここまでにします。またの機会に紹介します。


2018年12月2日日曜日

津田孝氏(日本共産党幹部会員)による霜多正次批判「現代の危機をどうとらえるか―霜多正次「南の風」を中心にー」より思う

「『核抑止力』論や『力の均衡』論などへの批判は必要であるとしても、帝国主義戦力の包囲のなかで、遅れた歴史的条件に制約されつつ、社会主義を発展させた防衛力強化の政策を、資本主義国家の『富国強兵策』と同列視するのも、山里教授の試論が含む問題点である」(津田孝「民主主義文学とは何か」昭和62年新日本出版社刊行、p195より抜粋)。


昭和62年頃の日本共産党は上記のように、ソ連や中国の核軍事力保有を「社会主義を発展させた防衛力強化の政策」と把握していました。

これは、レーニンの帝国主義論や当時の日本共産党綱領から導かれる当然の結論です。

上田耕一郎「マルクス主義と平和運動」(大月書店刊行)の見地と同じです。山里教授とは、「南の風」に登場する人物です。

「南の風」が執筆された頃の中国は、「改革・開放」開始以降4年くらいです。

「新中国」は昔から富国強兵策をとっていたとみなすべきでしょう。朝鮮戦争への参戦は大韓民国への侵略です。

津田孝氏は日本共産党でプロレタリア文学運動の指導を担当していた


津田孝氏は、日本共産党でプロレタリア文学運動(民主主義文学運動ともいう)の指導を担当なさっていた方です。

津田孝氏は、「民主文学」昭和58年5月号で霜多正次の「南の風」を批判する評論「現代の危機をどうとらえるか―霜多正次『南の風』を中心にー」を発表しました。

この文章は、昭和62年発行の「民主主義文学とは何か」にも掲載されています。

「民主主義文学とは何か」には、「『南の風』再論―批判者への回答として」という評論も掲載されています。

津田氏に対して、霜多氏だけでなく民主主義文学同盟の会員からかなりの批判があったようです。

後者の論考で津田氏は、「南の風」登場人物の数々の発言を取り上げ、それらが作者の霜多正次の思想の現れとみなし例えば次のように論じています。

・主人公の田港和子の故郷であるN村の「住民本位の自主的なムラづくり」については、その推進力となっているはずのN村における共産党をはじめとする革新的な政治勢力を、

作者は文学的形象として描かず、農業経済学者である塚本恒夫に、「農村の共同体」見直し論を語らせることで具体的描写にかえている。

・作者が今日の革新的な運動に対する懐疑的な態度を深め、その生彩あるリアルな描写ができなくなっていることを意味している。

その原因は、世界政治の問題では、とくに社会主義大国にあらわれた否定的現象から、作者自身が社会主義への復元力への核心と展望を失っていることである。

プロレタリア文学運動に参加する作家は、作品を通じて日本革命に貢献すべきである


日本共産党、日本革命理論の視点からみれば、プロレタリア文学運動に参加している作家は作品を通じて日本革命に貢献すべきです。

津田氏から見れば、霜多正次氏が何かの理由で日本共産党の日本革命論に疑問を持ち始めた。

そこで霜多氏の作品では、登場する日本共産党員が日本共産党の政策や平和運動の意義を十分に語れなくなった。

だからこの小説は駄目だ、という話です。

津田氏の主張は、日本共産党の日本革命理論から見れば当然なのでしょう。

しかしその日本革命理論そのものが現実から遊離した内容だったら、プロレタリア文学運動参加者はどうするのでしょうか。

社会主義国の核軍事力が防衛的だ、社会主義には復元力があるなどという津田氏の主張は、ソ連や中国、北朝鮮による核軍拡と侵略の歴史を考えればあまりにも非現実的です。

レーニンの帝国主義論では、戦争は金融資本、帝国主義が起こすことになっています。

金融資本がないはずの社会主義国が日本への侵略を策しているなど荒唐無稽だ、と日本共産党員は今でも考えている。

これでは、プロレタリア文学運動が徐々に影響力を失っていくのも当然です。

日本革命、世界革命はない―日本共産党の社会主義論、日本革命論は荒唐無稽―


日本共産党員としてプロレタリア文学運動、民主主義文学運動に参加している方々には、津田氏の非現実的な社会主義論が、運動に破滅的な影響を与えた事を考えて頂きたい。

小説の登場人物がどんな政治的見解を持っていようと、それは大した問題ではない。

日本革命、世界革命などありえないのですから。

生産手段は私的に所有されてこそ、資源が効率的に運営され、経済厚生が高まる。

資本主義経済で完全雇用を常に達成するのは困難ですが、適切な財政・金融政策の実行や経済成長政策で努力するしかない。

経済成長が徐々にでも実現できれば、人々の暮らしは少しずつでも改善されていきます。

社会運動に参加する人々の内面の葛藤や、論理の衝突などの人間模様が描かれているなら良いと私は考えますが、いかがでしょうか。

霜多正次「南の風」(昭和57年新日本出版社刊行)より思う。

「高校を卒業して、東京にあこがれて短大に入ったのは、ちょうど沖縄返還運動がたけなわだった1970年だった。あれ以来いろんなことがあったが、その青春の九年間があっという間に過ぎた感じである。」(同書p8より抜粋)。


最近、沖縄についていろいろな本を読んでいます。

沖縄生まれの作家霜多正次は、故郷沖縄の現状について、生涯書き続けました。

霜多の「ちゅらかさ」(「四月号」問題、以下は同書p209-215による)によれば、「南の風」は日本共産党幹部会員(当時)の津田孝氏により次のように批判されました。

共産主義者たちの先駆的なたたかいの意義を歴史的、発展的に見ていない。

これは「民主文学」という雑誌の座談会での事です。

日本共産党とプロレタリア文学運動(民主主義文学運動とも呼ばれる)の関係についてよく知らない方は、政党の一職員が小説を批判したからといってどうなんだ、と思うでしょう。

良かれあしかれ、プロレタリア文学運動は日本共産党の強い影響下にある文学者の社会運動です。

自民党や公明党の議員が、プロレタリア文学作家の小説についてつまらない、設定に無理がある等とどこかの雑誌で言っても、その小説の著者は苦笑いするだけでしょう。

日本共産党幹部会員である津田孝から批判されるという事は、民主主義文学運動から何かの理由で排除されてしまうかもしれないという事を意味しています。

津田孝論文と、座談会が載った「民主文学」5月号が書店に出た昭和58年4月初めには、民主主義文学同盟は異常な事態に追い込まれたそうです。

この件については別の機会に考えます。

プロレタリア文学をなぜ私が読むのか


日本共産党、左翼を批判している私がプロレタリア文学をなぜ読むのか、という方がいるかもしれません。

民主主義文学同盟とは小林多喜二、宮本百合子らプロレタリア文学運動の後継者を自認する人々が作っている団体です。

私は、プロレタリア文学運動の政治観には到底同意できません。

プロレタリア文学、評論というより、単なるソ連礼賛論ではないか、と思えるものもあります。

しかしその小説が左翼運動に参加している人々がどういう価値観、世界観あるいは人間観を持ち、様々な課題にぶつかりながら、苦悩しているかを描いているなら、存在意義がある。

平和と民主主義のために戦うと称するなら、戦争はなぜ生じるかを自分なりに理論と歴史から考えねばならないはずです。

これについては、左翼の中でも一致しているわけではない。左翼の中で必ず衝突が生じます。衝突の真っ只中にいる方々は深く苦しまざるを得ない。

その内心の苦しみを描く事も、プロレタリア文学の使命ではないでしょうか。

「南の風」は沖縄左翼の視点がよくわかる


津田孝氏が酷評した「南の風」ですが、昭和54年頃の左翼運動家から見た沖縄の実情がよくわかります。

沖縄は日本共産党だけでなく、新左翼の運動家が多いことでも知られています。「南の風」には新左翼の教員たちの論理も描かれています。

主人公の田港和子は昭和45年に高校を卒業したのでしょうから、昭和26年頃の生まれです。

物語は昭和54年ですから、28歳くらいです。平成30年の今、67歳くらいになっている沖縄の女性の物語です。

和子は東京の短大を卒業後、全共闘の運動に参加していた男性と知り合い結婚しますが、彼の世界観についていけず離婚し、故郷の沖縄に飛行機で帰ってきます。

機内で、後に魅かれていく福地国生と会います。

福地は30代前半で、那覇の中学の社会科教師です。中学の国語教師の妻、京子と二人の子供がいます。上の子はもうすぐ小学校一年生です。

国生は「団塊の世代」に属していることになります。この世代には、若い頃左翼運動に参加した方が実に多い。

ベトナム戦争の頃に、大学生だった世代ですから。

70年安保改定反対!を叫んだ方の中には、その後各地で中高の教員あるいは塾の教師になった方が多かったことでしょう。

その方々は今は70歳くらいになっています。日本各地で、左翼運動に参加した方々の人生模様はどうだったのでしょうね。

プロレタリア文学運動の小説を読むと、そんな想像を膨らませることができます。

プロレタリア文学は、日本社会を左翼運動史という角度から見ることができるという点で面白い。

霜多正次は沖縄の軍用地料が高すぎることを指摘していた


機内で国生は、和子に沖縄の現状についていろいろ力説します。

国生によれば沖縄経済は政府の行政投資と観光収入で持っている「他立経済」で、利益は本土に持っていかれるから「ザル経済」。

しかし行政投資と観光収入の額が大きいので、その落ちこぼれにより復帰後に県民所得は三倍になった。「他立経済」の落ちこぼれで甘い汁を吸っている人もいる(p14)。

軍用地料が十倍にはね上がると、多くの地主が基地返還を言わなくなった。

中には、米軍から返還された土地も、引き続き防衛施設局が借りてくれるように要請する地主もいる(p160)。

軍用地料については、来間泰男教授の実証的な研究が知られています(「沖縄経済の幻想と現実」平成10年日本経済評論社刊行)。

霜多正次も早くから問題点を指摘していたのです。

沖縄の方ならこれは常識だったのかもしれませんが、今でもこれはタブーのようです。

「南の風」は二人の物語はこれから、というところで終わっている


国生は和子と繰り返し会い、北部にある故郷のN村での村づくり、農業振興による故郷の経済発展に従事しつつある和子に魅かれていきます。

小説は愛情を抱き始めた二人が今後どうするか、真剣に考えだしたところで終わってしまいます。この終わり方が、私は気に入らない。

和子との仲を国生の妻、京子が知ったら黙って身を引くでしょうか。

沖縄は親族間の紐帯が強いそうですが、二人の親族はそれぞれ二人の今後についてどういうでしょうか。

国生は可愛い盛りの子供達を置いて和子の元に行けるのでしょうか。

和子の元に行ったとしても、国生の子供達への思いが消えるとは考えられない。和子はそれを許容できるでしょうか。

作者としてはまだまだ構想があったのではないでしょうか。

酷評になってしまいますが、この終わり方では小説というより、マルクス主義から見た沖縄政治経済論の作品だ、と言えないこともないように感じました。

国生の沖縄経済論だけでなく、N村を訪れている大学教授による農村の発展構想も面白い。

津田孝氏の批判と、小田実氏が「民主文学」昭和58年4月号に寄稿した文章より派生した民主主義文学同盟の大騒動を思うと、続きを書きづらかったのかもしれません。

津田孝氏による「南の風」批判については、またの機会に論じます。