2018年12月31日月曜日

続々・北朝鮮経済の資本主義化について イム・ウルチョル教授「北韓私金融の発展、影響と展望」より思う

個人営業は2004年から流行し始めた。当初、金持ち個人が当局の許可を得て営業を始めた。徐々に私金融が活性化し、個人営業者と投資者が分離した。(同論文p47より抜粋)。


2002年7月1日の経済管理改善措置以後の北朝鮮では、相当な勢いで経済の資本主義化が進んだと考えられます。

イム教授は、研究者が脱北者からのインタビュー調査により得た情報を再編成し、北朝鮮経済の変化を描き出しています。

北朝鮮の内閣、計画機構傘下の経済は第一経済と呼ばれます。第二経済は、朝鮮人民軍が管轄する経済です。第二経済委員会という組織があります。

第一経済は1990年代中頃以後の資材不足、原材料不足により稼働率が著しく低下し、所属する住民への配給ができなくなっていました。

しかし、この部門所属の企業所や工場が「銭主」に賄賂で移譲され、生産された製品を総合市場で販売することにより息を吹き返している例があるようです。

勿論、それぞれの企業には朝鮮労働党の組織が「指導」と称して監視をしているでしょう。

朝鮮労働党の企業担当幹部としても、銭主が経営者となって市場で製品を販売し、稼いでその一部が自分の懐に入るのなら文句はないはずです。

以下、この論文の興味深い点を抜粋して紹介します。金正恩が銭主の外貨獲得能力に依存せざるを得ない可能性を指摘しています。

「金が金を生む」私債市場、「石炭基地」という石炭採掘・運搬の下請け会社を銭主が運営


北朝鮮の住民によれば、北朝鮮は表では完全な社会主義だが、内部では市場原理が定着し『金が金を生む』私債市場が形成されていると述べている。

最近の脱北者への質問調査では、『金商売』(金貸し)で月平均50万ウォン以上の収益を得たものがおよそ50%になる。

銭主たちが投資をする代表は住宅市場である。北朝鮮では個人の住宅所有権は認められておらず、利用権のみだけである。

それでも、高価なアパートに対する投機がなされている。一部の党幹部は、10万ドル(一億ウォンあまり)を越える高級アパートをいくつか保有している。

石炭基地という、小規模の坑道を運営する小企業が増えてきた。

これは、新興富裕層と権力階層周辺の人々が軍や党など権力機構傘下の会社の看板を借りて設立し、国営の石炭鉱山の採炭と運搬を下請けで運営する会社である。

北朝鮮ではウォンも使用されているが、外貨が銀行貯蓄に代わり貨幣価値を保存する金融資産と評価されている。

外貨は、交換手段としても使われている。

北朝鮮の庶民も、市場で外貨により物資を購入できる。北朝鮮では人民元が普遍的な通貨になってきている。

銭主と呼ばれる新興富裕層と、彼らを庇護する富裕な権力層が形成されてきている。彼らは、忠誠度と出身成分を基礎とする北朝鮮社会に微妙な影響を与えつつある。

銭主は政治的に上層部にいる階層より身分安定という点では劣っている。

銭主は各種の不法活動または非社会主義活動に従事してきたので、必然的に権力層に依存せねばならない。

金正恩は外部からの外貨獲得が制裁で困難になってきているので、内部の私金融市場に外貨調達機能を高めさせる可能性がある。


金正恩は中国共産党流の政治、経済運営を考えているのか


金正恩は銭主の商業活動をかなり認めたと言えるでしょう。

旧ソ連で、新経済政策によりネップマンと呼ばれる富裕な商人層が現れました。

スターリンとソ連共産党はネップマンを危険視し、新経済政策を中止し計画経済に移行しました。

金正恩が豊かになった銭主を危険視する可能性はあります。彼らの一部を強権手段で弾圧しても、他の銭主がその市場を取るだけです。

金正恩は中国共産党のように、治安維持機構と朝鮮労働党による住民監視、支配機構を残して経済を資本主義化させ体制の維持、安定を図っているのかもしれません。

しかしこれは、恐らく故張成澤が考えていた道です。張成澤は金正恩をそのままにしておいては、中国共産党のようにはできないと考えた。

党の唯一思想体系確立の十大原則による住民支配をいつまでも続けていたら、多くの住民の思考力が麻痺させられてしまいます。

しかしこれを放棄したら、金正恩を首領様と祭り上げる人はいなくなってしまう。

金正恩がソウルを訪問したら、豊かで自由な韓国の実情を多くの住民が実感として把握してしまう。

金正恩と金与正の悩みは尽きないことでしょう。


2018年12月30日日曜日

続・北朝鮮経済の資本主義化について―イム・ウルチョル教授の論考「北韓私金融の発展、影響と展望」より思う

資本主義化していく北朝鮮経済ー銭主(トンジュ)が国有であるはずの工場や企業所を経営しているー


周知のように、ソ連、東欧の社会主義はおよそ20年前に崩壊しました。

今では、ソ連や東欧は資本主義になったと考えて良いでしょう。それでは資本主義とは何か。市場経済とどう違うのか。

これはかなり大きな問いです。

封建的な政治体制がなくなり、市場で人々が財を交換して生活しているなら資本主義なのか。

これなら、明治維新直後に日本は資本主義となった事になります。廃藩置県直後に資本主義、とは単純すぎる。

資本主義とそれ以前の市場経済の違いは何と考えるべきか


私見では財市場だけでなく労働市場と金融資産市場が広範囲に成立し、そこでの取引に誰でも参加できるようになっているなら、その国は資本主義です。

別言すれば、私企業経営や金融資産投資による利子、配当収入が公に認められ広範囲に成立しているなら資本主義です。

搾取制度が広範囲に存在していますから。

産業革命の成立を資本主義の基準とする場合もありますが、今の北朝鮮でそれを基準としたらだいぶ前に資本主義になっていることになる。

貨幣で財を購入できるが、企業を経営するための労働と資金を自由に調達できないなら資本主義とはいいがたい。

共産党(労働党)が社会を支配していても、労働市場と金融資産市場が広範囲に成立している中国、ベトナムは資本主義になっていると考えます。

農村で地主・小作人関係が広範に存在し、市場が点々と存在している途上国は資本主義経済ではない。

この観点では、北朝鮮は資本主義化しつつあるがまだ資本主義になっているとは言い難い。

インフォーマルな労働市場と金融資産市場(高利貸業が存在)はありますが、そこでの取引に誰でも参加できるようにはなっていない。

北朝鮮に株式会社は原則として存在しない。

在日朝鮮人が投資して作った工場などは株式会社の形態をとっているかもしれませんが、この場合事実上の経営者は朝鮮労働党の担当幹部です。

北朝鮮経済の資本主義化は金正恩にとって諸刃の剣


資本主義の定義について、研究せねばならない点は沢山ありますが、当面私はこのように考えました。

北朝鮮経済の資本主義化は、経済成長を実現し庶民の生活もそれなりに向上させますが、金正恩にとっては両刃の剣です。

銭主から朝鮮労働党への賄賂は、外貨の場合が多いでしょう。それの何割かは、金正恩の元に還流しうる。

これは金正恩にとって北朝鮮経済資本主義化の積極面です。しかし、以下のように金正恩への忠誠心弱体化がありえる。

朝鮮労働党幹部と協力して利益を得る人は、やり方によってはかなり豊かになる。

自分の力で財を成した人が、金正恩や朝鮮労働党への忠誠心など持つはずがない。

朝鮮労働党幹部も市場での取引で豊かになれるのなら、金正恩への忠誠など表面だけになる。

多くの人が、人生には様々な選択肢があるのだという事を実感すると、全社会の金日成・金正日主義化とやらに貢献しなくなる。

銭主とはそんな方々ですから。

様々な業種で生産手段が事実上、私有化されているー資金を融通する銭主、私金融


引き続きイム教授の前掲論文から、興味深い記述を抜粋して紹介します。

銭主(トンジュ)が投資や雇用を通して資本の拡大再生産をできるか否かが重要である。

北朝鮮では巨額の外貨資産保有者を銭主と呼んでいる。

銭主になるのは在日同胞、華僑、貿易や外貨稼ぎに従事している者、麻薬業者、密貿易者、労働党幹部の夫人、韓国に逃げた脱北者の家族など、出身成分は多様である。

既存研究では、銭主の類型を外貨稼ぎの銭主、総合市場での銭主、建設業の銭主と区分する場合があったが、市場経済の急成長によりこれより範囲が広くなった。

2009年に断行された貨幣改革措置は、北朝鮮の銀行の安全性への信頼度を決定的に落とした。

住民の中に外貨選好が広がり、私金融市場が膨張した。

北朝鮮当局は2003年5月、市場の管理運営に関する内閣決定27号により総合市場の運営を合法化し、工業製品の販売も認めた。

2002年7月1日経済管理改善措置以後、市場空間が拡大し、個人営業の範囲が増えた。資本家の活動範囲が広がった。

賄賂をわたし、企業所の名義を借りて土地を買い、アパートを建設して高価格で販売する人が出てきた。

銭主たちは国家機関の名義で貿易会社を作り、裏取引を始めた。

銭主と企業所、そして国家機関が相互に助け合い、共生して公式、非公式の利益共有を始めた。

市場で商売を始めるための元金を30%に達する高金利で貸す銭主もいる。

北朝鮮では、生産手段の私有化は制限的にしか認められていないが市場化が進展し、サービス業だけでなく製造業、農業、水産業、鉱業まで私有化が広がっている。

これらの動向を裏面で、私金融が支えている事は当然である。

本日はここまでにします。またの機会に、さらに北朝鮮経済の資本主義化について論じます。






2018年12月22日土曜日

北朝鮮経済の資本主義化についてーイム・ウルチョル教授「北韓私金融の発展、影響と展望」(KDI北韓経済レビュー、2016年4月号掲載論考)より思う

「北朝鮮の市場経済化、実質的な私有化は私金融と密接な関係がある。..今の北朝鮮では金融市場は公式的には存在しないが、全ての非公式市場での取引は同時に私的金融であると言っても過言ではない」(同論文の序論より抜粋)。


北朝鮮は今後どうなっていくのか。この問題を考えるためには米朝交渉など政治、外交面での分析は大事ですが、社会と経済の面からの現状分析も必要不可欠です。

金正日は党経済、宮廷経済と呼ばれる外貨稼ぎ部門を70年代に作りました。

この部門が稼ぐ外貨を、金正日は核軍拡と自分の贅沢三昧資金に配分してきました。

金正日は、党経済部門の企業やその他の企業が得た外貨を勝手に処分せず自分の元に出せ、という指令を出していたようです。

私にはそのような指令文書を直接見ることはできませんが、金正日の著作には外貨供出指令を示唆するものがあります。

「財政・銀行部門の活動を改善、強化するためにー全国財政・銀行部門活動家大会の参加者に送った書簡―」(1990年9月13日、金正日選集第10巻掲載、朝鮮・平壌外国文出版社刊行)に次の記述があります。

「人民経済各部門の機関、企業所では獲得した外貨を貿易銀行に集中させ、国家の承認を得て外貨を利用する規律を守り、国家の統制を離れて外貨の取引をしたり利用することのないようにすべきです」

「とくに、国内で外貨を流通させたり、機関、企業所間に外貨で取引することのないように統制しなければなりません」

これと同趣旨の金正日の「お言葉」が存在し、朝鮮労働党を通じて外貨稼ぎを行う部門や、計画経済部門に指令されてきたことでしょう。

北朝鮮経済の市場経済化と「苦難の行軍」


いつの時点からか正確にはわかりませんが、北朝鮮では人々は国家の統制を離れて外貨の取引をするようになっていきました。

金正日の「お言葉」は守られなくなっていったのです。

上記では、外貨供出指令は人民経済各部門に充てられていますが、宮廷経済部門や人民軍の経済部門には全額供出指令が出ていたかどうか、疑問です。

金正日は党経済部門の各企業幹部や、人民軍には、稼いだ外貨額の一部を与えていたのではないでしょうか。

金正日から外貨をもらった幹部は、必要物資を得るためにそれを使う。外貨は徐々に、北朝鮮社会に流れていったと考えられます。

90年代後半の「苦難の行軍」と呼ばれる飢饉の時期、北朝鮮では大量の餓死者が出ました。餓死者の正確な数は不明ですが、100万人以上になってもおかしくない。

この時期、物資の流通が滞り、内閣が管轄する計画経済部門の企業の多くが操業度低下を余儀なくされました。

庶民はそれまで、計画経済で生産される物資の配給を受け取って生活していたのですが、配給が途切れたら自分で生計の糧を得るしかない。

闇市場で大儲けした「銭主」(トンチュ)


闇市場が全国的に広がり、北朝鮮の社会経済は市場経済化した。闇市場では、外貨も取引されるようになった。

外貨とは米ドル、日本円、中国の元、欧州のユーロなどです。

その中で、商才のある人々は資産をかなり蓄積し、「銭主」(朝鮮語でトンチュ)と呼ばれるようになった。

「銭主」たちは今や、蓄積した資金を元手に闇の金貸し業も行っているようです。

イム教授は銭主達がどのように、私金融を通して北朝鮮の市場経済化を促進してきたかを論じています。

銭主たちはどのように北朝鮮の市場経済化を促進しているか―資本主義化


以下、この論文の興味深い記述を抜き書きしておきます。

・北朝鮮では私金融は個人間で始まり、近年では個人と企業、共同団体、国家機関間での金融取引が始まっている。

・北朝鮮全国で市場が形成されている。国家の製品を販売する国営百貨店と商店は、銭主個人が出す投資性資金で物品を中国から仕入れ販売する。

・国家の名義を活用しているので、彼らの活動には合法性がある。

・原材料供給のため、中国と合作投資し、製品を生産し、臨時加工業を行う場合もある。

・銭主間の共同投資により、中国から原材料を購入し工場や企業所を経営する場合もある。

・銭主たちは国営の工場、企業所を賃貸し私的利益追求のために使う場合もある。

・銭主とは何かを判断するとき、彼らが資本の投資と雇用を通して資本の拡大再生産をしようとしているかどうかが大事である。

この論文には他にも興味深い記述が多々ありますが、本日はここまでにします。またの機会に紹介します。


2018年12月2日日曜日

津田孝氏(日本共産党幹部会員)による霜多正次批判「現代の危機をどうとらえるか―霜多正次「南の風」を中心にー」より思う

「『核抑止力』論や『力の均衡』論などへの批判は必要であるとしても、帝国主義戦力の包囲のなかで、遅れた歴史的条件に制約されつつ、社会主義を発展させた防衛力強化の政策を、資本主義国家の『富国強兵策』と同列視するのも、山里教授の試論が含む問題点である」(津田孝「民主主義文学とは何か」昭和62年新日本出版社刊行、p195より抜粋)。


昭和62年頃の日本共産党は上記のように、ソ連や中国の核軍事力保有を「社会主義を発展させた防衛力強化の政策」と把握していました。

これは、レーニンの帝国主義論や当時の日本共産党綱領から導かれる当然の結論です。

上田耕一郎「マルクス主義と平和運動」(大月書店刊行)の見地と同じです。山里教授とは、「南の風」に登場する人物です。

「南の風」が執筆された頃の中国は、「改革・開放」開始以降4年くらいです。

「新中国」は昔から富国強兵策をとっていたとみなすべきでしょう。朝鮮戦争への参戦は大韓民国への侵略です。

津田孝氏は日本共産党でプロレタリア文学運動の指導を担当していた


津田孝氏は、日本共産党でプロレタリア文学運動(民主主義文学運動ともいう)の指導を担当なさっていた方です。

津田孝氏は、「民主文学」昭和58年5月号で霜多正次の「南の風」を批判する評論「現代の危機をどうとらえるか―霜多正次『南の風』を中心にー」を発表しました。

この文章は、昭和62年発行の「民主主義文学とは何か」にも掲載されています。

「民主主義文学とは何か」には、「『南の風』再論―批判者への回答として」という評論も掲載されています。

津田氏に対して、霜多氏だけでなく民主主義文学同盟の会員からかなりの批判があったようです。

後者の論考で津田氏は、「南の風」登場人物の数々の発言を取り上げ、それらが作者の霜多正次の思想の現れとみなし例えば次のように論じています。

・主人公の田港和子の故郷であるN村の「住民本位の自主的なムラづくり」については、その推進力となっているはずのN村における共産党をはじめとする革新的な政治勢力を、

作者は文学的形象として描かず、農業経済学者である塚本恒夫に、「農村の共同体」見直し論を語らせることで具体的描写にかえている。

・作者が今日の革新的な運動に対する懐疑的な態度を深め、その生彩あるリアルな描写ができなくなっていることを意味している。

その原因は、世界政治の問題では、とくに社会主義大国にあらわれた否定的現象から、作者自身が社会主義への復元力への核心と展望を失っていることである。

プロレタリア文学運動に参加する作家は、作品を通じて日本革命に貢献すべきである


日本共産党、日本革命理論の視点からみれば、プロレタリア文学運動に参加している作家は作品を通じて日本革命に貢献すべきです。

津田氏から見れば、霜多正次氏が何かの理由で日本共産党の日本革命論に疑問を持ち始めた。

そこで霜多氏の作品では、登場する日本共産党員が日本共産党の政策や平和運動の意義を十分に語れなくなった。

だからこの小説は駄目だ、という話です。

津田氏の主張は、日本共産党の日本革命理論から見れば当然なのでしょう。

しかしその日本革命理論そのものが現実から遊離した内容だったら、プロレタリア文学運動参加者はどうするのでしょうか。

社会主義国の核軍事力が防衛的だ、社会主義には復元力があるなどという津田氏の主張は、ソ連や中国、北朝鮮による核軍拡と侵略の歴史を考えればあまりにも非現実的です。

レーニンの帝国主義論では、戦争は金融資本、帝国主義が起こすことになっています。

金融資本がないはずの社会主義国が日本への侵略を策しているなど荒唐無稽だ、と日本共産党員は今でも考えている。

これでは、プロレタリア文学運動が徐々に影響力を失っていくのも当然です。

日本革命、世界革命はない―日本共産党の社会主義論、日本革命論は荒唐無稽―


日本共産党員としてプロレタリア文学運動、民主主義文学運動に参加している方々には、津田氏の非現実的な社会主義論が、運動に破滅的な影響を与えた事を考えて頂きたい。

小説の登場人物がどんな政治的見解を持っていようと、それは大した問題ではない。

日本革命、世界革命などありえないのですから。

生産手段は私的に所有されてこそ、資源が効率的に運営され、経済厚生が高まる。

資本主義経済で完全雇用を常に達成するのは困難ですが、適切な財政・金融政策の実行や経済成長政策で努力するしかない。

経済成長が徐々にでも実現できれば、人々の暮らしは少しずつでも改善されていきます。

社会運動に参加する人々の内面の葛藤や、論理の衝突などの人間模様が描かれているなら良いと私は考えますが、いかがでしょうか。

霜多正次「南の風」(昭和57年新日本出版社刊行)より思う。

「高校を卒業して、東京にあこがれて短大に入ったのは、ちょうど沖縄返還運動がたけなわだった1970年だった。あれ以来いろんなことがあったが、その青春の九年間があっという間に過ぎた感じである。」(同書p8より抜粋)。


最近、沖縄についていろいろな本を読んでいます。

沖縄生まれの作家霜多正次は、故郷沖縄の現状について、生涯書き続けました。

霜多の「ちゅらかさ」(「四月号」問題、以下は同書p209-215による)によれば、「南の風」は日本共産党幹部会員(当時)の津田孝氏により次のように批判されました。

共産主義者たちの先駆的なたたかいの意義を歴史的、発展的に見ていない。

これは「民主文学」という雑誌の座談会での事です。

日本共産党とプロレタリア文学運動(民主主義文学運動とも呼ばれる)の関係についてよく知らない方は、政党の一職員が小説を批判したからといってどうなんだ、と思うでしょう。

良かれあしかれ、プロレタリア文学運動は日本共産党の強い影響下にある文学者の社会運動です。

自民党や公明党の議員が、プロレタリア文学作家の小説についてつまらない、設定に無理がある等とどこかの雑誌で言っても、その小説の著者は苦笑いするだけでしょう。

日本共産党幹部会員である津田孝から批判されるという事は、民主主義文学運動から何かの理由で排除されてしまうかもしれないという事を意味しています。

津田孝論文と、座談会が載った「民主文学」5月号が書店に出た昭和58年4月初めには、民主主義文学同盟は異常な事態に追い込まれたそうです。

この件については別の機会に考えます。

プロレタリア文学をなぜ私が読むのか


日本共産党、左翼を批判している私がプロレタリア文学をなぜ読むのか、という方がいるかもしれません。

民主主義文学同盟とは小林多喜二、宮本百合子らプロレタリア文学運動の後継者を自認する人々が作っている団体です。

私は、プロレタリア文学運動の政治観には到底同意できません。

プロレタリア文学、評論というより、単なるソ連礼賛論ではないか、と思えるものもあります。

しかしその小説が左翼運動に参加している人々がどういう価値観、世界観あるいは人間観を持ち、様々な課題にぶつかりながら、苦悩しているかを描いているなら、存在意義がある。

平和と民主主義のために戦うと称するなら、戦争はなぜ生じるかを自分なりに理論と歴史から考えねばならないはずです。

これについては、左翼の中でも一致しているわけではない。左翼の中で必ず衝突が生じます。衝突の真っ只中にいる方々は深く苦しまざるを得ない。

その内心の苦しみを描く事も、プロレタリア文学の使命ではないでしょうか。

「南の風」は沖縄左翼の視点がよくわかる


津田孝氏が酷評した「南の風」ですが、昭和54年頃の左翼運動家から見た沖縄の実情がよくわかります。

沖縄は日本共産党だけでなく、新左翼の運動家が多いことでも知られています。「南の風」には新左翼の教員たちの論理も描かれています。

主人公の田港和子は昭和45年に高校を卒業したのでしょうから、昭和26年頃の生まれです。

物語は昭和54年ですから、28歳くらいです。平成30年の今、67歳くらいになっている沖縄の女性の物語です。

和子は東京の短大を卒業後、全共闘の運動に参加していた男性と知り合い結婚しますが、彼の世界観についていけず離婚し、故郷の沖縄に飛行機で帰ってきます。

機内で、後に魅かれていく福地国生と会います。

福地は30代前半で、那覇の中学の社会科教師です。中学の国語教師の妻、京子と二人の子供がいます。上の子はもうすぐ小学校一年生です。

国生は「団塊の世代」に属していることになります。この世代には、若い頃左翼運動に参加した方が実に多い。

ベトナム戦争の頃に、大学生だった世代ですから。

70年安保改定反対!を叫んだ方の中には、その後各地で中高の教員あるいは塾の教師になった方が多かったことでしょう。

その方々は今は70歳くらいになっています。日本各地で、左翼運動に参加した方々の人生模様はどうだったのでしょうね。

プロレタリア文学運動の小説を読むと、そんな想像を膨らませることができます。

プロレタリア文学は、日本社会を左翼運動史という角度から見ることができるという点で面白い。

霜多正次は沖縄の軍用地料が高すぎることを指摘していた


機内で国生は、和子に沖縄の現状についていろいろ力説します。

国生によれば沖縄経済は政府の行政投資と観光収入で持っている「他立経済」で、利益は本土に持っていかれるから「ザル経済」。

しかし行政投資と観光収入の額が大きいので、その落ちこぼれにより復帰後に県民所得は三倍になった。「他立経済」の落ちこぼれで甘い汁を吸っている人もいる(p14)。

軍用地料が十倍にはね上がると、多くの地主が基地返還を言わなくなった。

中には、米軍から返還された土地も、引き続き防衛施設局が借りてくれるように要請する地主もいる(p160)。

軍用地料については、来間泰男教授の実証的な研究が知られています(「沖縄経済の幻想と現実」平成10年日本経済評論社刊行)。

霜多正次も早くから問題点を指摘していたのです。

沖縄の方ならこれは常識だったのかもしれませんが、今でもこれはタブーのようです。

「南の風」は二人の物語はこれから、というところで終わっている


国生は和子と繰り返し会い、北部にある故郷のN村での村づくり、農業振興による故郷の経済発展に従事しつつある和子に魅かれていきます。

小説は愛情を抱き始めた二人が今後どうするか、真剣に考えだしたところで終わってしまいます。この終わり方が、私は気に入らない。

和子との仲を国生の妻、京子が知ったら黙って身を引くでしょうか。

沖縄は親族間の紐帯が強いそうですが、二人の親族はそれぞれ二人の今後についてどういうでしょうか。

国生は可愛い盛りの子供達を置いて和子の元に行けるのでしょうか。

和子の元に行ったとしても、国生の子供達への思いが消えるとは考えられない。和子はそれを許容できるでしょうか。

作者としてはまだまだ構想があったのではないでしょうか。

酷評になってしまいますが、この終わり方では小説というより、マルクス主義から見た沖縄政治経済論の作品だ、と言えないこともないように感じました。

国生の沖縄経済論だけでなく、N村を訪れている大学教授による農村の発展構想も面白い。

津田孝氏の批判と、小田実氏が「民主文学」昭和58年4月号に寄稿した文章より派生した民主主義文学同盟の大騒動を思うと、続きを書きづらかったのかもしれません。

津田孝氏による「南の風」批判については、またの機会に論じます。

2018年11月17日土曜日

内田樹・石川康宏「若者よ マルクスを読もうⅢ」(かもがわ出版刊行)の第三部、石川康宏教授の日本共産党論より思う

「日本共産党は、スターリンとその後継者による支配の手を払いのけて、ソ連共産党の政策や判断、理論を特別視しないという自主独立の姿勢を、ソ連共産党の代表も参加した1958年の大会で決定していました」(同書p203より抜粋)。


石川康宏教授(神戸女学院大)は、著名なマルクス主義経済学者です。

フランス現代思想の研究者、内田樹教授との共著になる「若者よ マルクスを読もう」は、番外編を含めればこれで四冊目になります。

私にはこの本で内田樹教授が解説されている「タルムードの解釈学」がとても興味深かった((同書p254-256)。

内田教授によればタルムードの解釈学とは、自分の生活実感、身体実感を担保として差し出すことで、聖句の意味を蘇らせる作業です。

誰しも、古典を真剣に読もうとするなら、このような姿勢が必然的に求められるのではないでしょうか。

古典が執筆された時期の状況を後世の人間が正確に把握することはできない。

それぞれ、自分の頭脳で古典の一言一句を再解釈し、把握しなおすしかない。

この解釈に、各自の持つ世界観が入り込み、同じ古典の文章でも異なるように解釈され、学派あるいは宗派が形成される。

井筒俊彦の「イスラーム生誕」(中公文庫)、「イスラーム文化」(岩浪文庫)の制度形成論を私はこのように解釈しています。

共産党、マルクス経済学の歴史も、同様です。講座派(正統派)、宇野派、レギュラシオン派といろいろありますから。

第七回大会後でも日本共産党は「自主独立」ではないー宮本顕治論文「ソ連邦共産党第22回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」(「前衛」1959年5月号掲載)


ところで日本共産党の歴史を、石川康宏教授はどの文献から上記のように解釈されたのかわかりません。

依拠された文献が明記されていませんから。最もこの本は学術書ではないので、参考文献を必ず明記せねばならないわけではありません。

「自主独立」が上記のようにソ連共産党の政策や判断、理論を特別視しない姿勢という意味なら、日本共産党がそうなったといえるのはソ連解体後ではないでしょうか。

宮本顕治氏はソ連共産党解体を歓迎しました。解体を歓迎したのですから、特別視などしていない。

昭和33年(1958年)の第七回大会後なら、日本共産党はソ連共産党の政策や判断、理論を特別視していたとしか私には思えない。

宮本顕治氏の上記論文は、ソ連礼賛論文そのものです。

宮本氏は日本共産党中央委員会を代表してソ連共産党第21回大会に参加し、その報告もかねてこの論文を執筆したのでしょう。

以下、宮本氏の上記論文を簡単に紹介します。

社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた


宮本氏によれば、ソ連邦共産党第21回大会はソ連邦の共産主義建設者の画期的大会であり、社会主義世界体制発展の大会です。

ソ連邦共産党第21回臨時大会で審議決定された七か年計画の目標数字は、同志ミコヤンが言ったように、無味乾燥な数字のら列ではないそうです。

それについてフルシチョフ同志が行った中央委員会の報告は、共産主義建設の壮大な交響楽だそうです。

社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめました。

今日、ソ連邦では国内的に資本主義を復活させる力がないだけではなく、世界的にソ連邦および社会主義陣営をうちやぶれるような力は存在しません。

このことは、今日、共産主義建設の偉大な不滅のとりでが地球の上に確固としてきずかれた人類の新しい勝利を意味しています。

それは世界平和と反植民地主義のための人類に闘争の不滅の偉大なとりでを、現在の世紀が持っている事を意味しています。

宮本氏によるソ連論は表現があまりにも大げさで、実証的でない。

フルシチョフや、ミコヤンがこう言ったから真実だ、と述べているに過ぎない。

宮本顕治氏のソ連礼賛は、昭和36年7月の第八回大会でも継続しています。

宮本氏によればソ連は共産主義社会の全面的建設を成功のうちに遂行しています(日本共産党第8回大会決定p132より)。

ソ連は世界平和のもっとも強力な砦になっています。

われわれは社会主義世界体制が人類社会発展の決定的要因に転化しつつある時代に生きているという確信と展望に貫かれています。

宮本氏はこの確信と展望をおよそ30年後に喪失し、ソ連邦解体を歓迎します。

宮本百合子なら、ソ連邦解体をどう論じたでしょうか。宮本百合子は、最晩年にソ連共産党による過酷な人権抑圧を察知しつつあったようです。

石川康宏教授は宮本顕治氏の論文や当時の「赤旗」「前衛」を読んでいるのか


上記の宮本顕治氏によるソ連評価のどこが、自主独立なのでしょうか。石川康宏教授に御説明頂きたいですね。

率直に申し上げたい。

石川康宏教授は宮本顕治氏の上記論文や、当時の「赤旗」「前衛」を殆ど何も読まずに「自主独立の姿勢を決定した」と結論付けたのではないでしょうか。

昭和30年代の「赤旗」「前衛」には、ソ連礼賛記事や論文が沢山掲載されています。

そもそも第八回大会決定を、日本共産党は今でも廃棄していません。

従って第八回大会決定を、全ての日本共産党員は国民に普及していかねばならないのではないですか。

近年の日本共産党は宮本顕治氏の革命理論に、殆ど言及しません。

「日本革命の展望」など、読んでいる日本共産党員は滅多にいないでしょう。

これでは「自主独立」というよりご都合主義では、と思えてくるのは私だけではないでしょう。








2018年11月15日木曜日

玉城沖縄県知事による那覇軍港の浦添移転・浦添沖での米軍新基地建設是認より思う。

玉城知事の沖縄県議会での答弁「那覇軍港の浦添移設については『返還が実現すれば基地負担の軽減、跡地の有効利用により発展に寄与すると考えており、これまでの経緯を踏まえ、浦添移設を認めることになると考えている』と容認する考えをしめした」(琉球新報、10月19日昼配信のインターネット記事より抜粋)。


最近、沖縄の現状についていろいろ勉強しています。那覇軍港の浦添移転と突然言われても、本土に住む者には今一つ、ピンときません。

新聞記事などをいくつか調べました。現在は米軍が那覇軍港を一応、利用しています。かなり遊休化しているようですが。

これの浦添移転は軍港全面返還の条件として、平成8年の日米特別行動委員会最終報告に盛り込まれました。

那覇軍港の移設については、沖縄県と那覇市が軍港と民間港を分けた移設案を支持し、地元浦添市は軍港と民間港を一体とする案を支持しています。

どちらの案でも、相応の埋め立てが必要です。

米軍基地移設に伴う海の埋め立てに反対なら、辺野古沖、浦添沖両方の埋め立てに反対しなければつじつまがあわない。

日本共産党はなぜ浦添での米軍新基地建設を認める故翁長知事、玉城知事を支持するのか


日本共産党、左翼知識人、運動家の皆さんは普天間飛行場の辺野古沖移設に断固反対しています。

日本共産党は那覇軍港の浦添移設にも断固反対である旨、国会や県議会で繰り返し主張しています。

ところが、日本共産党は那覇軍港の浦添移転を容認していた故翁長知事を支持していました。この件は城間那覇市長も同じです。

故翁長知事の仕事を受け継ぐと選挙の間繰り返し訴えておられた玉城知事が、上記のように認めるのは当然です。

玉城知事がこれに反対したらむしろ公約違反でしょう。

おかしいのはむしろ、日本共産党、あるいはオール沖縄の皆さんではないか。松本哲治浦添市長はブログや市議会でそんな主張をなさっています。

真に奇妙な話です。

那覇軍港の浦添移転、浦添での米軍新基地建設を日本共産党はなぜ危険と主張しているのでしょうか。

日本共産党の古堅実吉衆議院議員(当時)が平成11年2月18日に衆議院でこの点を詳細に説明されています。

以下、古堅議員の発言を私なりに要約してみます。

古堅実吉衆議院議員による那覇軍港移設反対論要旨


那覇軍港はかつて、沖縄米軍の軍需物資搬出入の拠点だった。最近はかつての機能の多くを他施設に移している。那覇軍港は無条件で沖縄に返還されるべきである。

現在の那覇軍港は水深が9.7メートルにとどまっているので、水深11メートルから13メートルを必要とする米軍の大型艦船寄港には大きな難点がある。

浦添沖なら、自然の水深でも深いところは15メートルある。新しく建設する軍港は、水深15メートルにできる。

現在の那覇軍港と牧港補給基地は、那覇都心部の国道を通って約6キロ離れている。寄港した輸送船から補給基地への異動で難点がある。

移設する浦添埠頭には牧港補給地区が隣接しているので、これを結ぶ直進道路によって軍港と補給基地の一体化が図られる。

那覇軍港の難点だった軍需物資の移動問題が大幅に改善される。米軍の望み通りの計画である。

那覇軍港が浦添に移転されることにより、世界に展開する米海兵隊の前進補給基地と軍港が一体化される。総合的な海兵隊支援補給拠点になる。

那覇軍港が浦添に移転したら浦添新基地が台湾海峡有事の際、中国人民解放軍の標的になる―日本共産党の平和理論―


古堅議員は、米軍の立場から見た那覇軍港の浦添移転、浦添での米軍新基地建設の必要性を大変わかりやすく説明なさっています。

世界に展開する米海兵隊の前進補給基地と軍港の一体化。まさにそうでしょうね。

日本共産党の「平和理論」からみれば、那覇軍港が浦添に移転したら浦添新基地が台湾海峡有事の際、中国人民解放軍の標的になりえます。

沖縄県を戦争に巻き込む米軍新基地建設断固反対!玉城知事は那覇軍港の浦添移転是認を撤回せよ!と日本共産党は大規模な反対運動を起こさねばならないはずですね。

故瀬長亀次郎氏ならそう主張なさったことでしょう。

ところが、現実の日本共産党はそんな主張をしていない。これは数年前からそうなっているようです。県議会や市議会で反対です、と述べるだけです。

日本共産党の平和理論に忠実な方なら、故翁長知事を強烈に批判せねばならなかったはずですが。

そんな度胸と気概のある日本共産党員はいなくなったのでしょう

日本共産党議員、職員、同党を支持する知識人の方々はそんなことを考えつきもしないのでしょうね。

日本共産党議員、職員でも日本共産党の「平和理論」を学んでいない


同党を支持する知識人は、厄介が生じるので一昔前の日本共産党の文献を読まないことにしているのでしょう。

上田耕一郎氏の「マルクス主義と平和運動」(大月書店刊行)を読んでいる議員、職員は稀有の存在なのでしょうね。

不破哲三氏の数ある文献も、いずれ誰も読まなくなるのかもしれません。宮本顕治氏の日本革命論は、既にそうなっていますから。





2018年11月4日日曜日

霜多正次「ちゅらかさ 民主主義文学運動と私」(こうち書房平成5年刊行)より思う。

(日本共産党では)「支部以いがいの他の支部や地区委員会などヨコの党組織に同志をつのることは分派とみなされ、また党内問題を党の外にもちだすことも厳禁されているから、党中央への批判は実質的にないにひとしい。したがって、中央の独裁権力をうみやすいはずであった」(同書p193より抜粋)。


最近、沖縄の問題に関する本をいろいろ読んでいます。霜多正次は沖縄生まれの作家です。

萩原遼氏も、「朝鮮と私 旅のノート」(文春文庫第五章)で霜多と同様の主張をしています。

「ちゅらかさ」によれば、ラバウルから復員した霜多は、都立高校の教師をしていました。昭和23年9月に教師を辞め、新日本文学界の事務局に入りました。

以降、日本共産党の影響下にある文学運動の真っただ中にいた一人として、御自分の文学運動での歩みをこの本で述懐しています。

ちゅらかさ、とはどんな意味なのでしょうか。昔の旅人がかぶる編み笠を想像します。御自分の文学運動の半生を、旅人に喩えてつけたのかもしれません。

日本共産党の影響下にある文学運動を、プロレタリア文学運動、民主主義文学運動と言います。

太宰治はプロレタリア文学に敬意を持っていたように思います。

今日の日本では、プロレタリア文学の社会的影響力はほとんどない。

プロレタリア文学衰退の理由の一つは、プロレタリア文学団体が社会主義国の動向や日本共産党の路線の強い影響下にあったので、内部抗争、離散を繰り返してきたことではないでしょうか。

霜多正次は著作の登場人物の発言が日本共産党の路線から外れていると批判された


霜多正次は「民主文学」という雑誌の昭和58年5月号で、日本共産党幹部会員の津田孝氏に著作「南の風」(新日本出版社昭和57年刊行)を強く批判されました。

「南の風」の登場人物の発言が、日本共産党の路線から外れたものになっている、という趣旨の批判です。

日本共産党の影響下にある文学者の作品は、日本共産党の路線を普及し社会進歩に貢献するように努めねばならない、という宮本顕治氏の文学論に基づく批判でした。

こんなようでは、作家は日本共産党幹部に嫌気がさしてしまうでしょう。小説は日本共産党の路線の宣伝物ではないはずですから。

そうは言っても、プロレタリア文学運動(民主主義文学運動)を指導すると称する日本共産党幹部にも言い分はあります。

小説家が社会進歩に貢献できないとは何だ。マキシム・ゴーリキー、小林多喜二、宮本百合子に見習え、という話になります。

それでは社会進歩とは何なのでしょう。

ロシア文学なら、トルストイやドストエフスキー、チェホフはプロレタリア文学ではありえませんが、社会進歩に寄与していないのか。

仏文学なら、「レ・ミゼラブル」は社会進歩に無縁なのか。これは基督教文学ともいえますから、日本共産党の文学運動担当者なら社会進歩には無縁と答えそうです。

ブルジョア文学を批判的に吸収せよ、とかいう話になるのでしょうか。文学を進歩云々で測定されたら、読書好きの人はたいてい、嫌になります。

社会進歩に貢献せよ、などと言われたら、文学者は何も書けなくなりそうです。そんなことを他人に押し付ける人物の内面が想像されてきてしまいます。

小田実氏が「民主主義文学」昭和58年4月号に載せた文章に、「反党分子」の訪中が記載されていた


「ちゅらかさ」によれば日本共産党の文学運動担当者は霜多正次への批判と同時期に、「民主文学4月号問題』と呼ばれる、民主主義文学運動への強烈な批判を展開しました。

「民主主義文学」(新日本出版社刊行)4月号掲載の小田実氏がよせた文章に、「反党分子」である野間宏の訪中についての記述がありました。

日本共産党についてよく知らない方はそれがどうした、と思うでしょう。

「反党分子」とは、日本共産党員が日本共産党を批判するようになって規約を破り、除名された方をさす言葉です。

在日本朝鮮人総連合会では同様の方を、「民族反逆者」と呼びます。

日本共産党員が「野党と市民の共闘」を訴えるなら、「反党分子」批判を再検討すべきだ


霜多は、「反党分子」の方々を次のように評しています。

「党を除名されるのは、多くのばあい、党中央と意見が会わず、自分の意見を発表する自由をもとめて、規律違反をあえてするのであったが、そういう人間は『反党分子』『脱落分子』と刻印されて、党員のまえからは全人間的存在が抹殺されるのだった」。

霜多によれば、日本共産党員は「反党分子」と親しく付き合った時期があっても、葬儀にも出てはならないとされています(同書p201)。

昭和54年8月、プロレタリア文学作家として有名だった中野重治の葬儀に霜多は参列しましたが日本共産党員はみかけなかった。

佐多稲子が、おどろいたように「よくきてくれたね」とやさしい表情をしてくれたのが、わたしはいまでも忘れられない、と霜多は記しています(同書p201)。

親しかった先輩、友人の葬儀には出るなという話です。日本共産党員が「反党分子」の葬儀に出たら規約違反として処分されるのでしょうか。

「反党分子」に対する「赤旗」、日本共産党最高指導部の対応の件は、「反党分子」の方が亡くなったときにかなり議論されてきたようです。

哲学者古在由重氏が亡くなったとき、「赤旗」には死亡記事が出ませんでした。古在氏は平和運動の進め方で、日本共産党を辞めたようです。

古在氏は「反党分子」だったのかもしれません。死亡記事を出さなかった事について、「赤旗」に説明記事が出た記憶があります。

野坂参三氏の死亡記事は「赤旗」に出たと記憶しています。

日本共産党が「野党と市民の共闘」を訴えるのなら。「反党分子」に対するこれまでの言動を再検討すべきではないでしょうか。

霜多正次、萩原遼の両氏は日本共産党を除籍となりました。両氏は「反党分子」だったのでしょうか。

霜多によれば「反党分子」はスターリン時代に処刑あるいはシベリア流刑となりました。「反党分子」は党員の頭から抹殺されねばならないから、葬儀にも出てはならない(同書p201)。

あまりにも異様です。日本共産党と在日本朝鮮人総連合会はよく似ていますね。

日本共産党幹部が唯物論者なら、霊魂などないと考えているはずです。

日本共産党員はどんな方の葬儀にも出てはならない、と主張するのが理屈にあいそうです。

萩原遼氏を「しのぶ集い」は東京、大阪で開催されました。私は大阪で参加しましたが、日本共産党員の方も出席されていました。










2018年11月3日土曜日

日本共産党代表団と朝鮮労働党代表団の共同声明(昭和41年3月21日)より思う。

「日本共産党は、朝鮮労働党の指導のもとに朝鮮人民が社会主義革命と社会主義建設でおさめた成果をたたえる。

朝鮮人民は、過去のたちおくれた植民地経済を一掃し、自立的民族経済を建設し、英雄的な奮闘によってアメリカ帝国主義の侵略戦争がもたらした困難な条件を克服し、国を発展した社会主義的な工業・農業国にかえた。

今日、朝鮮民主主義人民共和国では、政治、経済、文化生活のあらゆる領域で大きな高揚がおきている。

全人民が朝鮮労働党のまわりにかたく団結しており、人民の政治的道徳的統一は強まっている。」(両党共同声明より抜粋)。


最近の若い日本共産党員は、昔の日本共産党が朝鮮労働党と大変親密な関係を保持し、北朝鮮を礼賛していたことを知らないようです。

昔の「赤旗」を図書館などで探して読む方はいないのでしょう。

社会科学の研究者が日本共産党について何かの文章を書くのなら、昔の「赤旗」「前衛」をざっとでも読むべきなのは当然です。

私見では、その程度の知的努力もしないで日本共産党を支持すると言明している研究者、知識人は少なくない。

この声明は、ベトナム戦争の真っ最中、そして文化大革命直前に締結されました。

日本と朝鮮の共産主義運動の歴史に関心がある知識人、運動家にとって必須の文献です。

両党会談に参加した朝鮮労働党の大幹部二人は、この後追放された(不破哲三「北朝鮮覇権主義への反撃」より)新日本出版社刊行、p20より)



会談に参加したのは日本共産党は宮本顕治、岡正芳、蔵原惟人、米原いたる(米原万里さんのお父さん)、砂間一義、上田耕一郎、不破哲三、工藤晃(敬称略)。

朝鮮労働党は金日成、崔庸健、朴金チョル、李孝淳、金光ヒョップ、朴容国らです。

朴金チョル、李孝淳は朝鮮労働党の副委員長で、「甲山派」と呼ばれ、金日成とは別に日本帝国主義と戦った、ということで知られていました。

不破哲三氏によれば、この二人は会談翌年の5月に開かれた朝鮮労働党の中央委員会で追放されました。

「党の唯一思想体系」がこの会議でうちたてられたそうです。不破氏によればこれは、金日成の個人崇拝体制の確立です。

甲山派の追放により、彼らと何らかの人間関係を持っていた方や、関連すると疑われた方がかなり追放処分になったようです。

私はこの話を、北朝鮮から日本に戻ってきた方から伺いました。

追放処分を、「山へ行く」と在日本朝鮮人総連合会関係者は表現します。

「ネズミも鳥も知らないうちに連れて行く」という表現もあります。

これは、国家安全保衛部が北朝鮮の住民を政治犯収容所に真夜中に連行することを表現しています。

北朝鮮では「政治犯」に裁判はないので、収容所や山奥に連行された方はなぜ自分がそうされたのか、全くわかりません。

昔の日本共産党は日韓条約粉砕を主張していた


ところで、この時期の日本共産党は全力で、前年に結ばれた日韓条約粉砕を主張していました。両党共同声明は、日韓条約について次のように述べています。

「両党の代表団は、さきごろ佐藤内閣と南朝鮮の朴正熙一味との間に結ばれた「日韓条約」は不法、無効のものであり、粉砕されなければならないと強く主張する。

『日韓条約』は日朝両国人民の利益に反し、アジアと世界の平和をおびやかすものである。」

日本共産党と朝鮮労働党の共同声明によれば、日韓条約は日米安保条約、韓米相互防衛条約などと結びついて、米帝国主義、佐藤内閣、および南朝鮮と台湾の傀儡一味による東北アジア軍事同盟の結成を意味しています。

日韓条約は、日本軍国主義者による南朝鮮再侵略の道を切り開くそうです。

今の日本共産党の表現を借りれば日韓条約こそ戦争条約、という話になっています。

京都の渡辺輝人弁護士は、最近韓国の最高裁が徴用工に対して出した判決の件で、日本政府をtwitterで強く批判しています。

渡辺輝人弁護士は、この問題で志位和夫氏が出した見解を高く評価しています。

日韓条約粉砕を長年主張してきた政党が、日韓条約の存在を前提にして元徴用工の対日請求権について論じるのは、おかしくないでしょうか。

渡辺輝人弁護士は昔の日本共産党と朝鮮労働党が共同声明で日韓条約粉砕を主張していたことを御存知なのでしょうか。

ある問題について日本共産党の言論活動や政策を論じるなら、その問題についての同党のこれまでの言論活動や政策を踏まえて論じるべきではないでしょうか。

昭和63年9月の論文で日本共産党は、韓国を南朝鮮と呼ぶべきと主張


「赤旗」を調べると、日本共産党が日韓条約に対する見解を変更したのは昭和63年9月9日の論考「朝鮮問題についての日本共産党中央委員会常任幹部会の見解」です。

この論考で、日本共産党は韓国に政権が存在している事を認め、日韓条約粉砕論から改正論に路線転換しました。

この論文は日韓条約にある、韓国が朝鮮半島の唯一の合法政府である、という条項の改正を主張しました。

それまで粉砕論を主張してきた事をどう考えているのかについては、何も説明していません。

この論文は、韓国を南朝鮮と呼ぶことを主張しています。南朝鮮という呼び方を、韓国人は嫌がります。朝鮮人という呼び方も同様です。韓国人ですから。

日本共産党が韓国と表現するのは、もう少し後です。

レーニン主義なら、日韓条約は日本独占資本が南朝鮮人民を搾取、抑圧するために締結されたとみる


この論文は、日韓条約を東北アジア軍事同盟、南朝鮮再侵略を招くなどと宣伝していた事について沈黙しています。

日韓条約が戦争を招くという話は、レーニン主義、帝国主義論の見地から導かれて当然です。

日韓条約が締結されれば、日本企業は賃金の安い韓国に工場を作りますから。これは独占資本の帝国主義的進出なのです。

南朝鮮人民を搾取、抑圧するために日本独占資本は、米国の傀儡と手を握る。自民党佐藤内閣は、この独占資本の意を受けて日韓条約を締結した。こんな話です。

林直道教授はマルクス主義経済学者として数々の著作を著した方です。

林直道教授(大阪市立大)の「経済学下 帝国主義の理論」(新日本新書昭和45年刊行、p123)によれば、日韓条約による朴政権への10億ドルの援助は米国と朴政権による朝鮮民主主義人民共和国への侵略と南朝鮮南部の革命運動弾圧を助ける資金です。

現実はどうあれ、レーニンの帝国主義論の見地なら、この結論は当然導かれます。

実際の韓国政府は日韓条約で得た資金を社会資本建設に費消しました。韓国への侵略を策していたのは、金日成と朝鮮労働党です。

朝鮮戦争は朝鮮労働党の南進により始まったのです。

石川康宏教授(神戸女学院大)は日本共産党によるソ連、中国、北朝鮮礼賛の歴史をどう見ているのか


石川康宏教授は、「若者よ、マルクスを読もう」(かもがわ出版)など沢山の著作を出されています。

石川康宏教授の「若者よ、マルクスを読もうⅢ」の第三部では、日本共産党が自主独立の党であり、世界の共産主義運動では独自の存在だったと高く評価されています。

石川康宏教授は、日本共産党によるソ連や中国、北朝鮮礼賛の史実をどうお考えなのでしょうか。

昭和36年7月の第八回大会での宮本顕治報告は、ソ連礼賛そのものです。

石川康宏教授は、日韓条約を林直道教授の著作のように評価されているのでしょうか。

レーニンの「帝国主義論」ならこのような結論が出て当然と思えてなりません。











2018年10月28日日曜日

井筒俊彦「イスラーム文化 その根底にあるもの」(岩波文庫。昭和56年に底本)より思う。

「いかなる意味においても神の啓示に関係のない邪宗徒の場合は、イスラームに改宗するのが生命を保持するための唯一の生きる道であり、そうでなければ剣で斬られるほかはない。そういう状況が、少なくとも昔は、事実上存在していたのであります」(同書p131より抜粋)。


少し前に、ジャーナリストの安田純平さんがシリアから帰国されました。

安田さんは内戦で危険とわかっているシリアに御自分の判断で入国したので、勝手すぎる、自己責任だという声がかなりあります。

今の安田さんは肉体的、精神的に大変な状況でしょうから、あまり追及すべきではないでしょう。

安田さんを捕らえて虐待していた連中は、ジハード、聖戦をやっているつもりなのでしょうか。

インターネットで公開された映像を見ると安田さんは「私はウマルです」と言わされていました。

察するに安田さんは改宗を強要されたのでしょう。イスラム教の教義はこんな蛮行を、許容するのでしょうか。

誰でもこう問いかけたくなります。この問いはあまりにも重い。

飯山陽「イスラム教の論理」(新潮新書)は、聖典「コーラン」に依拠してイスラム国、イスラム教徒の言動を考えるべきと繰り返し主張しています。

飯山さんの本を読んだかぎりでは、この問いにはイエス、と答えるしかなさそうです。

しかし果たしてそれで良いのだろうか。

イスラム研究の大家、井筒俊彦氏の本をまた読みたくなりました。

以下、私なりに大事と思った点を抜き書きします。

イスラーム文化は究極的には「コーラン」の自己展開なのであります(同書p33)。


聖典「コーラン」は、預言者ムハンマドが神の啓示を受けて、その神の言葉が記録されている事によって成立したと言われる1冊の書物(同書p32)。

イスラーム文化、イスラーム社会を考えるとき、聖典「コーラン」が第一級の価値を持つことは明らかです。

「コーラン」の自己展開とは、同書p36の記述を私なりに考えますと次の意味です。

「コーラン」に記されている神の言葉を理解するとは、それがどんな状況で、どのように適用できるのかを読み手が解釈することです。

テキストは一つでも、文字通りにしか解釈しない人もいれば、自分なりに神の言葉の背後にあるう意味を解釈して理解する人もいる。

「コーラン」というテキストをどう読むかという解釈は各人各様で、イスラーム文化は多様化した。しかし解釈が違っても、究極的には統一されている。

イスラーム文化は「コーラン」をもとにして、それの解釈学的展開として出来上がった文化である、と井筒は述べています(p37)。

このあたりは、社会の在り方を規定するのは経済、財とサービスの交換方式などではないという見方です。

本書の社会観は、社会の在り方は人々が世界とその中での自分の位置、役割をどう把握、解釈しているかに依存するという話ですから、マルクス主義と根本的に違います。

マルクス主義経済学者や哲学者は、この本を観念論者の書とみるのでしょうか。

ところで、預言者ムハンマドが生きている間は、どんな問題が起きても預言者本人にきけば、答えが直ちに神の意志です。これで終わり、ですが死後はそうはいかない。

そこで預言者ムハンマドの言行録、「ハディース」が第二の聖典となりました。

「コーラン」と「ハディース」を根拠にしてイスラム法が形成されていきます。

ここで、テキストをどう解釈するかについて、学者の間で違いが生じ、学派が形成されます。学派により異なるイスラーム法ができます。

イスラーム法は、イスラム教徒の全生活を規定します。イスラーム法でいう現世を正しく構築する、人生を正しく生きるとは神の指示通りにする事です(同書p147)。

現世が神の世界として正しい形で実現していないならば、それを正しい形に向かって建て直していかねばならない(同書p144)。

これが聖戦、ジハードなのでしょう。

殆どの日本人は仏教徒ですから、「啓典の民」ではありません。邪宗徒、です。安田酸が生き延びるためには、改宗しかなかったのでしょう。

個人による二大聖典の法的判断「イジュティハード」が禁止された


井筒によれば、イスラーム法は人間の在り方が、社会生活から家庭生活の細部に至るまでう際に規定されています。

この法規は、解釈の自由が認められるのなら、人は適切に解釈して、諸問題に対する自分なりの解決策を見いだせる。

しかし、9世紀の中頃に法律に関する限り、聖典解釈はしてはいけないと禁止されてしまいました。

個人が自由に「コーラン」「ハディース」を解釈して法的判断を下すことを「いじゅてぃハード」と言います(同書p162)。

井筒は、「イジュティハード」の禁止が近世におけるイスラーム文化凋落の大きな原因の一つと述べています(同書p163)。

イランのシーア派はこれを初めからしなかった。

アラブとイラン(ペルシア人)、イスラーム文化を代表するこの二つの民族は対蹠的です(同書p31)。

その世界観、人生観、存在感、思惟形態においてアラブとイラン人は多くの場合、正反対だそうです。

中東地域で有力な民族といえば、アラブとペルシア人、トルコ人でしょう。

イスラーム教徒という点では共通していますが、その背景はかなり違う。

その程度なら私にもわかりますが、中東に平和が訪れる日は一体いつになるのでしょうか。イスラーム教徒の流入が続く欧州はどうなるのでしょうか。

イスラーム教徒の大量流入にフランスと欧州はどう対応するのか―欧州は大きく変容していく


イスラーム文化の勉強と少しでもすると、イスラーム教徒が大量流入している欧州はどうなるのだろう、と思わずにいられません。

北欧でも議論になっているようです。

聖なる世界と世俗的世界を区別しないイスラーム教は、仏社会の伝統、世俗主義と正面から衝突します。

仏の知識層は、イスラーム文化をどう見ているのでしょうか。北アフリカのイスラム諸国からの流入は今後も続くでしょう。

外人が欧州のどこかの国にいったん入れば、簡単に移動できます。

中国共産党はウイグルの人々を収容所に連行し、洗脳させるべく策しています。中国の知識層は、これを本音で支持しているのでしょうか。

解決策の糸口すら見いだせない難題に、欧州が直面しているように思えてなりません。

聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)は、二百歳のマルクスなら今の世界をどう論じたかという問題を提起しました。

マルクスは、「資本論」などで記されている史的唯物論の手法のみでイスラム社会を把握したでしょうか。

そうではないでしょう。マルクスにはユダヤ教の素養がありました。

マルクスなら、イスラム教に関する文献をすぐに読みこなし、イスラム教が欧州を大きく変容させてしまうと直感したのではないでしょうか。




2018年10月21日日曜日

「党の唯一思想体系確立の十大原則」朝鮮労働党中央委員会1974年(昭和49年)の手帳より思う。



これは、長年在日本朝鮮人総連合会の活動に長年参加してきた方より得ました。

「党の唯一思想体系確立の十大原則 朝鮮労働党中央委員会1974」と記されています。全体で64頁から成る小冊子です。

数年前、金正恩版として改訂されました。私はその原本を持っていません。中身はさほど変わっていないはずです。

金日成への絶対性、無条件性の忠誠を住民に強制する内容です。北朝鮮社会では、この「十大原則」は法より上です。

在日本朝鮮人総連合会関係団体の職員により構成される小社会でも、この「十大原則」に基づき行動するよう求められます。

「十大原則」は北朝鮮社会の掟、ともいえます。

在日本朝鮮人総連合会関係の団体に所属している職員の方なら、これを暗記なさっていることでしょう。中にはあまり覚えていない方もいるかもしれませんが。

北朝鮮、朝鮮労働党がどういう集団であるかを考えるためには、これは必須の文献です。30年くらい前に、日本共産党が「世界政治」とかいう雑誌に翻訳を出していました。

察するに、故萩原遼さんが翻訳したのでしょう。当時の日本共産党は北朝鮮を強く批判していました。

今は、非核化のために努力している国、という具合で朝鮮労働党があたかも平和勢力であるかのように評価しているようですが。

十大原則を簡単に紹介しておきます。これだけでも、最後まで声を出して読んだら頭が痛くなるかもしれません。

暗記させられたら、頭の働きが変わってきそうです。

「十大原則」を知らずして北朝鮮、在日本朝鮮人総連合会を語ることなかれ


1.偉大なる首領金日成同志の革命思想で全社会を一色化するために身を捧げて闘争せねばならない。

2.偉大なる首領金日成同志を忠誠心を持って高く奉らねばならない。

3.偉大なる首領金日成同志の権威を絶対化せねばならない。

4.偉大なる首領金日成同志の革命思想を信念にし、首領様の教示を信条にせねばならない。

5.偉大なる首領金日成同志の教示執行に際し、無条件の原則を徹底して守らねばならない。

6.偉大なる首領金日成同志を中心にする全党の思想意志的統一と革命的団結を強化せねばならない。

7.偉大なる首領金日成同志に従って学び、共産主義的風貌と革命的事業方法、人民的作業作風を持たねばならない。

8.偉大なる首領金日成同志が抱かせて下さった政治的生命を大事に守り、首領様の大いなる政治的信任と配慮に高い政治的自覚と技術でお答えせねばならない。

9.偉大なる首領金日成同志の唯一的領導の下、全党、全国、全軍を一つになって動かす強力な組織規律をうちたてねばならない。

10.偉大なる首領金日成同志におかれて開拓された革命偉業を代を継いで最後まで継承し完成させねばならない。

10番目は、南朝鮮革命、すなわち大韓民国の滅亡、朝鮮労働党による統一を金正日の代に必ず実現せよ、という意味です。

昭和49年の「十大原則」では、金正日の名前は出ていません。「党中央」という表現が、10の後に出ています。これは金正日を意味しています。

金正恩が米朝首脳会談、南北首脳会談で何をどう言おうと、金日成、金正日の「教示」「お言葉」を破ることはできません。

金正恩が核兵器を廃棄したら、「教示」「お言葉」違反です。

金日成、金正日は核軍拡を固く指令していたはずです。核兵器廃絶は「十大原則」違反そのものです。



2018年10月11日木曜日

聴濤弘著「200歳のマルクスならどう新しく共産主義を論じるか」(かもがわ出版)より思う。

「資本主義の後に来るべき社会体制(その名は何であれ)がどのようなものであるかは、さまざまな環境におかれた99%の人々の生存権を脅かす現実的な問題を一つずつ取り除く運動を展開し、積み重ねることによって初めて明らかになるであろう。


共産主義の命題を日本のマルクス主義者がこのように扱っていることを200歳のマルクスが知ったら、もっともなことだと思うか、困ったものだと思うか、どうであろうか」(同書p57-58より抜粋)。

聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)の前掲著で私が、おや、と思ったのはこの文章でした。

この文章は、日本共産党の「わが党は社会主義の青写真は作らない」論への批判です。

聴濤氏は自ら発したこの問いに大略、次のように答えています。

これでは眼前の運動をやっていくことがすべてであり、どういう未来を目指すのかを考えたり描いたりすることは誤りなのか。

それならマルクスが未来社会を追及したこと自体、誤りという事になる。

そのとおりでしょう。

日本共産党や共産主義者には未来社会の青写真どころか、下絵すらないと私には思えます。

不破哲三氏の「党綱領の未来社会論を読む」と聴濤氏の違いは、社会主義の下絵を描こうとするか否か


共産主義者が搾取制度の廃止を訴えるのなら、搾取制度の廃止とやらによりなぜ労働者の生活が豊かになるのかを、現実の企業経営や経済運営方式との関係で説明すべきです。

不破哲三氏によれば搾取制度の廃止とは生産手段を社会化することだそうですが、それは一体どんな企業経営、経済運営を想定しているのか。

これの内容が全く説明できず、マルクスの抽象的な文言の引用でそれに代える、というだけなら共産主義理論はマルクス教です。

勿論、日本共産党がマルクス教を広める団体を自認しているのならそれでよい。

マルクス、エンゲルスやレーニンの主張が非現実的でも、彼らが残した言葉を信じる人が増えれば良い、という団体ということです。

不破哲三氏の前掲著の基本的な立場は、マルクス教と私は思いました。

この点で、聴濤氏のこの著書は、不破哲三氏の近著「党綱領の未来社会論を読む」より、随分ましです。

聴濤氏のこの本を、マルクス教の著作と評したら言いすぎです。聴濤氏は社会主義の下絵を描こうと努力している。

しかし、不可解な点は多かった。例えば次です。

マルクス、エンゲルス、レーニンの農業社会主義政策(集団化と機械化)は農民から支持されなかった(同書p88-89)と聴濤氏は述べているが...


聴濤氏はこのように述べ、その矛盾が後のスターリンの暴力的農業集団化という暴挙になり、スターリン体制が作られる要因となったと主張します。

スターリン体制を生み出したのはマルクス、エンゲルス、レーニンの理論であるという話です。

スターリンが断行した、「階級としての富農の撲滅」という大量殺人はレーニンの「富農は人民の敵だ」論だけでなくマルクス、エンゲルスにも遠因があるという主張になります。

これは首肯できますが、この件は共産主義者にとって重大問題のはずです。

農業経営を集団化すれば、収穫された農産物をどう分配するかが確定できない。

自分が汗水流して生産した農産物が、自分のものにならない。

農産物が国ないしは協同企業のものになってしまい、自分は所定の収入を受け取るだけなら汗水を流す必要はない。

農作業を適当にサボタージュし、所定の収入を受け取れば良い。サボタージュしたことが暴露しても、大した罰則がないなら怠けて当然です。

汗水を流して農産物を沢山作ったら、次年度の生産ノルマが増えてしまうならさぼれば良い。

こんな話になってしまう。これは農業だけでなく、製造業や各種サービス業についても同じです。

農産物や製品の売り上げを誰がどのように配分するかを確定できないのなら、「偉大な党」が決めることになる。

結局、労働者は生産物を自分のものにできない。適当なところで仕事を怠業してしまえ、という話になる。

資本家が利潤を取得しても良いと皆が思う理由-資本家は生産に必要な原資を提供し、消費者に受け入れられそうな製品の生産、そのための設備投資を主導する


エンゲルスのいう資本主義の基本矛盾とは、生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾です。

労働者が皆で生産した生産物を、資本家が労働者に賃金を支払うだけで取得してしまうから、利潤が生まれ搾取があるという話です。

それでは、なぜ利潤を資本家が取得する事が正当化されてきたのでしょうか。

マルクス主義経済学者は、「正当化」という点にもっと着目すべきではなかったのか。

私見では、これは資本家が生産に必要な原資を負担し、消費者に受け入れられる製品の生産、そのための設備投資を主導しているからです。

市場経済ではどんな設備投資でも、失敗する可能性が常にある。

消費者は気まぐれですから、新しい機械や設備により生産された財を必ず買う保証など全くない。

消費者が新設備により生産された財を十分購入してくれなければ、設備投資の元手を回収できないこともありえる。

この元手をA円とします。以下、資本家と労働者の資産格差がなぜ生じるかをたとえ話で説明してみます。

資本家と労働者の資産格差はなぜ生じるか―一つのたとえ話による説明―


簡単化し、設備投資には失敗するか、成功するかの2通りしかないとします。失敗すればゼロ円、成功すればA円+アルファ円が得られるとします。

失敗、成功はそれぞれ50パーセントの確率で生じるとします。

設備投資が成功したときのA円+アルファ円から得られる期待効用は、0.5×(A円+アルファ円の効用)です。ゼロ円からの期待効用は、効用がゼロですからゼロです。

一方、設備投資をしなければ確実にA円が残り、それから満足(効用)が得られるとします。

前者を後者より高く評価する人は、設備投資に手持ち資金A円を投入するでしょう。彼は資本家です。

彼に才能があるのなら、成功確率は高いでしょう。彼は設備投資をしやすい。資本家として生き残り、手持ち資産を増やしていける。

確実にA円が手元に残ることを好む人は、設備投資をしません。彼は労働者です。

才能のある人は、毎期アルファ円を得られますから資産を拡大できる。労働者との資産格差は拡大していくでしょう。

労働者はそれが、彼の才能と度胸(危険を負担)に起因していると知っていれば、正当な報酬と評価する。

Joseph. A. Schumpeterの「経済発展の理論」は難解ですが、第四章「企業者利潤あるいは余剰価値」の以下の部分を私はこのように理解しました。

「発展なしには企業者利潤はなく、企業者利潤なしには発展はない。資本主義経済においては、企業者利潤なしには財産形成もないということをさらに付け加えなければならない」(「経済発展の理論 下」(岩波文庫、p53)より。

共産主義理論、マルクス主義経済学は、Schumpeterが主張した企業者機能を全く評価していない。

これでは、経済の持続的成長を達成することができなくなり、労働者の生活も改善できないでしょう。

ブルスとかいう学者の本にも、こんな話がありました。名前を忘れてしまいました。思い出したら記します。















2018年10月7日日曜日

レーニンは「国際ブルジョアジー」の狙い通りに宣伝をする人物のを処刑、自由はく奪を主張した―「デ・イ・クルスキーへの手紙」(レーニン全集第33巻、p371-372、大月書店)より思う

干渉によってであれ封鎖によってであれ、またスパイ行為によってであれ、さらに出版物等々への資金の供与によってであれ、共産主義的所有制度を暴力的にくつがえそうとつとめている国際ブルジョアジーの部分を援助する方向にはたらくような宣伝または煽動、またはそういう組織への参加または協力は、極刑を、もって罰せられる。ただし、罪を軽減するような情状がある場合には、自由のはく奪または国外追放をもってこれに代えることができる」(レーニン全集第33巻、p371ー372より抜粋)。


これは、デ・イ・クルスキーという人物にレーニンが送った手紙の一部で、刑法典の諸条項の下書きと記されています。

1922年5月17日と記されていますから、新経済政策に移行して1年少し経った時期の手紙です。

最晩年のレーニンは、できるだけ広範囲に、テロルの本質と必要性、正当性を公然と掲げねばならないと強調しました。

簡単にいえば、ボリシェヴィキを少しでも批判するものは、処刑・収容所連行あるいは国外に追放せよ、という類の話です。

国際ブルジョアジーを援助するような出版物に資金供与をしたら処刑ないしは収容所連行、ですから。

レーニンは国民の言論の自由を認めなかったのです。国際ブルジョアジーとは一体誰のことなのか不明です。

出来る限り広範囲に定式化せよとレーニンは主張していますから、国際ブルジョアジーというどうにでも解釈できる言葉で良いわけです。

大テロルを実行したスターリンは、レーニンの遺訓に忠実だったのです。

レーニンはロシア皇帝ニコライ2世一家の殺害を必要不可欠と考えた


不破哲三氏、聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)はレーニンに関する著書を何冊もだしています。

しかし両氏の著作には、レーニンによる富農やロシア正教会弾圧指令、国民抑圧指令については特に言及されてません。

両氏は、レーニンがボリシェヴイキを指導していた時期に断行されたニコライ2世一家虐殺事件についても一切言及していません。

レーニンの革命観は、地主や貴族の追放だけでなく、余剰穀物を隠して投機をする富農との徹底的な闘争が絶対に必要だというものです。

皇帝一家の虐殺は、レーニンの革命理論から見れば必要不可欠です。

例えば、「モスクワ地方貧農委員会の代表にたいする演説 1918年11月8日」(レーニン全集第28巻、p178-179)でレーニンは次のように論じています。

「これまでヨーロッパにおこったあらゆる革命の経験は、農民が富農の重圧に打ち勝たなければ、革命は不可避的に敗北するということをはっきり立証している。

ヨーロッパのすべての革命は、農村が自分の敵をかたづけることができなかったという、まさにその理由から無成果におわった。

都市の労働者は皇帝を打倒した(イギリスとフランスでは、数百年も前に皇帝が処刑されており、われわれは、われわれのツァーリを処理するのがおくれていたにすぎない)が、しばらくすると旧秩序が君臨してしまった。」

ツァーリの処理が遅れたとレーニンが述べているのは、ニコライ2世一家の射殺が遅れた(1918年7月17日。1918年は大正7年)ことです。

フランス革命でのルイ16世やマリー・アントワネットの処刑より120年以上遅い。

ボリシェヴィキにより幽閉されていたニコライ2世と皇后、5人の子供たち(皇太子と4人の皇女)と召使らは射殺や銃剣突きなどで殺されました。

エカテリンブルクという、ウラル山脈中部の街にあるが皇帝一家の最後の地となりました。

ボリシェヴィキは皇帝一家が西欧に脱出できないよう、内陸部に移動させたのでしょう。

ロシア皇帝一家の殺害をレーニンが直接指令したという証拠はありません。事後承認かもしれません。

しかしこの論考よりレーニンが皇帝一家の殺害をロシア革命の為には必要不可欠と考えていたことは明らかです。

レーニンはカウツキーの「純粋民主主義」を徹底批判した―敵を暴力的に抑圧―


聴濤弘氏の近著「200歳のマルクスならどう新しく共産主義を論じるか」(かもがわ出版)を読みました。

聴濤弘氏は相変わらず、レーニンによる富農やロシア正教会弾圧指令、国民抑圧指令、皇帝一家の虐殺について沈黙しています

聴濤弘氏はこの著書の「捕論」で、レーニンが徹底した民主主義が社会主義をつくるという相互関係を強調したと述べています。

聴濤弘氏が描くレーニンは、素晴らしい民主主義者です。

現実のレーニンは、富農やロシア正教会の徹底弾圧を主張したのですから、人権擁護や民主主義とは無縁の人物でした。

幽閉中で無抵抗の皇帝一家と召使殺害のどこが民主主義なのか?と誰でも思います。

これはレーニン独特の民主主義論からみれば当然です。

皇帝一家や召使、地主や富農の人権はどうなのか、などと考えるのは、カウツキー流の「純粋民主主義」論です。

レーニンはカウツキーの「純粋民主主義」を次のように徹底批判しています(「プロレタリア革命と背教者カウツキー」、1918年10月―11月に執筆。全集第28巻、p272)。

「プロレタリアートは、ブルジョアジーの抵抗を打ちくだかずには、自分の敵を暴力的に抑圧せずには、勝つことはできないということ、そして『暴力的抑圧』のあるところ、『自由』のないところ、そこには、もちろん民主主義はないということが、それである」。

人権と民主主義のために、皇帝一家と召使は殺害されたという事です。敵を暴力的に抑圧しなければ、労働者階級は勝利できないそうです。

しかし皇帝一家の召使は労働者では?などという疑問を持つ方はレーニンの民主主義論を理解していない。

聴濤弘氏、石川康宏教授はレーニンによるカウツキーの「純粋民主主義」批判について、どうお考えなのでしょうか。












2018年10月6日土曜日

不破哲三「党綱領の未来社会論を読む」(平成30年日本共産党中央委員会出版局)より思う。

「この問題の現代的な解決策は、生産手段を資本家の手から人間の連合体である社会の手に移すことにあります。それが『生産手段の社会化』なのです」(同書p32より抜粋)。


この問題とは、貧富の格差拡大、地球温暖化などです。

不破哲三氏によれば、資本主義社会では生産活動の唯一最大の目的が資本家の利潤増大なので、貧富の格差拡大や地球温暖化が生じています。

それでは「生産手段の社会化」として不破哲三氏ら日本共産党員はどういう企業経営ないしは経済運営方式を想定しているのでしょうか。

不破氏によれば、生産手段の社会化の形態については特別の規定をせず、将来の探求の課題としているそうです(同書p78)。

生産手段の社会化として、どんな企業経営、経済運営方式を不破哲三氏は想定しているのか


「生産手段の社会化」がどういう企業経営、経済運営方式を想定しているのかという問いに対しては、特別の規定がなく、将来の課題ということです。

それならば、生産手段を資本家の手から人間の連合体である社会の手に移したら貧富の格差がなくなり、地球温暖化問題が解決される保証は皆無です。

一般に、どんな理論や政策でも中身に具体性がないのなら、政策担当者はその理論、政策を実行しようがない。

政策担当者はその場の判断で企業経営や経済運営の実務をするしかない。

その結果、赤字経営から倒産する企業が続出して貧富の格差が拡大するかもしれない。

汚染物質を大量排出する製品を、「結合した生産者」が大量生産、販売して環境汚染が深刻化していくかもしれない。

「結合した生産者」として不破哲三氏はどんな工場運営を想定しているのか


「結合した生産者」とは、労働者たちが共同して工場を動かす主役になることだそうです(同書p78)。

これについても、不破氏はどんな工場経営を想定しているのか一切記していない。

不破哲三氏は、企業経営を全く理解していないのではないでしょうか。

今の工場でも、労働者が一人だけで機械や設備を担当し、稼働させている例は少ないのではないでしょうか。

家内工業のような零細企業の職場なら労働者が協力することなく、一人で生産をしているかもしれませんが。

多少大きな企業なら、工場長、~部長や~課長が経営側からの指令と労働者の要望を総合して機械や設備を稼働しているはずです。

この際、経営側は利潤を最大にするために、労働者が懸命に働くような誘因や、退職して他の職場に行かないような賃金やノルマを設定するでしょう。

「契約の経済学」ではこれらを誘因両立性条件と参加制約条件と言います。

利潤最大化、内部留保ため込みを、株主、銀行(債権者)、労働者が望みうる


企業に資金を提供する株主は、利潤が大きくなれば配当が増えますから、経営者に利潤最大化を要求する。

銀行が企業に多額の設備投資資金を貸している場合もあります。銀行も、経営者に利潤最大化を要求する。

貸した資金を回収せねば自分が大損をしてしまいますから。

企業が巨額の利潤を確保し、適切な設備投資や金融資産投資を行って競争力を向上させたら、その企業の存続可能性は高くなります。

所属企業が巨額の利潤を上げ、巨額の内部留保を持つのは、労働者にとって悪い話ではない。

経営者が企業経営に失敗すれば利潤は減り、赤字経営が続けば無配当、株価が底値になっていきます。

このとき、厚い内部留保を持つ企業なら暫くは存続できる。

経営者が不採算部門の労働者を解雇、配置転換でコストを削減できなければその企業は倒産するでしょう。株価はゼロになります。

その企業に債権を持つ銀行が主に倒産会社の整理業務をする。

倒産させるか否かを、銀行が最終決定する場合が多い。

現在行われている企業経営方式は、ざっと言えばこうなります。

不破哲三氏ら日本共産党員は、「生産手段の社会化」によりこれのどこを、どう変えれば貧富の格差や、地球温暖化が解決できると豪語するのでしょうか。

不破哲三氏ら日本共産党員は金融資産市場を廃止したいのか―利子収入、配当は不労所得


不破哲三氏ら日本共産党員の描く「未来社会論」に、金融資産市場に関する話が殆ど出てこないことも気になります。

利潤を、経営者の判断で金融資産投資に配分したら「内部留保のため込み」で悪行と判断されるのでしょうか。

金融資産投資には投資信託購入、株式購入、国債保有、各種の債券購入、定期預金保有などいろいろあります。

これがなぜ「内部留保のためこみ」で悪行なのか。

思いつくのは、レーニンが唱えた、富農による穀物投機批判です。

余剰穀物を隠して、高く売ろうとしている富農は人民の敵だから投獄せよ、という話です。

日本共産党員には、大企業経営者が地主や富農のような存在と思えているのではないでしょか。

不破哲三氏によれば、信用=金融制度の巨大な機構はその多くの部分が「不必要な機能」として整理されるそうです(同書p50)。

金融資産投資、金融資産市場が日本共産党が想定する「未来社会」でも存続しているのなら、搾取制度は存続しているともいえます。

利子や配当所得は不労所得ですから。

ある企業の株を沢山持っている株主は、自分では一切働かなくてもその企業の経営に口を出せる。

株式市場を全廃し、株主が経営者に利潤最大化を要求できないようにしないと、「利潤第一主義」の克服は困難でしょう。

経営者は聖人君子ではない。大株主の要求に応じられなければ、次の株主総会ないしは取締役会で解雇されうる。

株式会社は実に良い仕組みと思えてなりません。

株式会社を全廃したら、経済が非効率的に運営され、生産と雇用が大幅減少して経営者、投資家だけでなく労働者も大損をするだけです。

配当、利子収入はリスク引き受けに対する正当な報酬なのか


しかし株式会社を廃止しないと、搾取制度を廃止できない。配当は不労所得ですから。

マルクス主義経済学者がこれらを搾取ではなく、リスクの引き受けに対する正当な報酬であると把握するのなら搾取とは一体何なのでしょうか。

利潤の一部が配当や利子払いに充当される。マルクス主義経済学では、搾取が存在するから利潤があるという。

これは価値決定式と利潤存在条件により説明できます。

利潤の一部を生産に直接貢献していない主体に配分することを認めるのなら、資本家が利潤の取得、配分を決定しても良い事になる。

資本家が株式や債務証書(債券)を発行し、企業経営の原資を調達、提供しているのなら、利潤の一部取得と配分決定権限を掌握するのは当然ではないでしょうか。

投資家という経済主体は、国家権力により存在を認められないようにすべきなのですか。

これは、地主、不動産の賃貸料所得生活者の存在禁止と同じことです。レーニンは地主を追放しなければ社会主義の前提がないと考えた。

「若者よ、マルクスを読もう」の著者石川康宏教授や、聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員」にこれらをお尋ねしたいものです。


2018年10月5日金曜日

松本善明「在日朝鮮人の帰国事業再開実現をめざして―事業再開後、『暫定期間」以降の朝鮮民主主義人民共和国赤十字代表の日本入国手続き問題をめぐってー」(「赤旗「昭和44年4月4日掲載論考)より思う。

「戦後、朝鮮人民は日本帝国主義のくびきからみずからを解放し、アメリカ帝国主義の南朝鮮にたいする軍事支配に抗して、朝鮮民族の唯一の祖国―朝鮮民主主義人民共和国を創建し、その独立をかちとりました。在日朝鮮人はその祖国への集団的帰国の実現を熱望したことはいうまでもありません」(上記論文より抜粋)。


松本善明氏は、日本共産党の衆議院議員を長く務めた方です。画家、岩崎ちひろの御主人としても有名です。

赤旗編集局編「北朝鮮 覇権主義への反撃」(新日本出版社平成4年刊行、p9)によれば、松本善明氏は昭和43年8~9月に日本共産党代表団の一員として、宮本顕治書記長(当時)、不破哲三氏、立木洋、内野竹千代氏とともに北朝鮮を訪問しました。

このときの北朝鮮の状況については、「北朝鮮 覇権主義への反撃」(p7~43)で不破哲三氏が詳述しています。

不破氏によれば宮本顕治氏ら当時の日本共産党最高指導部は、昭和43年1月の「青瓦台事件」は、朝鮮労働党の武装工作員によるテロであると看破していました。

宮本顕治氏は金日成との会談で、朝鮮労働党による韓国への南進の危険性を指摘しました(同書p27ー28)。

宮本顕治氏が金日成にそのように主張したことは真実でしょう。

昭和43年1月の「青瓦台事件」を「赤旗」は南朝鮮人民の闘争の高まり、旨報道


当時の「赤旗」記事はこの事件を南朝鮮人民の闘争の高まり等と報じていた事を、インターネットなどで「お笑い日本共産党」さんら多くの人が指摘しています。

これは、大きな大学の図書館などで「赤旗」の縮刷版を探し、昭和43年1月頃の記事をみれば簡単に確認できます。

不破哲三氏によれば朝鮮労働党は日本共産党の宿舎に盗聴器を設置していました。

不破氏は北朝鮮訪問中に、金日成への個人崇拝の体制化が始まったと実感したそうです(同書p37)。

不破氏は個人崇拝がここまでくると、技術面でも進歩の阻害要因になると感じたそうです。

不破氏は、朴金チョルと李孝淳という朝鮮労働党の副委員長が党指導部から姿を消しているので、朝鮮労働党の内部に異様な状況が起こっていると推察したそうです(同書p20)。

同行していた松本善明氏も、同様の感想を抱いたことでしょう。

最高幹部が会談に出てこなくなったのに、理由もわからないのは不可解ですから。

日本共産党最高指導部は北朝鮮が朴大統領殺害をはかったテロ国家であると認識していたが、それでも一人でも多くの在日朝鮮人を帰国させようとした


しかしそれでも、一人でも多くの在日朝鮮人が北朝鮮に帰国できるよう全力で努力するという日本共産党の方針は全く変化しませんでした。

松本善明氏の上記論文は、北朝鮮を訪問後に「赤旗」に掲載されていますが、論文のどこにも次のような記述はありません。

日本共産党代表団は、北朝鮮で宿舎に盗聴器を設置されてしまった。

金日成への個人崇拝の体制化が始まっている。

朝鮮労働党内部に異常な状況が起こっている。

松本善明氏によれば、帰国事業の打ち切りは佐藤栄作内閣による反動的諸政策の一環です。

佐藤内閣は「日韓条約」で韓国の朴正熙かいらい政権を朝鮮半島で唯一の合法的政府と認めて国交を樹立しましたが、朝鮮民族の唯一の祖国は朝鮮民主主義人民共和国だそうです。

日本共産党最高幹部は、本音と実際の言動を使い分ける―金日成に学んだ


松本善明氏は上記論文でこのように明言しているのですが、本音は当時の不破哲三氏と同様だったはずです。

金日成への個人崇拝の体制化が始まっている。

朝鮮労働党内部に異常な状況が起こっている。

松本善明氏は内心ではこのように考えていたのです。

不破哲三氏、松本善明氏ら当時の日本共産党中央幹部は、在日朝鮮人に接するとき、表面では本音を出さずに、同志的な態度で率直に話しているように装ったはずです。

不破哲三氏、松本善明氏は在日朝鮮人の反応を見て内情や真意を探り出そうとした事でしょう。

これは金日成と朝鮮労働党が日本共産党代表団に接した時の態度と同じですから(同書p35)。

若き松本善明氏は朝鮮労働党との会談で金日成の狡猾な政治手法の有効性を素早く見抜き、在日朝鮮人に対してそれを用いたのです。

一人でも多くの在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させよ、という政策はあまりにも異様です。

北朝鮮の現実など、当時の日本共産党最高幹部にはどうでも良い事だったのです。

在日朝鮮人が帰国後どうなろうと、自分達には関係ないという発想です。

君たちには選択の自由があるのだ、というシカゴ学派のMilton Freedmanのような発想とも言えそうです。

当時の日本共産党にとって、金日成は朝鮮半島の統一を実現するべき偉人です。

若き不破哲三氏や松本善明氏は金日成の狡猾な政治手法にさぞ感銘した事でしょう。

今の志位和夫氏ら日本共産党最高幹部の中にも、表面では本音を出さないで率直に話しているように装っている方がいるのでしょうね。

前川某さんも、長年勤務していた職場でそんな態度を取っていたそうです。

左翼政治家、左翼知識人、左翼運動家として生きていくのは大変です。心理的ストレスの蓄積は尋常でないでしょう。