2015年3月28日土曜日

Audrey Tautou主演2007年仏映画「幸せになるための恋のレシピ」(原題Ensemble, C'est Tout、英語題名はHunting and Gathering)を観ました。

清掃員をやりながら画家を目指している27歳の女性Camille(Audrey Tautou)が、吃音で温和な貴族の血筋の若者Philibert(Laurent Stocker)、料理人の若者Frank(Guillaume Canet)と出会った。


映画の題名は、日本語と英語(Hunting and Gathering, 狩猟と収集?)では大きく異なっています。原題は、「一緒にいること、それが全て」とでも訳せば良いでしょうか。

この映画のメッセージは原題に最もよく表されています。

フランスには、アパートを共同で借りる習慣があります。共同借家人をcolocataireといいます。この映画は、若きcolocataire同士の物語です。

画家を目指すCamille(Audrey Tautou)が時折見せる憂いの表情が魅力的です。

若者には人生の諸課題と困難が降りかかる


若者には次から次へと人生の諸課題、困難が降りかかってきます。それらと対処せねば、何も前に進められない。

自分が望む職に簡単につけるはずもない。まずは生活の糧を得るため働かねばならない。そうこうしているうちに年を取ってしまう。その前に子供を産んで育てねばならない。

人生の諸課題に対処しよりよく生きていくためには、仲間同士で助け合おう。これがこの映画のメッセージでしょう。

しかしこの映画は若者の物語だけではない。Frankの祖母Pauletteの生き様と死に方が背景に描かれている点が面白い。

未亡人のPauletteには孫はFrankしかおらず、子供と疎遠になっている。現実のフランス社会には、こうした身の上の老人はいくらでもいるのでしょう。

Pauletteの姿は、若者に人生の終着駅を思い起こさせます。子供や孫に死んでいく姿を見せることが、老人の大事な役目なのかもしれません。

荒っぽいFrankの優しさにCamilleは惹かれた。Camilleのデッサン(素描)にも映画のメッセージ


Frankは荒っぽい気性の持ち主ですが、自分を育ててくれた祖母Pauletteを大事にしているのですから優しさも兼ね備えている。

Frankは父親と会ったことがありません。母親は子供の頃自分を棄てて出て行ってしまいPauletteのもとで育ちました。今は母親と時折会っています。

母親には12歳の子供、つまりFrankにとっては父親違いの弟がいます。弟はお菓子職人になりたいと願っているので、Frankは援助するつもりと仲間に語ります。

そんなFrankですから、穏やかなCamilleが魅かれることもありえるでしょう

画家志望のCamilleが時折、周囲の人々のデッサン(素描)を描きます。このデッサンは、生き方からにじみ出る人柄を思い起こさせます。

Camilleの素描には、お互いの個性を尊重することが一緒に生きていくための前提だというメッセージが込められているのでしょう。

2015年3月21日土曜日

中島梓「転移」(2011年朝日文庫。中島梓の別名は栗本薫)を読みました。

今度は大変残念ですが1週間、数日単位でしか考えないほうがいいように思う、という、つまりまあ「余命宣告」といってもあってないような状態になってしまったのだ(同書p300、2009年5月12日より抜粋)-


一昔前は、癌の告知をしなかったように思います。最近は、「数日単位」という「余命宣告」をするのですね。勿論これは、御家族と相談の上でのことでしょうけれど。

全国健康保険協会のHPによれば現代日本では、概ね二人に一人が癌になり、三人に一人が癌で亡くなります。私の周囲でも最近、51歳のある友人が食道癌で亡くなりました。

昨年夏に会った時は元気に見えたのですが、本人はこのとき既に死が遠くないことを覚悟していたはずです。抗ガン剤の副作用で苦しんでいたかもしれません。

生きとし生ける物は皆死ぬのですが、自らの生存期限がわかったとき人は何を思うのでしょうか。何をするべきなのでしょうか。常日頃からのこの問いかけが大事なのかもしれません。

あと数日という「余命宣告」を、中島梓は実際にはどのように受け止めたのでしょうか。この本では淡々と上述のように記載されています。

「闘病記兼、中島梓が最晩年に感じたり考えたことの記録」(同書p19より)


中島梓は、2009年5月17日に昏睡状態に入り、5月26日に亡くなりました。この本は前著「ガン病棟のピーターラビット」(ポプラ文庫)の続編ともいえるでしょう。

2007年10月末に体調を崩し、黄疸がひどくなって入院し、「下部胆管癌」の疑いあるので「すい頭十二指腸切除手術」をしたとあります。

その後CTスキャンで肝臓に転移が発見され、胆管癌ではなく膵臓を源とする膵臓癌だったことがわかったそうです。

著者がこの本のプロローグ(prologue)を記したのが2008年4月28日です。ジェムザールという抗ガン剤を使っていたが、副作用はあったが効いていなかったそうです(p10-11)。

その後1年1ヶ月ほどで亡くなられるのですが、プロローグ執筆時点では抗ガン剤でだるいだけでどこも痛くないと述べています(同書p20)。

しかし、膵臓癌は急速に体を悪化させてしまうのですね。およそ七か月後に中島梓は激痛に苦しむようになってしまいます。

「予定としては、私が文章を打てる限りは現状報告と遺書をかねて書いてゆくつもりです」(2009年2月12日、同書p23)


中島梓の他の著作や評論活動について私は存じませんが、膨大な著作を残した人気作家でした。

活力を常に全身にみなぎらせているような方だったのでしょう。

この手記の行間から、無念の思いと悲しみ、どうしようもないなら前を向いて死にたいというお気持ちを感じ取れます。

上記は亡くなる三ヶ月ほど前の文章ですが、余命がさほどないことを予感していたのではないでしょうか。

「腹痛や背中痛、腰痛がずっとあって、寝ていても起きていても辛い真夜中は辛い」(同書p111)


2008年11月25日の日記で中島梓は、次のように述べています。

「腹痛や背中痛、腰痛がずっとあって、寝ていても起きていても辛い真夜中は辛い。こんな日がずっと続くのだったら、もういっそ死んでしまったほうが楽だと思うくらい辛い」

「旦那が癌の雑誌を眺めていて、見せてくれたなかに『難病の癌と闘う」というような特集があって珍しく膵臓ガンが出ていたので、見てみたら、

手術しなければ生存率は0%、手術後が13%なんぼ、手術後に肝臓転移が出たケースで、最長に生きたのが15ヶ月、11ヶ月くらいなら相当ラッキー、というような話が延々と出ていたので、

気が滅入ってしまって、帰る途中から旦那と喧嘩になってしまった。...11ヶ月というと来年の3月まで生きていれば相当頑張った、ということになるのか」。

御本人の予想は、概ね当たってしまいましたが、「相当頑張った」と言えるのではないでしょうか。

「旦那と喧嘩になってしまった」という記述から私には、癌の激痛に苦しむ中島梓を御主人が優しくいたわっていらしたように思えます。癌患者をいたわるのは実に難しい。

「やはり死にたくはないし、家族を残して50代で逝ってしまいたくはない。久々に泣いてしまった」(同書p112より抜粋)。


中島梓の無念さがひしひしと伝わってきます。

激痛に苦しみつつも、仕事をし続けていたのですから並大抵の精神力ではない。「泣いたあとでグインをともかく完成した」とあります(p112)。

体調はこのあともあまり好転せず、腹水が貯まるようになっていきます。それでも、最後まで前向きな気持ちと生き方を貫いたようです。

2009年4月13日の日記によれば、前日に中島梓は「当分さいご」というふれこみの昼間ライブをやっています。4月14日の日記によれば、右足と下半身のむくみがひどくなっていました。

私は医師ではないので、末期ガン患者の足がなぜむくんでしまうのかわかりませんが、ほぼ共通した症状のようです。他の方の手記にも出てきます。

体がむくみ、時には激痛に苦しむ中島梓を傍で見ていた御家族もどれだけ辛かったでしょう。

「淡交」と「深く濃い交わりをする相手」、「これから先は何でもとにかくあせらずにやってゆこうと思う」


著作やHPを見た方から、励ましのメールが沢山きていたようですが、中島梓にはこれらのほとんどが重荷だったようです。

「ひとが『好意』だと思って見せてくれるものが、病人当人にとっては、好意でもなんでもなく、ただの押しつけであったり、共感の押し売りであったりすることも多い、ということは自戒しておくべきだろう」(p248)。

「世の中は『淡交』でいいのだ。濃く深い交わりをする相手、などというものはこの世にほんの数人いればいい」と述べています(p248-249)。

なるほど、と頷かせる人間観、人生観です。

中島梓には、御主人や息子、母親と他数名の「濃く深い交わりをする相手」がいたのでしょう。

その方々に見守られていたからこそ、苦しみつつも最期まで前向きな死に方ができたのではないでしょうか。

同時に「淡い付き合いの相手」、例えば読者の存在を、作家中島梓が忘れていたとは思えません。

5月12日の日記の「『余命宣告』といってもあってないような状態になってしまったわけだ」という記述は、読者へのメッセージとも言えそうです。

5月15日の日記の次の記述は、中島梓が最期まで作家として生き抜きたいという気持ちを持っていたことを思わせます。

「これから先は何でもとにかくあせらずにやってゆこうと思う」。

御冥福をお祈りします。

2015年3月16日月曜日

Micky Rourke, Marisa Tomei出演2008年米国映画「レスラー」(原題The Wrestler)を観ました。

体を酷使する仕事を選択し、家族をないがしろにしてしまった男が齢を重ねたら


体を酷使する仕事に長年従事すると、加齢とともに体が痛めつけられ、ボロボロになってしまいます。若い時に沢山稼いで、可能なら転身を図らねばならない。

体を酷使するような仕事をしている人々の間では独特の言葉使い、価値観が根付いています。

勿論、同じ業界に生きているからと言って同じ生き方を選択しているわけではない。プロレスラーを辞めて飲食業で成功した方もいます。

この映画は、体を酷使する業界で生きることを選択し、家族をないがしろにしてしまった中年男性の哀しみが感じられます。

齢を重ねれば、体が衰え病気がちになります。そのときになって家族を思い出しても、もう遅いのかもしれません。

Micky Rourke演じる主人公は、かつては頂点を極め、名声を博したが今は年老いて落ちぶれたプロレスラーです。

米国ではプロレスラーはプロモーターと試合ごとに契約をしてギャラを得る非正規労働者ですから、不安定なことこのうえない。日本でも殆どのプロレスラーはそうでしょう。

過酷なプロレス業界-客を呼ぶために技が過激化する


日本ではプロレスという業界自体が、停滞産業です。

プロレスがスポーツではなく、筋書きのある見世物であることはミスター高橋の暴露本などで明らかにされていますが、この映画でも描かれています。

試合の途中にどんな技を使い、何で終わるのかをレスラーたちは事前に決めておくのです。

レスラーとは客商売そのものですから、客が試合を見て盛り上がりまた見に行こうという気分にせねばならない。そのために、技が徐々に過激になっていくのでしょう。

レスラーの中には、試合中の事故で亡くなってしまう方もいます。日米ともに実に厳しい業界で、何とかならないのかと思うのは私だけではないでしょう。女子プロレスも同様です。

この映画でも、体を大きなホチキスで縫う反則技が出てきますが、正視し難い。落ちぶれた主人公の苦しそうな息遣いから、プロレス業界で生きている男たちの痛みと哀しさが伝わってきます。

主人公は筋肉増強剤のような各種の薬を常用していますが、これも体を痛めつけるでしょう。

人生の夕陽を見つめつつ生き抜くプロレスラーと息子を大事に育てているストリッパー


ヒロインとも言うべき存在が、Marisa Tomei演じるストリッパーです。

Marisa Tomei演じるストリッパーに主人公は惚れて接近していきますが、小学生の息子を抱えたストリッパーは彼を受け入れない。ビジネス上の付き合いだと割り切っています。

主人公には成人した娘がいます。主人公はレスラーとして頂点を極めていた時代に、娘への養育を怠っていたようです。娘が父親を父親として認めないのですから。

心臓に疾患を抱え、自らの先行きが長くないことを悟った主人公が自分の所業を反省し、娘に謝罪して父と娘の関係を再構築しようとしますが、身に染みついた性を変えることはできなかった。

愛する娘との関係再建は難しかったのです。

息子を大事に育てているストリッパーと対照的です。

人生の夕陽を見つめつつ、仲間とのジョークのやりとりで孤独を紛らわしつつも必死に生きる男を、Micky Rourkeが良く演じています。

映画の最後の場面で主人公が、心臓の発作に苦しみつつもプロレスの大技をかけます。

遠からず死を迎えるのですから、自分なりの生き方を貫ければそれで良しという覚悟でしょう。

Marisa Tomeiが演じたストリッパーの老後は、主人公のそれとはかなり異なったものになりそうです。このストリッパーは、年をとっても全てを失うことはなさそうです。

家族、血縁の大事さを改めて考えさせられます。





2015年3月14日土曜日

Diane Kruger, Djimon Hounsou, Benoît Magimelの2011年仏映画「スペシャル・フォース」(原題Forces spéciales)を観ました。

Vive La France!(フランス万歳)と思わず叫びたくなる。


アフガニスタン、パキスタンでのTalibanと西側諸国の戦いを思い起こさせる映画です。フランスも軍をこの地域に派遣していたのですね。映画に基地が出てきました。

Talibanに誘拐されたフランス人女性ジャーナリストElsa(Diane Kruger)を救出するため、6人構成の特殊部隊が派遣されます。

Talibanはアフガニスタンで何をやったのか。彼らの人権蹂躙を、世界のジャーナリストはどのように報道したのか。

アフガニスタンやパキスタンに派遣された米国やフランスの兵士はどんな任務を担い、実際にどんな仕事をしてきたのでしょうか。そんなことを改めて考えさせられる映画です。

映画はTalibanの蛮行を告発していますが、彼らの中にも穏健派の指導者がいることを描いています。単純な勧善懲悪ものではありません。

フランスの航空母艦と特殊部隊が、フランス人ジャーナリスによる真実の報道を保障している


Talibanとの激烈な戦闘もさることながら、人質奪還後安全地帯まで逃げるためには4000メートル近い国境の山々を越えねばなりません。

山越えのために立ち寄った小さい村は、特殊部隊員をお客さんとして遇してくれました。その後特殊部隊を追ってきたTalibanは村人を惨殺します。

アフガニスタンではそんな現実があったのでしょう。残虐なTalibanだけでなく、過酷な自然とも特殊部隊は戦わねばならない。

北朝鮮に少なくない日本人が拉致されているのに、救出作戦など一切思考も議論もしたことのない日本はいったいどうなっているのだろうと改めて考えてしまいます。

強力なフランス軍、特に空母と特殊部隊は真実を報道するフランス人ジャーナリストの生命と人権を守るために大きな役割を果たしていると実感させられます。

自国民が凶悪集団により拉致されても、政府は座視しているだけならジャーナリストが現地に行けませんから、真実の報道など何もできなくなってしまいます。

民主主義国では強力な自国軍の存在が、勇気あるジャーナリストの真実の報道を保障するのです。

現実には、6人の特殊部隊では人質の救出は無理


ただ、見終わってから考えると、圧倒的に地の利があるTalibanに誘拐された自国民を救出するためにたった6人の特殊部隊ではあまりにもお粗末です。

6人では、装備で上回っていても多勢に無勢ですから、人質も含め全員戦死してしまう可能性が高いでしょう。実際の戦闘で勝利し人質を救出するためには火力で圧倒せねばならない。

Talibanの根拠地を可能な限り特定化し、空爆を実行せねばならない。映画では人質の処刑時間が迫っているという設定ですから、空爆をする時間的余裕がなかったということでしょう。

優秀な若き狙撃手が狙撃後に苦しい表情を見せます。狙撃手も人間ですから、気分よく射殺などできるはずもない。

「これが任務だ」という狙撃手の心の叫びは、観客への重い問いかけでもあります。Talibanとの戦いの正当性を考えさせます。正当性が疑われるような戦争を、民主主義国は継続できない。

どれだけの仏軍兵士がアフガニスタンで戦死したのでしょうか。

Benoît Magimelは爆弾の使い手を演じています。Benoît Magimelは知性ある人物をよく演じます。

Diane Krugerはドイツ人ですが、英語に堪能なフランス人女性ジャーナリストを演じています。私の耳では、彼女の英語に訛りを感じられない。

フランス人女性ジャーナリストが最後に、自分を救ってくれた特殊部隊員の救出を断固主張します。このとき、Vive la France!と叫びたくなってしまいます。

2015年3月9日月曜日

カトリーヌ・ドヌーヴ他出演仏映画「8人の女たち」(原題Huit Femmes, Catherine Deneuve, Isabelle Huppert, Emmanuelle Béart, Fanny Ardant, Virginie Ledoyen, Ludivine Sagnier, Firmine Richard, Danielle Darrieux出演)を観ました。

1950年代の仏のクリスマス・イブの朝、大邸宅の主人が何者かに殺された。犯人は?



この映画を観た後、Agatha ChrisitieのMurder on the Orient Express(オリエント急行殺人事件)を思い出しました。最後まで真犯人はわからず、意外な結末となります。

この映画に名探偵ポワロ(Hercule Poirot)は出ませんが徐々に、被害者と家族の間の葛藤と秘密が暴かれていきます。

フランスには今でも、この映画の舞台のような大邸宅が数多く残っているのでしょうか。

女性は化粧、衣装と髪型で変貌する


この映画では、被害者である大邸宅主人は殆ど出演せず、ほぼ全ての場面が8人の女優間の会話と歌で構成されています。邸宅内だけの物語です。

人物と場面を限定して、心理を表現する演技力を観客に示そうとしたのでしょう。

Isabelle Huppert、Emmanuelle Béartが化粧、衣装と髪型を少し変えるとガラリと違った雰囲気を醸し出ます。女性は気持ち次第で別人になれるのでしょうか。

女優らによる歌や踊りも面白い。若きLudivine Sagnierと一緒に、カトリーヌ・ドヌーヴが楽しそうに踊っています。歌詞が、それぞれの役柄を思わせる内容になっています。

女優は皆、現代フランスの代表的な女優だそうです。
カトリーヌ・ドヌーヴは「シェルブールの雨傘」(Les Parapluies de Cherbourg)や「昼顔」(Belle de jour)で有名です。Isabelle Huppertは「ピアニスト」の主演女優です。

Isabelle Huppertが理屈っぽく、神経過敏な女性をよく演じています。

Emmanuelle Béartの艶やかな金髪と妖しい視線も魅力的です。こういう女性が目前に現れたら夢中になってしまう男性はいくらでもいるでしょう。

2015年3月6日金曜日

宮本顕冶氏ら戦前の日本共産党中央は不法に拳銃を保持していた―宮本顕冶「公判記録」、新日本出版社1976年p301より―

日本共産党は「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と宣伝し武装していた-32年テーゼを吉良よし子議員は直視するべきだ-


少し前ですが衆議院で志位和夫日本共産党委員長が質問をしているとき、「さすがはテロ政党だ」という旨の野次を飛ばした議員がいたそうです。

志位和夫氏や池内さおり議員、吉良よし子議員らが武装してテロや内乱を策していることなどありえません。その意味では、テロ政党ではない。

しかし、昔の日本共産党は「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」という「32年テーゼ」の方針に依拠して実際に武装していました。池内さおり議員、吉良よし子議員はこの史実を一切御存知ないでしょう。

吉良よし子議員は読書好きだそうですが、日本共産党の古い文献を読んでいるとはとても思えない。一昔前の「赤旗」や「前衛」を国会図書館で探して調べるような共産党議員はいないようです。

どこから入手したのか存じませんが、戦前の日本共産党中央は実際に拳銃を保持していたのです。モスクワ帰りの党員が持ってきたのでしょうか?

宮本顕冶、袴田里見両氏の上述文献では、官憲が共産党弾圧のためには手段を選ばなかったから自己を防衛するための正当な権利として拳銃を所持していたと主張しています。

当時の日本の警察は拳銃など常時携帯していませんでした。個人の武装では日本共産党中央が警察官を凌駕していたのです。

当時の警察官が日本共産党員を逮捕しようとすれば、射殺される可能性があったのです。

昔の日本共産党はスターリンとソ連共産党に忠誠を誓って内乱を策していた


昔のソ連はスターリンという凶暴な独裁者の支配下にあり、国民は徹底的に自由を奪われ抑圧されていました。スターリンのソ連とは今の北朝鮮をイメージすればよいでしょう。

スターリンに忠誠を誓い、武装して内乱を起こそうとしている連中を日本政府が逮捕するのは当たり前です。

日本共産党員を拷問で殺害するのは行きすぎでしょうが、外国から資金援助を受け武装して内乱を起こそうとする集団を逮捕しない政府は、自国民のいのちと暮らしを守る義務を放棄しています。

凶暴かつ狡猾な独裁者スターリンとソ連の内政干渉、侵略から日本を守るためには治安維持法が必要不可欠でした。若き宮本顕治氏はスターリンを崇拝していました。

朝鮮労働党の在日本非公然組織は日本人拉致だけでなく、生物・化学兵器でテロを断行しうる


現代日本にも、金正恩に忠誠を誓っている朝鮮労働党の非公然組織はいくらでも存在します。彼らが生物・化学兵器で「武装」して突拍子もないテロを策していない保証はどこにもありません。

残念ですが、日本政府はこの危険性を全く認識できません。日本政府はテロリスト国家北朝鮮を対話可能な交渉相手とみなしています。

外務省高官は暴力団や共産党による蛮行の歴史を一切直視できない。殆どの自民党議員も同様です。

公務員試験には「テロリストと暴力団の歴史」「共産主義運動による蛮行の歴史」という科目はない。学校秀才にはこういう分野の勉強が公務遂行のために大事だという発想が全くできない。

朝鮮労働党の在日本非公然組織の活動については、張龍雲氏による「朝鮮総連工作員」(小学館文庫)が良い文献です。張氏は「洛東江」という日本人拉致組織に所属していました。

奇妙なことを言うようですが、私には志位和夫氏なら北朝鮮、朝鮮労働党在日本非公然組織の凶暴性を十分に「理解」できるように思えます。

大韓民国は滅亡させられるべきなのか-「南朝鮮革命」「全社会の金日成・金正日主義化」-


テロ国家北朝鮮の凶暴性は、赤旗編集局編「北朝鮮 覇権主義への反撃」(新日本出版社1992年)からも明らかです。

この程度の文献なら、志位和夫氏は熟知しています。在日本朝鮮人総連合会の皆さんにも、この文献は大変参考になるでしょう。

在日本朝鮮人総連合会の活動に熱心に参加されている「熱誠者」の働き手(朝鮮語でイルクン)の皆さんに私は訴えたい。

皆さんなら同胞の中に朝鮮労働党の対南工作機関の非公然活動に参加して大韓民国を滅亡させるべく日夜尽力している方がいるのを御存知でしょう。

非公然組織には、韓国の山や川の名称がつけられていることが多いそうですね。

梁英姫監督のお兄さんの一人は、梁英姫監督に非公然組織の工作員になるよう勧誘したそうです。映画「かぞくのくに」にその場面があります。

イルクンの皆さんが大韓民国が滅亡させられて金正恩に服属すべきと本気で考えているなら、皆さんこそナチスの現代日本版です。

大韓民国が滅亡し朝鮮労働党が朝鮮半島全体を支配すれば、金正恩を批判する人は張成澤のように処刑されてしまいます。

「全社会の金日成・金正日主義化」という言葉を在日本朝鮮人総連合会の働き手の皆さんは熟知しています。大韓民国こそ、「全社会の金日成・金正日主義化」の対象地です。

かつて、若き宮本顕治氏がスターリンに忠誠を誓って「日本革命」を策していたように、朝鮮労働党は金正恩に忠誠を誓い「全社会の金日成・金正日主義化」を策しています。

吉良よし子議員が読書好きなら、昔の「赤旗」「前衛」を読むべきだ


「日本革命」「全社会の金日成・金正日主義化」など、普通の日本人には奇々怪々な言葉ですが革命家の皆さんは大真面目です。革命家とは物騒な連中なのです。

吉良よし子議員は、朝鮮労働党の文献など一切ご存知ないでしょう。一昔前の日本共産党は朝鮮労働党と親密な関係を維持していました。昔の「赤旗」には北朝鮮礼賛記事が満載です。

以下を池内さおり議員や吉良よし子議員、在日本朝鮮人総連合会の皆さんに是非、読んでいただきたい。若き宮本顕冶・袴田里見両氏による「われらは抗議す」からの抜粋です。

若き宮本顕冶・袴田里見両氏は拳銃所持が正当と断言しています。文章を読む限りでは、当時の日本共産党中央は「護身」のために警察官を射殺しかねなかった。愚の骨頂です。

宮本顕治・袴田里見「われらは抗議す」より抜粋


「官憲は共産党弾圧のためには手段を選ばなかったのである。

こういう不法暴虐にたいして自己を防衛するのは正当な権利である。

われわれの当時の拳銃所持は支配権力のかかる致命的不法暴虐行為を防衛するための護身用のためであり、あきらかに正当な理由があるものである」。