2013年3月8日金曜日

日本人拉致問題と日本共産党の見解変更(平成13年2月執筆)

十二年前の拙稿より-再び左翼の生き方を考える-




以下は平成13年2月、ホームページに掲載した拙稿です。文中に「昨年」という記述がありますがこれは平成12年を意味しています。蓮池さんや地村さんらが帰国されたのが平成14年(2002年)秋です。拙稿執筆時は北朝鮮は日本人拉致を一切認めていませんでした。

左翼勢力とは一体何だったのかという問題について考えている方には、再読していただく価値があろうと考え、長文ですが再掲します。


日本人拉致問題と日本共産党の見解の変遷



北朝鮮により、横田めぐみさん、有本恵子さん、原敕晃さん、李恩恵こと田口八重子さんら、相当数の日本人が拉致、抑留されている。

抑留されている期間は人によって異なるが、拉致事件の多くは七十年代後半であるから、二十数年間抑留されている人が多数いることになる。

北朝鮮から韓国に亡命している元工作員らの証言によれば、拉致された日本人は平壌にある「金正日政治軍事大学」という工作員養成学校で、工作員の日本語教育係、日本人化教育係のような仕事を強制されているようだ。

神戸市に住んでいた田中実さんの場合は、翻訳の仕事をさせられているという証言もある。北朝鮮は日本人だけでなく、韓国人も拉致している。

拉致された韓国人の中には、「金正日政治軍事大学」で工作員の「韓国人化教育係」をさせられている方もいる旨、北朝鮮から韓国に亡命した元工作員や、韓国で逮捕された北朝鮮工作員が証言している。

北朝鮮による拉致事件は多数あるが、原敕晃さん
拉致事件と、大韓航空機爆破事件の犯人である金賢姫の教育係「李恩恵」こと田口八重子さんの件について簡単に説明しておこう。

以下の記述は、主に石高健次氏の著作「金正日の拉致指令」(朝日新聞社1996年刊)「これでもシラを切るのか北朝鮮」(光文社1997年刊)、朝日新聞の昭和60年6月28日付け記事「日本人ら致、身代わりスパイ」、金賢姫著「忘れられない女 李恩恵先生との二十ヶ月」(文藝春秋 1995年刊)、全富億氏著「北朝鮮の女スパイ」(講談社+α文庫 1997年刊)などに依拠している



原敕晁さん拉致事件
 


北朝鮮工作員辛光洙は、昭和48年7月に能登半島に不法侵入し、親族に北朝鮮帰国者がいる在日朝鮮人の協力を得ながら日本で対南工作(韓国で「南朝鮮革命」をおこすための工作活動)を続けていた。

昭和51年9月頃、辛光洙はいったん平壌に戻り、「招待所」という工作員の教育施設で朝鮮労働党の調査部の金という人物から「教育」「学習」を受けた。

その後辛は「金星政治軍事大学」(金正日政治軍事大学の前身)での外国語学習、「招待所」での通信機器や暗号技術などの訓練、日本人に成りすますための研究を行なった。

そして辛光洙は「日本人を拉致し、本人に成りすまして在日工作を続けよ」という旨の指令を金正日本人から三号庁舎という対南工作組織が入っている建物の中で受けた。

宮崎県日向市の五十鈴川河口から日本に不法侵入した辛光洙は、大阪に向かい、朝鮮総連系の民族学校で校長を務めたこともある金吉旭という人物に日本人拉致指令への協力を要求した。

金吉旭は東大阪市に住んでいる在日朝鮮人「李」(大阪の朝鮮商工会の関係者)に協力を依頼した。この東大阪在住の人には、北朝鮮に帰国した息子がおり、辛から息子の写真と手紙を見せられて日本人拉致に協力することになった。

彼が知り合いの在日朝鮮人「李」(仮名)(鶴橋で中華料理店を経営。朝鮮商工会の関係者)に相談したところ、李は自分のところで働いていた原敕晁さんの名前をあげたという。

原さんは独身で身寄りがないので、拉致して辛光洙が原さんに成り変っても気づく人が少ないであろうということから、原さんが拉致対象者に選ばれてしまったのだ。

辛光洙と一味は原さんに「良い職場を世話する」などと騙して宮崎県の青島海岸近くの「青島橘観光ホテル」まで連れて行った。そして青島海岸近くの公園に原さんを誘い出し、待ち構えていた北朝鮮工作員に原さんを引き渡した。

辛光洙はその後原さんの経歴、家族構成、過去の生活から中国料理法まで習得して完全に原さんに成りすまし、原さん名義の旅券、運転免許証などを取得した。辛は原さんの旅券でヨーロッパや東南アジアを動き回った。

東南アジア地域にも情報収集の拠点を築こうとしていたのであろう。辛光洙は昭和60年4月にソウルに乗り込んだ後、国家安全企画部により逮捕され、上述の件を自白した。国家安全企画部は六月二十八日、辛光洙逮捕を発表した。

辛光洙はその後服役していたが、釈放され、昨年「非転向長期囚」として北朝鮮に帰還した。辛が逮捕された頃、北朝鮮側は事件を全面的に否定していたが、辛光洙は北朝鮮に帰還したから、辛が北朝鮮関係者であることを北朝鮮当局は完全に認めたことになる。


李恩恵と田口八重子さんについて
 


金賢姫の日本語教育係「李恩恵」については、金賢姫の著作「いま、女として」(文藝春秋1991年刊)「忘れられない女 李恩恵先生との二十ヶ月」(文藝春秋 1995年刊)に詳しく述べられている。警察は、金賢姫が昭和63年1月の記者会見で「李恩恵」について言及した以後、彼女の供述をもとに失踪者で該当する女性をリストアップしていた。

しかし、すぐには李恩恵が失踪者の誰なのかわからなかった。二年後に札幌でアジア冬季競技大会が開かれた。この大会について耳にした際、金賢姫は札幌の空港の名前として「ちとせ」という言葉を聞き、李恩恵について思い出した。

李恩恵は金賢姫と雑談をしていた際、「かわいい日本名をつけてあげる」と言いながら、紙に名前を書いていった。李恩恵は「ちとせ」と書いた際、突然狼狽してあわててその名前を消したことがあった。

日本語教育係は工作員に本名を教えることを禁じられているので、狼狽した様子から考えて「ちとせ」が李恩恵の本名ではないかと金賢姫は察したのである。

警察はこの情報を知らされてそれまでリストにしていた女性のうちから「ちとせ」に関連のある人を探した。田口八重子さんは、池袋でホステスをしていたときに「ちとせ」という源氏名を用いていた。

金賢姫がすでに供述していた李恩恵の出生地、誕生日、家族関係、身体特徴、血液型、性格、仕草、癖、趣味、言葉遣い、嗜好など数十項目が田口さんのそれと一致した。

平成3年1月に警察は捜査員をソウルに派遣し、金賢姫に田口さんの写真を含む十五人の写真を見せた。金賢姫は田口さんの写真に迷うことなく「間違いなく李恩恵先生です」と述べた。

田口さんは昭和53年6月、高田馬場のベビーホテルに子供を残したまま消えていた。田口さんが具体的に、どのようにして北朝鮮に連れていかれたかはわかっていないが、「船で引っ張られた」旨金賢姫に語っている。



日本人拉致問題についての日本共産党の見解の変遷



日本共産党の日本人拉致問題に関する見解は、この問題が表面に出た当初と現在では、根本的に変わっている。「北朝鮮 覇権主義への反撃」(新日本出版社 1992年刊)で和田正名氏は次のように述べている。

「大韓航空機爆破事件の直接の犠牲者は南朝鮮の乗客です。その多くは中東への出稼ぎ労働者でした。日本もこのテロ事件に関連して、北朝鮮から重大な主権侵害を受けています。ひとつは、日本から誘拐され、金賢姫を『日本人』にする実習に関与したという『李恩恵』の存在です。

日本人が北朝鮮に誘拐されたと思われる事件はほかにも多くでています。その後、この『李恩恵』ではないかという埼玉県出身の三十五歳の女性が、日本の警察の捜査で浮かび上がりました。

この女性についての日本政府の照会についても、北朝鮮は調査を頭から拒否しています。このことはかえって疑惑を深めさせます。

もう一つは、犯行に偽造日本旅券が使用されたことです。金賢姫は、この偽造旅券を個人的に入手したのではなく、犯行指示とともに上級から受け取りました」

和田氏のこの論文から明らかなように、当時の日本共産党は北朝鮮が「李恩恵」をはじめとして何人も日本人を誘拐していることを確信していたのだ。和田氏が「李恩恵」の件を「主権の侵害」と断言していることを指摘しておこう。

当時の日本共産党最高幹部は、「李恩恵」と北朝鮮で呼ばれている三十五歳の「埼玉県出身の女性」が、北朝鮮により誘拐されていることを確信していたから主権の侵害」と断定したのである。この表現には、いささかの曖昧さもない。

ところが、不破哲三氏と緒方靖夫氏はかつて日本共産党が北朝鮮による日本人誘拐を主権侵害と主張していたことを無視して次のように述べている。


不破氏「いわゆる拉致問題の宣伝だけ聞いていると、百パーセント証明ずみの明白な事実があるのに、相手側はそれを認めようともしない、日本政府も弱腰で主張しきれない、そこが問題だ、と言った議論になりやすいのですが、実態はそうじゃないんですね」

緒方氏「そうなんです。外務当局に聞いても警察当局に聞いても、全体としては疑惑の段階であって、「七件十人」のうち物証のあるものは一つもない、と言っています」(「赤旗」日曜版平成13年1月14日号より)

緒方氏が「全体としては疑惑の段階」などと述べていることについて一言述べておこう。我が国の警察は殺人や誘拐の犯人を逮捕する際「~の疑い」で逮捕する。

「疑い」が「疑い」でなくなり犯人が犯行を行なったことを政府として断言できるのは裁判で判決が確定してからだ。

不破氏も緒方氏もこの程度のことは熟知しているはずだ。

警察や外務省は、十分な証拠があるから「北朝鮮により日本人が拉致されている疑いがある」と主張しているのだ。国会議員である不破氏や緒方氏がこの程度のことを理解しているのは当然であるが、念のため日本共産党の文献から論証しておこう。

日本共産党は昭和59年7月の北朝鮮による日本漁船(石川県のイカ釣り漁船第36八千代丸)銃撃事件当時は北朝鮮側を厳しく批判していた。「北朝鮮 覇権主義への反撃」で小林栄三氏は次のように述べている。

「軍事境界線そのものが国際法上不当なものですから、『不法侵入』はもともと成立しないのです が、仮に『不法侵入』とみられる行為があったとしても、それにたいする規制措置は、軍事的措置ではなく警察的措置という立場に徹し、人命尊重の立場をつらぬくのが近代国家の常識です。

それをいきなり発砲して乗員を死亡させるー同船は数十発の銃撃を受け、その銃撃は船長のいた操縦室にもっとも集中していますから狙い撃ちされたわけですーなどというのはまったく乱暴な人命軽視をしめすものです。

この事件を調査した海上保安庁の報告書も、『本件において、無防備な日本漁船に対し停船させるための手段として船橋部に直接銃撃を加えた結果、船長行泊貢を死にいたらしめたことは、過剰な措置であった疑いが強い』と結論しています」

(「北朝鮮 覇権主義への反撃」 新日本出版社刊p107)


小林栄三氏が明記しているように、海上保安庁は日本漁船銃撃、船長殺害事件のようなあまりにも北朝鮮の犯行が明白な事件でさえ「疑いが強い」と述べるのである。不破氏や緒方氏は当然小林氏の論文を読んでいるから、この点は熟知している。


緒方靖夫氏の奇妙な「論証」


 
緒方氏は外務当局や警察当局が「拉致事件は全体として疑惑の段階である」と述べていることをあげて拉致事件が疑惑の段階であることを実証した気分になっているようだ。緒方氏に問う。政府当局がある命題を主張したからその命題が真理であるということなら、消費税も新ガイドラインも必要であるということにならないか。

緒方氏が政府当局に「消費税の税率を上げて経済には良い影響がありましたか」と問えば当然政府当局は「良い影響がありました」と答えるであろう。

共産主義者が、「革命」の対象である政府当局の主張を用いて論証にかえるなどということは、「革命」を放棄しているようなものである。最近の日本共産党は、経済政策などでも「経済企画庁がこのように述べているから正しい」と主張している。

日本共産党の経済政策立案を担当する人は「革命家」の基本的立場とは何なのか、思考することが出来なくなっているのだろう。「政府当局が言っていることは正しい」なら「革命」も「私たちの日本改革」も不必要ではないか。

緒方氏らのこうした思考方式は、「自分で資料を調べて考え、判断する」ということが、日本共産党幹部に出来なくなっていることを意味している。

 不破氏らは北朝鮮による日本人拉致が根拠薄弱なものであるかのような議論を展開しているがこれは、拉致問題に関する事実認識ではなく、別の政治的な狙いがあるからだ。不破氏はさらに次のように述べている。

「日本の捜査の到達点自体がそういう段階なのに、これを証明ずみの事実であるかのように扱い、そういうものとして外交交渉のテーマにしたら、やがてゆきづまって日本側が身動きできなくなることは、目に見えています。

ですから、私は日本の捜査で到達した段階にふさわしい外交交渉をしなさい、と提案したのです。これは、言いかえれば、国際 的にも通用できる道理ある交渉を、ということでした」

不破氏は「日本政府は北朝鮮側に対し、『拉致した日本人を返せ』と要求するべきではない。単に行方不明者ということで調査をお願いすればよい」と主張したいのだ。

実際に平成11年12月の訪朝団(村山富市氏が団長。穀田恵二氏と緒方靖夫氏も参加)は北朝鮮側に対し「拉致した日本人を返せ」とは要求せず、被拉致日本人を単なる「行方不明者」と表現する文書を作成して「調査」を拉致した張本人である朝鮮労働党に「お願い」して戻ってきた。

日本人や韓国人の拉致を担当する部署は朝鮮労働党内には幾つかあるようだが、それらの最高責任者と目される金容淳が満面笑顔で受け入れる文書を村山富市氏、野中広務氏、穀田恵二氏、緒方靖夫氏らは作成したのだ。

このように、村山訪朝団は我が国の主権の侵害を「行方不明者問題」に矮小化してしまったから、金容淳はさぞかし独裁者金正日から誉められたことであろう。

拉致した張本人である朝鮮労働党の担当部署は、当然のことながら拉致した日本人や韓国人が現時点、どこでどうしているかを熟知している。

「行方不明者の調査」などを拉致した組織の大幹部に笑顔で「お願い」して拉致事件が解決するわけがない。

村山訪朝団が行なったことはまさに売国外交である。不破氏は日本政府に対し村山訪朝団と同様のことをやれと言いたいのであろうが、そのまま言うと批判されるから言い回しをかえて論点をぼかしているだけだ。

日本の北朝鮮外交のあり方に関しては、日本共産党は村山富市氏や野中広務氏と基本的に同じ立場である。

不破氏らのこうした主張は昨年12月1日の「労働新聞」掲載論文「過去清算がない関係改善を夢にも見てはならない」の論旨と基本的に一致している。「労働新聞」掲載論文は次のように述べている。

「我々には『拉致』という言葉自体があるはずもない。それは人間の自主性、人間を最も尊重し貴重なものとみなす我が国の社会主義制度と関連しているためである。『拉致』問題は日本の反動どもが不純な政治的目的を狙って好きなように作り上げた捏造品である」

「日本は『拉致問題』をもって今後も続けて騒げばせっかく進行している『行方不明者』調査自体が永久に空に飛んでいってしまうことを理解せねばならない」

不破氏ら日本共産党の今日の主張と朝鮮労働党の主張は基本的に一致している。さすがの不破氏も「反動どもの捏造品」とまでは言えないが、「証明ずみの事実ではない」と主張しているのだから五十歩百歩だ。

勿論不破氏らが、北朝鮮が実際には相当数の日本人を拉致し二十数年間も抑留していることを熟知していることは、前述した「北朝鮮 覇権主義への反撃」の和田氏の論文からも明らかである。

日頃「人権、人権」と騒ぎまくり、選挙の際には「国民の命と暮らしを守ります」と宣伝している日本共産党がなぜそこまで被拉致日本人の生命と人権、日本の国家主権を冒涜できるのだろうか。私は以下の三点をあげたい。


共産主義者は共産主義国を守る



第一に、共産主義者とは昔も今も、共産主義国を守るための言論と宣伝を第一の任務と認識しているのだということだ。かつて不破哲三氏は次のように主張した。

「政治経済の不均等発展の法則がとくにするどく作用する帝国主義の時代には、社会主義が世界的な規模で同時に勝利することができず、はじめに一カ国ないし数カ国で勝利し、こうして形成される二つの体制の闘争のなかで、さらに一連の新しい国々が帝国主義から離脱するという過程をとおって、世界的な規模での社会主義の勝利に到達する。

これが帝国主義の時代における世界革命が必然的にとる姿であり、十月革命以後の四十年の革命運動の歴史は世界革命がこうした形態で展開してきた歴史であるといってよい。

そしてその中では、はじめに勝利した社会主義国家の存立をまもりぬき、社会主義を建設し、そのあらゆる力量を強化することは、『世界革命の展開の基地』(スターリン)をまもることであり、それ自身世界革命を推進するためのもっとも重大な課題である」

(「平和と社会主義に敵対する『世界革命』論」 -現代トロツキズム批判ー 「前衛」1959年6月号掲載論文より)

不破氏がスターリンを引用し、「はじめに勝利した社会主義国」すなわちソ連の存立を守ることを「世界革命を推進するためのもっとも重大な課題である」と位置付けていることに注目したい。

このように、共産主義者には共産主義国を守るための言論と宣伝を「革命運動」「世界革命を推進するためのもっとも重大な課題」と把握する思考方式が定着している。

当時の日本共産党はソ連や北朝鮮などの共産主義国を「平和地域」「平和のとりで」と定義し、宣伝していた。昭和36年7月の第八回党大会で採択された日本共産党綱領は次のように述べている。

「帝国主義の侵略的本質はかわらず、帝国主義のたくらむ戦争の危険はいぜんとして人類をおびやかしている。

これにたいして、社会主義陣営は、民族独立を達成した諸国、中立諸国とともに世界人口の半分以上をしめる平和地域を形成し、平和と民族解放と社会進歩の全勢力と提携して、侵略戦争の防止と異なる社会体制をもつ諸国家の平和共存のために断固としてたたかっている」


綱領はソ連や中国、東欧、北朝鮮などの「社会主義陣営」を「平和地域」と規定している。これは当時の日本共産党の基本的立場であった。宮本顕治氏は当時、ソ連を「共産主義建設の偉大な不滅のとりで」「世界平和と反植民地主義のための人類の闘争の不滅の偉大なとりで」と規定していた。

(「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」 「前衛」1959年5月号掲載論文より)

日本共産党員は共産主義者の集団なのだから、その最高指導者である不破氏が共産主義国である北朝鮮をあらゆる詭弁を用いて擁護するのは当然のことである。「今日の日本共産党は北朝鮮を社会主義国などとは把握していない。

北朝鮮を我が党が平和勢力などと把握していることなどありえない。荒唐無稽なことを言うな」と何も知らない若い共産党員は言うかもしれない。

では問おう。昨年11月の第22回大会決議は第四章で次のように述べている。

「朝鮮半島での南北首脳会談によって、アメリカがこれまで『ならず者国家』としてきた国が、新しい平和の流れの一方の当事国となるという変化もおこった」

第22回大会決議は北朝鮮を「新しい平和の流れの一方の当事国」と定義しているではないか。「新しい平和の流れの一方の当事国」と「平和勢力」はどう違うと言うのか。

そもそも朝鮮労働党は一貫して在韓米軍撤退を主張しているのだから、日本共産党の「平和理論」と完全に一致している。日本共産党の「平和理論」からは、朝鮮労働党や朝鮮総連は「平和勢力」と把握されるのが極めて当然のことなのである。

そして在韓米軍駐留が必要と主張してきた韓国の歴代政権は「戦争勢力」ということになる。日本共産党の「平和理論」からはそのように把握するしかない。

実際、昭和41年3月21日の朝鮮労働党と日本共産党の共同声明に次の記述がある。

「日本共産党は、アメリカ帝国主義と、それに追随する佐藤内閣の朝鮮民主主義人民共和国敵視政策を断固として非難し、祖国の自主統一をめざす朝鮮労働党の政策と朝鮮人民のたたかいに全面的な支持を表明する。

日本共産党はアメリカ帝国主義との対決の東方の最前線に立って、国の社会主義建設と防衛を意気たかくおしすすめている朝鮮労働党と朝鮮人民のたたかいが、平和と社会主義の事業にとって大きな貢献となっていることをみとめる」


共同声明で日本共産党は「朝鮮労働党をの政策と朝鮮人民のたたかい」に「全面的な支持」を表明し、さらに「平和と社会主義の事業にとって大きな貢献となっていること」をみとめたのだ。

この共同声明を、日本共産党は破棄したわけではないから、朝鮮労働党との関係が再度復活すれば、全ての日本共産党員は「国の自主統一をめざす朝鮮労働党の政策と朝鮮人民のたたかいに全面的な支持を表明する」ことになるであろう。

簡単に言えば「大韓民国などなくなってしまえ」と日本共産党員が主張するということである。

現実には、当時も今も北朝鮮は徹底した個人独裁のテロ国家である。朝鮮労働党は韓国を「アメリカ帝国主義の植民地」、韓国政府を「アメリカの傀儡」と規定し、打倒の対象にしている。

いわゆる「南朝鮮革命路線」を今日でも保持しているのだ。若い共産党員は何も知らないようだが、かつての日本共産党はこれを「全面的に支持」していたのである。

「大韓民国などなくなってしまえ」と日本共産党員が宣伝していたという解釈も可能である。

日本共産党が共産党であるかぎり、言葉の表現を多少変えることはあっても「日本革命」を放棄することはないであろう。

日本共産党の最高幹部が必要な場合は自民党の幹部と会って何か話をすることはあるだろうが、それで日本共産党が日本革命を放棄したなどとはいえない。日本共産党幹部が自民党幹部と会って話をするのは、何らかの意味でそれが「日本革命に貢献する」と判断しているからだ。

同様に、金正日が金大中大統領と会ったのは「南朝鮮革命」のためにそうした方が有利と判断したからだ。南北首脳会談の合意である「いかなる大国の介入にもよらず、自主的な統一をめざす」を、「傀儡が将軍様の威光でアメリカの撤退を認めた」と朝鮮労働党は国内で宣伝しているかもしれない。

「自主的な統一」の名目で武装ゲリラを侵入させ、それが戦争になっても、米国は「介入」できないという状況づくりを朝鮮労働党は策しているのかもしれない。

武装ゲリラの侵入をかつて朝鮮労働党は「南朝鮮人民の愛国闘争」と宣伝し、日本共産党もそれに同調した史実がある。

(昭和43年1月31日の「赤旗」記事 「米の軍事挑発で朝鮮をめぐる情勢緊迫」にそうした記述がある) 共産主義者は、多少の紆余曲折はあっても、最後にはスターリンの教典に従って共産主義国を守るために尽力するものなのである。


共産主義者は資本主義国家の強化を敵視し、共産主義国の核軍拡
を歓迎する-上田耕一郎氏はソ連の核兵器を「平和の武器」と断言した-



第二に、共産主義者は昔も今も、資本主義国家の強化を徹底して敵視し、あらゆる詭弁を用いて国家の権限の強化に反対するものなのだ。共産主義者にとって、高い経済成長を達成した資本主義国家は「帝国主義」である。

資本主義国家の政権は人民を支配し抑圧して苦しめている凶悪な存在「帝国主義者」であるから、「革命」「打倒」の対象である。

「革命」「打倒」の対象である日本政府の外交姿勢が共産主義国である北朝鮮による日本人拉致問題を「口実」にして強化されてしまえば、「日本革命」が困難になるから、日本共産党はあらゆる詭弁を弄して被拉致日本人の原状回復を訴える世論を鎮静化させようとしているのだ。

共産主義理論では、「帝国主義国」の軍備は専ら侵略のためのものということになっている。

従って共産主義者は資本主義国家の軍備全廃を叫ぶものなのだ。日本共産党は、北朝鮮の核開発や生物兵器、化学兵器、約十万人といわれる北朝鮮の特殊部隊の危険性について完全に沈黙している。

共産党員にこうした話をしても「北朝鮮の核開発には反対だ」と呟くだけで、具体的にどうやって北朝鮮に核開発中止と保有しているであろう核兵器、生物兵器、化学兵器の廃棄をさせるかについては沈黙してしまう。

共産主義者は、共産主義国の軍事力を「味方の軍事力」であり、「平和に貢献する」といった発想で長年把握してきたから、中国や北朝鮮による核軍拡の危険性が実感できないのだ。わかりやすい例をあげておこう。かつて上田耕一郎氏は次のように述べてソ連の核軍拡を擁護した。

「すべての武器、すべての軍事力、すべての強力がそうであるように、核兵器もまたそれをにぎるものが帝国主義権力であるかそれとも実現された人民権力としての社会主義であるかによって、その階級的役割は根本的に変化する。

アメリカ帝国主義が核兵器を独占していた時代、核兵器はただ帝国主義的侵略戦争と抑圧の武器であった。

ソ連が最初に原爆実験に成功したとき、すべての平和活動家が世界戦争防止の事業の成功に新しい確信をいだきえたように、社会主義の手にある核兵器はただ侵略戦争の防止、社会主義と民主主義の防衛のための平和の武器である」「戦争の『不可避性』と『可避性』について」 「マルクス主義と平和運動」大月書店1965年刊 p56より)

上田氏によれば、ソ連が最初に原爆実験に成功したとき、「すべての平和活動家」が「世界戦争防止の事業の成功に新しい確信をいだきえた」そうだ。真に結構なことである。

このように、共産主義者は、共産主義国の核軍事力を「味方の軍事力」であり、「平和に貢献する」といった発想で長年把握してきた。これは今日でも大同小異である。日本共産党の第22回大会決議は第三章で次のように述べている。

「北朝鮮との国交正常化にたいし、植民地支配を違法行為としてきっぱりと謝罪し、それにたいする補償をおこなう立場にたつべきである。そのことは両国の紛争問題についても正しい解決の道を開く力になる」金正日軍事独裁政権と国交を樹立し、「植民地支配の謝罪」などという名目で大金を払ってしまえば、真っ先に核軍拡に使われるだけだ。

被拉致日本人は独裁者金正日により「消されて」しまうかもしれない。金正日は、「邪魔者は消せ」といった発想で無数の北朝鮮国民を粛清してきた独裁者なのだ。

勿論、不破氏らは金正日が、朝鮮労働党の幹部や北朝鮮帰国者を強制収容所に送り込んで粛清してきた史実を熟知しているが、それを現時点で下部の党員や「赤旗」読者に公表すると、「そんな危険な政権がすぐ隣国にあるなら、日本もそれなりの軍事力をもっておかないと大変なことになる」という議論が下部の党員や「赤旗」読者の中から出てきてしまい、収拾がつかなくなるから、朝鮮労働党による蛮行の歴史には沈黙しているのだ。

「赤旗」が北朝鮮の強制収容所や北朝鮮帰国者の悲劇、中国東北部などに逃げている北朝鮮難民の人権問題などについて完全に沈黙しているのは、北朝鮮に日本から大金を回し、共産主義国である北朝鮮の核軍拡を継続させ、金正日軍事独裁政権による「南朝鮮革命」の実現に協力しようという不破氏ら最高幹部の意思の反映とも解釈できよう。

不破氏は昭和41年3月の朝鮮労働党との共同声明をこうした形で「実践」しているのだ。
第22回大会決議は北朝鮮による日本人拉致問題を単なる「紛争問題」とし、日本が被害者であり北朝鮮が加害者であることを隠蔽しようとしている。

共産主義者には、共産主義国による資本主義国の主権侵害やテロを「革命運動の一環」と把握して肯定的に評価する体質が根付いているから、共産主義国が資本主義国の国民を拉致したり殺害しても涼しい顔をして傍観する。

この点は、そのときの国民の世論により多少の紆余曲折はあるが、最後は共産主義国を守るべく行動する。共産主義国による蛮行の後、多少時間が経過し、多くの日本国民の中で共産主義国の蛮行が話題にならなくなれば、共産主義者は史実を直ちに隠蔽する。

北朝鮮による日本人への暴行は拉致事件だけではない。

北朝鮮による日本漁船銃撃で日本人が射殺されているのだから、日本政府は殺害された漁船員の家族への謝罪と補償を北朝鮮側に求めるべきだ。

「村山訪朝団」はこの件では北朝鮮側に何も要求しなかった。これでは、村山富市氏、野中広務氏と日本共産党員は朝鮮労働党には日本人を拉致、殺害する権利があると考えている」と考えざるをえない。

「そんなことはない」と村山氏、野中氏と日本共産党員は怒るかもしれない。日本共産党員の場合、「北朝鮮 覇権主義への反撃」などを論拠にして怒るかもしれない。

そうした方は、穀田恵二氏、緒方靖夫氏が日本漁船銃撃と船長殺害事件に対する謝罪と補償を、訪朝時に求めなかったし、今日不破氏が「日朝交渉において、政府は北朝鮮側に日本漁船銃撃と船長殺害事件に対する謝罪と補償を北朝鮮側に求めるべきだ」と主張していない理由を説明するべきだ。

この件についての私の「回答」は極めて簡単である。

共産主義者は、資本主義国家の強化を敵視する。不破氏や緒方氏の態度に疑問を持つ日本共産党員は、未だ真の共産主義者の境地に達していないのである。


共産主義者は「指導者の権威」を死守する



共産主義者にとって、最高指導者の権威を守ることは、「革命運動」を遂行するための至上任務である。共産主義者の「革命理論」を要約すると次のようになる。

「革命を行い、生産手段を社会化すれば貧富の格差、不況、資源の浪費、失業などの社会問題は全て解決できる。革命を行なうのは労働者階級であるが、彼らを指導するのは共産主義理論を体得した共産党である。共産党の最高指導者は支配階級との階級闘争によって鍛えぬかれ、科学的探究により真理を体得した偉人である。

従って偉人の言うことをすべて聞いて、それを宣伝すれば革命が達成できる。

偉人に対しては支配階級とそのイデオローグによりあらゆる攻撃がなされるから、共産党員は偉人である最高指導者の権威を断固守らねばならない」

日本共産党には自らへの批判者を徹底して敵視する体質がある。特に批判者が日本共産党の職員、ないしは日本共産党系の組織に勤めている人、あるいは以前に勤めていた人の場合、過酷な「査問」や「赤旗」紙面での呼び捨てによる誹謗、中傷を加えてきた。

これは、上述のような「革命理論」に基づき彼らが「日本革命のためには我が党の最高指導者に対するいかなる誹謗も許してはならない」と考えているからだ。共産主義者には誹謗と批判の区別をつけることが出来ない。

不破氏らが、「拉致事件は証明ずみではない」旨主張して拉致日本人の生命と人権、日本の国家主権を冒涜する第三の理由は、北朝鮮による日本人拉致事件の背景にある北朝鮮帰国者問題の真実が下部の党員や支持者に広がらないようにするためだ。

前述したように、在日朝鮮人が日本人拉致という凶悪行為に手を貸してしまった一つの理由は、親族に悲惨な境遇に陥った北朝鮮帰国者がいるからだ。

かつて宮本顕治氏らが北朝鮮を全面的に美化したこと、北朝鮮やソ連についてありえぬ幻想を抱いて北朝鮮に渡った元在日朝鮮人が強制収容所に連行されるなど悲惨な境遇に陥ったこと等が下部の党員や支持者に知られれば、宮本顕治氏ら最高指導部の権威が地に落ちてしまう。

何も知らない若い共産党員や民主青年同盟員は以下のような疑問を抱くことだろう。

「ソ連や北朝鮮がそんな素晴らしい国であるわけがないのに、宮本さんはなんでそんな途方もないことを言ったのだろうか」

こうした疑問に、年配の共産党員が答えることは真に困難である。共産党員は通常、「真理は一挙に認識できるものではない」などと主張して誤魔化すが、今日「北朝鮮がテロ国家である」という「真理」が認識できたのなら、テロ国家のもとで悲惨な境遇に陥った人々の人権問題を必死に訴えねばならないことになる。

そしてそれが出来なかった宮本顕治氏らに対する不信感、軽蔑感が日本共産党員の中でも広まっていってしまう。指導者の権威が地に落ちる。

これを防ぐためには、北朝鮮の真実について完全に沈黙するしかない。従って「赤旗」は北朝鮮の強制収容所や粛清などの真実を決して報道しない。

北朝鮮帰国者が北朝鮮への帰国後、「内心の自由」を完全に奪われ、極度の栄養失調生活を余儀なくされたこと、相当数の北朝鮮帰国者が行方不明になっていることなどは今日では多少関連文献を調べればすぐにわかることなのだが、「赤旗」は完全に沈黙している。

帰国事業の頃、「赤旗」が北朝鮮を全面的に美化した史実を考慮すれば、北朝鮮の真実に関する「赤旗」のこうした沈黙はジャーナリズムとしてあるまじき行為だ。共産主義者はこれを前述の「最高指導者の権威を守る」という発想で合理化する。

「日本革命」のためなら、どんなに重大な人権侵害であっても徹底して無視するのが、共産主義者の本質なのだ。「そんなことはない。『赤旗』はこれまで、社会主義国の問題点であっても報道するべき点は報道してきた」と共産党員の諸君は言うかもしれない。

では問おう。

北朝鮮の強制収容所、中国東北部を放浪している北朝鮮難民(脱北者という)の悲惨な実態、北朝鮮帰国者が「内心の自由」を完全に奪われて極度の栄養失調生活を余儀なくされたこと、相当数の北朝鮮帰国者が行方不明になっていることなどはなぜ「報道するべき点」ではないのか。

日本共産党員と民主青年同盟員は、朝鮮労働党による蛮行の歴史を直視するべきだ。


不破氏ら日本共産党最高幹部の言動と「理論」の背景にあるスターリン主義



分析していくと、日本共産党最高幹部の行動と彼らが依拠している「理論」には、スターリンの呪縛が未だに色濃くあることがよくわかる。

前述の不破氏の論文「平和と社会主義に敵対する『世界革命』論」 -現代トロツキズム批判ー 「前衛」1959年6月号掲載)はスターリンのソ連に対する規定「世界革命の展開の基地」を引用してソ連を守ることの必要性を強調していた。

不破氏のこうした「理論」と日本人拉致国家北朝鮮を擁護する言動は、スターリンの以下のような規定に依拠していると解釈できよう。

「ありとあらゆるグループ、潮流、党を区別する、そしてそれらの革命性や反革命性を点検する一つの問題がある。この問題とは、今日では、ソ同盟の防衛の問題、つまり帝国主義からの攻撃にたいしてソ同盟を絶対的、無条件に擁護する問題である。

なんの留保もなしに、無条件に、公然と、そして誠実に、軍事上の秘密なしに、ソ同盟を擁護し、防衛する用意のあるもの、それこそ革命家である。なぜならソ同盟は世界で最初の、社会主義を建設しつつあるプロレタリア的、革命国家だからである。

留保なしに、動揺することなく、無条件にソ同盟を擁護する覚悟のあるもの、それこそ国際主義者である。なぜならソ同盟は世界革命運動の根拠地であり、ソ同盟を擁護することなしには、この革命運動を前進させることはできないからである。

なぜならソ同盟を考慮せずに、ソ同盟に反対して世界の革命運動をまもろうとおもうものは、革命に逆行するものであり、かならず革命の敵の陣営に転落するからである」

(スターリン全集 第十巻 大月書店1954年刊 p64 ソ同盟共産党(ボ)中央委員会・中央統制委員会合同総会 より)

不破氏が日本人拉致国家北朝鮮を擁護する根源的理由は、スターリンのこの規定の呪縛、そしてその背景にある階級闘争理論、史的唯物論なのである。

史的唯物論の立場から見れば、米帝国主義と日本の独占資本に対抗する金正日軍事独裁政権は「平和勢力」「進歩勢力」「革命の基地」であり、これに反対して「革命運動をまもろうとおもうものは、革命に逆行するものであり、かならず革命の敵の陣営に転落する」からである。

橋本敦氏が、昭和63年3月に日本人拉致問題を国会で取り上げていながらも、前述の不破氏の見解に従っているのは、日本人拉致問題の真実を追究すると「かならず革命の敵の陣営に転落する」と悟ったからであろう。

真の共産主義者とはこのように行動するのだ。

今日の若い共産党員と民主青年同盟員は、真の共産主義者の境地を、若き時期の不破氏の前述の論文とそれが依拠しているスターリン理論、不破氏や緒方氏、橋本氏の行動から、自らの生き方の問題として真剣に考えるべきだ。

 


追記



韓国における北朝鮮問題の代表的研究機関である民族統一研究院が発行している「北韓人権白書 2001年版」によれば、1955年以後、北朝鮮に拉致、誘拐後抑留され続けている韓国人は487人である。なんと昨年1月にも中国延辺で牧師さんが拉致されているようだ。

拉致された韓国人の中には、「離散家族」として、平壌に訪ねてきた家族と会うことが出来た方もいる。去る2月15日の毎日新聞記事「『拉致』被害 傷跡深く」を以下、紹介しておこう。

昨年11月の第二回相互訪問の際、姜ヒグンさんは母親の金三礼さんと会うことが出来た。姜さんは87年1月、黄海で操業中に北朝鮮の警備艇に拿捕され、そのまま拉致されてしまった。姜さんは母親と約14年ぶりに再会した際「金正日将軍様、万歳」と叫んだという。

姜さんは母親に対し、「将軍様のおかげで立派に暮らしている」「自分でここ(北朝鮮)での暮らしを選んだ。拉致じゃない」と繰り返したそうだ。この相互訪問を速報した平壌放送は、「(姜ヒグン氏は)不法侵入し、情報活動を行って拿捕された漁船の元甲板長で、ここでの人生を自ら選択した」と報じ、拉致問題は存在しないことを強調した。

物事を筋道を立てて考えていこうとする人なら、姜さんが上のように発言せざるを得ない理由が理解できると思う。姜さんが勤務していた「東進27号」は船ごと乗組員全員拉致され、そのまま抑留されている。韓国の普通の漁船が情報活動を行って不法侵入することなどありえない。

北朝鮮の場合は、漁船を装った工作船、工作員などを日本や韓国に何度も不法侵入させている。
北朝鮮では住民は金正日を常に礼賛せねばならない。これが出来ない人はいつ強制収容所に連行されてもおかしくない。実際、拉致された韓国人の中には、強制収容所に連行された可能性が濃厚な方もいる。

「南北首脳会談は歴史的だった。朝鮮半島には平和への気運がみなぎっている」などと信じ込んでいる人は、北朝鮮に拉致、抑留されている韓国人と強制収容所の真実を直視するべきだ。こうした意味でも、拉致問題と強制収容所の人権問題は、密接不可分であることを訴えたい。

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