2013年1月6日日曜日

遠藤周作「ほんとうの私を求めて」より-古代人は無意識の力を制御できたのでは-

遠藤周作「ほんとうの私を求めて」(集英社文庫)より



遠藤周作「ほんとうの私を求めて」(集英社文庫)には、人間の心理と行動について、珠玉のような記述がいくつもあります。いくつか取り上げてみましょう。

遠藤は次のように述べています(p30.p31より部分的に抜粋)。

人間の心は、実に危険に満ちた一触即発の爆弾を抱えている。それはいつ何時、転覆するかわからない。だからあまり自分の心に自信を持ちすぎて無防備であってはならない。

我々は底なし沼のように深い自分の心の深淵―無意識について隅々まで知ることはできない。

またその無意識のなかに、自分の、どんな思いがけない顔や要素がかくれ、ひそみ、溜まっているのか見ぬくことはできない。

遠藤はこのように考え、社会生活をする以上、抑圧したものに然るべき出口を作っておいてやらねばならない、他人に迷惑をかけぬ無意識の捌け口が我々の一生には必要だと述べています(p39)。

自分の精神、心の働きには、自分でも十分にわかっておらず意識していないものがあるということを私たちは知っておくべきなのでしょうね。これを心得ている人は、自分の精神活動をうまく制御でき、充実した日々を送ることができるのでしょう。



生活と人生の違い~人生では抑えつけたものが中心



遠藤によれば、生活と人生は違います(p39)。生活でものを言うのは社会に協調するための顔、または社会的な道徳である。しかし人生ではこのマスクが抑えつけたものが中心となる。

我々が社会の共同生活に順応すればするほど、自分の個性を失う(p51)。自分の特色、個性といったものは多くの場合、抑えつけた感情や欲望の中にある。

抑圧する感情や欲望は、それ自体、悪いものではなく、よい種も持っている。しかしそれに溺れて生きると、他人を無視したり社会道徳をふみにじったりしないとも限らない(p52)。

善い面と悪い面をすべてのものに見つけられる思考方法が大事である。

心の制御が、人生を生きていくためにも、生活をしていくためにも、肝要なのでしょうね。一見不要で無駄なことのように見えていたものが、実は私たちの心を制御していくために極めて重要な役割を果たしていることも多々あるのでしょう。

神社仏閣はその存在自体が、日本人の心に安らぎを与えているように私には思えます。神社仏閣には、たとえ都会の真ん中でも多少の緑がありますね。木々をぼんやりと見つめながら神社やお寺の中を歩き、家族と自分の安寧を願ってお祈りすることはとても大事な事のように思えます。

日本人は昔からそのようにして、心を制御してきたのではないでしょうか。

無意識と仏教のアラヤ識(阿頼耶識)


心の奥底の無意識は、抑圧されたものだけではないと遠藤は言います(p55-56)。心の中でいろいろなものが溜まっている無意識のことを、仏教ではアラヤ識というそうです。遠藤は片仮名を使って説明していますが、調べると阿頼耶識という漢字になっています。

これは仏教の考え方ですが、キリスト教徒の遠藤は次のように説明しています(p57)。

あなたの心の奥底には、アラヤ識(無意識)という場所があって、それがあなたの表面の心(意識)につよい力を与え、あなたの行動を作り出しているとのだ思えばよいのです。

嫉妬深い行動をすれば、それは表面の心の働きということだけでなく、アラヤ識の中にある我慾と嫉着を生む可能性のある種子が活動しているからだ、という解釈になります。

しかし、アラヤ識は否定的な働きのみをするわけではありません。「心に美しき種を抱く」ことにより、無意識の力、アラヤ識を活用できると遠藤は述べています。

勿論、どんなことでもアラヤ識の力で実現できると考えたら行きすぎでしょうけれど、「できる」と自分で思い込み、そのように精神を制御できれば、かなりのことが実現できるということはありうるのではないでしょうか。

「火事場のクソ力」という語がありますが、これは本当のことではないかと思います。

古代人は無意識の力を制御できたのでは


全くの推測ですが、私には古代人は前述のような心とその奥底にある無意識の働きについて、感知していたのではないかと思えてなりません。

大和朝廷が出来る前、あるいは出来た頃の人々を古代人としましょう。この当時には文字はさほど普及していなかったはずです。平仮名は平安朝からですから、漢字がごく一部の知識層に知られていた程度でしょう。

紙も生産されていないような時代に、大和朝廷やその前の王朝は民衆にどうやって行政命令を伝達していたのでしょうか。全ての行政命令を口頭で伝えるしかありませんね。木に行政命令の内容を書いておくという手法もあったかもしれませんが、木も貴重品ですからね。

遠隔地の行政組織に行政命令をどうやって伝えるのでしょうか。記憶力がよほど良い人が行政組織に相当数いないと、何も伝えることができませんね。行政命令を伝達するためには遠隔地に行かねばなりませんが、当時は道などないも同然だったのではないでしょうか。現在の山道のような道が、当時としては最高の街道だったのではないでしょうか。

古代人はどうやって方向を知るのでしょうか。夜空に浮かぶ星座により方向を確かめるのでしょうか。

遠隔地に住む人々と、奈良近辺に住む人々の間でどの程度言葉が通じたのでしょうか。

遠隔地まで行くためには、かなりの食料と水を確保せねばなりません。大和朝廷の役人が関東に行くことそれ自体が大事業ですね。体力だけでなく、強靭な精神力と確かな記憶力を兼ね備えた人が相当数いないと、大和朝廷は維持できなかったのではないでしょうか。

大和朝廷の命令で遠隔地から防人として派遣された人々は、故郷を離れて奈良近辺までどうやってたどり着いたのでしょうか。

古代人は、狩猟により食糧を確保して旅をできたのかもしれませんね。

ヤマトタケルはどうやって関東まで行ったのでしょうね。軍勢を率いて行ったのでしょうけれど、軍勢の兵糧や水はどうやって確保したのでしょうか。征服すればその地で多少確保できるでしょうが、簡単に新たな地を掌握できるはずもありません。

奈良や飛鳥のあたりから三重県まで歩いたらかなりありますよ。三重県を越えて岐阜県、愛知県と歩き、どこかから船を使うのでしょうけれど、当時の船では太平洋側の航海は極めて危険だったでしょう。瀬戸内海とは波や海流が随分異なっているはずです。

強靭な精神力と記憶力、体力を兼ね備えるためには、無意識の力をよほどうまく制御できねばならなかったのでは、と思います。

野生の感覚、とでも言うべきものを、古代人は持っていたのではないでしょうか。現代人はこれをほぼ完全に失ってしまったのでしょうね。

邪馬台国の女王卑弥呼は、人々の心の奥底にある種子を奮い立たせるような呪術を体得していた人だったのかもしれませんね。




















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