2013年6月5日水曜日

悪霊の力も利用して生きる-山田太一「異人たちとの夏」(新潮社)より思う-

離婚した中年男のもとに訪れた異界の住人



順風満帆に生きていくことは、難しいものです。思いもよらぬ困難が、突然生じるものですから。

40代後半にもなれば、誰しもそれを実感しているのではないでしょうか。

若い頃から勤めていた会社が不況でリストラになってしまった。

仕事の方は何とかやっているが、夫婦関係がうまくいかず離婚することになった。

健康だけが取り柄と思っていたのに、突然深刻な病になってしまった。

こんな調子で、40代後半にもなれば誰しもいろいろな困難が、ふとしたきっかけで訪れてきてしまうのかもしれません。

諸困難を何とか乗り越えることができれば、苦境から脱することができれば、新たな人生を歩めるのでしょうけれど、どうしようもなくいつまでも乗り越えられないときもあります。

そういうときこそ、異界の住人により魂が試されているとき、なのかもしれません。

泥沼に落ち込んだような状況でもがいているうちに、全く見ず知らずの他人の言動をきっかけに、少しずつ先が見えてきて、泥沼から抜け出せるかもしれません。

山田太一「異人たちとの夏」(新潮社)の主人公原田英雄は、47歳で離婚した脚本家です。原田は離婚して財産のほとんどを妻に渡したので、仕事場のマンションの一室に住んでいます。

ひとりっきりの人生を、原田は送ることになりました。原田は12歳のときに両親を交通事故で亡くして、叔父に育てられました。何の因果か、35年後に再び原田はひとりっきりになってしまったのです。

そんな原田の前に、異界の住人、35年前に亡くなった両親が、亡くなった頃の姿で訪れてきます。亡くなったとき、父親は39歳でしたから、47歳の原田よりずっと若い。

年下の父親とは奇妙ですが、親が若くして亡くなればそうなるのです。

もうひとり、同じマンションに住んでいる33歳の若い女ケイこと藤野桂が、限りなく静かなある夜に原田のところを訪れます。

下らない生命を大事にしたらいい-悪霊により困難を乗り越えた


この物語は映画化されていますから、御存知の方は多いでしょう。主人公は風間杜夫。片岡鶴太郎と秋吉久美子が両親役でした。名取裕子がケイ、悪霊の役です。

どの俳優もそれぞれ良い芝居をしていたと思いますが、あえて言えば私には片岡鶴太郎の父親が印象に残りました。江戸っ子寿司職人の雰囲気がよく出ていました。

原田はテレビドラマの脚本家ですから、相当な所得が今後も入ってくるでしょう。そんな原田ですが、元の奥さんが仕事仲間と浮気をしていたのではないかと苦しんでいました。

美しい年下のケイという悪霊に惹かれたのは自然の成り行きともいえるでしょう。

しかし、原田はケイが悪霊であることに気づきます。

異界の住人ケイは原田に「下らない生命を大事にしたらいい」と別れ際に言います。

この言葉は素敵ですね。ちっぽけで下らない命でも大事にし、生きて行けば良いのです。

ケイは原田に好意などこれっぽっちも持っていなかったとありますが、貴重な言葉を残してくれているではないですか。

生きとし生けるものは必ず死を迎えます。

異界が存在するならば金持ちも貧乏人も、艶福家もさえない中年男も、浮気女も貞女もいずれは霊になるのです。

原田は、悪霊の力をも利用して人生の困難をひとつ、乗り越えたのでしょう。生への強力な意思を持つ人ならば、悪霊の力も利用できるのでしょう。












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