2013年6月23日日曜日

悪口の心底に嫉妬心と原罪ー三浦綾子「光あるうちに」(新潮文庫)より思う―

噂話が好きならば



「他人の不幸は蜜の味」という言葉があります。知人の失敗や不幸を伝え聞くと、表面では知人に同情していても内心は別物だということです。

私も、噂話が好きです。特に、芸能界、芸能人のスキャンダルについてとよく友人と話します。芸能人の失敗やスキャンダルを嘲笑してしまった経験は少なくありません。

私はこれまで、芸能人は知人ではないので、特に問題はないと思っていました。しかし三浦綾子「光あるうちに」(新潮文庫)を読んでいるうちに、芸能界話が好きなのは、「他人の不幸は蜜の味」「著名なあの人は自分より駄目だ」という気持ちが心中にあるからではないかな、という気がしてきました。


人は自分より正しい人間を嫌う



クリスチャン作家の三浦綾子は、「罪とは何か」(同書p26-45)で悪口を言う人々の心のあり方を論じています。少し紹介しましょう。

人間は元来、正しいことや、清いことがあまり好きではないのである(同書p40)。

自分と同じ程度の人と、私たちは仲間になる。その方が安心なのだ。むやみに正しい人が、そばにいると不安になり、気持ちが乱される(同書p40)。


誰しも、自分と同じ程度の人と仲間になるものです。自分とかけ離れたところにいる人、芸能人とは仲間になれるはずもありませんが、職場の人や近隣の人でも、何らかの意味で自分とかけ離れている人とは仲間になれません。

私たちが芸能界の噂話が好きである心底には、有名な誰々はこんな悪いことをしでかしたのだから自分より駄目な人間だ、という思いがあるからではないでしょうか。

噂話をすることにより優越感に浸りたいからではないでしょうか。

華やかな芸能界で世間の人々の称賛を浴びている芸能人に対する、嫉妬心が私たちの心中深くにあるのかもしれません。

同じ職場、同じ業界あるいは近隣で成功した人はいろいろと悪口、陰口を言われるものですが、これも嫉妬心のなせるものではないでしょうか。

成功したあの人も実は自分と対して変わらない存在なのだ、と内心では言いたいのかもしれません。

三浦綾子によれば、自分が正しいとする自己中心的な気持ちは、自分より正しい人間をきらうものです(同書p39)。自分の過失を咎める尺度と自分以外の人の過失を咎める尺度は全く違います(同書p29)。

他人に厳しく自分に甘い、ということは、自分の言動をよく振り返ってみれば誰でも思い当たるのではないでしょうか。

自己中心主義と中国、北朝鮮社会



「他人の不幸は蜜の味」などという思いを全く持ったことのない人は恐らくいないでしょう。しかしこれこそ、自己中心的な考え方そのものと言えます。

自己中心でない人は一人もいないはずですが、これが行き過ぎてしまった人が多数派になると、その社会は中国や北朝鮮のようになってしまうのでしょう。

中国や北朝鮮には、反体制勢力の摘発を奨励する密告制度があります。仲間の密告を警察組織する人は、自分さえ良ければあとはどうでも良いのでしょう。

中国や北朝鮮ほどでなくても、自己中心主義が徐々に蔓延している社会では、とんでもない惨事や悪事が生じ得るものでしょう。

人間誰しも、悪口や陰口を楽しんでしまうなら、何気ない言動で他人を大きく傷つけてしまい、他人の人生の方向を大きく変えてしまうこともあるはずです。

人間誰しも、悪口や陰口を楽しんでしまうなら、三浦綾子が言うように私たちはひとり残らず罪深いのかもしれません(同書p45)。これが原罪、人間が生まれながらにして持っている罪なのでしょうか。

人間の原罪を、自分の心中の経験に照らし合わせて考えていくことが大事なのでしょう。










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