2013年11月30日土曜日

不幸に会ってはじめて人間は自分が何であるかがわかります。-Stefan Zweig「マリー・アントワネット 下」(関楠生訳 河出文庫)より思う-

今自分の王冠、子供たち、自分自身の生命などすべてのものを、歴史上最も大規模な暴動に対抗して守ってゆかねばならないというたいへんな要求に誘発されて、はじめて、彼女は...

自分自身のうちに抵抗の力をさがし求め、これまで使わずに残しておいた知力と実行力を突然引き出した(Zweig前掲書p38)。


マリー・アントワネット(1755年11月2日-1793年10月16日)は、フランス革命(1789年)に直面して随分変わったようです。

1789年7月14日、パリの住民は反乱を起こし、専制主義と封建制の象徴とみなされていたバスチーユ牢獄を襲撃しました。

住民はバスティーユ牢獄の司令官と、警備にあたっていた兵士たち、パリ市長などを虐殺しました(Evelyne・Lever「王妃マリー・アントワネット」p78、創元社)。

「自由・平等・博愛」の精神により行われたというフランス革命の現実は、暴徒による虐殺の連続だったのです。

言うことはご立派でも、中身は、という人はいくらでもいます。フランス革命とは、中国の文化大革命のような蛮行だったのです。

「圧政に抗して立ち上がった市民」とは、文化大革命のときに虐殺と破壊行為を繰り返した紅衛兵のような人たちだったのでしょう。

すべての憎悪を宮廷の上に積み重ねてやれ!...君の方には十万、二十万のこぶしがある。そして武器庫には銃があり、大砲が待っている(Zweig前掲書、p9)


Zweigによれば、当時の新聞の主な論調は、市民に王室に対する暴力を呼びかけるようなものでした。「出版の自由」「言論の自由」の実態が暴力礼賛だったのです。


暴力礼賛論に触発された暴徒の群れが、ヴェルサイユ宮殿に押し寄せました。

暴徒は王政を罵倒し、王妃を「オーストリア女」と呼び捨てて、殺してやると叫びながら行進しました(Lever前掲本p79)。

ヴェルサイユ宮殿には多少の近衛兵がいるくらいで、武器を持った暴徒に彼らは虐殺されてしまいました。暴徒は宮殿に乱入しました。

近衛兵の首が槍の先につきさされました(Lever前掲本p81)。

国王一家は、暴徒によりヴェルサイユ宮殿からパリのチュイルリー宮に連行されました。1789年10月5日のことです。処刑される4年前になります。

マリ-・アントワネットは生きた心地がしなかったでしょう。

冒頭に引用した文章は、この頃のマリー・アントワネットの手紙にあるようです。軽薄な人に書ける文章ではありません。

国王一家はこのあと、1792年8月までチュルイリー宮殿で暮らします。奢侈生活はできなくなりました。

不幸というものは、もともと人の性格を変えるものではないし、性格のなかに新しい要素を押しこむものではない。ずっと前からある素質を磨きあげるだけのことである(Zweig前掲書p38)。


Zweigは、マリー・アントワネットには元来、知的に優れた資質があったと評価しています。

二十年間、本を一冊も読まなかった彼女が、夫に代わってすべての大臣や外交使節と討議し、彼らの処置を監視し、彼らの手紙にも手を入れました。

暗号文字をおぼえて、外国にいる友人たちと外交機関を通じて相談ができるように、秘密裏に諒解をつけるための方法を考え出しました(Zweig前掲書p39)。


ヴェルサイユ宮殿で荒れ狂う暴徒の姿を目の当たりにしたマリー・アントワネットは、自分たちの生命は風前の灯であることを理解していたのでしょう。

マリー・アントワネットは後世の人々が自分たちの言動を注視していることを見通していたのかもしれません。

彼女の手紙のどれかに、次の文章が残されているのでしょう(Zweig前掲書p41)。



「私たち個人に関しては、たといどんなことが起ころうとも、幸福などおよそ考えられなくなってしまっていることは、私も知っております。

しかし他の人々のために苦しむのが王たる者の義務ですし、私たちはそれをりっぱに果たしています。

いつの日にかそれが認めてもらえればよいのですが」

魂の奥底に至るまで深く、マリー・アントワネットは自分が歴史的人物となるさだめを負うていることを理解していた(Zweig前掲書p41)。


Zweigはこのように評価しています。

マリー・アントワネットは亡き母Maria Theresiaの言葉を心中で繰り返し思い起こしつつ、必死に運命と戦ったのです。

夫のルイ16世は機敏に判断し行動するという点で著しく劣っていた人物だったようです。一家が生きのびるためには、彼女が奮闘するしかなかったのです。

Zweigは、マリー・アントワネットがハプスブルグ家の女であり、由緒ある皇帝の栄誉を継ぐ子孫、Maria Thersiaの娘であるという事実によって、自分自身を超えたと述べています(p41)。

彼女は何ども、「何ごとにも勇気をくじかれない」と繰り返しているそうです。残された手紙の中にそういう記述があるのでしょう。

断頭台の急な階段をのぼっていくときにも、フェルセン伯爵への想いとともに彼女の心中にこの言葉があったのかもしれません。


Zweigの次の言葉は、読者である私たち自身が何者で在るかを問いかけるものです(p41)。

人間は自分自身の心の奥深くに近づいたとき、自分の個性の内奥を掘り起こそうと決意したとき、自分の血のなかに影のようにひそむ祖先たちの力をかきたてる(p41)。


凡人である私たちも、歴史の中で生きているのです。歴史は祖先の行いの積み重ねでもあります。

私たちもいずれは祖先となり、その所業が子孫や後世に評価されることを意識したいものです。
















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