2019年1月1日火曜日

内田樹・石川康宏「若者よ マルクスを読もう」(かもがわ出版平成22年刊行)より思う。

「社会の悪(障害や罪や抑圧)は、ある特殊な社会的領域・特殊な社会的立場に集約されているので、それさえ取り除けば、社会はよくなるというのは、悪いけれど、耳に快い『お話』にすぎません」(同書p100より抜粋)。


この本は内田樹・石川康宏両教授による「若者よ マルクスを読もう」の最初の巻です。

フランスの現代思想を専門とする内田樹教授と、マルクス主義経済学者として知られている石川康宏教授の往復書簡という形式になっています。

内田教授が「まえがき」で明記されているように主な読者として高校生を想定されていたようですが、かなり広い年齢層の読者を得たようです。

私としては、内田樹教授による、上述のマルクス批判が興味深かった。

「ヘーゲル法哲学批判序説」が共産主義勢力による蛮行の遠因と内田樹教授は解釈

内田樹教授のこの指摘は、マルクスの「ヘーゲル法哲学批判序説」にある、次の記述によるものです。

「一国民の革命と市民社会の一特殊階級の解放とが一致し、一つの立場が社会全体の立場として通用するためには、

逆に社会の一切の欠陥が或る他の階級の中に集中していなければならず、また或る特定の立場が一般的障害の立場、一般的障壁(拘束)の化身でなければならず、

またさらに、或る特殊な社会的領域が、社会全体の周知の罪とみなされ、そのためこの領域からの解放が全般的な自己解放と思われるようになっていなければならない。

或る一つの立場が優れた意味で解放する立場であるためには、逆に他の一つの立場が公然たる抑圧の立場でなければならない」(「若者よ マルクスを読もう」p98-99より抜粋)。

マルクスの文章は難解ですが、上記の最後の文章だけでも意味はほぼわかります。

要は次です。

労働者は革命的で抑圧されたものを解放する階級、資本家は抑圧する階級です。

労働者が資本家と闘争して国家権力を奪い、企業を社会全体のものにする革命を行えば万事良くなります。

私見では、エンゲルスの「空想から科学へ」の中心的主張はこれです。

内田樹教授は、この例としてスターリンのソ連、毛沢東の中国、ポル・ポトのカンボジアを指摘しています(同書p100)。

富農を人民の敵、と主張し彼らを除去、追放すれば万事良し、と最初に主張したのはレーニンでした。

ヘーゲル法哲学批判序説が若い、未成熟なマルクスの議論


内田樹教授のこの指摘に対し、石川康宏教授は次のように返答しています。

生産関係の転換を基本にすえて、それによって人間関係の転換を目指そうとするものであり、「あいつさえやっつければ世の中は変わる」といった単純な社会理解ではない同書p141)。

内田樹教授が引用しているマルクスの論考の当該箇所を石川康宏教授がどのように解釈したかという件はよくわかりません。

「ヘーゲル法哲学批判序説」がマルクス経済学の確立の前に書かれた文献なので、若い、未成熟な議論だったと考えているようです(同書p140)。

資本家は「利札を切る」だけで社会的に無用な存在ーエンゲルスは金融資産市場の資源配分機能(貯蓄から投資への資金の潤滑な配分)を役割を理解できなかった


私見では、マルクス、エンゲルスの革命理論は資本主義的搾取の理論により、さらに単純化されてしまった。「空想から科学へ」に次の記述があります。

「資本家のあらゆる社会的機能は今や俸給者によって司られている。

資本家は所得を懐に入れ、利札を切り、様々な資本家がお互いに自分たちの資本を奪い合う取引所で投機する以外は、何の社会的活動ももはや行わない」

エンゲルスは資本家による金融資産購入と売却が単なる投機であり、社会的に無用だと主張しています。

資本家に雇われた経営者が日々の企業経営を行っているので、資本家は無用という話です。過剰人口だとエンゲルスは述べています。

金融資産市場、または金融仲介機関の存在により、貯蓄主体から投資主体に資金が配分され、投資がなされて経済が活性化するのです。

消費者の動向を敏感に把握した人が会社を興すとき、自己資金だけで足りない場合がある。その人は銀行から資金を借りれば良い。

あるいは、裕福な方から借りれば良い。

北朝鮮では、銭主から資金を借りて自分なりの会社を興す、あるいは国有企業を買収して実質的に私有にする人が現れていると考えられます。

金融資産市場に関する法制度が整っていれば、株式を発行して資金を調達することもできる。

マルクス、エンゲルスは金融資産市場、または金融仲介機関が貯蓄主体から投資主体に資金を配分するという役割を果たしている事が理解できなかった。

起業家がどのような投資計画を持っているかを審査する能力を持つ金融仲介機関が存在すれば、起業家は金融仲介機関から起業のための資金を借りれば良い。

政府が金融仲介機関の存続を保障すれば、庶民は安心して金融仲介機関に資金を預ける事ができる。これにより、金融仲介機関は貸出しの原資を自己資金プラス預金にできる。

預金を発行して貸出しをすることができれば、社会全体にかなりの資金が流通していく。信用創造です。

19世紀の欧州で、実際にどのような債券や株式が売買されていたのか私は存じませんが、優良な金融資産は存在したはずです。

利子収入や配当は、不確実な将来に対して危険を取った事に対する報酬と言える。これを搾取とみなして禁止したら、経済はむしろ非効率的になる。

優秀な起業家が企業を起こせず、雇用が創出されなくなってしまうからです。

レーニンは穀物を自分と家畜の必要以上に生産して販売し、儲けようとする農民を搾取者とみなした


金融資産市場、金融仲介機関の存在意義を理解していない点では、レーニンも同様でした。ヒルファーディングはこれを理解していたように思えますが。

「青年同盟の任務」(レーニン全集第31巻、p290-291)でレーニンは、穀物を自分と家畜の必要以上に生産し他人に売って投機をしようとする農民は搾取者に変わっていると批判しています。

穀物投機をする農民は、飢えた人が多ければ多いほど高い値段が支払われると胸算用するから、搾取者だとレーニンは主張しています。

穀物が不足しているなら、沢山の農民により多くの穀物を生産してもらい、それを市場で倍すれば穀物の価格は投機により多少変動しても、落ち着いていくでしょう。

相当数の餓死者が出なければ、レーニンはそれを理解できなかった。「青年同盟の任務」は、新経済政策の少し前の著作です。

穀物投機者は搾取者、富農は人民の敵だというレーニンの主張は、エンゲルスの資本家による金融資産購入は無意味であり、資本家は不要だという主張の延長です。

マルクスの「ヘーゲル法哲学批判序説」の継承でもあります。

社会の一切の欠陥が或る他の階級の中に集中している」という発想から、レーニンは富農やロシア正教会聖職者弾圧を指示しました。

石川康宏教授は、エンゲルスの「空想から科学へ」の資本家不要論や、レーニンの「青年同盟の任務」をどう読んでいるのでしょうか。









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