志位さんが8月15日に談話を出しました。
モンゴル人はロシアを二百年以上、支配しました。
これも植民地支配だというなら、モンゴル人はロシアに謝罪と巨額の補償をせねばなりません。
世界史上、こんな例はいくらでもあります。オスマン帝国は近世の欧州にとって脅威でした。
西暦1453年、オスマン帝国のメフメト2世はビザンチン帝国を滅亡させました。これは侵略、植民地支配なのでしょうか。
16世紀前半、スレイマン大帝はハンガリーを攻略し、ウィーンを包囲しました。
現在のトルコ人には、メフメト2世やスレイマン大帝を誇っている方は多いでしょう。トルコ人はギリシャや東欧諸国に謝罪と補償をせねばならないのでしょうか。
志位さんによれば、植民地支配と奴隷制度の責任を過去までさかのぼって明らかにし、謝罪を求める動きが世界各地で広がっているそうです。
欧州商人による奴隷貿易は現地のアフリカ人による奴隷狩りがあったから実現したーポルトガル商人が現地の部族首長と鉄砲等を奴隷と交換
志位さんはこれを進歩的な運動と見ているのでしょう。
15世紀の終わりから19世紀中ごろまで、四百年ぐらい続いたアフリカから新大陸への奴隷貿易は、欧州商人だけの力で実現したのではありません。
現地でアフリカ人狩りを行うアフリカ人の部族、王国があったからこれが実現したのです。
アフリカの部族間、王国間の抗争が長年存在し、勝った側が負けた側の人々を捕虜にしする慣習があったのではないでしょうか。
ジャン・メイエール著「奴隷と奴隷商人」(「知の再発見」双書23、p. 32)によれば、大西洋三角貿易の第一段階は次のように行われました。
ヨーロッパからアフリカへ。奴隷商人がアフリカ西岸のゴレ島(ダカールに面する小島)からモザンビークにかけて、奴隷を買い付けに行く。そこで奴隷は、部族の首長を介して、ヨーロッパの産物(羊毛、綿、ラム酒、ブランデー、鉄の棒、火薬の樽、鉄砲、ガラス製の南京玉)と交換された。
大西洋三角交易がおこなわれていた頃、ポルトガル人が種子島に鉄砲を持ってきています。
推測ですがポルトガル商人は、日本人の武将からも、鉄砲と引き換えに奴隷を購入しようと策したのではないでしょうか。
彼らの狙いはどうあれ、日本人、種子島の人々は一年ほどで鉄砲を製造しました。ポルトガルから輸入する必要はなくなりました。
アフリカでは、鉄砲を自分たちで製造することは暫くなかったのでしょう。
アフリカの地理を全くと言っていいほど知らない奴隷商人が、自分達だけの力でアフリカ人狩りなどできません。
志位さんは、大西洋三角交易、奴隷貿易について何も知らないで発言していると思えてなりません。
奴隷貿易が始まった時期は、メフメト2世によるビザンチン帝国滅亡やスレイマン大帝によるウィーン包囲と大差ありません。
志位さんが欧州諸国に奴隷貿易について謝罪と補償をせよというなら、アフリカで奴隷狩りを行った部族の子孫の方々も米国や中南米に住むアフリカ系の方々に謝罪と補償をせねばならないだけでなく、トルコ政府も東欧諸国やオーストリアに謝罪と補償をせねばならないはずです。
勿論、オスマン帝国にも奴隷制は長年存在しました。イェニチェリというスルタン直属の奴隷軍人部隊はよく知られています。
オスマン帝国は主にバルカン半島のキリスト教徒の少年を徴用し、イェニチェリに養成しました。
現在の価値観で歴史を裁くべきではない
志位さんら日本共産党員、左翼の皆さんは、現在の価値観、現在の国際法で歴史を裁いています。
時空を飛び越えて、現代の価値基準で昔の人を弾劾してどうするのですか。織田信長は比叡山焼き討ちを断行しました。
信長の子孫の方々や、信長の家臣の子孫の方々は、比叡山延暦寺に謝罪をすべきなのでしょうか。
大日本帝国の時代のアジアでは、主権国家体制は未確立だった
大日本帝国が殖産興業政策を実施し、富国強兵化を実現したからこそ、今の日本があると考えます。
大日本帝国の時代のアジアでは、領土、領海、領空という概念が定着していたとは言い難い。主権国家体制がまだ確立されていないのです。
この時代に、外国と安定的に交易をするためには軍隊を海外に常駐させることは普通の事だったと考えます。
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