2013年9月14日土曜日

夜は、淫らさも、嫉妬心も、何一つ匿しだてしないでささやきかける―井上靖「楊貴妃伝」(講談社文庫)より思う―

天帝より統治権を委任された全人類の帝王-中華帝国皇帝-



井上靖「楊貴妃伝」(講談社文庫)は、唐の玄宗の愛妃で傾国の美女として名高い楊貴妃の物語です。

井上靖の「天平の甍」は玄宗の時代(唐の第六代皇帝。在位712-756)の話でした。日本から遣唐使が派遣されていた時代です。

唐の人口はどのくらいだったのでしょうか。長安の人口が100万人を超えたそうですから、全体では3千万人くらいはありそうですね。

中華帝国について理解するためには、皇帝とはどういう存在なのかということをおさえておくべきでしょう。

皇帝とは、その支配域が及ぶ地域のみの統治者という意味ではなく、天帝より統治権を委任された、全人類の帝王です。天命が変われば王朝は変わります。

「楊貴妃伝」(p257)にも、天帝による皇帝への委任統治論が出ています。

唐の領土はどこからどこまで、などという思考方式は当時の中国人にはなかったはずです。

地上全てが皇帝に属すべきなのです。天帝から統治を委任されているのですから。蛮族、野蛮人は無知蒙昧だからそれを理解していないという発想です。

中華帝国の王朝は、日本や新羅、吐蕃(現在のチベット、Tibet)、回紇(ウイグル、Uyghur)などの異民族の存在を承知していました。彼らは周辺に住む蛮族という位置づけになっていました。

最も、唐の王朝自体元は漢族ではなかったかもしれません。玄宗の頃には漢族化していたでしょうけれど。

自分たちは世界の中心に住む最優秀民族なのだという発想は今でも脈々と中国人に継承されています。中華思想は大変根深いものです。

中国人にとって、日本や南北朝鮮、ベトナム、モンゴル、ブータン、ミャンマー、インドネシア、フィリッピン、インドなど周辺諸国は全て、本来中国に服属すべきなのです。

そもそも蛮族ごときが軍隊を持って政府を樹立すべきではない!という発想です。

中国人にとって日本人や韓国人、ベトナム人、モンゴル人など蛮族は本来、国家を持つべきではないのです。中国と周辺諸国との領土問題は起こるべくして起きたものなのです。



56歳の玄宗が息子の愛妃楊玉環(22歳)を召した―開元28年(西暦740年)―



玄宗の時代には、吐蕃が強国で唐を脅かしていましたが、玄宗の統治期の前半は「開元の治」と呼ばれ、安定して繁栄していたと言われています。

玄宗の祖母は則天武后なのですね(同書p39)。玄宗(685-762)は数えで28歳で即位しています。楊玉環(後の楊貴妃)は、玄宗皇帝の息子、寿王の妃でした。

天帝から統治権を授与されているのですから、息子の愛妃でも自分の後宮に入れと要求できるのです。楊玉環がこれを拒否すれば、息子とともに死なねばなりません。

玄宗と楊貴妃の愛情物語については、白居易の「長恨歌」で知られています。この本の解説によると、楊貴妃一族の祖には随の創始者文帝(楊堅)がいます。名門です。

小説では楊貴妃は蜀(今の四川省)出身となっていますが、解説によると長安(現在の西安)と洛陽の間の出身です(p301)。

人の心は、史料からは判断しにくいものです。玄宗と楊貴妃の愛憎の現実は想像するしかありません。白居易の「長恨歌」も、史書というよりは芸術作品でしょう。

井上文学の魅力のひとつは、登場人物が時代の制約の下、智慧や謀を精一杯使って生き、栄え、敗れていく姿が鮮明に描かれていることではないでしょうか。


以下、小説を読んで心に残ったこと、想像したことを書き留めておきます。



脂肪のたっぷりとのった豊満な体、眼の明るく澄んだ蠱惑的な美しさ(p36)




楊玉環(楊貴妃)は豊満な体格だったようです。脂肪のたっぴりとのった豊満な体と表現されていますが、この時代は太った女性が美人とされていたのかもしれません。

蠱惑的な美しさとは、難しい表現です。蠱(こ)という漢字は、巫蠱(ふこ)という昔の中国の呪いで人を殺す術にある漢字です。

怪しげな魅力をもちつつも、澄んだ眼をした女性。豊満な体つきをした女性。女優なら誰でしょうか。日本や韓国の女優はほとんど皆、痩せていますね。

情熱的な瞳と豊満な体つきといえば、伊女優ソフィア・ローレン(Sophia Loren)を思い出します。

野心を秘めた瞳と言えば、英国女優ビビアン・リー(Vivien Leigh)を思い出しますが、豊満な体つきではないですね。


楊玉環(楊貴妃)は寝所で自分の要求を玄宗にささやきかけますが、昼間玄宗からそれについて触れられると「寝所で申し上げたことを何一つ覚えておりませぬ」と否定します(p65)。


夜は、淫らさも、欲の深さも、何一つ匿しだてしないでささやきかける小さく可愛い生きもの。

昼は必死にそうした自分のものを押しのけ、自分の内部のものと闘い、ただひたすら貞淑で、自己犠牲的であろうとする気品高く身を持している美貌の女性(p65)。



玄宗を手玉のように扱ってしまった女性ですから。男心を熟知していたことでしょう。小悪魔どころか、当時の人々にとっては大悪魔だったかもしれません。

楊玉環(楊貴妃)は徐々に地位を固めていきます。競争者の梅妃を、玄宗から取り上げて酒樽に漬けてやろうとまで思うようになります(p96)。

玄宗に召されて五年後、楊玉環は冊立されて貴妃に封ぜられます(p111)。貴妃とは皇后の下の位です(p11)。



男性でいて男性でない不気味な生きもの、高力士




楊玉環(楊貴妃)の最大の協力者は、老いた宦官高力士でしょう。宦官は男性としての機能を失っていますから、後宮にも出入りできます。

皇帝の傍にいつも仕えることができるのは、寵愛をうけている女と宦官なのです。

楊玉環(楊貴妃)は、高力士が自分の周囲で一番厄介な人物のように見えましたが、玄宗との関係が緊密であることを見抜きます(p67)。

玄宗より一歳年上の高力士は、玄宗の一部と言ってよいような存在でした(p67)。

政治について表面では口出しをしないのですが、実情を熟知している高力士の提案どおりに楊玉環(楊貴妃)が行動することによって、楊玉環(楊貴妃)の地位が強化されていったのです。

中国の王朝の執政には、宦官が隠然たる力を持っていたのではないでしょうか。宦官が策したことであっても、皇帝の勅令となれば絶対的なものになります。

いつでも皇帝の近くにいる宦官を讒言できる宰相などいたでしょうか。宦官は皇帝にいつでも高級官吏や宰相についての悪い噂をそれとなくほのめかすことができたでしょう。

皇帝は子供の頃から宦官にかしずかれて育ったのですから、腹心の宦官もいたことでしょう。

しかし、腹心の宦官が大唐帝国の存続のために常に正しい判断をするとは限りません。

楊玉環(楊貴妃)の一族を次から次へと高位に採用したのは高力士の差金ですが、これは人々の反発を買っていたことでしょう。

高力士は節度使安禄山を絶対的に信頼し重用することを楊玉環(楊貴妃)に主張してきましたが、これは完全に裏目に出てしまいます。

王宮から出たことのない宦官高力士は、軍事情勢について思考することができなかったのでしょう。これは楊玉環(楊貴妃)も同じです。



大きな運命には逆らえない-楊貴妃に子供はいなかったのか-




楊玉環(楊貴妃)は38歳で悲惨な最期を遂げます。悲惨な最期になることは、玄宗に召されたときに定められていたのではないでしょうか。

競争者である梅妃を追い落とし、玄宗の寵愛を受けることができなければ、梅妃により葬られていたでしょう。酒樽に漬けられていたかもしれません。

安禄山について見通しを誤ったのは高力士です。高力士と対立すれば、いずれは玄宗の寵愛を受けられなくなって言ったでしょう。

楊玉環(楊貴妃)は高力士の言を受入れ、玄宗に対して安禄山をかばいつづけました(p224)。

玄宗の寿命がつき、太子が皇位につけば直ちに楊玉環(楊貴妃)は処刑されてしまったのではないでしょうか。

中華帝国の権力抗争に関わったものが、天寿を全うすることは極めて困難なのでしょう。自分が天寿を全うできても、自分の死後は一族が皆殺しにされかねません。

楊貴妃に子供はいなかったのでしょうか。22歳の若さで寵愛を受けていれば、普通は何人もの子宝に恵まれそうなものです。

そうだとしたら、これも運命だったのかもしれません。




















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