2016年9月18日日曜日

市川正一「日本共産党闘争小史」(大月書店昭和29年刊行。市川正一氏が昭和6年7月の公判での代表陳述にもとづいて編集)より思う。

労働者・農民大衆は資本家と地主の搾取、隷属、失業、飢餓、堕落から解放されるためには、また帝国主義戦争の悲惨からまぬかれるためには、日本共産党の指導のもとに大衆的な武装蜂起をもって公然と資本家・地主の国家権力と武力闘争をなし、労働者・農民のソヴェト権力を樹立しなければならぬことを知るにいたっている(同書p182より抜粋。市川正一氏の最終陳述の一部)。


市川正一氏(1892-1945)を日本共産党は「創立時の党員で、第二次大戦前の、わが党の誇るべき指導者のひとりです」(「赤旗」平成19年8月16日)と評価しています。

市川正一氏は16年間の監獄生活で徐々に衰弱し、昭和20年3月15日に宮城刑務所で亡くなりました。

日本共産党としては、市川氏は不当に投獄されたと言いたいのでしょうが、「武装蜂起」「武力闘争」により「ソヴェト権力」とやらの樹立を策した人物が投獄されるのは当たり前です。

市川氏ら共産党員を逮捕できる法律がなければ、共産党は「武装蜂起」「武力闘争」を断行して地主や企業経営者、あるいは政府の要人にとんでもない危害を加えてしまったかもしれません。

今こそ革命的情勢だ!などという思い込みで、人を殺めてしまったら被害者だけでなく、加害者にも不幸です。日本共産党は、特別高等警察に感謝すべきです。

治安維持法と特別高等警察が、戦前の日本共産党による「武装蜂起」「武力闘争」、すなわち地主や企業経営者、要人殺害などの蛮行を防いだのです。

「武装蜂起」「武力闘争」など、民主主義の根源的否定です。「戦前のわが党は、主権在民を掲げてたたかった」という現在の日本共産党の宣伝に騙されてはいけません。

武装蜂起に反対する人は、「プロレタリア赤軍」により「反革命」とレッテルを貼られて投獄、場合によっては処刑されるのでしょうから。

戦前の日本共産党は、コミンテルン(世界共産党)の一支部でした。コミンテルン(世界共産党)はソ連共産党の支配下にありました。

日本共産党員は、レーニン、スターリンとソ連を盲信していました。

日本共産党は、日本社会をソ連のようにするために「不屈の闘争」を、コミンテルンの援助を受けて行いました。「労働者、農民のソヴェト権力樹立」とは、日本のソビエト化です。

市川正一氏が「不屈の獄中闘争」をしていた頃、ソ連では「人間抑圧社会」化が進んだ


市川正一氏の投獄期間に、「労働者の祖国」ソ連ではスターリンによる専制支配が確立されました。

「富農が隠している穀物を徴発せよ」「富農一掃」はレーニン、スターリンによる重要指令です。

これをボリシェヴィキが数百万人規模で餓死者を出しつつも断行したからこそ、ソ連が「人間抑圧型の社会」になったのです。

これを獄中にいる市川正一氏が知ることは不可能だったでしょう。しかし、1921年から23年にロシアで大飢饉が存在したと、市川氏は明言しています(同書p79)。

大飢饉の存在自体は、適切な認識です。

市川氏は大飢饉を「反革命があれくるったため」と主張していますが、「反革命」とやらが荒れ狂うとなぜ農業生産高が激減するのでしょうか?

「反革命の荒れ狂い」とやらと農民の生産意欲、農産物の流通にはどういう関係があったのでしょうか?

当時の日本共産党員には、農作業の経験がある方がいたはずですが、その程度の疑問も持てなかったのは奇妙です。

レーニンが出した穀物徴発指令が内戦を勃発させた


ロシア革命後の「戦時共産主義」の時期にレーニンとボリシェヴィキ(後のソ連共産党)は農民から穀物を徹底的に取り上げました。

自分が食べる分や来年の種までも取り上げられるなら、農民は生きるために穀物を隠すか、ボリシェヴィキに抵抗するしかない。

レーニンはそういう農民に「富農」のレッテルを貼り、掃討を命じました。ロシア正教会も徹底的に弾圧されました。

ロシア革命で農民は土地を与えられたはずでした。しかし収穫物(農産物)を強制的に取り上げられるのなら、農民から見ればボリシェヴィキは地主より悪質です。

武装したボリシェヴィキに抵抗するためには自分たちも武装するしかない。内戦です。

内戦に勝利したレーニンとボリシェヴィキは、農民を懐柔するために、農産物の自由販売を一定程度認めました。これが新経済政策(NEP)です。

新経済政策により豊かになった農民は、数年後にスターリンにより「富農」のレッテルを貼られ、政治犯として囚人労働を強制されました。

「富農一掃」による農業集団化とは、豊かになった農民の大弾圧でした。特に、1932年から33年にかけて、ボリシェヴィキはウクライナを徹底攻撃したようです。

「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」は内戦の呼びかけ―日本共産党も「鉄砲政権党」だった


市川正一氏によれば、日本共産党こそ、中国革命の支持、帝国主義戦争反対のスローガンをかかげてそのために真にたたかっています。

「中国革命の支持」とは、毛沢東と中国共産党への服従表明です。このころの中国共産党は、中国の農村地域で「地主とのたたかい」と称し収奪と反対者の虐殺を断行していました。

獄中の市川正一氏がソ連や中国共産党による蛮行、残虐行為を知るのは困難だったでしょうが、盲信は知性ある人間のやることではない。

ソ連や中国の現実を調べるためには、ボリシェヴィキや中国共産党による宣伝文句をうのみにしてはいけません。

市川氏によれば日本共産党は「帝国主義戦争を内乱へ」「自国政府の敗北」というスローガンをもって、実際に自国ブルジョアジーの政権と闘争する唯一の存在だそうです。

日本とソ連は対立していました。日本共産党はソ連が日本に勝利するように「たたかう」政党だったのです。

「帝国主義戦争を内乱へ」はレーニン主義の中心命題と言っても良い。内戦を聖戦と盲信していた日本共産党員は、今の〇〇〇〇原理主義者の連中と大差ありません。

後に宮本顕治氏は、中国共産党を「鉄砲政権党」と呼びました。

昔の日本共産党は「帝国主義戦争を内乱に転化」させるため、武装蜂起を策していたのです。昔の日本共産党も「鉄砲政権党」でした。

宮本顕治氏自身、若い頃は武装闘争を正当化、合理化する論文「共産党・労働者党情報局の『論評』の積極的意義」を昭和25年に雑誌「前衛」で発表しています。

宮本顕治氏御自身が、「鉄砲政権党」の「理論」を担当する大幹部だったのです。

この論文発表の少し後に、日本共産党は実際に武装闘争を始めました。朝鮮戦争に参戦した米軍の後方かく乱の「任務」を日本共産党はソ連・中国から与えられたのです。

戦前でも、日本共産党の影響力がもっと大きくなっていたら、ソ連は日本共産党に実際の武装蜂起を命令していたでしょう。

レーニン、スターリンを盲信し忠誠を誓っていた日本共産党員と、金日成、金正日を盲信し忠誠を誓う在日本朝鮮人総連合会


市川正一氏はコミンテルン(世界共産党)が作成した「綱領」「理論」に依拠して公判で「天皇制打倒」「資本家的・地主的搾取私有財産制度の打破」等と主張しました。

武装蜂起、武力闘争に反対、抵抗する労働者や農民が圧倒的多数であることを、市川正一氏は全く想像できなかったのでしょうか。

レーニン、スターリンを盲信すると、内戦、テロが聖戦に思えてしまうのです。当時も今も、日本共産党員には「革命」についての実証的な思考ができない。

「労働者・農民のソヴェト権力の樹立」を日本共産党員が労働者や農民に呼びかけても、全く相手にされなかった。ソヴェト権力など、一体全体どんな組織なのかわかりようもない。

地主に反感を持っている農民は少なくなかったでしょうが、武装して地主や企業経営者から財産を取り上げ、抵抗すれば殺すような野蛮行為に手を貸すほど日本の農民や労働者は愚かではなかった。

市川正一氏には、公判で自分の主張を大宣伝する機会を与えられたのです。この点だけでも、昔の日本は旧ソ連、現在の中国や北朝鮮よりずっと民主的です。

「反党反革命宗派分子」張成澤が「裁判」で国家安全保衛部に反論することができたのでしょうか。張成澤に弁護人はついていたのでしょうか。何もわかっていません。

吉良よし子議員、池内さおり議員は「武装蜂起」を「革命運動」「民主的変革」と認識しているのか


在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、金日成、金正日そして金正恩を盲信し、忠誠を誓っています。

同様に、市川正一氏、宮本顕治氏ら昔の日本共産党員はレーニン、スターリンを盲信し忠誠を誓っていました。

世界共産党(コミンテルン)から与えられた綱領を市川氏らは「実践」すべく武装蜂起を策していたのです。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんも、金日成の「教示」、金正日の「お言葉」を盲信しています。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんには、武装蜂起など愚行そのものであることが理解できないのでしょうか。

大韓航空機爆破や日本人、韓国人拉致は、「南朝鮮革命」に貢献しているのでしょうか。これらは金正日の指令により北朝鮮工作員が行いました。

吉良よし子議員、池内さおり議員は、武装蜂起を「革命運動」「民主的変革」と認識しているのでしょうか。労働者・農民ソヴェトとやらを武装して樹立すると「民主的変革」ですか。

「鉄砲政権党」という表現を、吉良よし子議員や池内さおり議員は御存知ないかもしれません。

殺人やテロは「民主的」ですか。暴力団は民主主義を広める団体なのでしょうか。




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