2016年10月2日日曜日

畑田重夫「共産主義のはなし」(日本青年出版社昭和43年刊行。「民主青年新聞」昭和43年1月24日号から26回連載に加筆、再編成したもの)より思う

「資本主義社会における『言論』『出版』『結社』『集会』などの自由は、働く人びとにとっては法律のうえの形式上のものにすぎませんが、社会主義社会においては、勤労人民にとってそれらがすべて実質的に保障されます。ただし、資本主義復活をめざす言論や行動の自由だけはどんな場合でも除外されます」(同書p51より抜粋)。


共産主義国では、資本主義復活を目指す言論、行動の自由は全くないということですね。

共産主義国が本質的に全体主義体制であることを、畑田重夫氏は正直に告白しています。

共産主義国では資本主義復活を望む人々や言論の自由を求める人々は「人民の敵」「反革命」「走資派」「宗派分子」などとレッテルを貼られ、徹底的に弾圧されてきました。

勿論、共産党、労働党の最高指導者が、私企業の自由な活動を認めた場合には資本主義が復活していきます。

鄧小平の「改革・開放」政策により中国は資本主義になりました。

旧ソ連、東欧は共産党政権が瓦解し、雪崩のごとく資本主義が復活していきました。

北朝鮮でも金正日が私企業の自由な活動を様々な分野で是認ないしは黙認し、市場経済化が進みました。金正日は、39号室という外貨稼ぎの専門部署をつくりました。

北朝鮮は覚せい剤や石炭、鉄鉱石を中国や日本の暴力団等に安値で売って外貨を稼いできました。北朝鮮の外貨稼ぎ部門は外国の保険会社から保険金詐欺を何度もやってきました。

外貨稼ぎ部門は利潤最大化を目標としているのですから、資本主義企業と本質的に変わりません。株式会社という形式になっていないだけです。

「共産主義のはなし」には、ソ連、東欧、中国がいずれは資本主義になるだろう、などという予測は皆無です。

ロシア革命によりぽっかりあいた資本主義世界の大穴はもうふさぐことはできない。癌のようにあちこちに転移しながらだんだんと広がっていくと畑田氏は断言しています。

癌ならば手術や薬で治療する方法がいつかは見つかるかもしれませんが、どんな名医も資本主義の没落をくいとめることはできないそうです(同書p115-116)。

社会主義社会を実現するための運動は、どんなに苦難にみちたものでも、最後にはかならず成功するという法則にそっているそうです(同書p116)。

昔の民主青年同盟員、日本共産党員は畑田重夫氏の「共産主義理論」を熱心に学んだ


畑田重夫氏は、三十数年前に東京都知事選挙に出馬されました。

日本共産党の推薦だったか、「革新都政をめざす会」というような団体の推薦だったか、記憶がはっきりしません。

新宿駅頭などで、何としても勝とう、勝たねばならないという演説をされていました。

早稲田大学の民主青年同盟が、日米安全保障条約についての勉強会で畑田氏を講師に招いたことがあったと記憶しています。昭和56,57年くらいだったでしょうか。

この本の奥付によれば、畑田氏は1923年(大正12年)京都府綾部市生まれで1948年(昭和23年)に東大法学部政治学科卒業されました。

労働者教育協会常任理事、中央労働学院常務理事という職務についていました。

畑田氏は日本共産党の流れにある平和運動、労働運動の理論家、運動家として活躍されてきた方です。

この本は民主青年同盟の機関紙に連載された「だれにでもわかる共産主義のはなし」をもとにして加筆、再編成してできたと「あとがき」にあります。

昭和43年(1968年)連載ですから、当時の読者は今70歳くらいになっているはずです。

この四年くらい後に起きた「新日和見事件」に連座した方々も、この連載を熱心に読んでいたことでしょう。「新日和見事件」については、油井喜夫「汚名」(毎日新聞社刊行)が詳しい。

「民主青年新聞」連載時に読者だった方々が、この本を今読んだらどんな感想を持つのでしょうか。

社会主義とは空想だったな、と思う方が少なくないのではないでしょうか。

中国や北朝鮮では,人間による人間の搾取が廃止されていたと大真面目に今でも信じている元民主青年同盟員がいるのでしょうか。

毛沢東、金日成、金正日は労働者ですか。

畑田重夫氏御自身は、今でも御自分の主張が正しかったと思い込んでいるのでしょうか。

ところで、日本共産党の運動に熱心に参加していた方々でも、この本の次の記述には違和感があったのではないでしょうか。

ブルジョアたちは、夫をもっている婦人との姦通、つまり婦人の共有を平然とおこなっているのです。しかも、プロレタリアの妻や娘を自由にできるだけでは満足せず、自分たちの妻をたがいに誘惑しあうことを無上のたのしみとさえしています(同書p64)。


「ブルジョア」とは、男性だけから構成されているのでしょうか。女性の会社経営者は世の中に存在しないのでしょうか。姦通、不倫は男性だけの「誘惑」により成立するのでしょうか。

複数の男性と性関係を持っている女性経営者は存在しないのでしょうか。

畑田重夫氏によれば、プロレタリアには二号さんをかこうような金があるはずがない(同書p65)。労働者は姦通、不倫をしないと言いたいのでしょうけれど。

あまりにも非現実的です。畑田氏は、愛情関係では女性が専ら受け身の存在としか把握できなかったようです。

畑田氏の人間観察眼は一体どうなっていたのかと思わずにいられません。極めて表面的な人の見方しかできない方なのかもしれません。

畑田氏の浅薄な人間観を示す記述をもう一つ指摘しておきます。宗教観です。

いま世界には十三の社会主義国がありますが、強制力によって宗教を禁止している国はひとつもありません。...社会主義がその高い段階である共産主義の段階へ近づくにつれ、宗教と宗教を信仰する人は、じょじょに社会から姿を消してゆくにちがいありません。そして、文字通り共産主義の社会になれば、宗教は完全に消滅することでしょう(同書p53-54)。


旧ソ連、東欧では教会も共産党の支配下にありました。ロシア正教会はレーニンにより徹底弾圧されましたが、スターリンが利用価値を見出したので支配下にはいって存続できました。

中国ではチベット仏教に中国共産党が徹底介入してきました。チベット人やモンゴル人がダライ・ラマへの信仰を公に表明すれば、監獄かどこかへ連行されてしまうでしょう。

毛沢東の時期の中国で、基督教信仰と布教が許容されていたとは考えにくいのですが、どうだったでしょうか。

現在の中国では、「法輪功」という宗教集団が徹底弾圧されています。「抜け穴」が相当あるそうですが。

北朝鮮では「寺院」はありますが、労働党が外人の見世物用に運営しているだけです。

北朝鮮では基督教信仰は政治犯収容所行きにされるくらいの「重罰」です。基督教信者は金日成、金正日より偉大な存在がいた、と信じているのですから。

この本の執筆時期に、ソ連や中国、北朝鮮の宗教事情を正確に認識するのは難しかったでしょう。しかし、どんなに技術が進歩しても宗教が無くなるはずがない。

人はいずれ、最期のときを迎えるのです。そのときが近くなれば、何かにすがりたいと思うのではないでしょうか。

遠藤周作の「沈黙」「侍」を、共産主義者は「非科学的」の一言で片づけてしまうのでしょうか。

プロレタリア文学とは、共産党の最高指導者と人間抑圧社会礼賛文学なのでしょうね。














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