2016年10月9日日曜日

畑田重夫・川越敬三著「朝鮮問題と日本」(昭和43年新日本出版社刊行)より思う

「朝鮮の統一という課題を追及する努力とたたかいが民主主義のためのたたかいとして承認されるのなら、戦争は政治の継続ですから、民主主義のための戦争(内戦)もまた承認されなければなりません。



その意味で、わたしたちも、だれが、どちらが朝鮮戦争を始めたかということよりも、「韓国」およびアメリカの支配階級の客観的情勢の分析に主力をそそいできたのでした」(同書p107より抜粋)。


畑田・川越両氏は、朝鮮戦争を始めたのが北朝鮮、朝鮮労働党であったとしてもそれを民主主義のためのたたかいとして正当化しています。

この本の奥付によれば畑田重夫氏は1923年(大正12年)生まれで国際政治学者です。川越敬三氏は1920年(大正9年)生まれでジャーナリストです。

御二人とも、日本朝鮮研究所所員と出ています。残念ながらこの本は現在は絶版になっているようです。

昭和43年当時の日本共産党員は、この本を現代朝鮮研究の最高の到達点として受けとめていたことでしょう。

「団塊の世代」くらいの日本共産党員が、民主青年同盟員としてこの本を一生懸命学習したはずです。

畑田重夫氏は現在でも、日本平和委員会や原水協、労働者教育協会などで活動されています。

民主主義とやらのために、朝鮮人民軍がソウル市民を殺戮することが正当化されるのなら、日本人や韓国人の拉致、大韓航空機爆破なども正当化されるのでしょう。

民主主義のために韓国人は死ね!という主張と上記に違いがあるでしょうか。この本は、韓国をアメリカの完全植民地と規定しています(同書p99, p180)。

南朝鮮人民にとっては、「日韓条約」を破棄し、アメリカ帝国主義に従属する日本独占資本と日本帝国主義の南朝鮮侵略のたくらみとたたかうことが、南朝鮮を解放する革命の大きな課題となっていると両氏は主張しています(p180)。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は畑田重夫氏のこの本を御存知ないかもしれません。この本は、当時の日本共産党の朝鮮問題に関する政策と十分整合的でした。

若い共産党員は、一昔前の日本共産党の文献を図書館などで探して読み、日本共産党と「平和運動」「民主運動」の歴史を自分の頭で考え、整理していくことができにくい。

共産主義者として朝鮮問題を語ろうとするなら、この本は必読です。

畑田氏と川越氏は、朝鮮戦争の歴史的意義として次を指摘しています(同書p118-119)。

畑田重夫・川越敬三両氏が語る朝鮮戦争の歴史的意義


第一に、朝鮮人民とその武装力である人民軍は、その英雄的闘争によって、祖国、朝鮮民主主義人民共和国を外国帝国主義の侵略から守りました。

祖国の自由と独立、社会主義制度を守り通し、第三次世界大戦を防止するという偉業に大きな貢献をしました。

第二に、朝鮮人民と人民軍は、その英雄的たたかいをとおして、祖国を守ったのみならず、社会主義陣営の当方の哨所を確固と守り抜きました。

第三に、朝鮮人民のたたかいは、中国人民の闘争とあいまって、東邦被抑圧民族の反帝民族解放運動の旗じるしとなり、その後の全世界的な民族解放闘争を限りなく激励しました。

第四に、朝鮮戦争は、全世界の組織的な平和運動の発展の一大契機となりました。

第五に、朝鮮戦争はアメリカ帝国主義は万能であるという「伝統」と「神話」をうちくだきました。

朝鮮人民をふくむ全世界の人民は、社会主義と平和と民主主義の諸勢力がかたく団結してたたかいさえすれば、帝国主義と反動と侵略の諸勢力に勝利できることを教訓として引き出せます(同書p119)。

「団塊の世代」、あるいは聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)ら年長の日本共産党員は、北朝鮮こそ社会主義陣営の東方の哨所だと固く信じていたのです。

最も、宮本顕治氏、不破哲三氏ら当時の日本共産党中央の最高幹部は、この時期にはすでに北朝鮮の危険性に気づいていました(不破哲三「時代の証言」中央公論新社p80-84参照)。

宮本顕治氏、不破哲三氏は北朝鮮が「民族解放」と称してテロ部隊をソウルに送っていることも気づいていたのですが、それを下部党員や「赤旗」読者には一切知らせませんでした。

金日成はスターリン、毛沢東の承認をもらって準備を整え、朝鮮戦争を始めました。中国の参戦は、大韓民国への侵略です。

畑田重夫氏は今でも、「抗米援朝保衛祖国」を掲げた中国人民軍の朝鮮戦争参戦を支持しているのでしょうか。

それなら、畑田氏は今でも北朝鮮により大韓民国は滅亡させられてしかるべきだ、と考えていることになります。畑田氏と川越氏は、次のように北朝鮮への帰国事業を礼賛しています。

「日本海を平和の海に」「帰国船を日朝間の平和の懸け橋に」といったスローガンではじまった帰国事業は、日朝友好運動史上の画期的なできごとでした(同書p191)


畑田氏・川越氏によれば、内外の反動勢力は何回も帰国事業の破壊をこころみましたが、その都度、日朝両国人民の連帯の力でこれをはねかえしてきたそうです。

これによって帰国事業は1967年末までの八年間つねに順調にすすめられ、合計八万八千余人が無事祖国へ帰って新しい生活に入りました(同書p191)。

しかし帰国事業は、重大な危機にさらされているそうです。

佐藤内閣と自民党は「日韓条約」発効以後、帰国事業をうちきる策動をあらためて開始し、帰国協定の延長を一方的に拒否したそうです(同書p191)。

畑田氏、川越氏によれば朝鮮学校で行われている民主的民族教育は、祖国を愛し、平和を望むりぱな共和国公民を育てることを目的としています(同書p193)。

昭和43年時点で北朝鮮に帰国した元在日朝鮮人とその家族(約6000人の日本国籍者を概ね含んでいる)は約88000人だったのでしょう。

畑田氏や日本共産党の努力と北朝鮮礼賛宣伝が実り、さらに約5000人が北朝鮮に帰国できました、というより帰国してしまいました、と書くべきでしょう。

以前にブログに書きましたが、昭和43年頃には相当数の元在日朝鮮人が行方不明になっていました。山間へき地への追放(山へ行った)、あるいは政治犯収容所送りでしょうか。

少数ですが、何かの「罪」で処刑されてしまった元在日朝鮮人もいたようです。

昭和43年頃には「唯一思想体系の確立」と称して金日成の神格化が始まっていました。

朝鮮労働党は住民の追放や政治犯収容所への連行を「学習に行った」ことにしますから、裁判などありません。

「三年すれば里帰りさせてやる」と在日本朝鮮人総連合会関係者に日本人妻は言われていましたが、この時点では誰も帰国できていません。

テロ国家北朝鮮を礼賛し、在日朝鮮人に北朝鮮への帰国を奨励した畑田重夫氏


今日の畑田重夫氏は、かつてテロ国家北朝鮮を礼賛し、在日朝鮮人に北朝鮮への帰国を奨励した史実をどう考えているのでしょうか。

テロ国家北朝鮮で、「民族反逆者」などとレッテルを貼られ政治犯収容所に連行されてしまった元在日朝鮮人もいます。

佐藤内閣と自民党は在日朝鮮人が北朝鮮に帰国することを妨げたそうですが、「奴隷船」の運行を妨げることこそ民主主義です。

北朝鮮へ帰国した元在日朝鮮人の多くは、北朝鮮社会では「動揺階層」に区分され、進学、就職、居住、配給など生きていくすべての面で差別されました。

帰国した元在日朝鮮人たちも、北朝鮮の人々と価値観が大きく異なっていましたから住みにくいことこの上ない。元在日朝鮮人は北朝鮮の人々を「原住民」「アパッチ」などと呼んでいます。

金正日の愛人となった高英姫(金正恩の母で、大阪市生野区出身)は、例外中の例外です。

高英姫は「地上の楽園」ともいうべき消費生活を満喫できましたが、金正日の正妻にはなれませんでした。金日成は金正日に元在日朝鮮人との結婚を許さなかったらしい。

金日成と金正恩が一緒にいる写真が出てこないのは奇妙です。金正日は高英姫との子供を、金日成に紹介できなかったのでしょう。

元在日朝鮮人に対する差別感情は北朝鮮社会で根強い。韓国でも同様かもしれません。

畑田氏、川越氏によれば「日韓条約」そのものがアメリカ帝国主義のアジア侵略体制の一環です。

畑田重夫氏はテロ国家北朝鮮による蛮行の歴史、御自分が韓国を罵倒した史実をありのままに見るべきだ


日本人民が「安保」条約破棄のたたかいを一つ一つ具体的にすすめているのと同じ意味で、日朝両国人民は「日韓条約」の具体化の一つ一つと着実にたたかわねばなりません(同書p181)。

畑田氏、川越氏は南朝鮮革命、すなわち大韓民国滅亡こそ朝鮮人民の解放であると考えていたのです。

畑田重夫氏は、今でも「日韓条約」破棄、すなわち韓国と国交を断絶すべきと考えているのでしょうか。本気でそういうなら、極右翼も顔負けです。

畑田重夫氏は、「現代人の学習法 社会科学を学ぶ人のために」(学習の友社昭和61年刊行)も著しています。

この本で畑田氏は次のように述べています(同書p212)。

一つの活動が終わったら、その活動の行われてきた過程を一つの流れとしてつかみ、同時にそこにあらわれているすべての問題について検討してみなければなりません。

その場合、何よりも恐れることなく、事実をありのままに見ることが必要です。

畑田重夫氏は、テロ国家北朝鮮による蛮行の史実、御自身が北朝鮮を礼賛し、韓国を罵倒した史実をありのままに見つめるべきでしょう。

御自分の書いた本の内容には、御自分の行動で責任を持っていただきたいと思うのは私だけでしょうか。























0 件のコメント:

コメントを投稿