2023年1月3日火曜日

「日本共産党100年 理論と体験からの分析」(有田芳生・森田成也・木下ちかや・梶原渉著。かもがわ出版)を読みました。ー日本共産党はダイエーと似ているー

日本共産党への注目度は上昇しているのか

日本共産党は党員、赤旗読者、国会と地方議会の議員数を減らしていますが、同党への注目度は上昇しているのでしょうか。

中北浩璽「日本共産党 『革命』を夢見た100年」(中公新書)や、松崎いたるさんの「日本共産党 暗黒の百年史」(飛鳥新社)など、日本共産党に関する本が最近相次いで出版されています。

本書は有田芳生さん(ジャーナリスト。前参議院議員)、森田成也さん(マルクス経済学者)、木下ちかやさん(政治学者)、梶原渉さん(一橋大学大学院)による日本共産党分析です。

全体で共通する問題意識は、日本共産党の衰退、高齢化の原因は何か、これを打開するために何をなすべきか、かと考えます。

この問題について、私見では梶原渉さん以外の方がそれぞれ興味深い答えを提起しています。

以下の要約は私の勘違い、曲解かもしれませんが、悪しからず。

日本共産党には異論者排除体質があるー有田芳生さん

有田芳生さんは、日本共産党の衰退、高齢化要因を、御自身の経験から同党の異論者排除体質と、その最大の例として新日和見主義事件に求めています。

有田芳生さんによれば、昭和47年に分派活動をした、として査問された方は600人、日本共産党から排除された方は100人にのぼるそうです(新日和見主義事件)。

この時多くの若く優秀な党員を手放した事が、世代交代を遅らせ、党勢を弱める遠因になったと有田さんは記しています(同書p41)。

御自身が経験した異論者排除体質を解消しない限り、日本共産党の発展はないという主張です。

不破さんの安保政策凍結論は失敗だった。護憲と革新の第三極づくりと、日本共産党内の選挙制度改革が必要ー森田成也さん

森田成也さんは、不破・志位指導部が宮本共産党時代の政治的・組織的遺産を食いつぶしながら存続し続けたと指摘しています。

日本共産党が平成10年7月の参院選で過去最高の得票と議席の大幅増を獲得すると、不破さんが安保政策を凍結して野党による暫定連合政権構想を提起しました。

森田成也さんはこれが大きな失敗だったと述べています。安保凍結ではなく、護憲と革新の第三極づくりを追及するべきでした(同書p80-81)。

今後の策として、森田成也さんは次を訴えています。

第一に、日本共産党の組織的改革を党内の選挙制度を改める事から始める事(同書p86)。

第二に、日本共産党が依拠してきた社会的基盤が縮小、高齢化していることを直視し、新自由主義の40年間で貧困化、周辺化し、生存と尊厳を脅かされている庶民、非エリートの労働者層、市井の女性達に依拠する事(同書p89)。

第三に、世界の民主主義の危機を克服するため、民主主義的に刷新された新しい社会主義を目指すグローバルで多様な民衆運動を起こし、その一翼となる事(同書p90)。

その他、森田成也さんは補遺として、志位さんの日本共産党創立100周年記念講演の問題点を8点指摘しています。

日本共産党は高度経済成長下で中間集団を組織し、国家の中の国家と言える文化的公共空間を構築できたから発展したー木下ちかやさん(同書p140)。

木下ちかやさんは、中北浩璽の前掲著を高く評価しています。木下ちかやさんが訴える、日本共産党の改革案は主に以下の二点と考えます。

第一に政治史の視座からだけでなく、社会運動史として日本共産党史を総括する事。

第二に21世紀の社会構造に適応した改革的中間集団の再建(同書p140)。

1950年代初め、講和論争時に形成された日米安保か憲法の平和主義かという枠組みが、若者には現実性を持って受け入れられなくなっているー梶原渉さん(同書p183)。

梶原渉さんの論考「戦後日本平和運動の中での日本共産党・試論」は、日本共産党が戦後の平和運動の中で果たした役割について記しています。

昭和38年に米英ソが締結した部分的核実験停止条約の是非をめぐり、原水禁運動が分裂しました。

分裂の原因として、日本共産党が米帝国主義批判の立場から社会主義国の核実験はやむを得ない、原水禁運動内部で主張した事が妥当だったかどうか、社会主義国の核実験容認は適切だったかのかを検討することを梶原渉さんは主張しています。

私見では、日本共産党はソ連や中国の核が平和に貢献すると信じていたのですから、ソ連や中国の核実験を容認するのは当然です。

機会があれば、ソ連を世界平和の砦と規定した日本共産党第八回大会での宮本報告、中国共産党の核実験を支持した第九回大会決議、上田耕一郎さんの著作「マルクス主義と平和運動(昭和40年大月書店刊行)について梶原さんの見解を伺いたいものです。

梶原渉さんは、昭和59年に起きた原水協での事件を御存知ないのでしょうか。

この事件については、吉田嘉清「原水協で何が起こったか」(日中出版社)など当事者の著作や、日本共産党の反論も多数出ています。

この事件で嫌気がさして日本共産党を辞めた知識人党員が相当数いたと伺います。古在由重先生も、この事件で吉田嘉清さんを擁護し、日本共産党から除籍されました。

私の記憶では古在先生の死亡記事が「赤旗」に掲載されなかったので、おかしいと思った読者、一般党員が相当数いたようです。

なぜ掲載しなかったのかについての釈明記事が少し後の「赤旗」に掲載され、それを読んでさらに日本共産党に嫌気がさした方が相当数いたようです。

日本共産党と平和運動、というテーマなら、言及すべきではないでしょうか。

日本共産党の成長と衰退は、ダイエーの成長、衰退、破綻と似ている

私見では、戦後の日本共産党の成長と衰退は流通大手ダイエーの衰退、破綻と似ている部分が多々あります。

日本共産党、ダイエー共にカリスマ的な権威を持つ経営者が、成長していく分野を見出し、経営者としての強力な権限を生かしてその分野に大きな投資を行ったことにより高成長を達成した。

労働者階級、庶民は消費者ですから、新しい商品が出てくることにより消費者としての満足度が増加し、実質賃金はあまり変わらなくても満足度が向上します。

新しい商品を次から次へと生み出せれば、消費者の満足度が高まり、消費需要が増えて経済成長につながるのです。

庶民の生活は楽ではないので、新しい商品を可能な限り安くせねば購入されません。

これは近年の内生的成長理論という、経済成長理論の発想です。

中内功さんは主婦の店ダイエー、という見地を経営に徹底することにより、消費者の満足度を高める商品を可能な限り安くすれば、自社の成長につながると直感したのではないでしょうか。

ダイエーの成長と破綻については、佐野眞一「カリスマ 中内功とダイエーの『戦後』」(新潮文庫)が良い文献と思います。

ほぼ同時期に宮本顕治さんは、自主独立路線と議会を通じての革命、という路線を固めました。

この路線は、ソ連や中国を社会主義国として尊敬はしていても、暴力路線は嫌だという庶民の気分に良く適合していたと考えます。

野坂参三さんも、カリスマ的な権威を持っていました。野坂参三さんの穏やかな口調の演説を聞いて、日本共産党に心酔した方は少なくなかったのではないでしょうか。

カリスマ的な経営者の存在による組織の硬直化、異論者の排除という点でも双方は共通していると考えます。

成長と衰退について、それぞれ独自の要因は多々あるでしょう。ダイエーの場合は過剰な不動産投資が衰退の重要な原因と考えられます。

日本共産党の場合、ソ連や中国、北朝鮮、東欧を社会主義国として高評価、礼賛してきた点は衰退の重要な要因と考えます。

ソ連などでは資本主義的搾取制度が廃止されていると宮本顕治さんは長年宣伝してきました。

昭和30年まで、世界の共産党は一つと日本共産党員は考えていた

昭和30年まで、在日の共産主義者が日本共産党員だったことを著者の方々は御存知ないのでしょうか。

その頃まで、世界で共産党は一つだから、在日朝鮮人、在日中国人は日本共産党に入党する事が当たり前と日本共産党員は考えていたのです。

世界の共産党の最高指導部は勿論、ソ連共産党です。昭和28年までは、スターリンが世界の共産党の最高指導者とみなされていました。

昭和25年からの50年問題の頃、今の日本共産党の解釈ではソ連、中国が大国主義的干渉を行い、徳田球一さんと野坂参三さんが分派を形成し武装闘争を行った事になっています。

当時の日本共産党員としては、世界共産党の最高指導部から指令が下りたのですから、それに従う事が共産主義者として当然の任務でした。

世界共産党の一員として、民主主義的中央集権制度の下、任務を実行せねばならないという発想です。

私見では不破さん、志位さんはこの辺りを隠蔽したい。歴史修正主義者ですから。




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