2015年5月13日水曜日

「赤旗」1967年11月7日主張「十月社会主義革命五十周年にあたって」より抜粋―若き聴濤弘氏(日本共産党員で元参議院議員、1935年生まれ)らはなぜソ連を礼賛したのか―

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い日本共産党員は昔の「赤旗」と「平家物語」を読むべきだ。


以下は、上記の「赤旗」主張からの抜粋です。日本共産党元参議院議員の聴濤弘さんなら、この時代の「赤旗」の基本的論調をよく御存知です。

「十月社会主義革命から今日までの半世紀のあいだに、世界の社会主義、共産主義の事業は、さまざまな困難や障害とたたかいながら、壮大な発展をとげました。

ソ連の社会主義は、帝国主義勢力の凶暴な干渉と包囲にたえぬいて社会主義建設の歩みをすすめ、第二次世界大戦では、全世界の民主勢力との連合のもとで、

ドイツファシズムの侵略を粉砕して偉大な勝利をかちとりました。

五十年前には、ソ連一国で世界の人口の十分の一にみたなかった社会主義は、第二次世界大戦後の東ヨーロッパおよびアジアの一連の国ぐにでの人民民主主義革命と社会主義革命の勝利、

1959年のキューバ革命の勝利をへて、今日では、十三の社会主義国家からなるヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカの三大陸にわたる社会主義世界体制に成長し、

世界の人口の三分の一以上がすでに社会主義の道にたつにいたっています」(中略)

「経済的発展の面でも、社会主義制度の優越性は、きわだっています。

五十年まえ、ロシアで社会主義革命が成功した当時、世界の工業生産高で社会主義国が占める割合は約3パーセントにすぎませんでしたが、今日では、それは約40パーセントを占めるにいたっています。

社会主義国の多くは、経済的にかなり立ちおくれた状態から出発したにもかかわらず、この急速な経済的発展を基礎に、革命前の飢餓的窮乏を短期間に克服し、社会主義建設の進展とともに、

人民の享受する社会福祉の点でも、文化の点でも、人間による人間の搾取と抑圧を原則とする資本主義諸国の追随をゆるさない成果を達成してきました」。

聴濤弘氏ら昔の日本共産党員には見聞した事実の分析ができなかった


聴濤弘さんら昔の日本共産党員の皆さんは、一体何を根拠にしてこんな虚偽宣伝をしたのでしょうか。この主張の時期、中国では紅衛兵が暴れまくり、社会は大混乱していました。

紅衛兵に暴行を加えられている方々には、医療も福祉もあろうはずがない。聴濤弘さんにはその程度の想像もできなかったのでしょうか?当時の中国には、日本共産党関係者がいたはずです。

五十年前には、ソ連や中国、東欧、北朝鮮をひたすら礼賛し、米国や日本を罵倒していれば立派な左翼人とみる社会的風潮がありました。

日本共産党員には、見聞したあらゆる事実を総合して分析するという謙虚さがなかった。外国の共産党の宣伝をうのみにしてそれを日本社会に流布していました。

「赤旗」のこの「主張」を当時読み、ソ連、中国、北朝鮮礼賛に励んでいた若い日本共産党員は、今では70代後半から80代になっています。

そのお一人、聴濤弘さんは日本共産党内でソ連問題の専門家とされ、ソ連礼賛を重要な仕事としていた方です。「21世紀と社会主義」(1984年新日本出版社刊)という著作があります。

若き聴濤弘さんからみれば、ソ連崩壊をもろ手をあげて歓迎した宮本顕冶氏は反革命分子そのものです。聴濤弘さんらが理想郷と信じていた社会主義世界体制とやらは、滅亡しました。

中国は国家独占資本主義になりました。中国共産党幹部の腐敗は自民党どころではない。


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。



「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

おごれる人もひさしからず。ただ春の夜の夢のごとし。たけきものも遂には滅びぬ。ひとへに風の前の塵におなじ」

昔の「赤旗」や「前衛」を読むと、「平家物語」冒頭のこの一節を思い出してしまいます。
聴濤弘さんら昔の日本共産党員のソ連礼賛など、春の夜の夢の価値もなかった。

吉良よし子議員、池内さおり議員ら若き日本共産党員は、五十年後にどんな宣伝をしているのでしょうか。引き続き、中国は社会主義を目指していると宣伝しているのでしょうか。

若い日本共産党員には、中国や北朝鮮による核軍拡の危険性が一切認識できない。日本が中国や北朝鮮の核ミサイルの標的になりうるのです。これがどうしてもわからない。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんと、日本共産党員は基本的な思考方式が似ています。共産党、労働党の指導者のお話は全て正しく、批判者(脱北者や除名者)は絶対悪という思考方式です。

中国宣伝に励む前に、聴濤弘さんら昔の日本共産党員から、青春期のソ連礼賛話を聞くべきでしょう。高齢の日本共産党員も若い頃は、「たけきもの」だったのです。


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