女の脚は美しく、バランスよく地球を測るコンパスだ
主人公Bertrandのこの言葉に、彼の人生が集約されています。
映画の舞台は1970年代中頃の南仏の街です。映画の冒頭シーンはBertrandという男性の埋葬に、たくさんの女性が集まってくる場面です。
Bertrandは40歳くらいですから、1935年くらいに生まれているはずです。今生きていれば80歳くらいのフランス人男性です。
Bertrandは母ひとり、子一人で少年時代を過ごしました。母親は男性関係が派手だったようです。これは、Bertrandの精神形成に少なからぬ影響を及ぼしたはずです。
次から次へと女性を求めて生きているBertrandは、母親に十分愛されなかったという思いを心のどこかにもって生きていたのかもしれません。
壇一雄「火宅の人」を思い起こさせる
私はこの映画を観て、壇一雄の「火宅の人」という小説と映画を思い出しました。その映画によれば、壇一雄の母は愛人のもとへ去ってしまいました。檀一雄が少年のときのことです。
壇一雄はBertrandほどではありませんが、自らの生涯を赤裸々に描いた作家です。
この映画のBertrandも同じで、自分の女性遍歴を小説にします。無数の女性と床を共にしたBetrandですが、人生で最愛の女性はおそらく人妻デルフィーヌだったのでしょう。
嫉妬深いデルフィーヌは情熱家です。彼女の登場により、Bertrandの中年以降の人生の波風がわかります。実際にこんなことを繰り返しやれば、数々のトラブルでまともに暮らせなくなる。
Bertrandが自分の自叙伝とも言うべき小説に最初につけた題名はLe Cavaleur(浮気者)でした。
しかしBrigette Fossey演じる女性評論家(小説家?)により「恋愛日記」(L'Hommequi Aimait Les Femmes)に変えられます。
Brigette Fossey演じる女性が、Bertrandを愛しつつもBertrandの生涯の解釈をするのも面白い。知性ある女性でも、Bertrandのような浮気者に夢中になってしまうこともあるのでしょう。
Bertrandは寂しいながらも彼らしい最期-人は生きてきたように死んでいく-
Bertrandは寂しいながらも、彼らしい最期のときを迎えます。
寂しい最期と、愛した女性に見送られていくBertrandを描いたところに、François Trauffaut監督のメッセージが込められているのでしょう。
人は、生きてきたように死んでいくのでしょう。性癖を変えることはできない。
愛情の追求が人生の一大行事であることは間違いない。Bertrandは自らの愛情生活の遍歴を小説にし、後世に残すことができたのです。
身勝手な彼のために泣いた女性たちの生き様も、その小説に描かれているはずです。その女性たちも、あるときは精一杯Bertrandを愛したのです。
そのときを肌で覚えているからこそ、彼女たちは葬儀にやってきた。Bertrandは悪辣な人物ではなかったのでしょう。
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