2016年8月13日土曜日

「マルクス=レーニン主義の基礎」(ソ連邦国立政治文献出版所1959年刊、日本共産党中央委員会発行)より思う

マルクス=レーニン主義を死んだ教条としてではなく、生きた行動の指針として身につけようとするものにとっては、これを統一した完全な一個の体系としてまなぶことが、なによりもまず肝心なことである。それゆえ、本書をまなぶさいには、この教科書の全体の構成と叙述にしたがって、忍耐づよく系統的にまなんでいくことが望ましい(日本共産党中央委員会議長 野坂参三の「マルクス=レーニン主義の基礎 日本語版の出版にあたって」1960年1月より抜粋)


吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員の皆さんは、「マルクス=レーニン主義の基礎」というソ連共産党がつくった本を御存知でしょうか。

この本を日本共産党中央委員会が翻訳して「教科書」にしていたのは史実です。

当時の日本共産党中央委員会議長、野坂参三氏が「教科書」として党員や労働者に推奨しているのですから。

この本の執筆責任者は、オ・ヴェ・クーシネンというソ連共産党の大幹部で、スターリンの側近の一人です。

クーシネンは日本共産党が崇めていた「32年テーゼ」作成の中心人物でした。フィンランド人です。

スターリンの側近で、フルシチョフによるスターリン批判(1956年)以後もソ連共産党の大幹部で居続けたのですから、かなりの政治力をもった人物だったのでしょう。

本ブログでは何度も、宮本顕治氏、上田耕一郎氏、不破哲三氏、聴濤弘氏らがソ連を礼賛したことを指摘しました。

社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた、と昔の共産党員は信じていたのです。

この本が日本語に翻訳された昭和36年(1961年)ころ、1927年生まれの上田耕一郎氏は34歳、1930年生まれの不破哲三氏は31歳、1935年生まれの聴濤弘氏は26歳くらいです。

日本を必ず、ソビエト化するぞ!という志に燃えていた彼らは、「マルクス=レーニン主義の基礎」を何度も繰り返し読んだのではないでしょうか。

クーシネンの「マルクス=レーニン主義の基礎」と岡本博之・小林栄三監修の「科学的社会主義 上下」


私見では、岡本博之・小林栄三監修の「科学的社会主義 上下」(昭和52年新日本出版社刊行)の「理論」部分はこの本と大差ありません。

生産の社会的性格と取得の資本主義的形態の矛盾からの唯一の出口は、生産手段の社会的所有、すなわち社会主義への移行だそうです(「基礎」2、p227)。

労働者階級は権力を握った後、旧国家の諸機関(警察、裁判所、行政機関等)をどう処理するかという問題にぶつかるそうです。

どんな条件のもとでも、古い国家権力機関を破壊し、新しいものを創設することが、プロレタリア革命の第一の条件になすべき任務であることにかわりはないそうです(「基礎」2、p295)。

上田耕一郎氏、不破哲三氏らの若い頃の「理論」も、この「教科書」に依拠している部分が多々あります。上田耕一郎氏の自衛隊即解散論は、「古い国家権力機関の破壊」論と同じです。

現在の日本共産党は、公安警察と公安調査庁の解体を要求していますが、これもクーシネンの、「古い国家権力機関の破壊」論の影響によるものです。

現在の日本共産党は、中国や北朝鮮、〇〇〇〇原理主義者の策動から日本国家を守るために必要な諜報機能(インテリジェンス機能)の抜本的弱体化を主張しています。

共産主義者が、「米帝国主義と日本の独占資本による階級的支配の機構」である日本国家の弱体化と滅亡を策するのは当たり前です。

政府の諜報機能(インテリジェンス機能)がなくなってしまえば、政府が北朝鮮工作員や〇〇〇〇原理主義者によるテロを未然に阻止することは不可能です。

スターリンの側近、クーシネンが作成した「指針」を日本共産党は信奉してきた


小林栄三氏は、「科学的社会主義 下、p14」でクーシネンが中心になって作成した「32年テーゼ」を「わが国の革命運動の進むべき道をしめす画期的な指針」と高く評価しています。

今日の不破哲三氏によれば、1930年代以後のソ連は「人間抑圧社会」であり、「覇権主義の巨悪」です。

今日の不破哲三氏の観点からすれば、戦前の日本共産党は、「覇権主義の巨悪」が作成した指針を盲信して活動していた御仁たちということになります。

小林栄三氏は、「覇権主義の巨悪」が作成した指針を礼賛した御方ということになります。昭和52年当時の不破哲三氏も「32年テーゼ」を同様に評価していたのでしょうけれど。

ソ連が崩壊し、ソ連共産党員が落ちぶれると手のひらを返して罵倒するのが、共産主義者の生き方なのです。

日本共産党のソ連評価は、「マルクス=レーニン主義の基礎」が発行された昭和36年当時はいわば「巨善」だったのですが、およそ30年後には「巨悪」に変化しました。

「巨善」と評価していた時期に、野坂参三氏がソ連の秘密警察の諜報活動やスターリンによる殺人に協力するのは、共産主義者として栄えある活動だったはずですが。

今日の不破哲三氏の視点で昔の日本共産党員の活動を評価したら、「巨悪」の手下どもの妄動、愚行という話になるだけです。

今日の不破哲三氏の視点から、昔の日本共産党員に今の規約を適用すれば全員除名でしょう。野坂参三氏は長生きをしたことが災いしたと言えそうです。

ソ連を礼賛した若き不破氏も処分対象になりえます。

日本共産党は中国覇権主義に屈服した


中国は農村出身の労働者(農民工と言います)を二束三文の賃金で酷使して高成長しました。中国共産党員は国家による許認可などの権限を利用した利権あさりで巨額の資産を蓄積しました。

今の中国共産党員は、農民をこき使った昔の中国の地主のような存在です。

中国共産党との関係を正常化をすることにより、不破哲三氏は「野党外交」ができるようになりました(不破哲三「時代の証言」p194)。

不破哲三氏は、中国人民解放軍に射殺された「赤旗」記者の生命と人権を無視して、中国共産党との関係を正常化しました。

今日の不破哲三氏は、中国政府による過酷な人権抑圧、チベットやウイグル、モンゴルなど少数民族抑圧に沈黙しています。長いものにはまかれろ、ということなのでしょう。

宮本顕治氏は天安門事件の頃、中国の人権問題を強く批判しました。明治人の頑固さが、宮本顕治氏にはあったようです。中年以上の日本共産党員なら、この史実を覚えています。

日本共産党は、「中国覇権主義」とやらとの「生死をかけたたたかい」は敗北しました。

今でも、日本共産党が日本革命をやると主張していること自体、ソ連共産党の「マルクス=レーニン主義の基礎」の枠内にあると言えます。

「ソ連覇権主義との生死をかけたたたかい」とやらに日本共産党が勝利したわけではない。依拠している「理論」が大同小異なのですから。

不破哲三氏は結局、レーニン、スターリン、クーシネンの弟子なのです。吉良よし子議員、池内さおり議員には、「マルクス=レーニン主義の基礎」を読んでいただきたい。

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