2016年8月14日日曜日

70年代の日本共産党のスターリン、ソ連評価について思う(上田耕一郎「先進国革命の理論」大月書店昭和48年刊行、小林栄三監修「科学的社会主義 上」新日本出版社昭和52年刊行より)

第一次世界大戦中における偉大な十月革命の勝利、そして第二次世界大戦後、東ヨーロッパとアジア、さらにキューバでの社会主義革命の勝利によって、社会主義は国際体制を形づくった。このことによって、マルクス・レーニン主義の真理性は、すでに最終的に実践によって証明された(上田耕一郎「先進国革命の理論」p6より抜粋)。


吉良よし子議員、池内さおり議員は上田耕一郎氏の「先進国革命の理論」や小林栄三監修「科学的社会主義 上」を御存知でしょうか?

「団塊の世代」くらいの日本共産党員、あるいは50代の日本共産党員なら、これらを熱心に読んだ記憶があるはずです。藤野保史議員なら、きっとこれらの本を御存知です。

上田耕一郎氏によればソ連、東欧、中国、ベトナム、北朝鮮、キューバが社会主義国になったので共産主義理論の真理性が証明されたそうです。

当時の日本共産党員は殆ど皆、そう思っていたのではないでしょうか。

ソ連と東欧、中国が資本主義化した今日、上田氏の論法からすれば共産主義理論の誤りが最終的に実践により証明されました。北朝鮮も市場経済化しつつあります。

上田氏は、マルクスやエンゲルスの予想と異なりなぜ資本主義の発達が遅れたロシアで革命が起き社会主義が建設されたのかをこの本で縷々説明しています。

スターリンは資本主義包囲のなかで、一国における社会主義革命と社会主義建設の勝利の可能性にさらに明確な展望を与えたそうです。

スターリンは世界の革命運動との連帯と相互支持のもとでソ連の社会主義建設をおしすすめましたそうです。

「一国でも社会主義は建設できる」というスターリンの主張は基本的に正しく、ソ連における社会主義建設の前進にとって大きな指導的役割を果たしたそうです(同書p13)。

吉良よし子議員、池内さおり議員は御存知ないでしょうが、1970年代になっても日本共産党はスターリンにそれなりの評価を与えていたのです。

1970年代には、スターリンによる大量虐殺の史実は明らかでしたが。

上田氏らは、社会主義建設には試行錯誤と犠牲者は避けられないという程度の認識だったのではないでしょうか。共産主義者には、共産主義国による人権抑圧を傍観する体質があります。

ソ連崩壊後不破哲三氏は、スターリン以後のソ連が「覇権主義の巨悪」であり、人間抑圧社会だったとそれまでの評価を変えました。

上田耕一郎氏の「先進国革命の理論」が間違いだったと御本人や不破哲三氏が認めたわけではありません。

しかし不破氏の「ソ連=覇権主義の巨悪、人間抑圧社会」論の観点からすれば、「先進国革命の理論」はスターリン礼賛本でしかない。

今日の日本共産党が下部党員に「先進国革命の理論」を推奨していない理由はそのあたりでしょう。

クーシネン「マルクス=レーニン主義の基礎」の観点で日本共産党は宣伝をしてきた


「先進国革命の理論」のスターリン評価は、クーシネンの「マルクス=レーニン主義の基礎2」(日本共産党中央委員会発行、p318-319)と基本的に同じです。

「マルクス=レーニン主義の基礎」が刊行された時期のソ連共産党の最高指導者はフルシチョフです。フルシチョフとは、1956年にソ連共産党の大会でスターリン批判を行った人物です。

日本共産党はフルシチョフ、クーシネン流のスターリンとロシア革命、ソ連観を長年宣伝をしてきました。

クーシネンは優れた宣伝・扇動者です。大嘘を読者に真実と思い込ませる文章力がある。

「マルクス=レーニン主義の基礎」には、レーニン、スターリンが何度も強調したクラーク(富農)の財産没収、撲滅が必要不可欠だという話がありません。

クラーク(富農)のレッテルを貼られた農民は政治犯収容所や遠方に連行ないしは処刑されました。犠牲者は100万人を越えるでしょう。

クラークというレッテルを恐れた農民は、家畜を殺しました。ソ連農業は大打撃を受けました。

ボリシェヴィキ(後のソ連共産党)による穀物徴発、富農というレッテル貼りに耐えかねて、沢山の農民が反乱をおこしたことも、「マルクス=レーニン主義の基礎」は一切ふれていません。

反乱を起こした農民たちはボリシェヴィキの「赤色テロル」の対象にされてしまいました。これらの史実をクーシネンは隠ぺいしたのです。

ロシア革命に対抗して、国内反革命勢力と国際大ブルジョアジーの広範な連合軍が行動をおこした、と、「マルクス=レーニン主義の基礎3」にあります(p555)。

「マルクス=レーニン主義の基礎」のロシア革命観を「科学的社会主義」(岡本博之・小林栄三監修、新日本出版社刊)も継承しています。

「科学的社会主義」「先進国革命の理論」は、ソ連や中国、北朝鮮の政治犯収容所の存在について完全に沈黙しています。「マルクス=レーニン主義の基礎」と同じです。

穀物徴発に反抗する農民、教会の財産没収に反抗する聖職者、トロツキー、ブハーリンも「反革命」


「反革命」とは便利な語です。レーニン、スターリンとソ連共産党の蛮行に反抗する人間はすべてこの中に含まれてしまいますから。

殺されると思えば、誰しも可能な限り反抗するはずです。「富農」「反革命分子」「スパイ」容疑で監獄に連行され、死刑判決を出されてしまえば反抗などできませんが。

レーニンとボリシェヴィキによる教会の財産没収、聖職者投獄や処刑に反抗したロシア正教会の聖職者たちも、共産主義理論から見れば「反革命」です。

トロツキー、ブハーリンも反革命です。ソ連工業化の原資についての彼らの主張は大きく異なっていたのですが、反革命というレッテルをスターリンに貼られた点では同じです。

「マルクス=レーニン主義の基礎」「科学的社会主義」には、トロツキーやブハーリンがロシア革命で果たした役割については一切触れられていません。

「ソ連邦共産党史」(日本共産党中央委員会宣伝教育部訳、大月書店昭和34年刊行)にはトロツキー、ブハーリンは10月革命で否定的な役割を果たした人物として記述されていますが。

ソ連共産党の内部抗争に勝利したスターリン、フルシチョフの都合の良いようにソ連の歴史が修正され、世界各地で「教科書」として共産党員により宣伝・普及されてきたのです。

「32年テーゼ」を誰が作成したのか、今日の日本共産党中央は下部党員に説明できない


今日の不破哲三氏によれば、スターリン以後のソ連は人間抑圧社会で、ソ連共産党は覇権主義の巨悪です。

この立場を徹底するならば、スターリンの指導下にあった世界共産党(コミンテルン)もその存在自体が覇権主義の産物であり、各国の共産党員は覇権主義者の手先ということになります。

覇権主義者が作成した「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」(32年テーゼ」を、小林栄三監修「科学的社会主義 上」は「わが国の革命運動が進むべき道をしめす画期的な指針」と高く評価していました(同書p14)。

そんな素晴らしい指針を宮本顕治氏ら当時の日本共産党中央に授けて下さったのなら、やはりスターリン、クーシネンとソ連共産党は偉大だったという話になってしまいます。「巨善」です。

このあたりを問いただすと、厄介なことになりますから、最近の日本共産党の文献では「32年テーゼ」を誰が作成したのかについてはふれられていません。

小林栄三監修「科学的社会主義 上」では、「32年テーゼ」は片山潜、野坂参三、山本懸蔵ら党代表が参加してコミンテルンで決定されたと記述されています(同書p14)。

野坂参三氏は、不破哲三氏により近年「覇権主義者の手先、内通者、党の破壊者」等と規定されましたから、「32年テーゼ」作成者の一人として下部党員に紹介することはできません。

「32年テーゼ」作成者は隠ぺいするしかない。共産主義者にとって歴史は、宣伝材料なのです。

旧ソ連はもちろん、中国、北朝鮮でも、宣伝・扇動を担当する部門が強大な権限を保持しています。在日本朝鮮人総連合会にも、宣伝・扇動を担当する部署があるはずです。

吉良よし子議員、池内さおり議員は「32年テーゼ」について何か御存知なのでしょうか。

この程度の文書について何も知らない方が日本共産党の国会議員をやっているなら、日本革命などできるはずがないですよ。

追記


「マルクス=レーニン主義の基礎」や、「ソ連邦共産党史」の朝鮮語版もあったのでしょうね。昭和36年ぐらいの北朝鮮なら、「主体思想の確立」前です。黄長ヨップさんなら、御存知だったでしょう。

ソ連共産党の本が当時の北朝鮮国民に紹介されていてもおかしくない。北朝鮮はソ連により解放されたとこの時期の金日成の著作には明記されていました。

ところで、満州で山賊行為をしていたときの金日成は中国共産党員でした。金日成は満州の治安を維持すべく尽力した日本軍に討伐され、ソ連領に逃げました。

朝鮮学校関係者はこれを御存知かな。







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