2018年8月27日月曜日

宮本顕治氏によるソ連・中国核実験擁護論(社会主義国の核による戦争抑止論)より思う。日本共産党第九回大会(昭和39年11月24~30日)での中央委員会報告より。

社会主義陣営の経済は、全体としては資本主義世界のそれよりもずっと早いテンポで発展し、世界経済のなかでしめる比重も増大した(第九回大会中央委員会報告より抜粋。p11)。


日本共産党第九回大会が開催された昭和39年といえば、東京オリンピックの開催年でした。この頃から日本は、高度成長期に入ります。

当時、宮本顕治氏ら日本共産党員はソ連、中国、東欧、北朝鮮、ベトナムなど社会主義諸国の方が資本主義国より高成長をしていると確信していました。

北朝鮮は千里馬のいきおいで社会主義を建設しているなどと、当時の日本共産党は大宣伝していました。

社会主義国では搾取がないから国民の生活は日ごとに良くなるという類のマルクス主義経済学の主張を盲信していたのでしょうね。

この時期の日本共産党は、フルシチョフらソ連共産党を現代修正主義と規定し、強く批判していました。

しかしソ連や中国の核兵器については、防衛的なものとみなし、核実験に理解を示していました。

聴濤弘氏ら古参の日本共産党員、運動家は若い頃の御自分の言動をどう評価しているのか


「いかなる国の核実験にも反対」というスローガンを主張した当時の社会党指導部を、宮本顕治氏は以下のように中央委員会報告で強く批判しています。

若い日本共産党員には信じがたい事でしょうけれど、いかなる国の核実験にも反対したのは日本共産党ではなく、旧社会党だったのです。

当時の日本共産党は、ソ連や中国の「社会主義の核」が帝国主義の核戦争を防止すると信じていた。

今の日本共産党が強く批判する核抑止論です。

この当時から日本共産党員として活動されていた方々は、宮本顕治氏のソ連、中国核兵器保有支持論を今日、どう評価なさっているのでしょうか。

聴濤弘氏(元日本共産党参議院議員)は、今でもソ連や中国の核実験は防衛的なものだったと擁護しているのでしょうか。

それならば、朝鮮労働党の核軍拡、核実験も米帝国主義の核戦争準備に対し、防衛上余儀なくされていると評価できそうです。

平山基生さんは、沖縄、日本から米軍基地をなくす運動に長年参加なさっている方です。

平山基生さんは、かつての日本共産党が「いかなる国の核実験にも反対」しなかったことを今日、どう評価されているのでしょうか。

昔の日本共産党は核抑止論者だった


今、沖縄から米軍基地をなくす運動に参加されている年配の日本共産党員は、若い頃の自分を思い出すことはないのでしょうか。

私は平山知子さんの「現代離婚事情」(新日本出版社)は面白い本と思っているのですけれど。平山基生さんのtwitterによれば、私は親米売国の輩らしい。

従米売国の輩は日本から去れ!と平山基生さんはつぶやかれています。あらあら、としか申し上げようもありません。

日本共産党の「真の平和綱領のために」(昭和56年7月)は核抑止論を少し修正し、路線転換しています。

宮本顕治氏も核抑止論はまずかったな、と思ったのかもしれません。

平山基生さんは、日本共産党の「平和理論」について御存知なのでしょうか。

宮本顕治氏は、旧社会党の「いかなる国の核実験にも反対」論を強く批判した


以下、宮本顕治氏の第九回大会中央委員会報告の一部を御紹介します。

「1961年秋に、アメリカ帝国主義による核戦争の挑発の危険を阻止するためにソ連がやむなく核実験を再開した時、米日反動勢力はブルジョア宣伝機関を総動員し、『核実験はごめんだ」という広範な人民の素朴な感情を最大限に利用して、ソ連を『平和の敵』とする反ソ・反社会主義の大カンパニアを組織した。」

「社会党指導部その他もまた、ソ連核実験への抗議とこれを基本原則として定式化した『いかなる国の核実験にも反対』というスローガンbを原水禁運動におしつけ、運動を帝国主義の核戦争政策との対決の方向からそらせようとした。」

「わが党は、これにたいして、核兵器の全面禁止に一貫して反対しているアメリカ帝国主義の核戦争準備と核脅迫の政策こそが、ソ連に防衛上核実験をよぎなくさせた根源であることを明らかにするとともに、...」(9回大会決定p54より)。

「中国核実験とその後の事態は、第一に、『いかなる国の核実験にも反対』『部分的核停条約反対』などの主張を原水禁運動におしつけることが、核戦争に反対する人民のたたかいのなかでどんな政治的役割を果たすかを、浮き彫りにした。」(同p56より)。

「それはアメリカ帝国主義が日本を重要な拠点にして中国に対する核攻撃をたくらんでいるときに、中国が必要な防衛措置をとることに反対し、その放棄を要求するという、道理にも平和の利益にも反する方向に運動をおとしいれることである。」(同p56より)。







0 件のコメント:

コメントを投稿