「テロをおこすのがイスラム教徒でないならば、なぜ彼らはコーランを唱え、神を讃え、イスラム教のなのもとに攻撃を行うのでしょうか?彼らをイスラム教徒ではないと判断する根拠は何でしょう?」(同書まえがき、p8より抜粋)。
衝撃の書である。飯山陽氏は、昭和51年生まれの新進気鋭のイスラム思想研究者である。
飯山氏によれば、日本のテレビや新聞、雑誌で目にするイスラム教解説のほとんどは、次の疑問に殆どまともな回答を与えていない。
なぜイスラム教徒はテロを起こすのか。
なぜ「イスラム国」のようなイスラム過激派に共鳴する人があとをたたないのか。
なぜイスラム教徒は自爆などという暴挙に及ぶのか。
これらの疑問に答えるためには、イスラム教の教義について主体的に学ぶしかない、と飯山氏は説く。
宗教に人を動かし、世界を動かす力などあるはずはない、という思い込みから脱却しよう、という飯山氏の訴えは心に響く。
コーランの章句に立脚していればそこから導かれる複数の解釈はすべて等しい価値をもつ(同書p16より)
この本は以下の7章から成る。各章の名称だけでも十分に衝撃的である。
第1章 イスラム教徒は「イスラム国」を否定できない
第2章 インターネットで増殖する「正しい」イスラム教徒
第3章 世界征服はイスラム教徒全員の義務である
第4章 自殺はダメだが自爆テロは推奨する不思議な死生観
第5章 娼婦はいないが女奴隷はいる世界
第6章 民主主義とは絶対に両立しない価値体系
第7章 イスラム世界の常識と日常
北朝鮮の政治、社会経済を知るためには、北朝鮮社会の掟ともいえる朝鮮労働党の「党の唯一思想体系確立の十大原則」を知らねばならない。
私はこれをいろいろな場で訴えてきたつもりであるが、イスラム教が中東などイスラム圏に及ぼしてきた影響とは比較になるまい。
世界史の本を紐解けば、ムハンマドによる聖遷(ヒジュラ。メッカからメディナへの移住)が行われたのは西暦622年。
およそ1400年の歴史と伝統をもつ宗教と、たかだか70年の朝鮮労働党の主体思想を比較すること自体、おかしい。
朝鮮労働党の主体思想など、金王朝が滅亡したら誰も信じなくなるであろう。権力の座から落ちた者は、徹底的に叩かれるのが朝鮮半島の倣いである。
金正恩がいつ、どのように除去されるのか予測は困難だが、金正恩を心から尊敬している朝鮮労働党幹部がどれだけいるだろうか。
ジハードで死んだかのように見える人は、肉体は死んでも魂は天国に直行し、そこで永遠に生きている(同書p134)
飯山氏によるイスラム教解釈で、私にとって特に衝撃的だった部分を以下、書き留めておこう。
コーランに立脚してさえいれば、そこから導かれる解釈がたとえ敵意をあおり戦争をけしかけるような過激なものであっても「正しい」というのがイスラム教の教義です(p17)。
イスラム教の最終目標は、全世界をイスラム法の統治下におくことです。これは全イスラム教徒共通の目標であり、過激派であろうと穏健派であろうとめざすところは同じです(p40)。
ジハード(聖戦)が義務であることはコーランやハディースの随所で示されているため、それについては本来議論の余地がない(p118)。
「イスラム国」は全イスラム教徒が本来的に共有している価値体系に立脚し、それに立ち戻り、ひとりひとりが自主的に行動しようとよびかけているにすぎない(p129)。
善良なイスラム教徒をジハード戦士にするためには、洗脳など必要ない事はいうまでもなく、金銭で釣る必要も、大規模な組織的動員を行う必要もない(p129)。
他の死者(殉教者以外)は、墓の中で眠ったまま最後の審判を待ち続け、終末の日がやってきたらその時に蘇ると信じられている(p134)。
殉教者以外の死者は終末の日に蘇り、神がひとりひとりの生前の行いに審判を下し、天国行きか地獄行きかが決定される(p134)。
最後の審判に備えて信者の右側にいる天使がその人の善行を、左肩にいる天使が悪行を記録し続けていると信じられている(p134)。
善行と悪行の記録は生きている間ずっと続くが、信者自身は最後の審判の日までその記録を目にすることはできない(p136)。
悪行の込む人にとっても、一発逆転で天国行きを狙うチャンスはあります。それがジハードです(p137)。
ジハードがイスラム教における最善の行為であり、ラマダンがジハードの月であるという認識は、過激派も穏健派も共有しています(p145)。
ジハード戦士たちは彼ら自身の認識においてはあくまでも、異教徒には知り得ない真実たる神の命令に従い、世直しのために悪と戦う正義の戦死たちなのです(p149)。
エジプト・アズハル大学の女性教授スアード・サーリフは2014年9月に放送されたテレビ講座で次のように述べた(p151)。
「イスラム教徒が異教徒と戦争をして敵側の女を獲得したならば、その女はイスラム教徒の所有する奴隷となり、その女奴隷を所有した人は彼女と性交をすることができる。
それは彼が自分の妻と性交をできるのと同様である」。
彼女の主張は特殊でも過激でもなく、どのイスラム法規範の著作にも掲載されている極めてスタンダードで正統な規定そのものです(p152)。
イスラム教徒は終末の日まで異教徒と戦い続けよと神から命じられており、その戦いにおいて獲得した異教徒の家族は戦利品として扱われ、うち5分の1は国庫に帰属し残りの5分の4は戦いに参加した戦闘員の間で分配されるとイスラム法において規定されています(p156)。
フランスと欧州は今後どうなるのか
フランスでは、イスラム教徒は総人口の7~8%になるはずである。インターネット記事によれば、マルセイユでは30%を越えるという。
フランス社会の伝統とイスラム教は真っ向から対立しているように思えてならない。
イスラム教は西側の論理、民主主義とは相いれない、と本書は述べている。十分な説得力があると思うのは私だけだろうか。
人間の産物たる西洋流民主主義より神が啓示したイスラム教のほうが優越していることなど、議論するまでもない当然の真実なのです(p189)。
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