2018年9月1日土曜日

林直道教授著「経済学 下 帝国主義の理論」(昭和45年初版、新日本新書)より思う。

「融資・株式もちあい・人的結合などをつうじて独占的大銀行と産業独占体とがたがいに一体となり、融合あるいは癒着したもののことを金融資本といいます」「金融資本は独占以前の資本主義には存在しなかった独占段階特有の資本であり、これこそ帝国主義のにない手、現代資本主義の支配者です」(同書p59より抜粋)。


「資本主義諸国の経済と政治の中枢を握り、国民を支配している少数の金融資本家たち、および彼らの支配体制のことを『金融寡頭制』といいます。金融寡頭制こそは、現代資本主義の支配者です」(同書p80)。


林直道教授のこの本を、38年くらい前に私は線を引くなどして一生懸命読みました。

昭和45年に初版です。私の手元には昭和55年の第20刷がありますから、かなり売れています。

1970年代から80年代にかけて、マルクス経済学を学んだ人なら思い出がある本の一つでしょう。

学生運動は徐々に下火になっていきましたが、韓国民主化への連帯運動などが行われていました。金大中氏への死刑判決糾弾デモなどです。

この本を読んで私は、そうか、現代日本を支配しているのは金融資本家なのだな、怪しからん!と思ったものです。若かった。

マルクス主義は、勧善懲悪物のようになっているので、正義感のある若者は惹かれやすい。

この本も労働者と庶民を苦しめているのは金融資本家と、その代理人である保守党政府だ、という話になっています。

正直に申し上げまして、林直道教授のこの本には、非現実的な記述が実に多いと感じました。

レーニンの「帝国主義論」に依拠して林直道教授は日本経済を語っています。

ところで、帝政ロシアの支配者は金融資本家だったのでしょうか。

これは随分、おかしな話ですが、「帝国主義論」の理屈どおりなら帝政ロシアの支配者は皇帝や貴族ではなく、金融資本のはずです。

金融資本がドイツやトルコ、あるいは日本と戦争をしたがったから、ロシア皇帝はその指令を受けて開戦を決意したのでしょうか。

林直道教授が理論の前提としていた「帝国主義論」がそもそも、非現実的だったのです。

レーニンによれば、銀行は「貨幣資本」の殆ど全てと、その国やいくつもの国の生産手段および原料資源の大部分を自由にする「全能の独裁者」です。

財界大幹部が現代日本の支配者なのか


上記の金融資本家=支配者論はどの一つです。

マルクス主義経済学と、近代経済学(マクロ経済学やミクロ経済学)、近代政治学にはいろいろ違いはありますが、金融資本家=社会の支配者という視点は近代経済学では考えられない。

マルクス主義経済学では、米国や日本、韓国や欧州諸国をそれぞれ支配しているのは金融資本、少数の金融資本家であると説きます。

林直道教授によれば、財界四団体、「経団連」「経済同友会」「日経連」などの役員が金融資本家です。

この本の出版は昭和45年です。その時点では「産業問題研究会」という少人数の組織があり、それは日本財界の総司令部で、日本の最高の支配者だそうです。

保守党内閣はその意向を承ってこれを忠実に実行する執行機関です。

財界大幹部とやらが日本を支配しているそうです。

それならば、財界大幹部が交通事故やセクハラ事件を起こしてしまっても、警察、検察、マスコミも一切動かず沈黙するのでしょうね。

誰かが財界大幹部を何かの点で強く批判する文章をtwitterやFacebookに書いたり、駅前で財界幹部批判のビラ配布などをやったら投獄されそうです。

財界大幹部がどなたであれ、その方々が政治や経済についてどんな見解を持っていようと、庶民には何の関係もない。

自民党議員は財界大幹部の提言にあまり関心がない


私見では、自由民主党議員は財界幹部との会合では多少の意見聴取をするでしょうけれど、それだけです。

自民党は財界から献金を受け取っているでしょうが、それは自民党幹事長などから議員に配分されるのですから、個々の財界人とは特に人的関係を形成する必要はない。

財界人より、吉本所属の著名芸人や有名な俳優、歌手など芸能人と深い人的関係をつくり、テレビ番組に一緒に出られたら浮動票を獲得できる。

勿論、政治家にとってはテレビ局や新聞社の幹部、著名記者やニュースキャスターとの人間関係のほうが財界人とのそれよりずっと大事です。

何はともあれ、現代日本でテレビに頻繁に出られる政治家は選挙にも強い。

サルは木から落ちてもサルだが、政治家は落選したら...という類の話を聞いたことはありませんか。

酷い言い方ですが、当たらずと言えども遠からず。

落選した政治家に対し、手のひらを返すように冷たく接する人は少なくない。

現代日本では、政治家が芸能人とあまり変わらない存在になっているように思えて仕方がない。

視聴率がとれなくなったタレント、俳優はテレビ局幹部に切り捨てられます。

「支配」とはどんな人間関係のことなのか


林直道教授らマルクス主義経済学者の方々には「支配」とはどんな人間関係をさしているのかを真剣に検討して頂きたい。

中国共産党や朝鮮労働党は、それぞれの国民を支配しています。

両党大幹部はかなりの金持ちです。庶民から公の場で批判されるなど極めて考えにくい。

北朝鮮なら、居住地域の朝鮮労働党幹部を住民が批判したら政治犯収容所送りになりえます。

失礼ながら、林直道教授はソ連や中国、北朝鮮の現状について殆ど何も御存知なかったのではと思えます。

共産党、労働党による過酷な住民支配の実情を林直道教授は認識できていない。

ある人間関係が支配・被支配関係にあるというなら、支配者は被支配者に命令を出すことができ、被支配者がそれに従わないとき罰則、報復措置を加えることができるはずです。

中国共産党や朝鮮労働党は、国家安全部、国家安全保衛省という治安維持のための警察を掌握し命令に従わない国民を逮捕、投獄できます。

現代の米国や日本、欧州あるいは韓国、台湾の財界幹部、大企業や大銀行経営者は治安維持のための警察に命令を下せません。

林直道教授がこの本を出版された昭和45年当時なら、腐敗した政治家はいくらでもいたことでしょう。

「裏金」で企業経営者が政治家に、公共事業などで便宜をはかってもらうことは少なくなかったでしょう。

それは問題ですが、企業経営者は必ずしも財界人ではない。建設業界には、「裏金」が発生しやすく、公共事業に関する汚職行為は多かったとは思いますが。

どういうわけか、建設業界の経営者には財界人が少ない。

わいろの授受、汚職と支配・被支配関係は異なっています。

「財界人による住民支配」が存在したと言いたいなら、林直道教授は財界人が警察や住民に指令を下せるかどうか、調べるべきだったのです。

メガバンク役員(金融資本家)が何をどう陳情しようと、政治家は無視可能―票にならない


金融資本家とは、現代日本だったら三菱東京や三井住友、みずほの経営陣をさすのでしょう。韓国なら、財閥経営者でしょうか。

メガバンクの役員なら、数億円の年収があるでしょうから政治家は一応敬意を払うでしょうが、それだけです。

メガバンク役員が政治家に何を要望し、それがどうなろうと、票にはなりません。メガバク役員には通常、集票能力はない。

地元で票を動かせる有力者の意見のほうが政治家には大事です。勿論、メガバンク役員が地元に住んでいたら別の話になります。

そもそも、メガバンク役員で機密保護法、集団的自衛権行使や共謀罪策定を自民党幹部に懇願した方はいたのでしょうか。

総理や閣僚の靖国神社参拝に反対するメガバンク役員はいくらでもいそうです。

庶民はメガバンク役員(金融資本家)と通常は何の人間関係もない。人間関係がなければ、支配されようもない。

現代日本は小選挙区制です。よかれあしかれ、衆議院議員には地元がとりわけ大事なのです。

参議院で比例区選出の方と、衆議院議員はずいぶん異なる。

比例区選出の政治家は、浮動票獲得を狙うでしょう。テレビやインターネットが大事です。私見では、参議院で比例区選出の方には事実上、「地元」がない。

国会議員には、「地元」がない方が良いのかもしれません。

マルクス主義経済学が影響力を失った理由はいろいろあるでしょうが、的外れな話があまりにも多かった。

財界人とやらが日本を支配しているとは的外れもいいところです。

韓国の財閥経営者なら、財閥はかなりの数の企業を傘下にしていますから、支配されている労働者は相当数いるでしょう。財閥傘下になければ支配はできない。

財界人の間に、さしたる協力関係はない。財界人が日本を支配するため一団となって結束しているとは考えられない。

部下を召使のごとく扱う経営者は、部下を支配しているー地主・小作人関係と独裁制の経済理論


企業経営者の中には、御自分の企業で偉そうにしている方がいるかもしれません。そういう方は、部下を支配していると言える。

部下を召使のごとく扱う経営者は、部下を支配している。昔の地主と小作人の人間関係はそういう場合が多かったでしょう。

同族経営の会社にそういう例が多いのかもしれません。カリスマ的な影響力を持つ経営者は、部下への支配が可能でしょう。

経営者が労組も人脈でおさえれば、自分を少しでも批判する社員を解雇できます。警察に頼らないでも、罰則を与えることができる。

社員は解雇された場合、他に良い働き口がないなら経営者に服従するしかない。

ミクロ経済学(契約の経済学)では、人間の上下関係、支配と被支配の関係を把握する手法は存在します。地主と小作人の関係を表現する理論モデルがあります。

私見では、朝鮮労働党や旧ソ連共産党とそれぞれの国民の関係は、地主・小作人関係に近い。毛沢東の時代の中国も同様です。

地主・小作人関係が社会の中で支配的になっているのなら、その社会経済の動向を基本的に把握するために必要な諸変数、生産量(所得)や雇用量、賃金や価格は地主・小作人関係により決定されると考えられる。

マルクス主義経済学でも、支配と被支配という人間関係を重視するなら、支配者の利益最大化行動によりその地域での生産量(所得)や雇用量、賃金や価格が決定されるという理論を考えるべきでしょう。

市場での需要と供給が一致するように、所得や雇用量、賃金、価格が決定されるというより、支配・被支配関係によりそれらが決定されるという視点です。

マルクス主義経済学は、資本主義経済も階級社会であり、搾取制をしている点では封建制社会と共通しているとみなします。

資本家や封建領主は、労働者、農民から搾取して富を蓄積しているので、彼らの支配を革命により打倒し、蓄積した富を奪い、以後は中央計画経済で生産物を分配すれば良いという発想です。

このあたりについては、また別の機会に論じます。






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