「北朝鮮の市場経済化、実質的な私有化は私金融と密接な関係がある。..今の北朝鮮では金融市場は公式的には存在しないが、全ての非公式市場での取引は同時に私的金融であると言っても過言ではない」(同論文の序論より抜粋)。
北朝鮮は今後どうなっていくのか。この問題を考えるためには米朝交渉など政治、外交面での分析は大事ですが、社会と経済の面からの現状分析も必要不可欠です。
金正日は党経済、宮廷経済と呼ばれる外貨稼ぎ部門を70年代に作りました。
この部門が稼ぐ外貨を、金正日は核軍拡と自分の贅沢三昧資金に配分してきました。
金正日は、党経済部門の企業やその他の企業が得た外貨を勝手に処分せず自分の元に出せ、という指令を出していたようです。
私にはそのような指令文書を直接見ることはできませんが、金正日の著作には外貨供出指令を示唆するものがあります。
「財政・銀行部門の活動を改善、強化するためにー全国財政・銀行部門活動家大会の参加者に送った書簡―」(1990年9月13日、金正日選集第10巻掲載、朝鮮・平壌外国文出版社刊行)に次の記述があります。
「人民経済各部門の機関、企業所では獲得した外貨を貿易銀行に集中させ、国家の承認を得て外貨を利用する規律を守り、国家の統制を離れて外貨の取引をしたり利用することのないようにすべきです」
「とくに、国内で外貨を流通させたり、機関、企業所間に外貨で取引することのないように統制しなければなりません」
これと同趣旨の金正日の「お言葉」が存在し、朝鮮労働党を通じて外貨稼ぎを行う部門や、計画経済部門に指令されてきたことでしょう。
北朝鮮経済の市場経済化と「苦難の行軍」
いつの時点からか正確にはわかりませんが、北朝鮮では人々は国家の統制を離れて外貨の取引をするようになっていきました。
金正日の「お言葉」は守られなくなっていったのです。
上記では、外貨供出指令は人民経済各部門に充てられていますが、宮廷経済部門や人民軍の経済部門には全額供出指令が出ていたかどうか、疑問です。
金正日は党経済部門の各企業幹部や、人民軍には、稼いだ外貨額の一部を与えていたのではないでしょうか。
金正日から外貨をもらった幹部は、必要物資を得るためにそれを使う。外貨は徐々に、北朝鮮社会に流れていったと考えられます。
90年代後半の「苦難の行軍」と呼ばれる飢饉の時期、北朝鮮では大量の餓死者が出ました。餓死者の正確な数は不明ですが、100万人以上になってもおかしくない。
この時期、物資の流通が滞り、内閣が管轄する計画経済部門の企業の多くが操業度低下を余儀なくされました。
庶民はそれまで、計画経済で生産される物資の配給を受け取って生活していたのですが、配給が途切れたら自分で生計の糧を得るしかない。
闇市場で大儲けした「銭主」(トンチュ)
闇市場が全国的に広がり、北朝鮮の社会経済は市場経済化した。闇市場では、外貨も取引されるようになった。
外貨とは米ドル、日本円、中国の元、欧州のユーロなどです。
その中で、商才のある人々は資産をかなり蓄積し、「銭主」(朝鮮語でトンチュ)と呼ばれるようになった。
「銭主」たちは今や、蓄積した資金を元手に闇の金貸し業も行っているようです。
イム教授は銭主達がどのように、私金融を通して北朝鮮の市場経済化を促進してきたかを論じています。
銭主たちはどのように北朝鮮の市場経済化を促進しているか―資本主義化
以下、この論文の興味深い記述を抜き書きしておきます。
・北朝鮮では私金融は個人間で始まり、近年では個人と企業、共同団体、国家機関間での金融取引が始まっている。
・北朝鮮全国で市場が形成されている。国家の製品を販売する国営百貨店と商店は、銭主個人が出す投資性資金で物品を中国から仕入れ販売する。
・国家の名義を活用しているので、彼らの活動には合法性がある。
・原材料供給のため、中国と合作投資し、製品を生産し、臨時加工業を行う場合もある。
・銭主間の共同投資により、中国から原材料を購入し工場や企業所を経営する場合もある。
・銭主たちは国営の工場、企業所を賃貸し私的利益追求のために使う場合もある。
・銭主とは何かを判断するとき、彼らが資本の投資と雇用を通して資本の拡大再生産をしようとしているかどうかが大事である。
この論文には他にも興味深い記述が多々ありますが、本日はここまでにします。またの機会に紹介します。
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