2019年5月1日水曜日

日本人拉致問題について、東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんの呟きより思うー在日本朝鮮人総連合会の皆さんとの対話を進めよう―

「既に朝鮮民主主義人民共和国が報告書を提示しました。そこに拉致被害者のうち、生存者は見つからなかったとあります。


それがいやならご自分で生存者がいることを証明してください。


我々は答えを出しております。いくらわめいても無駄なのです。あなたはここで意地をはることしかできないのですか。」


これは、東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんが、twitterで少し前に発表した日本人拉致問題についての見解です。

残念ながら、今は削除されています。

私は本ブログやtwitterで繰り返し、朝鮮学校の最も基本的な教育方針が金日成の社会主義教育テーゼであること、朝鮮学校は子供たちに、首領への絶対性、無条件性の忠誠心を育む教育をしていることを主張してきました。

朝鮮学校の教育の成果の一つが、この呟きによく表れています。北朝鮮が発表した文書は朝鮮学校教職員と生徒の皆さんにとって神聖不可侵なのです。

それは偉大なる首領様の見解なのですから。

東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんは、北朝鮮が発表した報告書は神聖不可侵な文書だから、それを日本人は絶対性、無条件性をもって受け入れるべきだと考えている。

「我々は答えを出しております」とは、この報告書を指すのでしょう。

拉致した日本人は全員死んだのだから、日本人はいくらわめいても無駄だ、意地をはるなという主張です。

この呟きから私たちは、朝鮮労働党、在日本朝鮮人総連合会がどんな団体かを窺い知ることができます。

東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんが、日本人拉致問題についてどう思っているかを率直に呟いて下さらかったら、私たちは朝鮮学校で日本人拉致がどう教育されているか、想像しにくかった。

朝鮮学校では概ね、上記のように日本人拉致問題が教えられているのではないでしょうか。

そんなことはない、と在日本朝鮮人総連合会や、朝鮮学校の生徒さんが主張されるなら、実態を発表していただきたい。

それぞれの見解を発表していくことにより、相互理解が深まるのではないですか。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんとの対話は大事だと私は考えています。

東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんは北朝鮮の政治犯収容所を御存じなのか


以下は萩原遼「北朝鮮似消えた友と私の物語」(文春文庫)に依拠しています。

東京朝鮮中高級学校美術部の皆さんはご存知ないでしょうが、皆さんの大先輩で北朝鮮に刻した方が、政治犯収容所に連行され亡くなっています。

昭和19年生まれの金泰元さんは16歳のときに済州島から日本に来ました。密航者だったので、多少のブランクのあと、貴校の高校二年生になりました。

金泰元さんが高校三年になった昭和37年には帰国者数が激減してしまいました。

金泰元さんは帰国すればモスクワ大学に留学できる、という総連幹部の言葉を信じて、北朝鮮に帰国しました。

金泰元さんは帰国後、金日成総合大学に合格、卒業して昭和43年には中央鉱業研究所に配属されました。

これは北朝鮮社会ではそれなりのエリートの地位です。

しかし、金泰元さんはどういうわけか、妻に「夫が不穏思想を抱いている」と密告され、政治犯収容所に連行されてしまいました。

昭和47年7月頃の事です。理由は、兄の金民柱さんが米国のスパイで、二人の弟や他の在日朝鮮人をスパイとして北朝鮮に送ったからだそうです。

これは、金民柱さんのもう一人の弟、金泰訓さんからの手紙で明らかになりました。残念ながら、金泰元さんは収容所で「ペラグラ病」という栄養失調の病で亡くなりました。

北朝鮮に帰国して行方不明になった方と政治犯収容所について、朝鮮学校教員に質問しよう


東京朝鮮中高級学校美術部の皆さん。

北朝鮮は日本人を拉致してきただけでなく、500名程度の韓国人も拉致しています。

北朝鮮国内でも、不穏思想を抱いている、スパイの疑いがあるなどの理由で公安当局がある日突然、政治犯収容所にその人と家族を連行してしまうのです。

朝鮮労働党が人間を拉致、強制連行することは「共和国の自主権」なのです。

相当数の帰国者(元在日朝鮮人)が行方不明になっています。行方不明になった親族を、在日朝鮮人は「山へ行った」という隠語で表現します。

「山へ行った」という隠語をご存知かどうか、朝鮮学校教員の方々に質問してみたらいかがでしょうか。

共和国には政治犯収容所があるのですか、と質問なさったらいかがですか。

行方不明になった元在日朝鮮人については、自分で生存していることを証明してください、いくらわめいても無駄だ、という類の答えが来るかもしれませんが。





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