「文藝春秋」1994年12月号の論考「私が見た『赤旗』の暗黒」に出ている筆者略歴によれば、下里正樹さんは1936年生まれで、大阪市出身です。
昭和46年より「赤旗」記者となり、「日本の黒幕 小佐野賢治の巻」(共著)でJCJ賞を受賞しました。
昭和56年には、森村誠一さんの「悪魔の飽食」三部作の共同作業者となりました。「赤旗」のエース級の記者だったと言って良いでしょう。
そんな下里さんですが、平成6年11月末頃には日本共産党を除名されました。
赤旗編集委員会による「元赤旗記者・下里正樹同志の規律違反内容の公表について」という文書の一部を、以下に紹介します。
下里さんはこの前から、長時間の査問を受けていました。
日本共産党の除名や査問について、関心をお持ちの方には貴重な資料になるかと考えます。
この文書は終わりの方で下里さんの奥様が、下里さんの罷免に関して他人にした話について言及しています。
奥様が他人にした話を、赤旗に出して読者と日本共産党員に周知徹底する必要があるのでしょうか。この辺り、私には理解不能です。
配偶者が解雇されたら、解雇した会社への不平不満を知人に言う方は多いと考えられます。
これを報道するなら、奥様に取材して記事にすべきだったと考えます。
本人に取材をしないで記事にする「赤旗」の編集手法は、通常の新聞とは大きく異なっていますね。
文書の抜粋は以下です。
十月十四日 赤旗編集委員会
統制委員会は九三年十一月いらい、下里同志の規律違反行為について調査・審議したが、彼は誤りを自己批判するのではなく、
自分の行為を合理化することにつとめ、最後には、自分の行為が規律違反であることを認めようとさえしなくなった。
下里同志のこの行為は、党規約第二条に定めた党員の義務にそむく重大な規律違反行為である。
こうした重大な規律違反で処分をうけた下里同志は、党中央の勤務員としてふさわしくないとして、五月三十一日付で日本共産党中央委員会勤務員(赤旗記者)を罷免された。
同時に、下里同志は、党籍がある以上、党の指導をうける立場にある。
このため、権利停止の期間中は、赤旗編集委員会の指導下におかれることになったが、処分の決定以降、下里同志は、自己の誤りについて何らの反省もせず、党の指導にもしたがわない。
そればかりか、「規律違反による罷免」であることを明記した離職票に本人が署名しておきながら、職業安定所に提出した文書に、
離職理由の書かれていない「空白の離職票に署名した」などと事実に反する事柄を記述し、「冷酷な懲罰的解雇である」などと不当な申し立てを行っている。
また、下里同士の妻は、下里同志から罷免にかんして事実に反する話を聞き、それを他人に話している。
下里同志の記者時代からの知りあいである文化人が、下里同志から事実に反する話を聞き、「赤旗」の購読を中止するという事態もおきている。
下里同志のこうした言動は、日本共産党員のありかたにてらして、批判、警告しておく必要があるので、編集委員会は手だてをつくして、下里同志に編集局に来るよう再三求めた。
しかし、下里同志は、編集局に来る意思を明らかにせず、党にたいして、自分の所在も、連絡方法も明かさない態度をとりつづけている。
こうしたことは、日本共産党員のあり方にてらしてはもとより、社会的にもあってはならないことである。
その一方で、下里同志は、権利停止中にもかかわらず、党にはなんの相談もなしに、テレビ、週刊誌への登場や講演をはじめ公的活動を拡大している。
こうした事態は、下里同志の規律違反にもとづく処分、本部勤務員罷免を知らされていない、多くの人びとに誤解をあたえ、各方面に迷惑をまねきかねない。
そこで、下里同志の規律違反の内容を公表することとした。
詳細は「赤旗」評論特集版十月二十四日号に掲載する。
赤旗記者、日本共産党本部勤務員は日本共産党に雇用されている―日本共産党は労働法を遵守しましょう
この文書を読んで気づいたのですが、下里正樹記者は日本共産党本部を罷免されたのですから、赤旗記者、本部勤務員は日本共産党に雇用されていませんか。
日本共産党は本部勤務員を雇用しているなら、労働法を遵守するべきです。本部勤務員に残業・休日出勤手当を支給し、本部勤務員の労組結成を認めるべきです。
日本共産党職員が日本共産党には雇用されておらず、日本共産党と有償委任契約の関係にあるのなら、日本共産党は本部勤務員を罷免できないはずです。
有償委任契約の解消は勿論、可能です。
このあたり、労働法に詳しい山添拓議員に説明をお願いしたいですね。
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