2012年11月12日月曜日

遠藤周作「イエス巡礼」(文春文庫)を読む

 名画を通して迫ったイエスの生涯


私はキリスト教信者ではなく、キリスト教の歴史や教義については殆ど何も知りません。ですから、遠藤周作「イエス巡礼」(文春文庫)が、キリスト教研究史の中でどういう位置を占めているかは、わかりようもありません。

しかしこの著は、私のようにキリスト教、イエスの生涯や西洋の宗教画について無知ではあるが、少しずつでも知りたいという気持ちを持っているものにとって、格好のものと思えます。

この著には、処女マリアの「受胎告知」の描いた絵(p12)や、イエス生誕の絵(p29)、イエスが驢馬に乗ってエルサレムに入る時の絵(p124)など、イエスの生涯のある時期を象徴するような絵と、それらに対する遠藤周作の解釈が記されています。

聖書や西欧の宗教画に詳しい方なら、それらが聖書のどのような部分にあるのか、同じ場面を描いた他の宗教画とどう違うのか、すぐにわかるのでしょう。

数々の名画とそれに対する遠藤の解釈の中で、私には「最後の晩餐」の絵(p132)とその解釈が印象に残りました。

「最後の晩餐」を遠藤周作はどう考えたか


遠藤によれば、「最後の晩餐」はイエスとその弟子たちの静かなひとときではなく、イエスに期待と好奇心を描いた巡礼客がその食事の家を取り囲んでいたと考えられます。イエスとその弟子ユダの間に論争がありました。

ユダは、イエスを地上的な救世主にしようと考えるグループの代表でした(p135)。しかしイエスは愛の神と神の愛を説き、最後の晩餐でユダと論争しました。イエスはユダの考え方を退け、ユダたちは晩餐の席から退出していったと遠藤は考えます。

晩餐の家には、イエスを反ローマ運動の旗頭としたいという群衆もいたのですが、彼らもユダとともに席をたちました。

民衆はイエスを反ローマ運動の英雄として歓迎したのであり、「最後の晩餐」はその期待が幻滅に変わる場面でした(p137)。

私には遠藤のこの解釈が、初期キリスト教の歴史学研究から考えて適切かどうか、判断する能力は全くありませんが、歴史的事実の究明はそれとして、大事なことは古代人の生きざまを私たち自身が、私たちなりに思考することではないでしょうか。

イエスの生涯への思い―自分の生き方と死に方をみつめるために


イエスとその生涯について、凡人の私たちも多少の頭をひねり、思いを馳せることそれ自体が、貴重な知的作業ではないでしょうか。

西欧では古来より多くの優れた芸術家や知識人が、聖書の場面をそれぞれの考えで解釈し、イエスの生涯について思いをめぐらしてきたのです。

その思考過程を我々なりに再体験すると、自分のこれまでのありさま、心の旅路のようなものが見えてくるのではないでしょうか。

物語を読むときは誰しも、自分の体験と多少関連付けて考えるものです。

自分の生きかたと死にかた、自分のこれまでの心の旅路を、イエスの生きかたと死にかた、心の旅路を考えるなかで見つめ直すことが、忙しくて自分の姿が見えなくなっている現代人に必要な思考法の一つではないでしょうか。

人は誰しも、旅人なのでしょうからね。

過酷な運命に立ち向かうイエス


イエスの生涯は、素人判断では報われるものがほとんどなく、最期があまりにも苦しいものだったように思えます。

「最後の晩餐」は静かで厳粛なものではなく、喧騒の中で行われた。ユダたちが去っていくとイエスは自分がどうなっていくか、予見していた。それでもイエスは、自分に与えられた使命を果たすべく過酷な運命に立ち向かっていった、という遠藤のイエス解釈は、私の素人判断では、現実にありそうに思えてなりません。

真の偉人は偉人であるが故に、その言動の素晴らしさは同時代の人々には理解しがたくなってしまうのかもしれません。

イエスは生前、ほとんど報われず、ある意味では孤独と絶望の淵に沈んで生涯を終えてしまったのかもしれません。

それでもイエスは自分が十字架で苦しみながら死ぬことが、去っていった弟子たちのため、後世のためになるかもしれないと見抜いていたのかもしれませんね。

誰しも死ぬのなら、死ぬべきときがある。神への絶対的な帰依を十字架で説くことが、自分の使命だとイエスは思ったのではないでしょうか。





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