2012年11月25日日曜日

遠藤周作「わたしが・棄てた・女」より-人生をたった一度でも横切るもの-

遠藤周作「わたしが・棄てた・女」(講談社文庫)を読んで



現代人の毎日は本当に忙しすぎますよね。次から次へとやらねばならぬ仕事に追われている人は少なくないでしょう。

これは、インターネットやメールなどの情報伝達技術の発達により、情報伝達時間が飛躍的に短縮されたことと密接に関係しているのでしょう。メールや携帯電話だけでは全ての仕事が達成できるはずもありませんから、現代人は次から次へと他人と会っていろいろと対話をせねばなりません。

遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」のひとつの重要なメッセージは、「人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない」(p150)ですが、この意味を私たちは仕事の合間に立ち止まって考えるべきではないでしょうか。

私たちは忙しすぎる毎日の中で、他人の人生に何らかの痕跡を残しているはずなのです。

女の子が欲しいなら、どんな女の子でもいいじゃないか


遠藤周作「わたしが・棄てた・女」は昭和23年の神田近辺の下宿から始まります。ぼく、という語り部吉岡努は親の仕送りを殆ど当てにできず、アルバイトに忙しい苦学生です。

昭和23年頃に学生で、朝鮮事変が始まった年、昭和25年(1950年)に大学を卒業できたとありますから(p97)、吉岡は昭和2年生まれくらいということになりますね。平成24年には85歳くらいになっているはずですね。

吉岡は、アルバイト先の農家の庭に落ちていた古雑誌を下宿に持ち帰っていたのですが、翌日それの「読者交歓室」に投稿していた森田ミツと言う娘と連絡をとることを思い立ちます。

「そうだ。女の子が欲しいなら、どんな女の子でもいいじゃないかと心の中で促すものがあった」(p25)

吉岡は彼女をものにするべく、雑誌を見て手紙を書きます。後に、吉岡は人生には偶然というやつがもっと働いていること、神が存在するなら、神はつまらぬ、ありきたりの日常の偶然によって彼が存在することを、人間に見せたのかもしれないと述懐します。後の吉岡には、森田ミツこそ聖女です。

雑誌に投稿していた森田ミツは、「青い山脈」に出ていた若山セツ子のファンで、吉岡努に漢字間違いだらけの手紙を送ってくるような娘です。森田ミツの故郷は埼玉県川越市で、経堂の薬工場で給料三千円で働いています。

吉岡より少し年下なのでしょうから、平成24年には82、83歳位になっている方ということになりそうですね。

昭和23年の三千円が現在ではどれくらいの価値なのか、私たちにはわかりにくいですが、町工場で働く若い女性の給料を15万円と仮定すると、金銭の価値は現在の五分の一から十分の一くらいを目安にすればよいのではないでしょうか。下北沢の喫茶店のコーヒー価格が三十円とあります(p28)。

下北沢での出会い、小さい十字架と渋谷にて


吉岡努と森田ミツは、下北沢の駅改札で会いました。吉岡努ははじめから森田ミツの体が目的でした。森田ミツは、憧れのインテリ学生さんと会えるという気持ちで胸いっぱいでした。ミツはこのとき、四百円もってきていたとあります(p33)。これはコーヒー13杯分ですから、今なら五千円位持ってきたことになりそうですね。給料三千円のミツとしてはそれなりの大金です。

吉岡はミツを渋谷の酒場に連れていき、焼酎にサイダーを混ぜたものを飲ませます。吉岡は「好きなんだよ、君が」「好きになったから君とさっきの酒場にも行ったんじゃあないか。好きになったから一緒に歩いているんじゃあないか。」などとまくし立て、大和田町の旅館に連れ込もうとします。

ミツは拒否しますが、子供の頃小児麻痺を煩い、ゆがんだ右肩に時折激痛が走り、足の悪い吉岡の姿を見て、吉岡を受け入れる決意をします。

「安っぽい映画に安っぽいやくざが使うようなセリフ」(p47)を吐いた吉岡ですが、この日はミツをそのままかえしました。ミツはお守りとして、露店の横の救世軍の老人からすずを溶かしてつくった薄っぺらな小さい十字架を吉岡に渡します。

その次の日曜日、渋谷の旅館で吉岡はミツと関係を結びます。事が終われば、吉岡にとってミツは不要な存在でした。「もう二度とこんな娘とは寝たくねえや。一度やれば十分さ」と吉岡は心中でつぶやきます。
三十分後に二人は渋谷駅で別れますが、ミツは代々木駅までついてきました。一言もものを言わず、満員電車に乗りこんだ吉岡に向かってミツは叫びます(p69)。

「ああ、あんた」「いつ、今度、会って...」

その声が終わらないうちに扉がしまってしまいます。

ミツが吉岡に渡した十字架は、ビクトル・ユーゴの「レ・ミゼラブル」(ああ無情)でミリエル司教がジャン・バルジャンに渡した銀の燭台を思い起こさせますね。悪の道からジャン・バルジャンの魂を救い出すために、ミリエル司教はあえて、ジャン・バルジャンが教会から盗んだ銀の燭台を彼に与えたことにします。

しかし吉岡はこの十字架を歩道の溝に捨ててしまいます。十字架の意味を吉岡が悟るのは、ずっと後です。人生には、その時点でどういう意味があったのか丸っきり当人にはわからなくても、ずっと後に意味がわかってくるようなことはいくらでもありますよね。

御茶ノ水駅の改札で、吉岡の姿を求めて佇む森田ミツ


渋谷での別れの後、吉岡から再び連絡が来ると信じていたミツですが、半月以上たっても葉書も手紙も来ませんでした。下宿に行ってはいけないと固く言われたのだけれど、もし病気なら自分が行って世話をせねばと思い、ミツは御茶ノ水界隈の吉岡の下宿を訪ねていきます。

しかし、吉岡はすでに最後の部屋代と電気代をみ払いにして下宿を引き払っていました。何処に行ったのかわかりようもありません。御茶ノ水駅の改札口で、ひょっとしたら吉岡さんに会えるのじゃあないかとミツはぼんやり佇んでいました。

ミツとの再会とオデキの病気―ハンセン病


吉岡が森田ミツの消息を手にしたのは、大学を出て日本橋にある針問屋に勤めるようになってからです。出会いより二年後とあります(p113)。ミツは新宿歌舞伎町近くのソープで働いていたのです。吉岡の相手をしたソープ嬢の胸に、ミツが吉岡に買った小さな十字架がぶらさがっていたのです。ミツはこの店でソープ嬢ではありませんが、なぜか半年ほど働いていたのです。

ソープの後はパチンコ屋の店員、そのあとは川崎の「サフラン」という怪しげな酒屋で「咲子」という名で働いていました。吉岡は学生時代にアルバイトを紹介してくれた朝鮮人の助けを借りて、ミツの行方を突き止めたのです。ミツはオデキの病気でした。

 一週間ほどあとに吉岡はミツからひどく寂しく切なそうな文面の葉書を受取ります。川崎駅の近くの「ロッキー」という店でミツと再会した吉岡の心中は、ミツを今後、新宿の女をだくかわりの相手にしようというものでした。

愛しい吉岡にようやく会えたミツですが、ハンセン病に罹っていたのです。吉岡と会う四日前にミツは大学病院に行き、ハンセン病と診断されていました。吉岡の前でミツは、顔に手をあてて泣きます(p155)。

昭和25年当時ハンセン病は不治の病とみなされ、患者は隔離されていました。森田ミツのように真底の善人であるにもかかわらず、とんでもない不幸に見舞われる人々がなぜ存在するのか。これは遠藤文学の共通の問題意識でしょうね。ハンセン病の病院に勤めている修道女スール・山形は次のように言います(p209)。

「世の中には心のやさしい人ほど辛い目に会ったり、苦しい病気にかかったりするのね。何のために神さまはそんな試練を与えるのか、あたしもよく考えるわ」
「この不幸や泪には決して意味がなくはないって、必ず大きな意味があるって....」

森田ミツに襲う過酷な運命と吉岡がもたらした「幸運」


森田ミツの実母は幼い頃に亡くなっています。ミツは自分の存在が新しい母親の幸せを妨げることを幼い頃から感じていたので、故郷の川越から東京に出て働いていたのです。幼い頃に実母の死という大きな不幸だけでなく、ハンセン病患者とされてしまった不幸。ハンセン病にかかったというのは誤診だったのです(p215)。ハンセン病患者のために御殿場の病院で働く決意をするミツですが、さらなる悲劇に見舞われてしまいます。

大学病院のような専門的機関で誤診されてしまったのも悲劇ですが、ミツの腕に赤い痣ができなければ、ハンセン病などと診断されることはありえなかったはずです。

過酷な運命に押しつぶされてしまった森田ミツですが、ミツにとって吉岡は楽しい思い出の象徴でした。「寂しい人間には偶像が必要なのだ」(p24)とありますが、ミツにとっての偶像は吉岡だったのでしょう。

人の運命が生まれながらに定められているものなら、吉岡が偶然にアルバイト先の農家で古い雑誌を拾って持ち帰り、記事を見てミツに手紙を書いてくれたことは、ミツにとって人生で最も大きな幸運の訪れだったのかもしれませんね。

たまたま、農家に古い雑誌が落ちていなかったら、吉岡とミツが会うことはなかったのです。吉岡が別のところでアルバイトをしていたら、古い雑誌を拾うこともありえなかったでしょう。

二年後に、吉岡が店を探して川崎まで訪ねてきてくれたときも、ミツはどんなに感謝していたかわかりませんね。吉岡は二年前と同様に、ミツを新宿で抱く女のかわりにしようとしていただけでしたが、「もう一度、つきあいたい」という吉岡の言葉がどんなに嬉しかったことでしょう。

「しかしこの人生で我々人間に偶然でないどんな結びつきがあるのだろう。人生はもっと偶然というやつが働いている」と吉岡は後に述懐します(p25)。ミツは吉岡の目的はどうあれ、吉岡と出会えたこと自体が短い人生の中で最大の幸せだったのではないでしょうか。吉岡はミツの人生をわずかに横切って、大きな痕跡を残したのです。

吉岡はミツと出会い、ミツの悲劇の人生を知ったことにより、聖女の存在、そして神の存在を信じるようになっていったのかもしれませんね。ミツもまた、吉岡の人生に大きな痕跡を残したはずです。












 







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