2014年3月12日水曜日

「この国では体制に批判的なことをいうと『山』に連れて行かれるんです。そしてもどってこないんです」と1989年に平壌開催の世界青年学生祭典で民青同盟員に訴えた北朝鮮帰国者(元在日朝鮮人)がいた(「青年運動」1989年9月号p21より)

「座談会―第十三回世界学生青年学生祭典に参加して 広範な共感よんだ日本代表団の積極的、原則的奮闘」(「青年運動」1989年9月号、p20-31)より思う


もう25年くらい前になります。韓国の左翼女子学生林秀卿氏が平壌で開催された世界青年学生祭典に参加して、韓国と北朝鮮で大きく報道され話題になりました。

世界青年学生祭典とは、各国の共産党、、労働党の青年団体である共産主義青年同盟(日本では民青同盟)などが開催していた式典です。

林秀卿氏の平壌での発言とふるまいを、今ではyou tubeで見ることができます。

私たちからすれば普通の左翼女子学生の言動ですが、北朝鮮の人々には自由闊達なことこの上ないものでした。衝撃を受けたと語る脱北者は少なくありません。

林秀卿氏は普段から自分なりに考えていたことをそのまま発言しただけで、誰かから強制されていたわけではありません。

北朝鮮の人々の常識から考えれば、韓国政府を公然と批判し米軍撤退を叫んだ林秀卿氏とその家族は韓国政府により処刑ないしは収容所送りにされて当然です。

死を覚悟してよくここまで来てくれた、と本気で思った北朝鮮の人々は少なくなかったことでしょう。現実には林秀卿氏は国家保安法違反で服役しただけです、家族が罰されるはずもありません。

北朝鮮の人々はこれにも驚愕したことでしょう。林秀卿氏はこの前の選挙で当選し国会議員になっています。

1989年の世界青年学生祭典に民青同盟も参加した。平壌で署名を取っていたら話しかけてきた女性がいた―「この国では体制を批判すると『山』に連れて行かれる」


1989年の世界青年学生祭典に、日本から民青同盟(日本共産党の指導下にある青年団体)も参加しました。

上記の座談会記事によると、寺田忠生民青同盟中央常任委員(当時)が街頭で署名活動をしていたとき60歳ぐらいの女性が話しかけてきて、次のように述べました。

「この国では体制に批判的なことをいったり、したりすることがわかると、『山』に連れていかれるんです。そしてもどってこないんです」


寺田忠生民青同盟中央常任委員が別の方から聞いた話によると、北朝鮮では政府や労働党を批判することはもちろん、「仕事がきつい」「生活が苦しい」などの不満をもらすことも許されません。

それらが権力機関に知らされると警察によびだされ、罰則として生活が困難な「田舎」への強制移住が行われます。

決死の思いで民青同盟に北朝鮮の人権抑圧を訴えたのは北朝鮮帰国者(元在日朝鮮人)だ


寺田忠生民青同盟中央常任委員に話しかけてきた60歳ぐらいの女性は平壌在住の北朝鮮帰国者(元在日朝鮮人)でしょう。

1989年ですから、帰国してから30年くらい経っていたのでしょうか。日本人を久しぶりに見て、本当に懐かしかったのでしょう。

平壌在住ですから、帰国時にかなりの寄付をしその後も日本の親族からの仕送りがある方なのでしょう。

それでも日本にいた時とは比較のしようもない抑圧生活に自分たちが陥ってしまったことを日本人に何とか訴えるべく、決死の思いで民青同盟員に話しかけてきたはずです。

在日本朝鮮人総連合会の人たちもこの祭典には参加していたはずですが、在日本朝鮮人総連合会の公刊物には北朝鮮帰国者のこんな発言が掲載されるはずもありません。

在日本朝鮮人総連合会幹部に北朝鮮帰国者が惨状を訴えたら、場合によっては国家安全保衛部に密告されてしまいます。

国家安全保衛部(北朝鮮の治安機関)にこの類の会話が知られれば、間違いなく「山送り」です。在日本朝鮮人総連合会の皆さんは「山に行く」という隠語をよく御存知です。

国家安全保衛部により政治犯収容所送りないしは山間僻地への強制移住を意味する語です。

山間僻地と平壌では、食料の配給など待遇が大違いです。電気を使えない山間僻地に追放される場合もあります。ガスは勿論、水道などない地域はいくらでもあります。


北朝鮮帰国者(元在日朝鮮人)の決死の訴えを、不破哲三氏ら日本共産党最高幹部は無視した


寺田忠生氏に話しかけてきた60歳くらいの女性は、民青同盟の皆さんに日本帰国後、自分たちの惨状を自由な日本社会で訴え、金日成、金正日の忠実な僕である在日本朝鮮人総連合会を強く批判してほしかったのではないでしょうか。

残念ながら、寺田忠生氏の発言が日本共産党の「赤旗」「前衛」などに掲載され日本共産党が北朝鮮の人権抑圧や在日本朝鮮人総連合会を批判するには至りませんでした。

真の共産主義者は共産主義国の人権抑圧や核軍拡、戦争政策について「見ざる、言わざる、聞かざる」を貫かねばならないのです。

共産主義者の組織にも政策上多少の揺れはあります。共産主義者として未熟な民青同盟の雑誌にこういう発言が掲載されてしまう場合もあるのです。


1989年頃の民青同盟は中国を「軍事独裁体制」と批判していた


寺田忠生氏はこの座談会で「いまの中国は鄧小平による軍事独裁体制になっている」と断言し、中国の人権問題も告発しています。

「鉄砲から政権が生まれる」という見解は毛沢東思想と中国共産党の基本路線であり、今日の指導部もこれを継承していますから、本質的に軍事独裁体制です。

今の中国にも選挙といえる制度はありません。「国会」らしきものはあっても、国会議員に国政調査権はないのです。

寺田忠生氏の中国把握は、近年の不破哲三氏の「中国は市場を通じて社会主義へ向かうというレーニンの路線を歩んでいる」という見解と大きく異なっています(不破哲三「北京の五日間」新日本出版社、p175-176)。

寺田忠生氏が民青同盟卒業後どんな職業選択をされたのか存じませんが、「中国は軍事独裁体制である」という見解をその後も公にし続けていたら、難癖をつけられて日本共産党から排除されてしまったことでしょう。

共産主義者は最高指導者と異なる見解を保持し公にする仲間を蔑む


北朝鮮の人権問題を必死に訴えてきた元赤旗記者の萩原遼氏は難癖をつけられて日本共産党から叩き出されてしまいました。

日本人拉致問題を必死に調査して国会に出すようにした兵本達吉氏も日本共産党から叩き出されました。

日本共産党には「山送り」はありませんが、「反党分子」という蔑称で最高指導者と異なる見解を発表する下部党員をたたき出し蔑む思考習慣が内部に根付いています。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは金日成や金正日を批判するようになった仲間を「宗派分子」「民族反逆者」とよび蔑みます。日本共産党とこの点はよく似ています。

旧ソ連では「人民の敵」「富農(クラーク)」などとと言われました。

共産主義者の主導する社会運動が衰退していった要因の一つは、異なる見解を持つようになった仲間を蔑む言葉で把握し、自分たちの形成する小社会から叩き出す思考習慣です。

共産主義者の運動団体が旧ソ連や中国、北朝鮮など共産主義国の人権抑圧や核軍拡、戦争政策に「見ざる、言わざる、聞かざる」を貫いてきた背景には、この類の思考習慣があるのです。

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