「だが、俺はこのちょっと色褪せた肩を欲しているのではないんだ、俺の欲しいのは、ベアトリスの硬くて丸い肩なのだ、俺は仰向けにのけぞった、無我夢中のベアトリスの肩が必要なんだ、この聡明な肩ではないんだ」(「一年ののち」p48より)
Saganの小説の魅力のひとつは、登場人物の心の声がさりげなく所々に記されていることでしょう。
会話や情景描写の中に時折、心の声が挿入されているので注意しないと会話と思い込み、読み飛ばしてしまいます。
上述部分は、ベアトリスという美人新進女優に恋をしている50代で出版社に勤めているアラン・マリグラスが、彼女と会って家に帰り、妻のファニーと添い寝をしたときの心中描写です。
マリグラス家では毎週月曜日パーティが開かれ、ベアトリスはやって来ます。
ベアトリスは、圧倒的に皆の視線を集めながら、マリグラス家に現れた(p22)。
ベアトリスは結婚と浮気経験があり、かつてはベルナールという20代後半くらいの男性作家とも2年間恋愛関係にありました。
ベルナールは現在、ジョゼを愛していますが、ジョゼは医学生ジャックと恋愛をしています。
アランの従弟のエドワールという青年は、アランの家でベアトリスと出会い、彼女を愛するようになります。
エドワールはアランを叔父と呼んでいるので、甥かもしれません。ベアトリスはエドワールと短期間恋愛関係になりますが、ジョリエという50歳の演出家に惹かれ、エドワールと別れます。
この小説の女主人公はベアトリス、男の主人公はベルナールといえるでしょう。登場人物たちが集うのは主に、アラン・マリグラスの家です。
裕福なフランス人は家に友人を招き、カクテル・パーティをしばしば催すのでしょう。
サガンは泡のごとく浮かびあがり、煙のごとく消えていく恋愛関係を淡々と描きます。登場人物達には、自分の人生に対し反省するような気持ちはあまりなさそうです。
これに、眉をひそめる方はいるかもしれませんが、小説は道徳を説く場ではないはずです。言葉には出せないような心の動きが、細やかに描かれていれば良いのではないでしょうか。
読者たる私たちはそれらを自分の心中で噛み締めることができます。
ジョリエはベアトリスを自分の情人にしようと心を決めていました(p79)。ジョリエは無条件で、次回の芝居の主役をベアトリスに与えます(p80)。
ジョリエは、ベアトリスのようなタイプの女は、一人の男から他の男へ移る以外には、決して男から去らないものだということを知っていました(p81)。
これに対しベアトリスの揺れ動く心は、次のように描かれています。
女優として成功していくためには、優れた演出家で劇場の支配人のジョリエの協力が必要とベアトリスは判断したのでしょう。
野心家ベアトリスの揺れ動く心と演出家ジョリエ
「ベアトリスは一瞬、エドワールの長く、うねった肉体を眼に浮かべ、残念に思った。かの女は、エドワールが其処にいてくれたらいいのにと思った。誰でもいい。
誰か極く若い人にいて欲しかった。この晩に酔いしれるか、あるいは、馬鹿げたことをやってのけたようにかの女と一緒に笑ってくれる人を。
これらのすべてに生命を与えてくれるような人を...。しかし、其処にはジョリエと、その皮肉な批評しかなかった。それに、これから彼と夜を共にしなければならなかったのだ。
ベアトリスの眼は涙でいっぱいになった。かの女は突然、自分を弱く、ひどく若く感じた」(p140)。
ベアトリスは情人(アマン,amant)を持つ方がずっと健康的だと思っています。ジョリエがベアトリスとの噂を立てなかったら死ぬほど恨んだそうです(p130)。
そんなベアトリスの心の中にも、やるせない気持ちの涙は流れるのでしょう。
ジョリエはベアトリスがその年の新進女優になることを、そしてもしかしたら、それ以上に、大女優になるかもしれないことを知っていました(p130)。
いつかベアトリスはかれを苦しませるだろうということをジョリエは予感します(p136)。ジョリエは自らがいずれベアトリスの虜となってしまうことを予感しているのでしょうか。
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