2014年11月22日土曜日

Françoise Saganの「ある微笑」(朝吹登水子訳、新潮文庫。原題「Un Certain Sourire」)を読みました。

私は若かった。一人の男が私の気に入っていた。もう一人の男が私を愛していた。私はよくある少女のつまらない悩みの結末をつけなければならなかったのだ。私は一人前になり始めていた。既婚の男すら存在し、もう一人、女もいた。パリの春に、ちょっとした四重奏の遊びが始まろうとしていたのだ(「ある微笑」p35より)。


簡単に言ってしまえば、「ある微笑」はこんなお話です。私、ドミニックはソルボンヌ大で法律を学んでいる女子学生で、ベルトランという学生の恋人がいますが、彼に飽きはじめていました。

ベルトランにはリュックという旅行好きの叔父がいます。ベルトランはドミニックをリュック叔父に紹介します。ドミニックは初対面でリュックを気に入ります。

「かれ、私の気にいったわ。かれ少し年取っていて、私の気にいったわ」(p11)。

リュックにはフランソワーズという妻がいますから、ドミニックは恋人の叔父と不倫関係に陥ってしまったことになります。

Saganの小説-心の動きがどのように描写されているか-


しかしSaganの小説は、「人がいかに生きるべきか」という視点から読むのではなく、「心の動きがどのように描写されているか」という視点から、巧みな文章表現を味わいつつ読むべきでしょう。

あらすじをいちいち説明するのはやめ、登場人物の言動で私が疑問に思う点を書き留めておきます。

ドミニックの恋人ベルトラン、リュックの妻フランソワーズはリュックの過去の言動を何も知らないのか


(その1)リュック夫妻がドミニックに高価なコートを買った時点でベルトランはなぜ、リュックの下心にもっと警戒しなかったのか?ベルトランはそのすぐ後にドミニックと愛し合ったから安心してしまったのだろうか。

(その2)リュックがドミニックを誘惑しようとしていることを、身近で二人のやりとりを見ているはずの妻のフランソワーズはなぜ気付かなかったのか。

フランソワーズはあまり知らなかったとはいえ、リュックには浮気の前歴が相当ある(p60)。

(その3)リュックの矛盾に満ちた口説き文句はそれほど魅力的だろうか。リュックはドミニックに「正直」に話している。

真剣なことなんか何もありはしない(リュック)


「本当に真剣だったアヴァンチュールは一度も無かったんだ」

「それに君のことだって、ほんとに真剣ではないのさ。真剣なことなんか何もありはしない。フランソワーズに匹敵するものは何もない」(p60-61)。

「ドミニック、僕とても君を好きだよ。僕は君を決して『本気』-よく子供たちが言うようにさ-好きにはならないだろうけれど、でも僕たち似てるんだ。

君と僕。僕はただ君と寝たいと思っているだけじゃないんだ、君と一緒に生活したい。夏休みに君と何処かへ行きたい。僕たちきっととても幸福で、とても仲良く暮らせるよ。(中略)」

「そのあとで、僕はフランソワーズの許に戻ろう。君になんの危険が有る?僕に惹かれ、後で苦しむこと?でもそれがなにさ?退屈しているよりいいぜ。幸福であり不幸である方が、なんでもないより君いいだろう?」(p62)。

この最後の言葉に、ドミニックは酔ってしまったのかもしれません。

(その4)フランソワーズは夫の浮気を知り「非常に苦しんだ」(p138)とあるが、暫く後にドミニックと会った時極めて寛大です。

フランソワーズとドミニックはベルトランが紹介するまで何の関係もないのに、ドミニックに実の母のような感情を抱けるでしょうか。

多少の疑問はありますが、リュックを心から消し去ることができたドミニックの呟きと微笑みの描写は魅力的です。以下です。

リュックとの決別を決意したドミニックの微笑み


「私は不意に鏡の中の自分を眺めた。私は自分が微笑んでいるのを見つけた。私は微笑むことをやめることが出来なかった。

私には出来なかった。再び、私は知っていたのだ、自分は独りだということを。私はこの言葉を自分自身に言ってみたかった。独り、独り。

けれどもそれが一体なんだ?私は一人の男を愛した一人の女だった。それは単純な物語だった。鹿爪面をすることもないのだ」(p155-156)。

ふと、30年くらい前の映画「ダイアモンドは傷つかない」(田中美佐子主演)を思い出しました。Saganは後の作家にかなりの影響を与えているのでしょう。

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