Édith Piaf(1915年12月19日-1963年10月11日)-父は大道芸人(A Well-Known Travelling Acrobat)。母に捨てられ、父方の祖母が経営するNormandyの娼婦宿で育った。Her grandmother ran a brothel in Normandy)。
Edith Piafはわずか47歳で癌により亡くなっています。「太く短く」というような人生だったのでしょう。晩年には、モルヒネに頼るような暮らしでした。
大道芸人とは「家なき子」のヴィタリスのように、道端や広場で芸を見せ、観客の篤志で生活している人のことです。
英語のサイトには、Piafの父は著名な旅のアクロバット師、母はカフェの歌手だったと出ています。
いつの時代でもどこの国でも、旅から旅を重ね、それぞれの街で見世物をしてその日の糧を得るという暮らしをしている人はいるのでしょう。
古代日本にも、律令制度の外で生きる人々がいました。その人々から、能や狂言が生まれてきたのかもしれません。
「フーテンの寅」の寅さんは、祭りが開かれる所々を訪ね、そこで夜店などを出して生活の糧を得ているはずです。
見物人を逃がさないため「何か芸をやりなさい」と父に促され少女Piafは「ラ・マルセイユーズ」(La Marseillaise)を歌った
この映画では、お父さんがサーカスの曲芸師としてPiafとともに旅をするシーンも出てきます。Piafが10歳位の頃、お父さんは何かでサーカス団と喧嘩になり、団を辞めて大道芸人に戻ります。
「お父さん、サーカスをやめないで」とお祈りするシーンがありますが、なんともいじらしい。
しかしお父さんはサーカスを辞め、道端で逆立ちやアクロバットのような曲芸をして稼ぐ大道芸人に戻ります。映画では俳優が実際に逆立ちと、足を首の後ろに巻きつける芸をやっています。
道端でのお父さんの芸が一段落したあと、見物人の一人が娘Piafに「その子はなにか芸はできないのか?」と尋ねます。
お父さんは客を逃がしてはいけないという一心で直ちに「できます」と答えPiafに「何かやりなさい」と命じます。
突然のことで動揺を隠しきれないPiafですが、やむを得ず「ラ・マルセイユーズ」を歌いだし見物人から大きな拍手と、携えていた帽子に多額の小銭をもらいます。
このシーンは健気に生き抜く少女時代のPiafの姿がよく描いています。「家なき子」では賢い犬のカピが帽子にお金を入れてくれるよう観客にせがんでいました。
下層社会出身のPiafは裏世界と「契約」をしていたのでは
Piafはその後、道端で歌を歌い通行人から稼ぐようになります。
この頃、Piafは裏世界の人間と「街角で歌って得た金の一部を出す」という「契約」を結ぶ羽目になったようです。
Piafの才能を見出し、劇場で歌えるように取り計らってくれた恩人が少し後に殺されてしまいますが、裏社会の人間の仕業だったのかもしれません。
Piafは殺人の共犯者ではないかと警察に疑われますが、無実でした。
Piafの生き様を通して、かつてのフランスの下層社会を垣間見ることもできます。
Piafの再来と言われるZAZによるLa Vie En Rose, Sous le Ciel de Paris
この映画ではPiafの有名な歌が背景の音楽として所々で流れています。それらの響きが心に残り、Piafによる数々の名曲に親しめます。
故越路吹雪がカバーした「愛の讃歌」(Hymme à l’Amour)は若いふたりの愛を歌いあげている歌として知られていますが、この映画ではPiafの幼少期に背景の音楽として使われています。
同じ曲でも、伝わえられるものがかなり異なってきます。
現代フランスの代表的歌手の一人、ZAZが「Piafの再来」と言われている理由が何となくわかってきました。二人とも声量があり、音響設備がさほどなくても聴かせます。
二人ともずば抜けたリズム感覚の持ち主なのでしょう。
ZAZによる「La Vie En Rose」「Sous le Ciel de Paris」はインターネットで簡単に探せます。現代風に変えられていますので、若い人にはこちらのほうが聴きやすいかもしれません。
ZAZの「On ira」に私は傾倒しています。
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