フランス版「Platoon」と言われるが単なる反戦映画ではない。1959年のアルジェリア戦争をフランス人兵士の視点から描いた。
この映画の歴史的背景となっている19世紀から20世紀前半の国際社会を考えてみましょう。当時は、強国が領土を武力で確保するのが当然とされていました。日本の戦国時代と似ています。
国際法は強国に都合が良いように作られていたのです。
韓国人や中国人には腹ただしいことでしょうが、日本が朝鮮半島や満州に進出し併合するのは当時の国際法、国際慣習上は合法的で普通でした。
20世紀前半までの国際社会では、富国強兵政策を実施できない国家は滅亡を覚悟せねばなりませんでした。
富国強兵のためには幅広く交易をせねばなりません。警察と法秩序が確立していない地域で交易を安全に行うためには、その地域に自国の軍隊を常駐させねばならない。
「侵略と開発」による激しい戦い
当時の欧州諸国も日本も、当時の国際法、「グローバル・スタンダード」に従って海外進出したのです。
武力で領有したあとはその地域に鉄道や水道、電力など社会的なインフラを建設して経済開発をせねば算盤があいません。現代風にいえば、強国は「侵略」すれば現地を開発をせねばならない。
フランスは北・西アフリカにかなりの投資をしたはずです。投資、開発のためには相当数のフランス人が移住したでしょう。
しかしアフリカの住民がいつまでもフランスに屈従しているはずもない。独立を求めて激しい戦いが生じるのは必然だったのです。
フランスからすれば独立を求めるアフリカの人々は暴徒でしかない。
現地の地理を熟知し、独立を求めるアフリカの住民は、激しいゲリラ戦を行いました。
独立派が罪もない住民を虐殺した-正義はどこに
左翼はこういう人たちを「帝国主義の圧政からの独立のために戦う」と評しますが、実際の独立派は現地の人々を自分たちの意に従わせるために虐殺を行ったのでしょう。
この映画にもそういうシーンがあります。何の罪もない住民を殺害するのですから「独立派=自由と民主主義のために戦う人々」ではありえない。
独立派は正義の体現者などではなく、虐殺の実行者だったと描いた点でもこの映画は興味深い。
勿論フランスの北アフリカ支配を継続しようとするフランス軍も、正義の軍隊ではありえない。
理想主義者は命のやりとりをする戦争に無用の長物
主人公はフランス軍の中尉(lieutenant)ですが、理想主義者らしくアルジェリア側に理があると発言しています。心底そう思うなら、まだ若いのですから軍人を辞めて別の生き方を探すべきでした。
悲惨な結末は必然だったのでしょう。映画の最後で主人公の部下だった歴戦の勇士が、理想主義者には戦争は無理だった旨評していました。これは製作者のメッセージの一つなのでしょう。
現実主義者であるなら、自国が富国強兵化を成し遂げるためにはかなり荒っぽいことをせねばならないと判断します。
戦争の現場では、現実主義者にならねば生き残れないのです。自国と命運をともにしようとするなら、兵士たちに選択肢などなかった。
戦場に散ったフランス兵士の悲劇は、個人ではのりこえようのない時代の壁だったのでしょうか。Benoît Magimelは現代のフランス人にこれを問いかけたかったのでしょう。
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