2016年12月26日月曜日

木下公勝「北の喜怒哀楽 45年間を北朝鮮で暮らして」(平成28年高木書店刊行)を読みました。

「『帰国者狩り』は、1960年代後半から1970年代初期に始まったと記憶している。金正日が党中央の要職に就き、党の唯一思想体系と指導体系の樹立を唱えはじめた時期だ。

総連幹部だった異国者も、スパイや異端者、国家反逆者という濡れ衣を着せられ、党や行政の要職から外された。北朝鮮の津々浦々から、『帰国者の〇〇が密かに保衛部に連行されていった』

『〇〇の夫が急に行方不明になった」という話が頻繁に届いた。『夫がいなくなった』といっていた女性とその家族が、一か月後にどこかへ連れ去られたという話もあった」(同書p89-90より)。


帰国者とは、昭和34年から実施された帰国事業により北朝鮮へ帰国した元在日朝鮮人のことです。約93000人の帰国者のうち、約6000人が日本国籍保持者でした。

「地上の楽園」に帰国できたはずの元在日朝鮮人が、その後次から次へと行方不明になっていきました。

北朝鮮当局による「帰国者狩り」です。

帰国者の中には、木下氏が語るように何かの「罪」を着せられ、山間へき地や政治犯収容所に連行され、日本の親族との連絡が途絶えてしまった方がいるのです。

北朝鮮では政治犯や重罪を犯した人に対して、日本人の基準で「裁判」といえるような制度はありません。

「政治犯」とその家族は鳥も鼠も知らないうちにいなくなる


国家安全保衛部の特別裁判を受けさせられた「反党反革命宗派分子」張成澤のようなケースは例外です。「特別裁判」とは何か、よくわかっていません。

南朝鮮労働党の大物、朴憲永にも同様の「裁判」はあったようです。大物に対しては、何らかの「裁判」をするようです。

警察側の主張のみを聴いて裁判長が「判決」を下してもそれを「裁判」と把握するべきではありません。形式だけの「弁護人」がいても、警察側に十分な反論ができるかどうか不明です。

「スパイ」を山間へき地に連行する国家安全保衛部らは、家族に「革命化のために学習に行った」と告げるだけで、他の情報は与えません。

国家安全保衛部が「政治犯」を家族もろとも収容所に連行するとき、深夜から早朝に来ることが多いそうです。「スパイ罪」に家族が連帯責任を取らされる場合もあるのです。

「鳥も鼠も知らないうちにいなくなる」という隠語を、私は脱北者から伺っています。

日本に残った在日朝鮮人は帰国者の行方不明を「山へ行った」と表現しています。在日本朝鮮人総連合会の活動を熱心にやっている方なら、これらの隠語を御存知のはずです。

北朝鮮の現状を考えるとき、当局が住民に対し「政治犯」「スパイ」というレッテルを貼り山間へき地や政治犯収容所に連行できるという事実を看過すべきではありません。

先日の産経新聞記事によれば、「金正日の料理人」として知られている藤本健二氏が「平壌でラーメン屋をやる」と行って出かけて行ったあと、連絡がとれなくなっています。

この類の事件が、北朝鮮では頻発しています。

著者の木下氏は、昭和35年夏に父母と兄弟三人で帰国し、北朝鮮北部のハムギョン道の炭鉱都市に配置されました。

木下氏は平成16年(2004年)頃脱北し、10年近く前に日本に入国したようです。

この本は十代半ばで北朝鮮に帰国した木下氏の北朝鮮での暮らしを、ありのままに記しています。

木下氏は帰国後一年にも満たない時期に公開処刑を見ました。以下はこの本のp40-41に依拠しています。

「人民公開裁判 殺人犯罪者、金元国を人民の名で公開処刑にすることを公示する 年齢32歳」と書かれた白い紙が駅前広場の掲示板に張り出されていた(同書p39)


執行日は木下氏が掲示板をみた三日後で、執行場所は川原でした。木下氏が当日の午前十時くらいにそこに行ってみると、500人ほどの住民が川原の中央に集まっていました。

死刑囚の両親、兄弟、親類は群衆の最前列に座らされていました。裁判官が死刑囚に向かって名前、職業、住所などを聞きました。

死刑囚がマイクを通して答えた後、検事が死刑囚の罪状を読みあげました。次に演壇にいる陪審員、判事、弁護士が罪人に向かって犯罪の動機や経緯を質問しました。

北朝鮮では、「判決」後すぐ現場で死刑が執行される


最後に裁判官が、「殺人犯金元国を人民の名において死刑に処する。刑は即時現場で執行する」と判決を言い渡しました。

直ちに安全員(北朝鮮の警察)が罪人を演壇の横に無理やり引きずっていきました。演壇の横には四角い白い布がカーテンのように垂れ下がっていました。

罪人はその中に引きずり込まれました。三分ほど経つと布が下ろされました。そこに丸い柱にロープで縛りつけられた死刑囚が立っていました。

安全部の上官が兵士三人に「死刑囚に向かって進め!」と号令を発しました。兵士三人は肩に自動小銃をかけ、足並みをそろえながら死刑囚の前に立ちました。

「気を付け!射撃準備!われわれ人民の敵、金元国に向けて射撃!」

上官が命令した瞬間、僅か5.6メートル先に立っていた死刑囚に一斉射撃が浴びせられました。死刑囚の胸部のロープは銃弾で吹き飛ばされました。

続いて頭部めがけて銃弾が三発連射されました。髪の毛が飛び散り、原形をとどめない頭部から豆腐のような白い脳みその塊が死刑囚の足元に落ちました。

続いて腰の部分にも銃弾が浴びせられました。

人間が目の前で銃殺される光景を見て、木下氏が背筋が凍るほど恐ろしい思いをしたと語っています。

死刑囚金元国は、「出身成分」のため結婚に反対され、相手の父親を殺した人物だったそうです。

公開処刑される人々の罪状や動機は年代によって異なっていた(同書p42)


木下氏によれば、大別すると60年代から70年代に公開処刑される人々は主に政治・思想犯でした。過去の親日・親米・親韓行為が問題視されました。

「出身成分」とは、「解放」前に自分や親、祖父母がどういう地位、職業についていたかによって全住民を区別する制度のことです。

「核心」「動揺」「敵対」の三階層が基本です。北朝鮮では「出身成分」により、居住地と居住条件、配給、進学、就職など生活のすべてが区別されています。

「出身成分」が悪ければ、生涯にわたって低水準の生活に甘んじなければならない可能性が高い。多額の賄賂を用意できればその限りではありませんが。

元在日朝鮮人の多くは、「動揺階層」に区分されたようです。

勿論金正日に認められれば、最高の消費生活を享受できます。金正恩の母、高英姫は元在日朝鮮人です。それでも、金正日は高英姫の存在を金日成に報告できなかったらしい。

元在日朝鮮人は、日本人と同様とみなされてしまうことが多いのです。

娘が、「出身成分」の悪い男性と結婚することに反対した父親の気持ちは「理解」できなくもありません。

木下氏によれば、1980年代以降は「生きるため」「食べるため」に罪を犯した人間が「成分」に関係なく公開処刑されました。

窃盗・密輸・人身売買犯などです。一度の公開処刑で殺される人の数が増えました。

北朝鮮では「判決」前に罪人の処刑が決定されている


この本によれば、木下氏は「公開処刑に処する」という白い紙の掲示を見て川原に行きました。河原での「裁判」より前に、罪人金元国の処刑はどこかで決定されていたのです。

どこでいつ、誰により罪人の処刑が決定されていたのかはわかりません。想像するしかないのです。

この場合は、社会安全部(北朝鮮の警察)が処刑を決定したのではないでしょうか。検察より、社会安全部が権限を持っている可能性があります。

処刑が決定され、準備まで完了している「裁判」で、「弁護人」が検察に反論したり、処刑に反対できるでしょうか。

そんなことをしたら、弁護人もその場で処刑されかねない。

北朝鮮に「裁判」という名前の制度があっても、日本人の基準でいう「裁判」が存在しているわけではないのです。

木下氏によれば、金正日が社会安全部と国家保衛部幹部の前で次の指示を出しました。

「法に反する行為をした者は、社会的職位、出身成分、過去の業績、功労を問わず、例外なく法に従って厳重に処罰せよ」

この指示により、「出身成分」の如何に関係なく処罰がなされるようになったと木下氏は語っています。

木下氏が金正日のこの指示をなぜ知りえたかはわかりませんが、北朝鮮社会で金正日の「お言葉」は法そのものです。「法」より上の規程ともいえる。

在日本朝鮮人総連合会は虚偽宣伝を謝罪し、脱北者の日本への定住支援をするべきだ


木下氏の御両親に、北朝鮮への帰国を勧めたのは在日本朝鮮人総連合会の皆さんです。

木下氏によれば、二人の幹部が北朝鮮の発展ぶりと「お宅のように親は高齢でも、金日成首相様が領導する北朝鮮では、子どもは学校に通えて幸せな生活ができます」と両親に語りました。

木下氏のお父さんは、「医療費無料」と「学費無料」という言葉に魅力を感じたそうです(同書p15)。

在日本朝鮮人総連合会の皆さんは、脱北者に虚偽宣伝を謝罪し、日本への定住支援をするべきです。

現実には、在日本朝鮮人総連合会がそんなことをやる可能性は極めて低い。

金日成民族の一員として、全社会の金日成・金正日主義化のために日々尽力されている方々ですから。

畑田重夫氏は北朝鮮の人権抑圧について見解を表明するべきだ


北朝鮮への帰国事業が盛んに行われていた昭和34,35年頃、日本の政党の中で北朝鮮を最も礼賛したのは日本共産党です。宮本顕治氏がその中心でした。

宮本顕治氏や不破哲三氏は、北朝鮮がテロを国策として行うテロ国家であることがわかってからも、帰国船の再開を主張しました。

一人でも多くの在日朝鮮人に「地獄への片道切符」を握らせようと尽力したのは、在日本朝鮮人総連合会と日本共産党だったのです。

畑田重夫氏は、北朝鮮への帰国運動を全力で推進した方です。畑田氏は全国紙を徹底的に読んでいるそうです。

北朝鮮の人権抑圧については、産経新聞だけでなく朝日新聞や毎日新聞、読売新聞にも何度も報道されていますから、畑田氏は御存知のはずです。

畑田重夫氏には、日本共産党の虚偽宣伝を信じて北朝鮮に渡った元在日朝鮮人のその後について、見解を表明していただきたいものです。

残念ですが、畑田重夫氏や不破哲三氏が北朝鮮の人権抑圧、元在日朝鮮人のその後について見解を表明する可能性は極めて低い。

共産主義者は、都合の悪い史実を隠ぺいします。

不破哲三氏、志位和夫氏はレーニンによる富農、聖職者弾圧指令について沈黙しています。

真の共産主義者とは、共産主義国による残虐行為を隠ぺいすることに生きがいを感じる人々なのです。


























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