「余剰穀物をもちながら、これを駅および集散地点へ搬出しない穀物所有者は、人民の敵として宣言され、10年以上の投獄、全財産の没収、彼の共同体からの永久的追放に処せられることを、はっきりと規定する」
「富農との仮借なき闘争のために団結するという勤労、無所有の、余剰をもたない農民の義務を追加する」(「食糧独裁についての布告の基本的命題」レーニン全集第27巻、p360より抜粋。大月書店刊行)
来年はロシア革命100周年の年です。ロシア革命をどう評価するべきか、世界各地で様々な議論がなされることでしょう。
その際、レーニンの「思想」「理論」をどう「理解」するかという問題は重要です。
レーニンが「富農」という人々を徹底的に敵視し、弾圧すべきと強調してきたことは、レーニン全集の27,28巻を多少読めば明らかです。
上記から明らかなように、「富農の撲滅」「『人民の敵』の永久追放」はスターリンが始めたことではありません。スターリンはレーニンの教えを忠実に実行しただけです。
「『現在の』情勢についてのテーゼ」(レーニン全集第27巻、p419-421掲載)でレーニンは13の項目から成る指令を出しています。
「テーゼ」という語から、レーニンがこの指令を重視していたことが推察できます。
レーニン「余剰穀物をおさえている富農を容赦なく弾圧することを義務とみとめよ」
(1)は次です。
「陸軍人民委員部を戦時食糧人民委員部に変えること。すなわち、6月から8月までの向こう三か月間、穀物獲得の戦いのために軍隊を改編しこの戦いを遂行することに、陸軍人民委員部の仕事の十分の九を集中すること」。
(2)は「この期間、全国に戦時戒厳状態を宣言すること」です。
(12)は「人民委員会議でも中央執行委員会でも、つぎのことを遂行すること」です。
(12)の(ニ)は次です。
「余剰穀物のある各郡、各郷で、ただちに、富裕な土地所有者(富農)、穀物商人、等々の名簿を作成したうえ、余剰穀物を全部収集する個人的責任を彼らに課すること」。
(12)の(ホ)は次です。
「各戦闘部隊に、たとえば、十人に一人の割合にせよ、ロシア共産党や社会革命党左派、または労働組合から推薦された人物を任命すること」。
(13)は次です。
「穀物の国家独占を実行するにあたっては、どんな財政的犠牲をもためらわずに、貧農援助措置や、富農からあつめた余剰穀物の一部を無料で貧農に分配する断固たる措置をとると同時に、余剰穀物をおさえている富農を容赦なく弾圧することを義務とみとめること」。
1918年にレーニンは繰り返し、「富農」から「余剰穀物」を徴発せよと述べています。抵抗する「富農」は容赦なく弾圧せよというのですから、富農に対し宣戦を布告しているのです。
「富農」とは誰か―「食糧問題についてのテーゼ」(レーニン全集第28巻、p35-38より)
それでは、「富農」とはどんな人々のことを指しているのでしょうか。
レーニンは1918年8月2日に「食糧問題についてのテーゼ」を、食糧、農業、最高国民経済会議、財務、商工業の各人民委員部へ提案されました。この「テーゼ」は13項目から成ります。
(8)は次です。
「富裕な農民にたいする現物税、穀物税を設定すること。ただし、手もちの穀物の量が(新しい収穫をふくめて)自家消費量(家族の食い扶持、家畜の飼料、播種を考慮に入れて)の二倍ないしは二倍以上のものを、富裕な農民とみなす。」
レーニンのこの指令だけで、当時のロシア全体で「富農」という語がこのように理解され、該当する農民が弾圧対象になっていたとは断言できません。
農村の実態については、別の史料からも確認されるべきです。
しかし、この指令が実際に農村で実行されれば、農民は可能な限り保有穀物を隠ぺいし「富農」とレッテル貼りされないようにしたと考えられます。
穀物の「自家消費量」など、どうにでも解釈できますから。穀物の収穫量は天候に強く依存します。来年度の天候がどうなるか、誰にもわかりません。
不作に備えて、可能な限り蓄えておきたいと誰でも思うでしょう。汗水流して収穫できた穀物を問答無用で徴発されたらたまったものではない。
「富農」とレッテルを貼られたらおしまいだ、とほとんどの農民は直感的に理解したはずです。以下のレーニンの「報告」に注目すべきです。
レーニンは余分の穀物はすべて、国家の手にとりあげなくてはならないと断言した
レーニンは当時のロシアが直面していた飢餓からの脱出策として、国家による穀物の専売制を提起していました。
「モスクワの労働組合と工場委員会との第四回協議会」(レーニン全集第27巻、p472-505〉でレーニンは次のように述べています。
「穀物の専売制を口にすることはやさしいが、それがどういう意味か考えてみなければならない。
それは、余剰穀物はすべて国家のものだということである。それは、農民の経営に必要でない、
その家族や家畜を養うのに必要でない、播種をおこなうのに必要でない穀物は一プードでも、、
余分の穀物はすべて、国家の手にとりあげらなくてはならないということを意味する。」(全集p482)
余分の穀物はすべて農民から取り上げよ、とレーニンは断言しています。これを文字通り実行したら、取り上げられた農民が次から次へと栄養失調になり、とんでもない伝染病が蔓延しかねない。
レーニンは徴発した穀物を都市の労働者に配分し、都市で餓死者が出ることを防ごうとしたのでしょうが、穀物取引を活発化させれば、一時的に穀物価格が上昇しても供給が増えれば下落していきます。
「穀物投機」を沢山の農民にやらせれば、穀物の供給がいずれ増えます。都市で闇市が増えれば、都市経済が徐々に活性化していきます。闇市の商売でぼろもうけする人もでますが。
供給増加により穀物価格が下落し、農民は「投機」ができなくなる。このくらいのことは、商業活動を少しでも見聞した経験のある人ならすぐにわかりそうなものです。
レーニンとボリシェヴイキが「戦時共産主義」などという愚かな「理論」に固執していたから、「富農」とレッテルを貼られた農民が穀物を徴発されてしまいました。
「余分の穀物」と「播種用、家畜用の穀物」を当時のロシア共産党員らが正確に区別できたとは極めて考えにくい。
来年の播種や家畜のためにどれだけ穀物が必要になるかも、今後の天候に依存しているのですから。
播種用の穀物までも取り上げられた農民は少なくなかったはずです。これにより農業生産がさらに落ち込むという悪循環にロシアが陥ってしまったのではないでしょうか。
レーニンによる富農弾圧指令、富農への「宣戦布告」を無視する不破哲三氏
不破哲三氏の「レーニンと資本論6 干渉戦争の時代」(新日本出版社刊行)はレーニンの「穀物の売買禁止論」について遠回しに言及していますが、弾圧指令については無視しています。
不破氏が、レーニン全集27,28巻を少しでも読めば出てくるレーニンの「富農弾圧論」を知らないはずがない。これが下部党員や「赤旗」読者に知られるとまずい、という判断なのでしょう。
不破氏はこの本のp214-216で、レーニンが「穀物の売買の自由」を「反革命派」あるいはブルジョアジーの経済綱領として厳しく断罪していたと述べています。
不破氏は、レーニンが採用した穀物の売買の自由を禁止する政策はソビエト政権と農民の間に大きな亀裂を作り出したと述べています(同書p216)。
「ソビエト政権と農民の間の亀裂」とは、いったい何なのでしょうか。不破氏はこの表現の具体的な中身については何も述べていません。
レーニンが出した穀物売買の自由禁止指令が、内戦激化とその後の不作、飢餓の重要な原因となったことは明らかです。
レーニンとボリシェヴィキは、コルチャックやデニキンら外国の支援をうけた「反革命勢力」だけでなく、「富農」とも徹底的に戦いました。
「富農」に「宣戦布告」したのはレーニンとボリシェヴィキです。
「人民の敵」とレッテルを貼られて殺害された「富農」、穀物を取り上げられて栄養失調から疾病に倒れて亡くなった「富農」の数はどれくらいだったのでしょうか。
レーニンは富農、金持ち、穀物投機者は200万そこそこと見積もっています(「労働者の同志諸君、最後の決戦に進もう!」レーニン全集第28巻、p47)。
勿論これだけで、レーニンとボリシェヴィキが「富農」を200万人殺害したと証明できませんが、富農弾圧指令はレーニンの「思想」「理論」から必然的に導かれた結論です。
次の論文も注目すべきです。
レーニンは「富農」との「最後の決戦」をよびかけた
レーニンが命名した「最後の決戦」とは、「富農にたいする戦闘」です。この論文でレーニンは次のように述べています(レーニン全集第28巻、p47)。
「どんな疑いもありえない。富農は、ソヴェト権力の仇敵である。富農がかずかぎりなく労働者を殺すか、でなければ労働者が、勤労者の権力にたいする、国民の中の少数の強盗的富農の暴動を、容赦なくふみつぶすかである。
そこには中間の道はありえない。和解はありえない。富農は、いがみあってきたばあいでさえ、地主、ツァーリ、坊主と和解することができる。しかもやすやすと和解できる。
だが労働者階級とはけっしてできない。われわれが富農にたいする戦闘を、最後の決戦と呼ぶのはこのためにほかならない」
「富農は、他国の歴史上、地主、皇帝、坊主、資本家の権力を一度ならず復活させた、もっとも凶悪な、もっとも野蛮な搾取者である。富農は、地主と資本家より多い。」
「労働者の同志諸君!最後の決戦にすすもう!」は1918年8月に執筆されました。平和に暮らしていた「富農」の方々にはとんでもない迷惑だったことでしょう。
自らが下した大量殺人指令に何の反省もしなかったレーニン
「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」の「内乱」には、「富農との最後の決戦」も含まれていたのです。
内戦になれば沢山の犠牲者が出ます。大量殺人を正当化するレーニンの「思想」「理論」を、スターリン、毛沢東、金日成、金正日は立派に継承しました。
レーニンは1921年頃から農民に穀物の自由販売を認める「新経済政策」への転換を主導しますが、「最後の決戦」で犠牲となった「富農」の方々への謝罪や反省の言葉は一切残していません。
レーニンは最晩年になっても、自らが下した「富農」「人民の敵」の弾圧、殺戮指令の正当性に何の疑問ももたなかった。この点も、スターリン、毛沢東、金日成、金正日は継承しています。
宮本顕治氏が信奉していた「マルクス・レーニン・スターリン主義」とは、「人民の敵」殺人を正当化する「思想」「理論」なのです。
在日本朝鮮人総連合会の皆さんが信奉している「金日成・金正日主義」も、「反党反革命宗派分子」殺人を正当化する「思想」「理論」であることを付言しておきます。
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