ブルジョア民主主義とプロレタリアートの独裁とについてのテーゼと報告...
「集会の自由」は、「純粋民主主義」の要求の見本とすることができる。自分の階級と絶縁していない、自覚した労働者ならだれでも、搾取者が転覆されまいとして反抗し、自分の特権をまもっている時期に、またそういう情勢のもとで、搾取者に集会の自由を約束することがばかげていることを、即座に理解するであろう。」(p493)
「勤労者のために、労働者と農民のために、真の平等と真の民主主義をたたかいとるためには、まず資本から、文筆家をやとい、出版所を買いとり、新聞を買収する可能性をうばわなければならない。だが、そのためには、資本のくびきをくつがえし、搾取者をたおし、彼らの反抗を弾圧することが必要である。」(p494)
レーニンは、共産主義インターナショナル第一回大会で「ブルジョア民主主義とプロレタリアート独裁とについてのテーゼ」を報告しました。
「テーゼ」という語から、世界の共産党が共通に追及すべき目標が提示されたことがわかります。これは、「搾取者」の「集会の自由」はく奪、言論抑圧です。
すなわち搾取者の反抗を弾圧することです。
搾取者とは、企業経営者や地主、貴族のことです。ロシア正教会の聖職者も、同様の扱いを受けました。
レーニンの「思想」「理論」の中に、一般国民の言論の自由、思想・信条の自由制限を正当化するものがあります。ソ連共産党を批判することは「反ソ行為」です。
政治犯収容所に送られかねない重罪です。精神病院に収容される場合もありました。
旧ソ連では、言論の自由、思想・信条の自由が徹底して制限されていました。
今の中国でも、一般国民が共産党を公の場で批判したらいろいろと厄介なことになるでしょう。
北朝鮮で一般国民が朝鮮労働党を公の場で批判したら、命がいくつあっても足りない。
各国の共産党、労働党はレーニンと後継者スターリンを師と仰ぎ、革命運動を行ってきました。
言論抑圧と選挙の形骸化は共産主義のイロハ
各国の共産党は革命後、上記のレーニンの「テーゼ」に従って、支配体制を構築していきました。
レーニン全集のすべての記述を一言一句もれなく実現することなど不可能ですが、「搾取者の弾圧」、言論抑圧だけはどこの共産党も欠かさず行いました。
共産党が権力を維持するためには一般国民の言論の自由、思想信条の自由の制限が必須です。
一般国民や下部の共産党員には、共産党の最高指導者が提示した選択肢以外の道は地獄への道だと思い込ませねばなりませんから。
一般国民が自由に共産党を批判でき、秘密投票の選挙で政治家を選出するようにしたら、共産党の候補者は落選してしまいます。政権を譲らねばなりません。
これは「反革命」の成就です。
そんなことをレーニン、スターリン、毛沢東、金日成や金正日が認めるはずがない。言論抑圧、選挙の形骸化は共産主義のイロハです。
旧ソ連、東欧では共産党が認めた人物以外、選挙には立候補できないようになっていました。中国と北朝鮮では今もそうなっています。
レーニンによれば、プロレタリアートの独裁は大地主と資本家の反抗を暴力的に弾圧することです(同論文p497)。
「プラハの春」と日本共産党
昭和43年(1968年)に「プラハの春」と呼ばれた事件がチェコスロバキアで起きました。プラハで知識人が言論の自由を求めて立ち上がったのです。
チェコスロバキア共産党は当初、「行動綱領」を作成し、この運動を擁護しました。
これはソ連軍の侵攻によりつぶされてしまいました。当時の日本共産党はソ連軍の侵攻を批判しましたが、チェコスロバキアの共産党が自力で知識人の運動を抑圧すべきと主張しました。
吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員はこれを御存知ないかもしれません。
「チェコスロバキアへの五ヵ国侵入問題と科学的社会主義の原則擁護」という「赤旗」掲載論文があります。
この論文は「日本共産党重要論文集7」にも掲載されています。
この論文はチェコスロバキア共産党の「行動綱領」を、自由主義、分散主義、あるいは放任主義に道を開き、社会主義建設の事業にあらたな困難と混乱を持ち込むと批判しています(同書p240-241)。
日本共産党は、無制限の「表現の自由」「出版の自由」「集会や結社の自由」を宣言した「行動綱領」を、反社会主義勢力に活動の自由をあたえる重大な右翼的誤りと徹底批判しました。
チェコスロバキア共産党は、社会主義的民主主義の名で事実上ブルジョア民主主義を導入する「純粋民主主義」の誤りを犯していると、日本共産党はレーニンの上記論文に依拠して批判しました。
社会主義的企業が自由意思によって連合したり、連合から脱退したりできるようにした「行動綱領」の規定も「純粋民主主義」の経済版で社会主義的計画経済を弱化させる危険をもつと日本共産党は批判しています。
勤労者にとっては民主主義であると同時に、搾取者に対しては独裁であるプロレタリアートの独裁の正しい意味での強化が必要(上記「赤旗」掲載論文より)
この件について私は、「プラハの春と日本共産党」と題して本ブログで3年半くらい前に指摘しました。
少女時代をプラハで過ごした米原万里さんは、帰国後にソ連軍侵攻の知らせを聞き涙が止まらなかったそうです。
共産党の幹部は、下部党員の自由な言論活動を「反動勢力への屈服」などどみなし敵視します。レーニン主義の党ですから。
上記の「赤旗」論文は勤労者にとっては民主主義であると同時に、搾取者に対しては独裁であるプロレタリアート独裁の正しい意味での強化が必要であると述べています。
これはレーニンの「テーゼ」と一致しています。共産党を批判する人間や共産党幹部を批判する下部党員は「搾取者」と同様の人物とみなされうるのです。
米原万里さんはこれを実体験したようです。
吉良よし子議員、池内さおり議員ら若い共産党員は、「赤旗」掲載論文「チェコスロバキアへの五ヵ国侵入問題と科学的社会主義の原則擁護」を御存知なのでしょうか。
「日本共産党重要論文集」掲載論文を読んでいない方が、「とことん共産党」を自称するならば知的怠慢かつ傲慢ではないでしょうか。
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