2018年10月7日日曜日

レーニンは「国際ブルジョアジー」の狙い通りに宣伝をする人物のを処刑、自由はく奪を主張した―「デ・イ・クルスキーへの手紙」(レーニン全集第33巻、p371-372、大月書店)より思う

干渉によってであれ封鎖によってであれ、またスパイ行為によってであれ、さらに出版物等々への資金の供与によってであれ、共産主義的所有制度を暴力的にくつがえそうとつとめている国際ブルジョアジーの部分を援助する方向にはたらくような宣伝または煽動、またはそういう組織への参加または協力は、極刑を、もって罰せられる。ただし、罪を軽減するような情状がある場合には、自由のはく奪または国外追放をもってこれに代えることができる」(レーニン全集第33巻、p371ー372より抜粋)。


これは、デ・イ・クルスキーという人物にレーニンが送った手紙の一部で、刑法典の諸条項の下書きと記されています。

1922年5月17日と記されていますから、新経済政策に移行して1年少し経った時期の手紙です。

最晩年のレーニンは、できるだけ広範囲に、テロルの本質と必要性、正当性を公然と掲げねばならないと強調しました。

簡単にいえば、ボリシェヴィキを少しでも批判するものは、処刑・収容所連行あるいは国外に追放せよ、という類の話です。

国際ブルジョアジーを援助するような出版物に資金供与をしたら処刑ないしは収容所連行、ですから。

レーニンは国民の言論の自由を認めなかったのです。国際ブルジョアジーとは一体誰のことなのか不明です。

出来る限り広範囲に定式化せよとレーニンは主張していますから、国際ブルジョアジーというどうにでも解釈できる言葉で良いわけです。

大テロルを実行したスターリンは、レーニンの遺訓に忠実だったのです。

レーニンはロシア皇帝ニコライ2世一家の殺害を必要不可欠と考えた


不破哲三氏、聴濤弘氏(日本共産党元参議院議員)はレーニンに関する著書を何冊もだしています。

しかし両氏の著作には、レーニンによる富農やロシア正教会弾圧指令、国民抑圧指令については特に言及されてません。

両氏は、レーニンがボリシェヴイキを指導していた時期に断行されたニコライ2世一家虐殺事件についても一切言及していません。

レーニンの革命観は、地主や貴族の追放だけでなく、余剰穀物を隠して投機をする富農との徹底的な闘争が絶対に必要だというものです。

皇帝一家の虐殺は、レーニンの革命理論から見れば必要不可欠です。

例えば、「モスクワ地方貧農委員会の代表にたいする演説 1918年11月8日」(レーニン全集第28巻、p178-179)でレーニンは次のように論じています。

「これまでヨーロッパにおこったあらゆる革命の経験は、農民が富農の重圧に打ち勝たなければ、革命は不可避的に敗北するということをはっきり立証している。

ヨーロッパのすべての革命は、農村が自分の敵をかたづけることができなかったという、まさにその理由から無成果におわった。

都市の労働者は皇帝を打倒した(イギリスとフランスでは、数百年も前に皇帝が処刑されており、われわれは、われわれのツァーリを処理するのがおくれていたにすぎない)が、しばらくすると旧秩序が君臨してしまった。」

ツァーリの処理が遅れたとレーニンが述べているのは、ニコライ2世一家の射殺が遅れた(1918年7月17日。1918年は大正7年)ことです。

フランス革命でのルイ16世やマリー・アントワネットの処刑より120年以上遅い。

ボリシェヴィキにより幽閉されていたニコライ2世と皇后、5人の子供たち(皇太子と4人の皇女)と召使らは射殺や銃剣突きなどで殺されました。

エカテリンブルクという、ウラル山脈中部の街にあるが皇帝一家の最後の地となりました。

ボリシェヴィキは皇帝一家が西欧に脱出できないよう、内陸部に移動させたのでしょう。

ロシア皇帝一家の殺害をレーニンが直接指令したという証拠はありません。事後承認かもしれません。

しかしこの論考よりレーニンが皇帝一家の殺害をロシア革命の為には必要不可欠と考えていたことは明らかです。

レーニンはカウツキーの「純粋民主主義」を徹底批判した―敵を暴力的に抑圧―


聴濤弘氏の近著「200歳のマルクスならどう新しく共産主義を論じるか」(かもがわ出版)を読みました。

聴濤弘氏は相変わらず、レーニンによる富農やロシア正教会弾圧指令、国民抑圧指令、皇帝一家の虐殺について沈黙しています

聴濤弘氏はこの著書の「捕論」で、レーニンが徹底した民主主義が社会主義をつくるという相互関係を強調したと述べています。

聴濤弘氏が描くレーニンは、素晴らしい民主主義者です。

現実のレーニンは、富農やロシア正教会の徹底弾圧を主張したのですから、人権擁護や民主主義とは無縁の人物でした。

幽閉中で無抵抗の皇帝一家と召使殺害のどこが民主主義なのか?と誰でも思います。

これはレーニン独特の民主主義論からみれば当然です。

皇帝一家や召使、地主や富農の人権はどうなのか、などと考えるのは、カウツキー流の「純粋民主主義」論です。

レーニンはカウツキーの「純粋民主主義」を次のように徹底批判しています(「プロレタリア革命と背教者カウツキー」、1918年10月―11月に執筆。全集第28巻、p272)。

「プロレタリアートは、ブルジョアジーの抵抗を打ちくだかずには、自分の敵を暴力的に抑圧せずには、勝つことはできないということ、そして『暴力的抑圧』のあるところ、『自由』のないところ、そこには、もちろん民主主義はないということが、それである」。

人権と民主主義のために、皇帝一家と召使は殺害されたという事です。敵を暴力的に抑圧しなければ、労働者階級は勝利できないそうです。

しかし皇帝一家の召使は労働者では?などという疑問を持つ方はレーニンの民主主義論を理解していない。

聴濤弘氏、石川康宏教授はレーニンによるカウツキーの「純粋民主主義」批判について、どうお考えなのでしょうか。












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